読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

冬の雨

2007-12-30 23:08:52 | 
12月の末だというのに昨日から雨模様である。
NSPの歌に「雨は似合わない」というのがあるが、それは
♪冬 だから 雨は似合わない♪
だからなのである。
本当に冬に雨は似合わないのである。

で、本日大掃除もしたのであるが、雨に濡れた我が家の草花がいい雰囲気だったので写真を撮った。

まずは「葉牡丹」です。


そして「なんてん」


明日は「雪」らしい。

まだ読んでいない本もあるが、正月用の本でも探しに行こうと思っている。

追伸
嘉壽家堂本店」を久しぶりに更新しました。よろしく願います。

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青春のうた50 1970年代後期⑨

2007-12-29 22:13:15 | 読んだ
1.身も心も/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1977年9月

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの歌は「単純明快」をよしとしていた。
自分勝手なのであるが、理屈もなく単純にロックン・ロールであって欲しいと思っていたのである。

ところがこの歌は、それまでとはちょっと違った「重い」歌である。

本書の解説によれば「歌謡曲のテイストも香る独自のスタイルへと変貌」とある。
それは宇崎竜童のソングライターとしての才能の開花とキーボード奏者・千野秀一の加入によるものが大きい。
とも書いてある。

なんであれ、それまでの曲調とは違って戸惑ってしまった、という思いがあった。
まあ、歌えば気持ちよく歌える歌ではある。

2.サラダの国から来た娘/イルカ 1978年3月

イルカの歌は、伊勢正三の作品が多くそしてヒットしたので、勘違いをしていたのであるが、この「サラダの国から来た娘」はイルカの作詞作曲である。

伊勢正三の作品と違和感がないということは、イルカそのものの「味」なんだと思うのである。

♪サササ サラダ サラダの国から来た娘♪

の部分が非常に印象深い歌である。

3.キャンディ/原田真二 1977年11月

原田真二の歌ではこの歌が非常に印象深い。

解説を読むと
77年10月に「てぃーんずぶるーす」でデビュー
同年11月に「キャンディ」
同年12月に「シャドー・ボクサー」
と3ヶ月連続シングルリリース
とある。

この3ヶ月連続リリースというのは「フォーライフレコードが社運をかけて売り出したアーティスト」のためということらしいのだが、いい歌なのに次の歌がでてきて、若干印象がうすくなってきてしまった、という印象も否めない。

このキャンディはやっぱり出だしの

♪キャンディ アイ・ラブ・ユー 目覚めてよ♪

という部分がすごく印象的である。この部分だけでこの歌が「いい」と思ってしまう。

いい歌なんだけど私は今もって歌えないのである。

4.ラブ・ステップ/越美晴 1978年10月

この時代は、新しい時代を担うスターというかアーティストが待ち望まれていた時代だったような気がする。

例えば、原田真二はあのフォーライフレコードが募集したもので選ばれた(と思う)ものだったし・・・。

そういう意味で越美晴も相当期待されていたはずだった。
この歌は彼女が作詞作曲したものだったし、いいと思った。

原田真二も越美晴も「新しい」歌のスタイルだったような気がするし、それまでのシンガー・ソングライターとは違って「音楽」を本格的にやってきたようであったし、ビックになっていくように思っていたのであったが・・・

多分この時代あたりから「貪欲」というようなことがなくなってきたんだろうなあ。

社会全体が新しいことを求め、そしてプロというか専門的なことを求め、その反動のようなかたちで「貪欲」とか、いい意味での「素人っぽさ」が薄くなってきたと思うのである。

そしてもうひとつ、まだ、作られたものよりは自然にでてきたもののほうがいい時代だったのかもしれない。

5.ほほにキスして/水越けいこ 1979年9月

しからばということで、ちょっと素人っぽさが残る水越けいこなのである。

この歌も、弾んでいて、明るくて「いいなあ」という印象なのである。
だけどこの歌に「のめりこむ」ような状況にはならなかったのである。

なんでだったんだろう?

