読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

第95回全国高校野球選手権記念大会 宮城県大会決勝

2013-07-31 22:35:21 | 観た、聴いた
本日は、休みをとって、高校野球の宮城県大会決勝を観戦しに行ってきた。

天候は雨模様。
しかし、決勝会場のKスタは人工芝、先週の楽天3連戦も雨模様の中決行した。
そこで、入念に雨対策をして、しかも、できれば屋根のあるところ(3階席)で観ようと思って早めに球場に行った。

結局屋根のある3階で観戦したのだが雨は降らなかった。

決勝戦は、仙台育英学園 対 宮城県柴田高校

仙台育英は、昨年の神宮大会で優勝、春の選抜は8強で、宮城県或いは東北ではナンバー1の声が高い、横綱である。

かたや、柴田高校はノーシードから第2シード、第3シード校を破り勝ち上がった県立高校。
投手の岩佐は切れのあるストレートとフォークボールを操る。

実は、私の妻の甥の子が仙台育英のメンバーである。
従って、ぜひ、優勝してもらって、甲子園に応援に行きたい、のである。

ところが、その横綱が初回に5失点、エラーがらみではあるが、情けない立ち上がりである。準々決勝でも初回5失点である。
そして、3回まで無安打である。

先発投手はいい当たりをされている。
打者は大振りが目立つ。
これは、もしかして、優勝は無理か、と諦めかけていた。

4回に1点、5回に2点を奪い、3対5まで追い上げるが、どうも、あと一押しができない。気負いなのか、打てるという過信なのか、チグハグなバッティングである。

それが、8回裏のトップバッター4番上林のホームランでムードが変わる。
ホームランのあとさらに1点を奪い、とうとう同点となった。

多分、育英ナインも「いける」と確信したことだろうし、球場もやっぱり育英か、というムードである。

そして、9回表。
トップバッターは1番熊谷。本日は無安打であるが、粘って3ボール2ストライクから死球で1塁へ。
2番バッターはバント。



で、この処理に投手、3塁手、遊撃手が集まったため3塁がガラ空きの状態。熊谷がこれをうまくついて3塁まで進む。

3番長谷川は四球(だったと思う)で1死1・3塁。ここで4番上林は敬遠。1死満塁。
5番に代打(先発していた5番打者は交代していた)。
しかし、捕邪飛に倒れる。2死満塁。
そして6番。キャッチャー小林。
3ボール1ストライクからボール。押し出しサヨナラで終了。



ということで、仙台育英が優勝。
私の甲子園行きも本気で検討しなければならない。

それにしても、いい試合であった。
柴田高校の岩佐投手は、疲労もあったのだろう。
こちらの言葉でいえば「もぞっこい」のであるが、試合後の拍手は彼に大きかった。



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不貞の季節 団鬼六 文春文庫

2013-07-29 21:52:00 | 読んだ
団鬼六の文庫がなかなか手に入らない状態である。
近頃になって(大崎善生の『赦しの鬼』を読んで以来であるが・・・)団鬼六の本をもっと読んでみたいと思うようになった。

団鬼六といえば「SM小説」であるが、晩年、小説新潮やオール読物に掲載された小説は、とても魅力的であった。

なんというか、土台が不安定、グラグラしている感じで、いったいこの物語はどこに行ってしまうのだろうか?なんて思っているうちに、なんとなくまっすぐになっているように思う。ところが、全体としてはユラユラの状態なのである。

でも。そのグラグラやユラユラが何となく心地よいのだ。

年寄りが、どこに結末があるのやらわからない話をはじめて、不安ながらも話に付き合っているうちに面白くなってきて、最後には辻褄が合うようにまとまって、なにやら不思議な感じなるような、団鬼六の晩年の小説はそんな感じである。

この「不貞の季節」には、表題である「不貞の季節」のほかに「美少年」「鹿の園」そして「妖花-あるポルノ女優伝」の4本が収められている。

この4本ともに、エーっ、またまた、ほんとに?嘘でしょう?といった思いが読んでいるうちにでてくる。
それは、この4本とも語り手が「私」となっていて、さらに「私」は真に団鬼六なのであることが語られる。
だから、読み始めていくと実際にあった話のように思える。
更に進んでいくと「エーっ」となり「またまた」と疑い、ある時はページを前に戻して確認をしたりする。
そのうちに、さらに「ほんとに?」「まさか?」「嘘でしょ」となってくる。

