読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

共喰い (第146回芥川賞受賞作) 田中慎弥 文藝春秋3月号 

2012-02-26 18:43:58 | 読んだ
大評判の小説である。というか著者である。

私はあまり芥川賞系(つまり純文学系)は読まない。
ほとんどの作品が「なんだかわからない」という感想だからである。

ゆえに、芥川賞受賞作の本が売れるというのは、非常に疑問なのである。
ほとんどが「話題性」というのが売れる理由なんだと思う。
だから、文庫本になると(ほとんどが文庫にもならないのだが)売れない。

その「なんだかわからない」ものを読もうと思ったのは、やっぱりその「話題性」である。あんな会見をしている人の書く小説というのはどういうものなのか、という興味であり、加えて定期購読している文藝春秋に掲載されているからで、わざわざ本を買わなくてもいいからである。

という、「ひいた」というか積極的ではない姿勢で読んだのである。

物語のテーマは「父と息子」という、まあ普遍的なものである。
いつの世も、父と息子の関係というのは、なんだか「むず痒い」ものである。
一方には「尊敬」というものがありその反対側には「侮蔑」というものがある。

こういう関係というのは、織田信長と父・信秀、徳川家康と息子・秀忠。
あるいは、シェイクスピアのリア王なんかもそうではないか。
ギリシャ神話などにも父と息子の関係にかかる物語は多くある。

しかし、この小説はそういう大物が主人公ではない。

従って、普遍的なテーマに対して異常な関係が小説となりうる。つまり、物語の王道を行く設定なのである。
これであれば、いわゆる「読ませる」ものにはなるだろう。

というのが、読みはじめの感想。

それから、物語の初めの川に関する描写には感心した。断定的に短い文章を積み重ねる形は面白かった。まあちょっと「くどい」感じもしたが、私もくどいほうなのでフムフムという受け止めをした。

物語は「陰惨」である。こういう場合「救い」などないほうがいいが、この物語にも大きな「救い」はない。まあ結末部分である「救い」というか、父と息子の関係を止めてしまう出来事があるが「停止」となったわけで「救い」ではないように思える。

そういう意味では(つまり「救い」が望まれるのであれば)この物語は完結していない。

トータルでいえば「好き」な作品ではないし、騒がれるほど強烈なものではない。
シコシコと努力を重ねた真面目な著作活動の結果の作品で、テレビなどで見る著者の破天荒的なイメージとは違う。

私的には、その違いのほうが今後の作品にどう影響するのか、のほうが楽しみである。

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東日本大震災6 友人の葬儀

2012-02-25 17:56:05 | 日々雑感
本日は、津波で亡くなった友人の葬儀が行われたので、南三陸町に行ってきた。

生憎の大雪で、遠くからくる友人たちは通常1時間半のところ高速道路が軒並み通行止め、一般道は交通事故多発のため4時間前後を要して参列した。

私は、途中で交通事故のため道路が封鎖されてしまい、ギリギリで間に合った。

そういえば、亡くなった友人の雪にまつわる事件があったなあ、と思いだし、この雪は彼が降らせているのかと、めぐりあわせにしみじみとした。

彼は、南三陸町役場の職員で、あの防災庁舎で流され行方不明となった。
いまだに見つかってはいないのであるが、家族は踏ん切りをつけたのだと思う。

まったく理不尽な話である。
怒りとか、悔しさとかは、自分で飲み込まなければならない。

今度の震災では大きな被害がでて、多くの人が亡くなった。
みんな、自分で飲み込んでいるんだと思うと、なおさらやるせなくなる。

ただ、飲み込んでしまって、我慢してしまって、下を向いているだけでは、やっぱり駄目なんだ。

「乗り越える」とか「明日を目指して」とかいろいろと自分を励ます言葉は多いけど、時々は、悲しみになき、悔しさに怒らなければならない。
そして、ただ手を合わせるだけだ。

今日は彼を想い出し、悲しみや悔しさを噛みしめ、遺影・位牌に手を合わせた。
行方不明になってから、覚悟はしていたものの、やっと今日で区切りがついた。

彼を決して忘れない!
なんて言わないけれど、折に触れ思いだし、想いだしたときは、てを合わせることにしようと思っている。

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リヴ・フォー・トゥデイ -俺たちに明日はないPART4- 垣根涼介 小説新潮1月号

2012-02-20 23:23:55 | 読んだ
俺たちに明日はないシリーズのpart4の第何話だろうか、兎も角「俺たちに明日はない」である。

「俺たちに明日はない」は、リストラ請負人の話である。
といっても、リストラ請負人である主人公「村上真介」が物語の中心で引っ張っていたのは最初のほうで、近頃はリストラされる人たちがそれぞれの物語の中で語られている。

