読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

春一番 お鳥見女房 諸田玲子 小説新潮2月号

2010-01-30 21:58:54 | 読んだ
お鳥見女房シリーズの最新話である。

このシリーズも始まってから月日がたち、それにつれ物語の時代も進行し、いまや、主人公の「お鳥見女房」こと矢島珠世の父・久右衛門は亡くなり、子供が活躍する物語となっている。

またこの物語が始まった頃のもう一人(一組?)の主人公的役割であった石塚源太夫・多津の子供たちも成長している。
(ちなみに私は次女の『秋』のファンである)

さて、現在の物語は、縦糸的に、珠世の長男でお鳥見役を勤めている久太郎がお鳥見役の影の任務である「密偵(隠密)」の任務を命ぜられていることがある。

これは久太郎の祖父も父も命ぜられ、それぞれ九死に一生を得たような経験をしている。だから、このことは、矢島家の中に影をおとしている。

この縦糸に矢島家またはその周囲に事件が発生するのである。

今回の事件は「火事」である。
そして、それは石塚家の長男・源太郎の恋を生み、さらには久太郎の任務にも関わりがあるようだ。

『はかない』『むすばれない』恋と大名家同士の諍いが、火事の原因ではないかというところまで、珠世は気づくのであるが・・・
それはどうしようもないことなのである。

時代小説の登場人物たちは、というか時代小説では自らに降りかかる出来事を受け入れる。受け入れるところからはじまる。

それが現代では「受け入れない」というところがある。
そのあたりが時代小説のいいところだと思う。

次男で永沢家に夫婦養子となった、久之助・綾夫婦に子供ができたようで、矢島家には一つ明るい光が差し込んだようである。

次回が楽しみである。
だから読書はやめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六十七番と呼ばれて 太田あき 幻冬舎アウトロー文庫

2010-01-28 22:20:57 | 読んだ
副題は「女性議員秘書の拘置所日記」である。

著者は平成15年3月4日、日本における「政治資金規正法違反」罪の被疑者第1号として逮捕され、以後10ヶ月間、東京拘置所の独居房に拘留されていた。
その経験を綴ったものである。

以前にも「私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか」(著者:島村英紀)を読んで、逮捕され拘留されるということについて、興味深く考えさせられたので、今回も期待をして読んだのであった。

逮捕された案件については、それまで慣例としてやってきたことを法が改正されたにもかかわらずそのまま続けたもの、と著者は言う。そして、そのことについて反省をしている。
従って、その罪というものは逮捕されてちゃんと認識をしている、ことであり、それを基本というか基礎としてこの本は書かれている。

先ずは、逮捕は逮捕として、その報道のひどさに腹を立てている。
これは、まあどの事件であってもなのだが、逮捕された人間は「極悪非道」「人間の風上に置けない」者になってしまうらしい。

著者もあることないことを報道されたようである。
逮捕されると、何気なくやっていたことが悪意・作為に満ちたものとされる。
例えば著者は「ミニスカ秘書」などと呼ばれる。
この呼びかたは明らかに「揶揄」である。
こういう類のものが近頃多すぎると思うのである。
「野次馬」的な報道はいかがなものかと思う。

また、取調べについては「人の行動は必ず理屈があってなされる」という前提で行われているのだなあ、と思う。
人が何故そのような行動をしたのか、ということについては、全てがそこに理屈があって理論に基づいているものではないと思う。つまり全てが説明できるものではない、それを解明しようというのは難しいような気がする。

これは裁判を前提としているからだとおもうが、そういう裁判というのはどうなのかなあ、と思うのである。
人の行動などは理屈では表せないものが多い。
また、慣例的に行われてきたものについては、疑問を持っていてもなかなか正しいようにはできないものだ。

そういう面では、著者の太田あきさんだけでなく、これまで読んだことのある人たち、島村さんも佐藤優さんも気の毒だとは思う。

しかし、この人たちの行動にも問題があったことも確かである。

で、本書は逮捕され検事の取調べを受けているあたりまでが緊張感がある。

その後は、拘置所生活についてイロイロと記述されており、これを読むと「拘置所生活もいいかな」なんて思ったりする。

特に、生活習慣病のある人には入院しているよりも健康になるのではないか。
最近新聞にも刑務所での麦飯生活で生活習慣病が改善された、ようなことも載っていたし・・・

そういう目で見ると、拘置所もその生活の仕方をあらかじめ知っておくと、快適とはいわないまでもなんとなくいいような気がする。
その場合は独居房がいいな、なんて思うから不思議である。