多分これが著者の狙いであり技術でもあるんだと思う。

近頃、芸人たちの話の中で「盛る」という言葉が出てくるが、「盛る」ことによって大きな効果を得るためには、「盛る」までの間は真実が必要である。

団鬼六はこのあたりの「出し入れ」がうまいのである。

「不貞の季節」は、団鬼六の妻が団鬼六の最も信頼している弟子のような男と不倫をした話である。
団鬼六(以下「私」とする。)は、中学校の教師をしていた時代に、同僚の妻と知り合い結婚する。ところが、私はおとなしく教師をしているだけに飽き、東京に出て妻からみていわゆるヤクザな仕事をはじめ、とうとう「鬼プロ」などというSMに関する仕事をするようになる。
妻はそんな私に「昔のようにエログロナンセンス稼業にはいるのね」などと軽蔑した言葉を浴びせる。

つまり、妻はとうてい不倫などするわけがない、と私は思っていたのである。
それが、不倫をして、さらにその相手が最も信頼していた弟子だった。

とまあ、このあたりまではなんとなくお話としていい流れなのであるが、私は不倫相手の弟子に、不倫の時の妻の様子を微に入り細に入り聞き、あまつさえその様子を録音させるのである。
このあたりになると「いやはや」という思いになるのであるが、なんだか、面白い。

この時の「私」はどうみても「M」である。

「美少年」は、「私」が旧友と再会し、そのことで大学時代の友人、つまり「美少年」を思い出すのである。
で、この美少年と私は「そういう関係」になる。この「そういう関係」になるまで、相当のページを要している。そういう関係にならないのではないか、なんて時に思ったりする。つまり、この時点で我々読者は「M」となり、著者の「S」性に操られているのである。
そして、私と美少年は、つらい別れを経験する。
この「つらい別れ」が、本当に何と言ったらいいのか・・・つまり、つらい別れの部分は全くのSM小説になってしまうのである。
おいおいそこまでするのか?
と思ったら、つまりは著者にいいようにもてあそばれているのである。

この小説の「私」はどうみても「S」なのである。

「鹿の園」も、谷ナオミをモデルにした「妖花」も、どこまでが本当のことでどこからが嘘なのかということに興味が行ってしまう。
そういう仕掛けになっているので、そう思ったとしても恥ずかしいことではないと思うのだが・・・
そういう思いをしてしまうのは、著者の思うところではなかったか。

ネットで調べてみれば、あの小説のモデルは誰か?というようなことがのっている。
でも、モデルなんて誰でもいいのである。

著者は、誰でも持っていると思われる嗜虐性と被嗜虐性について、我々に問いかけているのではないだろうか。

そんな真面目な顔をして生きていたって、つまるところは性の問題については避けて通れないことなのだ。

だから、どうなんだってことはないけれど、だけどそうなんだ。

と言っているように思えるのだ。


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楽天3X-2 2013.7.26

2013-07-28 18:48:26 | イーグルス
ここ2週間、なにかとあわただしい日々が続いて、酒ばかり飲んでいた。

で、その息抜きというか、26日の金曜日、Kスタに 楽天・ロッテ戦を観に行った。
昼間は宮城県内を南から北へ、北から南へと移動していて、豪雨に遭ったりして、内心、今夜の野球は、中止かずぶ濡れかと思っていた。

しかし、日ごろの心がけがいいので(?)試合中は一滴も降らずに奇跡のようであった。

試合は、田中が2本のホームランを打たれ、枡田がホームランを打って、1対2のまま9回の裏を迎えた。

球場は9回の裏が始まるときから異様な雰囲気であった。
「逆転勝利」だけが望みである。

トップバッターは3番銀次。
銀次はレフト戦ぎりぎりにふらふらっと打った2塁打。
4番ジョーンズのときにワイルドピッチでノーアウト3塁。そしてジョーンズはくさいボールをファウルで逃げ3ボール2ストライクからデットボール。続くマギーは三振に倒れてしまった。
しかし、球場はさらに盛り上がる。
6番枡田が3ボール2ストライクから4球を選ぶ。
1死満塁である。

ダブルプレーさえなければ1点は取れる。せめて同点、いやいやここは絶対逆転サヨナラ。
7番は主将の松井。
ここで、相手投手抑えの益田は、異様な雰囲気にのまれたか、ストレートの四球。
ということで、なんなく同点。

1死満塁のまま、8番嶋。
嶋は粘りに粘って、センターへヒット。
これで、サヨナラ、である。

球場はものすごい盛り上がりである。

久々にこんなに昂奮した野球を観た。
9回途中から、球場が一体となって選手を応援するのに感動した。
一緒に行った妻が、相手投手がかわいそう、といっていたが、全く360度楽天への声援。いわゆる「四面楚歌」の状態であった。

