読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

4冊の文庫と1冊のまんが本

2006-12-16 22:40:12 | 読んだ
本日久々に文庫本を購入したのである。
(別にエバッているわけではない)

本屋に行くとどうしても本をほしくなるので、近頃は本屋通いを「自粛」していたのである。

今日は、すこーしばかり心が落ち着いてきたのと、読みたい本があったから、思い切って行ってみたのである。

☆ シリウスの道(上)(下) 藤原伊織 <文春文庫>

藤原伊織のファンである。買わずにはいられないのである。
-著者が知悉する 広告業界を舞台に展開する ビジネス・ハードボイルド長篇、待望の文庫化!-
なのだそうであるが、僕は「藤原伊織」と書いてあれば中身はどうあれ読んでみることにしている。
じっくり読むことができることを祈るのだ。

☆ ねこのばば 畠中恵 <新潮文庫>

「しゃばけ」シリーズの第3弾なのである。
これも「読まずにはいられないもの」になってしまった。
全5編が収められている。これは少しづつ読んでいける。
病弱の長崎屋の若だんな一太郎がどんな活躍をするのだろうか?

☆ セックスエリート -年収1億円、伝説の風俗嬢をさがして- 酒井あゆみ <幻冬舎アウトロー文庫>

幻冬舎から出ている酒井あゆみの本は全部読んでいる、ので、コレも買わずにはいられないのである。
酒井あゆみも風俗の世界の人であった。
彼女は厳しい目で社会を見ている。それがいいのである。

☆ 総務部総務課 山口六平太 53巻-小さい小さい- 林律雄(作)高井研一郎(画)

これも52巻までそろっている都合上、買わずにはいられないのである。
最近、六平太がスーパーマン的になってきているのが気になるのだが、それでも六平太は六平太。
早く、小夜子さんと結婚することを祈るのである。

というわけで、本を読もうと思っていたら「男はつらいよ-寅次郎の休日-」を見始めてしまい、読みかねているのである。
寅さんを見ていると「エトランゼ」に憧れるなあ。文庫本を抱えて旅に出るというのもいいなあと・・・・
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ダ・ヴィンチ・コード

2006-12-15 23:14:04 | 観た、聴いた
話題作ということでDVDでみた。
もう、世間は忘れてしまったんだろうとおもってみた。
そして日本語吹き替え版でみた。
日本語でないとついていけないだろうと思ったのである。

で、日本語でもついていけなかった。
なんだかよくわからないのである。
つまりは、キリスト教文化の中にいる人でないと「カンジ」がよくつかめないんだろうと思うのである。

それと、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品についてあらかじめ何らかの知識がないと、深く理解できないのではないかと思うのである。

というわけで、せっかく楽しみにして準備万端整えてみたわりには、評価が低かったのでした。
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青春のうた23 1960年代後期④

2006-12-14 23:55:39 | 読んだ
1.真冬の帰り道/ザ・ランチャーズ 1967年11月

なんとなく聴いたことがあるのだが、全部は歌えない。
出だしの部分は歌える。
それはカラオケで覚えたからなのだ。

というくらいなので、この曲の思い出といえば、作曲者の喜多島修が女優の内藤洋子と結婚した、というくらいなのである。

2.今日も夢見る/万理村れいとザ・タイム・セラーズ 1968年3月

この歌は知りません。
そして歌手もわかりません。
なんとなく、いわゆる「歌本」で見た覚えがある程度です。

3.戦争は知らない/ザ・フォーク・クルセダーズ 1968年11月

この歌は知っているが、リアルタイムで聞いてはいない。(ハズ)
でも、いわゆる「フォークの名曲」なので、何かの折に聞き覚えたのであろう。
フォークソングを歌っているところへいけば高い確率で聴くことができた曲である。
「反戦歌」という風にくくられている。というのがあまり好ましくないところで、そういうくくりでなくても十分な名曲だと思う。
♪帽子にいっぱい 摘みゆけば♪
という、なんというか歌い上げるところがいいカンジなのである。

4.夜が明けたら/浅川マキ 1969年7月

浅川マキの歌はこの歌と「かもめ」だけしか知らない。
そして、この歌も発表当時から知っていたわけではなく、その後、覚えたものである。
多分高校時代には知っていたと思うのだが・・・わかっているふりをしていたけれど、なんだかよくわからない詩であった。