逮捕されないこと(疑われるようなことをしないこと)が一番で、自由に何でもできることが最もいいとも思うのだが、人は何かに縛られていたほうが「幸福」を感じる場合があるんだと、本書を読んで思ったのである。

独居房で自由に(できればベットにねころんで)本を読むことができたら、いってもいいかな。

そんな馬鹿なことを考えたりする。
だから読書はやめれれない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北森鴻氏逝去

2010-01-26 22:40:21 | 日々雑感
今朝、新聞を見たら、訃報欄に「北森鴻」とあって1月25日心不全で逝去とあった。

「えーっ!」
と、声が出てしまった。

すぐにネットで検索。
公式サイトの「酔鴻思考」をみると、
『訃報:北森さんが平成22年1月25日(月)午前3時、心不全によりお亡くなりになりました
心よりご冥福をお祈りいたします』
とトップページにあり、ものすごくガッカリしたのであった。

私が好んで読んでいたのは、蓮丈那智シリーズ、冬狐堂シリーズ、香菜里屋シリーズである。

現在、小説新潮に連載されている、蓮丈那智を主人公とする「鏡連殺」はいよいよ謎解きに入ってこようかというところで、完結するのだろうか。

この物語は蓮丈那智シリーズの登場人物たちに加え、冬狐堂・宇佐美陶子、雅蘭堂・越名集治が東城、特に雅蘭堂は副主人公格である。

48歳という若さであり、「惜しい」「残念」という月並みな言葉しか思い浮かばないが、今は冥福を祈るのみである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マドンナ・ヴェルテ 海堂尊 小説新潮2月号連載完

2010-01-25 23:34:08 | 読んだ
小説新潮に連載されていた、海堂尊の「マドンナ・ヴェルテ」が2月号で最終回となった。

この物語は「ジーン・ワルツ」の姉妹編というべきものなのだろう。
ジーンワルツと並行している物語である。

ジーンワルツも小説新潮に連載された小説で、私がはじめて読んだ海堂尊であった。

産科医の曽根崎理恵が主人公で、日本の産科の状況や、お産というのは実は高いリスクを伴うものであること、そして主人公理恵の人生についても描かれていた、感動の物語であった。
ジーンワルツという題名は、ジーン(遺伝子)が3つの組み合わせでアミノ酸になるという、ことからつけられたらしい。

さて、このマドンナ・ヴェルテは、曽根崎理恵とは別の視点から描かれている。
ジーンワルツの最後では、5人の妊婦が同じ日に次々と出産をするというヤマ場がある。

そして、このマドンナ・ヴェルテにおいても最終回はその出産の場面である。

ジーンワルツの最後に明かされる謎から、この物語が書かれているので、詳しく説明をするとジーンワルツの興味が半減してしまうので、物語の内容を詳しく説明することはできないが、ジーンワルツが出産ということを大きく取り扱ったものに対して、このマドンナ・ヴェルテは個人のつまりは妊婦やその家族の視点から「子を授かる」ということと「子を育てる」ということについて描いたものだといえる。

子供が欲しい、ということだけではなく、その子供に対して親としてどのように責任をとっていくのか、ということを考えなければならないらしい。
そういう世の中になったんだろう。

私は、結婚をして子を授かりその子を育てるというのは、人としてのごくあたりまえの事柄、と捉えていたのである。
しかし、現代は違うらしい。
それもこれも子供が少ない、結婚しない、といった社会環境からなのかもしれない。

子を産み育てる、ということが難しい世の中というのはいかがなものか。
そんなことを考えさせられたのである。
結論はでなくても考えるということが必要。
だから読書ややめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島ヤクザ抗争全史 本堂淳一郎 幻冬舎アウトロー文庫

2010-01-23 23:30:48 | 読んだ
わたくし、こう見えても「仁義なき戦い」のファンです。

映画も観た、本も読んだ。関連する雑誌や本も読んだ。
で、飽きません。
その都度、新しい発見があったり、違う角度からの物語があったりして、新鮮である。

本書は、仁義なき戦いの舞台となった広島のヤクザ抗争について、著者いわくクロニクル(編年式)に記述している。

最初は、登場する人物たちの「被爆体験」から始まる。

私は「仁義なき戦い」から広島のヤクザ抗争を知ったために、どうしても美能幸三(映画や小説では『広能昌三』)のほうに味方してしまうが、抗争にはそれぞれの言い分があり、それを取り巻く大きな社会環境がある、ということを本書から学べる。