6.愛する人へ/南こうせつ 1977年1月

新しい人や曲を求める一方で、いわゆる『素人っぽさ』からスタートした、フォークソング系の人たちも変わりつつあった。

この歌は詞が岡本おさみで、若干今までとは違っているように感じるのであるが、でもやっぱり「南こうせつ」なのであった。

結局この大物たちはその後も生き残るのであるが、自分の道を進みながら時代に迎合しているようなところ、その按配、折り合いがうまいのが「大物」たる所以なのだろう。

南こうせつの歌は、詞がそのまま素直にメロディーになっているのがいい。
吉田拓郎のように無理やりというか力ずくでというか、詞と曲を組み合わせているカンジではなく(実はそのカンジがいいのであるが)、自然に詞と曲がマッチしている、それが南こうせつの特徴であると思う。

この「愛する人へ」は詞の力強さと曲のやさしさがすごくマッチしている名曲だと思うのである。

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手のひら、ひらひら 志川節子 オール読物12月号

2007-12-27 22:59:15 | 読んだ
注目している作家である。
吉原を舞台にした時代小説である。

これまで「しづめる花」「うつろひ蔓」と二つの小説を読んできた。
この二つの物語は『お蓮』と<保チ屋(もちや)>の佐吉の話であったが、今回は前2回に登場した『豆吉』が主役である。

この豆吉の母は花魁で、豆吉を産み落とすと亡くなった。豆吉は母の勤めていた店とは違う店に働いた『留蔵』に引き取られ、吉原で育ち今は「土浦屋」で妓夫をし、そして「目付」をしている。

この一連の物語には「上ゲ屋」(遊女に仕立てる職)「保チ屋」(年季半ばで磨き直す職)といったものがでてきたが、今回はこの「目付」(合間にあって妓の心を見張り、間夫の芽を絶つ)が物語の柱である。

豆吉は肩を揉むと「何かに届いた閃く瞬間がある」それを豆吉は心に届いたのではないかと思っているのである。
つまり、そのとき豆吉は妓のそのときの気持ちがわかるのである。
その特技を土浦屋の楼主・利右エ門は生かして、店の妓たちを管理している。

物語は、妓の馴染みの男に楼主の娘が惚れて、すったもんだするものである。
このすったもんだが、当時の掟や社会の常識や身分が絡んで、だから人は理不尽だと思っても我慢して暮らしてく<さま>が描かれているのである。

こういうなんともいえない切なさ、つまり今ではみんな自分が正しければ(正しくない場合であっても)自分を押し通そうとするのであるが、時代小説では我慢したりあきらめたりして、それでも幸福になろうとすること描かれている「切なさ」が、近頃、時代小説を読みたくなる所以なのである。

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年賀状

2007-12-25 23:34:09 | 日々雑感
やっと年賀状を書き終えた。
といっても「本文」についてはパソコンで作って印刷をしたもの。

宛名とメッセージは手書きで、というのがまあ信条である。

それにしても作り始めるまで、そして印刷を終えるまでは気が重い作業である。
宛名書きをして、いよいよ、その相手を思い浮かべるあたりから、なんだか楽しくなる。
そしてメッセージで悩む。

ここだけの話であるが、メッセージはそれぞれに宛てているので、まったく同じものでもかまわないわけで・・・
いえいえ私はちゃんと変えていますよ。大意は同じようですが・・・

というわけで、クリスマスと年賀状であまり本を読むことができない。

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オール読物12月号から

2007-12-23 23:56:52 | 読んだ
すでに1月号が出ているのに12月号の話題です。

浅草暮色 伊集院静
浅草の小料理屋「志万田」の女将・志万が主人公の、大晦日の話である。
常連の客との会話から、亡くなった<つれあい>を思い出し、そして若いときの恋人であった幼馴染の相撲とりとのことなど思い出し、更にばつ一の娘が連れてきた男のことなどが描かれている。

