遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

もっと大勢亡くなっているにちがいない.....

→ こちら

東京電力福島第1原発事故後の2011年5月、同原発の工事作業中に体調が悪化して死亡し、労災認定された元作業員の妻が20日、東京電力、東芝、IHIなど4社を相手取り、慰謝料など計3080万円の損害賠償を求める訴えを静岡地裁に起こした。
 
 訴状によると、元作業員の大角信勝さん=当時(60)=は11年5月13日から、東電が東芝、IHIなどに協力を求めた原発復旧のための配管工事に、下請け作業員として従事。翌14日午前6時40分ごろに体調が急変し、その後心筋梗塞で死亡した。横浜南労働基準監督署は12年2月、業務と死亡の因果関係を認めて遺族補償支給を決定した。

 遺族側は「東電などは直接、間接の雇用を問わず、労働者の生命、健康が損なわれないよう安全を確保する義務を負う」と主張している。記者会見した妻でタイ国籍のカニカさん(55)は「大きな会社なのに線香1本上げてくれず、さびしい」と話している。

東電は「訴状を受け取っていないため正式に承知していない。訴訟に関しては回答を差し控える」、東芝とIHIは「訴状が届いておらずコメントを差し控える」としている。

以上



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→ こちら

以下抜粋

『甲状腺がんと診断が「確定」した子どもは、前回6月から6人増え18人になった』(※この期に及んで福島原発事故との相関関係を認めない)

一般に小児の甲状腺がんの発生は100万人当たり1~3人といわれていますが、チェルノブイリ原発事故の2~3年後から急な増加が見られます。そして、被爆時の年齢によってそのピークが異なることがわかります。0~10歳までの乳幼児・小児は被曝7年後にピークがあり、以後漸減して、1997年以降はベースライン、すなわち通常の発生率に戻っています。10~19歳の思春期では被曝10年後にピークが見られ、2002年以後は急激に増加しますが、ベースラインには戻っていません。

*2次検査については、終了したのかは不明⇒「福島の甲状腺がん、2次検査を実施したのはわずか半分だけ!対象者総数は1140人なのに、まだ検査をしていない方が719人も!甲状腺がんは50人以上?

2011年3月に福島県一帯に避難勧告をしていれば、ここまでの数が発見されることはなかったでしょう。あの時に避難勧告が広範囲に出なかったことが非常に悔やまれます。

→ こちら

以下抜粋

以前 白斑はカネボウのせいではなく被爆症状と言う説を載せましたが同じように考えるひとがいるようです。

【1】奇形の増加→【風疹】のせいにする!(?風疹に感染させる?)→堕胎させる
【2】心筋梗塞の増加→【熱中症】のせいにする!(子供もなっているのに!)
【3】被爆症状(発熱、炎症等)の増加→【手足口病】のせいにする!
【4】被爆症状(アルビニズム白色症:白斑)→【カネボウ】のせいにする!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【1】http://d.hatena.ne.jp/usausa1975/20130630/p1
http://ch.nicovideo.jp/masayukisatomura/blomaga/ar268425
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/863.html
http://onodekita.sblo.jp/article/69748453.html
【2】http://alcyone-sapporo.blogspot.jp/2013/08/blog-post_9654.html
大阪は東京より8月で2.3度暑い。それなのに「熱中症(もどき)の死亡者数」が、大阪1名に対し「東京103名」!
そのほか、西日本には東京より暑い都市はいくらでもある。
すでに東日本が特異な現象である!
【3】http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/573.html
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/691c726d89db2766d13f94ed9e5af10f
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/63c3777d44717d98f497ddf91c9f8c31
http://blog.livedoor.jp/artevita/archives/4658435.html
http://d.hatena.ne.jp/kuhuusa-raiden/20111006/1317883158
【4】http://ameblo.jp/sunamerio/entry-11595841688.html
http://alcyone-sapporo.blogspot.jp/2013/08/blog-post_265.html

以上



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賢いみなさまは エジプトの紛争がメディアの報道とは異なること 陰にアメリカの存在があることにお気づきのことと思います。アメリカ・CIAは今までも軍部のクーデター 反乱軍への武器供与 さまざまなストーリーで他国の運命を変えてきました。 イラク......リビアのカダフィー政権 チリのアシェンデ政権 インドネシアのスカルと政権転覆......世界の多くの紛争はアメリカの仕掛けによるものです。アシェンデ政権については再々語ってまいりましたので 今回はスカルノ政権転覆 インドネシアの場合をウィキから抜粋しておつたえします。

そのまえに もうひとつ確認 アメリカのうしろにはイスラエル それから多国籍軍需産業がいます。イスラエルは自国の敵をアメリカをつかって屠りたい (シリア イラン) 多国籍軍需産業は武器を売るためにアメリカに定期的に戦争を起こさせるのです。

安倍さんが単純なあたまで 憲法改正を叫び 自分の欲望を満足させるために 超法規的解釈で 集団的自衛権を実行しようとすることは いったい何を招くのか....

アメリカの経済は疲弊し もう一国で戦争ができなくなっている そのためにTPP ゆうちょ その他で 日本の国富を根こそぎ もって行こうとしているのですが 同時に集団的自衛権で日本の守りである9条を骨抜きにして 自衛隊(国防軍)を米軍の支配下で使おうとしているのです。自衛隊と米軍は共同で演習をすることも多く 基地も共用 自衛官が米軍に出向していると聞いたことがありますが すべて 周到な準備なのではないでしょうか。

そのうえに怖いのは もし 反米政権が日本に生まれた場合 国防軍によるクーデター シビリアンコントロールがひとつはずされました.......全くの夢物語でもないような......

ではでは 不正選挙で民意がドブに棄てられたほうがまだマシなのか.....

日本の国民はどうやって主権を回復できるのか.....

 

インドネシアの場合

インドネシアはオランダの植民地だった。スカルノは独立のために日本軍に協力し、イギリス軍やアメリカ軍、オランダ軍をはじめとする連合国軍と対峙することを選択した。

1943年にはハッタとともに日本を訪問し、昭和天皇と面会するなど日本との関係を強めていくとともに、インドネシア独立への道筋を作っていった。またにその後もインドネシアの殆どの地域は戦禍に巻き込まれることがなく平穏な状態が続いたものの、日本はその後イギリスやアメリカ、オーストラリアなどを中心とする連合国軍に対して各地で劣勢となっていき、1945年8月15日に敗戦へと追い込まれる。

日本が連合国に降伏してから2日後の8月17日、オランダ植民地政府が逃亡したままという権力の空白をぬった形でスカルノとハッタの2人が「インドネシア国民の名において」インドネシアの独立を宣言した。

しかし、これを認めないオランダはイギリスやオーストラリアなどの助けを受けて軍を派遣し、同地の再植民地化に乗り出した。戦局はオランダ優位に進むかに思われたが、オランダは本国が戦火に見舞われた上にドイツに占領されていたこともあり国力が低下していた上に、日本軍が放置していった兵器と残存した一部日本軍将兵の助けを受けたインドネシアの武装勢力(正規軍・非正規軍を問わず)とのゲリラ戦に苦しめられた。さらに、インドネシアを再植民地化しようとするオランダへの国際的な非難も高まったため、1949年12月のハーグ協定の締結によって、インドネシアはオランダから主権委譲を受け、独立国家としての第一歩を踏み出すことになった。