このサヨナラ勝をさらなる起爆剤として、ぜひ優勝をしてもらいたいものだ。

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幕末史 半藤一利 新潮文庫

2013-07-21 23:50:14 | 読んだ
司馬遼太郎の小説を読むにあたって「竜馬が行く」を最初に読むのか「燃えよ剣」を先に読むのかによって、その人の歴史観が変わるという話を聞いたことがある。

武田鉄矢は「竜馬が行く」を読み、大の坂本竜馬好きになった。
私は「燃えよ剣」を最初に読んだので、幕末に関する考え方は「佐幕」である。燃えよ剣を読んで新撰組に目覚め、さらに子母澤寛の「勝海舟」を読んだので、どうしても幕府側につきたい。

もちろん、時代の流れとしては徳川幕府は断末魔の状態であった。幕府を取り巻く環境が大きく変化していくことに組織は追いついていけない状態、つまり制度疲弊の状態であって、つぶれる状況ではあった。
それは認めるが、つぶれ方の問題である。

どう考えても、薩長のやり方は酷い、下品であった。
また、幕府はあまりにも正直に形式にこだわりすぎた。

というような考え方をする私にとって、半藤一利さんの書かれる幕末物は、そうだ!そうだ!と大きな声に出して叫びたいものである。

今回の幕末史の文庫本帯には

「というわけで、これから私が延々と皆さんに語ることになります幕末から明治11年までの歴史は『反薩長史観』となることは請合いであります。あらかじめ申し上げておきます。そう、『幕末のぎりぎりの段階で薩長というのはほとんど暴力であった』と司馬遼太郎さんはいいます。私もまったく同感なんです。」

と、本書の一部を紹介している。

私は「暴力と謀略」で討幕となったんだと思う。
勝海舟と西郷隆盛の会談で、江戸総攻撃が中止されたというのは、幕府側が薩長側の暴力と謀略を咎めたのではないかと思う。
あんたたちがそう出るなら、こちらも、徹底して下品に戦うよ。
ということを示したのではないかと思っている。

江戸時代に築かれた武家文化の上品さが明治になって相当薄れ、さらに大正・昭和・平成と下品度が増してきたと思う。
それは、明治維新の功罪の罪の一つだと思う。
しかし、そのあたりは、やっぱり勝ったほうが歴史を握るので、大きな声で語られないのではないか。

そのところを、この「幕末史」は描いている。
薩長卑怯なり!
幕府は情けない。
というのが、この本を読んでの感想である。

本日の「八重の桜」は、会津が降伏したところを描いていたが、会津側から描いた物語ということもあるだろうが、会津は上品であった、というように描かれていたように思う。

さて、本日の参議院選挙の結果が出始めているが、どの政党も上品でないのが残念である。上品だと勝てないのかもしれないが、上品さを根本に据えることが大事だと思うのだが・・・

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東北楽天ゴールデンイーグルス1位で折り返し

2013-07-16 23:00:38 | イーグルス
東北楽天ゴールデンイーグルスが、球団創設以来初めて前半戦を1位で折り返すことができた。

前半戦といっても、すでに全試合144試合の半分は過ぎ、本日で81試合目であるが、星野監督も言っているが「選手にとってはオールスター戦までが前半戦」とのこと。

81試合を経過して47勝34敗で勝率5割8分。2位のロッテに3ゲーム差である。もし明日負けてロッテが勝ってもゲーム差は2であるので、いわゆる前半戦は1位である。

楽天が好調な原因としては、次のようなことが挙げられている。

①ジョーンズ、マギーの活躍。楽天の本塁打63本中、二人は35本を放っている。
②ジョーンズ、マギーで4番、5番が固定され、各自が自分の役割を自覚し役割を担っている。
③田中が開幕から13連勝で安定している。
④投手リレーの必勝パターン、小山-青山-ラズナーが安定してきた。
⑤日替わりヒーローが登場している。
⑥聖澤、銀次、嶋といった生え抜きの選手が安定して活躍している。
などなど

で、私は前に掲げたものも要因としてあげられると思うが、一番は大きな連勝をしないことではないかと思っている。
つまり、勝って、勝って、負けて、といった風に大きな連勝はしない。(もちろん大きな連敗もしない)

チームが上り調子で、大きな連勝をすると、心が緩むのではないかと思う。
勝っていれば失敗も許される、というか、勝利の陰になってしまい、本来は深く反省しなければならないことがおろそかになってしまう。
いくら、気を引き締めようとしてもなかなか締まらない。
で、連勝のあと連敗をしてしまう。

