読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

孔雀狂想曲 北森鴻 集英社文庫

2009-08-31 23:55:52 | 読んだ
北森鴻の小説の主人公たちが集う小説がある。

今、小説新潮で連載中の「鏡連殺」は、蓮杖那智シリーズⅣであるが、この物語には「旗師・冬狐堂」の宇佐美陶子が絡む。
そしてこの物語では、冬狐堂シリーズに頻繁に登場する「雅蘭堂・越名集治」が重要な役割を担って登場する。

とまあ、読んでいたのであった。
そうしたら、集英社文庫の紹介に、その「雅蘭堂・越名集治」の物語がある、というのを見つけた。

それが、この「孔雀狂想曲」であった。

というわけでこの物語は、
「東京下北沢にある骨董品屋・雅蘭堂の店主・越名集治」
が主人公の短編集である。

8編の短篇が収められている。
勿論、全て「骨董品」が絡むミステリーである。

骨董品が絡む謎を「眠り猫のように目が細い:越名集治」が、快刀乱麻とはいえないが、じっくりと解決していくのである。

これが面白くないわけがないではないか。

さて、この物語にはいわゆる「三枚目」が登場する。
それは、第1作「ベトナム ジッポー・1967」で、雅蘭堂に万引きに入って、それ以来押しかけアルバイターになった女子高校生の長坂安積(ながさか あつみ)である。

「骨董品にまつわる物語」であるから、あまり明るい話題ではない、というか暗い話ばっかりである。
それを、一気に明るくそして軽くしてくれるのが、安積である。

というわけで、蓮杖那智シリーズでも冬狐堂シリーズでもない、軽やかさが、この雅蘭堂シリーズにはある。

それにしても、小説新潮連載の「鏡連殺」に登場する越名はどうしたんだろう。
この物語を読む前まではあまり気にも留めていなかったが、越名集治っていいヤツである、ということがわかった。

鏡連殺は、今は蓮杖那智側から語られているが、越名側からも語るものがあると面白いとおもうのだが。
なんというか「鏡連殺:雅蘭堂編」というのもあっていいんじゃないか。

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青春のうた 第82号 1970年代前期18

2009-08-30 09:46:23 | 読んだ
1.走れコウタロー/ソルティー・シュガー 1970年7月

この歌は、というか、ソルティー・シュガーにはショックだった。
なにがというと、
「こんな普通の格好でテレビに出て、こんなふざけた歌を、意味ありげに歌う」
というところであった。

そういうのも許されるのか?
と、田舎の純朴な少年は心の底から思ったのである。

と思いながら
♪走れ走れ コウタロー 本命穴馬かきわけて♪
と、歌い
あのセリフも一生懸命覚えたのである。


2.なのにあなたは京都へゆくの/チェリッシュ 1971年9月

この曲を深夜放送ではじめて聞いたとき、なんだか粘っこい歌い方で、フォークっていうのか?なんて思ったものである。

チェリッシュも初期は「暗い」感じがしてあまり好きではなかったが、その後は明るい路線に転換しはずむカンジがでてきて、好きだとは大きな声では言わなかったが、陰ながら応援していたのであった。

というのは、当時は(というか当時から)吉田拓郎に傾倒していたので、軟弱系な歌にはとりあえず拒否感を出していたからである。


3.昨日にさよなら/落合恵子(レモンちゃん) 1971年4月

レモンちゃんこと落合恵子のラジオを聴くのは大変だった。
というのは文化放送の「セイ・ヤング」の電波がなかなか東北の片田舎には届かなかったからである。
セイ・ヤングのあとの番組「走れ歌謡曲」の時間になると、電波はわりに落ち着いたのであるが、どうも「セイ・ヤング」は聞き取りづらかった。

それでも精一杯調整して、落合恵子を聞いていた。
ところが当時は中学生で、レモンちゃんの話題はなんだか遠い世界のようなことで、よくわからなかったのである。

で、高校になるとなぜだか聞かなくなってしまった。

後年、落合恵子が私の地方に講演(PTAで招いた)できたとき、憧れの人を見に風邪をおして出かけていったのであった。
介護の話をしたように思えるのだが、風邪の影響でフワーッとしていた私はよく覚えていないのである。
但し、あの「声」は非常に心地よかったのであった。


