読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

愛・・・しりそめし頃に・・・ 満賀道雄の青春 12巻(最終巻) 藤子不二雄A 小学館

2013-08-28 23:13:36 | 読んだ
とうとう、最終巻になってしまった。

藤子不二雄Aの描く、自伝的物語は「まんが道」とこの「愛・・・しりそめし頃に・・・」である。
まんが道は愛蔵版の全4巻を持っており、そのほか単行本数冊を持っているが、いったいどういう順番でどれをそろえればいいのかグチャグチャになってしまったので途中であきらめている。

まんが道では、藤子不二雄の二人が出会い漫画を描きはじめ、投稿し、手塚治虫のところまで押しかけ、Aは高校卒業後新聞社勤めをして、Fとともに上京しプロの漫画家になって、挫折と成功を繰り返す様子が描かれていた。

この「愛・・・」は、伝説の椎名町トキワ荘に集った漫画家たちが多く描かれているが、まんが道よりも大人の雰囲気である。

それにしても「青春」の物語はいいなあ。
なんだか心がウキウキする。
この物語では藤子不二雄のみが満才茂道という名前になっているが、他は全て実名である。

手塚治虫、寺田ヒロオ、石森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろう・・・
そうそうたるメンバーである。
こういう人たちの青春の物語であるから、面白くないわけがない。

この物語では、大きな事件なんか起きない。
大きな事件といえば、連載を依頼されたとか別冊に読み切りものを依頼されたとか、読者から好評を得た、というようなものである。
そのほかは、女性編集者が訪れたとか女性のいる店に飲みにいった、というようなもの。

兎も角、ひたすら朝から晩まで、いや深夜もしくは徹夜して漫画を描いている、という物語である。
それなのに、感動があり、ウキウキさせられ、ハラハラしたり、ドキドキしたりするのだから、すごい。

この物語を見ると、藤子不二雄は二人で描いているといっても、トキワ荘時代からすでに分業化されていたことがわかる。
だから、FとAは無二の親友であるととも生涯のライバルだった、といえる。

トキワ荘に集った仲間たち新漫画党を結成し、強いきずなで結ばれている。
彼らの目標は、手塚治虫。

そしてラスト。
手塚治虫の漫画賞受賞パーティーに出席した、満才、石森、赤塚、つのだの5人は、手塚治虫に
「今や、君たちは、僕の強力な、ライバルだ」
といわれる。

このコトバは言われた当人たちも感激しただろうが、この物語をずっと読み続けてきた我々読者も大感激である。

そして、多分、この言葉で、彼らの青春は終わったのではないかと思われるのである。

第1巻から読み返してみる日が来ればいいなあ、というのが最後まで読み切ったあとの大きな感想でありました。

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風立ちぬ <映画>

2013-08-25 22:23:33 | 観た、聴いた
本日は、今人気の映画「風立ちぬ」を観てきた。

零戦の設計者として名高い「堀越二郎」と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」を組み合わせた物語である。

約2時間、あっという間に終わった感じがして、おもしろかったなあ。
というのがあるが、実は映画を観ながら考えていたことがあった。

「純愛小説」を無性に読みたいときがある。
しかし、近頃はなかなかそういう小説が見当たらない。

その見当たらない理由が「風立ちぬ」を観ながら思いついたのである。

この「風立ちぬ」は、主人公の堀越二郎の「美しい飛行機を作る」という夢と、菜穂子との愛、という二つの糸で紡がれている。

そのどちらにも「障害」がある。
そしてその障害はどうしようもできないものである。だからそれを乗り越えるため、或いはあきらめるために努力するのである。

昔の物語には、どうしようもできない障害があった。
例えば身分制度、強い倫理風習、病気、国の制度・・・

このどうしようもないものが愛を阻む。
だから愛は純粋に燃え上がる。

今はすべてが自由である。何も遮るものはない。
好きだったら自由にくっつき、いやになったら他人の目を気にすることなく別れる。
昔は「離婚」といったらなにか後ろめたい思いや負の印象があったのだが、今や「バツ1」とか「バツ2」とかで、一種勲章のようなものになってしまった。

愛を遮るものが少なくなったから、あきらめることも少なくなり、ストーカーなんて発生する。
「夢はかなう」なんて言葉が大手を振って歩き始める。
私的には、かなわないから夢なのだと思うのだが・・・

