読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

とうほく蘭展&バラとガーデニングフェスタ2011 

2011-01-30 13:41:27 | 読んだ
28日に「とうほく蘭展&バラとガーデニングフェスタ2011」(仙台市:夢めっせ)に行ってきた。
午前中人間ドックで、午後からだった。
平日の午後ということ、強風ということ、なのか、わりと少ない観客の数であった。

先ず、はいるとこういう風景である。





蘭を使った「庭(ガーデン)」ということだろうが、ちょっとゴテゴテしすぎるような気がする。
まあ、こういう場所ではそれなりだと思うのだが・・・
こういう庭が欲しいかといえばNOかな。

最優秀賞

何が基準で「賞」となるのかまったくの素人でわからないのだが、一つだけいえるのは白い花でバックが白、写真を撮るには難しい。

いろいろと蘭の花が展示されているが、そのなかからお気に入りを数点。







別にバラのガーデンがあり、あるいは造園業者のプレゼンの庭があり、東北各地の名産品(食べ物)があり、じっくり見れば3時間程度はあっという間だろう。

また、蘭やバラの育て方のようなステージがあり、勿論各種の蘭の花も売っている。
(一番安いのを買ってきた)

というわけで、明日1月31日までである。

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バーボン・ストリート・ブルース 高田渡 ちくま文庫

2011-01-27 21:47:36 | 読んだ
高田渡は好きなフォークシンガーであった。
「であった」というのは、2005年に亡くなったからである。

しかし、好きになったのはずっとあとのことで、初めて彼を知った高校生の頃などはあまり趣味ではなかった。

なんというか、あまりにも直截と感じたのであった。
それは、恋とか青春とかを歌っているのではなく、世の中の矛盾とか住みずらさとか、キレイではないこと、そこまで言わなくてもなあ、という印象であった。

それが年をとることによって、それほど直截ではなく、深みのあるものなのだ、ということがなんとなく理解できるようになった。

さて、本書は高田渡のエッセイである。
自伝といってもいい。

他から見れば家庭的に恵まれていないように思える。
しかし、それはこちら側のはなしであって、高田渡的には普通であり別に不幸ではない。

こういうことって、多くあるんだと思う。
でも、人は普通とか皆と同じとかを求めるがゆえ、そうでない人を「変わっている」と言うのだと思う。

まあ、そうは言っても高田渡は普通ではない。

何故普通でないのか、いや俺は普通だよ、そうでない人が変なんだ、ということを高田渡は言っている。

では、どういうことを言っているのか?

「歌というものは、まず聞いてみて好きか嫌いか、それでいい。理屈をつける必要などまったくない。」

「僕は、ほんとうの詩というのもは、『最後にださざるを得ない、厳選された一句』だと思う。」

「もういい加減、むやみに突き進んでいくのはやめにしたらどうだろうか。」

「僕にとって旅というのは、もしかしたら飲んでいる場所をただ変えるだけのことなのかもしれない。いつもとは違った場所で飲み、そこに集う人々を見る。実は自分のことを見つめている。おそらく、きっと、それが僕の旅なのだと思う。」


どうです。
興味があったらゼヒ読んでみてください。

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WBC戦記-日本野球、連覇への軌跡- スポーツ・グラフィック ナンバー編 文春文庫

2011-01-23 22:42:45 | 読んだ
本書は、2006年と2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の戦いと、参加した選手へのインタビュー、更にアメリカや韓国からみたWBCなど、いろいろな角度から記録したものである。

何故、日本は勝ったのか?
何故、日本は負けたのか?
今後、世界と戦うにはどうすべきか?