♪切符を用意してちょうだい♪
という部分は、自分で買っていけばいいじゃない、と思うのだが、歌ってみると気分のいい部分である。

不思議な歌で、大人の女、というカンジで、なんだかあこがれたものであった。

5.希望/フォー・セインツ 1969年

岸洋子の歌のほうが印象が強い。
希望という題名の割には暗い印象が強い。

これは、当時日曜の午後、土居まさる司会のテレビ番組(題名は忘れてしまった)で、歌とアニメの今で言うコラボレーションがあって、この曲と藤子不二夫の(多分A)のアニメが割りとよく流された影響もある。
アニメが暗い色だったと思う。

この歌で希望を得たとか、勇気づけられた、なんてことを聞くが、この歌はそういう歌ではなくて
♪希望という名の あなたをたずねて♪
と、口ずさんむようなカンジがするのである。


この歌はリアルタイムで聞いた。
「底抜け」の歌だなあと、つまり幸福しか知らない人が歌うんだろうなあ、という印象である。

この広い野原いっぱい、夜空いっぱい、海いっぱい、世界中の何もかも、となんだかスゴーイではないか。
私とあなた、しかいない。
というのは、なんだかなあ、と思うのである。

とはいえ「突き抜けている」ともいえ、まあまあ落ち着いて、というカンジなのである。
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悪人列伝2 海音寺潮五郎 文春文庫

2006-12-13 22:21:39 | 読んだ
第2巻は

藤原兼家・梶原景時・北條政子・北條高時・高師直・足利義満の6人である。
そして、著者の「あとがき」がついている。

この「あとがき」で、著者は、

「武将列伝とこの列伝を時代順に読んでいただくなら、人物による日本歴史の大体がわかっていただけるであろうと、信じています。」

と述べている。

武将列伝と悪人列伝をすでに何回か読んでるが、今回読み返していて改めて日本の歴史と著者が持つ歴史上の人物への判断基準がわかるような気がするのである。

藤原兼家は藤原道長の父で、拮抗していた藤原一族の勢力の中で突出した権力を得ようとしそして得た人物である。
権勢へのあくなき欲望、を持っている当時の廷臣のなかで抜きん出た欲望を持っていたと、それは天皇を騙して出家させたことにある。こんな人物はいない、と著者は言う。

梶原景時と北條政子は鎌倉幕府創建の柱でもある。

しかし、梶原景時は、幕府を創建すると邪魔者を次々と削り取っていった。
著者は景時を「頭脳が優秀だが狂信的人間」として「刻深」と評している。こんな人物は官僚になると出世するといっている。
それでも源頼朝には深く信頼されていた。このあたりが不思議。

北條政子は、常に善意をもって婚家のために努力した、として、ただし勝気で賢かったことから、悪人となった。
そして著者は
「人の世は善意だけではかえって悪となることが少なくない。」
と断じ
「善意が善となることには叡智がともなわなければならない」
と教えてくれる。

北條高時は、鎌倉幕府の最後の執権である。
彼が悪人だったから鎌倉幕府が滅びたのではなく、時代の流れである、と著者は言う。
ある制度は、始まったときから陳腐化が発生する。その制度の完全性と柔軟性によって制度がどこまで長持ちするかが決まるが、最後には疲弊してしまう。
北條高時が真に悪人であれば、その滅びるとき一族郎党800人が自殺し果てるということはない。

その鎌倉幕府を滅ぼし新たに室町幕府(足利幕府)が開かれたがその創建時の柱の一人が高師直である。
梶原景時とは違った立場であったが、創建時の悪を一人で背負ったという点は同じである。

何かを壊して新しいものを作ろうとするとき、きれいごと、だけではすまない、その裏の部分悪の部分を背負う人物がほしい。

それは現代でも同じであろう。それを誰が背負うか、が問題である。
悪を背負って時代に名を残す、ということをできる人物が必要なのである。
もっとも、そう思わなくても悪を背負う人物がいるというのが歴史の面白いところでもある。

鎌倉幕府から室町幕府へとなるところの最大の悪人は「後醍醐天皇」であると、明確に著者は述べていないが、読んでいれば、そう受けとめることができる。

太平記を読むと、後醍醐天皇は正義のように描かれているが、どこか不快感が感じられたりしていた、今回、ちょっと安心したりしたのである。

足利義満については、愛すべき悪人「驕児」という形で評しているが、生まれながらの無道徳な者には「悪」ということの自覚がない。

というわけで、第3巻へ突入である。
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文芸春秋12月号&週刊朝日12月15日号