ここに記述してある事件は本当にあったことで、多くの人がこの抗争で死に傷ついていった、悲惨な歴史でもある、そして繰り返してはならない歴史である。
従って『面白い』ということばで感想を述べるのはいかがなものか、とは思うのだが、一言で表現すると「面白い」のである。

何しろ、登場人物が多いので、何度もページを遡って確認をして読まなければならないが、登場する人たちは「人間の持っている欲望」を正直に表現する。
そして、個人の欲望に振り回されながら、なんとか生きようとする。

「人間」というものの正体をみたように思うのである。

ちょっとした衝突が、殺るか殺られるか、に変換していく様は、人類がこの世に現れて以来繰り返されてきたことではないか。

著者は抗争に関わった人たちに直接インタビューをしているので「生の声」が伝わってくる。

社会は「法」或いは長い間に築いてきた「倫理」によって、人の生き方を規制している。
ヤクザの世界だって「仁義」で規制をされている。

しかし、人はどうしても対人関係に「好き嫌い」「ウマがあう」を優先してしまう。
そして、そのことが「環境」に変わってしまって「敵」とか「味方」という区分になり、ついには「不倶戴天の敵」になったりする。

そんな理由から敵対関係になるのはまあ自然ということになるが、個人対個人の敵対関係が、組織対組織となると、そこには感情がなくなってしまう。
そこが「怖い」と思うのだ。

しかし、本書で紹介されていることが我々を救う。
著者が取材中に、
『わしら本当に恩讐を超えたんじゃけえの』
と、抗争を乗り越えてきた幹部が叫ぶように言った、ということである。

人は恩讐を超えることができる。

そのことが、大きな救いである。
そして、その言葉を引き出した著者の長年の取材に感謝するのである。

時々思い出したように読みたいものがある。そんな一冊になりそうである。
だから、読書はやめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラックペアン 1988 海堂尊 講談社文庫

2010-01-19 22:16:05 | 読んだ
本の帯には

全ての因縁は、
ここから始まった

「チーム・バチスタの栄光」へと続く、原点

とある。

とあるように、この物語は、チーム・バチスタの物語の20年前、1988年の話である。
「ひかりの剣」もその時代である。

従って、登場人物も知っている人たちが多く登場する。

チーム・バチスタの時には東城大学医学部付属病院長であった高階権太は、この物語でも非常に重要な役割を果たしている。
勿論、チームバチスタなどで活躍した田口公平も登場するし、その相棒?である藤原真琴看護師も現役バリバリで登場。
チーム・バチスタの一員であった垣谷雄次、高階病院長のライバル・黒崎教授・・・

更にはジェネラル・ルージュの速水晃一と花房美和、ナイチン・ゲールの沈黙の猫田麻里看護師など・・・、
出てくる出てくるあの人が・・・という状態である。

しかし、主人公というか狂言回しの世良雅史は、その後は「極北クレイーマー」にちょい役で登場するだけだし、天才的外科医・渡海征四郎はこれ限りのようだ。

そして、この物語の舞台となる東城大学医学部総合外科教室の佐伯教授もこれ限りのようである。

さて、この物語は、高階権太が帝華大学(東京大学がモデルらしい)から東城大学医学部の佐伯教室の講師となってやってくるところから始まる。

そして、そこで高階は「スナイプAZ1988」という器具を使って「食道癌」の手術を行えば、外科医の腕前のいかんに関わらず成功率が高い、という自説を展開し、更にその器具を使って手術を行い成功例を重ねる。

それは佐伯教授の意に反することなのである。
物語はそのあたりを中心として進むのである。

しかし、この物語の題名は「ブラックペアン1988」である。

ブラックペアンとは、佐伯教授が特注でつくった医療器具である。
ペアンとはということを説明しようと思うのだが、難しいのでウィキペディアで「鉗子(かんし)」で検索してみてください。
この物語では「止血」に使用する器具ということになっているようだ。

