読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

今宵、バーで謎解きを  鯨統一郎 光文社文庫

2013-05-15 22:38:41 | 読んだ
シリーズ第3弾である。

渋谷区のバー「森へ抜ける道」が舞台。
そこにはマスター島と、常連の探偵・工藤とライターの山内がいる。
この3人は「ヤクドシトリオ」と自称している。

物語は、ワインを飲みながらこの3人のバカっ話から始まる。
本書には7つの物語が収められているが、そのバカっ話はだいたい次のとおりである。

1.ゼウスの末裔たち  給食の話。脱脂粉乳だのミルメークだの

2.アリアドネの糸   遊びの話。ゴムとび、リリアン、鉄棒、スーパーボール、じゃんけんほかほか北海道とか

3.トロイアの贈り物  モコモコアイス、わたなべのジュースの素、切手収集
 
4.ヘラクレスの棺   遠足、運動会、修学旅行、ダルマストーブ

5.メデューサの呪い  学研の「学習」「科学」、体育館で見た映画、ポートボール

6.スピンクスの問い  言葉遊び、なぞなぞ

7.パンドラの真実   夏祭りの型抜き、夏休み<肝油、ラジオ体操、昆虫採集>

ここに書いたのは内容を省いているが、かなりバカな話をしている。
と、客観的にみるとそう思うのだが、通常酒場ではだいたいバカな話をしているので、多分、自分が酒を飲んで話をしているのを冷静に観察すると、相当おバカさんに見えるのだと思う。

物語は最初ワインの話から始まって、次にバカっ話になり、そこから近頃起きた事件の話となる。
もちろんその事件はフィクションである。

そして、そこからこの物語の探偵役である美人大学院生・桜川東子(はるこ)が登場する。

各短編の題名がギリシャ神話にちなんだものであるが、東子は3人が語る未解決の難事件を、ギリシャ神話の大多淫な解釈で謎解きをするのである。

これもまあ冷静に考えると、そんな都合がいいようにいくか?とか突っ込みたくなるのだけれど・・・

事件のことよりバカっ話をもっと膨らませて、なんて思っているのは私だけでしょうか。

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冥きより -慶次郎縁側日記ー 北原亞以子  小説新潮4月号

2013-05-08 23:07:22 | 読んだ
作者の北原亞以子さんは、本年3月12日に亡くなられた。

小説新潮4月号は3月発売であるが、発売された時にはすでに亡くなられていた。
したがってこの作品は遺作であるといえる。

慶次郎縁側日記は時代小説である。
主人公は森口慶次郎。元同心である。

物語の最初のうちは森口慶次郎が活躍していたが、近頃はわき役のように登場するだけになった。
しかし、やっぱり慶次郎縁側日記なのである。
このあたりは、読んでみないとわからない。

さて病身の作者が描いた最後の慶次郎縁側日記の主人公(というかゲスト)は「おゆう」である。
ある日、おゆうの夫と娘と息子が事故に会い、夫は寝たきり娘は失明そして息子は亡くなった。それまでは幸せな生活であったが、事故のあとから苦しい生活が続き、ついには身を売るようになっていた。

事故は、旗本の乗った馬が原因。
その旗本は誰かはわからない。

それで、このあたりから読んでいてもよくわからなくなるのだが、どうもおゆうは事故の原因となった旗本を同心がかばってなにもなかったことにしてしまったと、思っているようなのである。
その同心は秋山忠太郎というらしい。
しかし、おゆうは森口慶次郎を秋山と間違え、森口の住んでいる寮を見張っている。

そこで、なぜか、慶次郎と一緒に住んでいる佐七がおゆうをみそめる。

というような筋立てなのであるが、どうもよくわからない。

それでも、一つ一つの場面に人の心の動きが現れていて、なんだか切なくなる。

ところで題名の「冥きより」というのは、物語の中ででてくるのだが「くらきより、くらきにいでて」と紹介されている。 

慶次郎の解説では『恋の闇路に迷ったあげく、更に濃く深い闇に出てしまったってうた』らしいのだが・・・
なんだか最後の作品が「冥きより」というのは印象深いものがある。

これを最後に慶次郎縁側日記が読めないのかと思うとさびしいものがある。

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春風伝 高杉晋作・萩花の詩  葉室麟  小説新潮2011.4~2012.8月号

2013-05-06 17:37:29 | 読んだ
小説新潮に連載されていた小説で近頃単行本になったらしい。
4月は小説新潮をひっぱり出してきてこれを読んでいた。

