読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

古城の風景Ⅱ<一向一揆の城 徳川の城 今川の城> 宮城谷昌光 新潮文庫

2010-12-31 21:49:04 | 読んだ
全部読みきるまでわからなかったのである。
この本が「Ⅱ」であること。

というわけで、Ⅰを読まずしてⅡを読んだ。
といっても、旅行記・エッセイという形のものであるから、前巻がどうであれ迷うことなく読むことができる。

今回は副題にあるように、徳川家康に関する城を巡る。

城を巡るということは「往時に思いを馳せる」ということだと思う。
当時と現代では、城そのもの、そしてそこから見える風景もぜんぜん違うと思う。
しかし、城には「雰囲気」がある。
この雰囲気をどう感じるかが、城廻の面白さではないか。

著者の城めぐりは、著者自身の知識と勉強に加えて同行者の知識も深いことから、より一層の「感慨」がある。

その「感慨」が読んでいるこちらとしては非常に興味深く面白い。

そのあたりは、著者が昔、作家の白石一郎から受けた話がよい。
「その地の空気を吸うだけでよいのです」と白石一郎は言った、という。

小説を書く者にとって、つまらない城址はひとつもない、という所以である。

また、同行者の原田さんは
「歩かなければわかりませんよ」という。

その地の空気を吸い歩くことが、その城を良く知ることになる。
同感である。

いつか、そして歩けるうちに城めぐりをしてみたいものである。
問題は同行者である。

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太平記<蜂起之章、怒涛之章> さいとうたかお SPコミックス

2010-12-30 23:02:38 | 読んだ
コンビニで見つけた。
「アンコール発売!!」となっていた。

太平記は、有名な物語で、この本の表紙にも「軍記物語の一大傑作」という惹句がのっている。

この物語は、小学校の時「世界少年少女名作文学」で読んだ。
同じような題名の「太閤記」と違って、誰が主人公で誰が正義なのかよくわからなく、不思議な物語という記憶がある。

その後、太平記の時代(鎌倉幕府の滅亡から足利<室町>幕府の成立)までのことを本を読み知るようになり、そして映画「仁義なき戦い」をみて、一つの時代が終わって一つの時代が始まるということの「混沌」というのは、いつの時代でもその環境が大きくても小さくても変わらないということを知った。

今回、改めていわば「さいとうたかお版」の太平記を読むと、その感は強くなった。

太平記は、登場人物達が敵になったり味方になったり、権力争いに明け暮れる物語で、彼らには「国をどうするのか」という定見はない。
日本の中にある富を恩賞という形で誰が一番自分にくれるのか、ということがリーダーを選ぶ基準である。

ウーン、なんだろうか?
現代もそのような争いが行われているのではないか?

私は、どちらかといえば足利尊氏派である。
しかし、足利だって、その執事である高師直、弟の足利直義と内紛を起こしている。

唯一、楠木正成が清涼剤である。しかし、彼の大きな間違いは後醍醐帝についたということである。

後醍醐帝の粘り強さには敬服するが、手練手管が過ぎる。
そして高貴な方特有の冷たさがある。
だから、あまり好きではない。

本書を読んで「太平記をわかった」といってはならない。
入門編、ダイジェスト版といった形であって、太平記を知ったというなら、読物に行くべきだ。

その時々の登場人物たちの心理や行動原理がよくわかる。

それにしても、ついたり離れたりするのが大義名分ではなく損得や好き嫌いというのは、
非常にわかりやすいようでいて、実は根が深いような、もしかしたら一番難しい関係なのではないか。

ときどき太平記を思い浮かべるのもいいかもしれない。

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タイムスリップ水戸黄門 鯨統一郎 講談社文庫

2010-12-26 23:00:14 | 読んだ
鯨統一郎の「タイムスリップ」シリーズ4弾目である。

タイムスリップ森鴎外、タイムスリップ明治維新、タイムスリップ釈迦如来がこれまでの物語である。

これらに統一して登場するのは「麓うらら」である。
今回も麓うららが主人公として登場する。

で、このシリーズ、名前からわかるようにタイムスリップする物語なのであるが、森鴎外のときは森鴎外が現代にタイムスリップした。あとのふたつは麓うららがその時代にタイムスリップした。