「だからなんなんだ!」というつっこみがはいりそうな、淡々とした物語なのだが、こういう人生もあるんだなあ、というしみじみとしたものがある。

こういう店で熱燗をいただくのもいいかなと思ったのであった。

二人姉妹 森絵都
ちかごろは森絵都の小説をよく読んでいるが、この人の小説も淡々としているというか、いわゆる『大事件』などはおきない。
日常の何気ないことから人生を考える、というような趣向のものである。

今回は親類一同が温泉に集まったところで、妹が姉が一緒に温泉に入らないことに悩み、それを聞いた語り手の従姉妹が姉に伝えると、姉にはそれなりの理由があるのだが、それは一方的なことで妹が悪いわけでもないのだが・・・ということで、そして宴会がはじまるととうとう姉妹は険悪な雰囲気になる。
結局、姉妹は仲直りをして一緒に温泉に入るのだが、それはどういうわけでそうなったのか、ということが面白い。

それにしても、いわれなきというか身に覚えのないことで、ヒトから嫌われたりするということはあるもので、そんなところが人間関係の面白さ・つらさなんだと思う。
それを短編でうまく表現していると思うのであった。

みけとらふに 畠中恵
町名主の息子で町名主見習いの麻之助、同じ境遇で父が亡くなって町名主を務めなければならない清十郎、そして見習い同心の吉五郎という3人の仲間が事件を解決する連作時代小説である。

著者は「しゃばけ」シリーズをてがけているが、こちらの物語は怪奇現象などはおきず、普通に江戸時代のお話である。
今回は、猫にかんする噂話を突き詰めていくと「事件」がでてくる。

しゃばけシリーズと同じでほのぼのとした物語である。

相棒たち 勝目梓
著者はエロティックな小説を書いてきているというイメージであったが、近頃はいわゆる熟年夫婦(60歳前後である)の性についてを主題としているようだ。

この物語は連作のようであり、前回は熟年夫婦のスワッピングについて話し合ったりしていたが、今回も同じ登場人物たちで「エロティック」について話し合っている。

現代はみんなが若返ってしまったので、老後の性生活というのも小説の題材になりうるとは思うが、あまり興味のない話というか触れたくない話でもある。

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名探偵モンク -モンク、消防署に行く- リー・ゴールドバーグ 訳:高橋知子 ソフトバンク文庫

2007-12-22 18:44:32 | 読んだ
物語の感想の前に・・・
「ソフトバンク文庫」というものをはじめて知った。

さて、名探偵モンクは、アメリカのテレビドラマで、現在NHKのBSでも放映されている。
で、本書は、そのテレビドラマの小説版なのである。
つまり、テレビドラマがはじめにありき、というパターンなのである。
こういう、テレビとか映画などと出版物との関係を「メディアミックス」というのだそうである。

というわけで、テレビドラマの「名探偵モンク」のファンである私は、この本を見つけてしまったら買って読まなくてはならないのである。
こういう『思い込み』が自分に厄介をかけたり反省の材料となることが多い。そんなことわかっているのに買ってしまうのであるから、人は複雑でめちゃくちゃでコワイのである。

さて、買う前に思っていたのは、テレビドラマで放映されたものを活字化したもの、ということであった。
これは「刑事コロンボ」のノベル版がそうだったからである。
で、そういうものはあまり好きでないので、刑事コロンボは1冊ぐらいしか買わなかった。今回もそうであったらこれっきりとも思っていたのである。

ところが、本書はそうではなくテレビドラマのレギュラーメンバーそのままで新たな物語つまりオリジナル作品となっている。
従って、というか、そういうことだから、なかなかに面白いのである。
それから、テレビドラマは幾人かの脚本家が書いているそうで、本書の著者「リー・ゴールドバーグ」もその中の一人ということである。