2006-12-12 22:40:34 | 読んだ
僕は近頃相当に忙しい。
物理的に忙しいこともあるのだが、なんといっても心理的に忙しい。

で、その忙しさのなかで、文芸春秋12月号と週刊朝日12月15日号を買いそびれてしまったのである。
痛恨の極みである。

まあ、インターネットで探せば買えるだろう、と甘く考えてはいるのだが。

買いそびれてしまったというのは、本屋に行かなかったということであり、本屋に行かなかったということは、それだけ追い詰められていたということである。

物理的に忙しいのは別にかまわない、というか切り抜けられるものだが、心理的なものはどうしたらいいのか。
「時間が解決してくれる」
というのが、僕の信条であるので(怠け者の信条)、そのうちに・・・とは思っている。

というわけで、文芸春秋と週刊朝日(この2冊を読んでいるというのもなんだか統一性がないというか・・・)を探さなければならないのである。

なにしろ週刊朝日の「週間 司馬遼太郎」を切り抜いてとっているのだから・・・
それにしても、これ、本(オールカラー)にするの早いのではないでしょうか?せっかく切り抜いてとっているのに、オールカラーで本にしたりして、いずれ本になるとはわかっていたが、なんだか複雑である。
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人口減少の実感

2006-12-11 22:55:00 | 日々雑感
昨日は、午前中に葬儀、午後から火葬に参列した。
本日は通夜、そして明日は葬儀の受付をつとめる。

昨年あたりから、葬儀への参列が増え、今年は私と妻とをあわせると、毎月2回は葬儀に参列している。

反面、結婚祝いや出産祝いは年に数えるほどである。

人口が減少していくのを肌で感じるというか、不祝儀封筒ばかりに名前を書いている。
自分の年齢が高くなり、友人の父母がなくなることや、知人や先輩の高年齢化によるもので、仕方がないのかなあ、と思うのだが、不祝儀に比例してご祝儀が少ないのが悲しい。

わが町は人口の減少傾向が激しいのだが、身をもってその傾向を実感しているのである。
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功名が辻 NHK

2006-12-10 21:35:13 | 日々雑感
本日でNHK大河ドラマの「功名が辻」が終了した。

近頃の大河ドラマは「ウン?」と思うところが多くて、ドラマとしては楽しめるが歴史の知識とか解釈という部分についてはガッカリする。

というわけで、できる限り「これはドラマである」と言い聞かせて、できる限り「文句」とか「難癖」などつけないようにしている。

さて、今回の功名が辻であるが、なんといっても「山内一豊」がカッコよすぎた。
従って、土佐山内家は千代がその土台を作った、ということを強調しようとすると一豊の無能が明らかになるし、でも一豊を無能にするにはちょっとなあ、という矛盾がみられて、首尾一貫、ということからいえば不満がある。

しかし、これはもう娯楽ドラマであるからして・・・・

千代の役割というのは大きかったと思うが、実際には一豊の武運が土台にあったわけで、従って、一豊というのはやっぱりそれなりの男だったと思う。

ということを前提として「功名が辻」がある。
ただし小説としては、千代の役割と明確にするために、一豊を無能化させている。

このあたりをどのように見せるのか、というのがドラマ化の課題であったと思うのだが、そのあたりは充分こなれていなかった。
一豊の役をもっと醜男にしてしまえばよかったのに、と思うのである。

ともかく「仲間由紀恵」に頼り切った展開であった。
願うのは、「よい子」の皆さんが、これを史実だと勘違いしないこと、である。

いくら平和を願った千代であっても、山内家を興すことができたのは「戦乱」の世の中であったことがもっとも大きな要因であったわけで、しかも興すに当たっては多くの人の死『殺したり殺されたり』したことがあったということが前提である。

平和な世の中であったら、この物語は成立していないのである。
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ゴキブリ嫌い 自殺考える -読売新聞 人生案内-

2006-12-09 16:25:00 | 読んだ
12月9日付、読売新聞の「人生案内」の相談内容である。

30代の主婦でゴキブリが怖い、築40年の一戸建ての家を購入したが、ゴキブリが多くて、駆除しても出てくる、引越しもできない、自殺を考える。

という相談内容である。

いったい、なぜ、読売新聞はこの相談を載せたのか?ということに興味がわく。

こちら側から見ればまったくバカバカしい、くだらない、とおもうことだが、こういう人が増えている、ということを、新聞は知らせたかったのか?

