読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

歴史読本2月号-日本の古寺巡礼-

2008-01-31 19:50:50 | 読んだ
近頃というか近年、「倫理」に興味を持つようになった。

その中で「仏教」は、父の死、という現実から、直に接することもあり、目についてものをできる限り読むようにしてみた。

で、よくわからないのである。

まあ本を読んですぐわかるようであれば、僧侶たちは修業する必要がないわけであるから、当たり前といえば当たり前である。

歴史読本2月号の特集は「日本の古寺巡礼」であるが、特集の巻頭は『概説 日本の寺院と宗派』(比叡山延暦寺長臈:小林隆彰であった。
この概説が、これまでよくわからなかったことを説明しているので、ありがたかったのである。

例えば
お釈迦様は、昼は説法の旅に出られ夜は沙羅双樹や菩提樹の林の中で休むので、特定の住居はなかったが、雨期の3ヶ月は外に出られないので王が「竹林精舎」と帰したのが最初の寺院であること。ちなみに平家物語で有名な「祇園精舎「はその後に作られた。

インドでは寺は僧の安居所であり雨期の説法聴聞所であった。
中国の寺は当初は経典の翻驛所として活用されたから「公の建物」だった。

といった基本的なことから順次簡潔にまとめてあり、目からうろこが落ちるような思いで読んだのであった。

特に日本の仏教の流れも説明されており、仏教入門前の基本的事項を押さえることができる。(と思う)

何故、仏教に宗派が生まれるのか、ということについては

「基本的にはもともと仏教は個人救済の宗教であり、個人の成仏、即ち仏になることを最終目的としますから、それぞれがこの世で置かれている立場・時代・個人・性別などで自ずとその修行方法や信仰形態も変化します。ですから仏教のお経も、教え・参考書・生活規範などと多岐にわたります。そこに宗派が生まれるのです」

と説明がされ「なるほどー」とうなずくのであった。

今、日本には192の宗派が存在し、さらにどの宗派にも属しない寺院が相当数ある、ということを紹介して、こう結んでいる。

「まことに驚くべき数ですが、これこそが仏教の特徴とでも言うべきでしょうか。人間の自由意志によってお釈迦様の教えを聴き、信じることが出来る。多くの日本人が神社に詣で仏を信じ、先祖を敬うことを不思議にせず、他宗教をあながちに否定しないのは、仏教にその源があると見ることができるのではないでしょうか」

またしても、大きくうなずいているのであった。

この巻頭の「概説」の次には『巡礼と遍路 人はなぜ癒しと苦行の旅に出るのか?』(同志社大学名誉教授:廣川勝美)が特別寄稿として掲載されており、これもまた巡礼と遍路についての理解を深めることが出来た。

ちょっと曲解かもしれないが、観光とは「癒しと苦行の旅」なのではないか、なんて思ったりしたのである。

この文章の結びも印象的だったので引用する。

「霊場を巡ることには日本人の心が伝わっている。人びとは道の途中の寺院や神社を隔てなく参拝した。長い年月の間に、神の道と仏の道は重なり合いつつ、参詣道や巡礼道として整えられた。そこに神仏和合の精神があった。それがこの国の宗教的心情の根本であるといえよう。」

今の世の中「赤は赤、白は白」として明確にすることが要求されている。
しかし、この世の中は明確にできないものがいっぱいある。
曖昧なままにおいておくことが重要なこともある。
「こうしなければならない」という言葉が一番危険なような気がするのである。

では、物事の判断はどうするのか?
それは法律ではなく「倫理観」にもとづいた人の心だと思うのである。
しかし統一した「倫理観」をもつということが難しい世の中なので、ますます混乱し猥雑な議論が続くんだろうなあ、と、なんだか諦め気味の近頃なのである。

それゆえに、巡礼とか遍路とか参詣、ということに憧れを持つんだろうと思う。

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歴史のミステリー2 デアゴスティーニ

2008-01-30 21:26:45 | 読んだ
創刊号は「本能寺の変」と「イエスキリスト」の謎がメインであったが、第2号は「聖徳太子」と「魔女狩り」がメインであった。