4.君の街に帰ろう/黒崎とかずみ 1972年9月

黒崎とかずみというグループがあったことは知っていたが、歌は聞いたことがなかったように思える。

この「かずみ」のほうが、後に山本コウタローとウィークエンドの一員になったことから、そのようなことがわかったのであった。


5.いとこの結婚式/頭脳警察 1972年5月

初めて聞いた曲である。
こういう歌はあまり好きではないので、当時聞いていたとしても、多分聞き流していると思う。


6.人生なんてそんなものさ/猫 1972年3月

猫のデビュー曲だそうである。

猫って「雪」がデビュー曲だと思っていた。
初めて聞いた曲である。

私が持つ猫のイメージは「軽快」であったが、そうかこういうカンジもあるのか、という感想である。

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岳(がく)1~9巻 石塚真一 小学館

2009-08-28 20:31:28 | 読んだ
通っている整骨院の待合室にあったのを手にとって見たらなかなか面白かったので、全部読んでみたいと思った。

で、TUTAYAから借りてきたのである。
本当は借りてきて読むというのはあまり好きではないのであるが、「すぐ読みたい、すごく読みたい」という気持ちを抑えきれず、借りてきて読んだのである9巻まで。

さて、この漫画は、山岳救助を題材としている。
主人公は、山が大好きな「島崎三歩」
この主人公が、一風いや十風くらい変わっている。

山好きが嵩じて、世界の山を登り、今は長野に住んでいる。
イヤ、長野の山に住んでいる。

で、山岳救助のボランティアをしているのである。
彼は、遭難をした人を助ける、そして助けられない人もいる。
彼は遭難をした人にも助からなかった人にも「よくがんばったね」と声をかける。

幼馴染の山仲間である野田正人は長野県警の山岳遭難救助隊のチーフを勤めている。
その部下である椎名久美も重要な登場人物である。

さて、私はこの漫画を見て「山に登りたい」とは思わない。
この漫画に出てくる山は、ロッククライミングをしなければならないところだったり、雪山であったりするからだと思う。

どうもそのような山登りはできそうもない、のである。

では何故この漫画が面白いと思い読むのか?

それはこの物語は、山の物語ではなく人間の物語だからなのである。
不覚にも涙がでるときもある。
これからも読み続けようと思うのである。

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青春のうた 第81号 1970年代後期17

2009-08-27 21:54:05 | 読んだ
1.モンテカルロで乾杯/庄野真代 1978年7月

庄野真代の歌は好きな部類に入る。
あのちょっとかすれた声がいい。

この曲は「飛んでイスタンブール」に続く、エキゾチック路線第2弾である。
いずれも作曲は筒美京平で、当時のポップス系のいい曲の殆どがこの筒美京平ではないかと思う。

♪そして24時間 あの都会あとに♪

という出だし。
なにが「そして」なのかはよくわからないのだが、そのよくわからない感が、ものすごくわかりやすい曲にのって歌われる。

国籍不明の詩と、ポップな曲のノリ、そして庄野真代のかすれた声が、いい具合にマッチしている。


2.銃爪(ひきがね)/世良公則&ツイスト 1978年8月

世良公則というかツイストの歌も好きである。
「男くささ」というか、実は詩が女々しいのだが、なんだか強がっている感じ、が好きである。

この歌も「ダメなあんた」といわれオレが、最後に
♪今夜こそ オマエを おとしてみせる♪
と 強がる歌である。

私としては大体同じ時期にでてきた、サザンオールスターズよりも、ツイストのほうが単純で、歌詞もわかりやすくよかった。


3.戦士の休息/町田義人 1978年8月

映画「野生の証明」の主題歌である。
いい歌だなあ、とは思ったが、ちょっと小難しいカンジがして、敬遠していた。

野生の証明は、高倉健と薬師丸ひろ子の主演で「人間の証明」に続く話題作であったが、私としては期待はずれの感が否めない作品であった。

だからなおさら、この曲の印象が薄いのかもしれない。


4.逆光線/Char 1977年12月

Charは、なんというか「鳴り物入り」で登場した。
今考えうる最大の大物、というカンジであった。

でも歌を聞くと「そうかあ」と首をかしげたものである。
Charの外見から来るイメージと歌がアンバランス、そして、歌うことにあまり熱意を持っていない、というカンジがあった。


