読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

あと二つ

2005-08-31 22:11:37 | イーグルス
楽天イーグルス、今日は勝った。
これであと二つ勝てば、なんとか100敗を免れることになった。

ファンクラブ会員としては非常に申し訳ないのだが、まだ、観戦をしていない。
別に、特別な理由もないのだが、都合があわないといえばそうだし、心が強く動かないといえばそれもそうだし・・・
行って「負ける」というのがイヤというのもあるし。

楽天がそうそう勝てないだろう、というのは理屈の上ではわかっているが、それでも何とかやれるのではないかという、淡い期待はあった。
しかし、同じプロでもこんなにも違うのだろうか?
と思わされる展開である。

「気持」の問題が大きいのかなあ、とも思うし、所詮力が足りない、といえばそうかもしれないし・・・

負け続けても、明日に希望がある球団でいてほしい。
ただそう思うだけである。

それにしても本日の朝井の勝利は大きい。
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美味んぼ92(桜エビ大作戦)&日本の合戦11

2005-08-30 23:06:08 | 読んだ
変な組合せであるが、本日購入したものである。
このほかに「週刊朝日」そして「りらく」(多分宮城県のみの販売、中高年向きのタウン誌ってカンジか)

この4冊を買うなんて、私が本屋さんであったら「どんな人なんだろう?」と思ってしまう。

さて今回の「美味んぼ」は、あまり面白くなかった。全部で5話あるが、どれも以前あったような、デジャブをみているような印象。
それもこれも、登場人物にパワーがなくなってきたことによるのではないか、と思うのだが・・・

一方、日本の合戦11は「平知盛・教経と屋島・壇ノ浦の合戦」である。
NHKテレビ「義経」とタイアップしたのではないかというタイミング。というか一方的にタイアップしたんでしょうね。先週号は「源義経と一ノ谷の合戦」でしたから。

来週の義経は「壇ノ浦の合戦」だそうで、この本を眺めながらドラマを見るのも一興であろう。
ただ近頃の時代劇は、格好だけであって、登場人物たちの考え方も話し方も現代であって、時代劇・歴史劇としてみるのは「ええっ!?」という部分もあるので、その辺はそれなりにみなければならないが・・・

この本を買っている最大の理由は「合戦俯瞰図」である。
屋島については、今まで想像していた地形と大いに違って嬉しかった。なんかすっきりしたというか・・・。

ということで・・・
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第133回芥川賞 文芸春秋9月号

2005-08-29 22:37:31 | 日々雑感
芥川賞選評を読むと、ほとんどの人が「今回は低調であった」とか「水準が低かった」「質が低かった」「私はひとつも丸をつけなかった」ということを書いている。

だったら選ぶなよ!
とつっこみを入れたいところだが、それでは低いところで並んでいたなかから選ばれた「土の中の子供」(中村文則)を読んでやろうじゃないか、と変に力が入ってしまった。

しかし、出だし
「あらゆる方向からのバイクの光で、逃げ道がないことを知った」
で、プワーっとなってしまった。

こういう出だしに弱いのである。
弱いというのは、もう読めないということなのである。
なんだか「恥ずかしい」のだ、こういう出だし。

読んでいて恥ずかしくなるような文章というのがある。
で、もうダメなのである。読み続けられない。

でも、ガマン、して読み続けたが、遂にはページをめくる手がいうことをきかない。ので、途中でやめた。

どうもこの手の小説、読物は合わないらしい。
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「仕掛人 藤枝梅安」 池波正太郎 講談社文庫

2005-08-28 21:33:18 | 読んだ
夏の読物にはどうかと思ったが、池波正太郎の梅安シリーズを読み返した。
今回は、第1巻は以前書いたので、今回は第2巻「梅安蟻地獄」と第3巻「梅安最合傘」である。

池波正太郎のファンではあるが、この仕掛人ものは好みでなかった。だから第3巻までしか持っておらず、それを読み終えて、第4巻を買ってしまった。

時がたつと、同じ物語なのに受け止め方が変わって、面白くなったり、あれ何で昔はあんなに感動したりしたんだろう、なんて思ったりする。
これだから読書はやめられない。
若いときに出会ってもダメなものがあり、若いときだからこそ出会うものがある。
この仕掛人シリーズは前者に該当する。

仕掛人シリーズの主人公は「藤枝梅安」針医者であるが、陰では金をもらって人殺しをする。
つまり、正業としての針医者は金をもらって人を生かし、その針を使って陰では人を殺すという、矛盾、を行っているのである。