創刊号を買ったとき、後輩のY子から
「えーっ!あんなコマーシャルを見て買う人がいるなんて信じられない」
といわれたのであった。
テレビコマーシャルを見て買う気になったのではなく、本屋に行って、見て、迷って、そして買ったのである。
しかし、そんなことを説明しても言い訳にとられるので
『まあいいや』と思っていたら、
「読み終えたら貸して」
と、のたまったのである。

創刊号は190円である。
しかも、買う人がいるなんて信じられない、といった舌の根も乾かぬうちに「貸して」というのは、いかがなものか。
しかし、心優しく・度量広く・腹太く・メタボリックな先輩の私は貸してあげたのである。

で、第2号を読んでみての感想は、創刊号もそうだったのであるが、メインの特集部分については目新しい部分はないので『フンフン』と読み飛ばしている。
しかし、芸術の裏側(第2号は『ゴッホ』)とか語り継がれる伝説(第2号は『ノアの箱舟』)といった部分は、今まで読んだことのないようなものだったので、面白く読んでいる。

この「歴史のミステリー」は週刊なので、若干忙しい。

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蛹のままで-お鳥見女房- 諸田玲子 小説新潮2月号

2008-01-29 22:56:29 | 読んだ
最新の「お鳥見女房」である。

お鳥見女房・矢島珠世の家に、以前居候をしていた石塚源太夫が、恩人の息子で長崎に医学の勉強をしに行くが江戸で用件があるのでその期間居候させて欲しいと言っていると、源太夫の娘・秋から言われ「源太夫のあつかましさは天下一品」と苦笑をしながらそしてまんざらわるい気もせず承知をしたが、なんと恩人の息子ではなく恩人で40前後の男だった。

その中嶋賢次郎の話が、今回の主題である。

賢次郎は生みの母親を探しに江戸へ出てきたのであった。

賢次郎が抱く珠世への思い、そして珠世が抱く思いが、賢次郎の亡き母の墓前で重なる。

それは恋になる手前の「蛹」のようであった。

というのが概略であるが、じっくりと読めばそれぞれの思いというものが、そしてぼんやりしているようでナカナカの源太夫の行動など・・・

人情というのは、いいなあ、としみじみ思うのであった。

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青春のうた52 1980年代前期⑥

2008-01-28 20:55:49 | 読んだ
1.悪女/中島みゆき 1981年10月

中島みゆきの歌では「へたれ系」というか「強がり」を歌っているのが好きだ。
この歌もそうだし「わかれうた」なんかもである。

中島みゆきはこちら側から見れば、美人だし才能もあるし、なにひとつ「へたれ」になるような要素はないと思うのであるが、へたれの強がりがこちら側の心を揺さぶり共振させるのである。

この悪女だが、イメージとして「札幌」の歌のように思っているのである。
その理由はわからないのだが、マリコは札幌に住んでいるし、ホテルも札幌のホテルのような気がするのである。

♪悪女になるなら 月夜はおよしよ 素直になりすぎる♪

いいフレーズである。

2.ふたりの愛ランド/石川優子とチャゲ 1984年4月

JALのCMソングとして、あの

♪夏 夏 ナツ ナツ ココ 夏
 愛 愛 アイ アイ 愛ランド♪


というフレーズは、印象的、強烈でしたねえ。

で、振り返ってみると「それだけ」だったりするのです。

改めて聞きなおしてみると、なかなかの愛の歌なのであります。
ところが、石川優子とチャゲの歌声は、愛を元気よく歌っているので「なかなか」の部分、つまり「色っぽい」ところがあまり伝わらないでいるのです。