で、このブラックペアンがこの物語の最後に大活躍するのである。

この物語で高階が目指している、手術の成功率を高めるために外科医の腕にあまり頼らなくても良い器具を使うべき、ということは非常にうなづけるものである。

しかし、近頃の私は佐伯教授と同じようなことを思っている。
つまり、器械(機械)やマニュアルに頼っていては、やっぱりうまくいかないのだ。
機械やマニュアルは、相手(対象)が同じ場合には非常に有意義である。しかし、医師が向き合っているのは、人間というくくりと病気というくくりが同じであって、その細かなところはそれぞれ違うものである。(私が向き合っているものもそうである)

となると、機械やマニュアル一辺倒では到底解決できないものがある。
多くのものは解決されるのだが、そうでない場合が必ずある。
そういう時は「人間力」が、この物語では「医師としての総合的技量」が、必ず必要になるのである。

ということで、この物語では佐伯教授への共感度が一番高かった。(最後の最後にきてではあるが)

物語を読み自身の考え方を確認できる。
だから読書はやめられない。

追伸
 海堂尊の小説の登場人物たちはあちらこちらに登場するので、そのうち誰かそのあたりをわかりやすくウィキペディアかなんかにまとめてくれないかなあ、と思っているのである。
そう願って、自分では決して試みない私なのである。

追伸2
 本日の新聞で、海堂尊さんがブログで書いたことで賠償命令が出たとあった。(それだけです)

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子子家庭 赤川次郎 小説新潮連載

2010-01-17 10:24:30 | 読んだ
小説新潮に平成21年4月号から連載されている。

4月号・ 5月号は「子子家庭と愛のお荷物」
6月号・ 7月号は「子子家庭の宅配便」
8月号・ 9月号は「子子家庭と同姓同名」
10月号・11月号は「子子家庭の身代金」
で、12月号は休んで平成22年1月号は「子子家庭のサンタクロース」前編となっている。

この物語はシリーズとなっており既に「子子家庭は危機一髪」(テレビ化もされたらしい)と「子子家庭は大当たり」と「子子家庭は波乱万丈 ドイツ、オーストリア旅物語」と3つも本が出ているとのこと。
多分小説新潮に連載されていたんだろうが、全然読んでいなかった。

物語は「子子家庭」とあるように、子供だけの家庭を舞台というか設定している。

主人公の坂部律子は小学校6年生、だが、大きくて中学生に良く間違えられる。
そして、律子の弟・和哉は小学校3年生。

彼らの父親は『仕事絡みの犯罪で手配中の逃亡犯』であり、その逃亡を始めた日に母は『男と駆け落ち』をしてしまった。
父も母も電話をしてくるが、彼らはどちらもいなくなったことを話してはいない。
従って、父は母と3人で暮らしていると思い、母は父と3人で暮らしていると思っている。

父からは時々仕送りが来るが、それでは十分でないために、律子がアルバイトをしたりする。そのアルバイトだって小学生ができるようなことである。

また、律子の親友・香織は大金持ちのお嬢さんなので、彼女が時々援助してくれる。

という少女マンガのような設定である。

この設定の中で、物語が語られるのである。

まあこのような設定であるから大きな事件ではないが、それなりに入り組んでいる謎だったりするわけである。

なんというか、気楽に気軽に読むことができて、なおかつ「癒される」といってはおおげさではあるがほのぼのとした気分と「俺もやらなくちゃな」というような気持ちになるのである。
バカバカしいと思うむきもあろうが、それはそれなのである。そしてだから読書はやめられないのである。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あーぁ、楽天イーグルス 野村克也 角川oneテーマ21

2010-01-13 20:32:35 | 読んだ
前東北楽天ゴールデンイーグルスの監督、野村克也が、楽天イーグルスでの4年間を綴ったものである。

帯には
最下位から歓喜のCS進出、驚きの解雇通告まで―――
楽天野球とは何だったのか?
楽天監督1500日の真相!

