読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

僕たちのセオリー 実録開成高校硬式野球部  高橋秀実 小説新潮2011.7~2012.4連載

2013-02-27 23:31:44 | 読んだ
この題名は、小説新潮に連載されていた時のもので、2012年9月に単行本となったときは「弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー」と改題されている。

『実録』とあるように、これは著者が開成高校に通って取材をしたものである。

さて、開成高校といえば、超エリート進学校で東京大学合格者数日本一の高校である。
その野球部であるから、強いはずがない。
その強いはずがない開成高校野球部が平成17年に東東京大会でベスト16に進んだ。そして平成19年、さらに強くなったといううわさを聞いて著者は取材に入ったのである。

ところが、練習を初めて見に行った時の感想は「異常に下手」だった。
それなのに、どうして勝てるのか?
それを追ったものが、本ルポの主題である。

開成高校野球部員も開成高校の生徒であるので、頭脳明晰である。もちろん東大進学者も多い。
したがって『体で覚える』なんて練習はしない。(もっともグランドの都合で週に1回しかグランド練習はできないのだが)

では、どうするか?
理屈で野球を理解し、それを具現化するのである。
そのために、理屈でつまづくことが多い。
『苦手と下手』は違うとか、真剣に考えているのである。
筆者は、そんなことどうでもいいから体で覚えろよ、みたいに感じる。

それに、選手は妙に冷静なのである。
そこにも筆者はいらだちのようなものを感じるのである。

その開成高校野球部の監督は、東大野球部出身である。
彼の考え方がユニークなのである、というか、ユニークにならざるを得ない選手たちなのである。

それでも、我々弱い野球チーム所属の者には、うなづけるところが多くある。
『一般的セオリーが通用するのは強いチームであり、普通以下のチームには通用しない』
ということなどはその通りと思える。
開成高校の野球部は2番に最も打撃の良い選手が入る。
1番の役割は出塁、2番で送り、3番・4番で点数を取るなんて言うのは、それなりのチームしかできない、というのがその考え方の根底にある。

では、どうするか?
1点2点を取って逃げ切れない守備のチームは、兎も角勢いのあるイニングに大量得点をめざし、できればコールドで勝つ。
なぜならば、長いイニングを戦えば、必ず守備に破たんが生じるからである。
なるほど!なのである。

そもそも開成高校の守備の決め方は
①投手は、投げ方が安定しているもの
②内野手は、そこそこ投げ方が安定しているもの
③外野手は、それ以外のもの
なのである。

それでも勝つときは勝つ。
これがおかしい。笑っちゃう。つまり野球という競技は個々の実力差があってもチームとなると、割と実力差が縮小するということなのだろう。

ハイリスクハイリターンの野球で、それを戦う選手たちは理路整然としている。しかもその理路整然としているのは、なぜできないのか、ということに関する答えなのである。

弱小チームを主題としたものはいくつかあったけれど、それは「情熱」の話であった。
情熱よりも理論、という野球もまた面白いと思ったし、野球というのはいろいろなアプローチがあるんだと思った。
いよいよシーズンに入ろうとしているときに、新たな見方ができそうである。

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赦しの鬼 大崎善生 小説新潮連載(2011.7~2012.6)

2013-02-24 12:16:35 | 読んだ
小説新潮に2011年7月から2012年6月まで連載し本となった。
今回、小説新潮の連載を一気に読み返したのである。

「評伝」である。
対象は「団鬼六」である。

団鬼六といえば「SM作家」、というのがまあ普通のというか一般的な「呼称」である。
私も、その昔SM雑誌で読んだことがあって、その後、角川文庫で「花と蛇」が文庫化されたとき購入。といっても全8巻中4巻までであるが・・・

その後、気になるといえば気になってはいたのだが、なかなか読む機会というものがなかった。
それが『幻冬舎文庫』が創刊されて次々と団鬼六の本が簡単に手に入るようになった。
しかも、SMものではなく将棋や評伝が刊行されていたので多く読むことができた。