「それがいい」というところもありますね、この歌。

3.パープルタウン~You Oughta Know By Now~ 八神純子 1980年7月

ノリのいい曲と八神純子の高音がうまくマッチしたいい歌だと思う。

実は1980年代あたりから「歌を覚える」ということが難しくなってきた。
その理由は
1.英語の歌詞が覚えられない。(英語の歌詞がよく挟まるようになった)
2.曲と詞のバランスが悪い。(日本語が通常の場所で途切れない)
3.テンポが速くなってきている。
4.コードがあるいはコード進行が複雑、専門的になってきた。
ということから「自分で歌いたいと思えなくなってきた」ことによると思うのだ。

ということで、このパープルタウンも「いい歌だな」とは思ったのだが、ぼんやりと全体像を覚えていることと

♪パープルタウン パープルタウン♪

という部分が耳に残っているだけなのである。

4.蜃気楼/クリスタルキング 1980年4月

クリスタルキングは「大都会」しか覚えていないのである。
この曲は化粧品のCMソングだったらしいのであるが、これもよく覚えていないのである。

で、作詞が「天野滋」とあるのを見てビックリ。
あのNSPの天野さんが、このような「キザ」な詞を書くなんて・・・

クリスタルキングは対照的なツインヴォーカルがウリなのであるが、これも同じような歌を聞かされると「飽きる」のである。
本号で、高音担当というかあの印象的な歌声の田中昌之のインタビューが載っているが、彼も歌いながら飽きていたようである。

まだこの時代までは、一つ売れると同じパターンでという「繰り返し」が多かったような気がする。
それは大量生産・大量消費という時代がまだ幾分続いているということもあったのだろうが、実はそろそろ「消費者ニーズの多様化」がはじまっていたのではないか。
だから、大量生産・大量消費のパターンで成功するものもあったが、うまく消費者ニーズをつかんだものが勝つようになっていった、と思うのである。

クリスタルキングはせっかくいいものを持っていたのに、幅広く使う前につぶされてしまった、という思いがあるのだ。
そういう意味で、クリスタルキングというと『一発屋』という言葉でくくりたくないのである。

5.ふられ気分でRock'n'Roll TOM☆CAT 1984年11月

この歌を聞いたとき「不機嫌」になった。
それは

♪たかがRock'n'Roll されどRock'n'Roll♪

という部分の「いやらしさ」だった。

当時はこの「たかが○○○ されど○○○」という言い方が流行っていたというかあった。
でも、この言葉は人生を長く生きて経験を積んだ者がいう言葉のように思っていたのである。
それを、体制を批判するあるいは体制を壊そうとするロックンローラーが使うのはなんだか変だという思いが強かった。

つまりは「売れればいい、売れたら勝利者」というような考え方が、若い人たちにまで広まってきたのではないか、ということが私を不機嫌にさせたのである。

「商業主義に身を売った」という表現があったが、すでにそのことは死語になリかけてきたのかもしれない。

そしてこの歌は何を歌っているのかわからない、ということも不機嫌にさせた要因なのかもしれない。
言っていることは、新しそうなのであるが、根には古い因習みたいなものがあるような気がしたのである。

とまあ、ケチョンケチョンに批判をするのであるが、売れるということはどこか人の心をつかむところがあるんだろう。
そのあたりは認めているのではある。

6.街が泣いてた 伊丹哲也&SIDE BY SIDE 1980年11月

この歌は好きだった。
なんだか「わかる」のであった。

一つには単純というかシンプルな「つくり」が性に合ったんだと思う。

ところで、この歌を久しぶりに聞いて驚いた。
伊丹哲也の声ってこんなにハスキーだったけか?
ドスが効いているということは覚えていたのであるが、こんなにハスキーというかかすれているというか、ありゃりゃ、と思ったのである。

それにしても

♪街が泣いてた♪
というフレーズは、なんだか心を打つのである。
しかも

♪淋しそうに♪
街が泣いているのである。
そういう情景が思い浮かぶと胸がジーンとなって鼻の奥がツーンとなるのである。

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牛鍋屋あんじゅ(前・後)<新・御宿かわせみ> 平岩弓枝 オール読物1・2月号

