読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

コーヒー、もう一杯<第3話> 平安寿子 小説新潮9月号

2010-08-31 22:15:02 | 読んだ
小説新潮に連作として不定期?に掲載されている小説である。
ちなみに第1話は2月号に掲載されている。
さらにちなみに、このことは3月22日のブログに書いている。

平安寿子の小説は楽しい。
主人公たちはみんな苦労していたり、大変な目にあったりしているのだろうが、そんなことをあまり感じさせない。
なんというか「平凡な強さ」のようなものがいいのである。

さて、この物語の主人公:山守未紀は32歳。
店つくりのコーディネイトをする会社「ゴッデス・クリエイト」に勤めているが、恋人に「別れてくれ」といわれ、仕事の依頼者と大喧嘩をして、ついにブチキレ。
とうとう、自らが「カフェ」を経営することとする。

心配していた母の反対もなく、出資者も無事みつけることができた。

第3話は、カフェの構想、資金繰り、物件探しなど、具体的な事務について書いてある。
もし、カフェを開業したい人には『入門書』になりそうだ。

と思いつつも「開業」というのは、人とのつながり、がもっとも大事なようである。
世の中には、多くの入門書があり参考書があるが、理論と書いてある経験だけではなく、実地に即した細かい作業を見たり聞いたりすることが重要なようである。

というようなことが、第3話には書かれてある。
さて、未紀は無事に開業することができるのであろうか?

たぶん物語なので、紆余曲折はあるものの開業にはこぎつけると思う。
その次に、その店で成功するのか?

カフェで成功するってどういうことなのか?
チェーン店化することなのか?
いやいや、つつましく暮らしていける程度でいいのか。

それはよく分からないけれど、どのように展開していくのか、非常に楽しみである。

だから読書はやめれられない。

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亜玖夢博士の経済入門 橘玲 文春文庫

2010-08-29 20:34:12 | 読んだ
亜玖夢三太郎(あくむみたろう)博士とは
「海外の著名な大学で十余の学位を取得した後、昼夜を分かたぬ学究生活で万巻の書物を読破し、哲学・政治経済学から数学・物理学・生物学に至る諸般の学問の精髄を究め、齢七十にして己の学識のすべてを傾け衆生を救済せんと決意した」
人なのである。

であるが、というか、であるので『変な人』である。

博士の事務所は、東京は新宿の歌舞伎町裏の風俗街に設立された。
そして、チラシには
「相談無料。地獄を見たら亜玖夢へ」
と書いてある。

本書には5つの物語が収めてある。
相談に答える原理というか学説というのは全て経済学である。
というわけで、5つの物語は

1.行動経済学
2.囚人のジレンマ
3.ネットワーク経済学
4.社会心理学
5.ゲーデルの不完全性定理

ということになっている。

卑近なというか、ありそうでありえないような例をもとに、経済学の学説で解決するのであるが、これが「解決」というのかどうか疑問である。

しかし、バカに面白い。

経済学というのは、現実の問題を学問にしている割には、というか現実の問題だからなのか、非常に理屈っぽい。
理屈っぽいというのは、現実の問題はそうそう簡単に割り切れるものではないからである。

現実の問題というのは、あっちこっちに入り組んでいる。入り組んでいるのを理論だてようとするのは難しい。
だから経済学は難しい。

しかし、亜玖夢博士は、簡単に経済学を操り、相談者の悩みをあっさりとばっさりと断じるのである。

相談者は亜玖夢博士に相談してよかったのか?

何はともあれ面白い物語であった。

で、囚人のジレンマって経済学で学んだものの、まだよくわからないんだよね。
今度しっかりと読んでみよう。

だから読書はやめられない。

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ボタモチと恋-お鳥見女房- 諸田玲子 小説新潮8月号

2010-08-26 22:31:00 | 読んだ
お鳥見女房シリーズの最新版である。

物語の最初の頃には子供であった登場人物たちが大人になっていく。
そしてその姿を見る「お鳥見女房」こと矢島珠世。

穏やかな生活の中でおこる小さな事件そして大きな事件。
今回の物語は・・・

矢島家と縁の深い(居候をしていた)石塚家の長女・里が今回のメイン。
彼女も18歳、縁談があるのに父・源太夫が難癖をつけて断ってしまう。このままでは「嫁かず後家」になってしまうと、珠世にうったえる。
そして、珠世の目に適う人と一緒になりたいと頼む。

珠世は、縁談相手の中からこれはと思う者を選びそして会い気に入る。
更に一計を案じ、里とその男と工藤三十郎との見合いを演出する。
当時にしては珍しい、当人同士が会う見合いで、双方とも心魅かれることとなった。

