ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

ゴールデンタイムを征服せよ

2022年03月21日 | ロクマル日記

 先週の日曜日の朝は薄い雪に覆われた氷点下であったが、今日の日曜の朝は10度を超える暖かい朝であった。僅か10度の温度差でランクル60のエンジンの掛かり具合が大きく異なるのは、ランクルにも感情があるのだと思わされる。朝日が昇って直ぐにエンジンを温め走りに出かけた。晴れた日曜日の早朝は最高の条件となる。空気が新鮮で車が少なく、ただただ走っていて楽しいの一言に尽きる。道が空いているので容易に街を抜けることが出来る。走り出して10分程で緩やかなワインディングのあるハイウェイに入る。アクセルを強く踏んで車の調子を探る。15分程北上してハイウェイから降り、その後信号の少ない下道を風を感じながら戻ってゆく。一時間にも満たない走行時間だが至福の時間であった。移動の為の運転ではなく過程を愉しむ為の運転。古い車であるが故に車の調子が気になり、それが車との対話となる。晴れた休日の早朝はまさにゴールデンタイム。人生におけるこの時間をCONQUER(征服)する為に手元にランクル60があると言っても過言ではない。

 

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氷漬けのランクル60

2022年02月27日 | ロクマル日記

 自動車を製造した人々にとって手掛けた車が好評でよく売れるという事は嬉しい事だと思う。また、別の観点で37年前に販売した自動車が極寒のニューヨークで現在も使用されているという事も誇らしい実績の一つだとも思う。条件的には趣味の旧車ではなくて路上駐車の実用車で日曜日を除いて毎日使用し続けている。発売当時は耐久性とは走行テストによって得られたものだったとは思う。そして今日、その耐久性に耐久年数という実数が刻まれ続けているが、それは未知の領域で想定外な事である。流石に発売当初からランクル60は30年は使えますよ!とは思っていても言えない。なぜなら30年以上使用した人は誰もいなかったからである。今日、ランクル60の様な車を造れば30年は実用で使える。という一つの実績の伴った提示が存在する事となった。

 

 夜更けにみぞれが降り、それが朝の寒波で凍結し街は氷で覆われた。凍て付いた路上をおそるおそる歩きランクルのドアを開けようと鍵を差し込んで回そうとするのだが、氷付いてドア鍵が回らない。後ろのハッチを空けて中にもぐり込みドアロックをひいてドアを開けようとするのだが凍り付いてあかん!。チョークを引いてイグニッションを回す、エンジンは一発で始動!チョークを引いたまま暫く暖機を行う。後ろのハッチから這い出しアイスシェーバーを手に窓に張り付いた氷をガシガシと削り落とす作業を行う。ドアの端をげんこつでトントン叩き続けドアノブを引くとバキッ!という音を立ててドアが開いた。シートに座ってチョークを戻す。エンジンが安定し携帯で時間を確認すると、やばい遅刻や!それがどうした。凍て付いた路上での運転に焦りは禁物。走り出すと路上は空いていた、今日は学校も仕事も2時間遅れだったそうです。

 

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汚れたランクルに自由を感じる

2022年02月04日 | ロクマル日記

 雪と氷に覆われている今年のニューヨークの厳冬期。ランドクルーザー60を駆っていると沢山の人から声を掛けられる。何年型だ?ステックシフトか?いつ売る予定なんだ?声を掛けられる事は嬉しい事だしポジティブに捉えられている事が分る。しかし、こういった周囲の反応からランクル60はけっこう目立っている存在なのだと理解する。先週は吹雪の中を数時間運転した。道に撒かれた凍結防止剤を大量に巻き上げてブルーの車体は白く染まり汚れが芸術的であり、そこに惹かれる世界がある。

 