今の社会の病巣の一端として、こちら側は捉えればいいのか。

回答は、人の輪を広げてゴキブリと戦え、といっています。(回答者は精神科医である)

この回答を見れば、今の世の中のどこか病んでいる人へのコトバとも言える。
しかし、そういうことができないから、病んでいるともいえる。

この人生案内を見て思ったのは
「強くなれ!日本人」
ということだった。

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アガサ・クリスティー特集 NHKBS

2006-12-07 22:33:51 | 観た、聴いた
今週と来週の月曜から木曜日の20時から、NHKBSでアガサクリスティー特集を放映している。

「名探偵ポアロ」と「ミス・マープル」のドラマである。

私は、どちらのシリーズも好きなので見ています。
(なんといっても、吹き替え、なので、ゆったりとして時には画面から目を離してみることができるのがいい)

で、実は、アガサの本はあまり読んでいない。
なーんでかっ!というと
登場人物が多くて、しかも名前がカタカナで書いてある。

覚えられんとですヨ。(どこの言葉だ!)

しかも、同じ人物の名前が、姓であったり名であったり愛称であったりすると、もう訳がわからなくなるんです。

というわけで、アガサもの、はテレビや映画に限る。
と、機会があればこうして、見ているわけなんです。

ところが、ホームズものはテレビより本がいいのですから不思議です。
多分、ホームズは小学校の頃から慣れ親しんでいる探偵さんなので、映像化されると違和感があるんだろうと、自己分析をしているのですが・・・

それにしても、アガサのシリーズはもっとも犯人らしくない人に目をつけていることが肝心ですネ。
それに、アチラの俳優さんなので「格」のようなものがわからないため、犯人探しは「筋」だけでできるので面白いです。

ただし「動機」については最後の説明でわかるわけで、そのあたりは金田一シリーズもおなじですね。

来週も楽しみ。
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悪人列伝1 海音寺潮五郎 文春文庫

2006-12-06 22:21:24 | 読んだ
文春文庫で再版された(らしい)広告が出ていたので懐かしくなり、本棚のおくから引っ張り出してきたのであった。

日本史の中の「悪人」を描いている。海音寺潮五郎にはこのほかに「武将列伝」6巻がある。
「武将列伝」「悪人列伝」で日本史の基本的なことを学ぶことができる。

今回、また読み直して、海音寺潮五郎の歴史観、というのを見直した。
ただし、女性については偏見を持っている。(ただし、偏見というのは時として正確な見方にもなる)

さて、第1巻は「蘇我入鹿」「弓削道鏡」「藤原薬子」「伴大納言」「平将門」「藤原純友」の6人である。

時代は天皇制が確立する飛鳥時代の後半から、平城京に遷都し天皇制が大きな権限を持っていた奈良時代(天平時代)、そして天皇制の矛盾が明らかになってきた平安時代初期である。

この列伝をとおして読むと、それぞれの悪人たちをとおして「天皇制」というのものの確立していくさまそして絶対的な天皇制があってその後ほころびが出始めてくる、という流れが見えてくる。

蘇我入鹿は、何をもって「悪人」とされたか、といえば、天皇に取って代わろうとしたところ、或いは天皇と力が拮抗していたこと、である。
つまり、この時代は、天皇家に代わって日本を治めようとする気持ちも力もあった豪族が日本にいた、ということである。
まだまだ天皇制は明確に確立されたものではないことが、蘇我入鹿を読むとわかります。

続いては、天皇制が確立され天皇家の権限が強大になった時代、それゆえに女性天皇であっても統治がゆるがない時代の話。

この時代の悪人「弓削道鏡」も「藤原薬子」も、天皇に取って代わろうなんて思ってはいない。
天皇の権限を利用して自分の権限の拡大に努めた、といってもいい。
実は、この悪人を悪人たらしめたのは、弓削道鏡の場合は女帝:孝謙天皇(重祚して称徳天皇)が彼を愛し重く用いたためだし、藤原薬子の場合は力をつけてきた藤原氏の横暴の象徴、藤原氏の気持ちが乗り移ったものであり、悪人、というのも、ものの見方の角度によるもののようなきがする。
また「伴大納言」の場合は藤原氏との権力争いに負けて悪人となったものであって、勝ってれば評価はどうなっていたか。

