読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

Have A Nice Day LIVE2009 吉田拓郎

2009-06-29 23:53:38 | 観た、聴いた
「Fの気持ち」は歌わなかった、残念!

というわけで、本日「東京エレクトロンホール宮城」(宮城県民会館)で行われた吉田拓郎最後の全国ツアー「TAKUROU YOSHISA Have A Nice Day LIVE2009」に行ってきた。

超満員である。
なにしろ、指定席であるのに会場の周りに行列ができてしまったのである。

今回発売された「午前中に・・・」の曲をメインに約2時間45分。
久々に、拓郎の語り(今はMCというのか)が多く、一つ一つに「オチ」をつけた話は面白くおかしく”さだまさし”よりよかったと思うのである。

コンサートは拓郎の等身大のメッセージというか年相応の考えが前面に出てきて、アルバムの一曲目である「がんばらなくてもいいでしょう」というコンセプトにのって『いいカンジ』であった。

「甘いものがすき」
とか
「つっぱちゃダメ」
なんて
今までの拓郎からは想像できないようなコトバがでてきて、それがまた妙に心にしみるのであった。

昨日、私は野球をしてきたのであるが、もう昔のイメージではできない体になっている。
だから投球フォームを変えた。

つまり、年相応、今の体にあったフォームにしないと、できないのである。

そいうことを拓郎の歌を聞いていてあらためて感じたのである。

拓郎が60歳を過ぎても歌っている。
そのフォームは若い頃とは違うかもしれないが、拓郎の歌であることにかわりはなく、我々の心を強く打つのである。

若い頃、拓郎には『青春の生きかた』のようなものを教えてもらったような気がする。自分の思いを歌にする、という表現がすごく新しかった。

そして、今度は『新しい年のとり方』、つまり無理をして大人になることもなく、今までの生き方を貫いていくことが年をとるということなんだということ、そんなことを思ったりしたのである。

最後のツアーということであるが、ツアーはなくてもコンサートはあるのではないかと思っているのである。

ちょっと興奮気味の夜である。


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新選組遺聞<新選組三部作> 子母澤寛 中公文庫

2009-06-27 23:49:04 | 読んだ
短い昼休み時間にお昼寝をする前、やっぱり何か読みたい、のである。
通常はその辺にあるカタログや情報誌をながめていたが、本棚からこの「新選組遺聞」を持ち出して、チラチラと読んでいたのである。

子母澤寛の新選組三部作は「新選組始末記」「新選組遺聞」「新選組物語」である。

作者が新選組ゆかりの人たちを尋ねて聞いた話をもとに資料とあわせて編んだものである。
一部には「作者の創作」という説もあるが、いずれにしても新選組に興味のある者にとっては一級の読物であることには間違いない。

新選組は、正統的に近藤勇や土方歳三、沖田総司などを主人公にしたものも面白いが、例えば芹沢鴨の視点も面白い。或いは齋藤一、永倉新八、原田左之助などでも十分主人公になる。なにしろあの吉村貫一郎を主人公にしたものもある。

いずれにしても新選組の話は「面白い」のである。

これは「青春」という普遍的なものと、滅び行くもの(幕府とか武士道とか)に意地を張ったように縋りついた姿、そして結局は負けてしまったことなど、人の気持ちを惹きつけてやまないものがあるからだと思う。

彼らは弁明をしていない、ということ大きな要素である。
彼らに代わって弁明したいという気持ちも出てくるではないか。

そして、もう一つは「尊王攘夷」という大きな旗を掲げて、幕府を倒し明治政府を作ったいわゆる薩長の政治が、政権樹立後に180度の転換を行い、そして明治末期から堕落してきたことが、新選組に光をあてるようになったのではないかと思う。

勝海舟が
「知己は千載に持つ」
といったが、過去の悪党もいつかは正義になったりするのである。

そういう意味では「正義」なんて価値観が変わればまったく違うものになってしまうものである。
声高に「正義」を叫ぶ人がいるが、所詮その場の正義であって、歴史的な正義などは存在しないのである。