今回の水戸黄門は、森鴎外と同じタイムスリップしたのは水戸黄門。
つまり水戸黄門が現代にやってきた、というのが設定である。

この設定と、麓うららとその仲間たちのハチャメチャさがあれば、あとは思う存分に登場人物たちを自由に動かせばいい。

というわけで、登場人物たちは思う存分に活躍する。
特に水戸黄門は我々がドラマで知っている水戸黄門のように活躍してくれる。

水戸黄門がなんと国会で次のような発言をする。(長いが引用させてもらう)

「必要のない公共事業による雇用対策など、痛みを和らげるために麻薬を打つようなものじゃ。その瞬間は痛みは和らぐが、確実に躰を蝕む。それよりも地方を活性化させたいのなら、地方自身が自分で真剣に考える事じゃ。国の金ばかりを頼っていては、自治体の名は名ばかりとなる。本当に自治をしないと。日本全体が真剣に考えて、初めて日本全体が活性化すると思うがの」

「国の借金を増やさずに地方も生きのびる方法を模索しなければならん。それが日本の未来の為なのじゃ」

著者は、水戸黄門の口を借りて、真っ向勝負に言いたいことを言った。

冗談のような、バカバカしいような、そんな物語だけしか、これほど真っ正直にいえないのだろうか?

週刊誌では、政官財(この物語で主人公は『性感剤』と勘違いするのがおかしい)について批判をするが、そして政策論争なんて誰も信じないが、どうしたら日本が良くなるのか?そんなことを書いてもらいたいものだ。
新聞で週刊誌の見出しを見るたびに、下品、卑しい、という言葉が思い浮かぶ。

このタイムスリップ水戸黄門を読んで、真っ正直に議論することが大切なのだということに気づいた。

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孤独な放火魔 夏樹静子 オール読物12月号

2010-12-23 22:14:47 | 読んだ
オール読物12月号の特集「ミステリー冬物語」の巻頭を飾る小説である。
目次には
「迫真の裁判員ミステリー」とある。

物語は裁判員裁判を題材としている。
主人公は、本職の裁判官で本裁判の左陪席をつとめる久保珠美。裁判官暦2ヶ月半の新米裁判官である。

裁判は、放火事件。
被告人は、放火の事実は認めるが、放火の動機と放火を決意した時期については争う。とのこと。

珠美は、1日目が終了した時点でこう思う。
「被告人は犯行を認めているので、評議の中心は情状を話し合って量刑を決めるだけ。今まで経験した5件の中で一番簡単そうだ」
と思いつつ仲里裁判長がかつて言った言葉心に浮ぶ。
「裁判は最後まで、何が起きるかわかりませんよ」

果たして、裁判はそう簡単にはいかなくなってしまう。
その内容は、ネタ晴らしになるので省くのだが、2日目から面白くなっていく。

予想外の展開に裁判員は混乱する。
「これからどうなるのか?」
という質問は、もし私が裁判員であっても尋ねるだろう。

この小説は、裁判員裁判の裏側を描いているのだが、つまり我々はどうしたらいいのか、ということが現在の裁判員裁判でわからないところである。

そして何より判決の責任というのはどこまで負うべきなのか、ということがもっとも興味のあるところだ。

この小説に出てくる裁判員たちも、いろいろと悩む。
小説のように皆で議論できればいいのだろうが実際にはどうなんだろうか?