いずれにしてもこの悪人たちは天皇制のなかの「権力争い」で生まれたものであり、庶民にとっては悪人といってもいわばそっち側の話である。

続いて現れた悪人「平将門」と「藤原純友」は、天皇制への反逆であり、庶民というか天皇制の恩恵を受けていない人たちも巻き込んだ人たちである。

天皇制の矛盾とは「公地公民・班田収受制度」の崩壊である。
つまり、天皇制は日本の土地は公のものであり、日本の民は天皇家の公民であることが基盤になっているが、私有地(荘園)が増加し、建前と実際の差が拡大しはじめたことである。
もっと極端に言えば「貧富の差」が拡大してきていわゆる制度の中の負け組みが反乱をおこしたのである。

ということが、この1巻に書かれていたんだと、何度目かの読み直しでやっとわかったのである。
海音寺潮五郎、スゴイ、とおもって第2巻へ突入したのである。

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巣立ち-お鳥見女房- 諸田玲子 小説新潮12月号

2006-12-05 20:40:02 | 読んだ
矢島家では、次男<久之助>を養子に出して、いよいよ長男<久太郎>の結婚が近づいている。

久太郎の結婚相手は「鷹姫さま」と呼ばれていた娘、この結婚は紆余曲折があったもので、それゆえに矢島家の人たちにはそれぞれの思いがある。

お鳥見女房こと珠世は、次男を養子に出して気持ちが緩んだのか、風邪をひいて寝込んでしまう。
物語はそこから始まる。
そして、珠世の父<久右衛門>は老友を訪ねた帰り道、鷹が(足に革紐のついた鷹)木に引っかかっているのを逃がそうとしていう娘とその使用人たちに出会う。

この時代、鷹を無許可でふれるのはご法度。
とめる久右衛門と逃がそうとする娘が大喧嘩となる。

このあたりで、誰と誰が喧嘩をしているこちら側(読者)にはわかる。
したがってこの先は、ずっと笑いながら読んだのである。

祖父と許婚が喧嘩したことを知った久太郎と、父と嫁となる娘が喧嘩をしたことを知った珠世が、このふたりをどうやって仲直りをさせるのか?
興味はそこに尽きるのである。

そして、その策は、ほほえましいものなのである。
ともかく、久々に、ゆったりとした気分と人間というものはいいなあという気持ちにさせられる物語であった。
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名人戦の真実 吉村達也 将棋世界1月号

2006-12-04 21:48:56 | 読んだ
将棋を指すことの能力のなさにはもう数十年も前に自覚したが、棋士(将棋指し)の生き方への興味は失せていない。

というわけで、今回の名人戦騒動については興味津々であった。

名人戦騒動とは、将棋名人戦の主催新聞社が現在毎日新聞社であるがこれを朝日新聞社に移管するというもので、その要因は「金」。「金か信義か」として、世間を騒がせたというか世間が騒いだ、ことをいう。

この世間が騒いだ、ということと、名人戦の主催新聞社の移管が「金か信義か」として集約されたことについて、将棋連盟の理事会の8名を中心とした証言をもとにした考察と、棋士総会のドキュメント、そして数名の棋士から寄せられた原稿を、作家吉村達也がまとめたのが、この「名人戦の真実」である。

結論から申し上げれば、非常に不謹慎な発言であるが「すごーくおもしろかった」のである。

将棋界の現実と今後のことを考えれば、何らかの改革が必要なことは、おおかたの人たちが思っていることである。
その思っていることを現実のものにしようと、現実を良く知っている理事会が動き出す。
動き出すと、賛否両論が続出する。

この賛否両論が続出したときに、責められるのは主に執行部側である。
そのことについてはある程度仕方がない、とは思う。

思うが、今の日本ではこれが「個人攻撃」となって、あることないことで大騒ぎになる。そして、問題は本末転倒、将棋界のために主催新聞社をかえるべきかどうか、ということではなく、将棋連盟理事会はこれでいいのか?ということになってしまう。

これって、将棋界のことだけでなく、今の日本の全てのことに当てはまらないだろうか。

つまり、この「名人戦の真実」には、今の日本の病巣みたいなものが凝縮されて描かれているような気がするのである。

この中で、連盟専務理事の西村一義が言っている言葉が今の私には大きく響いた。

「(前略)『私はお金のことなんかどうでもいいんです』と言って、ほかのことに文句をつける人ほど、じつはお金に汚い。(中略)お金の話をためらわずしてくる人は、逆にお金にきれいだ(後略)」