高杉晋作は知っている。(会ったことはないけれど)
知ってはいるけれど、いろいろな物語の主人公ではない登場人物としてであって、詳しくはない人物であった。

私の幕末に関する思いは、司馬遼太郎の「燃えよ剣」と子母沢寛の「勝海舟」なので、どちらかといえば幕府側である。
そして、私の住んでいるところは伊達藩内であり、小学校6年生の修学旅行が会津若松だったので白虎隊の飯盛山に行ったりしたので、どうしたって佐幕派である。

だからあまり討幕側の人たちが主人公の小説は好きになれない。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は読んだけれども、感情移入の量は少なかった。
もっと言えば明治政府があまり好きにはなれない。
薩長が太平洋戦争を起こし敗戦国にしたと、思ったりしている。

薩長でも特に長州は嫌い。薩摩はなんとなく許せるかなあ、くらいである。
いろいろな幕末ものを読んでいると、どうしてもそうなってしまう。

そういう私が、高杉晋作を読むのは、ただなんとなくという気持ちと、著者が葉室麟だということだけである。

何故長州が嫌いか?ということだが、どうも私に似ているというか私が似ているからかもしれないと、近頃思っている。
理屈っぽくて、頭で納得しないと行動できない。理屈で納得したら他の理屈は受け入れない。
そんなところが嫌なのかもしれない。

本書に登場する高杉晋作もそういう長州が嫌いだったんだと思う。
だから、長州を或いは日本を壊そうと思ったのではないか。
この「壊す」というのは「体制を壊す」ということではなくて、どちらかといえば「今の生き方」を壊そうとしていたのではないか。

高杉は政治は嫌いだったように思える。しかし、政治的に動かなければならない。
そのあたりのジレンマが「壊す」ということにあったように思える。

しかし「壊す」ことは考えられても「創る」ことが曖昧だったように思える。
そのあたりが、幕末期の限界だったように思える。

それにしても、高杉晋作、爽やかである。
というか、爽やかすぎる。

本書を読んだ後に爽やかな春風が心を吹き抜けていく。

ちなみに「春風伝」の「春風」とは高杉晋作の『諱(いみな)』である。

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おしん NHKドラマ

2013-05-05 11:57:28 | 観た、聴いた
近頃は毎週日曜日の午前中はNHKBSの「おしん」を見ている。

今は、おしん役を田中裕子が演じ、結婚をして新しい仕事(子供服の縫製)をしているところである。

「おしん」といえば、小林綾子が演じていた子供時代が面白い。
子供ながら辛抱し苦労をしていながら明日への希望を失わない、これでもかこれでもかというくらいの試練を切り抜けていく。そしてそういう「おしん」を助けてくれる人が必ずいた。
それが「泣ける」のである。

でも、助けてくれるのは必ず「女の人」である。

橋田壽賀子のドラマはあまり多く見ないのであるが、登場する男はほとんどダメ男である。
ダメ男としっかり女の組み合わせは面白いドラマになるのかもしれないが、観ているほうの男ととしては「なんだかなあ」の気分が募る。

そうしていううちに、こういう部分(男のずるいところとかダメなところ)は俺にもあるなあ、なんて気づいてしまい、ああもう見るのをやめた、となってしまう。

というところを今回は辛抱してみようと思っている。
おしんをじっくり見るのは今回で2回目であるが、前回はおしんが佐賀に行ったあたりで辛抱できなくなり、あっさりみるようになってしまった。

で、今回は1週間分を1回で見るのでスジがよくわかる。
朝の連続ドラマって近頃やっと気づいたのであるが、おしんのころから1週間完結の筋立てなんだね。

さて「おしん」である。
橋田ドラマのなかの男はダメであると書いたが「おしん」のような女の人にとって男は誰でもダメになってしまう、と思うのだ。

「いい女だなあ」と私も思う。
でも、どんなしっかりした男だって、おしんといたらダメになると思う。
そういう意味では、おしんは男運がないというより、自分が男をダメにしているのだと思う。
おしんがうまくやればやるほど、気遣えば気遣うほど、頑張れば頑張るほど、男はダメになっていく。
そしてそれはおしんのせいではないのである。そこが悲しい。

でも、気遣えば気遣うほど、頑張れば頑張るほど、助けてくれる人は必ずいる。
男と女の関係ではうまくいかないことでも、そうでない場合はうまくいくのである。
そして「おしん」はそういうことを財産として生きていくのだと思う。

これから「おしん」のなかでは最悪の「佐賀編」が始まる。
腹を立てないで見ることができるだろうか?

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