というテーマのように思えた。

日本の野球というのは、日本代表だけではない。日本代表は凝縮された形である。
子供達の野球、そして草野球。
更には応援をする人々。
これらの人が思い描く野球の凝縮した形が日本代表の野球ではないかと思う。

そういう意味では、日本もまだまだ捨てたものではないと思うのだ。

さて、私は野球を今でもやっている。
一番試合をしていたのは20代から30代だった。
所属していたチームは最大で4チーム。
つまり4つのユニフォームを持っていた。

だからユニフォームの持つ意味というのは他の人より少しはわかると思う。
同じユニフォームを着るとその瞬間から仲間になるのだ。
しかし、練習をして試合を経験していかないと仲間は同士にはならない。

そのあたりのことは、本書を読むと良くわかる、
チームというのは作っていくものなのである。

野球というのはやってみると良くわかるのだが、簡単で難しい。
基本や基礎をしっかりとやっていれば、とりあえず個人的にはある程度満足する。
しかし、勝つためにはそれだけでは足りない。

また、今年も野球のシーズンが始まる。
僕は、2月1日のキャンプインの日が一番好きである。
誰にも可能性が100%あるからだ。
その可能性をどこまで可能にするのかは個人とチームの努力である。

この戦記を読んで「やらなくっちゃ」と元気が出てきた。

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ライン 篠田節子 週刊朝日連載-最終回-

2011-01-22 14:23:45 | 読んだ
週刊朝日に連載されていた小説「ライン」が1月28日号で最終回となった。
全部で54回だから、1年以上の連載であった。

主人公の加藤栄美は、東京のベンチャー企業の社長秘書としてマスコミにも取り上げられ活躍していたのだが、突如の社長の失脚により失職する。

なまじマスコミで騒がれていただけに「次」というのがなく失意のうちに故郷に戻るが、居所も仕事もない。
しかたなく、24時間稼動のサラダをつくる工場(?)に夜間アルバイトとして勤めることとなる。

その工場では「研修生」としてフィリピン女性を雇用している。

劣悪な作業環境とそれに見合わない賃金、そしてセクハラ。
これらのことに最初は目をそむけていた栄美であったが、フィリピーナが体の不調を訴えたり妊娠をしたことなどにより、労働環境の改善化に取り組むこうとする。
内心は「何にも関わりたくない」のであるが・・・

そうこうしているうちに、フィリピーナも自分も体が不調なのは、労働環境の劣悪さだけではなく工場で作られたサラダに原因があるのではないかと疑う。

無農薬野菜、ハイテク農場と、そこで作られた野菜にかける調味液。
これらがもたらす害について、栄美は同級生の小学校栄養教諭:市川聖子とハイテク農場を経営する(といっても一農家であるが)三浦剛とともに、告発を試みるが失敗をする。

そして、彼らはさまざまな迫害にあう・・・

というところで大逆転があったわけだが『農業をめぐる問題点を鋭くえぐった小説』としてなかなかに面白く読んだ。
いささか理想的な面もあるのだが、小説はそうでなくてはならない。

野菜は無農薬、減農薬というような傾向があるが、一方では「安い」のがいいともされる。
無農薬、減農薬では大量生産をすることは難しいし「高く」なる。
「安全で安心していつでも食べられる安い野菜」なんて作れるわけがない。
それなのにそれを望むのは消費者のワガママではないだろうか。
と、私は思っている。

無理をすればどこかにヒズミが生じる。
そのヒズミはいつも弱いものから影響を受ける。

一体誰がこのヒズミを是正することが出来るのだろうか?

1970年代に「自然に帰れ」というコトバが流行したが、コトバだけで終わってしまった。
私はいつ自然に帰れるのだろうか。
そんなことを思いながら読み続けてきた。

この物語は朝日新聞出版から単行本として発刊される予定だそうである。

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う【u】 ラズウェル細木 週間モーニング連載

2011-01-20 22:14:25 | 読んだ
週間モーニングに連載されて、今週号(2月3日号)で9話(うの九番)である。

著者のラズウェル細木は、近頃私のお気に入りのマンガ「酒のほそ道」の作者である。
で、このマンガも酒のほそ道のように1話完結でちょっと中途半端な長さ(短さ)である。

