読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

小説新潮 連載モノ 

2010-06-30 23:45:10 | 読んだ
この半月、とんでもなくバタバタしていた。
物理的に(つまり肉体的)忙しいので、じっとしていられない。
また心理的にもあわただしく過ごしていた。

ので、じっくりと本を読むということが出来なかったのである。

それでも、いわゆる活字中毒者であるからにして、何かを読まずにはいられない。

小説新潮は、連載モノと連作モノが多い。
ゆえに、読んではいてもなかなか感想を書こうとすることが出来ない。
ということから、今、目を通している連載、連作を列記してみようと思う。

今野敏「転送 隠蔽捜査4」

佐々木譲「警官の条件」

貫井徳郎「灰色の虹」

宮部みゆき「ソロモンの偽証」

飯嶋和一「星空航行」

楡周平「虚空の冠」

以上が読んでいる連載小説である。

そして、読もうと思っているが連載完結を待っているものが

宮木あや子「ガラシャ」(7月号で完結)

あさのあつこ「たまゆら」

荒山徹「蓋島伝-長宗我部元親秘録」

大沢在昌「冬芽の人」

谷村志穂「尋ね人」

西村京太郎「阪神間36.9キロの殺人」

そして、連作では

諸田玲子「お鳥見女房」

北村薫「飲めば都」

平安寿子「コーヒー、もう一杯」

畠中恵「しゃばけ」


一気に読めないということは、それぞれが前号まではどうだったかを覚えていなければならず、記憶力が衰えてきている私には、あまり愉しいことではないのだが・・・

読んでいて、連載が完了したならば単行本又は文庫本でもう一度読もうというのがすくないのも、あまり愉しいことではない。

と、いいつつ読み始めると引き込まれていくのである。
だから読書はやめられない。

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<大特集>鬼平犯科帳 競作 よみがえる長谷川平蔵 オール読物6月号

2010-06-16 22:12:26 | 読んだ
池波正太郎没後20年、ということで、鬼平犯科帳の特集。

そのなかで
<競作 よみがえる長谷川平蔵>ということで、

逢坂剛「平蔵の顔」
諸田玲子「最後の女」
池波正太郎「看板」

が掲載されている。

池波正太郎の「看板」は、昭和40年に「別冊小説新潮」夏号に掲載され、その2年後から「鬼平犯科帳」が「オール読物」で連載開始されたとのこと。

それゆえか、この物語はあっさりと長谷川平蔵が描かれている。
何しろ、最後に長谷川平蔵は死んでしまうのである。

それでも、いわゆる「お盗めの三カ条」がでてきて、盗賊のなかにも仁義を重んじるものがいるということや、盗賊を密偵に使うこと、或いは「葵小僧」や「くちなわ平十郎」が登場するなど、その後の長谷川平蔵を髣髴とさせるものである。

逢坂剛、諸田玲子の長谷川平蔵は、やっぱりこの人たちの長谷川平蔵であった。
というのが大きな感想である。

二つの物語はよく練られていて、それなりに面白いのである。
のであるが、今まで知っている長谷川平蔵ではない。

逢坂剛の「平蔵の顔」は、平蔵の命を狙う盗賊が、平蔵の顔を知らないため、平蔵のよく通う料理屋に勤める女:美於(昔は盗賊だった)誘い、平蔵に罠を仕掛ける。
という物語である。