「人は良いことをしながら、悪いことをしている」というのがこの物語のテーマである。
確かに人は矛盾だらけである。
そしてその矛盾に気づいて生きているかどうかが、その人の人生を幅広く底深くするのではないかと思っているのだが、どうだろう。
矛盾を許せない或いは認めないということは「建前」の世界であり、建前だけで生きていけるのなら、どんなにか楽であろう。

さて、池波正太郎のシリーズものといえば、鬼平犯科帳(オール読物:文藝春秋社)剣客商売(小説新潮:新潮社)そしてこの仕掛人藤枝梅安(小説現代:講談社)となるのだが、それぞれの主人公の違いが面白い。

鬼平は長谷川平蔵、幕府役人:火付盗賊改め方である。
剣客商売は秋山小兵衛、民間人であるが息子大治郎の嫁三冬の父は幕府老中、田沼意次である。
そして、藤枝梅安は民間人・針医者であり、闇の世界に生きているので、いわゆる「お上」とは縁がない。

また、長谷川平蔵や秋山小兵衛は、自らの倫理観により、人を斬る。そしてその倫理観は「正義」である。
しかし、梅安は、倫理観・正義感を持っているが、金で請け負えば人を殺す。

この辺が、藤枝梅安シリーズを暗くしている原因ではないか。
確かに、仕掛にあう人は「悪人」ではあるが、梅安にとっては直接の殺害動機はないのだ。だから時には、それほどでもない人を仕掛けたりする。(もっともその落とし前はきっちりつけるが)

鬼平や小兵衛が、人を斬っても、世間は喝采をするが、梅安は表立って喝采を受けることがない。その辺の「屈折感」がたまらない。
物語にはでてはこないが、梅安は達成感をおおきく表すことができない「苛立ち」みたいなものがあるのではないだろうか。

その「苛立ち」を抑えるために、一生懸命針治療に励んだりする。
或いは、ひょんなことから知り合いとなった、同じ仕掛人の彦次郎と酒を酌み交わしたり、いきつけの料亭「井筒」の女中おもんとの情交だったりするのではないか。

鬼平や小兵衛は、達成感を素直に表すことができ、仲間と「慰労会」のようなものができるが、梅安は仕掛のあと深く沈むのである。仕掛までが充実しているのであって、そのあとにやってくるのは「疲労感」と「虚しさ」なのではないだろうか。

その辺が昔若いときには、何とはなしに「イヤ」だったんだろう。
今は、その「疲労感」や「虚しさ」になんだか共鳴してしまうのである。

この続きは、第4巻を読み終えてからまたしようと思う。
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劇画 自民党総裁 さいとうたかを

2005-08-27 23:41:05 | 読んだ
本日は日直だった。ヒマつぶしにコンビニで買ったのが、このマンガ。
①苦闘 田中角栄
②激闘 三木武夫vs福田赳夫
の二冊で「劇画 小説吉田学校」を再編集したもの。

「小説吉田学校」は、原作戸川猪佐武である。
この本は若い時分に読んだ。面白かった。
それが、劇画になって、今回コンビニ用でまた売られている。

今の自民党がどのようにしてきたかの一部分を改めて認識することができる。
また、自民党というのは、もともと、派閥の集まりで、党のなかに党があったようなもの、ということも改めて確認できる。

自民党も暴力団も組織的には同じ、そして仁義なき戦いも同じである。
今日の友は明日の敵、敵の敵は味方、なのである。

そしてもうひとつ、派閥は考え方が同じで集まったのではなく「縁」で集まっていること。
このことが、仁義なき戦い、の主要因でもある。

今回の自民党のゴタゴタも、つまり考え方が違うのに、上から押さえつけようとするところに「反発」があった。
もともと「政党」というのは考え方が同じであるはずだし、同じにすべきものでもある。
そういう意味では、小泉さんは、ある種理屈はスッキリしている。

これまでの自民党が「曖昧」であり「ボーダレス」であり「妥協」を重ねてきた。
この手法を生かすために「金」を基準としてきた。
といえる。

しかし、それは右肩上がりで経済が伸びているとき、皆の関心事がある程度集約されていたときに有効な手法である。

この劇画に描かれている時代、つまり昭和47年から52年頃は、高度成長の伸びが止まりだした頃で、人々の考え方が拡散し始める頃である。
吉田、池田、佐藤のような長期政権ではなく、自民党の総裁はコロコロ変わり始め、人々の考え方(=ニーズ)に応えようとする。
しかし、自民党の体質は旧態依然、そこに「物語」が生じる。