1955には、ジャワ島西部の都市バンドゥンにて第一回アジアアフリカ会議(バンドゥン会議)を主催し、インドやフィリピン、中華人民共和国など、第二次世界大戦後に続々と独立を果たした、もしくは建国された新興国、いわゆる「第三世界」のリーダーの1人として脚光を浴び、会議を成功に導くなど、国際社会での知名度を高めた。

なお、かつて親密な関係を持っており、第二次世界大戦戦後急速に復興を進めていた日本は、アメリカやイギリスと同じ西側諸国の一国となったものの、その後も一貫して政府借款や企業からの投資を受けるなど経済面を中心に引き続き親密な関係を続けていくこととなった上に、その後日本人の妻(第3夫人)を娶ることとなる。

1959年7月にスカルノは議会を解散し、スカルノの行動を制約していた憲法を停止して、強大な大統領権限を与えた1945年憲法に復帰することを宣言した。スカルノにとって重要だったのは、冷戦下において中華人民共和国などからの様々な援助を受けて国内で支持者を急激に増やしていたインドネシア共産党と、右派勢力を中心にインドネシア国内で実力を持ちつつあった国軍、この両者の拮抗状況をたくみに利用して、権力のバランサーとして生き延びることだった。

さらに国民からの支持を維持するため、スカルノはたえずナショナリズムを鼓舞しつづけた。「反植民地主義」を掲げて、イギリス保護国北ボルネオ、イギリス領サラワク、そしてシンガポルがマラヤ連邦と統合し1963年に成立したマレーシアとの対決を宣言した他、この頃より「反帝国主義」を掲げて、急速にイギリスやアメリカとの対立姿勢を強めた

これらの様に西側諸国との関係が険悪になるのと反比例して、スカルノは冷戦下において西側諸国との対立姿勢を続けるソビエト連邦や中華人民共和国、北朝鮮などの共産主義諸国への接近を強めていった。この為に、「ドミノ理論」による共産主義勢力の東南アジアへの浸透を恐れたアメリカは、CIAを通じてスカルノの失脚を画策していたと言われている。

さらにスカルノは、欧米諸国をはじめとする西側諸国を中心とした外国企業の資産を接収し、新たな外資の導入も禁止することで、外資の排除を図った。また、植民地時代から経済分野で優勢な地位を固めていた華人を差別し、さらにさまざまな輸入品目の規制を図ることで地場産業の振興を図り、自立的な経済の樹立を目指した。

しかし、これらの極端な経済、外交政策を取ったために、アメリカやイギリスをはじめとする西側諸国との関係はさらに険悪となり、これらの欧米諸国をはじめとする国際社会からの経済援助を停止された結果、深刻な食糧不足とインフレ率数100%に達する末期的な経済状況を生み出してしまった。さらに1965年1月に国際連合を脱退した事で、国際社会からの孤立状況は決定的なものとなった。

その様な状況下において、9月30日にインドネシア全土で「急進左派軍人勢力による国軍首脳部暗殺」というクーデター、それに迅速に対応したスハルトを中心とする右派軍人勢力を中心とした反クーデターの成功という「9月30日事件」が勃発し、その後の国内で右派軍人勢力による「共産党員狩り」が行われた。

「共産党員狩り」によって冷戦下の東南アジアで最大規模を誇ったインドネシア共産党が壊滅し、国内で共産党が一掃されたことにより、右派軍人勢力と共産党、左派軍人勢力の間のバランサーとしてのスカルノの求心力は失われた。この様な状況は「ドミノ理論」を唱えるアメリカなど西側諸国にも歓迎されることになった。

共産党への接近を進めるなど従来の親共路線の責任を問われたスカルノは、1966年2月21日に新内閣を発表して、なおも政権を維持しようとしたが、陸軍、イスラーム教系諸団体、学生団体などによるスカルノ糾弾の街頭行動が活発となり、辞任要求の圧力を抑えることができなかった。同年3月11日、スカルノは秩序回復のための一切の権限をスハルトに与える「3月11日命令書」にサインし、その実権をスハルトに譲った。スハルトは1967年3月に大統領代行に就任した。

スカルノは軟禁同様の寂しい晩年を送った。

以上

リビアの場合 → こちら

シリアの実態 → こちら → こちら

 こちら



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① トリチウムは水と同じなので分離できない

② 50年以上の間、太平洋に漏出することは避けられない

→ こちら

以下抜粋

つまり、東電は、2012年12月16日から2012年5月下旬までは、海水の濃度のデータだけを記者たちに手渡して、地下水の本当の深刻な汚染から目をそむけさせてきたのです。

しかし、すぐ前の海(開渠)の海水準(海面の標高)と、No.1エリアにある4つの観測孔の水位との間に、差異が認められれば、地下水が海に流れ込んでいることを証明できるのです。なにしろ、観測孔から海までの距離は5m~10m程度しかないのですから。

2013年7月の頭から地下水が海に地底を伝って流れ込んでいるのではないかと記者たちは疑惑を抱いていましたが、東電は両者の水位差を示すデータは、いくら記者が追及しても、頑として出さなかったのです。出していたら、自民党は参院選で議席を減らしていたかもしれません。

その“爆弾データ”が下の「地下水観測孔水位」です。

20130727-7.jpg

東電は、ここでも分らないようにぼかしています。本来なら、「海面と地下水面との高低差」などの表題をつけるべきなのに、「海面」という言葉を隠しています。

日を追うごとに水位差は1.8mから2.25mに開いています。これは、地下水がどんどん勢いを増している、ということを示しています。

放射性物質の海洋汚染の防止は破綻した」のです。ストレートな表現に換えるなら、「海は、これから次の有効な対策が講じられるまで汚染され続ける」という意味です。

セシウムは、海水の塩分に触れると凝集という現象が起こり、時間をかけて海底に沈殿していきます。ですから、海底のゴカイや藻類を餌にする底魚、貝と海藻がまず汚染され、次第に海の食物連鎖の頂点にあるマグロの体内で生体内濃縮が起こります。だから、汚染されるまで時間差があるのです。(今はダメ)ストロンチウムもセシウムと同じ水溶性ですが、海水に反応します。

しかし、トリチウムは、環境中に出て行くと水になります。もともと「水」ですから、海底に沈むことなく、海流に乗って回遊するのです。これは、セシウムを冷たいコーヒーに入れたグラニュー糖、トリチウムはウィスキーの水割りと考えればイメージしやすいと思います。

以上

以上



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ホロコースト元来はユダヤ教の宗教用語である燔祭(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で、のち転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになった。現在では、第二次世界大戦中のドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す。英語では、前者2種の意を普通名詞 (holocaust) とし、後者を定冠詞をつけて固有名詞(the Holocaust)として区別している。動詞としても使用されることがある。

ホロコーストの語源から考えれば ユダヤ人への虐殺より ヒロシマ ナガサキ 東京大空襲がより相応しい。 1945年8月6日 8月9日 そして3月9日飛び立ったB29は10日未明首都を襲い 10万人の女子ども多くの非戦闘員を焼き尽くした。