従って、平蔵はあまり登場しない。
登場しないのだが、いつもの平蔵ではないのである。

諸田玲子の「最後の女」は、死んだはずの葵小僧が再び江戸に現れた、ということから、葵小僧に被害を受けた女が平蔵のために囮になって・・・
という物語。

こちらは完全に諸田玲子の長谷川平蔵である。

兎も角、久しぶりに鬼平を堪能したのであった。
だから読書はやめられない。

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青春のうた 第87巻 1980年代前期13

2010-06-07 22:20:06 | 読んだ
1.約束/渡辺徹 1982年8月

「さわやか」だったなあ、このころの渡辺徹は。

という感想だけになってしまった。

グリコアーモンドチョコレートのコマーシャルソングだったなあ。
それだけに時代の先端風の曲で、詩もカッコイイ。

この頃から、ヒットした曲でも歌えなくなってきていたのであるが、この歌は唄うことができる。


2.フレンズ/レベッカ 1985年10月

「もうついていけない」
というのがこの歌が出てきた頃の状況だ。

詩も曲もいいと思う。
いいと思うが、自分にとっては思い描けない光景であるし、曲もつかめないカンジなのである。

この歌を聴いていると、なんだか背伸びしているような、そしてその姿が痛々しいようなそんなカンジがしたものである。


3.摩天楼ブルース/東京JAP 1984年10月

初めて聴いた、と思う。

曲もグループも知らない。
東京JAPには赤坂泰彦がいた。といわれても・・・
知らないものは知らないし、今聴いても何の感慨ももてないのだった。
あしからず。


4.バカンスはいつも雨/杉真理 1982年10月

杉真理(まさみち)の曲は、ハイ・ファイ・セットのアルバムで知っている。

ただ彼がこういう歌をうたっていたのは知らなかった。

彼の歌は「ノリ」がいいので好きなのであるが、では、真剣に向き合って聴いてみようか、ということにはならないのである。

それは多分1980年代ということが大きな要因だと思うのである。

私にとって1980年代は「歌どころではない」という時代だったのだ。


5.アンジェリーナ/佐野元春 1980年3月

申し訳ないのだが、佐野元春の歌は聴いたことがないのである。

「どうして?」
と聞かれても
「縁がなかったから、そして1980年代だったから」
としか言いようがない。

どちらかといえば好きになりそうな曲風なのだが・・・


6.シャイニン・オン君が哀しい/LOOK 1985年4月

このうたはいわゆる「苦手」の部類に入る。
出だしの

♪シャイニン・オン♪

という部分を聴いただけで「勘弁してくれ」という気持ちになってしまうのである。

その現象について明確に述べよ!
といわれても、自分でも分析不可能なのである。

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疑惑の真相 永瀬隼介 角川文庫

2010-06-05 23:12:46 | 読んだ
副題が、「昭和」8大事件を追う、である。

その8大事件とは

1.府中「3億円事件」で誤認逮捕された男の悲劇
2.発案者不明?!「成田空港」最大のミステリー
3.疑惑の「和田心臓移植」33年後の新証言
4.美智子皇后「失語症」の真相
5.潜水艦「なだしお」東京湾衝突事件で隠されていた「無謀運転」
6.美空ひばりが「紅白」から消えた日
7.丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか
8.世紀の対決「猪木・アリ戦」の裏ルール

である。

そもそも「事件」というのは何を指すのか、ということもあるが、私的に?がつくものもあるので、実は購入にあたって迷ったのであった。

私の中にあるいわゆる「野次馬」的な気持ちがこういう本を選ばせるのであるが、あまり外れたことは無い。
というのは、やっぱり「野次馬」的な気持ちを満足させるものが多いからだと思う。

今回おもしろかったのは
「心臓移植」と「丸山ワクチン」の医療関係である。

主に我々が知るのは、いわゆる「表」の部分、というか、発表できるものの部分である。
しかし、こういう読物は、筆者の思い込みのようなものがあるため、裏話と推理とがからまって、いわゆる「めっちゃ」面白いものになることがある。

取材に取材を重ねて書くのだろうが、その取材が「いいところをついているのか」ということが勝負である。
今回読んだのは、全部が良かったわけでもないが(私にとってあまり興味が無いものがあったこともある)『鋭い』『しつこい』という大事な部分はしっかり押さえていると思った。

本書は週刊新潮時代は「祝康成」の名前で書かれたものだという、となれば、二つの名前を抑えておかなければならない。
だから、読書はやめられない。

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青春のうた 第86巻 1970年代前期19

2010-06-03 23:23:03 | 読んだ
1.想い出がおおすぎて/高木麻早 1973年10月

この歌は大好きです。

詩が北山修と杉田二郎。
曲が高木麻早である。

♪あなたの愛のはかりしれない あたたかいまごころを♪

という出だしを聞くと、涙ぐんでしまうこともある。(気持ち悪い)


2.マリエ/ブレッド&バター 1970年4月

ブレッド&バターを当時聴くことはなかった。
それは当時聴いていたラジオでかからなかった、というのが原因である。

雑誌などでそういうグループがいるというのは知っていた。
だから、想い出のフォークソングみたいな番組で、ブレッド&バターを聴いたときは新鮮だった。

というのは、当時僕らが感じていた新しい感覚のようなものが蘇るような感じだったからなのである。

叙情的で自然体で、気持ちが穏やかになるようで、いいなあ、と思うのである。
しかし、積極的に聴こうということにならないのは、やっぱりこちら側が年をとったということなのだろう。