さて(本日3回目の『さて』である)、物語はモンクの2代目秘書というか世話係のナタリー・ティガーが語り手である。
初代の世話係はシャローナという肉感的な女性であった、この2代目のナタリーはまるっきり違うタイプである。いろいろな情報を見ると『シャローナのほうがよかった』という声のほうが多いようだが、私としては『ナタリーのほうがいい』と思っているのである。

で、どうことかというと、ナタリーが語り手でよかった、というか嬉しい、と1行目を読んで思ったということだけなのである。

さて(本日4回目)名探偵モンクとは、事件を推理することには長けているが他のことについては全く異常という人である。
この異常性がナカナカに面白く、この異常性が推理に大いに役立っているというのが、もっと面白いのである。
その異常性というのは「潔癖症」(人と握手をした後で必ずウェットティッシュで手をふく)「高所恐怖症」「神経過敏症」「強迫神経症」「言語障害」「不眠症」などの、ありとあらゆるものは神経症を持っているのがモンクなのである。

今回の事件は、モンクが自宅の修理のためナタリーの家に寄宿することから始まり、ナタリーの娘ジュリーからの依頼である「犬殺し」の犯人探しが発端である。
そこに、殺人事件が絡み、犯人は途中でわかるが状況証拠のみで、確定をさせる証拠探しに奮闘する、モンク、ナタリー、そして警察のストットルマイヤー警部とディッシャー警部補が描かれ、サイドとしてナタリーの恋が語られる。
メインストーリーとサイドストーリーがうまく絡んで面白い物語となっている。

ただし、アチラの物語の特徴である「冗舌さ」にほんの少しうんざりするところがあるけれど・・・

アメリカではすでに5冊刊行されているとのこと、楽しみである。

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夢を食った男たち-「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 阿久悠 文春文庫

2007-12-20 21:14:36 | 読んだ
このエッセイというか芸能史というかは、スポーツニッポンに「阿久悠のテレビ三国志」として1992年10月から翌年4月まで半年間連載されたもの。
そして1993年6月に単行本となり、1997年8月小池書院の道草文庫となり、2007年12月に文春文庫となったものである。

つまり書かれてから15年を経過していることになる。
それなのに、なんだか現時点で書かれたように思ってしまうほどなのである。

阿久悠が活躍したあるいは最盛期だったころは、ちょうど私の青春期である。
阿久悠の書いた歌が与えた影響は大きい。
吉田拓郎の歌が「現実」若しくは「私小説」風で、その生き方を現して影響を与えたものであるなら、阿久悠の歌は経験と計算とからつくられている「物語」のようで、それが作り物のように思えず、なんだか心を打つのである。(まあ心をうたないものもなくはなかったのだが)

さて、この夢を食った男たちの冒頭は「桜田淳子」と「岩崎恭子」の話からはじまる。
桜田淳子といえば、ワタシ、初めて夢中になったアイドルである。
それがまああのようなことで引退をしてしまい、残念に思っていたのであるが、この本には中学2年生でデビューをしてあのようなことになってしまった桜田淳子と丁度そのときオリンピックで金メダルをとった岩崎恭子とを較べて、阿久悠は感慨にふけるのである。

桜田淳子は「光っていた」ということ、そして「スター誕生」という番組の成り立ちと、大きくなっていくさま、そこに登場した人物、あるいは自分の生き方、その後の人生について、さまざまに思い出し、彼はつづるのである。

その中に登場する人物で表舞台に出ている人たちは、こちらも知っているのである。
名前を出されただけで思い出せるのである。
そういうところが、この本を読んでいて、なお深く思い巡らすものがあると思う。

桜田淳子、森昌子、山口百恵、あるいは伊藤咲子、黒木真由美、岩崎宏美、小林美樹、そしてピンクレディー。
これらの歌手(アイドル)たちだけではなく多くの人間を見つめながら、依頼のあるままに作詞をしてヒットさせる。