とある。

楽天イーグルスのファンとしては読まずにはいられない。

私は、野村監督の書いた「敵は我に在り」を読んだときから、野村野球のファンである。
野球というものを真摯に考えていることに、そしてワンプレイ・一球に意味があるということに感銘を受けた。

ただ・・・
野村さんはあまりにも劣等感というか僻みのようなものを前面に出しすぎている。とも思っている。それでいて自慢話も多いし・・・

去年あたりから楽天野球に感じているのが、選手に対する「辛抱」が足りない、ということである。

まあよくとっかえひっかえ代えるなあ、と思っていた。
だから「イマイチの選手」たちはビクビクしながらプレーしているように思えた。
我慢して使えば、その後いい仕事するんじゃないだろうか、と思えるところもあった。

今回この本を読むと現場の様子がある程度うかがえて、交代も仕方ないかと思うところもある。
また、大きなプレッシャーを乗り越えていかなければいい選手にはなれないだろうと思うこともある。
一勝の難しさ、というものを感じなければならないとも思う。

でも、やっぱりもう少し辛抱が必要ではないだろうか。

今シーズンの最終盤にゴタゴタが多かったのは主に野球以外のことであった。
ああいうゴタゴタはファンには知らないようにやってもらいたかった。

本書では
「私の物言いにも反省すべき点はあったと思う」
と書いているが、
「楽天イーグルスは好きだが、楽天球団は大嫌い」
なんていわないで欲しい。
すごく寂しい。

「自分がどのように生きていくのか考えれば、心が変わる。心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。」


と野村さん言っているじゃありませんか。
ぜひ、名誉監督としてファンの前にちょくちょく姿を見せてほしいと思うのである。

名言がたっぷりの本書である。
イロイロと辛口の話があるが、その真髄には野球と選手たちにに対する「愛」と「やさしさ」ある。
そういうことを感じられるから、読書ってやめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣 平泉 中尊寺-毛越寺

2010-01-11 22:00:28 | 日々雑感
元日から三箇日は天候も悪かったので、平泉への初詣を延期していた。

この3連休で11日が一番穏やかな天候であるという、天気予報を信じて、本日初詣に出かけてきた。

天気予報は大正解!
暖かい陽ざしは、昨日・一昨日もそうであったが、本日は風がないため、背中を丸め肩をすぼめることもなく歩くことができたのであった。

月見坂を登る。
どこにも出かけず、家でゴロゴロしていたせいで、息が弾む。


中尊寺本堂の門。立派な門松
             

白山神社。
金色堂から北側に歩いてくと神社がある。社殿前には「茅の輪」
これをくぐるには「作法」があるのだが、そのとおりできてはいない。
           

近頃、中尊寺を訪れると、必ずこの「かんざん亭」に寄る。
昨年あたりから、店の印象が変わり、店内にはジャズが流れ、中尊寺の写真がさりげなく飾られ、北西には奥羽山脈の焼石岳がきれいに望める。
この店では、私は「白玉ぜんざい」を相方は「コーヒー」を頼む。
次に来るときは「自然薯そば」(1200円)を頼もうと思って久しい・・・まだ食べていない。


つづいて毛越寺へ。

本堂前である。
         

ご覧のとおり人がいない。
中尊寺もあまり人がいなかった。
こういう平泉は初めてである。

大泉が池ごしに本堂を望む。
        

というようなわけで、恒例の中尊寺・毛越寺へお参りができて安心したのである。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Dr.コトー診療所 24 山田貴敏 小学館

2010-01-09 17:23:31 | 読んだ
24巻は9話収められているが、物語的には2つである。

最初の一つはコトーの住んでいる古志木島に、テレビドラマのロケがやってきて、その主演女優が病になる、というお話。

もう一つは、この物語のレギュラーである内さんが、古志木島をでて息子家族のいる本土(?)に移り住むこととなったが・・・というお話。

Dr.コトーの物語は、心を開かない人をはじめとする「悪役」が、コトーによって心を開く、というのがパターン。
今回の2つのお話もまあそういうパターンである。

従って、「悪役」となる人がどのように凄まじい「悪」を振りまくか、そしてコトーが危機をどのように乗り越えるかが、物語が面白いかどうかの基準となる。

そういう意味では、近頃は面白さが減少傾向にある、と分析せざるを得ない。
まあ、こちらがそのパターンに慣れてきた、ということもあるとは思うのであるが・・・

例えば、今回の女優がなぜ自分の病を隠してまでドラマに出演したいのかが、あまり伝わってこなかったし、ドラマの監督のあまりの非常識さにはいずれ改悛するんだろうと思いながらも、『ちょっとなあ』という気持ちのほうが大きかった。

と思いつつ全部読んでしまうんだよなあ。
だから、読書はやめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンジョ・ナシ -飲めば都- 北村薫 小説新潮1月号