さて、題名の「う」ではすぐにぴんと来ないかもしれないが「うなぎ」の「う」であり、うなぎの話である。

うなぎの話といっても、生きているうなぎではなく、食べるほうのうなぎである。つまりうなぎを食べる話である。

主人公の藤岡椒太郎は、第1話で婚約者の真紀子から電話で
「結婚とうなぎとどちらにウェイトを置いてる訳?」
と聴かれ、
「結婚は結婚、うなぎはうなぎ」とし
「私はうなぎを食べているときはいつも真剣勝負でうなぎと向き合っているんだ」
とこたえた、うなぎを食べるにあたっては相当のこだわりを持っている、相当面倒くさいヤツである。
いつも和服だし。

9話は「うなぎと山椒」というタイトルである。

8羽で知り合った「花蓮」と偶然にうなぎやで出会い、山椒の話をするのである。
椒太郎は「マイ山椒」を持ち歩いている。

いわゆるウンチク漫画なので、うなぎにまつわる話をするのであるが、だからといってこちらは鰻を食べるなんて滅多にないことであり、どうでもいいといえばどうでもいい情報だったりする。

だって、家庭にある調味料やスパイスで最も賞味期限が切れているのが山椒だといわれても、どうでもいいじゃない。

と思うのだが、なかなかに面白いのである。

追伸(2011年1月22日)
この「う」の第1回目がインターネットで見られます。
モーニングの公式サイトで読んでみてください。


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蛍大名の変身 加藤廣 小説新潮12月号

2011-01-18 23:34:04 | 読んだ
小説新潮12月号は「時代小説年忘れ」で、その巻頭を飾る作品である。

加藤廣は「信長の棺」「秀吉の枷」「明智左馬助の恋」などで近頃注目の作家である。
ちなみに私はこのシリーズを読もう読もうと思いつつ「信長の棺」しか読んでいない。

さて、本作品の主人公は「京極高次」である。
京極高次といえば、今年のNHK大河ドラマの主人公「江」の姉「初」の婿である。
ということで、まあ時宜を得たというかブームに乗ったというか、そういう物語なのだなと思いながら読み始める。

しかし「初」はほとんど登場しない。
主人公は京極高次なのである。

名門ということだけで何の取り柄もないという設定。
そして、実は高次、茶々に惚れていた、というか双方にとって初恋の人という設定。

茶々が懐妊したことで、高次は憤る。
自分を捨てて、いやそれは許せるとして、あの秀吉の側室になるとは!
更に、秀吉の子などを懐妊するはずがないのに懐妊したというのは、絶対に不倫をしている!
ということから、高次は不倫相手を探ろうとする。

公家そして実の妹の龍(秀吉一番のお気に入りの側室)を通じて、高次はその不倫相手を突き止めようとする。

突き止める前に秀吉は死に、更に東西に分かれた争いごとに巻き込まれ、高次は京極家存続のため彼なりに努力する。

居城である大津城は関が原に向かう西軍に取り囲まれる。
彼は、西軍につくといっていながら(いわなければならない状況ではあったが)東軍に味方したのである。
しかし、関が原の前日に降伏し城を明け渡し、高野山に入る。

ところが関が原は東軍が勝ち。
西軍を3日ばかりとはいえ食いとどめた功により、6万石から9万石になり小浜に移る。

そんな京極高次について描かれているが、最初のテーマであった「茶々」の不倫相手も物語の途中で判明する。
うーん、そういう奴もいたか、という設定であった。

ところで題名になっている「蛍大名」とは何かというと、何の功績もないのに加増されていく高次は「女の尻の光で偉くなった」ということ尻の光にかけて「蛍」ということらしい。

確かに、秀吉の側室となった「茶々」を姉に、徳川家康の嫁で2代将軍秀忠の正室となった「江」を妹にもつ「初」の婿ということと、秀吉の寵姫であった妹を持つ名門の嫡子という事だけしか取り柄がないように思える。