 車の汚れを愉しむ事が出来るというのは、即ち余裕である。冬はこうやって走る度に激しく汚れてくれるのが嬉しい。生活環境と自身のあまり細かく無い性格から過去10年間程一度もランクルを洗車した事がない。冬に激しく汚れた車体もやがてやって来る春先の長雨で自然洗車となるのを待っている。路上には綺麗な車が圧倒的に多い中で10年以上洗車した事がない80年代のランクルが放つ独特の雰囲気は工場のラインで仕上がるものではなく、自然界の万物を司る神の御協力あっての賜物となる。路上を走る高級SUVがどす黒く汚れていると、汚ったねぇな、と思う。自身のランクルがそれ以上に汚れていても汚いを超えてかっこいいと思うのは、ランクルに声を掛けてくる人々の視線から正当化されるのある。

 

 車の汚れを気にしないで使うっていう姿勢は楽だ、そこに自由を感じている。ここ2年間程の世界の情勢の中で自身が心底から求めているものは自由であると自覚している。自由感と汚く汚れた古いランクルと何の関係があるのか?と思うかもしれないが、それは自由のシンボルとしての存在だと思う。暖かい季節に窓を全開して風を感じて走る時自由を感じる。そして、寒い厳冬期に思いきり汚して走り回る時、そこに自由を感じる。人々が古いランクルを見て声を掛けてくる本質は自由に対する心の渇望があるからじゃないのかと最近思う。冬は厳しく冷えるがランクルを乗り回す事で自由を表現する機会だと思えば、冬のランクルドライブは芸術活動となるのである。

 

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朝のモタモタした時間

2022年01月25日 | ロクマル日記

 氷点下10度を下回る毎日が続いている冬のニューヨーク。今年の冬は特に寒い、と毎年毎年同じ表現を繰り返している自分である。氷点下の早朝のランクル始動はチョークを引いてエンジンを始動させ、少なくとも5分間はエンジンの暖機を行う。タイミングが合うと対岸のマンハッタンから昇ってくる朝日に遭遇する。晴れた日の朝は太陽が顔を出す前とその瞬間は辺りが一時神秘的なピンク色に染まる。とてもロマンチックな光景で5分に満たない時間である。丸く赤い太陽が空に浮くと今度は濃いオレンジ色の光線に包まれ大地が目を覚ます音が聴こえてくる。この朝のランクルを始動させる為の作動と太陽がC大地を目覚めさせる為の現象が重なる時ちょっとした感動がある。

 朝、職場で今日の朝日は綺麗だったな。と何人かに尋ねてみるがつれない返事が返ってくるだけである。同じような時間に朝日を拝んでいるはずなのであるが...。考えてみると、朝の出発時に暖機の為にもたもたしている自分であるが故にその待ち時間は他人が経験する事がない、他人にとっては不要な時間。である。この直ぐに動けない5分間の故に朝日を拝む事が出来るというのはアマテラスの恩恵、不便さに感謝である。

 

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ノイズ

2021年11月26日 | ロクマル日記

 ランクル60に乗る時にラジオを付けなくなってから半年以上が過ぎている。ラジオを付けなくなったのは行政のプロパガンダを聞かされるのが苦痛であったからだ、ラジオや音楽の無いランクル60の運転は愉しさの再確認であった。2Fエンジンのリズム、トランスファーケースの唸り、タイヤが路面を転がる音、風切音。鍵に付けたキーホールダーがプラスチックに当たる音、積荷の軋み。現在の静かな車に比べると実にやかましい乗り物である。動きがその存在を音で示し合っている。これらの音は Noise (雑音) と呼ばれて片付けられてしまう。感覚的には無いほうが好いとする価値観を持つ人も多いのかとは思う。しかし、僕にとってこれらの音は雑音ではなくて、英語で書くと Know is (知覚) であると理解している。その複合的な音の中で少し意識を集中すると、各音の識別が出来る。適度な音と走行時のリズムは車の状態を教えてくれる。街を走る最新のスーパーカーやハーレーが音を発するのは、昔の戦のドラムの音と闘志の高まりを20世紀以降に表現した一つの実体なのかも知れない。それらの音は人間で言うと生命力となる、マシーンの生命力を音で表現する手法である。ランクル60のノイズは自分自身があまり自覚していなかったのかもしれないが、気持ちを高めてくれる。ランクルで走るという事は音を聴く愉しみの機会であるという事。

