一発屋とは、よく聞く言葉である。
以前、歌の世界でも一発屋ということを言っていたような気がする。
一発屋は悲しい言葉でもあるが、一発屋にもなれない者には憧れである、というような印象を持っていた。
さて、本書では11人の一発屋について紹介(?)書かれている。
その中には、著者の「髭男爵」も入っている。
私的には一発屋ではないのではないかと思う「テツandトモ」も入っているのだが。
私の見解では、一発屋というのは一発で終わってその後鳴かず飛ばずの状態に陥るということ。しかし、芸人はいわゆる「一発うけた芸」で終わるという事はもしかしたら少ないのではないか。その後も活動を続けている、それがうけなくなった、あるいはうけが少なっただけではないのか。
少なくても、本書で紹介されている11人の中にも、一発の芸で受けたがその後は自分なりの仕事を継続しているものが多い。
なので、髭男爵はこの本で「一発屋」という芸人ジャンルを作ろうとしているのではないか、なんて疑ったりなんかする。
一発屋芸人を集めた会というのがあり、発起人はレイザーラモンHGだそうである。
「一発屋にはキャラ芸人が多く、キャラに入り込むタイプの人間は社交が苦手で孤立する人が結構いる。
故に、先輩一発屋芸人として、経験してきたものをこれからの一発屋に伝える役目がある。」
というのが会発足の理由だそうである。
ふーん、という感想。
もっとふざけた理由であれば、面白いのに。
紹介された人たちは「練り上げた芸=苦労=下積み=真面目+変人」という形が多い。
肝心なところが正気でない部分がある人なんだなあ。
一発芸はあきられる。その芸の衝撃が大きければ大きいほど、衰えていくのが急速なのだと思う。
問題はそのあとである。
その芸を「古典」としていくか「小出し」にするか「封印」するか、いずれかを選択しなければならないのだが、その芸の質や爆発力、更には芸人のタイプによって何がいいのかはわからない。
故に、芸人たちは戸惑い悩むのだろう。
レイザーラモンHGはそのあたりを伝えたいのではないか。
そんな気がする。
「うけたとき」「あてたとき」こそ次を考えておけと・・・
そしてこれは、芸人だけではなく、我々にも当てはまるもの、つまり生きるうえで選択を迫られたときに選択するのではなく、選択をしなくてはならない時が来ることをあらかじめ想定し、少なくても覚悟だけはしなくてはならないのではないだろうか。
面白かった。ふぅ・・・