しかし、今年の楽天は、勝ち続けることができずに2つか3つ勝つと負ける。
負けるから、反省がある。反省があるから勝つ。
という、いい具合に回っているように思えるのである。

もちろん本当に強いチームは、連勝して、一息ついて、また連勝するのだろう。
しかい、今の野球で、横綱のようなチームはできないと思われる。チーム全員が同じようにけがをせず調子よさを保つことはできない。

だから、今の楽天のパターンは優勝へ向けての最良の形なのではないだろうか。

このまま、勝って喜び、負けて反省する形を続けていってほしい。

私は、嶋と銀次のファンなので、毎日、楽天戦を見るのが楽しみである。彼らは必ずどこかでいい仕事をする。

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真夏の方程式

2013-07-15 21:52:58 | 観た、聴いた
昨日、映画「真夏の方程式」を観てきた。
ガリレオこと、天才物理学者の湯川学が探偵となるいわゆる「ガリレオ」シリーズである。

ガリレオを演じるのは勿論、福山雅治。
やっぱりかっこいい。いちいち、することなすこと、もっと言えば、映っていないところでもかっこいい。

原作を読んでいると、福山雅治の顔がすぐに浮かぶことはないのだけれど、テレビで福山が演じて以来、ガリレオは福山、というイメージが完全に出来上がってしまった。

ついでに、配役でいうと、ガリレオの同級生で警視庁の草薙を演じている北村一輝は、原作のイメージと一緒である、と私は思う。
また、内海薫の柴咲コウは、若干イメージが違う。私としては、ショートカットで丸顔タイプを想像していたので、柴咲コウではかっこよすぎるのではないかと思ったのである。

さて「真夏の方程式」である。
改定鉱物資源開発の説明会にでかけた、湯川が殺人事件に遭遇する。警察からの依頼で事件に取り組むという、いつものパターンではない。
それだからか、事件への取り組みが積極的である。この辺がちょっと違和感ありである。
また、苦手である子供(少年)との交流がある。
少年の希望を叶えるために行う実験は失敗の連続で、失敗を改良し繰り返すことで成功する。
という「知りたい」と思ったら知るまで根気よく続ける、ということを教える。
理屈ではなく実験ということが子供にとっては強く感銘を受けることなのである。
流石は湯川である。
人を納得させるためには、見せる、ことが大切である。ということを改めて思ったのである。

映画はきれいな海「玻璃ケ浦」を舞台に描かれる。もう一つのテーマであろう「環境問題」についてはあまり明確な取り組みではなかったような気がする。
どちらかといえば、殺人事件の謎と家族の秘密が描かれており、珍しく湯川がウェットに見える。
なんというか、いつものようにズバズバと謎に挑むのではなく、いろいろなところに気を遣いながら謎を解いていくのである。

また、今生きている登場人物がみな善人であることが、鋭い指摘やグッと食い込む言葉で追い詰めることをしない理由なのかもしれない。
従って、どこか物足りない、スカッとしないところがある。

ヒロインを演じた「杏」のキリリとした美しさがよかった。
そして、彼女の中学時代を演じた青木珠菜が杏とそっくりだったのでびっくりした。(ネットで検索したら同じ子と思っている人が多いようです)

それから、例の決めゼリフ「実に面白い」はでてこなかった。(多分)
そのかわり、吉高ゆり子がそのポーズをするところがある。
更に、今回の事件で重要な役割を担う仙波の役を演じた白竜であるが、前日テレビでは極悪人を演じていたので、最後まで彼を極悪人と思い込んでしまっていた。いつもサスペンスに出演している人は、その人が出てきただけで疑ってしまう。よくないことだ。

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そばもん -ニッポン蕎麦行脚- 山本おさむ ビックコミック連載

2013-07-14 11:57:22 | 読んだ
ビックコミックで連載されている「そばもん」は、ちょっと「ひく」時もあるが面白く読んでいる。

主人公の矢代稜は、名人と謳われた京都・草庵五代目孫七郎の孫で、名人から江戸そばの技術をすべて伝授された・・・蕎麦の第一人者である。
しかし、彼は店を持たず、いわゆる「ながれ」の蕎麦打ち職人として全国を行脚している。

という設定で、前号(7月10日号)と今号(7月25日)で、取り上げられているのは「ころっけ蕎麦」である。

実は(というほどでもないが)、私は立ち食いソバ店とか駅の構内のソバ店のメニューに「コロッケそば」があると、必ずと言っていいほど頼むくらい好きなのである。
なのに、世間、特に我が家では「コロッケそばぁ~」などとバカにするのである。
私がバカにされるのはそれほど問題ではないが、コロッケそばをバカにするのは許せない。それなのに、焼きそばパンなんか食べている。私は、焼きそばパンのほうが許せない。実に嘆かわしい。