その時に思ったのは
「団鬼六という作家はなぜSMを書いていたのだろう?」
ということだった。

それくらい、団鬼六の書いたものは面白かった。
そうなのだ「面白い」というのが団鬼六の特徴だと思ったのだ。そしてもうひとつ「自由自在」であった。

したがって、今回、大崎善生が団鬼六の評伝を連載すると知って、ものすごく楽しみにしていた。
それなのに、いわゆる「スランプ」の陥って、途中から読めなくなった。
今回、最初から読み直してみて、最初に思った「団鬼六という作家はなぜSMを書いていたのだろう?」という疑問が解けたような気がする。

ところで、著者の大崎善生だが。デビュー作「聖の青春」でファンになった作家である。
「聖の青春」は将棋の村山聖9段の生涯を描いたもので、著者の繊細さと優しさが感じられた。その後「将棋の子」と続いて期待していたが、将棋の世界から小説に変わってしまった。アジアンタム・ブルーなどの小説は、さらに著者の繊細さを感じさせられた。

そういう、いわゆる「私のお気に入り」が書かれる側と書く側になったのだから、私にとって面白くないわけがない。

さて。団鬼六は
「世の中なんて甘いもんや。真面目にコツコツ働いてどうする。」
という信念を持つ父親の影響からか、その後も難しいことに意味を見出そうとすることに反発し、軽さや面白さを追求する。
それにしても浮き沈み(それも非常に振幅幅の大きい)が激しい人生を鬼六は送っている。
いわゆる『無頼派』なのだが、まあ、近くにいる人は大変だったろうなあ、と思わせる人生である。
離れてみている人にとっては「面白い」とおもうけれど、絶対近くにはいきたくない人である。

その浮き沈みの具合と、なぜ浮き沈みを繰り返すのか、ということを、大崎は丁寧にそして深く浮かび上がらせる。
そして、その答えが「赦しの鬼」という題名になった。

「痛快!」という感想も持った。つまり『こういう人になりたい』という気持ちにもなるのだ。
ぜひ、読んでもらいたい。

私は、団鬼六の文庫をまた読んでみようか(『花と蛇』のようなSMも含めて)と思っている。

この本を読んで驚いたものの一つに、団鬼六のSM小説はSM雑誌の発売禁止の対象となっていない、ということであった。「SM小説の大家」としてはそれが残念だったらしい。

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邪馬台国殺人紀行 歴女学者探偵の事件簿 鯨統一郎 実業之日本社文庫

2013-02-20 22:28:57 | 読んだ
鯨統一郎のデビュー作である「邪馬台国はどこですか?」以来久しぶりの邪馬台国を題材にした物語、ということで速攻で購入。

購入したあと裏表紙を見てみると、この物語の主人公たち3人は「邪馬台国はどこですか?」に登場した美人歴史学者早乙女静香、それから「九つの殺人メルヘン」に登場した女子大生の桜川東子(はるこ)、とこの二人とともに「すべての美人は名探偵である」に登場した、静香のライバル美人歴史学者・翁ひとみ。

この3人が、ウォーキングのクラブを作り(といっても、ほとんど静香のごり押しであるが)「アルキ女(メ)デス」と名付ける。

その3人の初めてのウォーキングが、九州の吉野ケ里なのである。
それは、吉野ケ里遺跡で発掘調査をしていた佐賀文化大学の井口助教授から、吉野ケ里こを邪馬台国であるという証拠が出たという電話を静香が受けたからである。

3人が吉野ケ里につくと、井口は行方不明、そして殺されていた。

殺人事件の解決と邪馬台国の所在地の推理を始める3人。

というのが、この物語の第1話:吉野ケ里殺人紀行。

続いて第2話は纏向(まきむく)-箸墓殺人紀行。
奈良県の纏向遺跡は、邪馬台国畿内説の有力候補地である。それに箸墓古墳は卑弥呼の墓という説もある。

そこに第2回目の旅行に行った3人。
案の定、殺人事件が発生する。
そして、邪馬台国は畿内にあったのか?