ところがあくまで反対する父・源太夫。
ついにはおとなしく素直な里が父と喧嘩をして家を飛び出す。
それを聞いた珠世は、里を探すとともに源太夫を叱りつけるように説得する。

という心温まる話が一本の物語として語られるのと同時に、珠世の嫡男・久太郎がお鳥見役のもう一つの役目である「隠密」の任務をおこなっている様子が語られる。

時に江戸に帰ってくる久太郎の話を聞き、自分の身に起きた出来事にあわせて考える父・伴之助。
珠世は夫と父が隠密の仕事を通じて深く傷ついたことから、息子の身を案じる。
そして、妻・恵以は子が授かるように鬼子母神へ毎日参拝している。

というようなとき、久太郎は探索先で・・・・

ということで、今回は終了した。
この続きはどうなるのか・・・

だから読書はやめられない。


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Number759 8月19日号 甲子園 涙の名勝負 

2010-08-22 11:53:26 | 読んだ
久しぶりに「ナンバー」を購入した。
ナンバーとは正式名称を「スポーツグラフィックナンバー」といい、スポーツに関わる話題を取り上げている雑誌である。

相当前のことになるが、この本を定期購読していた時期があった。
その頃は主に「野球」が中心で、そのほかラグビーやサッカーやその時期に話題となるものが特集となっていた。
しかし、徐々に野球が少なくなり、話題が多岐にわたるようになってしまったことから、購読をやめたのであった。

今回はやっぱり「野球」の話題が中心だったから購入したのである。

記事は「伝説の男たちの証言」として、松井秀喜、松坂大輔、江川卓、田中将大。
KK独占インタビューとして、清原和博、桑田真澄のPLコンビ。
と読み応え十分であった。

そして「春夏連覇への挑戦」として興南高校を取り上げている。
これを読むと、興南高校が春夏連覇をしたことが当たり前のように思える。

強豪高は技術・体力はそれほど差がない。そこで「差」をつけるのは『気持ち』である。
「もっともっと」
という気持ちを多くの部員が持ち続けることが出来るか、が勝負の分かれ目のような気がする。

それにしても、高校野球は我々が思っている以上に「深い」もののようだ。

追伸
 私は決勝戦、東海大相模を応援していたのだが、興南高校の素晴らしさに脱帽であった。

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敗走記 水木しげる 講談社文庫

2010-08-20 19:11:07 | 読んだ
柄にも無く、8月15日の終戦記念日に、戦争と平和について考えようなんて思ったのである。

で、選んだ本が、水木しげるの戦記ものから、この2冊、敗走記と姑娘である。

戦記もの特に戦場を描いたものは「あまり読みたくない」というのが本音である。

戦争という特殊な環境の中で、順応していく人たち。
それを責めることはできない。
では、戦争を始めた人たち或いは指導していた人たちが責められるべきなのか?
それもなんだか違うような気がする。

私が初めて読んだ戦記ものは、故・春風亭柳昇が書いた「与太郎戦記」であった。
多分中学生くらいではなかったか。
この戦記は面白かった。
戦争に行っているのに、死と隣り合わせにいるのに、自分だけは死なないという雰囲気でいる。
「私みたいなものが戦争に行ったから日本は負けた」
と言う。

そういう戦記ものを読んだからなのか、その後は悲惨な戦記ものは読みたくなかった。
というわけなので、数ある水木しげるの戦記ものにも手を出さずにいた。

さて「敗走記」であるが、ちょうど今週の「ゲゲゲの女房」で紹介されていた。
水木しげるの経験談・実話ということでテレビではなっていたが、あとがきを読むと友人の話らしい。

主人公は苦労して悲惨な目にあっても「生きて帰ってきた」のに「死ね」という理不尽さ。

日本が戦争に負けた原因は、このあたりにあるのではないか。
つまりは江戸時代に形づくられた「侍の美学」みたいな自分の命で責任を果たす、というような考え方。
しかもそれは組織に求められる。

他には「ダンピール海峡」「レーモン河畔」「KANDERE」「ごきぶり」「幽霊艦長」とあった。
いずれも戦記ものではある。

戦争は命のやりとりである。
命を懸けて戦わなければならなかった人間の歴史がある。

戦争が悪いのか、戦争をする人間が悪いのか、戦争をしなければならない環境が悪いのか・・・

ギリギリの状態でいる人々を、ちょっと間を空けて或いは俯瞰したかんじで、水木しげるは描いている。
遠く離れた人々から見れば、バカバカしいことが真剣に行われているのが戦争なのかもしれない。