でも、それだけでは戦国を生き抜くことは出来ない、それはなんだったのか?
ゼヒ機会があれば一読を薦めたい。


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酒(しゅ)にまじわれば なぎら健壱 文春文庫

2011-01-16 22:23:09 | 読んだ
なぎら健壱はフォークシンガーである。
彼の著書「日本フォーク私的大全」は、当時のフォーク界を良く知ることが出来、ラジオでしかオンタイムで体験をしていない私が、その現場にいたような記憶になってしまうようであった。

また「東京酒場漂流記」も、正統的な呑ん兵衛のまっとうでだらしない呑み姿を披露してくれた。

ということで、本書も大いに期待して読み始めたのである。

内容は酒に関する話なのであるが、概ね2~4ページの、ショートショート的なエッセイである。

で、毎晩眠る前に3つぐらい読むことにした。

爆笑するような話はないが、ニヤッとさせられたり苦笑したりして愉しんだのであった。

なぎら健壱の酒呑みのいいところは、酒の酒類、銘柄、酒の肴にこだわらない、こだわっているのは、兎に角美味い酒を呑むんだ、というところである。

美味い酒、というのは酒が持つ美味さだけでなく、酒を呑む場所の雰囲気であったり、一緒に呑むやつであったりする。
そして、その場ではあまり雰囲気がよくなかったりしても、チョイト考え直すというか見方をかえて、自分で面白くしてしまう。

だから、とんでもないヤツにあったりしても、とんでもないヤツにあったことがよかった、というようになる。
そしてまた、よくそういう「へんなヤツ」に遭遇するのである。
というか、普通の人なら見逃すものを見逃さないのである。

ゼヒ、酒呑みには読んでもらいたい。

蛇足ながら、下戸なのに文庫本の解説をしている吉川潮のへんなヤツである。

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鷹は知っている-お鳥見女房- 諸田玲子 小説新潮12月号

2011-01-13 23:03:15 | 読んだ
お鳥見女房の新シリーズの第4話である。

代々の御鳥見役である矢島家の女房珠世がこの物語の主人公である。
この前のシリーズで、珠世の長男:久太郎は、鷹姫こと恵以と結婚し、見習い役から本役に進んだ。
次男も次女も結婚した。
珠世の父:久右衛門が亡くなったものの矢島家は久々に幸せと平穏に包まれていた。

しかし、このシリーズでは久太郎が御鳥見役の陰の役目である「隠密」の任務で相模へ赴いている。
そして、第3話では崖から落とされてしまった。

第4話では、珠世の夫・伴之助が本役から祐筆役になっていたのが人数不足から久々に本役のお勤めをすることとなる。

しかし、そのお役目での相方が少々扱いにくい者で、とうとう事件を起こすこととなる。
その解決の話と、久太郎が崖から落ちて助けられた話が今回語られている。

伴之助の事件は、珠世と恵以のそれぞれの立場からの支援と、伴之助自身のもつ人柄によって解決される。
一時は、謹慎から退職、ということも考えられたが、一切不問ということになった。

一方、久太郎のほうは、どうも記憶喪失になったようである。
久太郎は無事戻ることが出来るのか、そして久太郎を裏切った者の正体と後始末をどうするのか、このシリーズもいよいよ佳境にはいってきた。

次の話は2月号らしい。

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ローマ人の物語40 キリストの勝利(下) 塩野七生 新潮文庫

2011-01-11 23:25:18 | 読んだ
キリストの勝利の下巻にして、遂にキリストの勝利となった。

全巻までが面白かったゆえか、40巻ではあまり興奮しなかった。

キリストの勝利とは、ローマ帝国の国教にキリスト教がなった、ということである。
しかも唯一無二の宗教となったのである。

このキリスト教の勝利には、アンプロシウスというミラノの司教が活躍(?)した。
著者によれば、彼には「宗教的な熱狂というものが見出せない」のであって、ローマ帝国のキリスト教国化は「宗教者としての判断というよりも政治家として判断した」ということである。

しかし、キリスト教の国教化に反対した者もいた。
シンマクスという首都長官である。
著者は彼とアンプロシウスとの間の論戦(手紙)をそのまま紹介する。

シンマクスの論は「情」の部分が多いように思える。
アンプロシウスはその部分を「理」で反駁する。

情と理では理が強く理が勝つ。
しかも、訴えられた皇帝はキリスト教である。

人間や社会を動かしているのは「情」のほうか多いのではないか?