5.電光石火に銀の靴/泉谷しげる 1977年4月

前の4曲に比べれば「社会的知名度」は劣る歌であるが、私の中ではナカナカ上位にランクされている。

「電光石火に銀の靴」なんて、なんだかよくわからないのであるが、泉谷のうたは良くわからなくても別にかまわない。

曲も、無理やりなドライブ感が、高速で蛇行しているような、それも中古の国産車、というイメージであり、これも悪くないのである。

どうも私はCharやサザンのようなスマートな都会的なサウンドよりも、泉谷とかツイストのような「あかぬけない」というか単純で力強いものに魅かれるようだ。


6.モンキー・マジック/ゴダイゴ 1978年12月

そういう意味では、ゴダイゴの曲などは「洗練された」とか「完成された」とかというカンジであまり好きにはならないハズなのだが・・・

ゴダイゴのメンバーが、あまりカッコ良くなく・・・

そんなところから「親しみ」みたいなのを覚えたのであった。

全編、英語の歌詞、というコトにも驚いた。
「ああ、そういう時代になったんだなあ」
と、ものすごく年老いた気分になったものであった。


* 嘉壽家堂本店で「青春のうた」を更新しました。第1巻から80巻までのレビューです。興味のある方はどうぞご覧ください。

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非情の女豹 大藪春彦 光文社文庫

2009-08-25 23:06:51 | 読んだ
大藪春彦の作品では珍しい女性が主人公の物語である。

とはいっても、大藪作品の主人公である。
男が女に変わっただけ、という見方もある。

母親がアンダルシア出身のスペイン人。
よく陽に焼けた明るい褐色の肌と燃えるような瞳を持っている。
その瞳の色は、光線と感情の影響によって鳶色からグリーンへと変化する。
かつて、数々のビューティ・コンテストで入賞したことがあるラテン風の美貌。
身長167センチ、体重50キロ、バスト98、ウエィスト(原文のまま)58、ヒップ94センチのボディには、31歳になった現在も贅肉一つついていない。


という女性だそうで、想像できますか?

で、名前は小島恵美子。
海外ではエミー、あるいはエミリアと呼ばれている。
そして彼女はレズなのである。

表向きは私立明和大学の動物学講師。
裏の顔は、国際秘密組織スプロと契約を交わしている「執行人」である。

スプロとは、スペッシャル・プロフィット・アンド・リヴェンジ・アウトフィッターズの略で、あくどい荒稼ぎをしている連中の上前をはねたり、依頼人に替って、法の手がとどかぬ大物への復讐を代行したりする。

兎も角すごい設定。この設定をすれば、あとは何でもあり、なのだ。

本書では3つの話が収められている。

第1話は、油田開発をめぐって不当に儲けたカネを持つ奴らを痛めつけて、そのカネを横取りする。

第2話は歯科医師会を牛耳て不当に利益を得ている一族を痛めつける。
このなかで、恵美子は富士スピードウェイでカーレースに出場する。その際の久留米のメカに関する記述のなんとすごいこと「オタク」というコトバは大藪春彦が生きていた頃にはなかったと思うが、まあすごい。書き写すのもイヤになるくらいすごい。

第3話は銀行強盗の上前をはねようとする話。この話にはあっと驚く人物が登場し、更にその上前をはねようとする。

さて、この物語を読む前に、いったい主人公はどれくらいの人間を殺すのか数えてみようと思った。
ところがそれを断念せざるを得ない記述がいっぱいあり「いやはや」とため息をついてあきらめたのである。

「その夜、手榴弾6発と右手のサイドワインダー、左手のアメリカン180を駆使した恵美子は、四谷の中野誠六の豪邸で東関東会50数名を鏖殺し、1トンの金塊と1億円の現ナマを奪った。」

この調子でいったい何人を殺せばいいのか、こんなに殺したら絶対に国家を挙げて恵美子を検挙するだろう、というくらいに派手にやってくれるのである。

この物語に登場する人物の誰一人としてお付き合いをしたくない。
なんてったって、通りがかりの人物でさえ、あっという間に殺してしまう人たちのなのである。

このシリーズは続編もあるようで、ゼヒ読んでみたいのであるが、今はぜっぱんということで、光文社が今後出版することを期待するのである。

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五十肩の憂鬱 6連勝の歓喜

2009-08-21 22:53:07 | 日々雑感
この冬あたりから、肩には違和感があったのだが、7月になっていよいよ厳しくなってきた。

左腕が肩から上に上がらず、なおかつ両肩がすごく重い状態であった。
非常に不愉快な状態が続き、そのあとに憂鬱になるのである。

で、肩が痛いというよりも肩とひじを結ぶ筋肉が非常に痛い、というのが症状である。

こういう状態であると、本を読むのも辛い。特に寝そべって本を読むのが辛いのである。

さて、五十肩は2回目である。
2002年(平成14年)8月、右肩であった。
これも冬あたりに違和感があって・・・というものであった。
当時は40代であったので40肩と呼んでいたが、症状は同じであった。

そのときは整形外科へ行き、リハビリの方法を教えられブロック注射で終わった。
で、その翌年の12月には頚椎ヘルニアになり、結局、右肩がまあまあ正常にもどるのに3年を要した。

