読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)

2014-10-30 23:39:31 | 日々雑感
今、わが地域は、いたるところで「セイタカアワダチソウ」が満開である。

このセイタカアワダチソウは、子供のころには全然見なかった花(草)である。

「要注意外来種」に指定されているそうだが、多分、今は東北地方に多いのではないか。
なぜなら、他の地方から来た人たちから「花畑」と勘違いされるのである。



兎も角、空き地という空き地に繁茂している。
ちょっと休んでいる田畑、荒地、川原などにはほとんどこの花が咲いている。

遠見にはものすごくきれいに見えるのであるが、その土地が昔はそうでなかったことを知っていると、本当に何者かに侵略されているように思える。

昔、十朱幸代が「セイタカアワダチ草」という歌を歌っていた。
この歌詞の中では「沖縄」という言葉が入っていたので、沖縄からやってきた草なんだろうなあ、と思っていたら、今回ウィキペディアで調べると、そうでもないらしい。

この花が見られると晩秋という気分になり、しおれて黄色の花が薄くなってくるというか色あせてくると、霜が降り始め、いよいよ冬になってきたなあと思う。

この草は、秋と冬を教えてくれる花であり、色鮮やかな割には、なんだか寂しくなってくる花でもある。

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そば打ち 初体験

2014-10-21 23:21:14 | 日々雑感
昨夜、初めて「そば打ち」なるものを体験した。

ある「そば研究会」へ押しかけ(一応は誘われたのであるが・・・)、あれよあれよという間に蕎麦打ちをしたのであった。

その研究会は21時ですべて終了するため、先着順に蕎麦打ちを始める。
我々(5人で参加)は、初めてなので、一番早く行き、準備から手伝いを始めたのだが、初心者5名に対して先生がなかなか来ない。

というわけで先生が到着した順にそば打ちを始める。
そば粉500gに対して小麦粉100gを、手で混ぜていく。
うまくなじんだならば、水を投入。
目安は300cc。
最初に3分の1を投入。(ここは先生によって違っていて、半分投入、という人もいる)
そして、また混ぜる。
「ダマ」ができないように、丁寧に素早く。
そして、さらに水を投入、そして混ぜる。
このころから団子状態になっていく。
最後に水をまた投入したが、本日の天気の状態ではすべて投入しなくてもよいとのことで若干水を残す。

このあたりは、よくわからない。
続いて、団子状態に丸め、中心部にへそができるように、こねる。
この作業は、なかなかコツをつかめない。
見かねて、ほとんど先生が作業。

更に「円錐」状になるように整形。これまた先生がほとんど作業。
で、完成。
この時、とっても素晴らしい状態、というお褒めの言葉をいただく。しかし、私は考えなしに指示に従っただけである。

続いて、円盤状に潰していく。
そして、いよいよ麵棒で伸ばしていく。
この作業が、というか麵棒をコロコロするところがうまい、と褒められる。
で、調子に乗ってしまい、中心部になぜか親指で凹状の傷をつけてしまう。

別の先生がやってきて修復作業を行うが、この先生はちょっとへたくそで、とうとう切れてしまった。
まあ、そこを何とか修復して、いよいよ切断。

これもまた難しい。リズムよく、と言いますが、それはムリムリ。

試食は楽しかった。
全部で10数名がそば打ちをした、それを少しづつ試食するのである。

それにしても、同じそば粉、同じ分量、同じ流派なのに、一人づつの味が違う。
男の人、特に我々のような初心者は、力が入っているのか、よく言えば男らしい厳しいそばになっている。
一方女の人の打ったそばは、優しいそばになっている。