さて、また新選組について何か読んでみるとするか。

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午前中に・・・ 吉田拓郎

2009-06-25 23:38:59 | 観た、聴いた
「午前中に・・・」は吉田拓郎の最新のCDアルバムである。

そして、現在、最期の全国ツアー「TAKURO YOSIDA Have A Nice Day LIVE2009」が行われている。

私、29日の「東京エレクトロンホール宮城」のチケットを入手しているので、もう、今からワクワクドキドキなのであるが・・・

で、ふと思い出したのである、そういえばまだ最新アルバムを聴いていない。
実はコンサート会場で購入しようかと思っていたのである。
でも、予習をしないとならない。

というわけで「TUTAYA」でレンタル。

今回のアルバムの曲は「拓郎らしい」というのが大きな印象。
メロディアスな拓郎というよりも、初期の頃のメッセージ色の強い語りかけるような訴えるような、それでいてオレは俺の道、という「拓郎らしさ」である。

これからもっと聞き込んで、29日には一緒に歌いたい、と思うのだが、近頃はなにしろ物覚えが非常に悪くなっているので・・・

兎も角29日まで聞き続けていこう。

ちなみに今のところこのアルバムでいちばんのお気に入りは「Fの気持ち」である。

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愛・・・しりそめし頃に・・・9<満賀道雄の青春> 藤子不二雄A

2009-06-23 19:38:52 | 読んだ
藤子不二雄の「自伝」というか「昭和の漫画史」というか、いややっぱり「青春の物語」という考えもある。
ともかく、面白いのである。

「まんが道」以来のこの物語のファンとしては、もっと速いペースで書き進めて欲しいという気持ちと、ゆっくりといつまでも書き続けて欲しいという気持ちが入り混じっているのである。

一向に前に進まないなあと思っていたのであるが、いつのまにか、二人で書くのではなくて、同じ名前で違う物語を書いていた、という今では当たり前のことがやっと表現されるようになった。

藤子不二雄は二人で一人、だから全て二人で書いている。
というような思い込みがあったことと、実は別々に書いているんだぜ、ということをいえないような雰囲気、タブーみたいなカンジがあったように思える。
ようやく、それがタブーでなくなったのかなあ。

さて、物語は藤子不二雄A(安孫子素雄)がモデルの「満賀道雄」が主人公である。
藤子不二雄が満才茂道となって登場する以外、登場するマンガ家たちは実名である。
仲間でありライバルであるマンガ家たちと刺激をしあい書き続けていく姿は、美しく気高い。恥ずかしいようだが他の表現が見当たらないのである。

第9巻では、主人公たちの兄貴分である「寺田ヒロオ」が結婚をする。
いよいよ「愛・・・しりそめし頃・・・」になるのかなと思いきや、少年漫画誌ではじめての週刊誌「少年サンデー」創刊号に連載をする依頼がくる。
そして、ライバルである「少年マガジン」からも・・・

いよいよ日本のマンガが「公民権」を得て社会に広がっていく時期となった。
これからどうなるのか楽しみである。

そして、寺田ヒロオが当時のマンガに対して仲間たちの前で批判をする。
「良いマンガを描け」
つまり子供たちに夢を与えるマンガを描け、という。

しかし、仲間たちはそこに現実と夢との大きな隔たりを感じる。
満賀道雄は悩みそしてこう考える。
「自分が読みたい作品を描く」
「芸術映画とは対極をなすエンタテイメントがあるように、楽しくゆかいな漫画もあれば、ハラハラドキドキする漫画もある!」

満賀道雄ガンバレ!

手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、そして大事な相棒であった、藤子・F・不二夫などトキワ荘の仲間たちは鬼籍に入ったが、藤子不二夫Aさんには長生きをしてもらって、ほのぼのとしたこの青春の物語を書き続けてもらいたいものである。

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制服捜査 佐々木譲 新潮文庫

2009-06-19 22:38:44 | 読んだ
小説新潮で連載された「暴雪圏」を読んだのだが、それが「制服捜査」シリーズだったということを知らなかった。

というわけで、その制服捜査をいずれ読まなければと思っていたのである。

短編連作の小説で、
「逸脱」
「遺恨」
「割れガラス」
「感知器」
「仮装祭」
の5編である。

北海道警の札幌の各警察署で刑事を長くつとめていた川久保篤巡査部長は、北海道警の不祥事による方針「一つの職場に7年以上在籍」「同じ地方に10年以上勤務」した者は無条件に異動、ということで札幌から釧路方面志茂別町駐在所に赴任となった。

初めての駐在所勤務。
そして、異例の単身赴任である。

駐在所の所轄する地区で起きる事件。しかし、駐在所に勤務する警察官は捜査には加われない。
警察の役割としてそういうことらしい。
それがつまり「制服捜査」という題名につながる。