というようなことから、今回は徹底して治そうと思い、とある整骨院を訪ねた。

症状を話し見てもらうと、私の診たてどうり立派な五十肩ということであった。

で、最初に肩につながっている筋肉(胸のほうの大胸筋、背中の広背筋)の付け根部分が堅くなっているのでそれをほぐすことからはじめる、ということ。

これが痛いのなんのって・・・

というような治療を始めて、8月上旬には肩に重くのしかかっていた何かがとれた。そして、徐々に腕が上に上がり始めている。

とはいえ、そう簡単には治らないもの。気長に行かなければならない、と思っている。
それに、整骨院で、マッサージとトレーニングをするとその夜は肩が痛くなる、という状態はまだ続いているので、憂鬱はおさまらないのである。

ところで、楽天イーグルスが6連勝している。
打線が固定化して、投手陣もセットアッパーから抑えが固定化した。
これは強いチームの証拠である。

このまま3位を保持してぜひクライマックスシリーズへ行ってもらいたい。
その頃には五十肩の憂鬱もなくなっているはず・・・

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嘉壽家堂本店ホームページ更新

2009-08-11 21:49:39 | 日々雑感
嘉壽家堂本店(ホームページ)を相当久しぶりに更新をしました。

読書日記の2009年前半分(1~6月)を作りました。

また「吉田拓郎のこと」についても更新しました。

いずれも、このブログに載せたものです。

興味ある方もない方もぜひご覧ください。

「嘉壽家堂」

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豊かなる日々 <吉田拓郎 奇跡の復活> 田家秀樹 角川文庫

2009-08-10 23:15:38 | 読んだ
吉田拓郎が、2003年肺ガンを告知されてから手術を経て、全国ツアーを成功させるまでのドキュメンタリーである。

2003年吉田拓郎の久々のコンサートツアーが予定されていた。
内容は、NHKのスタジオで行ったライブをもとにした、バックを大編成で行うものらしい、ということを知って、当時私は早速チケットを申し込んだのであった。

最初は6月28日の予定であった。
それが、延期になったのである。

この間のことが記されているのである。

拓郎が病を得て、天を恨み人を恨み、わが身の生き様を省み、亡くなった父母に病の床で泣きながら詫びる。

そんなことを知ると、ああ、拓郎も当たり前の人間だったんだなあ、と思う。

ただ、それを乗り越えて復活するというのがスゴイところで、その復活のしかたに拓郎の拓郎たる所以があり、我々ファンにすれば「だからこそ拓郎なんだ」と思うのである。

2月に風邪気味ということで病院を訪れ「ちょっと怪しい」ということから、3月28日に検査、すぐ入院、そして4月5日にガンの告知、4月9日手術、そして4月30日退院。

5月6日ツアーの日程発表。
リハビリとツアーの準備が始まる。

拓郎は詳しくは語らないが、相当なリハビリがあったらしい。というか、相当なリハビリをしないとツアーはできない。

多くの人が証言するが、多くの人が「無理だ」と思い「でも拓郎のことだから」という期待を持っていた。

そして拓郎はその期待に期待以上の成果で応える。

このドキュメンタリーは、ツアー最後の12月5日・仙台で、ツアーのプロデューサー&アレンジャー瀬尾一三へのインタビューから始まりる。
この仙台のコンサートは私も行っている。

そのときの感想は、拓郎は病気をして変わった、というものであった。
それは
観客に対して優しい、ということと、すごく丁寧に歌う、ということであった。

その意味がこの本を読んでわかった。
拓郎は病を得て、大きく変わった、のである。

この2003年以降、2006年あの「つま恋」でのコンサートを見たとき、「拓郎は不滅だ!」という気持ちにさせられた。
いわば拓郎神話の完成形のようだった。

その後2007年のツアーは途中で中止となり、ツアー撤退を打ち出した今年のツアーも途中で中止となった。

拓郎はこれからどうなるんだろうか?
そして、拓郎を追いかけてきた自分はどうなるんだろうか?
という、漠然とした不安がまとわりついている。

再復活するのか、それはどういう形になるのか。
いやいやもう無理をしなくてもいいのではないか。
イロイロな思いが輻輳する。

2003年の仙台のコンサートの最後に、私も最前列でこぶしを突き上げ「今はまだ人生を語らず」を歌っていた。
拓郎にはまだまだ人生を語らずに歌い続けてもらいたい。

そんなことを本書を読んであらためて思ったのである。

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幽霊の涙 -お鳥見女房- 諸田玲子 小説新潮8月号

2009-08-05 23:12:34 | 読んだ
お鳥見女房の新シリーズのスタートである。

前シリーズでは、お鳥見女房こと珠世の父・矢島久右衛門が、お鳥見役の危機を救い亡くなった。
小説「お鳥見女房」の世界でも世代交代が進んでいる。

さて、今回の「幽霊の涙」では、亡くなった久右衛門の幽霊がでる、という噂そして目撃者が現れる。
この幽霊話は矢島家の人々と矢島家に関わりのある人たち、例えば石塚家の人たち、シャボン玉売りの藤助、そしてお鳥見役の人たちを巻き込んでいく。

