第2巻は
藤原兼家・梶原景時・北條政子・北條高時・高師直・足利義満の6人である。
そして、著者の「あとがき」がついている。
この「あとがき」で、著者は、
「武将列伝とこの列伝を時代順に読んでいただくなら、人物による日本歴史の大体がわかっていただけるであろうと、信じています。」
と述べている。
武将列伝と悪人列伝をすでに何回か読んでるが、今回読み返していて改めて日本の歴史と著者が持つ歴史上の人物への判断基準がわかるような気がするのである。
藤原兼家は藤原道長の父で、拮抗していた藤原一族の勢力の中で突出した権力を得ようとしそして得た人物である。
権勢へのあくなき欲望、を持っている当時の廷臣のなかで抜きん出た欲望を持っていたと、それは天皇を騙して出家させたことにある。こんな人物はいない、と著者は言う。
梶原景時と北條政子は鎌倉幕府創建の柱でもある。
しかし、梶原景時は、幕府を創建すると邪魔者を次々と削り取っていった。
著者は景時を「頭脳が優秀だが狂信的人間」として「刻深」と評している。こんな人物は官僚になると出世するといっている。
それでも源頼朝には深く信頼されていた。このあたりが不思議。
北條政子は、常に善意をもって婚家のために努力した、として、ただし勝気で賢かったことから、悪人となった。
そして著者は
「人の世は善意だけではかえって悪となることが少なくない。」
と断じ
「善意が善となることには叡智がともなわなければならない」
と教えてくれる。
北條高時は、鎌倉幕府の最後の執権である。
彼が悪人だったから鎌倉幕府が滅びたのではなく、時代の流れである、と著者は言う。
ある制度は、始まったときから陳腐化が発生する。その制度の完全性と柔軟性によって制度がどこまで長持ちするかが決まるが、最後には疲弊してしまう。
北條高時が真に悪人であれば、その滅びるとき一族郎党800人が自殺し果てるということはない。
その鎌倉幕府を滅ぼし新たに室町幕府(足利幕府)が開かれたがその創建時の柱の一人が高師直である。
梶原景時とは違った立場であったが、創建時の悪を一人で背負ったという点は同じである。
何かを壊して新しいものを作ろうとするとき、きれいごと、だけではすまない、その裏の部分悪の部分を背負う人物がほしい。
それは現代でも同じであろう。それを誰が背負うか、が問題である。
悪を背負って時代に名を残す、ということをできる人物が必要なのである。
もっとも、そう思わなくても悪を背負う人物がいるというのが歴史の面白いところでもある。
鎌倉幕府から室町幕府へとなるところの最大の悪人は「後醍醐天皇」であると、明確に著者は述べていないが、読んでいれば、そう受けとめることができる。
太平記を読むと、後醍醐天皇は正義のように描かれているが、どこか不快感が感じられたりしていた、今回、ちょっと安心したりしたのである。
足利義満については、愛すべき悪人「驕児」という形で評しているが、生まれながらの無道徳な者には「悪」ということの自覚がない。
というわけで、第3巻へ突入である。
藤原兼家・梶原景時・北條政子・北條高時・高師直・足利義満の6人である。
そして、著者の「あとがき」がついている。
この「あとがき」で、著者は、
「武将列伝とこの列伝を時代順に読んでいただくなら、人物による日本歴史の大体がわかっていただけるであろうと、信じています。」
と述べている。
武将列伝と悪人列伝をすでに何回か読んでるが、今回読み返していて改めて日本の歴史と著者が持つ歴史上の人物への判断基準がわかるような気がするのである。
藤原兼家は藤原道長の父で、拮抗していた藤原一族の勢力の中で突出した権力を得ようとしそして得た人物である。
権勢へのあくなき欲望、を持っている当時の廷臣のなかで抜きん出た欲望を持っていたと、それは天皇を騙して出家させたことにある。こんな人物はいない、と著者は言う。
梶原景時と北條政子は鎌倉幕府創建の柱でもある。
しかし、梶原景時は、幕府を創建すると邪魔者を次々と削り取っていった。
著者は景時を「頭脳が優秀だが狂信的人間」として「刻深」と評している。こんな人物は官僚になると出世するといっている。
それでも源頼朝には深く信頼されていた。このあたりが不思議。
北條政子は、常に善意をもって婚家のために努力した、として、ただし勝気で賢かったことから、悪人となった。
そして著者は
「人の世は善意だけではかえって悪となることが少なくない。」
と断じ
「善意が善となることには叡智がともなわなければならない」
と教えてくれる。
北條高時は、鎌倉幕府の最後の執権である。
彼が悪人だったから鎌倉幕府が滅びたのではなく、時代の流れである、と著者は言う。
ある制度は、始まったときから陳腐化が発生する。その制度の完全性と柔軟性によって制度がどこまで長持ちするかが決まるが、最後には疲弊してしまう。
北條高時が真に悪人であれば、その滅びるとき一族郎党800人が自殺し果てるということはない。
その鎌倉幕府を滅ぼし新たに室町幕府(足利幕府)が開かれたがその創建時の柱の一人が高師直である。
梶原景時とは違った立場であったが、創建時の悪を一人で背負ったという点は同じである。
何かを壊して新しいものを作ろうとするとき、きれいごと、だけではすまない、その裏の部分悪の部分を背負う人物がほしい。
それは現代でも同じであろう。それを誰が背負うか、が問題である。
悪を背負って時代に名を残す、ということをできる人物が必要なのである。
もっとも、そう思わなくても悪を背負う人物がいるというのが歴史の面白いところでもある。
鎌倉幕府から室町幕府へとなるところの最大の悪人は「後醍醐天皇」であると、明確に著者は述べていないが、読んでいれば、そう受けとめることができる。
太平記を読むと、後醍醐天皇は正義のように描かれているが、どこか不快感が感じられたりしていた、今回、ちょっと安心したりしたのである。
足利義満については、愛すべき悪人「驕児」という形で評しているが、生まれながらの無道徳な者には「悪」ということの自覚がない。
というわけで、第3巻へ突入である。