団鬼六といえば「SM小説」である。
代表作の「花と蛇」は角川文庫(全8巻:ちなみに幻冬舎文庫では全10巻)で4巻まで読んだが、一言で言えば「飽きて」しまった。
というのは、延々と被虐の場面が続くのであるが、これに「終わり」がないのである。あるのは「中断」なのである。
この小説は「物語の筋」を読ませるものではなく「被虐のシーン」というディテールを読ませるものなのである。
いわゆるSM雑誌に毎月連載されているということを考えれば、そのようにせざるを得ないわけであって、主人公が囚われの身になってその後どのようになるかなどということは二の次なのである。
囚われた理由や性的に虐げられる理由は不要なのであって「虐げられるさま」だけが必要、つまり読者が望んでいることなのである。
だから、読んでいて思ったのは「このシーン読んだことがあるなあ」というものであった。
で、小説新潮10月号に掲載された「旅路の果て」はそうではない。
もちろん読者層が違うので、単なる被虐小説では「?」となるわけで・・・
この小説は、昔、倒錯した性によって運命がかわった64歳の温泉旅館の女将が主人公である。
彼女の元に、その倒錯した性(つまり被虐)を教えたというか見出したというか、彼女にとっては「自分の運命を大きく転換させてくれた人、人生上の大恩人になる人」から手紙が届く。
彼女の旅館(三千坪の景勝地内)で、異常性愛雑誌の「薔薇クラブ」の最終巻のグラビア撮影をさせて欲しい、という内容であった。
そして二人は撮影の日に30年ぶりに出会うのである。
で、語られる女将の人生、そして意外な人との出会い。
こういう小説を待っていた。
というのが、第一の感想である。
異常性愛つまりサド、マゾ、フェチ、ホモなどは、いわば「裏」の世界のことである。
その裏側には「表」の生活がある。
それはこの女将のように、温泉旅館を経営しさらには料理旅館を息子夫婦に経営させている、そういう生活である。
「花と蛇」は『裏』にのみ焦点を当てて描いたものである。ゆえにそういう部分のみを読みたい人以外には「飽きる」のである。
この「旅路の果て」は表と裏が描かれている。
それゆえに面白いし、登場人物たちにリアリティがある。
この物語には、特殊な性癖をもつ人たちが多く登場するが、その人たちがありえない作られた人物とは思えないのである。
撮影隊が帰ったあとに主人公の女将が言うセリフが、裏から表に変わる、事を表す非常に印象的なものであった。
「今日はご苦労様でした。でも、こういう臨時の撮影隊が入ったりすると、対応が悪いわね。それについて今夜、これから緊急ミーティングを開きます」
小説新潮10月号の特集は「官能小説グラマラス」である。
その巻頭を飾った本作品は、『人』というのものの複雑さを改めて考えさせるものであった。
他の小説については後日、紹介したい。
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代表作の「花と蛇」は角川文庫(全8巻:ちなみに幻冬舎文庫では全10巻)で4巻まで読んだが、一言で言えば「飽きて」しまった。
というのは、延々と被虐の場面が続くのであるが、これに「終わり」がないのである。あるのは「中断」なのである。
この小説は「物語の筋」を読ませるものではなく「被虐のシーン」というディテールを読ませるものなのである。
いわゆるSM雑誌に毎月連載されているということを考えれば、そのようにせざるを得ないわけであって、主人公が囚われの身になってその後どのようになるかなどということは二の次なのである。
囚われた理由や性的に虐げられる理由は不要なのであって「虐げられるさま」だけが必要、つまり読者が望んでいることなのである。
だから、読んでいて思ったのは「このシーン読んだことがあるなあ」というものであった。
で、小説新潮10月号に掲載された「旅路の果て」はそうではない。
もちろん読者層が違うので、単なる被虐小説では「?」となるわけで・・・
この小説は、昔、倒錯した性によって運命がかわった64歳の温泉旅館の女将が主人公である。
彼女の元に、その倒錯した性(つまり被虐)を教えたというか見出したというか、彼女にとっては「自分の運命を大きく転換させてくれた人、人生上の大恩人になる人」から手紙が届く。
彼女の旅館(三千坪の景勝地内)で、異常性愛雑誌の「薔薇クラブ」の最終巻のグラビア撮影をさせて欲しい、という内容であった。
そして二人は撮影の日に30年ぶりに出会うのである。
で、語られる女将の人生、そして意外な人との出会い。
こういう小説を待っていた。
というのが、第一の感想である。
異常性愛つまりサド、マゾ、フェチ、ホモなどは、いわば「裏」の世界のことである。
その裏側には「表」の生活がある。
それはこの女将のように、温泉旅館を経営しさらには料理旅館を息子夫婦に経営させている、そういう生活である。
「花と蛇」は『裏』にのみ焦点を当てて描いたものである。ゆえにそういう部分のみを読みたい人以外には「飽きる」のである。
この「旅路の果て」は表と裏が描かれている。
それゆえに面白いし、登場人物たちにリアリティがある。
この物語には、特殊な性癖をもつ人たちが多く登場するが、その人たちがありえない作られた人物とは思えないのである。
撮影隊が帰ったあとに主人公の女将が言うセリフが、裏から表に変わる、事を表す非常に印象的なものであった。
「今日はご苦労様でした。でも、こういう臨時の撮影隊が入ったりすると、対応が悪いわね。それについて今夜、これから緊急ミーティングを開きます」
小説新潮10月号の特集は「官能小説グラマラス」である。
その巻頭を飾った本作品は、『人』というのものの複雑さを改めて考えさせるものであった。
他の小説については後日、紹介したい。
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