ああ、やっぱり凄かったんだなあ、と思うのである。
そして、彼は芸術家という作詞、つまり心から湧き上がるものを掬い取ったりするような作詞ではなく、それぞれのテーマに応じて書くという「仕事」として作詞のようななのである。
それゆえに枯渇することなく続けられたのではないかと思う。

何であれ、この本を読むと昔を思い出し、阿久悠が活躍した時代はよかったなあ、としみじみ思うのである。
いまでは、日本人全体に流れる「思い」のようなものが歌となることはない。

芸能史という形でも読むことが出来るし、阿久悠がそのつど思ったことのエッセイということでもあるが、人間たちの生き様がドラマのようでもあり、さまざまな出来事が交錯して社会というのが成り立っているんだなあ、ということまで考えさせられる、久々にワクワクしながら読んだ本であった。

そして、日本という国の中で色々なものがバラバラになったのは、もしかしたら「平和」であることだとしたら、それはなんだかすごく恐ろしいことのように思え、読み終えてため息をついたのであった。

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青春のうた49 1960年代後期⑨

2007-12-18 21:44:59 | 読んだ
1.白い色は恋人の色/ベッツィ&クリス 1969年10月

この歌を聞いたときはすごく新鮮だった。
北山修と加藤和彦の作品を外人がカタコト風の日本語で歌う、ということが新鮮だったのか、それともこのような歌をテレビから聞いたことがなかったからなのか、たぶんどちらもなんだろう。

テレビから聞こえてくる歌は「大人の歌」ばっかりで、いい歌であるとは思うが「共感」ということからはちょいとずれている。
若い歌手、たとえば「いしだあゆみ」や「小川知子」のうたもやっぱりどこか大人だったような気がする。
もっとも、当時の私は子供だったことには違いないのである。

そういうときにこの歌は「身近」に感じられた。
そういう歌である。

2.真夜中のギター/千賀かほる 1969年8月

この歌も新鮮であった。というか、千賀かほる、という歌手が新鮮であった。
もちろん新人だからということもあるのだが、それまで見ていた芸能人とは違った感じがしたのである。

それは素人のようなカンジだったかもしれない。
しかし、歌いかたは玄人であったし、フォーク調の曲に無理に合わせているような、つまり「うまい」という歌い方を控えるようなそんな歌だったのだ、ということに今回気づいた。

もしこの歌をほんとうに素人のような人が歌ったら、こんなに評価はされなかったのではないかと思うのである。

3.君について行こう/ザ・シャデラックス 1966年6月発表

この歌は「生真面目」過ぎているようであまり好きではなかった。

『白い色は恋人の色』や『真夜中のギター』に比べれば、ストレートなカンジである。
つまり前2曲はどうしたら売れるだろうか、ということを検討・工夫し具現化したものであると思う。
ところが、この「君について行こう」は自分の歌いたい歌そして「いい歌」と思っているのを売るという、ストレートなカンジなのである。

4.ケメ子の歌/ザ・ダーツ 1968年2月

なんだかすごく変な歌だなあ、という印象であった。
「ケメ子」という名前も変だったし、詞の内容もこういうのを「歌」にしていいのかなあというカンジだったし、で、こんなバカバカしい歌をよくもまあ恥ずかしくもなくまじめに歌うなあ、という思いがあった。

その後には色々変な歌にも対応できたが、この「ケメ子の歌」だけはなんだか違和感がたっぷりだった。

5.白いサンゴ礁/ズー・ニー・ヴー 1969年4月

この歌は、ズー・ニー・ヴーの歌というより阿久悠の初作詞デビュー曲ということで有名である。(と思っているのはごくわずかかもしれないが)