でも、川久保は独自に捜査をする。
といっても、それは警察組織としての捜査の場合でないこともある。
特に「逸脱」では思い切ったことをしている。

それと、駐在所という特殊な、つまり地域と密着した職場環境、どれだけ地域と密着するかということもこの小説の核になっている。

駐在さんといえば、横溝正史の金田一耕助シリーズに登場するその地域の駐在署員を思い出す。
彼らは、警察署員というよりもその村の人であった。

しかし、現代ではそのようなわけには行かない。
ましてや数年で異動してしまう駐在署員に地元の人々はそれほど期待をしていない。

推理小説、近ごろでは警察小説もわりと好きで読むが、こういう設定も初めてだし、内容も今までにないもので、面白く読んだ。
これを読んで「暴雪圏」を思い出すと『そうかー』なんて思うのである。

続編希望、である。

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裁くのは俺だ 大藪春彦 徳間文庫

2009-06-17 22:46:42 | 読んだ
近頃は、学ぶようなもの、考えさせるもの、長いもの、などを読む気が起きない。
その理由はわかっているのである。

で、こんなときには「バカバカしいもの」を読みたい。
バカバカしいというのは、陽気にバカバカしいということだけではなく、陰気でもいいのである。

で、フッと思いついたのが逢坂剛の「ハゲタカ」シリーズである。
あの禿富鷹秋の理不尽さ、無法さはバカバカしいではないか。
しかし、ハゲタカシリーズの第4弾はまだ文庫になっていない。

どうしようかと本屋の棚の前で考えていたとき、思いついた。
『大藪春彦』がいるではないか!

大藪春彦にはまったのは高校時代からだ。
「野獣視すべし」の伊達邦彦、「蘇る金狼」の朝倉哲也、「汚れた英雄」の北野晶夫は憧れの主人公であった。

彼らは、正義なんて考えない。ただひたすらに「金」を得ようとし、策略を練り、身体を鍛え、人を殺し女を犯すのである。(北野晶夫だけはちょっと違うが)

どんなに努力しても彼らのようにはなれない。
彼らは強い心を持ち続けることができる。
自分にはできない、だからこそ、彼らは憧れの主人公であった。

そして、彼らが彼らの思うままに行動することがなんとも言えず「快感」なのである。

人が押さえつけられている「欲望」が彼らによって、物語の中とはいえ「開放」されるからではないか、と思うのである。

そんな大藪春彦ともしばらくご無沙汰していた。
しかし、今の私の感情あるいは状況では、大藪春彦の小説こそピッタリである。

というわけで本書「裁くのは俺だ」を購入した。

主人公は毒島徹夫。保守党の大物・川崎信夫に雇われた怪文書屋である。
彼が川崎の政敵である、江川総理のスキャンダルをマスコミに公表すべく作った文書を川崎の元へ運ぶ途中から、物語は始まる。

凄惨なリンチ、当たり前のようにごく自然の成り行きのように行われる殺人と強姦。
これでもかというように繰り返される。

文字の上だからこそそれが「快感」になる。

そしてマニアックな拳銃と車の表現。

「二基のダブル・チョーク・ウェーバー・キャブが唸りを上げて夜気を吸いこみ、排気音は腹にひびく轟音をあげた。タコとスピードのメータの針がはね上がり、毒島の背はシートに推しつけられる。」

なんと小気味のよい、そしてテンポのある描写だろう。あらためて感心してしまう。

「シリンダー状の弾倉も、近ごろの中折れ式でないリヴォルヴァーの多くが、スウィング・アウト式と言って銃体の左側に振り開くの対し、弾倉は開かずに、ローディング=エジェクティング・ゲートというものがついていて、そこから一発づつ装填したり排莢したりする。」

って、何を言っているかわかりますか?
わからなくても、なんとなくカッコイイではないか。

そして、いつもの主人公たちと同じように、どんなに痛めつけられても毒島の食欲も旺盛である。

「ソーセージ1キロとパセリ30本ほどを黒ビールで胃に押しこんだ」
り、
3日間も傷のため眠っていたのに
「スープにクラッカーを放りこんで、左手に持ったチェダーチーズをむさぼり食った」あげくに、病み上がりだからという制止を聞かず「3個目の1ポンドのチーズに手を伸ばす」のである。

