読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

鴨川食堂おかわり 柏井壽 小学館文庫

2015-12-20 21:56:20 | 読んだ
前作「鴨川食堂」でファンになり、続編の「おかわり」が発刊(文庫でね)される情報を得て、すぐに予約し入手。
というわりには、読み方が遅かった。

文庫の帯には
「京都発! 食×謎の 美味しい ミステリー!」
とある。

まあ「ミステリー」といえば「ミステリー」ではあるのだろうが、殺人や盗みが発生するわけではない。

京都の東本願寺の近くにある「鴨川食堂」が舞台である。
鴨川食堂は、看板など一切なくそっけないモルタル造りの二階家、である。
したがって、この店を訪れるのは「常連」もしくはこの店に是非行かなければならない人である。

鴨川食堂は「おいしい」店なのだが、もう一つ「探偵業」も行っている。

探偵といっても、依頼者がお願するのは「食べ物」を探すことである。
自分が思い出深い、そして今また食べなければならないものである。

その思い出と食べ物の関係がミステリーなのである。

探偵事務所で依頼を聞くのは、鴨川食堂の娘である「こいし」
そして、実際に探し出してきて料理を作るのは、父親の鴨川流である。

今回「おかわり」では、
1.海苔丼
2.ハンバーグ
3.クリスマスケーキ
4、焼飯
5.中華そば
6.天丼
が、探し出され再現される。

『こういう食堂があったらいいな』
と思うような思い入れのある食べ物はないが、こういう店で普通に何かを食べたいな、とは思う。

ところで、この物語1月からNHKでドラマ化されるとのこと。

おもしろい物語ではあるが、『せつない』物語でもある。
日曜の夜10時から、ということもあり、録画してみようかなと思っている。

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大獄 葉室麟 文藝春秋2016.1月号 連載開始

2015-12-13 21:15:45 | 読んだ
葉室麟の小説が文芸春秋の今月号から連載開始となった。

主人公は「西郷隆盛」である。

西郷隆盛に関する小説を読みたいと若いころから思っていた。

最初に目を付けたのが海音寺潮五郎のものだったが、なぜか出会えなかった。
読みたいという時期に出合えないと、なかなか読めないものである。

で、丁度いい時期に出合ったのが、池波正太郎のものであった。
読んで面白いとは思ったものの、なんだか「駆け足でたどった」という印象であった。

その後も、時機を失しているのであるが、今回連載開始ということで大いに期待をしているところである。

西郷隆盛は、子母沢寛の勝海舟を読んですごい人なんだなあ、と思ったのが最初である。

その小説の中で、西郷隆盛を坂本竜馬がこう評している。
「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした」

これを読んでから、西郷隆盛という人はどういう人なんだろう?
と思った。

さて、これからこの連載を読んでいくのであるが、実は、勝海舟を読んでからその後幕末物の本を読むうちに、西郷隆盛に対する気持ちが変化してきている。

それは、明治維新が行われた中で、相当の陰謀が実行されていて、その陰謀はほとんど薩摩、つまり西郷隆盛と大久保利通が行ったのではないかということである。

例えば、不逞浪士による治安の妨害、ええじゃないか騒動、特に江戸では薩摩藩邸の焼き討ち事件が起きていることなどは、当時の人たちが薩摩の陰謀を知っていたことによるものではないか。

更に政治的な陰謀も相当行われたと思われるが、その後このような陰謀については大きな声では言われなくなった。
それは、やっぱり薩摩が勝利者となったからではないか。

そして、西郷隆盛の大きさを宣伝して(勝海舟もこの役目を担ったのではないか)そのような陰謀説を潰していったように思える。
それはちょうど、豊臣秀吉の末期の悪政をかくして太閤記として明るいイメージを作ったことと同様に思うのである。

薩摩は明るく真っ正直、というのはどうも眉唾に思えるのである。
どちらかといえば、長州のほうがバカ正直に幕末を過ごしていたように思う。

というようなことを踏まえて新しい西郷隆盛像が読めればいいな、と思うのであるが、第一回を読むとやっぱり従来の西郷隆盛像のような気がする。

ああ、だれか豊臣秀吉と西郷隆盛を大悪人として描いてくれないだろうか。

まあ、そういうことを思いながら、毎月楽しみにして読んでいこう。


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孤独のグルメ 巡礼ガイド2 扶桑社

2015-12-06 17:11:30 | 読んだ
なんだかワタワタしているうちに12月6日になってしまった。

さて、前回に引き続き「孤独のグルメ」である。
今回は『巡礼ガイド』ということで、内容はテレビのSeason4をがに登場した店、更に1~3の中から名店、そして原作に登場した店を紹介している。

この本に紹介されている店のどこに行こうか、と思案するのがもっともこの本の楽しいところである。
で、大体は満足するのであるが、何しろ、こういうガイド本は「いいところ」をメインとしているので、実際に行ってみると「あれ?」というところがある。私はその「あれ?」が好きである。
紹介されてあるままでは、なんだかおもしろくないではないか。

そういえば、近頃は料理番組でなくても「食レポ」を多くの人がするようになってきた、一億総活躍というよりは一億総グルメリポーターのようである。

これは、一つには「美味んぼ」の影響ではないかと思うのであるが、あれは漫画ゆえに、美味しさを伝えるには「言葉」と「表情」しかなかった。
だけど、例えば私には「まったりした味」というのはよくわからない。
或は「繊細な」という表現をされると「ああそうなの」とは思うが、繊細な味を口の中に思い浮かべることができない。