 

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333,333.3マイル

2021年04月30日 | ロクマル日記

 新緑で街の景色が変わるこの季節、ランクルのフロントボンネットは埃を被ったかの様に薄黄緑色に染まる。始動時にフロントガラスのワイパーを振ると、花粉が飛び散って目の前がクリアーに変わってゆく。先週から気になっていたオドメーター(走行距離数)に目を凝らすと33万3332マイルである。今朝はランクルロクマルが記念すべき数値を刻む記念日となる。周囲を少し走ってその瞬間を写真に収める事が出来た。

 

 3333333。333、333.3マイル、536,447.9キロ)である。この距離を迎える前はそわそわしていたが、超えてしまうとあっけないものであった。ただ一つの中継点を超えたという感覚に過ぎず、特別な祝い事も無い。今日から一週間程の寿命ではあろうが、一つの話題が生じた事を嬉しく思っている。

 

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ロクマルと近年の車との相性

2021年04月11日 | ロクマル日記

 修理に出していたランクルが戻ってきた。2週間程前の夜中にボンネット開けてバッテリーケーブルを繋ぎ知人のクルマを助けて以来、電圧計が12V以下の低電圧を示し充電機能に支障をもたらした。メカニックに預け、なぜバッテリーケーブルを繋ぐ事により電気系統に不具合が生じたのかの解明を試みた。結論から言うと、発電機であるオルタネーターを組み替えた事で正常に戻った事から、オルタネーターが故障したという事になる。オルタネーターは決して古いものではなく、まだ僕の記憶の中では新しいので納得いきずらい内容であった。旧車を日常の足としている限り、バッテリーとオルタネーターには常に注視していたからである。

 今後は外部車両との接続には気をつけたいと思っている。故障の原因が明確でない事で考えられる一つの要因は、接続する車両によって自身のランクルの電気系統にダメージを受ける可能性を否定出来ないという事である。善意の人助け(クルマ助け)でボンネットを開けて繋いであげると自身が代価を払う可能性があるという事だ。30年以上前のランクルと近年の電装車は(全てではないだろうが)相性が悪いのではないかという理解。困った人を見て直ぐに助けてあげられない事は辛いが、今後は容易にボンネットを開けて接続する事はしないで、別の解決方法を模索する様に努めてみたいと思っている。

 

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ランクル60のティスト

2021年03月11日 | ロクマル日記

 普段の日常の足として35年落のランドクルーザーを活用していると、最近の新しい新車を運転した時にその乗り味を比較してしまう。近年アメリカで売られている新車は、安全性と快適性を小さなエコカーに至るまで充実させている。自分自身の車癖を冷静に尚且つ客観的に見てみると、新しい車に乗れば乗る程1985年のランドクルーザーの乗り味に対する良さが深まるという現象である。それは純粋な感情であり、機能うんぬん、価値がうんぬん、等では比較しがたい。快適性も安全性も比較にならないが、今の車が持っていない野性的な感覚がある。この感覚を表現すると、魂が宿っていると言える。駆る度に魂の鼓動を感じるのだ。

 クルマを駆る時の居心地の良さの正体とはなんなのであろうか?僕はそれはフリーダム(自由で開放的な気持ちを感じる幸福感)だと思っている。そして、このフリーダムな感覚を感じ得る為には、クルマに対して野生的な乗り味が求められる。つまり、設計思想。これこそが、車を駆る者達が求めているティストであり、車を楽しむ事の本質的な要素なのだと思う。歳を得たランドクルーザーは意図せずに、劣化や老朽化という使い込む事による自然現象によりこのティストを持ちえる様になったのである。これは工場では創出出来ないティストなのである。

 