そんなことを思い、感想を述べながら、食べた食べた。
今まで、こんなにそばを食べたことはなかった。
そして、こんなにおいしいそばを食べたことはなかった。

最後に、自分の打った残りの蕎麦をお土産用に頂いて解散。

そして、本日、またもやそのそばを食べた。
家族は「げてもの」を食べるように、おそるおそる口に運んだが、一口食べて、案外おいしいのに驚く。

そうなのである。姿かたちはなんだか怪しいのであるが、割とおいしいのである。

研究会は毎月行われているそうなので、来月も行ってみようかと思っている。


追伸
とはいうものの、私にはそば打ちの才能がないことを実感。
どちらかといえば「食べる」側に回って、言いたいことを言って食べる人になりたい、と思ったのである。

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食い意地クン<3>とんかつ 久住昌之 新潮文庫

2014-10-19 18:41:30 | 読んだ
ナント、すごーく久しぶりの連載である。

「食い意地クン」という本に著者の思いが書かれていることに追従して、私も、その食べ物について書いてみようと、連載をして2回でストップしていたのである。
なんという、無責任、そして持続性に欠けるのだろう!

さて、第3回は「とんかつ」である。

若い頃、とんかつは大きなハレの食べ物であった。
食堂に行って、とんかつ定食なんて頼めなかった。ましてや「ひれかつ」なんていうものは高嶺の花であった。

ステーキなんてものは、行く食堂にはメニューにはなかったし、見たこともなかったので、同じ高嶺の花であっても、最初からあきらめがついた。しかし「ひれかつ定食」はメニューにあり、食べている人もいたので、同じ高嶺の花でも、手が届きそうだったので、なお一層のことであった。

ということから、つい最近のことであったが、東京で時間ができたので、若い頃に行っていた食堂(約30年ぶりだったのに存在していた)に行き、ひれかつ定食を生ビールとともに注文し、うっぷんを晴らしたのであった。

さて、著者は
「とんかつは脂身だ。」
という。

そうなのだ、値段が高いゆえにヒレカツをありがたがるが、実際食べてうまいのはロースだ。
(とはいいつう、近頃はちょっともたれるのであるが・・・)

そしてとんかつは、
「とんかつソースを、どぼーっとかけて、カラシをちょういとつけて、ガブリ。」
が著者の食べ方である。

この「カラシ」というのを見たときは本当に驚いた。
「東京はスゴイ!」
と思ったものであった。

私は、ソースをかけて食べるのも好きであるが、ご飯と一緒の時は醤油がいい。

著者はこうも言う。
「キャベツをケチるとんかつ屋は地獄へ堕ちろ。」
どうして、とんかつ屋のキャベツは美味しいのだろう?

ワタシ、若い頃はとんかつとキャベツを別々に食べていました。肉は肉で食べたかったのあります。
近頃は大人になったので、カツとキャベツを一緒に食べておりまする。

「ウマイ。もりもり食う。とんかつとご飯って、ほんとに『もりもり食べる』という言葉がピッタリ。途中のお新香がウマイ。大切に食べる。」
確かに、とんかつ屋では『もりもり食べる』のである。誰かと話をしたり、テレビを見ながらだったり、ましてや漫画本など読みながら食べてはいけない。

「結局出されたものをものの五、六分でたいらげ、一回り大きくなって店を出たのだった。
 よし、俺は、勝つ!何かに。」


そうなんだよなあ、とんかつを食べると、なんだか攻撃的な気分になってしまうのである。

それにしても、近頃はとんかつは二切れぐらいで良くなった、寂しい。

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藤子不二雄論 FとⒶの方程式  米沢嘉博 河出文庫

2014-10-17 09:43:45 | 読んだ
藤子不二雄の漫画では、Ⓐの「まんが道」シリーズが好きで、そのため、なぜか彼らをよく知っているという、自分が自分に対して誤解している面がある。

「まんが道」シリーズの中で、彼らが描いてきた漫画が紹介されるので、その一部しか読んでいないのに、全部見たかのように錯覚して、それで「よく知っている」ということになってしまったのだ。

そういう反省もあって「藤子不二雄とは?」をもう一回知ってみようと思って本書を読み始めたのであった。

で、失敗だった。

第一に、今までいろいろな本を読んできたのだが、最も相性の悪いのが「評論」だったということ。
そして、その評論でも「よくわからない表現」が多いのは、イライラ感が募って、評論されているもの(人)に同情してしまうのである。
たとえその評論が対象物に対して好意的であっても「なんだかなあ」感は否めず、ひいきの引き倒しではないのか、などと思う。
で、大体が途中でほっぽり投げてしまった。