以前はあまりそんなことも考えずに、まあイロイロな人がいるなあ、と思って読んだものだが、今は「人の世というのは、なんだかはかないなあ」と思えるのである。

自民党の総裁になろうと、いわゆる三角大福(三木、田中角栄、大平、福田)はありとあらゆる手段を使い、総裁になれば延命を図ろうとする。
この本を読むと、それだけしかしていないカンジがする。

本来政治家は、自分の政策を実行するのが目的のはずだが、目的を果たすためには「権力」を得なければならない、そして遂には権力を得ることが目的になってしまう。

そんな哀しい人たちの物語、とも言えるのである。

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女流棋士 高橋和(やまと) 講談社文庫

2005-08-26 23:12:53 | 読んだ
著者は高橋和(「やまと」と読みます)。
女流棋士(将棋のプロ)です。今年2月に引退しました。
この人の自伝です。

で、私が興味を持ったのはというか読みたかったのは「棋士時代」のこと。どのような将棋を指し、勝負をしていたときの気持、負けたときのショック・・・

ところが、この自伝の多くはプロになってからの部分、そして将棋の話が少ない。
ここでチョットガッカリした。

高橋和は、4歳で交通事故にあい、左足に障害をもつことになる。
このことは「やまと」本人と両親におおきな心の傷ともなる。そのことがこの自伝の「主」の部分となっている。

中学3年生で「やまと」は女流プロになる。

プロになると本来は「強い」ことが人気の要因になるのだが、「やまと」は「可愛い」ということで人気がでる。「棋界のアイドル」になってしまったのだ。
私も、将棋世界の本などをみて「おお、可愛い女流がでてきたな」と思ったものだ。
将棋の強烈なファンでもない私でさえ「やまと」を知っているのだから、将棋ファンの間ではすごく有名になってしまった。

人気は出るが、実力はナカナカ追いつかない。
このことが「やまと」の将棋人生を追い詰める。

その辺のことが知りたかったが、わりとあっさり、流されてしまった。
それでも「読める」エッセイではある。

尚、彼女は現在、小説家の大崎善生夫人である。
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ポアロ

2005-08-25 23:00:31 | 観た、聴いた
BSで20時から約一時間半「ポアロ」を放送している。
23日「ナイルに死す」
24日「杉の棺」
25日「5匹の子豚」
そして明日は「ホロー荘の殺人」である。

海外のサスペンスの一番いいのは、配役、で犯人がわからないことである。
だから、なんとなくコイツが犯人?と思っても自信がもてない。
それがとてもいい。
日本のサスペンスは配役で犯人が推理できるところが哀しい。

アガサクリスティーの作品は、なんだか「ズルイ」という部分もあるが、それは言ってみれば推理小説の宿命。
ポアロは最後に一同を集めて「謎解き」をする。
ここが、私にとっては「いい」のだ。

実際にはそんなことがあるわけがないが、一堂に会して、「ハイあなたが犯人」はオモシロイ。
それに俳優もこの場面が一番気合が入っている。

というわけで、明日もポアロである。
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カタログ

2005-08-24 23:50:16 | 日々雑感
「通販」というものはあまり好きではない。
なんだか「アヤシイ」という感じがするのである。それはもとより私の思い込みにすぎない、ということはわかっているのである。でも・・・なのである。

ところが近年、結婚式の引出物が「カタログ」から選ぶ、という方式になってきている。これが非常に困る。
なんでもいいから「ブツ」でいただいたほうが「あきらめ」もつくというものだ。

このカタログから選ぶというのが、楽しいようで苦痛なのである。
「いいものがあったら選ぶ」
ということではなくて
「何か選ばなくてはならない」
というのは、なんだかつらい。

しかも「これだ!」というのはないのである。
そして「締め切り」というのがある。

このカタログから選んだもので成功したためしがない。
というわけで、カタログをひろげては、ため息をついているのである。

追伸
 「小説新潮」9月号にも「山口百恵」の記事が出ている。そのしょっぱなに「山口 百恵ブームだという。」とでている。そうかブームなのかあ・・・
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妻・山口百恵の真実 奥野修司 文芸春秋9月号

2005-08-23 23:30:53 | 読んだ
今、山口百恵が語られている。
というのは、文芸春秋を読む前に、週刊朝日でも特集をしていたからだ。
何故、まだ、山口百恵なのか、というのが、素直な疑問である。