そしてとうとう、久右衛門の初盆を前にしてその幽霊の正体を知ることとなる。
幽霊の正体は、久右衛門に関わりのある人であった。

亡くなった久右衛門を偲びつつ、今回のシリーズの主題というか主軸というか、矢島家にのしかかる新たな事件のきざしが示される。

以下ネタバレとなるが・・・(といっても、それがばれてもあまい大きな影響はないと思う)

お鳥見役には、表向きの仕事とは別に裏の仕事がある。
それはいわゆる「隠密」の仕事である。

矢島家の久右衛門も、珠世の夫・伴之助もその仕事に携わり、人には言えぬ心の傷を負った。
その「隠密」の仕事が、珠世の長男である久太郎に命じられたのである。

時代は幕末、グローバル化である。
幕府は、相模と房総の沿岸警備を大名に仰せ付けた。
その大名たちの様子を探る任務である。

久太郎はこれからどのような事件に遭遇するのか、そして珠世と留守を守る久太郎の妻・恵以はどのような思いで待つのか。
うーん、楽しみである。

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なんにもうまくいかないわ 平安寿子 徳間文庫

2009-08-02 14:24:04 | 読んだ
久しぶりの「平安寿子」である。
この本は連作短編「なんにもうまくいかないわ」(5編)プラス短編小説「亭主、差し上げます」の6つの短編小説で構成されている

彼女の小説に登場する人物たちは「あけっらかん」としているところが魅力である。
「なんにもうまくいかないわ」は『志津子シリーズ』ともいうべきもので、並河志津子という42歳(最初の物語『マイガール』時点)の女性について、5つの視点から語られるものである。

第1話「マイガール」では、幼稚園からの幼馴染で、家族ぐるみで交際している「令子」の視点。
第2話「パクられロマンス」では、志津子の勤める会社(市場調査会社)の部下「ナツキ」の視点。
第3話「タイフーン・メーカー」では、同じく志津子の部下「片上直哉」の視点。
第4話「恋駅通過」は、志津子と恋人関係にある(あった?)編集プロダクションの社長「永明」の視点。
そして最終話「なんにもうまくいかないわ」では、かつて志津子と恋人であった泉井連の未亡人である「涼子」の視点である。

志津子は、飲み屋で知り合った人と名刺を交換し、その4分の3が男でそのうちの3分の1と寝ているのは周知の事実、という女性。そして「気持ちよく一緒に酔える相手だったら、そういうコトになってもおかしくないでしょう?」という。
恋をしてそれを失って、そういう話を皆にして、という志津子を周りの人たちは時に迷惑と思いながらも好きである。

5つの話を通して語られる「志津子」という女性は、遠くから見ている分には魅力的であるが、お近づきになると大変で(でもそれなりの見返りもある)、私などは敬して遠ざけたい、噂話だけで「知っている」くらいの距離がいいかなあと思うのである。

このごろ良く思うのであるが、女性たちが恋愛についてアケスケに語るようになった。
「固い」と思われる『週刊朝日』でさえ、倉田真由美や室井祐月が「ええこんなこと書いていいの」と思うようなことを書いている。
また、小説新潮では柴門ふみが「恋のネタ」で、恋に生きる女性を紹介している。

本書もそうであるが、こういうものを読むと、私などは「なんだかなあ」と思ったりしてしまうのである。
女性が男に求めているものは、自分にとって「完璧」であることのようである。

しかし、完璧なんてあるはずがないのである。
まして、現在の男たちには、欠点を補って余り「魅力」に乏しいのが多い。

だから、そのあたりは「ガマン」というのがこれまでの男女の間(或いは人間同士)にあったもののように思える。
その「ガマン」も無くなった。「ガマンしすぎ」という反動なのかもしれない。

というわけで、この「なんにもうまくいかないわ」は痛快な物語ではあるが、昔から比べれば女性の男性化、男性の女性化が進み、それゆえに巻き起こる新たな時代の混乱、のようなものも感じられるのである。

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