本書は、藤子不二雄に対して「愛」を持って書かれたものであることは、よくわかる。

米沢嘉博という人は、藤子不二雄の漫画を愛しているんだなあ、というのはわかるのである。
しかし、その愛し方が「ちょっとなあ」なのである。

とは言いつつも、FとⒶの違い、それは「画質」であったり、「内面世界」であったりなのだが、そのあたりは「なるほどそういう見方をするのか」と感心をした。

この「感心した」ことだけが、読み続ける原動力であったのだ。

本書の帯には
「『二人で一人の漫画家』の秘密に迫る 空前絶後の名著」
とある。

だけどどうだろう?
この本を読み続けて、そうか藤子不二雄とはそういう「モノ」だったのかと、深く感じ取る人が多くいるだろうか。
つまり、本書は、藤子不二雄について何も知らない人や、少ししか知らない人には、チンプンカンプンではないだろうか。

藤子不二雄について一晩でも二晩でも語り明かすことができる、コア、熱狂的、どっぷりとはまったファンが、この本を抱えて、さらにもう一晩語る、というような、そういう役割を持つような本ではなかろうか、と思う。

どこかを引用して紹介したい(あまりのくどさに)と思ったのだが、一つのセンテンスが異常に長くて出来かねた。

まあそれでも、Fは白、Ⓐは黒、という作風の表現は素晴らしいと思った。

しかし(これは私の思いなのだが)、Fは白という作風(絵も白い、お話も正義と悪が明確で白い)にもかかわらず、というかそれ故になのか、世間とはあまり交わらなかった。

Ⓐは黒(絵も黒が多い、お話も正義と悪が混在している)であるのに、世間とはうまく付き合っていた。

このあたりを、もう少し追及していただければ、藤子不二雄を通して、人の持つ「白」の部分と「黒」の部分とはいったい何なのか、ということが少し明らかになったのではないか、と思っている。
(ただし、私は本書を完読していないので、後半でそういう部分があるのかもしれないが・・・)

いずれにしても、本書によって私は「評論」系のものはよく考えてから読み始めるべきということが改めて分かったのである。

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小説十八史略(1) 陳舜臣 講談社文庫

2014-10-13 21:54:39 | 読んだ
全6巻である。

今まで何回読んだだろう。
もうボロボロになってきてしまった。

何回読んでも新鮮なのは、その時々の自分が違うからだと思う。
従って、その時々によって、印象深いところが違う。

今回読んでみて、前はこの部分に感心をしたけど、今回は違うなあ、というところがやっぱり多くて、それが自分の成長なのか退化なのか、ちょっと考え込んでしまった。

十八史は、中国の太古の時代から南宋の時代までの歴史を子供向けに作られた歴史書であることから、本来の歴史を扱っているものではない。
とウィキペディアに書かれている。
つまりは、例えば義経と弁慶の五条の橋の上での戦いや、八艘とび、弁慶の立ち往生、あるいは豊臣秀吉が信長の草履を温めていた、というような話ばかりなので、それを歴史としては見てならない、ということである。

中国の歴史を勉強するために読んでいるのではないので、そんなことは気にしない。

著者は、冒頭に十八史略に載っていない神話を紹介する。
そしてその神話には
「与えられた任務の遂行法、人情の機微、男女の葛藤、欲望の渦、信義と裏切り、死にたいする恐怖、指定に代表される人間関係のきびしさ」
がすっぽりとはめこまれており、つまりイコール中国の歴史であるとしている。

そうなのである、この物語には多くの人間が登場するのだが、その人間たちの生き様が非常に面白いのである。歴史というのは人間学ではないのだろうか、と思うくらいである。

さらに言えば、同じようなことをして同じように失敗している人の多いこと。
人というのは同じ過ちを繰り返しているのだということがわかる。
歴史を学べばどうすべきか明確ではないか、と、読んでいるうちに腹が立つことがある。