話を元に戻す。
「コロッケそば」である。
物語は矢代が、全立選の会員と残り少ないコロッケの購入を巡ってもめるところから始まる。

全立選とは「全国立ち食いそば選考委員会」である。
この会は「立ち食いそば」をこよなく愛する団体で・・・、そのあたりか「怪しい」のである。

会長はこう言う
「ただのかけそばと安コロッケと組み合わせると、意外と旨くなる!!これが立ち食いそばの不思議といういものです」
怪しさ満点である。

で、コロッケそばのうまさを滔々と語り合うのである。
そのなかで
「コロッケにはカレーそば。これぞ究極です!!」
という発言があり、会員全員でコロッケカレーそばを食することとなる。

そして、矢代は会員に蕎麦の歴史を語り始める。
蕎麦には高級志向の蕎麦と、大衆向けの蕎麦が江戸時代からあった。その大衆向けの蕎麦の流れを「立ち食いそば」引き継いでいること。
更にはまぼろしの「春雨コロッケそば」がコロッケそばの原点であること。
更には「コロケツトそば」というのがそもそもの原点であること。
などが、紹介され、それらを作ったりする。

というわけで、私、カレーそばとコロッケを買ってきて、食しました。
なんというか、期待以上ではなかったですがガッカリというほどでもなかったです。
うまくするには、のびた、状態がいいのかもしれません。
まあ、お試しあれ。

というわけで、蕎麦に関するウンチク類にはあまり興味がないので、そのあたりは流して読んでいるのであるが、紹介された蕎麦がおいしそうならば、試してみたくなる。
「そばもん」ってそういう漫画です。私にとって。

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久しぶりの道

2013-07-06 16:13:11 | 日々雑感
昨日は仙台に宿泊し、本日ゆっくりとドライブをしながら帰ってきた。

この「ゆっくりと」というのが、近頃はなくて、兎も角目的地へ急ぎ用件が済み次第戻る、というのがパターンである。
特に「仙台」は道路が整備され、直通のバスが多く出るようになったおかげで、その傾向が強い。

今、仙台ヘは主に三陸自動車道を通って行く。
以前は一般道を通って行っていたのであるが、自動車道が混雑していてもやっぱり早い。

自動車道であるから、途中の休憩はパーキングなのだが、仙台まではほとんど休憩いらずなのである。
また、矢本パーキングは、自動車道が渋滞している地帯なので上下ともに寄りづらくなっている。
あたらしくできた春日パーキングは立派すぎて、気楽に立ち寄ることが心理的に出来かねる。ただし下りの場合は気持ちに余裕があるときは寄ってみようかと思う。

というわけで、一般道を走っているとあそこにコンビニがあり、あそこにラーメン屋があるなんてことがあったのだが、自動車道はただ急ぐだけである。

本日は、ゆっくりできるということから一般道を久しぶりに走ってみたのであるが、なんというか、大きく景色が変わっていた。
次のコンビニで飲み物でも買おうか、とおもっていたら、そのコンビニがなくなっていた、とか
いつか立ち寄って食べてみたいと思っていた食べ物屋がなくなっていたり、とか
こんなところまで分譲地が広がっていたっけか?とか
あらら、いつ完成するかわからなかったバイパスが完成していた、とか
1車線だった道が2車線になっていた、とか
驚くことばかりだった。

一般道の交通量が減少して店がなくなる。
あまりにも交通量が多くて、振動や騒音に悩まされていたことが、自動車道ができたことにより、なくなったことはいいのだが、一緒にお客もいなくなった、ということは、どう考えたらいいのだろうか。

それから、一般道を走っていれば多くの情報が目に入る、興味がわけば立ち寄る、といったことが、自動車道を通ることによって、ただひたすら目的地へ急ぐことになったことは、どう評価すればいいのか。

「遊び」というのが世の中から無くなってきている。
仕事の途中にコンビニに立ち寄るなどということは言語道断!
という声のほうが大きくなってきている。

自動車のアクセルにもブレーキにも「遊び」が必要なように、我々の仕事や生活にも遊びが必要なのではないか。
「遊び」によって、仕事の幅や高さが増えるのではないだろうか。
「遊び」によって、育児や介護にも余裕ができるのではないだろうか。

あまりにも生真面目にやろうとするのは、ギスギスした社会のもとになるような気がする。

そんなことを考えながら、久しぶりの道を、割と気持ちよく走ってきたのである。

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