というわけで、
「そりゃないでしょう!」
とか
「あんまりじゃないの!」
なんていうツッコミをいれる間もなく、物語を読み終えてしまった。

そして胸につっかえていたモヤモヤが、アララというまに消えていたのであった。

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遊戯 藤原伊織 講談社文庫

2009-06-15 20:35:08 | 読んだ
藤原伊織である。
好きな作家である。
2007年に逝去している。

この「遊戯」は連作短編である。
遊戯・帰路・侵入・陽光・回流と続く。
つまり5編である。

しかし、この連作短編は未完なのである。

だから、この小説の最大の感想は「残念」ということなのである。

『これから』というところなので、終わっているのである。
まったく「残念極まりない」に尽きるのである。

主人公は二人。
一人はいつもの藤原ワールドに出てくるような「男」である。
本間透、人材派遣会社勤務。『ジャムライス』というニックネームで、ネットゲームのビリヤードを日課にし、寝るときには睡眠薬を飲み「拳銃(本物のブロウニング)」を腹の脇に置かなければ眠ることができない。

ある日、ネットゲームで『パリテキサス』に知り合う。
ネットゲームをしながら好感を持った。
ゲームをしながらチャットで会話を交わすうちに、彼女に仕事の世話をすることになった。
いつもなら絶対にしないことなのに。

もう一人の主人公は『パリテキサス』こと朝川みのり(20歳)である。
身長が180cmちかくある。

本間とみのりが初めて顔をあわせたのは、みのりに仕事の世話(派遣会社への登録)をする日であって、本間の31歳の誕生日であった。

初めてあった本間とみのりは、世間一般の言葉で言えば「意気投合」し、本間は彼女に今まで誰にも話したことのない『拳銃』にまつわる話をする、ラブホテルで。

とまあ、大体これが1話である「遊戯」の部分である。
これからいろいろな事件がおきる、という予感たっぷりである。

みのりはモデル事務所に登録をしていたのであるが、ある日オーディションを受けたところ合格し、CMに出演しあっという間に売れっ子になる。

二人を監視する自転車に乗った50歳代の男。
本間の亡くなった父の過去。
「謎」がいろいろと提起されていく。

第5話の「回流」では、ついに本間とみのりは結ばれる。

「さあ、これから」
なのである。
なのに、筆者は亡くなってしまった。

この物語ならず、藤原伊織の小説をもっと読みたかった。

文庫の帯には
「最大の謎 解けない謎」とある。

「残念」の一言に尽きるのである。

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特集 ビジネス小説最前線 小説新潮6月号

2009-06-10 19:38:12 | 読んだ
小説新潮6月号の特集「ビジネス小説最前線」である。

メインは
「虚空の冠」 楡周平 新連載

「医は・・・」 真山仁
である。

そして4つの短編

「派閥の谷間」 江上剛
「プレイボール」 榊邦彦
「春を奔る」 里見蘭
「その道の先」 井口ひろみ


である。

この4つの短編が面白かった。

「派閥の谷間」 江上剛

大洋栄和銀行の芝支店の上杉健は、業務本部総括部へ異動となる。
この銀行は大洋銀行と栄和銀行との合併によって誕生したのであるが、13年を経ても依然として馴染まず「派閥」のように分裂している。

上杉は、栄和銀行出身の堂本と一緒に仕事をし、大洋とか栄和とかの垣根を越えて正論を述べる堂本に魅かれて行く。

堂本は、次長、部長にも反論をし、ついには役員会でも常務にも盾をつく。

彼の信条は「プリンシブル」つまり原則である。
そして、この小説のテーマでもある。

原理・原則を守ろうとすることが大切である。もちろん融通が必要な場合もあるだろうが、その融通の出所が不純ではだめなのである。

「プレイボール」 榊邦彦

玩具メーカーの『お客様相談室』に勤務する僕:丸井が主人公である。相談室に勤務するのは定年間近の山田と、新人研修の曽根の3人である。

ある日、昔発売していた野球盤で使う「ボール(鉄球)」が欲しいという相談が入る。

ところがもうそのボールはどこにもない。
いつもは無関心な曽根までが熱くなり、3人は新しい野球盤を作り、新玩具のアイディア募集の社内コンペに応募することにする。テーマは「品格のある野球盤」
さて、その結果は・・・

野球盤のアナログ性、相手と向かい合ってゲームをする感覚、これがテレビゲームになれている若い人たちに新鮮にとらえられるのか?
丸井の息子、或いは新人の曽根を熱くさせるゲームが社内プレゼンでどう評価されるか。