私は、山口百恵の二つ年上である。リアルタイムで山口百恵を経験しているといえる。
もっとも、深く山口百恵を経験しているわけではないが・・・それにどちらかといえば桜田淳子派であった。

桜田淳子は、いわゆる正統派のアイドルであった。山口百恵はチョット異質のアイドルであった。暗かった、危なかった、そんな印象がある。

「あなたが望むなら、私何をされてもいいわ」
なんて
「なんじゃこりゃ」
というかんじで、キワモノになってしまうのではないか、なんて思っていたりした。

さて、この文芸春秋の読物は、三浦友和へのインタビューを中心に構成されている。
特に、スクープ的なものはなく、山口百恵はいつまでたっても「普通」になれないもかなあ。という印象である。
これから、雑誌でもっと取り上げられるのだろうか?
それを自分は読むだろうか?
僕は山口百恵の何を知りたいのだろうか?そして知らなければならないのだろうか?

読んでいくうちに、徐々に、せつなくなってきたのである。

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ソフトボール負ける

2005-08-21 22:08:50 | 日々雑感
自信満々、今年こそは優勝!と思い臨んだ大会。
あえなく一回戦負けに終わった。

監督として情けなく、選手としてやりきれなく、ガッカリした日であった。
試合前の相手の練習、整列をして一礼をしたとき「これは楽勝」と思ったのが敗因。自信過剰というのでしょうか・・・

負け試合は、暑さがよりきびしく、疲れは倍になり、ダイビングキャッチを試みて失敗してしかもすりむいたところはヒリヒリして、おまけに日に焼けて身体は熱いし・・・いいところなどひとつもなく・・・

というわけで本を読む気力もない。・・・トホホ
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残暑・・ざんしょ

2005-08-20 23:25:45 | 日々雑感
今日の天気予報は、曇り時々雨、であったはず。
しかし、朝から暑い。そして、一日中陽が照りつけていたではないか。
しかも、今朝はソフトボールの練習(明日は市の大会)をしたものだから、一日中汗がとまらない。

こんなに汗をかいた夏というのも久しぶりである。
クールビズ、というやつで、仕事場も28度の設定のため、汗をかくようになった。で、汗をかきやすい体質になったのではないか、と思うのだ。

というのは、昨年までは冷房がきつく、外にでてくるとホッとしていたのだ。当然、汗をかくなんてことはなく(なにしろ長袖のシャツにネクタイだった)、汗をかかないような体質であったような気がする。

したがって、今年の夏は本来の夏、立ったような気がする・・・が、暑い!
自分はこんなにも暑さに弱かっただろうか?と思うくらい暑い!

というわけで、残暑お見舞い申し上げます。

明日も暑いらしいがソフトボールの大会だ。目指せ優勝!
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甲子園・東北高校敗れる

2005-08-18 22:22:48 | 日々雑感
5回に逆転した時には、もらった、と思ったんだけどなあ。
平田、一人にやられてしまった。

外そうと思っても、スーッと中に入っていく、というか呼び込む力を持っている打者にはかなわない。
来たボールを打ち返してヒットや本塁打にしてしまう打者もすごいが、ボールを呼び込む打者はもっとスゴイ。大きくなって欲しい。

とはいえ、ちゃんと外す指示をしないのはベンチのミスだな。
「勝ち負けにこだわらずいい試合さえできればいいんです」というのは負け惜しみ、いい試合をして尚且つ勝つのが一番。

それでも今年の東北高校はよくやった。これほどまでにいくとは思わなかった。
昨年のチームに対する意地みたいなものがあったんだろうか。

ということで、今年の夏、は終わったのであった。
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地震!宮城県

2005-08-16 21:50:49 | 日々雑感
本日地震がありました。
震度5弱ということです。

最初小さな地震で続いてものすごい地鳴り、これで外に飛び出しました。
そして本格的な揺れ。
ですが、立っていられました。

ということで、わりと冷静に、震度のわりには揺れなかったなあ、とか、これが(将来発生するといわれている)宮城県沖地震だったらいいのになあ、なんて言っていました。
もう我々は地震慣れしてますから。

とりあえず震度5なので、我々の職場は非常配置となったのですが、それもすぐに解除されるくらいで、被害は皆無とは言いませんがないと同じくらいですみました。

ところで、地震の状況を表すテレビを観ていて思うのですが、どうしてテレビ局の事務室の中はあんなに乱雑なのでしょう。
だれも片付けることはできないのでしょうか。
それとも地震のときの状況がよくわかるから乱雑にしているのでしょうか。それじゃ「ヤラセ」だっちゅうの。

そして「紙」だらけ、環境問題を考えているのか!それでなくても電気を多く使っているのに・・・!