多少の抵抗はあったもののローマ帝国はキリスト教を国教とする。
そして、皇帝はキリスト教が認めた、つまり神権によって選ばれたものとなる。

これで、せっかくの合理的社会が失われることとなった。
更に、皇帝は司教にひざまずき罪を見止めることとなる。

著者もそうなのだろうが、ローマ帝国ファンの私もなんだかすごくガッカリしている。

とは言いつつも、今後どうなるのだろうか?という興味は深い。
著者の最新作となるものに「十字軍物語」がある。
そのあたりまで、西洋史を塩野七生に学んでみようかと思っている。

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初詣 中尊寺・毛越寺

2011-01-08 23:11:38 | 観た、聴いた
本日、毎年恒例としている中尊寺・毛越寺に初詣に行ってきた。
本日は好天に恵まれ、とってもいい初詣日和であった。

私の住んでいるところでは、日陰中の日陰にわずかに雪が残っているので、わりと軽装、つまり寒さ対策はしていったのであるが雪対策をしていかなかった。
そうしたら、さすが平泉。というか一ノ関に入ったあたりから路肩、路上と雪が残っている。

それで、中尊寺の月見坂は雪で滑りやすくなっていたのであった。
雪道を転ばぬように歩いて中尊寺へ。



家族のこと、職場のこと、日本のこと、世界のことをチラッとお願いをし、自分のことをいっぱいお願いしてまいりました。

続いては隣の峯薬師堂



ここは、紅葉のときや青葉のときが美しいのであるが、雪景色もよかった。

そこから、讃衡堂、弁財天堂、金色堂の前を通って、白山神社へ。
白山神社能舞台。



で、昼食は「かんざん亭」
かんざん亭は、改装してからお気に入りの場所である。
店内は以前どこかだらしない感じだったし、飲食物はおざなりだった。
今は、行き届いた店内で、ジャズなどがバックグランドに流れ、飲食物も洗練されてきた。



というわけで、本日は、きのこそばを食す。ちなみに相棒はカレーうどん。
どちらもあっさり系でおいしくいただいた。

雪道を転ばぬように降りてきて、次は毛越寺へ。



中尊寺もそうだったのだが、毛越寺も参拝客が少ない。
本日は毛越寺の本堂にも入れたので本堂の中に入ってご本尊を拝してきたのであった。

そして庭と大泉が池


良い天気でたいへん満足したのであった。

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ローマ人の物語39 キリストの勝利(中) 塩野七生 新潮文庫

2011-01-06 23:07:35 | 読んだ
紀元361年、ユリアヌスはついに皇帝になる。

文庫本の帯には

キリスト教国教化に抵抗する若き皇帝の孤独な闘い

とある。

ユリアヌスは、前皇帝のコンスタンティウスに抵抗したとみなされた。
それは、彼が副帝として派遣されたガリアの地で将兵の心をつかみ蛮族との戦いに勝利を重ねたからである。
コンスタンティウスはユリウス討伐に向かう途中で病死する。
コンスタンティウスとの決戦に挑むべき東進していたユリウスは、決戦すべき相手の死によって皇帝となった。

皇帝となったユリウスは次々と改革を行う。
例えば、肥大化した官僚組織のリストラ。
それは彼が皇宮に勤める理髪師を呼んだときに一団の理髪師たちが現れたのが要因となった。

著者言う
「官僚機構は、放っておくだけで肥大化する。それは彼らが自己保存を最優先するから。
そして、官僚機構の改革は、強制して服従させる力を持った権力者にしかやれないことである。」
と。