2008-01-27 18:04:19 | 読んだ
オール読物1月号・2月号に掲載された、新・御宿かわせみの物語である。

1月号のとき「前編」とあったので読まずにおいて、2月号で一気に読んだ。
できるならドーンと完結したい、という性格なのである。

さて、この物語は題名にもあるように牛鍋屋のあんじゅという店にまつわる話である。

神林麻太郎と畝源太郎の二人が「溺死体」にかかる事件性の話をしているときに、麻太郎の先生バーンズ医師の姉であるマギー夫人から「クリスマスに牛鍋屋に行ってみたいがいい店はないか?」と尋ねられて、心当たりがなかったことから人づてに聞いてみると「あんじゅ」という店が評判のいいことを知る。

お吉などは自分で食べたこともないくせに、そしてこれからも食べる気などないくせに
「そりゃあもう、この節、牛鍋屋と申しましたら、あんじゅが一番でございますよ。なにしろお味はいいし、お肉が柔らかくて、お勘定もそう高いことはもうしませんそうで・・・おまけに女中にがさつな所がないと横浜からお出での村井やさんも、そりゃあ賞めてお出ででございましたよ」
などというのである。

それから麻太郎と源太郎は6歳ぐらいの男の子・太郎吉と独楽を通じて知り合う。その母というのが『あんじゅ』の女主人なのである。

もうこのあたりに来るとなんだか大体想像がつくのであるが、溺死体と『あんじゅ』の女主人・お安との関係が、この物語の柱である。

今回は、前後編とあるいつもよりはちょっと長い話であるので、この事情が入り組んでいて、横浜に行ってみたり、佐渡にも話が及んだりして、なんというか「凝った」話の作りになっている。
だから、1ヶ月間をおいてしまうとなんだか前後の事情がわからない。(老人力がついてきた、といえる)

今回は、私のお気に入り「花世」の出番が少なくちょっと残念ではあったが、登場しなくても源太郎の心の中で・・・

御宿かわせみの物語は、一つ一つの事件の解決だけではなく、レギュラー陣の心のふれあいが縦糸となっているから、やめられない、のである。

追伸
 オール読物1月号には特集として「<新・御宿かわせみ>明治編の世界」がついていて、参考になる。

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<中春>こまわり君 山上たつひこ ビックコミック連載

2008-01-26 17:14:05 | 読んだ
「創刊40周年記念、集中連載開始!!」なのである。
「大変長らくお待たせしました。待たせてすぎてこまわり君も42歳です。」なのである。

こまわり君は「がきデカ」という題名で少年チャンピオンに連載されていた頃、夢中で読んでいた。
あのなんだかよくわからないギャグは、わけのわからない世の中をぶっ飛ばすような、あるいはおちょくっているようなそんなパワーを感じていたのである。

その後「中春」として、2004年と2006年に発表されたらしいが、それは残念ながら見ていない。
そして、今回、また集中連載されるそうである。
「こまわり君」のファンとしては楽しみである。

話の筋はわりとまじめなのである。
山田こまわり君42歳は、金冠生生電器の営業部員であるが、なぜか専務の酒井から「君の嗜虐趣味をみこんで頼みがある」といわれそれは「個人的な頼みでもあり、上司としての命令でもある」というややこおしい依頼であった。
それは酒井と並んで金冠生生電器のエースと呼ばれたが、今では子会社へ出向されすべての肩書きを剥奪され仕事からほされた井上の首を切ることである。

で、この展開がいつものとおりギャグというかむちゃくちゃなのであり、懐かしいのである。

こまわり君の「とーちゃん」と「かーちゃん」も登場し、栃の光(がきデカのころは栃の嵐だったなあ)も登場する。
多分、今後は西条君も、ジュンちゃんもモモちゃんも出てくるんだろう。