しかし、そう怒っている私も同じ過ちを犯すのである。

今回は、そういう反省を含めて、改めて読み直してみようと思ったのである。
であるが、やっぱり面白くて教訓なんてなどうでもよくなってしまうのである。

さて、第一巻は、神話時代の話が冒頭にあるが、続いて「酒池肉林」の話が登場する。
つまりは、殷の紂王の話からである。そうすると続いて「周」の時代、そして「春秋時代」「戦国時代」を経て、秦の始皇帝の天下統一となる。

このあたりの流れを大体覚えておいて、詳しいところは宮城谷昌光のいろいろな本を読んできたのである。
あるいは、さらに小説である酒見賢一の本も読んできた。

まあ、ともかく魅力的な人たちが多くて。

それで、成功する人たちを見ていてものすごく感心するのは、目的を達成するための手段にかける時間の長いことである。
現代は、時の流れが速くなったようで、早く早くとせかされ、結果がすぐ見えないと失敗ということになってしまう。
しかし、もう少し長い目で見てもいいのではないだろうか?
批判する人たちが早く早く、というのはわからないでもないが、何かを為そうとする場合は早く早くではダメなんだと思う。

企画の「企」という字、企てるだが、この感じの意味には「つま先だって遠くを見る」というものがある。
遠くを見ないで企てるのは失敗に終わるのである。

更に陽気に我慢する人が勝つ、と思う。
しかし、熱い人はあまり芳しくない。
自分で自分をコントロールし、自分で考えた演技をきっちり演じられなければならない。
熱い人はどこかで自分が出てしまう。

そんなことを思いながら一巻を読み終えたのである。

追伸
昨日から台風19号が日本列島を襲っている。
近頃の自然災害が多く発生している。
自然災害なのだから、その責任は政治や行政にはないのであるが、何かというと政(まつりごと)のせいにされる。

これは昔の中国でもそうであり、あまりにも自然災害が多いと、王や皇帝の心の持ち方が悪い、ということになり、滅ぼされる原因となる。

ということで、自然災害というのは政を行う者にとってはその能力を大きく試されるものなのではないかと思う。

それにしても、科学的になった現代でも、紀元前の中国と同様の責任追及が行われるということを見ると、なんだか「人」というのはあまり進歩していないのではないかと思ってしまう。


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お順 (上・下) 諸田玲子 文春文庫

2014-10-12 18:32:52 | 読んだ
お順は、勝海舟の妹である。

勝海舟は、私の尊敬するというか好きな人である。

高校3年生の時、NHKの大河ドラマは勝海舟であった。
子母澤寛の原作は何回も繰り返して読んだし、氷川清話も読んだ、ともかく勝海舟という文字が目につけば読むことにしている。

さて、そのNHKのドラマで、お順を演じていたのは大谷直子である。
それ以来、お順のイメージは大谷直子で、非常にキツイ女の人というのが私の頭の中で定着してしまった。

で、今回、この物語を読むと、そのイメージが大きく変わったのである。

父・勝小吉、母・信、兄・麟太郎(海舟)、姉・はな
貧乏な家で生まれ育った、お順。

しかし、父・小吉や兄・麟太郎の破天荒な生き方の中で多くの人たちを見ることとなり、貧乏に負けて卑屈にはならず一流の男に憧れるようになる。
父・小吉の生き様は、破天荒そのもので、破天荒ゆえに出世ができず、若くして隠居する。
そのような父を、お順は理解する。

つまりやっぱりお順は「キツイ」女なのである。
しかし、諸田玲子が描くお順は、キツイだけでなく「可愛い」女でもある。

彼女の初恋は、麟太郎の剣術の師匠・島田虎之助である。
しかし、お順は8歳、虎之助は30歳。

それでも、お順は虎之助に嫁ぐこととなる。
しかし、嫁ぐ前に虎之助は亡くなってしまう。

次にお順の前に現れたのは、佐久間象山である。
この場合は、象山がお順に惚れる。
お順は、象山に惚れることはなかったが、一流の男ということが決め手となって結婚する。
そして、象山の妻としての生き甲斐を感じ始めた頃、象山は暗殺される。