片付けることもできないような人たちに真実を伝えることができるのか「物が落ちたり倒れないような措置をしてください」なんて、よく言えるもんだ。

というわけで、地震、の話があっち方に行ってしまった。
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西の魔女が死んだ 梨木香穂 新潮文庫

2005-08-15 21:21:49 | 読んだ
いい物語であると思う。
普遍的世界であると思う。

でも・・・私向きではありません。
というか、私、読むには年をとりすぎました。
主人公の「まい」の父母より、西の魔女ことおばあさんの考えに近いです。
ですから、主人公の「まい」ちゃんが新鮮に感じられることがないのだ。

「まい」ちゃんは、日常生活に傷ついて、おばあさんのところで静養して、魔女修行をして日常生活に戻っていくわけです。
魔女修行といったって、いわば日常生活のなかでいかに周りと折り合いをつけるために「我慢」する修行のようなもの・・・自分のことは自分で決める・・・ということを学ぶものなのだが。
このことも、私には新鮮ではないわけで・・・そういう意味において、私向きではないということなのである。

現代というか近年の子供たち(大人もかな)は「繊細」である。ただし自分に対してだけ「繊細」だと思う。
他人に対しても「繊細」になろうとしたとき、「我慢」とか「覚悟」とか覚えるんではないだろうか。
そういう意味では、自分に対して少し鈍感になったほうがいいのではないだろうか。

思春期は自分に対してすごく敏感で繊細になる時期ではあるが、昔は自分の内面だけにかまっていられなかったから、鈍感にならざるを得なかったわけである・・・

というわけで、この物語は、少女の繊細さがキレイに描かれているものである、ということかな。
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仁義なき戦い1~5 -映画-

2005-08-14 18:51:59 | 観た、聴いた
wowowで「仁義なき戦い」を一挙放送!
ということで観ました。

「仁義なき戦い」は1973年に第1作、第2作は「広島死闘編」、第3作「代理戦争」そして1974年に第4作「頂上作戦」第5作「完結編」とある。
これを一挙に昨日と本日で放映をしたのだ。そしてそれを観た。(ヒマなヤツだなあ)そして明日からは「新・仁義なき戦い」を放映するらしい。

自民党が「仁義なき戦い」をしている時期になんというタイミング。全く時宜を得た企画といえるべきである。

さて「仁義なき戦い」は、第2次世界大戦終了後の広島を舞台にしたいわゆる「ヤクザ」の争いを描いたものである。
その争いは「昨日の敵は今日の友」であり「今日の友は明日の敵」といった、誰が敵で味方は誰かといった状況なのである。

ヤクザは「スジ」を通し「義理」を欠かないことを存在意義にしているのだが、この広島の争いは「任侠」なんてないのである。
だから「仁義なき戦い」なのである。

人が集まったとき「組織」ができ「組織」が何かをしようとしたとき他の組織との「軋轢」が生じる。
その軋轢を解決するのは、通常は「法」である「倫理」である。
ヤクザ世界では任侠とか仁義である。

しかし、本当に人の世界はそれでもって「軋轢」が解消されているだろうか。
「否」というのがこの映画の描きたかったものだろう、と思う。

「スジ」というのは視点やその立ち位置によって違う。つまり「正義」というのは唯一というのはないのだ。争って勝った者が「正義」になるだけなのだ。ということを仁義なき戦いは教えてくれるのだ。

それは「ヤクザ」世界だけでなく、人の住むところ全てにあるように思える。今の世の中、今度の選挙でもあるのだ。そして我々の所属する組織についても「仁義なき戦い」は常に存在している。

それに疲れたり、参加したくないのなら「カタギ」になるしかない、と思う。
何らかの組織に所属していれば「カタギ」ではない、死ぬまで闘わなければならないのだ。
そのときに自分の信じた「スジ」を通そうとしても、恩・情・義理に殉じても、どこかで「仁義なき戦い」に巻き込まれることを覚悟していなければならない。

人が生きる、というのは、ある意味「哀しい」ものなのである。
しかし、それ以上に増して「楽しい」ことがあるはずなのである。

映画中のセリフで主人公「広能」が言うセリフ

娑婆のもんは青信号でも信じられんワシじゃ。まして人の心の中はの・・・

偽ざる気持ではないか。我々も時としてこんな気持になることがある、それでもまた誰かを信じているのである。
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