第3話は、三内丸山殺人紀行。
青森県にある三内丸山遺跡は、年代からいっても邪馬台国ではないはずなのだが・・・。

翁ひとみが三内丸山遺跡のマロン館から講演を依頼され、それに静香と東子がついていく。
そして、またしても殺人事件が発生する。

3作とも殺人事件のトリックや犯人探しは、割と簡単である。
従ってこの物語の面白さは、やっぱり邪馬台国探しにある。

といっても邪馬台国はここである。と、完全に納得させられるような比定はしていない。それよりも、これまで定説とされていた歴史に、ほんとに素直に疑問を表明し、これまで信じられていたものが実はあまり根拠がないことがわかったりする。

そして何より、3人の美女たちの会話が(ばかばかしくて)面白い。

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サンライズ出雲殺人事件  西村京太郎 小説新潮

2013-02-18 22:09:18 | 読んだ
震災以降、読書のスランプに陥っていて、毎月購入している「小説新潮」「オール読物」「文芸春秋」をほぼ読まずにいた。
近頃、スランプから徐々に抜け出しつつある。

ということで、先ずは小説新潮を2011年ころまで遡って読み始めた。

大崎善生の「赦しの鬼」は2011年7月号から連載が始まり、少しは読んでいたのだが途中で挫折していたので、それを読もうと思って引っ張り出して来たら、丁度、このサンライズ出雲殺人事件があったので、リハビリがてら読み始めたのだ。

まあ気楽に読めるというのが、西村京太郎のいいところであり、気楽ということは、あまり深く考えなくてもよい、ということでもあり・・・
まっ、兎も角、読み始めたのである。

これは十津川警部シリーズである。
で、例によって、事件は壮大な仕組みである。

ある人物(これがいわゆる犯人ともいえるので、最後まで伏せてある)が伊藤という男に殺人を依頼するところから始まる。

伊藤はプロの殺し屋である。
指定された場所で指定された方法で依頼を果たすが、人違いの殺人であった。

伊藤は、指定されたとおり、寝台特急サンライズ出雲に乗り逃走を図る。車内で殺人依頼の残金を受け取るが、その後、妙な感じがするので、途中下車。
案の定、彼の乗っていた個室が爆破される。

その後、伊藤はまたも殺人依頼を受ける。
2度目は失敗、そして3度目は時の総理大臣の殺人を依頼される。

徐々に事件は大きくなっていく。

キタ、キタ、キタと思う。
近頃の、西村京太郎のこのシリーズは、話がだんだん大きくなっていって「これから、どうなるの?」「どう決着をつけるのか?」という思いが膨らんでいくのである。
そして、なんだか『しぼんだ感じ』で完結してしまうのである。

で、そのあたりが、私としては楽しみなのである。
丁度、嘘つきが大風呂敷を広げて広げて、収拾がつかなくなってしまうのに似ていると思う。

今回も、どんな陰謀があって、どんなドロドロした心の動きがあるのか、誰が大きな黒幕なのか、という疑問について、ごくあっさりとした結末であった。
まあ、予想どおりの期待はずれであった。

でも最後までよくわからなかったのは、この題名である。
サンライズ出雲殺人事件となっているが、サンライズ出雲の車中では誰も死んでいないのである。それに、サンライズ出雲は事件との関係も希薄であった。

で、単行本では題名が「寝台特急『サンライズ出雲』の殺意」に変わっていた。

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真っ向勝負のスローカーブ 星野伸之 新潮新書

2013-02-15 12:26:19 | 読んだ
本書は、2003年に発刊されたものである。
従って、本書の中で触れられている「現実」は古い。
しかし、本書は「野球」のなかの「投手」と「投球」について論じているので、本質としては古くはない。

著者は、阪急ブレーブス(のちオリックスブルーウェーブ)に入団しエースとして活躍した。
細い(というか「きゃしゃ」)な体で、遅いストレートとさらに遅いカーブ(スローカーブ)を武器にした投手である。

私も投手なので、しかも剛速球投手ではないので、常に投球について考える。
考えて、その考えを実践するため体を鍛えて、実践する。
だから、練習をしっかりして試合に臨みたい、タイプなのであるが、近頃はなかなか練習ができない。従ってなかなか勝てない。

著者はいう。
「7色の変化球なんて必要ない」
「一流投手ほど球種は少ない」

何故なら、ストレートと変化球2つを持っていて、実践練習をすると、ストレート-カーブ-フォークという組み合わせ、カーブ-ストレート-フォーク、という組み合わせなど、すべてで6パターンの実践練習が必要。更に1種類増えると12パターンとなる。