また別な水木しげるの戦記ものを読んでみようかと思う。
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王妃の髪飾り-飲めば都- 北村薫 小説新潮8月号

2010-08-18 08:27:19 | 読んだ
「飲めば都」シリーズの最新版である。

飲めば都シリーズとは、出版社に勤める小酒井都(独身・女性・現在は雑誌編集者)が、酒にまつわる失敗を重ねる物語である。(時には彼女の周囲の人たちが失敗したりすることもある)

今回は、前回の続きである。(って、当たり前か)
このシリーズは毎回読みきりの形であるが、今回は前回で逸話というか事件が終わらなかったのである。

つまり、都にとって気になる存在(もう恋をしているのかもしれない)のオコジョさん(小此木:デザイン事務所)と酒を飲んだのが前回まで。

今回はその翌朝、オコジョさんを部屋に招いたことまで覚えていたのであるが、朝気づいてみれば『あられもない』姿であることが判明。
上の下着はつけているがそれ以外は何も着てはいなかった、状態で、なおかつ下の下着が見当たらない。どこを探しても見当たらない。

都さんは、もしかしたらオコジョさんにその下着をあげたのではないか?
という疑念に取り付かれる。

そしてドタバタと騒動がおきるのである。

お酒を飲んで正体がなくなる、という女性に出会ったことが無いので、この物語は非常に面白い。
まさか!
と思うことがあるのだが、なんとなく納得してしまったりする。

そして、都を取り巻く人たちから話されるイロイロな博識情報が、また面白い。

というわけで、この物語はやく本に(特に文庫本)なって欲しい。
続けて読んでみたいのである。

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壬生義士伝 浅田次郎 文春文庫

2010-08-15 17:50:59 | 読んだ
浅田次郎は嫌いだ!
といい続けている。

理由は「あざとい」ということだ。
具体的に言うと「感動させられる」ということ。

「これでもか、これでもか」というようにこちらの涙腺を刺激する。
それがイヤなのである。

文庫の解説は久世光彦であるが、彼は「巧い」「面白かった」という感想である。
私もそう思うのだ。というか「巧すぎる」と思うのである。

この「壬生義士伝」は映画化されていて、それがよかった。
中井貴一、佐藤浩一、三宅裕司、夏川結衣が出演している。
それを見るかぎり、まあ許容範囲内の感動であると思った。
で、原作を読んでみようと思った。

思ったのであるが、やっぱり浅田次郎への疑念がぬぐえないため、なかなか手にとることはしなかった。
で、ようやっと今回読むことを決意したのであった。

物語は、幕末、新選組。
新選組といえば、近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八、原田左之助、齋藤一など、主役級がいっぱいいるわけであるが、この物語は「吉村貫一郎」が主役である。
吉村は南部藩脱藩、北辰一刀流の免許皆伝。
この物語では新選組で一番強い男、になっている。
そして、彼は妻子をこよなく愛し、妻子のために金を儲け仕送りする。

その吉村貫一郎とその長男・嘉一郎がこの物語で泣かせてくれる。
彼らは「義」に生きた。
しかも、他から見れば命を懸けるべき「義」ではないものに・・・

というわけで、読み始めてしまったら、あれよあれよと読み進み、下巻の途中からはやめることが出来ず、夜の1時半まで読んでしまい、興奮のあまり眠れなくなってしまった。

それくらい、これでもかこれでもかと筆者は技を繰り出すのである。

これで、映画を見て以来抱えていた「読まなければならない」という借りていたような気持ちを返すことが出来たようである。

で、浅田次郎の新選組シリーズの「輪違屋糸里」をどうしようか考えている。
これはオール読物に連載されていたときから気になっていたのであるが、読んでみようかなあ。

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仙台七夕

2010-08-09 21:32:44 | 観た、聴いた
昨日というか一昨日から2日間仙台に用事があり出かけた。

そのついでというかちなみにというか、仙台七夕をチラッとみてきた。

仙台七夕は、あまりにも大勢の人が繰り出すので、敬遠をしていた。
つまりわざわざ出かけるのも億劫であった。

今年は特に暑いので『なおさら』であったのだが、まあ『ついで』ということもある。



予想どうりの人ごみであった。

           

七夕飾りを見るなんてムリムリ

                  

早々にわき道にそれました。
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かってまま 諸田玲子 文春文庫

2010-08-04 22:17:33 | 読んだ
オール読物に連作短篇小説として発表されたものが今度文庫本になった。

2006年に掲載され、翌年本を片付けるときに私は読んでいる。
といっても、連作の途中からである。
2007年6月10日にブログで発表しているが、実は連作最後の「けれん」は連作と知らず読んでおり、それは2006年12月31日にブログで書いている。