そして、純愛の物語はなくなってしまった。

風立ちぬの中では「戦争」という時代の制約があり、結核という不治の病がある。
だからこそ、二郎と菜穂子の愛は燃え上がるのであり、更に、綺麗な思い出となるのだ。

というわけで、ものすごく綺麗な物語を、綺麗な絵で表現されている、つまり美しい映画だったなあ、というのが大きな感想であった。

で、本当に夢中になっていたので、声は竹下景子と國村隼しかわからなかった。
映画終了後のクレジットで、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、風間杜夫、大竹しのぶ、なんて出てきて驚いた。
で、ネットで見てヒェー!となったのであった。

次は「少年H」でも見ようかと思っている。
更に「おしん」も非常に気になっている。意表を突く配役というか、エーッ!という配役なので。

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めしばな刑事(デカ)タチバナ 7・8・9 原作:坂戸佐兵衛 作画:旅井とり 徳間書店

2013-08-21 22:27:13 | 読んだ
故あって(忘れていただけど)めしばな刑事の7~9巻まで購入し、一気に読んだ。

そして、テレビドラマを見た。(宮城県ではテレビ東京系がないので平日昼の再放送)

このバカバカしさはいったい何なのだろう。イヤ、このバカバカしい面白さは変にクセになる。
何故、あんなにも食にこだわれるんだろう。

その「食」といったって、いわゆるグルメのものではないのだ。
例えば、第9巻のラーメンサバイバーは5つの話になっているのだが、ここで取り上げられているラーメンは、「ラーメンショップ」それから枝分かれした「さつまっ子」「ニューラーメンショップ」「珍珍珍(サンチン)」、「どさんこ」系の味噌ラーメンなどなど。

この物語に登場する人たちはタチバナをはじめ、本当によく知っている。
チェーン店の成り立ち、枝分かれの先。その味の変遷。数多いメニュー。
或いは、カップラーメンやカレーのレトルトの味、進化などなど・・・

どこからそういう情報を集めてくるのだろうか。
この世の中には、役に立たない知識なんてないんだろう、と思わされる物語である。

しかし、読後にこの物語に出てくるものを無性に食べたくなる、ということはない。
これも「食」を扱った漫画には、非常に珍しい現象ではないだろうか。

今回最も気に入ったフレーズは「浸透圧」である。
このコトバはこのように使用されている。

「あそこの(ラーメンショップ)豚骨醤油あらためて食べると、ちょうど今の俺の体に浸透圧がピッタリっていうか・・・”何でもなく”うまいって領域に達しててイイね」

この感覚わかりますか?
よくわからないけれど『なんとなく』そんな感覚があるのかもしれない、と思わされるところがコワイ。

また、ラーメンチェーン店の分類に「古典」とか「近代」とか分類されるのだが、その基準は「なんとなく」のようなのであるが、私はそんな食べ歩きをしないからよくわから感覚なのだが、多分食べ歩きする人たちには理解できる感覚なんだろうと思う。

細かいところを理解しようとしたらつまらなくなる。そもそも理解すべき物語なのか?まだまだ続く。

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いのちなりけり 葉室麟 文春文庫

2013-08-20 23:03:39 | 読んだ
葉室麟は、注目している作家である。
まあ、別に私が注目してもどうなるわけでもないし、どちらかといえば注目するのが遅かったのではないか、という感もあるし。

春風伝(2013.5.6)、無双の花(2011.7.26)の2編しか読んでいないのであるが、確とした人生観に裏付けられた深い物語であった。
で、今回は文春文庫の新刊の与謝蕪村を描いた「恋しぐれ」でも読もうと本屋に行ったところ、この「いのちなりけり」を見つけた。
続編の「花や散るらん」も併せて購入をした。

この「いのちなりけり」は純愛小説といってもいいだろう。
縁あって夫婦になった二人が、結婚した晩に「和歌」をめぐって話をする。

佐賀鍋島藩の支藩である小城藩の、家老の娘で夫に先立たれた天源寺咲弥のもとに婿入りした雨宮蔵人は身分の低い者でなおかつ変人で腕が立つが和歌については知らない。その蔵人に咲弥は、先夫の好きだった和歌を教え蔵人にあなたの好きな和歌は何かと尋ねる。
しかし、蔵人は『浅学にて』とうつむく。
そこに咲弥は
「されば、今宵でなくとも結構でございます。蔵人さまがこれぞとお思いの和歌を思い出されるまで寝所はともにいたしますまい」