そして、その人たちは光り輝いている。
つまり、リストラされそうにもないのにリストラされる。
そして、リストラされたことによって新たな人生が、さらに充実した人生が開ける。
だから、近頃この物語は、最初のころにあったドロドロしていたものが薄れてきた。
それは、リストラする側の真介の心の動きがどうしても暗くなってしまうからだ。

さて、今回のリストラされる側の人物は、これまたすごいヤツなのである。

巨大外食産業・ハイラークグループの一部門であるファミレスの「ベニーズ」は、ファミレスの高級化と低価格化の間にあってシェアを落としている。いわゆる普通のファミレスは競争に負けたのである。

そのベニーズで新宿エリアを担当する森山透が、今回真介が担当する相手である。

この森山透35歳の経歴がすごい。

最初に外食産業のアルバイトを始めたのが高校1年生。牛丼の「吉川屋」で1年後には高校生のバイトで店長となる。この時代、牛丼早盛りコンテストに出場し関東ブロック大会で優勝。さらに、高校では生徒会長、学区内の生徒会連合の取りまとめ役。

そして、現役で早稲田大学の政経学部に現役で合格。
大学生になって牛丼屋と並行してベニーズのバイトも始める。
20歳の時に大学在籍のまま四谷店の店長代理:契約社員待遇となり、牛丼屋をやめる。
21歳で店長に昇格。

大学には26歳まで在学、その間に、教員免許と普通自動車免許と大型2種免許を取得。
この「大型2種免許」というのが一つの謎というか特徴である。

で、大学卒業でハイラークグループのベニーズに入社。すぐに世田谷のメガ店舗の店長に就任、と同時に本社に籍を置きながら、このエリアにある8店舗を取りまとめるスーパーバイザーを兼ねる。

27歳で本社付となり、首都圏営業本部の販売促進課長。30歳で本部次長となる。
その1年後に、自ら現場に出ることを申し出て、新宿店の店長とエリアの統括となる。エリア全体の利益率は全体平均の2倍、店長になって4年連続全国最優秀店長表彰を受けている。

こういう経歴の者をリストラするというのはいかがなものかと思うが、やっぱり本社としては残ってもらいたい人物なので、Aランクとしてそれ以外の者たちと一緒に面接は行うが、残るように(今回の場合はグループ内での転籍)導くよう面接者に依頼されている。

しかし、リストラの場合、この残ってもらいたい人たち(つまり優秀な人材)が真っ先に辞めようとする。

さて、真介はどのように面接をして森山透を残そうとするのか、
そして、森山透は何を考えて面接に臨んでいるのか。

物語に森山は釈迦の言葉を思い出す。

過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。


題名の Live for today のもととなっているものだろう。

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 ニーズの名物男。
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親しみクラシック 白石光隆

2012-02-17 22:25:10 | 観た、聴いた
月曜日には「千昌夫&新沼謙治」のコンサート、そして金曜日にはクラシックピアノのコンサート。

幅が広いというか、節操がないというか。

という声が聞こえそうであるが、音楽に境界はない。

さて、親しみクラシックとは、市とか県の主催で小中学校に音楽をきかせるいわゆるアウトリーチ事業の「おまけ」のようなもので、小中学校にやってきた音楽家の演奏を格安で聞くことができるものである。

ちなみに昨年は「マリンバとピアノ」であった。

本日の白石光隆さんは、プロフィルの一節に
「特筆すべきは生き生きとした圧倒的なリズム感と独自の宇宙を感じさせる美しい音である。」
とある。

私にとっては久々の男性ピアニストである。

第1部4曲、第2部6曲、アンコール2曲であった。

第1部のピアノソナタベートーベンの「月光」は体も心も揺さぶられる音であった。

第2部では、デニスの「コートにすみれを」とガーシュインの「劇場街のざわめき」はジャジーで、さわやかに力強くそしてリズミカルで、クラシックのコンサートであるのに、オンザロックがほしくなった。