それから月日がたち、文庫本になり、やっと連作全てを通して読むことが出来たのであった。

短篇それぞれの名称は

かげっぽっち
だりむくれ
しわんぼう
とうへんぼく
かってまま
みょうちき
けれん

となっている。

物語の主人公は「おさい」である。
そのおさいの生誕の秘密が「かげっぽっち」に描かれ、「だりむくれ」では7歳になっている。
そして「しわんぼう」では10歳、「とうへんぼく」では14歳、「かってまま」では16・7歳、「みようちき」では20歳前後、そして「けれん」では30歳と50歳。

というように女の一生なのではあるが、実は短篇それぞれで描かれているのは「おさい」が関わった人たちで、その人たちの心の動きが著されているのである。

したがって『おさい』は不思議な女として描かれている。

文庫本の帯にも

おさい、
おまえは
一体
誰なのか


と書かれている。

その不思議な女と関わった人(「けれん」だけが男で他は全て女である)が、おさいと関わると一時的にではあるが「幸福」な気持ちになる。

それぞれの短篇の最後にはいわゆる「どんでん返し」があるのだが、読んでいるほうにもなんとなく想像がつく「どんでん返し」であるので、安心といえば安心して読むことが出来る。

それと、それぞれの短篇の間に一体おさいに何があったのか?と思ってしまう。
つまり描かれていない部分でなにかおさいにとって重要なことがあった、と考えてしまう、そのところがこの物語のもう一つの「みそ」でもあると思う。

いずれにしても、雑誌に掲載されたものを改めて読み返すのもなかなかいいものである。
だから読書はやめられない。

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ガラシャ 宮木あや子 小説新潮1~7月号

2010-08-01 21:24:48 | 読んだ
小説新潮に「集中連載」された作品である。

題名から想像できるように主人公は「ガラシャ」
つまり、明智光秀の娘であって、細川忠興の妻であって、キリスト教に帰依し、その壮絶な死に方で有名な戦国時代の女性である。

戦国時代の女性は逸話が多く残っている人が多いのだが、
例えば「内助の功」では、豊臣秀吉の妻「ねね:北政所」とか前田利家の妻「まつ:芳春院」そして山内一豊の妻「千代:見性院」などは、HNKの大河ドラマでも主人公となっている。

そのほかには、織田信長の妹:市、その娘である淀殿、妹の:江(来年のNHK大河ドラマの主人公)、また徳川家康の妻:築山殿などなど・・・

その中にあって、ガラシャは異質である。
明智光秀が本能寺の変を起こすまでは、織田にあってはいいところのお姫様で、信長の媒酌によって、細川藤孝(幽斎)の長男忠興と結婚して、それなりに幸福であったように思える。

本能寺の変の後は、山奥に幽閉され、許されたと思ったら、大阪冬の陣の前に捕虜となることを拒み死んでしまう。それは忠興の人並みはずれた嫉妬が原因。
しかも、どういうわけかキリシタン。

興味深い人物である。
だから、この小説は期待し楽しみにしていた。
そして、完結してから一気に読んだのである。

この物語はガラシャの一生を描いている。
ガラシャの内面を深く描いている。

非常におもしろく読むことが出来た。

ガラシャという人間を、ガラシャ自身の心情から描いたり、その侍女である「糸」の眼からみたり、最後は舅である細川幽斎の側から見たりしている。

それは、当時の考え方というより、現代の考え方かもしれない。
つまり、歴史を舞台にした現代の物語とも言える。

当時の人たちはそういう規範をもって生きていたのか?
という疑問はこの際持たないこととして、今私たちはどのように生きるべきなのか?
自分を囲む環境のなかで否が応でも受け容れなければならないもの、受け容れることによって歪む自分の心をどのようにして正常に保つようにするのか?

それは、一介の庶民であれ権力の頂点に立つものであれ、自らの問題である。

この物語を読んでガラシャというのはこういう人だったのか。
と、納得してはならない。
ガラシャという人をこう見ることが出来る、というものなのだ。

それにしても、登場する人物たちの生きることに対する悩みの深さには、軽薄に生きているわが身に比べて感心するというか、そんなに真面目に生きなくてもいいんじゃないか、なんて思ったりする。

結末は、アレアレというものだったが「まあ、それもありか」と思った。

小説新潮は、連載ものがおおく大変なのであるが、たいへんだからこそ、読書はやめられない。
といいつつ、7月のブログ更新は少なかった。残念!

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