1.血まみれの鳩/五つの赤い風船 1969年2月
この歌が発表された1969年2月というと、中学1年生であった。
多分、中学1年生になったときの旅行のときであったと思うのだが、バスの中でクラスの連中が次から次へと流行歌を歌い、そのほとんどを知らなくて「あせった」のであった。
で、1968年の秋から冬にかけて、歌を一生懸命覚えようとした。
それは、ラジオではなくテレビであった。
したがって、歌謡曲にはだいぶ強くなった。
しかし、例えば当時既に同級生のごく一部が知っていたビートルズもまだ知らず、当時大流行していたグループサンズだって、超有名なタイガースやスパイダースなどをやっと捕まえたいたときだった。なにしろ彼らは「不良」ということでテレビを見ることはなかなか出来なかったのだから。
そんな中、フォークソングを唄うなどというのは、不良を越えた反体制、日本を壊してしまうような人たち、というイメージが強く、まだまだ子供だった僕には遠い存在だったのだ。
だから、この「血まみれの鳩」は、相当経ってから知ることになるのだが、そのときには吉田拓郎の歌に夢中だったので、この歌の持つ新鮮さのようなものはなく、なんというか「ごくありふれた歌」としか聞こえなかったのだ。
多分中学生になったころもっと大人で、体制に対する反抗心などがあればたどりつけた歌だと思うのだが、なにしろ僕はなんでも「晩生(おくて)」なもので・・・・
2.何のために/ザ・フォーク・クルセダーズ 1968年7月
この歌も知らなかった。
兎も角、この手の歌は聴くこととがなかったのである。
それはこちら側の精神的未熟さもあるが、当時はなにしろ歌謡曲の世界に目覚めていたのだから。
1968年当時の歌謡界の様子をウィキペディアで検索してみると
小川知子、中村晃子、黛ジュンとか、森進一、青江三奈などの名前が見える。
また、ピンキーとキラーズが「恋の季節」、タイガースは「花の首飾り」、テンプターズが「エメラルドの伝説」となっている。
こういう時期に、フォークソングしかも反体制的なものに入っていく田舎の中学1年生なんていないと思うよ。
まあ、兄や姉の影響があれば別だけれど・・・僕、正真正銘の長男だったし。
3.涙をこえて/シング・アウト 1969年11月
この歌は大好きです。
1970年1月からNHKで放送された「ステージ101」でよく歌われた。
どちらかといえば、こういう
健康的というか
なんだかよくわからないが頑張ろう!的な
何の根拠もなく明るい未来を信じよう!みたいな
「歌」は苦手なのであるが、ステージ101のように兎も角皆で歌うと気持ちいいカンジ、というのもどこか許してしまったりするのである。
♪涙をこえてゆこう なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう 輝く明日みつめて♪
というところは、「恥ずかしい」という気持ちがある。
とかなんとか言ってはみるものの、なぜだかこの歌好きなんだよなあ。
4.夕陽が沈む/フォア・ダイムズ 1967年1月
この歌は、全然知りませんでした。
そして、今聴いても
「そうなんですか」
というような感想しかもてない。
それに、夕陽って沈むものだしなあ。
5.朝まで待てない/ザ・モップス 1967年11月
モップスは「サイケデリック」というのがウリだったと思う。
まあ、なんとなくわかるのだが、早い話、なんだかヘンなバンドで、もっと突っ込めば「汚い」という印象だったと思う。
もっともモップスを知ったのはもっと後のほうであって、この「朝まで待てない」はリアルタイムでは聞いていない。
作詞が阿久悠で、初めてのA面作品、ということで、ずっと後になってからは、そのことでこの歌の「重み」みたいなのがでてきた。
しかし、やっぱりそれほどいい詞だとは思えない。
6.孤独の世界/ジ・アマリーズ 1969年10月
この歌もはじめて聴いた。
「青春のうた」も84巻となると、そうとうマニアックな選曲となっていると感じる。
初めて聞いた、とはいうものの、なんだか聞いたことがあるカンジなのである。
説明に原曲はアメリカのフォークロックということで日本でもヒットしたとあるので、多分それが残っていたのかもしれない。
ジ・アマリーズのボーカルは、後に「猫」でボーカルをつとめた田口清さんであるとのこと。
その声からも、聞いたことがあるカンジにつながっているのだろう。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。