レビ族は神宝 祭祀をつかさどる一族であり 日本に渡来している → こちら

皇室はエフライム族の末裔との説がある。 → こちら

ユダヤ暦 → こちら 

ヒットラーの予言 → こちら

この記事はこちらのリンク先から ヒントをいただきました。たいへん興味のある奥深い指摘ですが 一部に若干疑問の点もありますので 読者のみなさまはご自分で検証してください。

 → こちら

シャガールにユダヤの12氏族を描いた版画があります。昨年 旅先で出会い なんとしても手に入れたくなった一枚が我が家にあります。それはエフライム族の版画です。

ヒットラーの予言 → こちら

以下抜粋

「しかしその報復として、米英を背後で操るユダヤが、日本を絶滅させる恐れがある。 ユダヤの天才的な科学者たちが、炎の絶滅兵器を開発するからだ。 彼らはそれをアメリカ軍に与え、日本に対して使わせる。 日本の都市3つがこれで火星のような廃嘘になる。そうさせる最初の契機に、イギリスが深いかかわりを持つ。 また決定段階ではユダヤの「真実の男」が、より深いかかわりを持つようになるだろう。」

読んで字の通り「原爆」の予言だと思われる。原爆は1938年ごろ、 イギリスにいたユダヤの原子物理学者レオ・シラードが思いつき、先輩のアインシュタインに知らせた。 アインシュタインは当時のユダヤ系のアメリカ大統領ルーズベルトに知らせ、 ルーズベルトはオッペンハイマー博士などユダヤ系の天才科学者たちを動員して、 1944年に最初の数発を完成させた。しかも、それを実際に命令して広島・長崎に投下させたのは、 ルーズベルトの後任者で、やはりユダヤ系のアメリカ大統領トルーマン(→Truman)だった。 「真実の男(→true man)」というつづりと、ひとつしか違わない。

と見てくると、上の予言のうち、外れたのは「日本の3つの都市がその兵器で廃嘘になる」というところだけ。 しかし、これもアメリカ軍の作戦では、広島・長崎の次に東京か仙台か松本、 更には京都などが目標に挙げられていたという説もあり、本当は「3つ」になるところだったのかもしれない。

ヒットラーは未来世界についても 予言を残しています。

「このように、最高の頭脳がシステム化して結合する。それが未来の支配の形だ。 ひとつの意志がここから全国民を動かすのだ。それが人間の頭脳であろうと、頭脳のような機械であろうと、 やることは同じだ・・・・・・」

「未来の社会はどんな様相を見せるだろうか。同志諸君、申し上げよう。 まず闘争によって選りぬかれた貴族階級が現われる。 新しい中産階級、無知な大衆、新しい奴隷、仕えるものの集団、「永遠の未成年者集団」があろう。 そしてこれらすべての上に、さらに新しい貴族がある。特別の指導的人物である。 このように、支配をめぐる闘争によって、国の内外に新しい身分が成立する。 しかも東方が巨大な実験の場になる・・・そこに新しいヨーロッパの社会秩序が生まれるのだ」(ラウシュニングに語った言葉)

だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。 それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。 限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、 戦えといえば戦う「無知の大衆」「新しい奴隷」も増えていくのだ。」

「人間だけではない。国もそうだ。恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。 他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる 気候もそうだ。とほうもない旱魃や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。 災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、 無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とが分かれる。

以上



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→ こちら

以下転載

脱原発わかやまは17日、原発について考える講演会を、和歌山県田辺市新屋敷町の紀南文化会館で開いた。みなべ町出身で、元原子力安全基盤機構検査員の藤原節男さん(64)=千葉県=が福島原発事故について「3号機は核爆発だった。事実が隠されている」と述べた。

大阪大学工学部原子力工学科卒業後、原発技術者として従事。北海道電力泊原子力発電所3号機の使用前検査を担当した2009年、組織的なデータ改ざんが行われたことを「公益通報」したことで翌年、同機構を解雇された。12年に電力業界、官僚組織、マスコミらが一体になっている原子力行政の実態を著書「原子力ドンキホーテ」で告発している。

福島原発3号機で発生した爆発は、黒煙が上がったこと、鉄骨があめ細工のように溶け落ちていたことなどから、東電がいう水素爆発ではなく、核爆発であると述べた。東電や政府の発表を疑問視し「3号機の事実をキーワードにしてこそ、課題突破の道が開ける」と強調した。

広島と長崎の原爆投下、ビキニ環礁での水爆実験など、アメリカが制作した記録映画、原子力の平和利用にまつわるドキュメンタリーなど、映像で原発の危険を訴えた。福島原発事故に関連し、マスコミに登場する研究者らの発言の矛盾にも言及した。

原子力技術に長年携わった後、脱原発を訴えている自身の立場について「原子力は人類に役立つと信じ、事故も防ぐことができると思い研究してきた。都合の悪いことを隠す官僚や東電は、何も知らない人たちに悪事を働く構造になっている」と思いを述べた。


以上



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矢印をスクロールすると原発までの距離がわかります。

→ こちら

.....移住するなら 秋田とかねらい目?北海道の端っことか....でも 六ヶ所村が..... すると みんな終わり....



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このビ­デオ最初のタイトルは、「アメリカでダンスをすると逮捕されます­。ご注意を」っていう日本の観光の人向けっていうユーモア系だっ­たのです。

⇒ こちら

日本では....クラブ だめになりました....

 



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⇒ こちら

以下抜粋

慶應義塾大学病院放射線科の近藤誠医師は、抗がん剤の効果について「日本人のがんの9割を占める胃がん、肺がん、大腸がん、乳がんなどの「固形がん」には抗がん剤は効かないと主張する。

「抗がん剤にはがんを治す力もないし、延命効果もない。あるのは過酷な毒性だけ。使えば使うほど寿命が縮まります」(近藤氏)

 さらに近藤氏は抗がん剤の治験データの有効性そのものが疑わしいと言うのだ。

「僕はすべての抗がん剤の治験データを分析したが、生存曲線に人為的操作が介在するなどのインチキがあります。すべてにです。高血圧の薬で京都府立医大グループの治験データが問題になりましたが、抗がん剤の論文を見ると、製薬会社の社員の名前が堂々と著者欄に並んでいるんです」(近藤氏)

 抗がん剤も分子標的薬も、細胞を殺す薬であることに変わりはない。激しい副作用が伴うのもそのためで、

「抗がん剤によってがんが小さくなることもあるかもしれないが、それ以上に正常細胞のほうが薬が効きやすいので、かえって身体を痛めることになる」と近藤氏。とくにがんが“がんもどき”(※転移しないがん)だった場合、辛い抗がん剤治療は「まる損」になる。

 しかし、抗がん剤を使用している医師の実感は異なるようだ。

「末期の卵巣がんで、腹水がたまってお腹がパンパンになっていた患者さんが、抗がん剤治療で治ったこともある。統計的にも、末期(IV期)がんでも5年生存率はゼロではない。治る人がいる以上は治療すべきだと思います」(婦人科がんに詳しい総合病院産婦人科部長)

 また別のベテラン医師も、「臨床経験から、乳がんの抗がん剤の延命効果は証明されている。肺転移で余命いくばくもない患者さんが、抗がん剤治療で腫瘍が劇的に小さくなり、症状も改善され、1年以上も延命しているケースもある」

 と指摘する。ただし、前出の産婦人科部長は、近藤理論に一定の理解も示す。

「大切なのは抗がん剤によってよくなるかどうかを、医師が見極めること。なかには抗がん剤がまったく効かない人もいる。そういう人にまで抗がん剤を投与するのは、近藤先生の言うようにいたずらに患者さんを苦しめることになり、デメリットのほうが大きくなる」

以上

東京在住大病院勤務医の話

「指導部長から 効かないと思われる患者にも抗がんを勧めるよう指導されている。」

わたしの友人は抗がん剤を拒否して 結局乳がんで亡くなりました。自分の場合 家族の場合 万一のとき どのような判断を下せるか.... ..... とりあえず がんにならない食生活 ..... ストレスレス生活......