そしてショパン3曲。

幻想即興曲嬰ハ短調OP.66
夜想曲 第8番。
ポロネーズ第6番 「英雄」

おなじみの曲である。
おなじみの曲が生ピアノで会場に広がる。

クラシックは音に包まれる感じがする。
音がまっすぐ体にやってくるのとはちがい、音がふわっとほわっと体を包む感じである。

週末にクラシックをきいて体と心を休めるのもいい。

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訓練 -隠蔽捜査外伝- 今野敏 小説新潮1月号

2012-02-15 22:48:21 | 読んだ
ちょいと遅ればせながら、小説新潮1月号から。

隠蔽捜査外伝といえば、隠蔽捜査の主人公:竜崎伸也の友人で刑事部長の伊丹が主人公である。

しかし、今回の主人公は違った。

隠蔽捜査3「乱雲」で登場した、女性警察キャリア畠山美奈子が主人公である。
隠蔽捜査3では、堅物の竜崎が「これはもしかしたら恋なのか」と思った相手の女性である。

畠山美奈子は警視庁警備課企画係の警視である。
その美奈子が「スカイマーシャル」の訓練を受けるため大阪に出張する。

スカイマーシャルとはハイジャック犯に対応するため乗客を装って航空機に乗り込む警察官である。
で、もっと詳しい説明があるのだが、その辺は省略して、スカイマーシャルの条件としては射撃や格闘術に精通していることと、語学力が重視される。

美奈子は語学力に自信はあるが、他の部門には不安があった。

訓練には東京と大阪から6名づつ参加した。
自然に東京と大阪の競争になる。
語学力には自信があるものの、射撃や格闘術には劣る美奈子である。さらにキャリアという特別な立場。
1日目にしてすでに自信を失ってしまった美奈子。
それに追い打ちをかけるように、その夜大阪府警本部長や警備部長との宴席。

「女性」「キャリア」ということと訓練の重圧を美奈子はどう跳ね返すのか?

『隠蔽捜査外伝』であるからにして、竜崎伸也が絡んでくるのだが、どういう絡みかたをするのか、そして美奈子の訓練はどうなるのか。

竜崎の強さは「原理」をまっすぐに主張することである。
これは「臨機応変」に行こうと思って行動する人より臨機応変である。

こういう人の助言は「目から鱗」である。
これまでも、伊丹が何度も救われている。

畠山美奈子が今後も登場することを祈っている。
彼女が登場すると、竜崎が微妙に動揺するところがいい。

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千昌夫・新沼謙治ショー

2012-02-13 23:45:05 | 観た、聴いた
本日わが市において「復興コンサート」があり、その2部が「千昌夫 新沼謙治ショー」であった。

商店会が主催で買い物をするとこのチケットが手に入る。
別に高額な買い物をしたわけではないが、長年の友人からチケットをいただいた。

別にとても見たい聞きたいというほどではないのだが、というかあまり趣味ではないのだが、まあチケットもあることだし、しかも前から3列目ということもあるし、行ってみようか、ということで行ってきたのである。

第1部は地元出身の歌手が次々と登場した。
まあ、よかった、ということで。

第2部が、皆様ご期待の千昌夫・新沼謙治ショー。
ちなみに会場は中高年で満員。

新沼謙治の「嫁に来ないか」で始まり、続いて千昌夫。(何を唄ったかわからない)

新沼謙治といえば私的には「ヘッドライト」である。
そのヘッドライトを唄いながら客席を歩く。私も握手をした。

自分でも驚いたのは、千昌夫の歌を一緒に唄えることであった。
別に好んで聞いていたわけではないのだけれど「知っている」程度だと認識していたのだが、唄ってしまった。「津軽平野」「星影のワルツ」「夕焼雲」は楽勝である。懐かしかったのは「アケミトいう名で18で」だった。

さすが彼らの歌は超一流。
演歌なんて、と思っていたのだが、イヤイヤ感心した。
テクニックもあるのだろうが、テクニックだけではなく心に響く歌声であった。

それに加えて「しゃべり」もうまい。

曲の構成、しゃべり、歌、そして客席の乗せ方、素晴らしい。
エンターテイメントである。

というわけで、あまり期待をしないで行ったのであるが、心から楽しむことができた。
それに、二人とも握手できたし・・・


追伸

日曜日は、市内の醸造会社の「蔵開き」に行ってきた。
500円の会費で、お土産をもらい、さらに飲み放題。さらにさらに抽選会で日本酒ゲット。

というわけで、昨日は午後3時から飲みすぎで寝ていました。

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めしばな刑事(デカ) 1・2・3巻 (原作)坂戸佐兵衛 (作画)旅井とり