ホント楽しみである。

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元気の出る話 椎名誠

2008-01-25 18:44:49 | 観た、聴いた
昨夜、椎名誠の講演会に行ってきた。
わが社の厚生事業の文化講演会である。

演題は「元気の出る話」である。

内容は・・・
いつもの通り「下ネタ」が多い。
まあ、下ネタとはいっても探検などで出かけたときの糞尿にかかわる話である。

私、椎名誠の講演会は2回目で、前回は主に寄生虫(サナダムシ)などの話であって、やっぱり糞尿にかかわるものであったので、今回もこのような話が始まったときには「やっぱり」と思い、嬉しくなったのである。

私、好きなんです、こういう話。
「シベリアの冬、小便はツララになるか?」
「中国の便所状況とその開放度」
「開放便所における大行列とその中での排便心得」
「世界における日本のトイレ異常状態」
などなど、面白かった。

最初はアラスカのオットセイ狩りやカリブー狩りの話から始まったのであるが、結局は私の好きな方向へ流れ、満足したのであった。

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盤上の人生・盤外の勝負 河口俊彦 小説新潮連載

2008-01-24 21:41:51 | 読んだ
小説新潮に連載されているもので将棋の話である。
2月号は「名三役の切味 勝浦修」である。

著者の河口俊彦もプロの棋士<7段>である。2002年に引退したが、現役時代から将棋にかかる著述が多く、私もこの人の書いてものは好きで、よく読んでいる。

この連載も棋士についての思い出話というか、棋士の人生を思い出の1局とともに紹介しているものである。

今回は勝浦修9段の話と題名はあるが、実は石田和雄9段と二人が主になっているのであるが、なかに、心に留まるものがあった。

勝てる者と勝てない者のに分けられる原理は「仲間に強いと思われないと、勝てない」ということ。
これは将棋だけのことではないと思う。何事においてもあいつには適わないと思わせることが勝つということの大きな要因である、と私も思う。
だから日々の行い、生活態度が重要なのである。
いざとなれば俺だって!と思って何もしないのは結局重要なところでは負けるのである。(負け続けている私が言うのであるから間違いない)

それから、石田9段の竜王戦挑戦者決定3番勝負の局面を紹介して
「負けた将棋が美しい棋士がいる」
という文があった。

これ泣けますね、この文、この文を書く心情。
こういうことに「美しさ」を見出せるのが人間のいいところなんだと思う。

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歴史のミステリー<デアゴスティーニ> 戦乱の日本史<小学館>

2008-01-23 22:37:52 | 読んだ
「創刊号」という文字を見ると思わず手にとってみて欲しくなるという「性(さが)」もしくは「癖(へき)」を持っている私は、近頃はできる限り自分を押さえ、手に取ったり欲しくなったりしないように心がけている。

しかし「心がけている」のではあるが、どうしても手にとってみて欲しくなってしまうものが出てくるのは仕方のないことなのである。
なぜなら、私のようなものをターゲットにしていることは明らかであり、一度ターゲットとしてロックオンされれば、もうおしまいなのである。

というわけで、デアガオスティーニから創刊された「歴史のミステリー」と小学館から創刊された「戦乱の日本史」、いずれも創刊特別価格190円を買ってしまった。
あまつさえ「読んで」しまった。(あっ、これはいいのね)

歴史のミステリーは週刊誌なのだそうである。
7つの章「歴史検証ファイル」「遺跡に眠る謎」「疑惑の真相」「芸術の裏側」「語り継がれる伝説」「ミステリー年表」「人物再発見」から構成されている。
ちょっと珍しい形ではある。

創刊号の目玉は「歴史検証ファイル」の2件『本能寺の変の首謀者は誰だったかの?』と『イエス・キリストに子供は存在したのか?』の2本である。
まあ端的に申し上げれば、明確な結論や仮説を掲げてはおりません。
週刊誌やテレビの「見出し」と同じで、過激ではありますが見出しほど内容にはキレがあるわけではありません。