裁判の過程で多くのことを知れば、そして被告の顔を見ていれば、どうしたって情が出てくるだろう。

というようなことをこの小説で感じ取って、いつか回ってくるかもしれない裁判に備えなければならないのだろうか。

そんなことを思って読んだのであるが、物語としても十分面白い作品であった。

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コーヒー、もう一杯 平安寿子 小説新潮12月号連載中

2010-12-21 21:32:14 | 読んだ
連載中といっても毎月連載ではなく、目次は「好評読切連載」となっている。
概ね隔月連載となっているようであるが、小説新潮を手にとって目次を見て確認しないとわからない。

さて、物語は、飲食店の開店のコンサルティング会社に勤めている「未紀」が、イロイロありまして自分でカフェを開店する物語である。

今回は、いよいよ開店したのだが・・・・
という話。

開店までの間にあったこと。

開店資金1千万円の数字を通帳に見たときの気分、そして、1千万円が生んだ心の余裕。
しかし、実は1千万円はすぐになくなってしまうこと。
それは、開店前の計画と実際との違いを埋めなければならないことに使われる。
さらに、埋められないものは何かを代用したりあきらめたりしなければならない。

やってみないとわからない。
そんなことが、開店後も続く。

この小説は、若い女性の起業についてを描いているのだが、ただ事業を起こしてその経緯を説明するのではなく、主人公の心の動き、自分が望んでいること、それに向けての計画を考えている途中の強気弱気の心、うまくいかないときの動揺、うまくいったときの満足感が、コミカル描かれている。

そして、一種のハウツー本として、起業する場合の参考本にもなっている。

これからどのように展開していくのか楽しみである。

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月を吐く 諸田玲子 集英社文庫

2010-12-19 23:32:20 | 読んだ
諸田玲子の歴史小説をはじめて読む。

主人公は徳川家康の妻:瀬名(築山御前)である。

これまでの通説では、悪妻中の悪妻である。

私が徳川家康に関する小説でこの瀬名姫について知ったのは、山岡荘八の「徳川家康」である。

瀬名姫は、家康と同い年で、今川義元の姪であり、今川一門の関口親永の娘。
政略によって、当時人質として今川義元の住む駿府にきていた徳川家康(当時は松平竹千代:松平元信)と結婚。

当初は家康とともに駿府に住み、長女:亀姫、長男:竹千代を生む。
しかし、今川義元は桶狭間で織田信長に負け、家康はそのまま駿府に帰らず岡崎に残り、更に今川から離反し、瀬名は駿府に置き去りにされた。
その後、家康は今川方と人質交換により、瀬名と亀姫と竹千代を岡崎に迎え入れる。

それでそのまま幸福になって万々歳、とはならなかった。

瀬名姫は、京文化の影響を大きく受けた駿府の文化にどっぷりとつかった人である。そして「今川」の生まれということに大きな矜持を持っていた。

それが、三河岡崎では受け入れられなかった。
加えて、反今川の姿勢をとった家康は、それが正解であったように三河から遠江更には駿河まで手に入れようとしている。

自分の全部を否定されたような気持ちであったろう。

そして、遂には武田と気脈を通じ徳川を裏切る行為を行い、しかもそれは嫡男・竹千代(信康)も加担していたとされ、二人とも殺される。

その徳川を裏切ったということが悪妻ということの所以である。

「気の毒である」と山岡荘八の徳川家康を読んで思ったものである。

さて、この物語は、瀬名を主人公においている。
従って、家康や家康の母・於大が悪者にされている。

山岡荘八版では、於大は非常にいい女として描かれているので、なるほどそういう見方もあるのかと、本書を読んで思った。

この築山御前のことと嫡男信康のことに関しては、家康は非常に冷たい。というか不可解な動きである。
そのあたり(家康はなぜ妻と嫡男を捨てたのか)まで迫ってもらえばもっと面白かったと思うのである。

それでも、面白く読んだ。
ただ、結末(瀬名が殺される)がわかっているので徐々に気が重くなっていったのではあるが・・・驚愕の結末、があった。

諸田玲子は時代小説と歴史小説の二つを主に書いているが(現代小説もある)やっぱり時代小説のほうが面白いと思うのは、この小説を読んだ感想としてはやっぱりマズイのであろうか。

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<独占 ガン闘病告白>残実録・晩秋‐我もまた死刑囚 団鬼六 小説新潮12月号