 



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吉田所長は7月亡くなりました。ほかにみ任務を全うされて人知れず亡くなられた方々がおられましょう。フクシマの50人の英雄たちは存命でしょうか? そしてほかにも 愛する家族 恋人 それから日本のひとたちのために不眠不休の努力を高濃度放射能汚染下で戦ってくださった方々がおられましょう。ありがとう、みなさま あなた方がひととして自分のお力以上のことをしてくださったから わたしはいま セミの声を聴くことができる 麦茶で喉をうるおすことができる あたたかいことばをまわりのひとにかけることができる.....わたしは硫黄島をレイテヲサイパンを沖縄を思います。日本の男たちはいつも果敢だった。水も無く食糧もなく 体力の限界のなかで 本土侵攻を防ごうと懸命に戦ってくださった。.......大本営は戦う対象について戦況について正しい判断をできなかったけれど 現場は実に勇猛だった。

命を永らえたわたしたち とりあえず地獄を間一髪で逃れたわたしたちもまた このままでは終わりません。懸命に生きてまいります。声をあげてまいります。つとめを果たされたみなさま どうかやすらかにお眠りください。

2013年08月19日(月) 週刊現代⇒ こちら

複数の原子炉が暴走する史上最悪の原発事故。その最前線で闘った男が静かに逝った。彼はそこで何を見たのか。そして日本人は、彼の遺志をどう受け止めるべきか―男が果たした「使命」を顧みる。

■もしこの人がいなかったら
2013年7月9日午前11時32分、東京・信濃町の慶応義塾大学病院で福島第1原発の元所長、吉田昌郎氏が息を引き取った。享年58だった。あの大震災が起こった2011年3月11日から数えて851日目のことである。あまりに早すぎる「死」だった。私は、吉田さんの訃報に接し、「ああ、吉田さんは、天から与えられた使命を全うし、私たちの前から去っていったのだ」と思った。

拙著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)の取材で私が吉田さんとお会いしたのは、昨年7月のことだ。全電源喪失、線量増加、注水不能……考えうる最悪のあの絶望的な状況で闘いつづけた吉田さんへの単独インタビューは当時、すべてのメディアが目指した案件だった。私のようなフリーの人間は、軍団で攻めていく大メディアによる正攻法ではなく「周囲」から攻めていくしかない。吉田さんの親友、恩師、先輩、上司……あらゆるルートを辿って、私は吉田さんにアプローチした。やがて、あるルートが吉田さんに繋がり、病床で私の手紙と著作を吉田さんは読んでくれることになった。

吉田さんは、私の戦争関係の著作を読んで、「会うこと」を決断してくれた。おそらく太平洋戦争の最前線で戦う兵士たちの思いを綴ったインタビューとドキュメントに福島第1原発での自分たちを重ね合わせたのではないかと思う。やっと私が吉田さんに会えたのは、アプローチを始めて1年4ヵ月後のことだった。食道癌の手術と抗癌剤の治療を終え、外出を許されるようになった2012年7月、吉田さんは、西新宿にある私の事務所を訪ねてきてくれた。184センチの長身で、やや猫背気味の吉田さんは、ニュース映像とはまったく面相が変わっていた。頭髪は坊主のように短くなり、頬はこけている。食道癌の手術とその後の抗癌剤治療の過酷さが窺えた。

挨拶を終えたあと、私は吉田さんにこう伝えた。「今回の事故は、日本史の年表に今後、太字で書かれるような歴史的なものです。私は、あの過酷な事故の中で何度も原子炉建屋に突入していった人たちの真実を伝えたい。東電バッシングが続いている中で、今の人たちにたとえ読まれなくても、私や吉田さんが死んだあとの孫やひ孫の世代に向かってこの本を書きます。だから吉田さんは私に対してというより、"歴史"に向かって証言してください」

吉田さんは、特徴である人なつっこい顔でにっこりして、「門田さん、私は何も隠すことはありません。門田さんが聞きたいことはすべて答えますから、なんでも聞いてください」そう言ってくれた。こうして吉田さんへの取材は始まった。

■「チェルノブイリの10倍です」
ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは、そう答えた。あまりに当然のような顔をして吉田さんがそう言うので、却って拍子抜けしたほどだ。その時、頭に浮かんだのは、"悪魔の連鎖"という言葉である。事故が起こっても、石油などの化石燃料はいつかは燃え尽きるが、原子力はそうはいかない。

ひとたび原子炉が暴走を始めれば、原子炉を制御する人が近づくこともできなくなり、次々と原子炉が"暴発"し、燃え尽きることもなくエネルギーを出し続ける。放射能汚染は限りなく広がっていくのである。それが悪魔の連鎖だ。吉田さんは、そのことをわかりやすく私に「チェルノブイリの10倍」と語ったのである。

「福島第1には、6基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉がやられて、当然、(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。ここにも4基の原子炉がありますから、これもやられて10基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう」10基の原子炉がすべて暴走する―吉田さんは、それを「チェルノブイリの10倍」という言葉で表現してくれたのである。もちろん、黒鉛炉であるチェルノブイリと沸騰水型軽水炉である福島原発とは、そもそも原子炉の型が違うので、簡単に比較できるものではない。だが、吉田さんのその言葉で、吉田さんたち現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。

生命をかけてくれた
のちに原子力安全委員会の班目春樹委員長(当時)は、私にこう答えた。「あの時、もしあそこで止められなかったら、福島第1と第2だけでなく、茨城にある東海第2発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う、"チェルノブイリの10倍"よりもっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった東日本の3つに"分割"されていた、と思います」

吉田さんたち現場の人間が立っていたのは、自分だけの「死の淵」ではなく、日本という国の「死の淵」だったのである。私が注目したのは、その国家の命運を左右する決定的な作業が、大津波に襲われてから数時間の内におこなわれていたことである。