しかし、この目玉以外のものはナカナカ面白いものもありました。
まあ少し継続して買ってみましょう。

「戦乱の日本史」はオーソドックスに毎号(隔週刊)一つずつのテーマで行くことになっている。
創刊号は「長篠の戦い」である。
これはいろいろと詳しく、さらに地図も詳細であり「満足」である。

当初の予定では、そのときのテーマによって買おうかな、ということであったが、これもちょっと買い続けてみようと思っている。

こういう雑誌は、どこまで続くのかがわかっているものが安心である。
そういう意味では「戦乱の日本史」は50巻で終了ということなので、そして内容も決まっているので心穏やかに買うことができる、と思うのである。

というわけで、この2誌とはちょっと付き合ってみるかと思っている。

追伸
実は「日本百名山」という雑誌も朝日新聞社から創刊されたのであるが、これは近くの山が登場したときに買おうと思っている。
つまり、ここでは「心の抑制」ができたのであった。

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九つの殺人メルヘン 鯨統一郎 光文社文庫

2008-01-22 20:45:20 | 読んだ
「すべての探偵は美人である」を読んで<桜川東子(はるこ)>に魅かれ、この本を買ったのである。

この物語は題名のとおり「九つ」の短編からなっている。
それも全て「童話」を題材として、殺人事件(1件は違う)のアリバイを崩すという趣向なのである。

そのアリバイを崩すのが「桜川東子」なのである。

舞台は、渋谷区にある日本酒バー「森へ抜ける道」
この店で、常連の工藤(神南署の刑事)と山内(自称:犯罪心理学者)とマスターが、バカバカしい話をしている。

このバカバカしい話が面白い、というか非常に共感できる、というかこの3人(42歳の厄年トリオ)は、私と年齢的に近いのであろう、思い出話にうなづいてしまうのである。どちらかといえば我々年代の「楽屋落ち」のような話である。

で、そうこうしているうちに工藤が抱えている事件の話になり、それはすべて第1容疑者に完全なるアリバイがあって、なかなか解決に近づけないでいる。
そのアリバイを、桜川東子が日本酒を飲みながら崩していく。

それが「メルフェン」を研究している東子であるから、童話の新解釈と同時にアリバイ崩しを行うのである。
これWの愉しみなのである。

ともかくもいわゆるひとつの「鯨ワールド」満開である。
近頃、息抜きの推理小説は鯨統一郎になってしまった。ちなみにこれまでは森村誠一の「棟据刑事シリーズ」だった。

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ちりとてちん NHK連続テレビ小説 ②

2008-01-21 23:48:28 | 観た、聴いた
月曜日から土曜日までの楽しみといったら、NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」なのである。
このテレビ小説を最初から見続けているのは、そしてこんなに夢中になったのはこの「ちりとてちん」が初めてである。

朝7時30分からのBSを見るのだが、朝は忙しいので横目で見ていて、土曜日の総集編をじっくり観ている。
で、先週の土曜日は「おでかけ」をしたのでビデオに録って観ているのである。

何が、こんなに私を夢中にさせているのだろうか?
と考えてみると、

お話の基本線は、いい人たちが織り成すドラマ、であること。
悪人が出てこないドラマというのは「安心」して観ていられる。
善人と善人がそろっていてもドラマが生まれるからおもしろい。

次には、小さな部分では「意外な展開」があること。
これが基本線にいいアクセントをつけていると思うのである。
これまでのドラマにはなかった「ボケ」と「ツッコミ」のセリフがやたら多い、というのは面白い。

そしてもうひとつの基本線が「落語」であること。
登場人物たちがみんな落語に登場する人のようで、真面目に生きているのに、傍から見ていると「笑える」のである。
そして毎週1回は、なんだか泣けるところがあるのが、わざとらしいと思っているのにもかかわらず「いい」のである。