権力者となったユリアヌスは、官僚機構の改革を行い、更には前皇帝、前々皇帝が進めてきた、キリスト教の不況発展の政策も改革する。

それは、昔のローマ帝国、つまり強くたくましかったローマ帝国へ戻る政策であった。

その昔のローマ帝国の素晴らしさを知っている著者にとっては、非常に好ましい皇帝であるようだ。

本書では「神」について語られることが多い。

ローマ帝国が強くそして大きく広がったのは「多神教」であり、多くのつまり「敵」であったものの神をも認めたことにあるという。
そして、権力を人間に委託する或いは剥奪するのは人間である、というのがローマ帝国伝統の考え方であった。
それが、一神教のキリスト教では、すべて「神意」である、つまり皇帝として権力を委託したのは「神」であるという考えかた、であるなら神意を告げる司教をとりこめば永遠に権力者であり続け政局は安定する、という考え方を持ったのがコンスタンティヌス、コンスタンティウスであり、その考え方が帝国内に広がった。
それをユリアヌスが否定したのである。

いかにも正統的な考えかたが、その時代に受け容れられないことがある。
そして、後世から見ると疑問符がつくものが熱狂的に受け容れられることがある。

著者は

宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか、と思う。

とし

前略、「背教者」という蔑称は、実に深い意味のこもった通称とさえも思えてくる。もしかしたら、31歳で死んだこの反逆者に与えられた、最も輝かしい贈り名であるかもしれない。

と、悼んでいる。

ユリアヌスは、ペルシアとの闘いに臨むが、途中からやることなすこと逆目にでる。
いつの世も、また洋の東西に関わらず、こんなときが英雄に訪れる。
そして、その苦難を乗り切ったものが真の英雄となる。

ユリアヌスは失敗した。
それは、彼の改革が多くの人の心に沁みこんでいなかったからだろうと思う。

読み終えて寂しくなった。こういうことは39巻にして初めてである。

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ロンドンはやめられない 高月園子 新潮文庫

2011-01-04 20:52:51 | 読んだ
文庫本の帯に
「駐在員夫人が描く 誰も知らない ロンドンライフ」
とあった。

ちょうど、アガサ・クリスティの「ミス・マープル」シリーズを読んでいたところで、どうもイギリスの風俗というか文化が良くわからなかったので、その参考用にということと、長編小説の合間に読む短いエッセイということで読み始めた。

で、昼休みに少しづつよんでいたら、読み終わるのに時間がかかってしまった。

著者は、東京女子大卒業であり、英米文学翻訳家である。
20年以上にわたってロンドン生活を送った。
その際に見聞きしたことを書いている。

それにしても、やっぱりイギリスの文化と日本の文化は大いに違う。
それを理解していないとあちらの物語はよく理解できないと思う。

例えば、
「西日の当たる快適なリビング」では、西ヨーロッパでは当たり前のこと。
年間を通じて西風が吹くために、西向きの部屋、そして市街地においても西部が高級になるそうである。

また、蓄積した知識を誇るタイプの女性に、イギリスではしょっちゅう会う、という話は、ミス・マープルを連想させる。

そのほか、子育てや食事更には階級社会であることなどのイギリスの話題。そしてイギリス駐在の夫人達の生活、或いは世界情勢などについて記されている。

ヘエーと感心したり、フムフムと苦笑いをしてみたり、そうだそうだと同意をしてみたりしながら、行ったことのないイギリスを通じて日本について考えさせられる本である。

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ローマ人の物語38 キリストの勝利(上) 塩野七生 新潮文庫

2011-01-03 21:18:37 | 読んだ
いつ読もうか?と発売された夏ごろから気になっていた。
で、やっと読み始めたのである。
題名を見ておわかりのとおり、本書は「キリストの勝利」3冊のうちのはじめである。ちなみに、ローマ人の物語第14巻である。