2012-02-10 22:32:21 | 読んだ
弟から渡されたマンガ本の第2弾である。


B級いやC級いやいやD級グルメの漫画である。

第1巻は「立ち食いそば大論争」

第2巻は「牛丼サミット再び」

第3巻は「カップ焼きそば選手権」

である。

主人公は、刑事の立花。
こいつがD級グルメについて語り出すのである。語り出す場所は取調室が多い。

で、語った後取り調べを受けていた容疑者が悔悛するとか自供するとかはない。
ただ、語って終りである。

第1巻の第1話では、立ち食いそばの「名代 富士そば」の「カレーカツ丼」を語る。
この『語る』というのは『熱く語る』のことである。

まあホントびっくりするくらい熱く語る。

牛丼、袋入りラーメン、餃子の王将、缶詰、カップ焼きそばなどなど。
何が一番うまいか、そこにどんな思い入れがあるか、レアものは何か、など熱く語る。
そして、立花に対抗するのは刑事課長である。

まあ次から次へとよく語れる、それだけ知識もあり実際にも食べに行っているのだろうが「何もそこまで突き詰めなくてもいいんじゃないか」というのが第1の感想である。

第2の感想は「たいしたもんだ」である。
私には到底出来そうもない、というか、やりたくもないのだが・・・。

で、例えば「美味んぼ」では一応の結論らしきものが示されるのだが、この「めしばな刑事」では結論などない。
というか、だんだんわからなくなってきたりする。

例えば、立ち食いそば大論争では、どの店が一番なのか、その店の中では何が一番うまいのか、ということから、普通の蕎麦屋と立ち食いそばの違いがしめされる。
立ち食い蕎麦は、通常の蕎麦が求めている「シコシコ感」や「そばの香り」ではなく、立花いわく「愛情をこめてのボソボソ感」がうまく、そして何より「早く・安い」のがいい。
オーなるほど!
と納得しかけると、近頃では「本格派」の立ち食いそばが出てきた、なんて話が変わる。

この、結論なしのグルグルの転がり方がこのマンガの特徴なのだが、せっかく「じっくり」した話を聞きたいのになあと思っているときに、それをやられると「なんだかなあ」感がでてしまう。

それから、このマンガを見て「勉強」しようなんて思わないほうがいい。
あくまでも立花の感想である、それが正解ではないのだから・・・

それにしても、グルメ本を読んで「食べたい」という気持ちにならないのはどういうわけだ。
もっとも近頃「美味んぼ」を見ても食べたい気持ちにならないけれど・・・

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新・森崎書店の日々 八木沢里志 小学館文庫

2012-02-08 22:22:19 | 読んだ
「森崎書店の日々」の続きである。

森崎書店の日々には、「桃子さんの帰還」が収められていたので、このシリーズとしては3番目の物語である。

主人公の貴子は、森崎書店で叔父サトルと暮らしたことでいわゆる「復活」をした。
また、叔父サトルも妻桃子が帰ってきて、落ち着いた生活をしている。

今回の物語は、これまでのことを振り返りながら、少しづつ前に進む。

貴子は、恋人の和田との仲がなかなか進まないことについて、考えている。
そのことについて、貴子の周りの人たち、特に桃子が適切な助言をする。
それは、貴子自身が自分にブレーキをかけていることではないか、ということ。

淡々とゆっくりと物語が進むのは、貴子の内省が描かれるからだ。

しかし、後半に物語は劇的に大きく動く。

傷つきやすい人たちは、やさしい人たちである。
他人にやさしいのは自分が傷つきたくないからなのだろうか。

この物語に登場する人たちに悪人はいない。
悪人はいないが、人は傷つく。

また、物語のなかで、近代文学について語られるのもいい。
私は、あまり近代文学を読まないので「そうそう」と思うことができないが、興味が湧く。

ラストは新幹線の中で読んでいたのだが、涙があふれてきて困ってしまった。

ところで「森崎書店の日々」は映画化されているが、DVDはでていない。何とかDVD化してほしいものだ。

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ストーブ列車 津軽鉄道 -青森旅行-

2012-02-06 21:59:53 | 観た、聴いた
それは、ほとんど冗談のような、あるいは酔った勢いのようなものから始まったのである。

ある「会」があり、2年に1回程度旅行をしている。
ちなみに前回は「さっぽろ雪まつり」であった。

その会でどこへ行くか相談をしていた時に「新幹線で青森まで行ってみたい」という声が上がった。我々はまだ新幹線で青森まで行ったことがなかった。

そうしよう、という声が上がったが、新幹線に乗るだけか?
ほかに何かないか?
八戸の八食センターに行ってみたい。(魚を食べたい)という声が上がったが、八戸は途中である。
温泉に入りたい!という声もある。