なんちゅう女だ!
と、私は思いましたが、蔵人はそれからずっと和歌を探し求めるのであります。

その間、鍋島家の中で事件が発生する。その事件に蔵人は巻き込まれ、あれよあれよという間に、藩から追われる人間になる。
と、ここまでは時代小説風なのだが、ここに水戸光圀が絡み、水戸漫遊記でおなじみの助さん格さんのモデルといわれる、佐々介三郎や渥美覚が登場したり、柳沢保明が例によって陰謀を張り巡らしたりして、蔵人も咲弥もこの時代の渦に翻弄されるのであります。

さて、咲弥は蔵人によって父が殺されたということで、蔵人を仇と狙い蔵人の友人でなおかつ蔵人を離縁して次の婿にと親戚一同から勧められた右京とともに旅に出る。
摂津の国湊川で、二人は蔵人とかたき討ちの戦いを行うが・・・
そこでこれまでの誤解が溶けた咲弥は蔵人が自分にとって最も大事な人だと悟る。
しかし、そこからまた二人は別れ別れとなる。

幕府と朝廷と水戸光圀と鍋島藩を巻き込んだ争いごとのなかで、水戸光圀は蔵人を呼び出し殺そうとする。
光圀のもとで奥女中となっていた咲弥は光圀の依頼で蔵人に手紙を書く。
呼んだ咲弥も呼ばれた蔵人も、江戸に行けば大きな危険があることを承知である。
更に、柳沢保明の手のものも蔵人を殺そうとしている。

それでも蔵人が咲弥のもとに向かうのは、好きな和歌を咲弥に披露したいからである。

春ごとに花のさかりはありなめど あひ見むことはいのちなりけり

カッケーのだ。

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異聞 太平洋戦記 柴田哲孝 講談社文庫

2013-08-17 09:28:40 | 読んだ
8月15日は、仙台育英が常総学院に負け、なんだかなあ、という落ち込んだ気分であった。
昨日16日は、東北楽天ゴールデンイーグルスの田中投手が、今季無傷の17連勝、そして昨季からは21連勝と、日本新記録を作り、興奮していた。
というわけで、本来、15日に予定していた、「異聞 太平洋戦記」が本日まで延びてしまった。
別に、予告をしていたわけではないので、どうということもないのだが、なんとなく気分の昂揚が激しい日々であった。

さて、「異聞 太平洋戦記」である。
この文庫には5つの物語が掲載されている。

1.超空の要塞 -異聞 東京大空襲-
2.目ン無い千鳥の群れ -異聞 真珠湾攻撃-
3.ブーゲンビル日記 -異聞 海軍甲事件-
4.鬼の棲む山 -異聞 久米島事件-
5.草原に咲く一輪の花 -異聞 ノモンハン事件-

このうち、「超空の要塞」と「ブーゲンビル日記」は、オール読物に掲載されたときに読んでいる。
その感想は、本ブログで検索するか、あるいは嘉壽家堂本店で検索していただきたい。
(超空の要塞は2009年4月12日、ブーゲンビル日記は2008年7月17日であります)

「超空の要塞」は、東京大空襲について、時の政府は知っていたのではないか、日米合作の空襲ではないか、という物語である。
「目ン無い千鳥の群れ」は、真珠湾攻撃も、日米合作の攻撃であったのではないか、という物語である。
そして「ブーゲンビル日記」も、海軍甲事件つまり山本五十六連合艦隊司令官の乗った飛行機が撃墜されたのも、日米合作であるという物語である。

つまり、この3作は、これらのことが謀略によって行われたものであるということが書かれてある。
いわゆる陰謀史観・謀略史観という部類に入るものと思われる。

こういうものは、おもしろい、のである。
そういう見方もあるのか、という『おもしろさ』である。だからそれを全部信じてはいけない。いわゆる「まっとうな」(歴史の中で何がまっとうなのか判別できないという声もあるが・・・)歴史を大きな柱としていて、陰謀論に耳を傾ける姿勢がないと、どうも自分の中に「ひずみ」とか「ゆがみ」が発生するような気がするのである。