今年はWBCが行われ野球の楽しさ面白さに日本中が改めて気づいた。
野球をテーマにした小説ももっと欲しいなあ、とこの小説を読んで思ったのである。

ビジネス小説というくくりではあるが、どちらかといえば野球がテーマのような気がする。

「春を奔る」 里見蘭

主人公:佐藤生良(いくら)はこれまで三度勤め先の倒産を経験している30歳独身である。

4度目の就職は「探偵社」を選んだ。
その理由は、最後に勤めた建築材料の卸売り会社が、取引先の計画倒産に引っかかったからである。

探偵社の求人募集には「法務調査」「企業調査」とあったのを見て、応募する気になったのである。

とりあえず試用となり、初めての仕事が地方の農産物を買って踏み倒している会社を突き止めることである。

この物語は面白かった。
まず主人公の佐藤生良(いくら)のキャラクターがよい。
『何をやらせても今ひとつだが、食べ物の始末はいい男』

『いじられキャラ」
である。

探偵事務所の代表取締役小野寺、調査員の岸辺裕(ゆたか)と内田梨花、事務員の花岡靖子。

シリーズにしてもらいたいと思うのである。
「探偵いくらチャン」シリーズかな。

「その道のさき」井口ひろみ

塾でアルバイトをしている楠本はるかは、教え子の永田遼を訪ねる。

はるかは、新卒で就職をしたが配属された先が不満で退職をした。その退職をしたときから景気が悪くなり、就職活動がはかばかしくなく仕方無しにアルバイトで塾の講師をしている。

それなのに、永田には『ちゃんと勉強をしなくてはならない』と説教をして反発をされたのである。
そのことを謝りに永田を訪ねたのである。

そして、はるかは永田に教えられるのである。というか気づかされたのである。

教えるということは実は教わることなのである、と思っていた私にはよくわかる(つまり深くうなづける)物語であった。

ビジネス小説最前線という特集であったが、小説というのは「人」を描くものであるということを、改めて思わされたのである。

この4編ともに面白く読んだのであった。

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絵画で読む神話 第1回官能のダナエ 中野京子 オール読物連載

2009-06-08 22:55:43 | 読んだ
オール読物6月号から連載開始である。

先日、藤原伊織の「ダナエ」について書いたところ、いきなり新連載の第1回で「官能のダナエ」である。
これ、やっぱ因縁なんでしょうねえ。

さて「ダナエ」というのはギリシャ神話にでてくる姫である。

私のギリシャ神話歴は、小学校の頃「世界少年少女名作文学」で読んだのが最初で、その後機会があったら読んでみたいなあと思っていたとき、里中満智子の「マンガ ギリシャ神話」全8巻に出会い、一気に読み、また読んだのである。

ギリシャ神話は、西洋のというか外国の物語を読む際に知っておきたいもしくは知っておかなければならない知識のひとつである、と思う。
例えば「ローマ人の物語」などを読むときには、ギリシャ神話を知っているのと知らないのとでは理解の度合いが違うような気がする。

さて、第1回で取り上げられた絵画の「官能のダナエ」(レンプラント作)であるが、藤原伊織の小説でも取り上げられたように、1985年ソ連のレニングラード(現ロシア・サントペテルブルキ)のエルミタージュ美術館で、ナイフで切り裂かれ硫酸を浴びせかけられたのである。

この絵画が一番有名らしい。
このダナエをモチーフとした絵画はずいぶんあるらしい。

このダナエの物語は、彼女の父アルゴス王のアクリシオスが「娘のダナエが生む男児がお前を殺す」という神託を受けて、娘を幽閉するのだが、ギリシャの主神ゼウスが幽閉されたところに黄金の雨に姿を変えて入り込み、彼女を孕ませるのである。
そして、その子ペルセウスは神託のとおり祖父を殺すのである。

「官能のダナエ」はそのゼウスが黄金の雨となってダナエに降り注ぐ場面を描いている。

私は、文字人間であるからして、例えば絵画だけを見ても「フーン」というだけであまり感動とか感銘を受けることは少ないのである。
どちらかといえば、そこに物語があるとずっと興味が深まり、併せて感動となるのである。