2010-01-05 23:25:31 | 読んだ
小説新潮に隔月のように掲載されている「飲めば都」シリーズである。

出版社に勤める小酒井都が「酒を飲んで失敗する」という話である。
失敗といったって、物語になるようなものであるから、凄まじかったり、意味深であったりするし、時には都ではなく別の誰かが失敗する。

今回は出だしからすごい。
2000年問題が世の中を騒がせていた年、都は新年を祝い飲みすぎ、路上にしゃがみこんで壁にもたれ休憩をしていた。そこに通りかかったカップルから「大丈夫ですか?」などと暖かい言葉をかけられ、大都会にもまだ人情は残っていると感激し、大丈夫だという証に頭をブンブンと振ってみせて、あげく壁に頭を打ちつけ昏倒。
「どうだ!」といわんばかりの出だしである。

さて、題名の「コンジョ・ナシ」は、都の先輩である大曽根悠子から聞いた話である。

大曽根は、エチオピアの緑化運動に賛同し、最初はお金を寄付した。そうしたら<苗木を植えました>という報告が来た。それに感動し、実際にエチオピアに行き苗木を植える活動をした。
その苗木を植えているとき、エチオピアの子供たちに
「コンジョ・ナシ、コンジョ・ナシ」
と口々に言われた。

「コンジョ・ナシ」というのは現地のコトバでは「素敵な女性」という意味なのだそうだが、なんだか複雑であった、という話である。

そしてそこから「根性無し」である、大曽根の部下・月形瓢一の話となって、物語は核心に入るのである。

根性無しの月形は、根性無しであるだけでなく、世間知らずなのである。
従って酒を飲まずともその失敗談には事欠かない。
それを大曽根は(彼女は雑誌の編集長である)辛抱強く教育していたのであったが・・・

今回はこの月形君が主役である。
彼は失敗を失敗とも思わない、というか何が失敗だったのかよくわからない、まあいわば今時の青年である。

ホントにこういう奴はいる。
それで、独特の理論を持っていらっしゃって、それを得々として話したりする。
もうそれが失敗だっつうのに、とツッコミを入れても気づかない。

というわけで、この物語のラスト(オチ)のあと、月形君がどうなったのか、彼のいいわけはどうだったのか、想像をするだけで笑っちゃうのである。

こういう「想像をさせる」というオチもなかなかいい。

面白く読んで、その後もその雰囲気にひたれる。
だから読書はやめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

張り込み姫-君たちに明日はないPART3- 垣根涼介 小説新潮1月号

2010-01-03 18:24:36 | 読んだ
もうすっかり、この物語にはまってしまった。
今年からNHKでドラマ化されるのも楽しみである。

主人公はリストラ請負人・村上真介。
リストラ請負人とはいえ、血も涙もあるリストラ(退職勧奨)をしてきている。
そして、PART3では、リストラだけではなく、リストラをする過程で得た人材をもとに、人材派遣業務や有料職業紹介業務に展開している。

それは、その会社以外ならその才能をもっと生かせる人材をリストラの過程で見つけることができるからである。

さて、今回の対象は・・・
今回はリストラではないがリストラである、というちょいと複雑な依頼。

真潮社という日本有数の名門出版社。(勿論新潮社がモデルと思われる)
その真潮社の一部門に写真週刊誌の「フェイシズ」がある。
昨今、写真週刊誌は凋落の一途をたどっている。
そして真潮社では「フェイシズ」を廃刊とすることにした。

フェイシズの編集部員は他の部局に取り込むことができるが、写真週刊誌の編集部員は他の部局とはまったく違った業務形態であるため、これまで異動で他の部局に配属になった者は長続きしない傾向がある。
従って、真潮社では、そのような状況を説明し特別な退職制度を用意して、真介の会社に面接を委託したのであった。

そして今回真介にとって気がかりな対象者とは、山形県新庄市出身で東大を卒業し文芸部門の編集者を夢見て真潮社に入社したが、何の因果か写真週刊誌に配属されその後も異動にならず6年間フェイシズの編集部員であった28歳の日野恵である。