というわけで、この3作は「ふーん、なるほどね」という具合に流して読むことに努めた。というのは、そちら側に引きずり込まれそうだったから、である。引きずり込まれてなるものか、という意思を強く持たないと、「なるほど、そういうこうだったのか」となってしまう。それほど見事に誘惑の罠がいっぱいあるのだ。

ところが「鬼の棲む山」は全然テイストが変わる。
沖縄戦争の久米島で起きた事件のことであるが、戦争というのはやっぱり「狂気」が支配するのか、ということを思い知らされるのである。

大局的にみて「戦争やむなし」と指導者層が判断としたとしても、戦地では「狂気」が発生し伝播し支配するのである。

人と人が争うということは、そもそも醜いものである。それが対等的に争うのではなく身体的或いは立場的に強いものが弱いものと対するのは、もう争いとは言えない。
武器と武器をもった軍隊が争うのが戦争であるとすれば、この事件は、戦争ではない。
指導者は、戦争というものが軍隊同士の争いだということではないことを肝に銘じなければならない。

「草原に咲く一輪の花」は、ノモンハン事件を扱ったものであるが、なぜノモンハンという土地に陸軍(関東軍)がこだわったのか、という謎を追っていく。
その謎が明かされるのであるが、そんなことで双方合わせて約4万人の戦死戦傷戦病者をだし、結果的に日本もロシアも何の益を得ることがなかった戦いをしたのかと、読んでいるこちら側が腹を立ててしまう。
まあ、そもそもノモンハン事件は、非常に腹立たしい戦いであったのだが・・・

というわけで、戦争とはなんと愚かなことなんだろうと、改めて思わされる物語がこの「異聞 太平洋戦争」に収められている。
読み終わると、ものすごく「がっかり」するのである。
何故、人は人と争うのか?

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作家 六波羅一輝の推理 秩父夜祭・狼の殺意  鯨統一郎 中公文庫

2013-08-14 23:18:06 | 読んだ
鯨統一郎の作品のなかでは、割とまともな=ハチャメチャ性の薄い、作家・六波羅一輝の推理シリーズである。

① 白骨の語り部 
② ニライカナイの語り部

と「語り部」シリーズなのかと思っていたら、

③ 京都・陰陽師の殺人 
④ 小樽・カムイの鎮魂歌(レクイエム) 
⑤ 湯布院・産土神の殺人、

となった。

主人公の六波羅一輝は、民俗学の学者であった父を持ち、第1作だけが売れた作家である。
売れなくなってしばらくして、一輝の大ファンである蜃気堂出版の編集者北山みなみが一輝の担当者となり、彼を励まして現地取材を通して小説を書かせようとした。
しかし、その先で殺人事件が実際に発生。それが、岩手県の遠野を舞台とした「白骨の語り部」である。

以降、取材に訪れる先で、実際に殺人事件が発生する、ということが続く。
で、その殺人事件を小説にまとめ、六波羅一輝は徐々に売れる作家となり、さらには事件を解決する探偵となる。
というのが、このシリーズの流れである。

で、一輝の小説の書き方の特徴として「ライターズ・ハイ」というのがあり、自分でも無意識のうちにコンピュータに打ち込んでしまう。そこが重要な部分となる。というのがある。

最初のうちはそのあたりも割と重要な場面であったが、とうとう今回はあまり重要ではなくなってしまった。
まあ、それだけ本格的推理小説に近づいてきた、ともいえるわけであるが、一方では鯨統一郎らしさが薄れてきたともいえる。

というわけで、今回の秩父夜祭・狼の殺意は、秩父にのこる狼伝説をもとに民俗学的要素を大きく含んだ推理小説である。
3人もの人が殺される。(そのうち4人となるのだが・・・)

で、徐々にこちらの期待していた伝説をもとにした解決、さらには狼伝説の詳細と経緯などから物語は離れていく。
つまり、殺人事件は「世俗の諍い」が原因なのである。
まあ、このシリーズはそういう傾向があるのだが、もう少し民俗学のつまり伝説の新たな解釈などをしてほしいと思うのである。

以前に読んだ邦光史郎の「幻シリーズ」とか、北森鴻の「那智蓮杖」シリーズのようなものを待っている、こちら側の勝手な期待もあるのだけれど、そういう歴史というか民俗学的なものを読みたいのである。ぜひ、期待に応えてほしいなあ。

シリーズの中では、この作品あまり面白くなかったなあ、というのが感想なのだが、あくまでもシリーズの中ということで、このシリーズは好きなのであるからして・・・

ところで、この小説の題名であるが、これまでは、サブタイトル的だった「作家・六波羅一輝の推理」がメインとなっている。
これはどういうことなんだろうか?