実際にわたしはこの歌をリアルタイムで聞いたという覚えがなく、もし聞いていたとしても「聞き流していた」と思うのである。

というのはそれほどわたしの心を揺さぶるような歌ではないからなのである。
だから阿久悠のデビュー曲ということだけで、わたしの心の中では存在している歌なのである。

6.フランシーヌの場合/新谷のり子 1969年6月
この歌は流行した。
流行したが、よくわからなかった。

まずもってフランシーヌがなぜ「おばかさん」で「あまりにもさびしい」のかがわからなかったのである。
つまりフランシーヌがパリでなぜ死んだのか、ということがわからなかった。
続いてベトナム戦争などに対する抗議で死んだ、ということがなおわからなかった、のである。

当時中学生だと思うが、戦争や飢餓問題などの社会の問題に対してはほとんど無関心だった。
それよりも、身の回りの出来事に大きな関心を抱いていたのであった。
その日その日の出来事に一喜一憂していたのであった。

田舎の中学生にはパリのフランシーヌが何をしようと、それが歌になろうと、いわば「知ったことではない」という状態だったのである。

で、今はどうなのか?
今もあまり関心がないのである。残念!

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風邪 吉田拓郎

2007-12-17 23:38:26 | 観た、聴いた
吉田拓郎の歌に「風邪」というのがある。
風邪をひいたときのうたである。

♪何もかもが なんでこんなに うっとおしいんだろう♪
というでだしである。
続いて
♪人とあってても 話すことさえ ああ ああ おっくうだ♪
となる。

で、色々なことがあって
♪これも風邪のせいならいいんだけどさ♪
となる。

これが風邪声で歌っていて、なんだかすごく臨場感(こういう言葉でいいのか)がある。

ということで、わたし今風邪をひいています。

金曜日の夜「忘年会」で温泉に行ったのであるが、温泉は良かった、しかし部屋が乾燥しすぎていて朝起きたときには「喉が痛い」状態であった。

そして土曜日の夜は宿直。
宿直室では加湿器を運転したのであったが・・・・

まあ、とりあえず市販の薬(とりあえず漢方)をのんで、喉の痛みと痰と緑色の鼻水はおさまって、今は透明な鼻水と風邪声という症状までになったのである。

こういうときは、なんだか面白いことまでも面白くなく、些細なこともうっとおしい。
つまりは、拓郎の「風邪」という歌はやっぱり風邪のときに似合う歌なのである。

♪考えるということから 逃げ出したくてしかたない 歩いてみようと思っても からだは自由を失って なんにもしたくないんだと♪
という状態になる前になんとか元気になろうと思っているのである。

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風林火山 NHK大河ドラマ

2007-12-16 21:35:32 | 観た、聴いた
NHKの大河ドラマ「風林火山」最終回であった。
井上靖の原作は、本当に原作であって、見事に脚色されていた。

なんといっても、武田信玄役の市川亀治郎と上杉謙信役のガクトが凄かった。
何がすごいのかというと、そのセリフの言い回しである。
一語一語に力がこもっていて、見ているほうは疲れてしまい、後半には笑うしかない、という状況であった。
何もあそこまでやる必要はないのになあ、というのが感想である。

近年の大河ドラマを見ていると、なんだか徐々に「幼稚」になっていくようで、日本に「大人」が少なくなったような気がするのである。
まあ、テレビ全体の傾向がそうだからなのだろうが「説明」が初歩的であるし『くどい』

まあ基礎知識がなくても愉しんでいただけるように、という配慮なのであろう。
そういう配慮をするのは視聴者が幼くなったからなのか、そういう配慮が視聴者を幼くしたのか、いずれにしろ、日本人に大人が少なくなったようである。

また、やたら「平和」を強調するのも不思議である。
この物語の時代は戦国時代。
戦国時代に限らず、昭和20年まで日本には「戦争」というものがあった。
「平和」というのを希求していたことには間違いがないが、その平和は勝って得るものだった。

