読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

友川カズキ 出鱈目な夜Ⅳ with Gaspar Claus

2013-10-14 21:39:57 | 観た、聴いた
この3連休、初日は「まいたけ狩り」

2日目、3日目は野球の試合があり、2連勝!
いずれも先発して1戦目が2イニング無失点。次の日のために交代。
そして、今日は、4イニング1失点で、まあ結果はよかった。
しかし内容的には満足がいかなかった。
せっかく昨日は2イニングで調整登板的だったのに、本日はなんだか「腰」に違和感が・・・

昨夜、友川カズキのコンサートに行ってきた。
その腰掛が木製の丸椅子で、どうもこれがよくなかったらしい。

しかし、友川カズキのコンサートはよかった。

友川カズキは知っていた。
若いころから知っていたが、その曲を聴くことはなかった。雑誌や歌の本などで「噂話」のようにしてその名を聞くだけであったし「難解な詞」という印象であった。

何も難しい歌をわざわざ聞くほどでもあるまい、と思っていたのである。
それが、懐かしのフォークソング、のような番組で、初めて「生きてるって言ってみろ」を聞いたのである。
ものすごい迫力と、ギターの言が切れていても歌い続けるというか、撮り直しをしない、というところがスゴイと思った。

また、1998年秋から2003年春まで、地元のTBCテレビの報道番組『週刊パパラビゾーレ』にコメンテーターとして出演をしていたのをよく見ていた。(調べたら2000年4月から日曜の朝のものだった)
今回のライブでもそのあたりのことで「テレビでコメントをして顰蹙をかった」とエピソードを披露していたが、よくまあこういう自由な発言をする人をコメンテーターに起用したなあと思っていたのである。

さて、コンサートである。
知っているのは「生きてるって言ってみろ」だから、そのほかは初めてであった。
更に、独特の歌い方であるので、詞がよく聞き取れないときもあり、さらに難しい表現や言葉であるので、漢字への変換が遅くなったりした。

本人は自分の詞はパクリなので好きではない、なんて言っていたが、なんというかその感覚は少しわかるような気がした。
観客の多くはファンの人みたいで、ある種宗教の会に参加しているようでもあった。
が、まあコンサートなんて演者に魅かれていくので、そういう風になるのだろう。

今回のコンサートにはチェリストのキャスパー・クラウスが参加しており、このチェロの演奏もすごかった。
友川の音楽をよく理解しているように思えた。(これも調べたら2009年からのつきあいとのこと)

友川の歌は「狂気性」にあふれている、ような感じである。
しかし、ギターのチューニングには気を遣うし、チェロとの共演ということで、一定の制約は守っている。
ただ、その制約の中にいることが耐え切れないものがあるんだろう。
これは多くの人が持っているものだろうが、多くの人はどうにかして折り合いをつけている。
折り合いたくない場合は「狂気性」に飛び込むしかないのだろう。
そんなことを思いながら聞いていた。

ところでよく知らなかったのだが、近頃友川は「売れて」きたらしい。
ナインティナインの岡村がラジオ番組で紹介し、ゲストに来てもらったころから始まったらしい。
人間何があるかわからないものである。

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まいたけ

2013-10-12 22:39:28 | 観た、聴いた
10月9・10日と東京に行ってきたのであるが、なんという「暑さ」
まだまだ夏なのか?!

帰ってきて、今日は、寒い。
秋である。

というわけで、毎年恒例の「まいたけ狩り」に行ってきた。

昨夜が雨だったので開催が危ぶまれたが、本日の天気予報は「快晴」
ところが、朝から曇りがちでいつ雨が降ってもおかしくない状況である。

そんな中、なんとか開催された。
いつもの通り制限があってない状況。本来なら箱1つ分およそ1.3㎏なのだが、少なく見積もってもその3倍は最低でも採っている。
なにしろ、毎年「秤(はかり)」を忘れてくるのだもの・・・

というわけで、我が家では二人参加でこれくらい取りました。


一人ではこれくらい。


で、今夜は夫婦二人きりの夕食だったので、まいたけの塊から落っこちた「バラ」だけを使って、まいたけ鍋を敢行!
いやあ腹いっぱいになってしまった。


秋であります。

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水をたくさん飲めば、ボケは寄りつかない 竹内孝仁 講談社+α新書

2013-10-06 22:13:08 | 読んだ
楽天が優勝して以来、気が抜けた状態になりました。
毎日がドキドキハラハラ、イライラニコニコだったのが、まあCS(クライマックスシリーズ)まではどうでもいいか、と思いだした。
そうしたら、楽天は負け続き。
そろそろ、何とかせにゃならん!状態になってきた、楽天と私であります。

さて「水をたくさん飲めば、ボケは寄りつかない」ですが、まあ、若干、眉に唾して読み始めたのであります。

筆者は医学博士・国際以上福祉大学大学院教授でありまする。
なので、その辺の民間療法の話ではなくて、実際の臨床を基にしたものである。
なので、フームとうなったり、ナルホドと頷いたり、ヒエーと驚いたりする。

先ず竹内先生は「認知症は認知障害である」という。
当たり前といえば当たり前である。
しかし、認知症は記憶障害と日本中が勘違いをしているのだという、認知症は物忘れではない、今の状況が認知できないのである。
ナルホドなのである。

つまり「そもそも」の話なのである。
こういうそもそも論は、私の大好きなものである。
したがって、この序章を読んで「眉唾」は一挙に吹っ飛んだのである。

人間の体の水分量は、子供が75%、成人60%、65歳以上で50%だそうである。
そして、この水分量が1~2%欠乏しただけで意識障害がおこるのだそうだ。
つまり、体重が50㎏の65歳以上の人は250~500cc欠乏しただけで意識がおかしくなるのだそうだ。

そして、実際の例をあげて、老人に水を増やすと認知症が完治もしくは著しい改善が起きた例を紹介される。

65歳を超えたら、一日1500ccの水を飲むことが、認知症の予防と治療になると、先生は断言する。
認知症の治療とケアは、水に始まり、水に終わる。
とさらに断言する。

そしてもっと言えば
「水、メシ、クソ、運動」
が大事なのだそうだ。
メシ、クソ、運動には、まず水を摂ることなのだ。

この本の面白いところというか特徴は「断言」である。先生は自信を持って断言される。
それが、非常に心地よい。

認知症とは記憶障害ではない、認知症を正しく理解することから、認知症対策が始まる。
ということから始まって、そもそもの人間の体とはどういうものか、という総合的な人間の体の理解。
そして、多くの患者たちの例から、人間を理解する。

専門的とは視野が狭い、ともいえる。
しかし、人間は胃だけで生きているのではない、心臓だけでもない、多くのパーツと精神から成り立っているものである。
そうであれば「病」というのは、広い視野と専門的知識とによって対応すべきものであると思う。

近頃は専門的分野からの発言に重みが置かれているが、実は、広く深い視野に基づいていなければ、結局はその対応が偏ってしまうのではないだろうか。

いっぱいいっぱい紹介したい文言があるのだが、それより興味のある方にはぜひ読んでもらいたい。
というわけで、近頃は水を十分摂取するようにしている。

なお、水とは水分であるので純粋に水ではなくてもお茶・牛乳・ジュースなどでもいいのだそうだ、が、お酒はいけないそうである。
心しなければ、と思った次第であります。

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