ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

極寒の冬の意味を訊ふ

2017年01月10日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 先週の土曜日に積もった雪が寒さの為に解ける事無く留っている。北風が吹く度に体積した粉雪が風に舞い容赦なく吹きかかる。今年も極寒の冬の中にいる。暖かい部屋にいると外の寒気は忘れてしまうが多様の用事毎で外の外気に触れざるを得ない。氷点下15度の極寒の中でも凍て付いた30年越しのランドクルーザーFJ60を始動させ、寒さの為に温まらない室内で白い息を履きながら走る。暖かい季節だと窓を全開してランクルを駆るという気分だが極寒の中ではランクルで移動するという表現しか出てこない。

 

 ランクルに乗っても殆ど温まる事が無いので冬は辛い季節である。ならば、寒さに耐える事の意味や意義を明確に持つ事によって、厳しい寒さを経験する事はこ~んなに素晴らしい意味があるんだよ。という事を自分に納得させなければ成らない、そうすれば極寒のニューヨークの冬を耐え忍ぶ精神的な支えとなるはずだと思った。

 その意味や意義を得る事は難しい事では無かった。それはこの地方の幾つもの冬を近代的な暖房器具を用いる事無く過ごしてきたネイティブアメリカンの言葉にそのヒントはある。彼らはこの長い極寒の冬の季節をどの様に忍び耐え抜いてきたのであろうか?2017年の冬の一月も今から300年前のこの地方の冬の一月もそれ程大きな寒さの違いがないとすれば、近代的な服も家も暖房器具も無い彼らは冬という期間をどの様に捕らえたのであろうか? 

 

 名も無いあるネイティブアメリカンの冬の証: 毎年冬が来ると親父は子馬を駆ってバッファローを追った。バッファローを殺すといつも親父はまだ暖かい肝臓を生のまま食べた。それから父はバッファローの内臓の中へ手を突っ込んで手を温めたもんだ。その後皮を剥いで肉を切った。何一つ無駄にはしなかった。親父はその肉を家に持って帰って鉤にぶら下げた。その冬中肉はどっさりとあった。

 ...意外とネイティブアメリカンが過ごしていた冬は今僕が過ごしている冬よりも暖かく過ごしていたのかも知れないとも思った。燃料である薪さえ切らせなければ確かに焚き火の火は暖かい。では、北アメリカに住むネイティブアメリカンは冬をどの様に捉えていたのであろうかという本日の問いだが、そこには季節が巡る自然界から学ぶ人生哲学があった。春が冬に始まり、死が誕生によって始まる事を忘れさせない為に厳しい冬がやって来るのだという教示。寒い冬は死を感じる為の季節なのだ。それ程頻繁にそして定期的に繰り返し極寒の冬を経験する事によって生という事の意味が分ってくるものなのだ。この冬という季節が無ければうっかり忘れてしまう、と無名のネイティブアメリカンは伝えている。毎年やってくる冬にはそういった意味があるのだ。暖房の効きが悪いランドクルーザーに乗っているとその伝えの意味がよく分る気がするのは恵みなのであろうかとは思う。生死感を理解する為に今日も震えながらランクルで移動しています。

 

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