吉田さんは、全電源喪失の中で暴走しようとする原子炉を冷却するには、「海を使うしかない」と、すぐに決断している。海、すなわち太平洋の「水」である。

「消防車というのは、防火水槽からホースで水をとってタンクに貯め、それを燃えているところにホースでかけるもんだろう? それなら何台か消防車を繋げば、海の水を持って来られるはずだ」吉田さんの発想は、奇抜だった。すぐに所内にある3台の消防車の状態が報告される。だが、3台のうち2台は、地震と津波で使用不能になっており、生きているのは、「1台」だけだった。1台では、「繋ぐ」ことができない。吉田さんはただちに自衛隊に消防車の要請を出している。この要請はすぐに郡山と福島の陸上自衛隊に伝えられ、消防車が福島第1原発に向かっている。

それと共に、現場では、これまた「決定的な作業」が始まっていた。全電源喪失の下、冷却手段は「水」しかない。しかし、その水を原子炉に直接入れる「ライン」がなければ、すべては無駄になる。現場のプラントエンジニアたちは、ほとんどが地元・福島の工業高校を出て東電に現地採用され、鍛えられて成長してきたプロたちである。彼らは、吉田所長の指示が出た時は、すでに原子炉への水の注入ラインの構築に着手していた。

■「消火ラインを使おう」
建物には、火災になった時のためにスプリンクラーなどに水を流す消火ラインがある。そのラインを組み直し、原子炉に直接ぶち込めばいい―そんな発想から作業は始まった。しかし、そのためには、線量が上がり始めた原子炉建屋に入り、あるバルブは開け、また別のバルブは閉めるなどの「ライン構築」の作業をしなければならない。彼らは、放射能を遮断する全面マスクをつけて原子炉建屋に何度も突入し、この作業を展開している。

線量の増加によって、建屋内への立ち入りが禁止されるまでの「数時間」の間に、この決定的な作業を終えていたことは、奇跡と言っていいだろう。それからもさまざまな作業がおこなわれるが、このライン構築ができていなかったら、その後の作業は意味を持たなかったとも言える。いち早く消防車を手配した吉田所長と、彼からライン構築の指示が出る前にすでに動き始めていたプラントエンジニアたち―彼らの見事な現場力は、日本を最悪の状態に陥ることから「救った」のである。


3月12日朝7時過ぎ。吉田さんは、ヘリコプターで東京から乗り込んできた菅直人首相一行を迎えた。「なぜベントをやらないんだ」そう詰め寄る菅首相に吉田さんは冷静にその時の状況を伝えている。

「それはこういうことです」菅首相の前に図面を広げ、ベントに入ろうとしている現状を説明し、菅首相はやっと落ち着きを取り戻した。

この前に首相一行を迎えるにあたって吉田さんは東電本店と大喧嘩をしている。それは、防護マスクなどの装備についてである。汚染された福島第1原発に来るには、それなりの装備と覚悟が必要だ。しかし、現場の防護マスクは数が限られている。しかも、一度使用して汚染されたものは二度と使用できない。決死の作業に必要な防護マスクは、現場に余分がない。「首相一行が来るなら、防護マスクはそっちで用意してくれ」。テレビ会議を通じて吉田さんがそう言うと、本店からは、「いや、現場で用意してください」という返事が来た。その瞬間、吉田さんが叫んだ。「ふざけんじゃねえ! こっちには、そんな(数の)余裕はねえんだ!」歯に衣着せぬ物言いと、上司にでも食ってかかる豪快さは、吉田さんの真骨頂だ。だが、首相一行はそのまま何も持たずにヘリコプターで一気にやって来た。

菅首相は、免震重要棟の入口で放射能の汚染検査も拒否して、靴だけを履きかえて吉田さんのいる2階に上がっていった。「ヘリコプターから降りて汚染したところを来るわけですから、菅さんたちは、その時点で自分たちが"線源"(注=放射能の汚染源)になっているという意識がなかったですね」吉田さんはあの首相一行の訪問をそう振り返った。その後、空気ボンベを背負ってエアマスクをつけ、炎の中に飛び込む耐火服まで身につけての決死の「ベント作業」の指揮を吉田さんは執った。

使命を果たした男
吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」武黒フェローの命令に吉田さんはこう反発した。

「なに言ってるんですか! 止められません!」海水注入の中止命令を敢然と拒否した吉田さんは、今度は東電本店からも中止命令が来ることを予想し、あらかじめ担当の班長のところに行って、

「いいか、これから海水注入の中止命令が本店から来るかもしれない。俺がお前にテレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令は聞く必要はない。そのまま注入を続けろ。いいな」そう耳打ちしている。案の定、本店から直後に海水注入の中止命令が来る。だが、この吉田さんの機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行されたのである。多くの原子力専門家がいる東電の中で吉田さんだけは、原子力に携わる技術者としての「本義」を失わなかったことになる。

その後の荒れ狂わんとする原子炉との苛烈な格闘は、拙著を参照いただきたい。特に3月15日早朝、2号機の格納容器爆発が迫った時、一緒に死んでくれる人間の顔を一人一人思い浮かべて「選ぶ」場面は壮絶だった。福島に多大な被害をもたらしながらも、格納容器爆発という最悪の事態はぎりぎりで回避された。そして、天から与えられた使命を果たして、吉田さんは旅立っていった。吉田さんが亡くなった翌日、私は、東電に同じ技術者として同期入社した吉田さんの親友から、こんなメールを頂戴した。

〈門田さんの吉田さんへの取材があと半月遅れていたら、世に「あの戦争」で闘った"本義を忘れない"男たちのことは迷宮入りしたかもしれません。それを思うと、門田さんと吉田さんの出会いは「神様が与えて下さった」おみやげだったのかもしれません。吉田さんもきっと微笑んで彼岸をわたっていると思います〉奇跡のように「日本」を救い、風のように去っていった男・吉田昌郎―今も事故前と同じく東京に住み続けている一人として、吉田さんに「お疲れさまでした」、そして「本当にありがとうございました」という心からの言葉をお伝えしたいと思う。

以上



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以下転載

一昨日(15日)の終戦記念日に、自民党などの国会議員102人が靖国神社を参拝した。黒塗りのクルマから本殿に向かった閣僚を見て、「おやっ?」と思った人もいるだろう。2人の男の“先祖”が気になるのだ。まずは新藤義孝・総務大臣(55)。この人の母方の祖父が太平洋戦争の指揮官、栗林忠道中将(死後大将に昇進)であることは有名だ。栗林は1944年に硫黄島に着任し、翌45年3月、同島に上陸した米軍と激しい戦闘を交えて戦死した。米映画「硫黄島からの手紙」で渡辺謙が演じた将校といえばピンとくるだろう。

映画では物分かりのいい親分肌だったが、実際は大本営に玉砕する旨を打電。2万人余りの将兵を戦死させたのだから責任は軽くない。

古屋圭司・国家公安委員長(60)は自治大臣兼国家公安委員長を務めた古屋亨を父に持つ。亨は東京帝国大学を出て戦前の内務省に入省したが、見逃せないのが岩手県で特高課長を務めていたことだ。特高は正式名称を「特別高等警察」といい、治安維持法のもと、政府や軍部に批判的な人たちを弾圧した。亨が特高課長を務めたのは39年5月~同年12月。岩手県の資料によると、この年、同県で「公安を害する者」として検挙された人は4786人に上る。「告発 戦後の特高官僚―反動潮流の源泉」の著者の柳河瀬精氏はこう言う。「特高は日本の侵略戦争に反対し、国民主権を主張した人たち7万5681人を検挙し、拷問しました。東京・築地署でなぶり殺しにされた作家の小林多喜二が有名です」