勝家に戻ったお順は、幕府瓦解の始末に奔走する海舟をみて、いろいろと思う。

そして、勝家に来た、無頼の浪人・村上俊五郎と恋仲になる。
この村上にはその後ずっと迷惑をかけられながら生きることになる。

こういう一代記を読むと、人間の幸福とは何か、ということを考える。

そして、幸福とは何だろうかと思う。

充実した人生とは何だろうかと思う。

それにしても、この物語に登場する勝海舟は、やっぱりカッコイイ。

著者は、こう表現している。

「麟太郎は明朗闊達で、ややもすればお調子者のホラ吹きと見られるが、実は努力と忍耐の人だった。物事を理路整然と組み立てて、一歩一歩前進する。情にほだされて道を踏み外すことは決してない」

そんな麟太郎がお順にこう言う。

「お順坊、おめえは子供の頃から利かぬ子だった。このおれをあたふたさえるのは、昔も今もおめえだけサ」

お順は、父小吉・と兄・麟太郎に大きな影響を受け、それを抜け出せないまま人生を過ごしたのではないだろうか?

それが幸福か不幸かは誰もわからない。

久しぶりに一気に読んだ物語であった。

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麻丘めぐみ 読売プレミアム「ロング・インタビュー」2014.5.15~6.1(全16回)

2014-10-11 22:24:15 | 読んだ
読売新聞のオンライン版の「読売プレミアム」に、連載された、麻丘めぐみのインタビューである。

実は、読売新聞本誌に連載されている「時代の証言者」をスクラップするのがなかなか大変なので、何かないかと探したら、この「読売プレミアム」を見つけたので加入した。そして見ているうちにこれを見つけたのである。
というか、いつか新聞で麻丘めぐみのインタビューが始まるというのを見たが、全然探し当てられなくていたのだ。

さて、麻丘めぐみである。
私より1歳年上で、多分今日「10月11日」が誕生日である。(ちなみに私は明日が誕生日)

高校時代に彼女の歌の「フリ」を授業中に友人に教えていたら先生にみつかり、立たされたことがあった。
更に、高校3年生の時、NHKの番組「ふるさとの歌祭り」(宮田輝さんが司会をしていた)が体育館で行われることになり、そのゲストとして彼女がやってきた。

保健室が楽屋になり、保健室から通路を通って体育館に行くのであるが、それを3階のベランダから見ていて「めぐみちゃーん」と同級生たちで叫んだことがあった。

当時のアイドルは、雲上の人であり、我々一般人とは絶対違う選ばれた特殊な人だと思っていた。

で、今回このインタビューを読んでみると、彼女は「イヤでイヤで」しょうがなかったらしい。
彼女がデビューしたときに思ったのは「本命が出てきた」「満を持して正統派アイドル参上」ということであった。

彼女の前にいたアイドルたちは、我々よりちょっと年上で、なんというかたまたま偶然に売れた、という感じがしていた。

麻丘めぐみは一つ上で、上流の家庭で育ったような、本当にかわいい感じで、我々が待ち望んでいたアイドルであった。

その後、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、榊原郁恵などとアイドルが登場してきたのだが、麻丘めぐみを起点として変化していった、という思いがある。

子役やモデルを小さい時からやっていことから、アイドルへの転身はすんなりかと思ったらそうでもなく、ましてや歌うことなどはとても嫌だった、ということや、あまりにも忙しいこと、そしていろいろな「しばり」があったことなどが、このインタビューで語られている。

これは我々世代に共通していることだと思うのだが、仕事となれば厳しくしつけされたのである。
今の世の中であれば「いじめ」「ハラスメント」といわれるようなことがあり、さらに体罰的なこともあった。これは今では理由のいかんにかかわらず暴力として取り扱われる。

でも、このようなしつけがあったからこそ今の我々があるような気がする。

しかし当時は、目の前の多くの出来事から遠ざかりたい、普通の生活(結婚して家庭に入り子育てをする)ということに大きな憧れを持つようになり、その方向へ、いつどのようにして変化するかが大きな目標になっていく。