勝たなければ日々の暮らしの向上と平和はなかったことを認識して、平和を語るべきだと思うのである。
この話題はこれくらいでとどめて・・・

というわけで、1年間大河ドラマ「風林火山」を見たわけであるが「面白い」といいうことで見続けたのである。
つまりは「つっこみどころ」満載で、台詞回しはケバケバしく、歴史を舞台にした大いなる虚構であったから、面白かったのである。

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週刊誌 週刊朝日、モーニング、ビックコミック

2007-12-13 23:05:46 | 読んだ
今週は月曜日から変に忙しく、午前さまということもあって、本を読むということが出来なかった。

本日も22時にご帰還となったわけであるが、それでも余裕というのが出てきたので、コンビニで本を3冊買ったのである。
まあいわゆる定期購読誌である。

「週刊朝日」は、週刊誌の中でも異色、つまり真面目であるということがいい。まあ購入のきっかけは司馬遼太郎の「街道を行く」を読みたかったわけだったのだが、これまで続いているというのはあまり「どぎつく」ないからなのである。

週刊誌にどぎつさがなくてどうする?という声もあるが、それはいわゆる「見解の相違」ということで穏便にすませたい。

私はこの週刊朝日をトイレに置いて、苦しいとき悲しいとき、楽しいとき寂しいとき、そして出るとき出ないとき、読んでいるのである。まあ1週間で読み終えることは可能である。

「モーニング」は創刊号からのお付き合いで、近頃は倦怠期にはいっている。あまり面白いものがないのである。ちなみに一番のお気に入りは「OL進化論」(秋月りす)だったりするのである。

「ビックコミック」は、掲載されている漫画が面白いので読み始めたのである。まあ期待どうりでないものが多くあったとしても、最後に「ゴルゴ13」が控えているのは心強いのである。

今夜は漫画を読んで眠ることとしているのである。

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歌謡曲の時代<歌もよう人もよう> 阿久悠 新潮文庫

2007-12-09 22:11:13 | 読んだ
阿久悠からの影響は大きいと思う。
阿久悠の書いた詞というか歌が最も輝いていたとき、私は最も歌が好きだった頃だったからである。

その歌は、かっこよかったり、さわやかだったり、熱かったり、醒めていたり、包み込んでいたり、突き放していたり、共感できたり、反発したり・・・ありとあらゆるものがあったような気がする。

そして、ありとあらゆる感情というのを一人の人間が持っているのだ、ということを知ったりしたのである。

この本を読むと、阿久悠の心のうちを吐き出したものだけが詞となっているのではなく、作詞の依頼があって、その依頼に沿ったものを書いたり、あるいは歌を歌う人間に合わせてひねり出したりして書いていたものが多い。
ゆえに、色々なタイプの詞が出てきたんだと思う。
とはいえ、こんなに色々なタイプの詞を書くというのはすごいことである。

この本は阿久悠の書いた詞を題材にその詞の書かれた時代と現代とを論じている。エッセイとなっているが、実は比較時代史のようなのである。
そして、その比較される時代の双方を経験している私はすごく共感できるのである。

巻末の解説は近田春夫で、この人選もすばらしい。
そしてこの解説もすばらしい。

ということで読み終えた途端に文春文庫の「夢を喰った男たち」を買ってきて読み始めたのである。

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士族の娘-新・御宿かわせみ- 平岩弓枝 オール読物12月号

2007-12-08 22:06:42 | 読んだ
11月号が「華族夫人の忘れもの」で、今月は「士族の娘」ということで、明治期に定められた「身分」というか族称を題材としている。

今回は「士族の娘」の矜持が主題である。
江戸期には二千石の旗本の娘であったが、明治維新でいわゆる没落し今は商家に住み込んで働いている娘が「士族」ということをすごく誇りにしている、そのことが事件となってしまう。