今回の「官能のダナエ」は藤原伊織の小説とこの文で非常に印象が強いものとなった。

なお、この文ではレンプラントの作品とダスタフ・クリムトの作品が紹介されている。

楽しみな連載が始まった、と思っている。

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医は・・・ 真山仁 小説新潮6月号

2009-06-06 23:45:30 | 読んだ
今話題の「ハゲタカ」の作者である真山仁の作品である。

とエラそうに書いたが、初「真山仁」である。

主人公は心臓外科医の私<宇澤智和>は、日本医学会の最高峰である東都大学医学部にいたが、今は北関東医大胸部外科教授をしている。そして週三度のオペをしている。

そんな宇澤にとって、東都大学医学部心臓血管外科教授である同期の楠木真二郎は「よき理解者」である。
彼は、生まれたときから望む全てをさほど苦もなく手に入れてきた男、である。

その楠木がわざわざ私の大学にきた。
要件は、国が計画しているCIAMという高度先端医療センターの心臓血管外科教授に就任しないか、ということであった。

宇澤が東都大学を追われた理由は、当時の東都大学医学部心臓血管外科教授を手術の失敗からのゴタゴタに絡んで殴ったからである。
その殴られた教授:吉沢は、今は東都大学の総長になっており、つまりは日本医学会の最高峰に君臨している。

したがって、国が計画している事業に宇澤が招かれるはずがないのである。

これまでだって、何度も手紙やメールで教授にコンタクトしたが無視され続けてきたのである。

結局宇澤はCIAMの教授に就任する。

そして、そのスタッフ発表の日、久々に吉沢総長と話をすることができた。
そこで、わかったことは、宇澤が不当な扱いを受けていたことの真相であった。

真相を知った宇澤は、楠木を問い詰めるが返ってきた答えとは・・・

まあその、医学会のことがどうなっているのか知らないが、そういうヤツがいてそういう陰謀のようなものがあって、というのはよくある小説のネタであるし、ゴルゴ13では日常茶飯事のことである。

だからその、あまり感動というか感心もしなかった物語であった。
つまり「ふーん、そういう結末なの」というカンジであった。

この小説を読んで「ハゲタカ」を読むかどうか決めようかと思っていたが、今のところ「まあいいや」というカンジなのである。

真山仁ファンの皆様には申し訳ないのだが、そいういうことなので、ひとつよしなに願います。

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ダナエ 藤原伊織 文春文庫

2009-06-01 23:11:35 | 読んだ
久しぶの藤原伊織である。
私の大好きな作家である。
寡作と平成19年5月に亡くなったことが欠点なのである。
もう新しい作品を読むことができないのかと思うと、ものすごくガッカリするのである。

さて、藤原伊織の小説はいわゆる「ハードボイルド」である。

大体、ハードボイルド小説の主人公は、無口で人と接することを好まず、自分の好きなように生きたい、のである。
しかし、生きている途中で必ず誰かが邪魔をする。
その邪魔をするヤツを徹底的に排除する。

だから実はクールではなくホットであり、そしてお節介で、さまざまなことに顔を突っ込むヤツがハードボイルドの主人公なのである。

そのくせ
「あっしには関わりのないことでごさいます」
とか、カッコつけちゃって、ホント鼻持ちならないヤツが主人公なのである。

なのにどうして、そういうヤツに憧れてハードボイルドの小説を読むのだろう?

さて、本書「ダナエ」もハードボイルなのである。
主人公は「絵描き」なのだが、この絵描きさんはなかなか世間に通じていて、ホントに芸術家?と、突っ込みたくなるヒトなのである。

物語はこの主人公・宇佐美の個展会場で、彼の作品に硫酸がかけられズタズタにされるところから始まる。

宇佐美は、そのことにあまり驚かない。また嘆かない。
自分の作品、傑作とまで評された作品を壊されたのに・・・
まあ、このあたりがハードボイルド小説に登場する人物特有のニヒルさというか、生きることに本当は真正面からドーンといっているくせに、無理して斜に構えているところなのである。

この事件の謎を解き進んでいくと、犯人は思いがけないヤツであって、宇佐美はその犯人を憎むわけにもいかず、なおかつ許さなければならないのである。
それは、彼が蒔いた種が原因でもあるからなのである。

ダナエという題名はギリシャ神話から持ってきている。
その題名が、時にはあらぬ方向に展開させたりして、伏線と本線がうまい具合に絡んでいる。

なんだかんだいっても、こういう小説が私は好きなのである。

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