器用な投手ならそういう練習をしなくてもいいだろうが、そうでない者は練習が必要。
かくいう私も、ストレート・ストレート・カーブの順に投げて、カーブの後は必ずストライクを取る練習をした。

だから、著者の理論は非常によくわかった。

そのほか「コントロールは投手の命」という第2章ではコントロールの話である。
面白かったのは「ストライクを取るためにボールを置きに行っていた。」ということ。

野球中継を見ていると、捕手が投手に向かって『腕をふれ』というそぶりをよくする。
あれはつまり『ボールを置きに来るな』という合図でもある。

しかし、著者はボールを置きにいったという。しかも頻繁に。
これは理由があるのだが、我々は真似をしてはならない、と思った。

また、投球を語るときによく言われるのが、ウィニングショットを基本に投球を組み立てる、ということだが、著者は「その場しのぎ」でやってきたという。
私も、その考え方はよくわかる。
このバッターはこうすれば打ち取れる、ということがわかるときがある。しかし、組み立てた投球でそのまま打ち取れることは少ない。1試合で1つあればいいほうだ。

「その場しのぎ」と著者は言うが、組み立てはするんだと思うが、1球ごとに変えるんだと思う。バッターは組み立てないのだから、その場その場で対応せざるを得ないし、何しろ、剛速球で抑え込む投手ではないのだから。

兎も角、この本を読むと「考え」「研究して」「練習して」「実践する」そしてさらに「考える」ことが必要だということがよくわかる。

それは、野球だけではない。

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宰領 隠蔽捜査5 今野敏 小説新潮連載2月号最終回

2013-02-13 18:06:07 | 読んだ
小説新潮に、昨年の3月号から始まって12ケ月。今月で最終回である。

隠蔽捜査シリーズ5、である。

主人公は、警察庁のエリート(キャリア)であった竜崎伸也。
非常に変わっている人である。
「原理原則」を貫く人である。
だから、周りがよくみえる、私利私欲がないのである。
こういう人になりたいと、よく思う。

今回も、竜崎はこんなことを考えている。

 日本の未来を憂える人たちがいる。日本人はだめになったと、二言目にはいう連中もいる。そういう人々に、この寒空の下、戦い続けている若い警察官、消防士、海上保安庁の保安官、そして自衛官たちの姿を見せてやりたい。
 悪い面だけ見てむやみに批判的になったり、虚無的になったり、あるいは冷笑的になる人々を、竜崎は心から軽蔑していた。そういう連中に限って、自分では何もしていないのだ。
(中略)
 人は平等ではあり得ない。それが現実だ。才能に恵まれている人、環境に恵まれている人、そしてそれとは正反対の人々が、間違いなく存在している。
 だから何だ、と竜崎は思う。だからこそ、人は努力すべきなのだ。自分を向上させられのは、自分でしかないのだ。その努力を放棄したやつらを、誰かが助けてやる必要などない。


こういう考え方をする人である。
こういう考え方には賛成である。そういう人はたくさんいると思う。
でも、竜崎は、それを実践するのである。

さて、今回は、竜崎が勤務する大森署の管内で、国会議員が行方不明になる。竜崎はまだ事件ではないのに、本庁を刑事部長である伊丹(幼馴染で同期)などの反対を押し切って誘拐事件のように配備を行う。そして殺人事件、更に国会議員は横浜にいるらしい。そこで横浜に前線本部を作るが、警視庁と神奈川県警の確執が心配される。伊丹は前線本部に竜崎を派遣する、そして事件は、竜崎の思っている通りに解決するのである。
更に、竜崎に反感を抱いていた最前線の捜査員たちの支持を得るようになる。

近頃は、伊丹も竜崎をうまく利用するようになった。
そして、それが事件解決にうまくつながるのである。

事件は、なんと、前号(1月号)で完結してしまった。
事件は解決しても警察内部のややこしいことがあったり、竜崎の長男の東大入試のこともあったり、そんなことを含めて物語は終了なのだ。