そもそも安倍晋三首相(58)の祖父、岸信介がいわくつきの人物だ。満州国の経営に関与し、開戦時は商工大臣として物資動員を担当。敗戦直後にA級戦犯として逮捕されたが、なぜか不起訴となり、57年に総理大臣に就任した。

玉砕軍人と特高警察、そしてA級戦犯――。この内閣は戦前と因縁が深い。安倍政権が右傾化するのと無関係ではないのかもしれない。

以上

古谷亨特高課長 岸信介満州開拓はそのとおりとしても 栗林忠道中将はちょっと違います。

栗林中将はフランス・ドイツ志向の多い当時の陸軍内では少数派の「知米派」であり、国際事情にも明るく対米開戦にも批判的であった。

1944年5月、小笠原方面最高指揮官として栗林忠道陸軍中将は父島へ赴任した。当初は要塞のある父島に司令部を置くことになっていたが、情勢を調査した結果、アメリカ軍は飛行場適地がある硫黄島へ進攻すると判断。師団司令部も硫黄島に移動した。制空権と制海権を持つアメリカ軍に対して、硫黄島が長く持ちこたえることができないことは明白であったが、栗林中将は上陸部隊にできるだけ大きな対価を支払わせ、日本本土への進攻を1日でも遅らせる決意をしていた。、

栗林中将着任前は、一般的な水際防御+万歳突撃のための陣地構築が進められていたが、中将は島中を歩き それを無意味かつ貴重な資材や時間の無駄な浪費として撤回させ、内陸部に誘い込んでの持久戦やゲリラ戦を基本方針とし 天然の洞窟と人工の坑道からなる全長28キロに及ぶ地下坑道が計画され 18キロが建設された。

 坑道は深いところでは地下12mから15m、長さは摺鉢山の北斜面だけでも数kmに上った。地下室の大きさは、少人数用の小洞穴から、300人から400人を収容可能な複数の部屋を備えたものまで多種多様であった。出入口は近くで爆発する砲弾や爆弾の影響を最小限にするための精巧な構造を持ち、兵力がどこか1つの穴に閉じ込められるのを防ぐために複数の出入口と相互の連絡通路を備えた地下要塞だった。また、地下室の大部分に硫黄ガスが発生したため、換気には細心の注意が払われた。戦闘が始まると地下陣地は所期の役割を十二分に果たすことになる。

硫黄島は大本営から見捨てられ 補給もなく 飲料水は雨水だけそれも乏しく 食料もなくわかちあった。兵士たちは銀行員や大工など中年の者と学徒出陣の若者が多かった。彼らはやせ衰えた身体にもかかわらず驚くほどの気骨で アメリカ海兵隊を震え上がらせた。

 1945年(昭和20年)2月16日、アメリカ軍艦艇・航空機は硫黄島に対し猛烈な上陸準備砲爆撃を行い、同月19日9時、海兵隊第1波が上陸を開始)。上陸準備砲爆撃時に栗林の命令を無視し、応戦砲撃を行った(日本)海軍の海岸砲により擂鉢山火砲陣地が露呈し全滅するなど誤算もあったものの、十分にアメリカ軍上陸部隊を内陸部に引き込んだ日本軍守備隊は10時過ぎに一斉攻撃を開始する。圧倒的な劣勢の中、アメリカ軍の予想を遥かに上回り粘り強く戦闘を続け多大な損害をアメリカに与えるものの、3月7日、栗林は最後の戦訓電報を大本営陸軍部と陸大時代の兵学教官であった蓮沼蕃陸軍大将に対し打電(のちの作戦立案などに生かすため参謀本部に送る戦訓電報を、大本営参謀だけでなく畑違いである蓮沼侍従武官長に宛てた理由としては、栗林が強く訴えている陸海軍統帥一元化と海軍批判が黙殺されることを危惧したため)。さらに組織的戦闘の最末期となった16日16時には、玉砕を意味する訣別電報を大本営に対し打電最後の総攻撃を企図した栗林は残存部隊に対し以下の指令を送った。

  • 一、戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ
  • 二、兵団ハ本十七日夜、総攻撃ヲ決行シ敵ヲ撃摧セントス
  • 三、各部隊ハ本夜正子ヲ期シ各方面ノ敵ヲ攻撃、最後ノ一兵トナルモ飽ク迄決死敢闘スベシ 大君{注:3語不明}テ顧ミルヲ許サズ
  • 四、予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ

 1945年1月に発令された最終作戦は、陣地死守と強力な相互支援を要求したもので、従来の攻撃偏重の日本軍の戦術を転換するものであった。兵力の大幅な損耗に繋がる、防護された敵陣地への肉弾突撃・万歳突撃は厳禁された。また、栗林は自ら起草した『敢闘ノ誓』を硫黄島守備隊全員に配布し、戦闘方針を徹底するとともに士気の維持にも努めている。

   ・一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン

  • 一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
  • 一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン
  • 一 我等ハ一發必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ打仆サン
  • 一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ
  • 一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン

特に最後の「一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ」と「一 我等ハ最後ノ一人トナルモゲリラニ依ツテ敵ヲ悩マサン」は、長期持久戦を隷下将兵に徹底させる旨の一文であり、この誓いは実際の戦闘で生かされることとなる。レイテサイパングアムと違って硫黄島は日本の領土 ここを奪われると日本は中継基地を失い 逆にアメリカはまたとない避難場所 基地を得ることになるのだった。

26日、17日以来総攻撃の時機を待っていた栗林大将は最後の反攻を敢行。栗林大将以下、約400名の将兵がアメリカ軍陣地へ攻撃をかけた。この最後の攻撃は栗林が戦闘前から戒めていた決死の万歳突撃ではなく必至の夜襲であり、また攻撃を受けたアメリカ陸軍航空軍の野営地には整備員など戦闘の訓練を受けていない者が多く、当地は混乱に陥った。アメリカ側では53名が戦死、119名が重傷を負ったとされる。これをもって、日本軍の組織的戦闘は終結した。しかし、残存兵力によって局地的戦闘やゲリラによる遊撃戦が終戦まで続いている。

栗林中将は妻や子を愛し こまごました手紙を内地に送っている。その文面を見ると 戦況の先まで見通し 本土の爆撃も予期していたようで 空襲や中将の死後ついてなどことこまかな指示もある。空襲があるとしたらそのときに父はこの世にいないでしょうと書かれていた。実際は最後の攻撃のまえに東京への空襲は行われているのだが 中将が全軍を掌握し 死を賭して硫黄島を守ろうとしたのは 国土だけでなく愛する家族をなんとか守りたいという家族への想いがあったような気がしてならない。ゆえに 新藤義孝・総務大臣の靖国参拝を喜んでおられるかどうか わたしにははなはだ疑問である。

 

以上



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以下抜粋

 今、エジプトでは、日本の報道では本当の真実がわからない事態が進行しているらしい。前大統領が突然軍に引きずり下され行方も分からない。それを取り戻そうとしている支持者を軍の治安部隊が強制排除して、数百人が死亡したと報道されている。しかし、実際には3000人近くとも言われている。