現代においても何かを心の支えとして生きている人はいる。その支えとはその人にとっては大きなものなのだが、他の人からみればそれほどでもない。

であるが、通常はその人の心の支えというものをある程度尊重し暮らしている。
しかし、何かの弾みでその「尊重」を一気に「侮蔑」に変えてしまうことがある。

今世の中で起きている事件はそういうことが多いのではないか。
そして、前よりもその「尊重」することが薄れ、なおかつ「主張」が強くなって、人と人との軋轢が増えたり大きくなったりしている。

そういう事件に出くわしたり、聞いたりすると、こちらの気持ちは暗澹となってくるのである。

今回、麻太郎も源太郎もそういう気持ちになったのである。

追伸
それにしても、花世はすごい。花世の出番を増やしてもらいたい、と思ったりしているのである。

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読みかけ

2007-12-06 23:04:46 | 読んだ
近頃は、あっちこっちの本に手を出して「読みかけ」が多い。
ということで、現時点での読みかけの本をご紹介。
なお、タイトルの「読みかけ」は流行語大賞を逃した「どんだけー」と同じ口調で読んでいただきたい。

小説新潮12月号小説特集ジョン・レノンが撃たれた日」
実は11月号の「星新一」と「官能小説特集」もまだ読みかけ状態である。

オール読物12月号「時代小説と藤沢周平に浸る」
連載ものの「悼む人」(天童荒太)「聖女の救済」(東野圭吾)しか読んでいない。

文藝春秋12月号「教養立国ニッポン」
興味のある部分のみ読んだが、まだメインは読んでいない。

勝海舟<上・下>(津本陽)<幻冬舎文庫>
勝海舟と吉田拓郎は我が人生の師である。これは読まなければならないと思い購入し上巻の半分くらいまで読んだ。期待していたほど面白くない。

1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編(O・ヘンリー、訳・芹沢恵)<光文社文庫>
いわゆる「O・ヘンリー短編集」というやつで、ちょっとした空き時間に読もうと持ち歩いている。8編まで読み終わった。

歌謡曲の時代(阿久悠)<新潮文庫>
新潮文庫の今月の新刊。購入したばかり、阿久の作詞した歌謡曲と時代と現代を語っている。期待の1冊。

そのほかに、ペラペラとめくっているのが「古今和歌集」(角川文庫)「百人一首」(中公新書)である。

この年末年始には話題の「カラマーゾフの兄弟」に挑んでみようか、なんて思っていたりする。

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「アイ・ラブ・ユー」「アイ・ラブ・フレンズ」 忍足亜希子

2007-12-05 23:24:42 | 読んだ
昨日、本日とNHKBSで映画「アイ・ラブ・ユー」と「アイ・ラブ・フレンズ」の2本を見た。

主演女優は、忍足亜希子。
昨夜見終わってからインターネットで検索してわかった。
私は寡聞にして知らなかったのであるが、彼女は「ろう者」の女優さんであった。

「アイ・ラブ・ユー」という映画は、ろう者の主人公・水越朝子(忍足亜希子)がろう者の劇団に入り演劇公演を行うお話。
この映画で忍足亜希子の娘・水越愛役の岡崎愛ちゃんが、可愛くて健気で明るくてとってもいい。

ずっと見ていて出演者の人たちはすべて健常者だと思っていたのであるが、どうも違うらしい。
いやあ感動したわけです。
何しろ主演女優がろう者というのがスゴイわけで・・・

それにしてもこの映画1999年の作品で賞もずいぶんもらっているというのに、ぜんぜんわからなかった。

というわけで、本日は「アイ・ラブ・フレンズ」(2001年)を見たわけなのである。
忍足亜希子の演技というか笑顔が素敵だし、キリっとしたところもすばらしい。

ろう者というか障害のある人たちについて今まではあまり関心を持たないようにしていたし、手話についてもしようとは思わなかった。
しかし、この2本の映画を見て、心を入れ替えようと思ったのである。
(相当遅きに失した感があるのだけれど)

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