そういえば当時のアイドルたちは、その方向に進んでいた。
そして、あのキャンディーズの「普通の女の子になりたい!」発言になるのだ。

麻丘めぐみも結婚して引退し、子供授かる。
そして、離婚。そしてそして芸能化復帰。

まったく、こちらの予想どおりそして多くの芸能人のパターン。

ここからが、麻丘めぐみの芸能人の本当の苦労、つまり「芸」への真摯な取り組みが始まる。

こちら側の思いは、好き勝手なことをやってさらに復帰して楽な人生だよなあ。
でも、やっぱり大変な人生なのである。

それでも、若い時にしつけられたことが役に立つ。

今の麻丘めぐみは、すごく充実しているようであり、さまざまな才能を生かしているようだ。

ところで、このロングインタビューシリーズは面白い。
麻丘めぐみの他には、森昌子、岩崎宏美、中澤裕子、小川ローザなど、更に「きたやまおさむ」は超ロングインタビューになっていて、今、非常に興味深く読んでいる。
そして、今は伊藤咲子が連載されている。


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ナイターソフトボール

2014-10-09 23:20:35 | 日々雑感
今夜は、ナイターソフトボールを20時から21時までやってきた。

そろそろ58歳になろうとしているので、会う人会う人に「けがしますよ」と言われるのだが、そのあたりは十分承知。
それほど無理はしない。

ナイターソフトといっても照明が暗いので「コワイ」のである。
しかも、照明が低いので、明るいところと暗いところがはっきり分かれており、打者が打った瞬間はよく見えない。

だから、昼間のソフトボールでは悠々と追いつくフライに追いつけないプレーが多い。

ポジションは投手である。
そうそう抑えられるわけもなく、ただひたすらバックがアウトを取ってくれるのを待つだけである。

ウィンドミルで投げると、ピッチャー返しがコワイ。

まあそれでも、なごやかに、レクレーションとして楽しんできたのである。

こういう時は、帰ってきてからのビールがおいしいので、つい飲みすぎてしまうのであるが、本日は、うまくブレーキをかけることができた。

走ったり、投げたり、体は少し痛いが、それより気持ちが軽くなり、明日への活力となる。

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再開 ・ 再会 ・ 最下位

2014-10-08 06:27:28 | 日々雑感
昔、1979年(昭和54年)秋、読売ジャインアンツは、不甲斐ないシーズンを振り返り、若手選手を中心に、地獄の伊東キャンプといわれるもう特訓を行ったが、翌年の80年は最下位に沈んだ。
しかし、その特訓に参加した選手たちの多くが一流選手となって行った。

東北楽天ゴールデンイーグルスは本年(2014年)は、前年の優勝から一転して最下位となった。

今のプロ野球はどこが優勝してもおかしくないくらいに戦力は均衡していると思う。そこで勝つには「心」の問題ではないかと思う。
更なる技術の向上を目指す心、が必要と思う。

それにしても今年のイーグルスは情けなかった。
「えっ!?」「なぜ?」「どうしたの?」
というのは日常茶飯事で、最後には「なんじゃこれ?」になってしまった。

公認野球規則1.02に「各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。」とある。
つまり、勝つことが目的なのである。
したがって「捨て試合」とか「若手を育てる試合」というものは、ルール違反である。

これからは、そういう試合が見受けられたらルール違反ということで没収試合にすべきではないだろうか。
その時点で最も勝つ確率の高いメンバーで臨むという姿勢が必要である。

昨日の楽天の試合は、最下位から脱出すべき、そして星野監督の最後の試合である。
なのに、正捕手の嶋や4番として使い続けてきたAJを先発から外し・・・


というようなわけで、しばらく中断していた、このブログを再開します。

なんだか忙しいという言葉にかまけて、やるべきことをやらずに過ごしていた日々であった。

「公私」というのは大事であって、「公」だけに力を注ぐことは、どこか歪であり、公私がバランスよく日常に配置されていなければならず、そして「私」ということの中にも「規律」があるべき。
ということに気づいていても、なかなかできない。

で、まあ、今回、このブログを再開することによって、自分自身に一つの「規律」を課そうと思うのである。

そういう私的理由にお付き合いいただくのもなんですが、よろしくお願いいたします。


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