前大統領を支持するムスリム同胞団は、中東におけるスンナ派のイスラム主義の組織であるという。これに対して、2011年2月、アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマは、ムスリム同胞団を「反米思想」と表現したそうである。つまり、米国から言えばパレスチナ、アフガニスタンと同じ反米と映るのであろう。オバマ政権は、現政権に兆円単位の援助を行っているという。このような政変の裏には米国の後ろ盾があるようだ。

一時期、エジプト出身でテレビに出ていた女性のフィフィ氏が、エジプトで起きている現実をツイートしている。以下にそのツイートを拾ってみた。彼女は、日本の報道は米国の報道に沿ったものになっていると述べている。米国は、今のデモの集団をイスラム主義の暴徒と見なしている。しかし、フィフィ氏のツイートからは全く別の状況が見えてくる。どちらの情報を信じるかは、読んだ人にご判断願いたい。

フィフィ ‏@FIFI_Egypt 8月15日
私は日本のメディアに何を期待してるんだ、いや、何も期待していない。ただ歪曲するくらいなら報道してくれるなと言いたい。

エジプト全土で大規模デモ、怒りの金曜日。各国から自制を求められているのに実弾で対応すると強硬姿勢の暫定政府。報道関係者へ、平和的な民衆のデモを"暴徒化"等と表現し過激な印象で報道する事はエジプト国民を侮辱に値するのでやめて頂きたい。

なぜ日本はエジプトのデモに悪印象を持たせて報道するのか。暫定政権下にあるエジプト軍は米国から毎年13億ドルの資金援助を受けている。→ムスリム同胞団の政権が実権を握るのは米国に不都合なので、民主主義と言いながらクーデター政権を裏で支持する米国のダブスタ→米国のお財布、日本はだんまり

【日本のメディアが報道しない映像】日本の皆さん見て下さい。非武装でデモ行進する人々の行く手をふさぐ戦車と兵士。デモ隊に無差別に発砲…倒れる人々。銃声は鳴り止まず。女性も撃たれています。彼らのどこが過激派?

さすが、中国共産党によるチベットやウィグルでの大虐殺もスルーする日本のマスコミだけある。アメリカが支援するエジプトクーデター政府による国民への虐殺行為も華麗にスルー。大国の顔色見て報道するのが関の山。情けない。

エジプト政府による国民への非人道的な行為に対する反対デモがニューヨークとロンドンで行われている。日本の報道ではいまだにデモ隊を武装集団扱い、"銃撃戦"やら"鎮静化"などの表現を使って治安部隊を正当化する始末。日本の国民はまともな世界情勢も入手できないのだから同情する。

証拠隠ぺいのためモスクに、治安部隊に雇われたチンピラが入って、死体を奪っているとの情報

暫定政府は、治安部隊による虐殺で死亡診断書を出す際には"自殺"もしくは"自然死"のどちらかしか選択出来ないと殺された家族に伝えている。遺族からは、死んだあとにさえ人権はないのか…との嘆きが。

マケイン、グラム両上院議員は16日エジプト治安部隊によるデモ隊強制排除を「市民の大虐殺」と批判しオバマ政権にエジプトへの巨額軍事援助停止を促す声明を発表、しかしオバマはいまだにエジプト軍への膨大な資金援助を停止するとは発言しない。今回のクーデターの黒幕が米国である事を露呈した形。

ラムセス広場近くのアルファッターハモスクでは、今日殺害された100人以上の死体が収容されているが、軍と治安部隊がデモしていた市民をこのモスクに1000人閉じ込め拷問を加えている模様。ソースは、アルガジィーラムバーシェルミスル。

エジプト暫定政権とエジプト軍=米国に雇われた犬。地理的にエジプトが従米になってもらわないと米国には都合が悪い。サダトもムバラクもどっぷり米国の手先だった。唯一の国民投票で選ばれたモルシは米国には歓迎され無かったのよ。米国からの膨大な資金援助欲しさに暴挙に出た敗れた前政権ってこと。

少なくとも他国は新聞も、局も支持政党によって区分されていてそのスタンスで報道する。日本は内容が一辺倒で視聴者に選択肢すら与えられてない。それ以前に国民を愚民化させ政治に無関心にさせたのも大きい。RT @kazn0317: 言論の自由が本当の意味である国なんてあるんでしょうかね?

エジプト暫定政権とエジプト軍=米国に雇われた犬。地理的にエジプトが従米になってもらわないと米国には都合が悪い。サダトもムバラクもどっぷり米国の手先だった。唯一の国民投票で選ばれたモルシは米国には歓迎され無かったのよ。米国からの膨大な資金援助欲しさに暴挙に出た敗れた前政権ってこと。

速報:エジプトカイロ、ラムセス広場近くのアルフトゥハモスク、昨日から実弾を構えた治安部隊らによって包囲されているが、夜が明けた現在も多くの市民が中に閉じ込められたままの状態。モスクの中にいる市民からは、世界の報道機関に発信して欲しいと次々と携帯を通じて、中の様子が伝えられている。

暫定政権が指揮する日雇い武装集団の人たちの事をアラビア語では"バルタゲイヤ"と言います。このような存在が日常ではない日本では、日本語でそれを表す単語がないので金で雇われた"チンピラ"と表現するしかないかもしれません。このチンピラ達が市民にナイフや鉄棒なので危害を加えているのです。

治安部隊がモスクを包囲し700人が閉じ込められている件で、家族、支援者もモスク近くに集まっている模様。治安部隊がモスク内に催涙ガスを放射し2人死亡。昨日のラムセス広場での政府による虐殺だけで死者107名、重体を含む怪我人は2700名。これは昨日だけの政府による市民への虐殺の数字。

 以上



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初の1000兆円突破=「国の借金」膨張止まらず-1人当たり792万円・6月末

どうやら コノ数字はウソらしい。
 

 ⇒ こちら

「国の借金が初めて1千兆円を超えた」という。正確には、国債および借入金並びに政府保証債務現在高が1008兆6281億円になった。この数字は会計的には不正確だ。財務省は国の借金の定義をそのときの都合によって変更する。実は12年3月末に負債総額は1088兆円になっている。定義が違う。

12年3月末の負債1088兆円はバランスシートの数字。高橋洋一氏によると、バランスシートには資産総額629兆円が出ているので、財務省はその数字を使いたくない。増税の根拠が弱くなるからだ。国際的に国の負債は負債から資産を引いたネットで見る。資産を引くと日本の負債は459兆円になる。

資産というと、財務省はそれは使えない資産だというが大うそだ。日本の資産の大半は金融資産で処分可能。現預金18兆円、有価証券98兆円、貸付金143兆円、運用寄託金111兆円、出資金59兆円の実に428兆円が金融資産である。このうち運用寄託金は年金資産だが、あとは処分可能である。

有価証券の98兆円は外国為替資産。変動相場制の国でこんなに多くの外為資産を持っている国はない。貸付金143兆円と出資金59兆円は官僚の天下りの温床の特殊法人への資金提供。これを民営化すれば日本は財政危機でも何でもないことになる。消費増税など不要。官僚の懐を豊かにするだけである。

