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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



鎮海楼

この建物は歴史的建造物ということで、当然冷房は無く、蒸し暑い館内を汗をかきながらの見学となった。

1階は巨大な広州の市街地模型と紀元前の発掘品を展示してあるロビー、2階は明、清時代の陶器、工芸品、3階は清から近代に至る工芸品、4階には広州の風俗、現代の刺繍や手工芸品を展示してあった。

5階のベランダからは南に広がる広州市街地を展望することができたが、現在ではこの丘の上の鎮海楼よりももっと高い超高層ビルが林立して、海に例えられた珠江はとうてい眺められないのが興ざめである。
鎮海楼からの広州市街地


展示品の中で私の最も興味を引いたのは清時代の城壁で囲まれた広州の市街地模型である。

今の広州の中心部、面積では恐らく十分の一くらいの部分が旧広州城内であり、当時は東西南北それぞれ3km四方を高いレンガの城壁で囲まれた広州城という市街地が存在していたのである。


昔から敵は珠江側から攻め込んでくると予想されていたようで、南の珠江に面した部分は500mくらいの間隔を空けて2重の城壁となっていたのが面白い。

城壁の設計者の思惑通り、アヘン戦争の時にはちゃんとイギリス軍はこの南側から広州城内に攻め込んだのであった。

設計者の意図どおりということで、誰が設計したのか今となっては知る由もないが、先見の明のあった設計者である。

その城壁の一部は今でもこの鎮海楼の外、越秀公園内に見ることができるので、在りし日の広州城城壁の雰囲気を少しだけ味わうことができるのが幸いである。
木の根がからむ明時代の城壁


このレンガでできた城壁は清時代までの夜盗や、重火器を持たない軍隊を防ぐには有効であったであろうが、アヘン戦争時代のイギリス軍の大砲には一たまりも無かったようで当時広州城はあっという間にイギリス軍に占領され略奪の限りをつくされている。

その当時の記録を見るとアヘン戦争当時のイギリス軍は日本軍の南京虐殺以上のひどいことをしている。

人類の歴史上最も破廉恥な戦争であるアヘン戦争を中国にしかけたイギリスが、日本ほど嫌われていないようなので、歴史の流れで記憶も薄まるというわけか。

ふと見ると日本人のグループが次から次へと通訳の解説つきでやって来ては通り過ぎてゆく。

その数があまりにも多いので、まるで日本の博物館にいるような錯覚を受けてしまう。
鎮海楼の前庭


どうもここは広州空港から桂林へ行く日本人観光客の時間調整ルートとして組み込まれているようである。

外の売店で広州博物館のガイドブックと古い広州を写した写真集2冊、沙面の歴史ガイドブックを合わせて100元で購入しておく。

これらの本には日本ではなかなか手に入らない、貴重な現地の情報が盛りだくさん記載されているのである。
鎮海楼の背面


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