砂漠と聞くと期待感と不安感が交互に混ざる。期待的な要素は山紫水明な土地に住んでいると、時に果てしなく広がる乾燥した砂漠の中をランドクルーザーのステアリングを握ってアクセルを吹かし、タイヤのトレッドで砂を巻き上げながら走行してみたいという願望。広大な砂砂漠の無言の風紋は美しく、走り終えた夕刻には西の彼方に沈み行く太陽にグラスを傾けて酔って砂漠の闇に溶ける。人生の中でそんな一時を過ごしてみたい。
不安要素とは雨が降らず作物が育つ事の無い土地、つまり砂漠は人が生活する事が出来ない地帯。死んだ土地として人が足を踏み入れないそんな場所、灼熱、気温差、砂嵐、スタック、思考力低下、移動には常に死と隣接した状態となる事。そして、現在も砂漠化と呼ばれ砂漠の面積は拡大し続けているらしい、その現実は悪い現象として世界は捉えらえている。
砂漠と聞いてラクダやラスベガスなど、何を連想するかは皆異なるであろう。僕の場合はやはりランドクルーザーである。
FJ60 DUNE MOVIE
砂漠との接点には信頼出来る四輪駆動車が必要だ。ランドクルーザーがあると遠方の砂漠の存在にも関心を持つ。ランドクルーザーとはそういう媒介的な存在でもあるのだ。