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ブレーキ マスター シリンダー

2021年01月18日 | ロクマル日記

 青いランドクルーザーFJ60の ブレーキマスターシリンダー を交換した。今年になってブレーキを踏む感触に違和感を感じていたのでメカニックに預け修理を依頼した。原因はブレーキマスターシリンダーの内部の弁の劣化であった。外したシリンダーを見るとオリジナルパーツである。このFJと付き合ってから13万マイル(20万キロ)を走破しており、今までこのシリンダーを交換した事はなかったので、随分と耐久性のあるパーツだと思った。まさか、工場から出てから一度も交換されていないという事はないと思うので、前オーナーによってオーバーホールされていたとは思うが、記録は存在しない。

 依頼したメカニック達の作業の効率性の選択もあっての事であろうが、パーツ自体を交換するか、或いはオーバーホールするかの選択は無く、即、シリンダーは新しい社外品(アフターマーケット)に交換されてしまった。以前にクラッチマスターシリンダーを交換した時に、社外品を使用する事のリスクを学んだので、本当は多少高くてもOEM製品を組み込みたかったのが本音ではあるが、今回は試みとして受け入れる事にした。クルマは部品の集合体である。特に目に見えないパーツにこそ拘りたいのである。今回は社外品のブレーキマスターシリンダーが付いているという事を、とりあえず知っているという事が今後の対応に適応出来るのだと思っている。

 知識として、車はブレーキを踏む事によってどうやって止まるのだろうか? 運動のエネルギーを摩擦によって熱エネルギーに変換する事によって減速し、止まるのである。パットの摩擦で止まるのではなくて、エネルギーの変換によって止まるのである。そういった知識も含めて、クルマを使用する事によって経験し体積される縦的な知識、そしてクルマの機能やパーツの素材や性質に対する横的な知識の蓄積はクルマを楽しむという事の一つの要であろう。古いランクルは調子が悪くなる事も度々だが、それは楽しませてくれているんだ。として理解し、修理費は、学習の為の投資だ。として捕らえておく事は、ランクル維持の為のもっともらしからぬ強気な言い訳なのである。

 

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雪道の運転は自己との対話で進む 

2020年12月20日 | ロクマル日記

 先週アメリカの北東部は大雪に見舞われた。ニューヨークとその周辺でも30センチの積雪量があり、今週迎えるクリスマスはホワイトクリスマスとなるであろう。雪が降り積もった日の朝いつもの様に職場に出かける。車体の上に積もった雪を払い、エンジンを温める。路肩から這い出す時は4WDのLに入れると車体は斜めに滑り出し、深雪の壁を乗り越えて前進し車体に付着した粉雪を煙の様に後方に飛ばしてゆく。途中で止まって2WDに戻しアクセルを踏んで行くと後輪を滑らせながらも体勢を維持して進んでゆく。雪道走行のこの緊張した微妙なコントロールを雪道走行のテクニックと呼ぶのであろうか?慎重にギアを選び常にランクルをコントロール出来る支配感を維持する。もしも、ここで急ブレーキを掛ける様な事態が起こったとしても。もしも、対向車線からクルマが滑って向かって来たとしても。それらを適切に回避する想定感を持ち続ける。

 通常ならば30分掛からない距離をその雪の日の朝は一時間以上の時間を費やした。これは、前方を走るセダンが非常にゆっくりで、それに対して十分な車間距離を置いたからである。その日の朝は遅刻であった。ランクルに乗っているのに、なんでそんなに遅くなったんだ?と責められたりもした。雪道走行とは自身と自分の乗るクルマに問題がなかったとしても、他人の走りによって大きく影響を受けるものなのである。雪道走行の視点とはクルマとタイヤと雪道の状態だけではなくて、路上の他車と自身の感情コントロール等の視点も通常の走行以上に影響する事を理解する。