勿論、今回も日野恵(通称ヒメ)側からも物語りは描かれており、写真週刊誌の編集部員とは出版社の社員とは考えられないとんでもない仕事をしていることがわかる。

ヒメは実は上司たちの力によって、純文学を担当する部局へ異動することが概ね決まっている。
しかし、一応はリストラの対象に入っているので、真介と面談をする。

さて、日野恵はどういう結論を下すのか。

この物語を読むと「仕事」とは何なのか、「生きがい」と仕事はどう関わるべきなのか、なんて大いに考えさせられる。
そして、その結論は考え考えぬいて、自らが出さなければならないものなのだ。

正月早々、いい物語に出会った。
だから読書はやめられない。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

剣客商売 池波正太郎 新潮文庫

2010-01-02 00:10:54 | 読んだ
「週刊・池波正太郎の世界」第2号が剣客商売の特集であった。
それを読んだら(見たら)無性に剣客商売に関わりたくなった。

剣客商売は、炬燵に入って熱燗を無口な美女の酌で、『塩辛』とか『きんぴらごぼう』をつまみとして、まったりというかくつろいで・・・つまりそのまま寝てしまってもいいような形(美女はその時毛布かなんかをかけてくれる)で、読みたい。

今、この現状で、そういうことが許されるわけもなく・・・というか、今後もそういう形がありえないのだが、兎も角その様な形に近い状況も望むべくもないので、DVDを借りてきて、一人さびしく見たのであった。

と、そうこうするうちに、BSで2時間スペシャル版が放送され、いよいよ『剣客商売いいよなあ』熱が上がってきたのである。

というのは、ドラマ(映像)版では、主人公・秋山小兵衛を藤田まことが演じているのだが『違和感』なのである。
小兵衛は『小柄』というのが大きな特徴なのに、藤田まことでは大きいのである。
体格以外には何の不満もないのであるが、小柄な老人、ゆえにその凄さが倍増するのになあ・・・と思うのである。

ちなみに、お春を演じている小林綾子はピッタリである。
池波正太郎モノには、こういう女性は殆ど登場しない。
こういうというのは「天真爛漫」「純朴」「あっけらかん」「裏のない」ということで、『不幸』なんてこれっぽっちも感じない人ということである。
小林綾子はそれをピッタシで演じている。山形の田舎で苦労して育ってきたとは思えない、ってそれは「おしん」か。

閑話休題
というわけで、映像では満足できなかったのである。
で、年末「整骨院」へ行くお供としたのである。
(多分整骨院は混んでいて待ち時間があるだろう、という見込みである)

いやあ、よかった。
ほとんど『筋』はわかっている。
物語の行方や結末がわかっていても面白いのである。
それだけこの物語には「深い」ものがあるんだろうと思う。

剣客商売は、主人公の秋山小兵衛が融通無碍、自由奔放であってなおかつ人情味溢れる考えと振舞いで事件を解決していくものであるが、今回、小兵衛に負けず劣らず筆者の姿勢がうかがえる文章があった。。

『この日いちにちを、飯田平助が、どのような心境ですごしたかは、筆者も知らぬ。』

この文で、飯田平助がどのようにしたらいいのかわからない一日、思い迷い惑い身の置き場がない一日を過ごしたことを表している。

それにしても「筆者は知らぬ」はすごい。

というような新たな発見を読み返すごとにできるのが、私にとって池波正太郎の物語の大きな特徴なのである。
第2巻を読むのか、思案中である。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけまして おめでとうございます<雪の正月>

2010-01-01 17:24:10 | 日々雑感
あけましておめでとうございます。
本年も「嘉壽家堂」よろしくお願いいたします。

さて、我が住む町は昨夜から雪が降り、朝、窓を開けると白い世界となっておりました。

そのなか、朝7時に地元の神社へ元朝参りに出かけてきました。
途中から吹雪となりましたが、まあなんとか、頼みごとをしてまいりました。

我が家の庭の金木犀に積もった雪であります。


近年は平泉の毛越寺、中尊寺にお参りをしていましたが、我が町でこの雪であるならば、平泉はもっと雪、ゆえに家で静かにしていようと思っていました。

しかし、家人の誘いで『柳津虚空蔵尊』へ行くこととしました。
毎年多くの人が訪れ混むのでここ数年は元日を外していましたが、今年はこの雪だから少ないのではないか、なんて考えたのは「浅はか」でありました。

みんなそう思っていたのでしょう。
長い行列でありました。




寒い山の中並んで、無事、お願い事をしてきたのでありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする