読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

キャンティ物語 野地秩嘉 幻冬舎文庫

2017-09-14 11:11:04 | 読んだ


「キャンティ」という店があるということは、なんとなく知っていた。

何を知っていたのかというと、ブルジョアたちが集まって好き勝手なことをしていて、それが「文化」と呼ばれていること。
くらいだった。

そういう店は、私にとっては異次元の世界のことなので、興味もなくどちらかと言えば毛嫌いしていた、と言える。

では、なぜこの本を読んだのか?
それは、林真理子の「アッコちゃんの時代」という物語を読みたくなったからである。
アッコとは川添明子で、まあ、なんというか『奔放』『魔性』というありふれた言葉で形容されている女性である。
そのアッコについて、ネットなのでなんとなく見ていたら、ちょっと知ってみたいと思ったのである。

何故、そのような気持ちになったのかは自分でも説明のしようがないのであるが、ともかくも「アッコちゃんの時代」を購入すべくアマゾンで検索したところ、この本と一緒に読まれているものとして「キャンティ物語」が紹介されていて、では、まあ、つきあいましょう。ということで購入したのである。

本書の主人公は、アッコちゃんの時代の川添明子の夫(正確に言えば元夫)である川添象郎の父・川添浩史、そしてその妻・梶子である。

川添浩史の祖父は後藤象二郎である。
経済的には何不自由のない生活を送った。
となっているが、何不自由のない、ということは、こちら側の目線でいえば「贅沢三昧」である。

昨年、NHKの朝ドラ「ベッピンさん」の主人公も子供時代は何不自由のない生活をしていた。
そして没落を経てまた盛り返すのだが、その根本にあるのは「何不自由のない生活」であるように思える。

我々には思いもつかないことが日常的に行われていたのである。

本書を読むと、やはりそういう生活をしていた人種というか種族というか人たちがいたのは確かのようだ。

浩史は、我々が考えるようないわゆる「正業」に就かないのだが、生まれ持ったものを活かして(本人はそのつもりはないのだろうが)生きていく。

本書を読むと、やはり異次元の世界が語られている、と思う。
異次元の世界とは、私とは考え方そのものが違う、ということである。

もっと若い時に本書を読んでいると、絶対に、大きく反発をしていたと思う。
「なんだこいつら!」
という思いがするのである。

戦後、浩史が開いた店(イタリア料理店)が「キャンティ」であり、そこに集うのはある観点からみれば「一流の人」である。
大げさに言えば日本の新しい文化を牽引した人たち。
彼らがキャンティに集まった理由は、川添浩史、梶子夫妻の人柄だということ。

読み終えて「キャンティ」が現在も営業していることを知ったが、行きたい、とは思わなかった。
私には似合わない、敷居が高い、いっても窮屈なだけ、という風に思うのである。

ただ、川添浩史と梶子には会いたい、と思った。

そして「アッコちゃんの時代」を読もうと思う。


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倍賞千恵子の世界

2017-09-06 17:57:44 | 読んだ


倍賞千恵子と言えば
「男はつらいよ」

そして、山田洋次監督の映画にもずいぶん出演していて、概ね私がみたものでは「いいひと」でした。

それから私小さい時から、倍賞千恵子さんの「さよならはダンスの後に」が大好きでした。
テレビで、健康的な「下町の太陽」を歌うと少しがっかりしたものでした。

さて、本書は、倍賞千恵子さんがこれまでの役者人生・歌手人生を振り返って、印象に残った人や場面、そして役者という仕事の在り方や歌とのかかわりを綴ったものです。

映画とか舞台とかで役者をしたことのない私にとって(したいとも思いませんが)、演技するということは非常に難しいというものだということがよくわかりました。

脚本を見てセリフを言って、手ぶり表情をなんとなくそれらしくする。
というのと、
『その人物になりきってなおそれを見ている自分がいる』
ということは全然違うもの。

そしてその人物になりっきって演じても、監督が思い描くものと乖離があればOKにはならない。

だけどそれがOKになればこれ以上の快感はないんだろうねえ。

倍賞さんは「渥美清」そして「高倉健」という、いわゆる3枚目と2枚目と多く共演しているが、それが違和感がないと思っていた。
どちらかと言えば男はつらいよ以外の作品は、「さくら」が演じているのではないかと思うくらいだった。

だから、この本も「さくら」が書いたものではないか、なんて思ったりして。

映画、演劇、歌といったものは「職人」の集まりが「共同」して作り上げる、という、大変な世界なんだなと思う。
職人は「こだわり」を持っているので、その「こだわり」を多くの人の中でどう発揮していくのか、そして「こだわり」が多く発揮されたものが「名作」になるのではないかと思った。

それから、実は私、倍賞さんの出演している映画では「同胞(はらから)」が大好きです。



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想い雲 みをつくし料理帖03 高田郁 ハルキ文庫

2017-09-02 16:16:21 | 読んだ


みをつくし料理帖第3巻である。
NHKのテレビドラマはこのあたりまでが放映されたのではないか、と思う。

さて、本書は
豊年星 - 「う」尽くし
想い雲 - ふっくら鱧の葛叩き
花一輪 - ふわり菊花雪
初雁  - こんがり焼き柿
の4話が収められている。

で、先ずは主人公「澪」の成長が著しい。
そして、何回も言うが「えらい」「けなげ」である。
まあ、時々カッとなってムチャもするけど・・・

そういう主人公であるから、周りが何かと助けてくれるのである。

誰かに助けてもらいたいなら、だれでも助ける。
誰かに愛されたいなら、だれでも愛する。

ということなのだなあ、とつくづく思うのである。

さて、物語は、澪のためにかけがえのない珊瑚の簪を売った「芳」であるが、それを『つる家』の「種市」が見つけ買い戻した。
しかし、芳の子、天満一兆庵の佐兵衛とともに江戸で働いていた富三に騙されて取られてしまう。
一体、富三は佐兵衛とどのようにかかわっていたのか?
そして、土用の丑の日には「う」のつくもの、「うなぎ」を出さなければならないのだが、値段が高いつまり庶民には高根の花。
そこで澪が考えたのは?

また江戸では鱧をたべる習慣がないことから料理する人がいない。
澪が料理することとなるが、その場所は、澪の幼馴染の「野江」つまり「あさひ大夫」のいる廓、翁屋。
女には料理などできないと、翁屋の主人伝右衛門が機嫌悪く食すが、あまりのうまさに涙する。
自ら『鬼の目に涙』といい、澪を認める。
また一人、澪を助ける人が出てくる。
そして、思いもかけず、野江と近づくことができた澪。

商売繁盛の「つる家」とまねて女料理人を売りにする店が出始める。
そして、なんと昔の「つる家」の跡地に同じ屋号の「つる家」が出店。しかも女料理人。
登龍楼で、澪やふき、そしてつる家をひどい目にあわせた末松が開いた店であった。

それでも料理では負けていないので客は戻ると踏んでいたが、偽つる家が食中毒をおこし、本物のつる家も巻き込まれ、客足は遠のく。
起死回生につきに三回「三方よしの日」をつくり酒を出すことにする。
そして客足も戻りつつあるなか、新しい料理「菊花雪」を生み出す澪。

そんな澪を小松原は「駒繋ぎ」の花にたとえて
『その花は、いかなる時も天を目指し、踏まれても、また抜かれても、自ら諦めることがない』
『見習いたいものだ』
と告げる。

つる家の「ふき」の弟・健坊がふきを訪ねてきて
『登龍楼をやめて、一緒に暮らしたい』とうったえる。ふきは心を鬼にして登龍楼へ帰すが、登龍楼から健坊が帰っていないとの探しに来る。つる家に関わりのある人たちは健坊を探すがなかなか見つけられない。ふきはものを食べられない状態になってしまう。
そして澪も料理に身が入らず味付けを間違う。

そんな澪に「りう」が言う。
『どんな時にも乱れない包丁捌きと味付けで、美味しい料理を提供し続ける。天賦の才はなくとも、そうした努力を続ける料理人こそが、真の料理人だとあたしゃ思いますよ』

食べられないふきのために「やき柿」をつくり食べさせると、ふきは立ち直る様子。
そんな時に健坊がみつかり戻ってくる。

種市は、健坊を登龍楼から引き取る決意をするが、りう、芳に反対される。そして澪が
『私も健坊と似た境遇だからわかります。甘えさせてもらえるなら際限なく甘え、優しくされるのが当然になる―――そうなってしまっては駄目なんです』

ほんと泣かされる。

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