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甲子園から2 仙台育英対浦和学院

2013-08-13 00:06:00 | 観た、聴いた
月曜日になっても、まだ興奮が冷めやらぬ私であります。

各種スポーツ紙、ネットでの検索、いろいろありますが、なにしろ甲子園の現場に行ったということがこの興奮が冷めない要因であります。



この日の試合は第3試合を除き10点台の試合だったので、時間がかかり、予定では15時30分の第4試合が16時35分の試合開始となった。

入場する前に、外野席が無料であることを知り、外野からの眺めはどんなものか確かめに歩いた。

センター方向から


きれいですよねえ。ホントにきれいなグランドです。人工芝もきれいですが、きれいの質が違うというか・・・

続いて第3試合の試合開始で福井商業が守備につくところ。


同じく、ライト側から


いやホントにきれいな球場です。

そして1塁側内野席から
帯広大谷の応援団の紫、カッコ良かったねえ。


この帯広大谷と福井商業の戦いも素晴らしかった。
やっぱり、あの暑さの中で一生懸命戦っているのを見ると、何を見ても感動する。




そして、とうとう仙台育英と浦和学院の試合が始まった。
1回表守備に散る仙台育英ナイン。3塁側のアルプススタンドの浦和学院の応援団は「赤」カッコ良かった。


甲子園に来てナイターの試合が見れるなんて、しかも内野席から観れるなんて・・・
宮城から新幹線を乗り継いで、しかも、座席がなくて、仕方なくグリーン車に乗って・・・
来て、よかった~!


この日の一番の見ものは、浦和学院のエース小島と仙台育英の4番上林との対決。
全部、小島が勝ちました。


6回の同点のあと、仙台育英は7回無死1・2塁で、タイムをかけてバッターとランナーが綿密な打ち合わせ、しかし、2塁ランナーが飛び出して、挟まれアウト、あまつさえ1塁ランナーも2塁ベースでアウト。何たる失態!何のための打ち合わせ!と、怒りとガッカリと・・・

更に8回は無死満塁から4番、5番、6番と3者連続三振。
これはだめだ!と思いましたよ。
もう勝てない!
こういうチャンスを逃いているとピンチが来る。しかし抑えた。そして最終回2死からのサヨナラである。



ぼやけていますが、終了後のあいさつ、です。

もうこのときは興奮していまして、ええ、それはもう大変でしたよ。

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タモリ論 樋口毅宏 新潮社新書

2013-08-12 22:41:38 | 読んだ
「タモリ」という人は不思議な人だと思っていた。
だから、この本を見たときすぐに読んでみようと思ったし、ちょうど、甲子園へ行く旅に持っていく本を探していたので『ハイヨ』とばかりに買ったのである。

で、新幹線で読み始めたらあっという間に読み終えてしまった。

筆者は昭和46年生まれ、ということは、私と15歳の差がある。
15の違いは、全く接点がないように思える。そして考え方や受け取り方も違うように思える。

読んでみたら、まあ予想どうりだったのであるが、いわゆる「おタク」風な、理屈が強いような、それでいてどことなく用心深い、つまり他の人からあまり批判されたくない、それもつまらないことでとやかく言われたくない、というような姿勢が出ているものであった。

で、そういうものはあまり嫌いでない私なので、そういう部分を読むと思わずにやにやしてしまうのである。
なんというか『やってる、やってる』というカンジ。
なにしろ、「はじめに」が25ページまであって、なお「お断り」なるエクスキューズが付されているのである。
この「お断り」を見たとき、心の中で「ヒューヒュー!」と思いましたよ、ええ。
なにしろ、このお断りは、タモリを「タモさん」と、ビートたけしは「殿」と、明石家さんまは「さんま師匠」と呼ぶべきか、ということを書いているのである。どっちでもいいことをこのようにウジウジとお断りする姿勢、それが嫌いではないのだなあ。