 時々、こうやって雪が路上に積もる事によって非日常の機会が与えられ、客観的に自分の運転というものを観る事が出来る。それは、雪道を走行する時は自己との対話がより多くなるからだと思う。雪道の運転は自分と対話しながらやるものである。仕事に遅れたなら遅れたで、それを、しかたがない。として許してくれる自分自身が居るのが有り難い。

 

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ランクルライフ

2020年11月11日 | ロクマル日記

 次期アメリカ大統領選挙の開票結果は未だに正式には発表されてはいない。20年前のWブッシュとゴアの開票時も揉めて一月程時間を要したのを覚えている。今回の選挙の直前には仕事でワシントンDCを訪れ、選挙後はニューヨークで街の秋の空気を感じているが総じて至って静かであり、嵐の前の静けさを感じている。潮の流れは水面下で大きく動き続けている様子である。アメリカ大統領選挙の結果は世界の力関係(覇権)を左右するだけに緊張感がある。上空を鴨の隊列が大きなV字を描いて南下して行く。あの群れはきっと体勢を維持してワシントンDCに向かって飛んでゆくのだろう。

 路上に停めている我がランクルにも容赦なく落ち葉が積もり、季節は秋から冬に移行する。ランクル達は僕の元に来てからこれで15回目の冬を迎える事になる。季節に関係なく古いランクルに乗る度に常にハラハラドキドキする。古いランクルには隠され見えていない問題を抱えていたりするので、何時何処で止まって動かなくなるリスクを常に抱え持っている。だからこそ、機械の調子やリズム、匂い、そして音には神経を尖らさざるをえない。よって、緊張感無くしては駆る事が出来ないのが古いランドクルーザーなのである。そんな古いランクルに乗る様な緊張感を持って時世を見つめて生活したいと思っている。古いランドクルーザーを生活に使用する、ランクルライフとは? 僕にとってはこんな気持ちの姿勢を維持するという事なのだと感じている。

 

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秋はこれから深まる

2020年10月07日 | ロクマル日記

 一日の昼と夜の長さが暗のモードに入り日暮れが早くなった事に寂しさを感じている。道端の雑草が枯色となり木々の一部では紅葉が始まっている。森の中のトレールを走る(ジョギング)と季節を感じるというよりも季節そのものを堪能する事が出来る実感がある。今年はリスが実に多い、木の上にも落ち葉の下にも、そして路上にも沢山飛び出してくるが、その忙しい行動力には逞しさを感じる。鹿の家族達にも毎回遭遇する。鹿は物凄い瞬発力とジャンプ力を持っている。45度以上の山のブッシュの斜面を白いおしりを見せ付けながら軽々と登ってゆく姿には驚嘆し興奮する。鹿は人間がどんなに鍛えても真似が出来ない姿を見せつけるのである。そして、日が暮れる頃には鈴虫の柔らかい鳴き声を楽しむ事が出来る。しかし、この鈴虫の鳴き声とは不思議なもので、ある日の夕方は大合唱であるが、別の日には鳴く声が全く聞こえてこない。同じ様な晴れの日で同じような気温で、同じ様な時間で同じトレールコースであるにも関わらず、鈴虫達が互いの意思を合わせているのはなぜなのであろうか?陽が落ち、走り終えて路肩に停めたランクルに戻ってくると気持ちがほっとする。夕暮れ時の寂しさの中で一人(台)で主人の帰りをじっと待ってくれている従順な僕の様でもある。秋はこれから深まり、僕とランクルとの関係も更に深まるのであった。

 

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タイヤ交換

2020年09月27日 | ロクマル日記

 

 ランクルのタイヤを5本新しくしました。自身の生活環境と使用状況から普通に使っていれば4年は大丈夫なはずです。このオールタレーンタイヤならば、走りにもよりますが多少の雪道でも大丈夫です。タイヤの購入において自分が気を付けている事の一つがタイヤは長い付き合いになるので、自分が気に入ったものを買うという姿勢です。オールタレーンタイヤは決して安いものではありませんし、メーカーによって値段も変わります。タイヤ一つに50ドルの値段差があれば5本で250ドルとなり、その値段の幅は大きくなり、そこが心理的に気持ちが曲がるポイントとなります。タイヤは消耗品ではありますが使って汚れてランクルの一部となるので、道具としての存在を愉しむ事が出来るという観点から気に入ったものを選ぶのが長い目で見ると正解かな、というのが僕の見解です。