まあ無理やりリクツをつけるとそうなのであるが、なんだかとてもピッタシくるというのが真相なのである、と思う。

というわけで、これからの展開が非常に楽しみなのである。

追伸
この物語には「五木ひろし」が五木ひろしとして出ているが、これからも地方を舞台にした場合は、こういう方法が多用されるのではないか、なんて思っているのである。

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旅 いわき市

2008-01-20 21:54:01 | 観た、聴いた
昨日から1泊2日でいわき市へグループ旅行をしてきた。
このグループは4組の夫婦で成る、つまり8人である。

昨日は福島県本宮町で「アサヒビール福島工場」を見学。
あいにく土曜日とあって工場は稼動していなかったものの、案内係の『お姉さん』の解説でお勉強になったし楽しめた。
運転手ということで試飲はできなかったものの、皆のおいしそうな顔を見て「ウマイ!」ということがよくわかった。それに『お姉さん』から運転手として飲まなかったご褒美をいただいたのであった。(運転手は、見学の前にバッチをつけることになっている)

次はいわき市の「塩屋崎」へ行った。
塩屋崎は、古くは「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった『塩屋崎灯台』がある。それから美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑がある。
歌碑を見て「みだれ髪」を聞き、灯台へ登った。いい景色であったが、息が切れたし足が痛くなってしまった。(確実に『老人力』がついてきている)
写真は、みだれ髪の歌碑である。


宿泊は、湯本温泉である。
あいにく予約をしたときにはスパリゾートハワイアンズは満室だったそうで、近くの旅館に宿泊、しかし、フラガールズの「グランドポリネシアンショー」は見に行った。これも満員でようやっと見る場所を確保することができたのであった。

フラガールズの映画以来大好評らしく、ともかく満員なのであった。
ショーも映画を思い出しながら感情移入ができてよかったのである。(多分、映画とショーがだぶるところが人気の原因ではないかと思うのである)
写真はそのショーのラストの踊りである。
             

本日は県立水族館「アクアマリンふくしま」を見学。
水族館や動物園などにはあまり興味のない私も満足する水族館であった。
「バックヤードツアー」なる水族館の裏側も見学ができたし、ゆったりと見ることができた。
写真は水族館の通路。この水槽にいた金魚はちょっと感動モノだった。何しろそれまで色々な魚を見てきたのであるが、なぜかこの金魚にも感動したりしたのであった。


もう一回訪れてみたい「いわき市」であった。

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勝海舟-私に帰せず-(上・下) 津本陽 幻冬舎文庫

2008-01-18 23:43:56 | 読んだ
高校3年のとき、勝海舟と出会った。
子母沢寛の小説とNHKの大河ドラマであった。
(ボンカレーのコマーシャルで笑福亭仁鶴が勝海舟をしていたのもあったなあ)

それ以来勝海舟のファンである。
というか、勝海舟のようになりたい、と思うようになった。
その後、勝海舟に関する本を読み漁った。
勝部真長の解説による「氷川清話」も読んだ。

それで、今回津本陽の小説が出たので早速読んだ。
というより『読まなければならない』という義務感のようなものがあったのだ。

で、早速『結論』なのだが、勝海舟の小説は子母沢寛に限る。

津本版の勝海舟は、資料の掲載が多く、小説というより解説書に近いカンジである。(『史伝』ということらしいが)
勝海舟が生きて動いているのではない。

たぶん著者が最も描きたかった部分は「江戸城無血開城」の部分、つまり勝海舟と西郷隆盛の会談あたりではなかろうか。
このあたり(第2巻の半分くらい)から、物語というか文がイキイキとしてくる。

勝海舟の特徴は「徒党を組まない」というところと「財政(経済)に通じている」というところだと思うのであるが、そのあたりはよく解説してあると思う。

長い時間をかけて読んだ、ということは、グングン読ませるタイプのものではなく、まあ飽きないように読み続けるもののようである。

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外は白い雪の夜 吉田拓郎

2008-01-17 23:03:10 | 観た、聴いた
吉田拓郎の歌には「男女のかけあい」の形のものもある。

デビューアルバムでは「男の子☆女の子」という歌を、中沢厚子と歌っている。
またアルバム『ONLY YOU』では「春を待つ手紙」もそうである。
この二つは吉田拓郎の詞であるが「外は白い雪の夜」は松本隆の詞である。

松本隆の詞の「かけあいふう」では、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が第1である。
ちなみに、木綿のハンカチーフの「返歌」のようなものが「水無し川」ではないかと私は思っている。

さて「外は白い雪の夜」であるが、この歌を聴くたびに思うのは「なぜ拓郎は一人でこの歌を歌ったんだろう」ということである。
1番と3番は男のセリフ、2番と4番は女のセリフである。
誰か女の人とデュエットしたら良かったのになあ、と思うのである。

この歌は
♪傷つけあって生きるより なぐさめあって 別れよう♪
と男が言い、女は
♪今日で別れと知っていながら シャワー浴びたの哀しいでしょう♪
と言って
♪せめて最後の一本を あなた喫うまで いさせてね♪
とか
♪最後の化粧するから 私を綺麗な想い出にして♪
とか
♪席を立つのは あなたから 後姿を見たいから
 いつもあなたの影を踏み 歩いた癖が直らない♪

なんていうのである。

ここまでいわれても別れるのか!
と、つっこみたくたくなる。それほどこの女の人は『いじらしい』と思うのである。

この歌は「情景」が目に浮かぶ。
どこかの店で、黙りあっているカップルを見ると、この歌を思い出したりする。

そしてこの歌は2月の歌ではないか、と勝手に思っているのである。

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チーム・バチスタの栄光(上・下) 海堂尊 宝島社文庫

2008-01-16 22:00:00 | 読んだ
海堂尊の小説「ジーン・ワルツ」を読んで、是非読みたいと思って本屋で探したのだが見当たらず諦めていたら、別の本を探しているときに偶然見つけた。
こういう場合は、即購入である。
絶対逃してはならない。

さて、この物語は、医学が柱である。
チーム・バチスタというのは心臓手術をするチームで、バチスタというのはその手術の名称で正式名称は「左心室縮小形成術」という。この手術技法を創始したR.バチスタ博士の名前からバチスタ手術と呼ばれている。
この手術は平均術死率40%という難しい手術である。

物語の舞台となる東城大学医学部附属病院の桐生助教授がチーム・バチスタを率い、この手術を行い30例のうち27例まで成功し、最近の3例が失敗し術死している。この術死の原因を探ることがこの物語の主題である。

その原因を探るのがこの物語の主人公・田口である。
田口はこの病院の『不定愁訴外来』の医師で、大学の神経内科学教室の講師である。
不定愁訴外来は別名「愚痴内科」である。
この不定愁訴外来についての話も面白いのだが、詳細は本書を読んでもらえばいい。

田口は病院内の権力争いから一歩も二歩も距離を置き、病院内から直に入れない部屋に「不定愁訴外来」の診察室を設け、のんびりと診察をしている。

その田口に病院長の高階から、チーム・バチスタの術死の原因を探るように命じられ、田口は持っている医療技術を応用して、チーム・バチスタの面々から聞き取りを始める。

そうこうしているうちにどうも「術死」というのは殺人事件ではないかということになってくる。
そして登場するのが厚生労働省の技官・白鳥である。
白鳥は田口以上に非常に変なヤツである。

この白鳥が謎を解く。
謎を解くのだが、その解き方というか人との接し方というか、なんとも腹が立つ或いはイライラさせられるのである。

で、怒涛のラストである。

なんだか『冗長』なところとか『アヤシイ表現』(つまりそういう言い方ってあったっけ?というところ)があるが、それを補って余りある面白さである。
登場人物たちの性格(今はキャラっていうんだっけ?)がはっきりしているので、ごちゃ混ぜにならないし、現在の医療問題についてもそうとう厳しく言及しているし、読んで良かった!とおもわされる物語であった。

もうすぐ、映画も公開されるらしい。
マタひとつ楽しみが増えた。

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