さて、著者は自らの小説でタモリを『絶望大王』と評している。
まあ、なんとなくわかるような気がするが、それほどでもないのではないだろうか。

で、いろいろとタモリについて著者は語っていきます。
「いいとも」の中のタモリ、別の番組のタモリ、ビートたけしと比べ、明石家さんまと比べ語られている。んーまあそうかな、とは思うけれど、どことなくしっくりこないまま読み終えてしまった。
そういう見方もあるんだ、と思うけれど・・・

タモリって何か一つをトコトン突き詰めていきたい人なんだと思う。
だけど「笑っていいとも」では、そんなに深く突き詰められない、それゆえに長く続いているのではないか。
著者も言っているが、笑っていいともを休みなしでやるには、他のものをあきらめなければならない。
でも、タモリはあきらめているのだろうか。もし「俺どうでもいいのよ」ということがあきらめていることであれば、それはそうだと思うけれど・・・

笑っていいともは身にならない、と吉田修一が語ったことに著者は全くそのとおりと大賛辞を送っているが、別にそんなこと日本中のだれもが知っていることで、もっと言えば、テレビをみて身になることなんてどれくらいあるのだろう。
また、笑っていいともをやめられないのは、多くの人が職を失うことになるから、ということも言っているのだが、そんなこともあまりないだろう。

この本は、読んだものにタモリについて考えさせてくれる。
普段当たり前のように見ているタモリについて何かを考えるなんてないことだ。
それがこの本の特徴ではないだろうか。

ちょっとタモリについて考えたいと思った人だけでなく、何か読んでみようかな、と思った人にお薦めである。
タモリってそういう魅力があることがわかる。

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甲子園より 仙台育英11対10浦和学院

2013-08-10 23:28:10 | 観た、聴いた
本日、初めて甲子園球場で野球を観戦した。

仙台育英学園は、地元宮城の代表校であるが、そのメンバーに親戚の子がいて、甲子園球場で小さい時から知っている子が野球をしてそれを応援できるなんて2度とないことだろうと思い、本日宮城から甲子園にやってきたのである。

東北新幹線から東海道新幹線の移動は、冷房が効いていてそれほど暑さは感じなかったのだが、新大阪についた途端、ムッとする熱気である。
なんというか、地の底から発しているような熱気である。

東北人にとっては経験をしたことのないような暑さである。

新大阪から大阪そして阪神電車に乗って甲子園。暑い!

甲子園についたら内野席は売り切れということで、待っていたら第2試合終了後に売りだしたので、なんとか購入し、第3試合の途中から観戦。

第3試合の帯広大谷と福井商業も終盤の逆転劇で感動的であった。

しかし、まさか第4試合にそれ以上に感動することが起きるとは思わなかった。

仙台育英は初回エラーから1失点。
しかし、1回裏、なんと春の選抜優勝校浦和学院の県大会で完全試合をしたあの小島投手が大乱調で6点を奪う。
これは楽勝か、と思われたが、なんと3回に8点、4回に1点を奪われ、6対10と4点差になってしまった。

浦和学院の小島投手は徐々に調子を上げてきた。
仙台育英は2番手の馬場がなんとか抑えている。これは駄目だと思ったら、なんと、6回に連打とエラーで4点を奪い同点。

これは勝てるのではないか?
と思うのだが、その後攻め続けているのに点を奪えない。
特に8回裏、無死満塁で3者連続三振。
これではリズムを失い相手にペースが移ってしまう。

しかし、浦和も力みが入ってして、あと一押しができず、9回裏である。
しかも2死。
これは延長だろうと思い、9回終了後ホテルに連絡をしようと準備をしていたら、なんと9番小野寺のヒット、そして浦和の小島投手が無念の降板。
変わった山口から、1番熊谷がサヨナラ2塁打。

いやあ感動しました。わざわざ甲子園に見に来てよかった、本当によかった、と思いました。

というわけで、次回は写真を入れたもう一回報告します。

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愛・・・しりそめし・・・頃に・・・11 満賀道雄の青春  藤子不二雄A 小学館