2010-12-15 18:16:14 | 読んだ
団鬼六は好きな作家である。
といっても、SM小説はあまり読まない。
将棋の小池重明とか責絵師の伊藤晴雨の伝記などがよい。
またエッセイも面白かった。
ちなみに「花と蛇」は全10巻中4巻で挫折してしまった。

さて、その団鬼六が食道ガンになった。
その闘病記をときどき小説新潮に発表している。

今回は、ガンの宣告をされて「死刑囚」になったような気持ちということから、世界の死刑制度を考え、そして「公開処刑」ということに思いをはせる。

SM小説家としての観点から公開処刑を考えると、ちょっとどことなくエロチックである。
公開処刑というのは死刑を一般大衆に公開することで、それは世界のいたるところで行われており、そしてそれは多くの人が見に行ったのである、というか娯楽になっていたという。

人が殺されるところを観たい、という気持ちは今では信じられないことのようだが、人の心の奥底にはそれを望んでいるものがあるらしい。それは人が持っているエロチックな部分から来るものではないだろうか。

さて、団鬼六はそんなことを考えながらある人物に思いをはせる。
それは「豊臣秀次」である。
豊臣秀次は殺生関白として秀吉の跡継ぎから一転して切腹させられ、さらにその妻(正室・側室)子供39名が公開処刑された。

団鬼六の故郷は彦根、豊臣秀次が統治した近江八幡の隣で、若いときから秀次に興味を持っていたとのこと。
そしていつか秀次のことを小説にしたかったとのこと。

だから、団鬼六は熱く秀次を語る。
ちょっと軽い気持ちで読みはじめたのだが、徐々に重く熱くなるので、思わず居住まいを正して読んだのだ。

団鬼六が語る秀次は、決して殺生関白などではなく、運命に翻弄された憐れな男だった。
殺された或いは滅びた者は、勝った者や生き残った者に悪者にされるのである。

それにしても、39名の処刑のありさまを語る団鬼六の筆は素晴らしい。
ガンを克服して、短編でいいから秀次のことを書いてほしい。

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なぜ絵版師に頼まなかったのか 北森鴻 光文社文庫

2010-12-13 23:09:24 | 読んだ
北森鴻は、蓮杖那智シリーズ、冬狐堂シリーズ、香菜里屋シリーズを中心として読んでいたのだが、今年1月40歳の若さで亡くなった。
それ以来、ちょっと気落ちしている。その後佐月恭壱シリーズを読んだのだが・・・
本屋でこの本を見かけたとき、すぐに手にとってしまった。

今度はどういう「仕掛け」なのか?
ということが、一番の興味であった。

で、その仕掛けであるが、

時は明治初期。
主人公は葛城冬馬。(物語の開始時には13歳)

そしてそれを取り巻く重要人物が、東京大学医学部教授・エルヴィン・フォン・ベルツである。
冬馬はフィクションの人物らしいが、ベルツは実在の人物。
文明開化のお雇い外国人として、日本の医学だけでなく美術・工芸品の収集に貢献したらしい。
そして、ベルツとともにお雇い外国人である実在の人物が数多く登場する。

この設定が素晴らしいのであるが、物語はちょっと甘い。
設定に物語が負けているパターンである。

とはいえ、北森鴻である。
そこそこに面白い。

物語は
「なぜ絵版師にたのまなかったのか」
「九枚目は多すぎる」
「人形はなぜ生かされる」
「紅葉夢」
「執事たちの沈黙」
の5編で構成されている。

主人公の葛城冬馬はこの5編で13歳から22歳になる。
その間、ベルツの給仕から東京大学予備門の学生、東京大学の学生、そして医学部を卒業してベルツの助手となる。
明治の時間の進み方の速さのようである。

いずれの物語も、いわゆる推理ものである。
その謎解きがなんとなくゆるいのである。
それはこの物語がコミカルであることもゆえんしているとは思うのであるが・・・

なお、短編の題名はすべて何かの題名をもじっているということだそうだ。
最後の「執事たちの沈黙」だけはすぐわかったのだが・・・
その「執事たちの沈黙」の最後では、続編があるような終わりかただったが、もう望めないものとなってしまった。
かえすがえすも残念である。

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