それにだいたい 国民がした借金じゃない なにをいまさら

⇒ こちら


 国家の借財が何兆円になろうとも、筆者には関わりのないことであり、他の国民一人一人にも、関わりのないことである。勿論、公共事業や補助金などで潤った人々には責任はあるだろうが、重複する課税の殆どを支払っている筆者に、「お前の知らない借金が792万円あるのだが、どうするのだ?」と、借金取りから、嘘の金銭消費貸借契約書を突きつけられても、払える道理がない。このような借金を作ったのは、政府であり、霞が関である。国民の不満を聞きたくないとか、自分の企業団体の仕事が増えるとか、自分たちの老後の天下り団体を潤わせるとか、そう云う無駄金の積み増しで起きた現象である。国民には関係等、一切ない。これは、断言しておく。

 細かな話は別にして、無能な政治行政を長々と続けてきた自民党と霞が関と、それに連なる金魚の糞らが積み上げた借金である。その借金が国債と云うものに形を変えて、債券商品になったわけだ。そして、それを銀行等の金融機関や財投が、国民から預かった金や、日銀から低利で借りた資金を使って、買い上げ、利ザヤを取って生きている。銀行や財投の金も、トドノツマリは俺達の金なのである。つまり、国の借金は、俺達が賄っているわけで、最終的には、貸した金が戻って来ない心配はあるが、現在手元にある金までが消えるわけではないし、その後の稼ぎがゼロになるわけでもない。

以上
 



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試算で低いということは考えられない、たぶんもっと高いのでしょう。文科省のデータは最終バーゲン並みの6割引だそうです。 陸側というのは地下水に行くのか...?

 ⇒ こちら

 福島第1原発の汚染水が海に流出している問題で、東京電力は2日、2011年5月から今年7月にかけ、汚染水に含まれて流出した放射性物質のトリチウムの量が20兆~40兆ベクレルに上るとの試算を明らかにした。この日、原子力規制委員会の汚染水対策を検討する作業部会に報告した。東電は「保安規定に定められた年間の放出基準値と同程度だが、管理されていない状態の流出なので好ましくない」との見解を示した。保安規定上のトリチウムの放出基準値は年間22兆ベクレル。

東電は今後、体内に蓄積しやすく健康影響が懸念される放射性ストロンチウムも流出総量を試算するとともに、原発周辺海域での魚介類への影響調査を始める。

東電によると、海への漏洩が始まった時期が分からないため、事故後に汚染水流出対策工事を実施した11年5月以降に漏洩があったと仮定。陸側の地下水に含まれるトリチウム濃度と、港湾内の海水に含まれる濃度を基に、それぞれ流出した総量を試算した。陸側の濃度を基にした試算では流出量は40兆ベクレル、海水を基にすると20兆ベクレルだった。事故直後の11年4~5月に海に流出したり、東電が放出したりした汚染水は含んでいない。

以上

イギリス セラフィールドでは10年にわたり汚染物質を垂れ流しました。 単独では最大の海洋汚染といわれています。

⇒ こちら

福島第一原子力発電所事故の影響を受け、原子力施設・セラフィールドの混合酸化物燃料(MOX燃料)を製造する工場が閉鎖された。唯一の取引先浜岡原発が福島第一原発の事故の影響で停止したためである。この工場では、日本の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムとウランを混ぜてMOX燃料を製造し、日本の原発で再利用することを目指していた。 

そして六ヶ所村へ

セラフィールドが原因と見られている 小児ガン 白血病 ⇒ こちら

 



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以前 書いたように イスラエルには ヒロシマナガサキとアウシュビッツを同じように扱うことをいやがる方々がいるようです。

しかし「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺りくすることにあった」とスタンフォード大の米歴史学者が極秘文書で確認されているのです。

また 広島に原爆を落としたB29の乗組員 15名のうち 7人がユダヤ人でした。(人口比では5%)エノラ・ゲイ号の名前は機長の母の名前 ユダヤの名です。

アウシュビッツを告発し続けるイスラエルが アメリカの尻を叩き シリアに戦争をしかけている 無辜のひとたちを苦しめているのは一体何なのでしょうね。

そして フクシマと日本の原発のすべてのセキュリティを受け持っているというイスラエルのマグナ社のことをわたしたちはもっと知りたい・・・ スタックスウィルスのことも・・・・ → こちら

→ こちら

 広島・長崎の原爆犠牲者追悼式典について、イスラエル政府高官・ダニエル・シーマン氏が自身のFacebookページに、「独り善がり」で「うんざりする」などと書き込んでいたことがわかった。

   シーマン氏はイスラエル政府で長く海外メディア担当をつとめ、首相府のインターネット広報戦略の責任者に就任する予定だった。

   地元紙ハーレツによると、シーマン氏が冒頭の投稿をしたのは2013年8月8日のこと。続けて「広島と長崎は日本の侵略の帰結だ。自業自得だ。(日本人犠牲者の)代わりに、中国人、韓国人、フィリピン人、マレー人、ベトナム人、カンボジア人、インドネシア人、ビルマ人、その他推定5000万にのぼる日本の帝国主義的侵略と大量虐殺の犠牲者を慰霊するべきだ。日本による虐殺を打ち負かすために戦った12万人近い連合軍の犠牲者は言うまでもない。こういう人たちが報いられるべきだし、思い起こされるべきだ」とも述べたという。発言は現在すべて削除されている。

   シーマン氏の一連の発言について、在テルアビブ日本大使館は15日までにイスラエル外務省に抗議した。また、イスラエル政府は「受け入れがたく、イスラエル政府の見解を示したものではない」と距離を置く姿勢を示し、シーマン氏を停職処分とした。

→ こちら 

16日、日本外務省は、イスラエルに対し、広島・長崎に対する原爆投下に関する同国首相官房の元職員ダニエル・シーマン氏の発言を不適切だとし、正式に抗議した。

   このスキャンダルは、シーマン氏がFacebook上に「広島・長崎への原爆投下は、日本による侵略行為の報いだ」などと書き込んだことから「燃え上がった」もので、彼は又、8月初旬に両都市で行われる平和式典について「醜悪な自己満足行為」と呼んだ。

→ こちら  

イスラエル政府の元高官が広島と長崎に投下された原爆について「日本による侵略行為の報い」とした上で、犠牲者らを悼む両市の平和式典は「独善的でうんざりだ」などとインターネット上に書き込んでいたことが16日までに分かった。日本の外務省などが明らかにした。

この元高官は近く首相府のインターネットを使った広報戦略の責任者に就任する予定だったダニエル・シーマン氏。イスラエル紙ハーレツ(電子版)によると、インターネットの交流サイト「フェイスブック」の自身のページに記していた。日本政府はイスラエル側に事実確認をした上で「極めて配慮を欠く内容だ」と抗議の申し入れをした。(共同)

 以上

この高官はうっかり発言をしたわけではないでしょう。 アシュケナージユダヤ人の中には 日本を敢えて蔑視したいひとたちがいます。多くの日本人にとっては寝耳に水の話ですが 彼らにとっては大きな問題なのです。

 

 



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