読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

めしばな刑事(デカ) タチバナ 6巻 ポテトチップ紛争 原作:坂戸佐兵衛 作画:旅井とり

2012-09-23 22:40:19 | 読んだ
近頃お気に入りのマンガである。

何故、警察が舞台なのか?
その必然性はない。
というような疑問を持ったとしても、そんな疑問などは読み進めるうちにどうでもよくなってくる。

どうして、この漫画に登場する人物たちは、これほどにマニアックなのか?
どうして、そんな些細なことにこだわるのか?
そちらの疑問のほうが大きくなってくる。

そして、この登場人物たちにこそ「こだわり」というのを強く感じる。
この「こだわり」というのは本来の意味、つまり
①こだわること。拘泥。
②なんくせをつけること。文句をつけること。
であって、
じゃあ「こだわる」とは
①ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。(以下略)
である。

「こだわり」は本来このような意味であって、今さかんに「こだわりの人」とか言って誉めているけれど、実は「こだわりの人」とはいやな奴なわけで・・・

で、この物語に登場して、どうでもいいようなうんちくを並べる刑事タチバナのようなやつのことを、本来「こだわりの人」というのだと思う。

さて、今回は即席めんの話から始まる。
即席麺のゆで時間は指示の半分でいい、という意見には賛成だが、それ以降に続く作り方・食べ方にはついていけない。
即席麺をおいしく食べる究極は、そのまま食べる、のだそうだ。

また、ポテトチップのカルビー派とコイケヤ派の対決は、非常に面白かったが、これがエスカレートしていくと「こだわり」になってしまって、何が何だかわからない状況になってしまう。

で、このマンガの本当に面白いところはその「こだわり」にある。
こだわるって、非常にバカバカしくそして苦労が多いことなのだ。
普通の人から見ればアホらしくてついていけいないところになんでそんなに「力(リキ)」いれるのか。

現代は、そういう「こだわり」をおおらかに認めている。いや認めようとしている。
実際は「排除」すべきものなのかもしれないし、こだわっている人も本来は地下に潜らなければならないのかもしれない。
それを許す世の中が「いい世の中」なのか「悪い世の中」なのか。
後世はどう評価するのか。
その研究をするとき、本書は大いに参考になるのか。
それが楽しみ。

で、私は、「こだわり」をこのように茶化すのは大好きである。

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凶弾 -禿鷹Ⅴ- 逢坂剛 文春文庫

2012-09-16 22:01:28 | 読んだ
「ハゲタカ」シリーズの第5弾である。

あれ?
禿鷹こと禿富鷹秋(とくとみ・たかあき)は、第4弾の「禿鷹狩り」で死んだはずである。

文庫の帯には
「死せるハゲタカ vs 極悪女警部」とある。

私的には
「死せるハゲタカ、警察組織を脅かす」
のほうがよかったと思うのであるが・・・

物語は、死んだハゲタカが残したモノが、警察全体と暴力団さらマフィアまで巻き込んで騒動をというものである。

ハゲタカ組と反ハゲタカ組の対決のようになるのであるが、ハゲタカ組に属す人々は、何も好き好んでハゲタカ組にいるわけではなく、さらに言えばハゲタカ組の面々こそハゲタカにいいようにされて迷惑をこうむっていた者たちである。
なのに、なぜかハゲタカ組になっている。

反ハゲタカ組は、体制派であるがいわば「汚い奴ら」である。
ハゲタカは無法であったしとんでもない奴ではあったが「汚い奴」ではなかったように思う。

だから、ハゲタカ組の面々は正義をつらいているわけではないが、とんでもなく汚い奴を許せないのではないだろうか。

物語は、ハゲタカが残した警察の不正に関する書類を巡る争いである。
手に入れた者は、その使用方法にそれぞれの思惑があり、その思惑はそれぞれの立場で違うのだが、だれもがまず自らのために使いたいと思う。

そしてその使い方は、自らが信ずるあるいは信じようとする「正義」を理屈として持っている。
このあたりが、ハゲタカとは違う。
彼は「正義」なんて考えを持っていなかった。
だから、その行動は明確であったのだ。

つまり「正義」なんて考えたところか「堕落」が始まるのだ。

警察全体を巻き込みその書類の奪い合いが始まるのだが、目的のためには平気で人を陥れる、女ハゲタカのような岩動寿満子(いするぎ・すまこ)警部が絡むことによって、さらに無法になり、暴力団やマフィアまで巻き込んでの騒動となる。

で、弱い奴らは消されていくのである。
「弱い奴」というのは、徹しきれない奴、中途半端な欲を持っているやつである。
一歩踏み込んだら、徹底しないとやられるのである。

とりあえず「謎」、つまり誰がどっち側なのか、というものはあるのだが、そんなものどうでもいい。
ともかく、人間の汚さを読めばいいのだ。

この物語を読むと
「これはフィクションで、人はこれほど汚くはない」
なんて考え方を捨てる。

幸福なるために、金や財産や女や権力を手に入れるのだ、というならば修羅の道を平然として歩いていかなければならない。

修羅の道を歩いてゆけないなら、自らの欲望をいかに抑えるかが大切で、そうすることによって実は幸福に近づくのではないだろうか?

そんなことを思うのである。

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第22回 定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台 9/8 9/9

2012-09-10 22:41:10 | 観た、聴いた
とうとう、定禅寺ストリートジャズフェスティバルも22回となった。

今年こそ2日間行こうと思っていたのであったが、何しろ、この暑さである。

というわけで、9日(日)だけ行ってみた。
というのは、娘のバンドが演奏するのが9日だったからである。

当初の予定は11時からお目当てを聞いて・・・だったのだが、手違いから仙台着が12時となり、その辺をぶらぶらしてから、ということになった。

で、その辺をぶらぶらで、仙台駅構内で「フローズン生ビール」を飲みながら、大学生のグループのアカペラを聞く。

後ろで、同級生と思われる人たちが聞いていて、MCに相槌というか突っ込みを入れる。
こういうのって、このフェスティバルの一つの面白さかもしれない。

歩道橋の上から一枚。こんなところでやっているんです。



で、本日メインは娘のバンド



5年連続の出場である。ずいぶん落ち着いてきた。
それにしても観客が多いなあと思っていたら、次のグループ目当ての人が多かったのでした。
で、次のグループはこちら



初めて定禅寺ジャズフェスティバルに来たころは、ジャズ以外は釣りでいうところの「外道」のような感じだったが、今はそれほどの外道感はなくなってきている。

とはいうものの、やっぱりジャズが聞きたい。
しかも、ビックバンドが聞きたい。

ということで、勾当台公園のいわゆるメインステージへ向かった。
しかし、あまりの人混み。
ビールとか飲みながらと思っていたのだったが、甘かった。
やっぱり早くから行って「席確保」していないとダメである。

というわけで、後方に下がってハイボールを飲んでいると、前が若干開けてステージが見えた。



その後、定禅寺通りや一番丁のステージを眺めながら帰ってきたのであった。


コメント (2)
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