3.木戸をあけて/小椋佳 1971年1月

副題が「家出をする少年がその母親に捧げる歌」となっている。

そういうことを念頭にこの歌を聴けば「ああそうなのか」と思うのだが、その副題を意識しないと違うカンジになる。

つまりこの歌のなかで母親は「あなた」と呼ばれている。
母ではなく「あなた」ということでこの歌を聴くこともできる。
そういう意味で別に副題をつけることもなかったのではないか、と思うのである。
また、そういう副題をつけるということに、なんだか小椋佳の特別な意識が感じられたりするのである。


4.これがボクらの道なのか/五つの赤い風船 1970年3月

五つの赤い風船といえば「遠い世界に」しか知らなかったのである。

この歌はいわゆる想い出のフォークソングみたいなもので初めて聴いた。

感想としては「フーン、こんな歌もうたっていたんだ」というくらいのものであったが、生で西岡たかしがこの歌をうたったのを聴いたとき、ジーンときてしまった。

歌う方も聞く方もこの歌が出来てから相当の年月を経ているのに「ジーンとする」というのは、この歌の力なんだろうとそのとき思ったのである。


5.下宿屋/加川良 1972年6月

当時、この歌を聴いて「不思議だなあ」と思っていたのである。

聴いていて「だからなんなのさ」と思うのであるが、やっぱりどこか魅かれるものがある。

セツセツとしたセリフと、力をあまりこめない歌。

ガンバレと直接うたっているわけではないが、どこか励まされているカンジもする。

「・・・です」という、加川良独特の発音というか語り口が、更にこの歌をよくしていると思う。

近頃、特に高田渡が死んでから、無性に聴きたくなるときがある。


6.朝日楼(朝日のあたる家)/浅川マキ 1971年9月

原曲はよく聴く歌である。

それを浅川マキが詩をつけたようである。
初めて聴いた。

浅川マキの歌って、聴くときの状況でしみじみと心にしみるときがある。
でも、そういう時ってこちら側の状況はあまりよくないんだよね。

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信長の棺 加藤廣 文春文庫

2010-06-01 22:37:17 | 読んだ
5月21日以来の更新であります。
この間、なんだか毎日がざわついた日々でありました。

6月に入り、まだなおざわつきは消えませんが、まあなんとか本を読む気持ちが出てきました。

そういえば、6月にはいり「クールビズ」ということですが、閣僚のあのみっともない格好はいかがなものでしょうか。
亀井大臣のネクタイ姿がなんだか「まとも」に見えるというのも、おかしな現象であります。

さて、本書「信長の棺」でありますが、今月の文春文庫の新刊である「明智左馬助の恋」を手にとったら、「信長の棺」と「秀吉の枷」との三部作であるとのこと。

それでは「信長の棺」を読まなければなるまい。
ということで読み始めたのである。

本書は、信長公記の作者である「太田牛一」の視線から、信長、光秀、秀吉を描いている。
大きなテーマは、本能寺でなくなったとされる織田信長の遺骨はどこに行ったのか?ということである。

これまでの小説では描かれなかった人たちが登場し「信長の死」について探っていく。

本能寺の変については、いろいろな説があるが、私としては「秀吉黒幕説」を採りたい。
そういう意味では、加藤廣の描く豊臣秀吉はアヤシイ。

著者の加藤廣は、文庫解説(縄田一男)によれば、経済関連の著作を数多く刊行していたが、本書は75歳にして「初めて世に問うた小説」である、とのこと。

そして小泉淳一郎の愛読書ということで新人にしては破格のベストセラーになったとのこと。

「新人」ということが、この本を読むとひしひしと伝わってくる。
それは、大きな意欲というか、自分はこういうことを書きたいのだ、という気持ちが前面に出てきているからだ。

そういう小説は、アイデアや発想の奇抜さをうまく表現しきれないものが多く、物語が尻すぼみになっていくという欠点がある。
本書もちょっとその傾向がうかがえるのであるが「尻すぼみが小さい」ので、最後まで読み続けることが出来る。

3部作ということをあらかじめ知っているので、この続きはどうなるのだろうか?という読後感がある。
続いて「秀吉の枷」を読んでみることにしよう。

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