追伸
文庫本で「隠蔽捜査3.5」というのが出ている。隠蔽捜査のスピンオフ、伊丹刑事部長を主人公とした短編が収められている。多分すべて小説新潮で読んだものだと思うのだが、なんだかもう一回読もうかなあなんて思っているのである。

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南沙織がいたころ 永井良和 朝日新書

2013-02-11 22:01:49 | 読んだ
2011年9月に第1刷の本である。

著者は、1960年生まれ。
私が1956年生まれであるから、4つ下。
それなのに、こんなに南沙織に夢中だったのか!と驚いた。

南沙織が「17才」でデビューしたのは、1971年である。
ワタシ中学3年生。
この年、小柳ルミ子、天地真理がデビューしている。

そのなかで、南沙織は「異質」と感じた。

小柳ルミ子は正統派の歌手で、アイドルという感じはしなかったし、お姉さんすぎた、というか優等生であった。

天地真理は正統派のアイドル。作られたアイドルであった。

南沙織は正統派のアイドルのようだったが、歌以外のものはしなかった。
それにどこか翳があった。

私は、この3人では天地真理だったなあ。
しかし、次の年には「麻丘めぐみ」がデビュー、それからは、アグネス・チャン、浅田美代子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、キャンディーズなどなど、次から次へとアイドルが登場し、目移りばっかりだった。

つまり、私はこの本の著者のように一人をずっと追いかけるということはしなかった。或いはできなかったのである。

で、この本を読むまではある程度南沙織を知っていると思っていたのだけれど、次から次へと驚き、感心したのである。

出生のことやら、沖縄時代のことやら、へえーそうだったのか、と思ってしまった。
また、シンシアという名前も何故シンシアなのかも知らなかった。
それに、デビュー間もないころのスキャンダル、更に引退宣言。

あー、私はこういうことに全然興味がなかったんだなあと思った。

読んでいる途中から、南沙織のCD(iPod)を聞きはじめた。
デビューから概ね4年、16曲目のシングル「人恋しくて」くらいまでなら、なんとかわかる。(途中ちょっとわかないのもあるけれど)

で、改めて南沙織の歌を聞くと、当時あまり思わなかったのだが「すごい」と思った。
ちゃんと「聞かせる」のである。

つまり、私が当時思っていた「南沙織はアイドル」というのは、浅い理解だったんだと、今、この本を読んで思わされたのである。

で、この本は南沙織論であるが、アイドル論であり、沖縄論でもあるし、我々世代の青春論でもある。

南沙織に興味のない人でも、アイドルや1970年代に興味のある人にはぜひおすすめである。

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とうほく蘭展&バラとガーデニングフェスタ2013

2013-02-03 17:40:07 | 観た、聴いた
「とうほく蘭展&バラとガーデニングフェスタ2013」が1月24日から28日まで仙台の「夢メッセ」で行われた。
それに26日行ってきた。

この日の朝は前夜からの雪で、予定していた時間より1時間も遅れて入場した。

すでに会場は満員状態。
それでもゆっくりと見て回った。



最優秀賞の作品である。私は「蘭」のこと、というより花とか植物については全くわからないので、この作品のどこがいいとか、何が苦労したところだとかはわからない。わからないながら思うのだが、やっぱり「気品」がある。

こうのような優秀な作品は一つにまとめられている。
その一部がこれである。


一つ一つを「個」でみれば、一つ一つ感心するのだろうが、このようにまとめられると「目移り」してしまう。

こういう「蘭」を飾っているところもあれば、
蘭のガーデンのような場所もある。


このほか、題名にもあるようにバラの庭、あるいはさまざまな庭が展示されている。
更に、格安で「蘭」や「バラ」をはじめとして多くの花が即売されている。

興味のある人にとっては、離れがたいフェスタであろう。
私は、それほど深い興味を持っているわけではないのだが、どちらかといえば「撮り鉄」ならぬ「撮り花」なので、写真を撮っていたいのだが、なにしろ目移りするくらいの数、そして多くの人、なので撮影は最初のほうであきらめて、ただひたすら眺めて歩いた。

昨年は、震災の影響で開催されなかったが、今年から復活。
復興は遅々として遅れているが、こういうところから戻ってきているのも確か。

花に囲まれて時間を過ごすのもいいと思う。

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