それから、マスコミの低次元さ。話をわかりやすく時間とかスペースに収めることだけに集中して、無責任な報道をする。
わかりやすく、ということで、あまりにもこちら側を馬鹿にしていないだろうか。

この「名人戦の真実」を読むと、今の日本とこれからの日本について考えさせられ、そして暗澹とした気持ちになったりするのである。
深く、暗いお話だが、棋士総会ドキュメントは大きなことを決めようとしているのにわりとおかしい。このあたりが「救い」なのである、この話とこれからの日本の・・・。
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食の蔵 醸室(かむろ)-大崎市古川-

2006-12-03 19:11:51 | 観た、聴いた
本日は雪が舞う天気となった。
特に宮城県大崎市古川は吹雪といっていいほどの天気だった。
そういう天気なのになぜ出かけたか?というと、出発するときはいい天気だったから、である。

古川市の中心部に「食の蔵 醸室(かむろ)」というのがあるから、買い物のついでに寄ってみようか、という軽い気持ちで出かけたのである。

「緒絶橋(おだちばし:をだえのはし)」という歌枕になっている橋のたもとの橋平酒造店の蔵や建物を、食事どころ(そば、ラーメン、はっと、パスタetc)や雑貨や地場産品の店に改造した、ということである。

単純に昼食でもと立ち寄ったのであるが、さて何を食べようかと思うほどであった。いろいろ迷った末に、「カイロノ紫ノ薔薇」という店で、ハヤシライス、カルボナーラ、サラダ、スープがひとつの皿に盛り付けられたのをいただきました。
おいしかったです。

あいにくの天候ではありましたが、わりとお客さんが多く「はっと」という地元料理の店は売り切れで営業終了、ということでもありました。

今度は天気のよいときにでも行ってみましょう。
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嘉壽家堂本店更新

2006-12-02 21:45:57 | 日々雑感
本店を更新しました。
といっても、11月の読書日記と青春のうたを転載しただけですが・・・
あっ、青春のうたで第6号が抜けていたので追加もしました。

ということで、ブログのほうはこれでおしまい。
ということにします。

追伸
 読書のほうは、ローマ人の物語25巻を読み終え26巻に入ったところ。海音寺潮五郎の「悪人列伝」は第1巻を終了、小説新潮・オール読物の12月号を少しづつ読んでいるところであります。
 今日土曜日は幸いなことに見たいテレビ番組がないので、読書に専念したいと思っていますが、なんだか本を読み始めると眠くなってしまって・・・
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親しみクラシック チェロ&ピアノ 長谷部一郎&田中貴子

2006-12-01 23:30:38 | 観た、聴いた
今夜、地元のホールで行われた「親しみクラシック」というのを聴いてきた。

チェロ : 長谷部一郎
ピアノ : 田中貴子

というメンバー(っていうのか?)構成である。

クラシックといえば「かたい」とか「きゅうくつ」とか「おたかい」いうイメージがあり、本格的なコンサートでは服装にも気をつけなければならないし、まして眠るなんてことは・・・

そういうことからいえば、今夜のコンサートは「気軽」とか「のんびり」とかというもので、小ホールでパイプいすでいかにも手つくりコンサートであった。

曲目は、第1部
・イタリアン組曲から序曲<ストラヴィンスキー>
・白鳥<サン・サーンス>
・黒鳥の歌<ヴィラ・ロボス>
・くまんばちの飛行<コルサコフ>
・ろばと御者<レオナール>
・無伴奏チェロ組曲第6番からアルマンド<バッハ>
・演奏会用ポロネーズ<ポッパー>

そして第2部は
・チェロ・ソナタ<ラフマニノフ>

アンコールにチャイコフスキーと上を向いて歩こう

曲の合間に「お話」
これがいい間合いで静かな語りであった。
また、ピアノの田中さんの笑顔が素敵であった。(こういうことを私が書くのも珍しいが、まれに見る笑顔であった)

白鳥の来る町で「白鳥」を弾くのは初めてです。
というのが印象的。
チェロといえばサン・サーンスの白鳥、こちらも初めて生で聞いた。

また、第2部のチェロ・ソナタも30分間、聞き応えがあった。
久々にゆったりとした音に包まれたのであった。
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