 

 新しいタイヤを履いて早速近所のマーケットに買い物に行って来ました。タイヤによって乗り心地が変わり、トレッドパターンによって走行音も変わります。ランクルのタイヤを新しくしたという事は、まだまだこのクルマいけますよ!という意思表示のようでもある。古い四駆に新しいオールタレーンタイヤ、僕以上にランクルが喜んでいるようである。

 

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タイヤに対するは保守的思想

2020年08月29日 | ロクマル日記

 オンラインでランクルの新しいタイヤを注文購入してから一週間以上の時間が過ぎている。発送先に地元の自動車修理工場を指定して配達を待っていた。今週も終わり、発送地は隣接した州からなので待ち時間はおおよそ一週間程であろうと期待していたが見事に期待外れであった。以前同じサービスを利用した時は一週間待つ事はなかったのだ。車両を修理屋持ち込む計画を立てる必要性に駆られるので、カスタマーサービスに予定発送日について問い合わせてみた。現在、在庫が切れている為に発送と受け取りには更に2週間程掛かるとの事であった。サイズが無いのか?人気で生産が間に合っていないのか?は知る故は無いがこれには驚いた。新しいタイヤの装着は来月9月の半ばになりそうである。

 一台のクルマにとって新しいタイヤの入れ替え装着は一つの節目の様な気がする。特にランドクルーザー60の場合はクルマの持つ存在イメージに大きく影響を及ぼし、所有者の精神にも影響を及ぼしそうだ。僕にとってメンターである JONATHAN HANSON 氏は、オーバーランドビークルのタイヤはコンサバティブ(保守的)でいいんだ。と述べている。この意味する所は、タイヤに対してあまり関心を持たなくてもいいとする思考とは間逆である。タイヤや足回りに対して保守的存在思考を持つという事はオーバーランドビークルに対する大切な存在思想の一つである。こんな事を考えながら新しいタイヤの装着を楽しみに待っている。

 

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使い続けるランクルの錆対策

2020年08月24日 | ロクマル日記

 ランドクルーザー60を日常の足としてラフに長く使用していると、錆との継続的お付き合いが必ず伴ってくる。もう何年経つのか正確には覚えていないが、錆に対する理解が寛容的になってから(そうでなければ維持は難しい)錆が発生していても気にならなくなってしまった。自身のランクルの錆とその対策はあまり参考になる事例ではないが、一つの利点はズバリ、お金と時間が殆ど掛かっていない事にある。ランクルのタイヤハウスの周りやリアの下部には錆の侵食によって多数の穴があるのだが、ぱっと見では分りにくいというのが憎いというか、上手く隠している、上手く騙している、匠の技かも。

 

 ランクル60に対する錆対策は数年前から変わらない。定期的に発生した錆をなるべく削り落とし、そのままペイントするだけだ。ボディには穴が開き見苦しくなったとしても通気性を確保し、湿気を溜め込まない意図がある。年に二回、少なくとも年に一度は天候の良い日を選び、金槌でボディを軽く叩き錆を剥離する。ワイヤーブラシで錆をしごき、同色に近い色のスプレーを吹き付ける。時間は一回一時間未満、作業に伴うコストはスプレー缶とワイヤーブラシとサンドペーパーの切れ端なので、約1000円程ではないだろうか。自己満足に過ぎないのだがまあまあの成果である。他人が行わない施行なのでランクルは独特の雰囲気を漂わせている。道具は使い込む事によって進化するというが、まさにそんな風ではある。今後もこの調子で行けるとこまで行くつもりでいる。

 

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