第13巻では、コンスタンティヌス大帝が描かれた。
キリスト教を認め、ローマ帝国の舵を大きく切った皇帝である。

本書では、コンスタンティヌスが亡くなったあとについて記している。

コンスタンティヌスは、自分の後を5人の副帝(カエサル)を配置した。
しかし、こういう場合必ず跡目争いが起きる。
これは古今東西必ず発生するものである。

そして、その跡目争いに勝利したコンスタンティウスは、徹底的に自分のライバル達を殲滅する。
そのために、帝国を守る人材と後継者の人材に不足する。
というのが、この38巻の流れである。

そしてもう一つは「キリスト教」の台頭である。

著者は、巻頭の「読者に」でこう言っている。

 時代の転換期に生きることになってしまった人でも、選択の自由ならばある。
 流れに乗るか
 流れに逆らうか
 流れから身を引くか


そして著者はこの「キリストの勝利」を語るにあたっては、第3の視点「流れから身を引くか」という視点になるといっている。
それは

「ローマ人をここまで書いてきた私にとっては、他の二つの立場よりは身近に感じられるから」

なのだそうだ。

それから著者は、これまでローマ人の顔を可能な限り紹介してきたことをあげて、この巻から紹介している顔はローマ人の顔なのかと思うくらい変容しているとしている。
そして、

「リーダーの顔は、その人の顔の現実を映すだけでなく、表現する側がどう見るかを写すものでもある。」

とし、

「リーダーの顔も、彼らが生きた時代を反映しないではすまないからであった。」

であるなら、現代のわが国のリーダー達の顔はどうだろうか?
将来、我々が選んだリーダーとして紹介されるに足りるだろうか?
うーん。

更に、本書の最後には、コンスタンティウスから副帝(カエサル)に任命された、ユリアヌスについて記されている。

ユリアヌスは、跡目争いで殺されたコンスタンティヌスが任命した副帝(カエサル)の息子であり、コンスタンティヌスの血族で現正帝(アウグストゥス)コンスタンティウスの唯一の血族である。

しかし彼は、副帝になるまでの24年間の殆どは幽閉された日々であり、同じような運命の兄はすでに殺されている、という境遇である。

このユリアヌスは、副帝に任命され蛮族に荒らされたガリアに赴任し、蛮族を退けることに成功する。

著者はこのユリアヌスが成功した理由を、責任感と高揚感ではないかとしている。
まあなんというか「ベタ褒め」なのである。

そのユリアヌスが失脚するらしい。
それは39巻。

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酒のほそ道 「酒と肴の歳時記」:冬の味覚スペシャル ラズウェル細木 Gコミックス

2011-01-01 22:57:04 | 読んだ
あけましておめでとうございます。
本年も「嘉壽家堂」をよろしくおねがいします。

大晦日から元旦にかけて、日本酒、どぶろく(という名称の市販酒)とビールを飲み、久々にゆっくりとじっくりと酒を楽しんだ。

ただし、テレビは「紅白歌合戦」で「吉田類の酒場放浪記」ではなかった。
ちなみに紅白歌合戦は『トイレの神様』<植村花菜>と『また君に恋してる』<坂本冬美>が大層よかった。泣けてしまった。

さて、近ごろコミックで凝っているのが「ラズウェル細木」の作品である。
特に「酒のほそ道」は、就寝前のいわば「寝酒」のようなものである。

このコミックを読むと、いつかは主人公の岩間宗達のように、健康も明日の生活のことも考えず、妻子同僚更には医者の目を気にせずに酒を飲んでみたいと思う。

今号の「冬の味覚スペシャル」でも、A級からC・D級クラスの酒と肴を楽しんでいる。
こだわりのない自由な酒飲みこそ、ホントの酒飲みなのかもしれない。

一晩に数話づつ読んで寝る、というのは、近ごろ何かとせわしない生活のささいなオアシスのようなものだった。

今年も一年、こんなオアシスを見つけてつなげていけたらと思うのである。

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