そういう意味ではこの「孤独のグルメ」の井之頭五郎はいい。

バーンと作られた料理をドーンと食べる。

これがいいのだ。

テレビなどで紹介される店は、いろいろなこだわりを出してくるが、どうもそのこだわりが怪しい。

たとえば、活きのいい魚しか使わない、という店の刺身の横にあるワサビが練り物だったりする。
本物のわさびを使わないという「こだわり」なんだろうか。

また、日本酒の種類をそろえている店に行って、その酒に合う肴を、なんていうものよくあるパターン。
そんなもん、呑みたい酒と食べたい肴にしたらいいじゃない。
「ウーン、あう」なんていっているのを見ると腹が立つ。

うちは日本酒、というこだわりの店にアサヒのドライがあったり、グレープフルーツサワ-とかウーロンハイがあるのは、どういうことだ。

私はそれが悪いは思わないが、あまり「こだわり」を強調されるといかがなものかと思うのである。
で、そのこだわりを素人までがアレコレいうようになってきているのが気に入らない。

以前の私もそういうタイプに近づこうとしていたのであるが、近頃は、というか井之頭五郎に出会ってからは、バーンと作られたものをドーンと食べようと思うようになった。

年を重ねてきたら、なんというかいつも食べているものでいいやと思うようになった。
畏まっていただくようなことはできる限り避けたい。

日本酒の種類を多くそろえている店で、燗の酒を頼むと、「燗ですか?」のような対応をされたり、燗の酒は選べない、というようなことが多いので、だんだんつむじが曲がってきていることは認める。

いいじゃないの。自分の好きなものを食べて呑んで。それが、こだわりのある人から見ればめちゃくちゃであったとしても。

そういう思いを「孤独のグルメ=井之頭五郎」は、応援してくれているような気がする。

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孤独のグルメ2 久住昌之:原作 谷口ジロー:作画 扶桑社

2015-12-02 23:38:22 | 読んだ
実は、発売されてすぐに購入した。
テレビではSeason5が始まった。BSのやつを録画しているが、まだよく見ていない。

近頃テレビの録画は「このて」のものが多い。
吉田類の酒場放浪記、おんな酒場放浪記そして夕焼け酒場はずっと録画していたのだが、この秋からは、孤独のグルメ、BARレモンハート、ワカコ酒と増えてしまった。

で、思うのだが、原作のあるものの実写化は難しい。

今週から放送している、孤独のグルメ、レモンハート、ワカコ酒のうち、原作の漫画のほうがいいと思うのはレモンハートで、孤独のグルメとワカコ酒は実写版に軍配を上げてしまう。

レモンハートは酒のウンチクものなので、漫画でもテレビでも想像するしかない。
孤独のグルメとワカコ酒は、おいしいものを食べるもの(ワカコ酒は酒も飲むが)だけに、顔の表情と実写でおいしさが伝わる。

そういえば、近頃は、本を読むよりテレビを見るほうが多くなってきた。
その理由は「想像力」なのかもしれない。

観る(見る)ということは、読むよりも情報が入ってくる。
以前は活字を読むことによって、いろいろと想像ができていたのだが、近頃は想像することが面倒くさい。

「想像力の欠如」というのは、先ず第一に想像することができなくなることだとは思うが、実は想像するものが現実的な者になってしまうことなのではないだろうか。
子供のころ、いろいろな物語を読むと、いろいろがことを想像した。
極端な話、小公子を読むと、イギリスの貴族の生活だけではなく、例えば自分もどこかに遺産をくれる親戚がいるのではないか、その時はどうふるまおうか、とか、もう想像というか妄想は広がっていったものであった。

また、青春時代に例えば司馬遼太郎の小説を読めば、ああ土方歳三に逢えたらどうしようかとか、勝海舟に師事したいとか、そんなことまで思ったものだが・・・

今は、本を読んでもそこまで想像はしない。
そういうことか。もうちょっと別な生き方があるんじゃないか。
などと、どちらかといえば登場人物を批評していたりする。

また、テレビドラマ特にサスペンスはどんな難しいトリックであっても、まあ2時間後には解決する。大体1時間半も経てば犯人はわかる。
それに、物語自体大きなどんでん返しがあろうと、出演者で大体わかる。
という安心感がある。
これが、本を読んでいると、犯人を捜すのも疲れてくる。

自分はあとどれくらいで犯人にたどりつくのか?
これ、月刊誌の連載などはつらい。

そんな「カラダ」になってしまったのである。

そしてもう一つ。
近頃は「食べる」ということにあまり魅かれない。
食べる量も少なくなったし、油ものはちょっとなあ、というカンジ。

というわけで「孤独のグルメ」
読んでもあまり面白くなくなってきた。(この比較は、以前夢中になって読んだときとのもの)
実写版で松重豊がおいしそうに食べる姿のほうは、「おおっ!」という感動がある。

食べ物に対する「姿勢」、食べ物に対する独特の「感覚」、何でも食べる「胃袋」
は、原作があってのことなのだとわかっているのであるが・・・

やっぱり実写版がいい。
つまり私は「堕落」したのかもしれない。
嗚呼。

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