2013-08-07 23:10:36 | 読んだ
第11巻である。
連載は最終回を迎え終了した。
残念なことに、ビックコミックオリジナル増刊5月号を手に入れることはできなかった。

本年6月に発売された第12巻が最終巻となるということで、そこでゆっくり読もうと思っている。

物語の内容は、藤子不二雄の「自伝」といっていいだろう。
「まんが道」から始まって、この「愛・・・しりそめし・・・頃に」で完結する。

大きな出来事や事件があるわけでなく、ただひたすらにマンガを書いている、藤子不二雄をはじめとした漫画家たちを淡々と描いているだけなのに、なんだかとってもすごい大河の物語を読んでいるようである。

なんというか、当時としては新しい「まんが」という道を切り開いていった、でも切り開いているなんてことは思わずに、ただ好きなことをしているだけ、という、そういう人たちが主人公だから、心惹かれ、応援をしたくなり、そしてまた自分もこういう青春を送ることができたなら、なんて考えるから、面白いんだと思う。

第11巻は、10巻で登場した花葉エリコがいっぱい出るのかと思いきや、彼女を巡る話にはならずに、また淡々と日々のことが語られ始める。

藤子不二雄の二人は、故郷へ帰るが、頭の中には前回帰郷して気が緩み連載をすべて落として、いわゆる「干される」ことを思い出し、早々に帰京する。
この、故郷に帰って気が緩む、ということは二人にとって最大級の反省事項なのだと、改めて思わされるが、何度も何度も書かれると「なんだかなあ」の気分になってくる。

そして、これまで二人で合作していたマンガを別々に書くことにする。そして藤子不二雄Aが書くのが「怪物くん」である。

この連載を引き受けるまでにすったもんだがあって、結局、石森章太郎と赤塚不二夫の「やるべし!」で決意する、なんてところは、なんだかありふれたシーンのようであるが、これまで読んできた身としては「ジーン」とするのである。

更に、新・漫画党の党首であった寺田ヒロオが断筆する、ということが起きる。
漫画が子供に夢を与えられないものになっていくのは許せない、ということが原因である。

売れるものがいいものなのか?という、寺田ヒロオの問いかけは、藤子不二雄をはじめとした仲間たちだけでなく、読んでいる我々にも真正面から突き付けられた大きな課題である。

しかし現実は・・・・

そこで妥協しないで断筆した寺田ヒロオの人生もまた一つの人生である。

そして、自分たちだけはなんとか堕落しないで行こう、売れればいいという雑誌の中に、少しでも子供の夢を与えることができるものを書いていこう、とする藤子不二雄の人生もまた一つの人生である。

つまり、それぞれの「まんが道」なのだと、作者は言っている。

それぞれの道をそれぞれの信念で歩いていく。
ということは、実は難しいことなのだが、仲間たちがいるから歩いていける。

うーん、やっぱり「青春」っていいよなあ、と思うのである。

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同級会

2013-08-06 22:24:47 | 日々雑感
先週の土曜日に高校時代の同級会があった。

高校卒業以来、全クラスが集うのは初めてである。
同級会の幹事でもあったので、本番前に何回も打ち合わせ(酒飲み)があり、期待感が最高潮に達した同級会であったので、大いに盛り上がった。

すごい出世をした奴もいたのだが、いったん集まってしまえば高校時代にさかのぼり、今の地位も名誉も関係なくなる。
これも、高校を卒業して38年、どこで何をしていたって恥ずべきことがないのであれば、たとえ大会社の重役であろうが、学校の校長先生であろうが、髪があろうがなかろうが、腹が出ていようがでていまいが、関係ないのである。

多分、我々の年代になると、他人の幸福というものにあまり関心がなくなる、というか、幸福というものは大きな差がないのだ、ということが、なんとなくわかるからだろうと思う。
つまり、他人の人生がそううらやましくないのだ。

そういう人だけが集まったわけではないと思うのだが、多分、みんなそれなりに幸福なんだろうと思う。

久々に仕事の話もせず、高校時代のあんなことやこんなこと(主に悪さをしたことだが)を肴に酒を飲んだ。

追伸
翌日、野球の試合があったのだが、あまり調子が良くなかったにもかかわらず、無失点で抑え勝ったのであった。
これも、気持ちが晴れていて抑制がうまくいったからだと思うのだが・・・

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