私は、青森市内の居酒屋で「じゃっぱ汁」をいただき、寒い中「屋台村」に行きたかったのだが、一顧だにされず却下であった。

とその時、思いついた
「ストーブ列車!」
私ともう一人が同じタイミングで叫んだ。
で、決定。

というわけで、2月4・5日と青森県をちょいと旅してきた。

旅程は新幹線で新青森に行き、そこから奥羽本線と五能線を乗り継ぎ五所川原。
そして五所川原から津軽鉄道で津軽中里を往復!
空いた時間で「立佞武多の館」を見学、そしてバスで青森駅へ。そこから青い森鉄道で浅虫温泉。

というのが2月4日。

次の日は、浅虫水族館を見学し青森市へ戻り、棟方志功記念館と古川市場でのっけ丼そしてワ・ラッセを見学し、帰途につく。

新幹線は少し遅れが出たが無事新青森に到着。
そこから奥羽線が10分遅れ、接続の五能線も同様に遅れ、五所川原に到着したのは10時ころ。
さっそくストーブ列車の切符を購入し、11時40分発車まで「立佞武多の館」へ行く。

 



いやあ凄かった!
約22メートルの高さがある「立佞武多」が展示されている。
展示だけではなく、ここがいわゆる倉庫のようなもので、この立佞武多はこの館から出発するらしい。
ゆっくりと見学をして、いざストーブ列車へ。



事前に予約した弁当と、売店で購入した酒とスルメを持って車内へ。
最初は遠慮していたが、スルメをアテンダントに焼いてもらいそれを肴に酒を呑みはじめると調子が出てきた。


アテンダントは、津軽弁で相手をしてくれる。
酔っぱらいにもやさしい。



とうとう自分でスルメを焼きはじめてしまった。
仲間は下に移っている「石炭」をいただいてきた。(勿論了承を得ています)

車内販売のおばちゃんとも話をし、さらに酒は進む。そして列車も進む。
12時27分中里駅到着。
さっそく帰りのストーブ列車の切符を購入。切符は往復も予約も買えない。現地で購入しなければならない。したがって我々は帰りの切符が手に入らなければ普通の車両でもかまわない、と考えていた。
中里駅で山菜やらはたはたの飯寿司などまたも肴を購入し、帰りも呑む気満々で乗車。
弁当、山菜を肴にまたしても呑み、とうとう「呑み鉄」と言われてしまった。
「呑み鉄」というのもあるのか、と納得。



五所川原到着。さらばストーブ列車。

宿について温泉に入ってまたしても酒を呑んで終了。
宿の人に言われたのだが、昨日までは新幹線は動いていたが在来線は運休だったとのこと。これほどの豪雪は近年たいそう珍しいらしい。『そんななかよくも来た』とのニュアンスあり。

宿は「海扇閣」
20時30分からの「津軽三味線ライブ」が特徴。
堪能しました。

次の日は浅虫水族館。
イルカのショーを見学。
ジャンプを決める>



青森について、タクシーの運転手から「のっけ丼なんて地元では誰も食べない。もっと安くておいしい店はたくさんある」という話をされる。
「のっけ丼」は古川市場(青森魚菜センターの売り物、観光の目玉である。

そのあたり、まだまだ市民には理解されていないようであった。
「安くて旨い」ものを食べたいが、市場の中を歩いて自分でのっけるものを探すのも価格に入っている、つまり遊びも入っているのである。

古川市場は、タクシーの運転手さんたちを招待して理解をいただくべきではないか!
なんて考えていたら、のっけ丼の写真を撮るのを忘れてしまった。

続いて、「ワ・ラッセ」に行く。
ここは昨年オープンした「ねぶたの家」である。



内部には青森ねぶたが飾られている。



やっぱり青森は「ねぶた」なのか。

いやいや豪雪の青森も観光客には最高であった。

またいつか訪れよう。

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昭和の終わりと黄昏ニッポン 佐野眞一 文春文庫

2012-02-02 21:28:00 | 読んだ
佐野眞一の本は「かなりいい」と思っている。
時に、考え方が偏向しているのはないのか、とか、窮屈だよなあ、とか思うのだが、「熱い」ということがそういうことを振り払ってしまう。
「熱い」「一途」なので、とことん突き止めようとする姿勢がいい。

さて、本書は昭和を振り返ることで、現在の日本を考えるというものである。

その原点には、今の日本(平成の日本)はあまりいいものではないという考えがある。だから昭和がいいというのではなく、こういう日本になった起因は昭和にあるのではないだろうか、という仮説があるように思える。

その仮説を確かめるために著者は昭和の出来事を振り返る。

大きくは、第1部:昭和が終わった日と第2部:平成不況を歩くに分かれている。

第1部では昭和天皇の死を、様々な視点を通して考える。
或いは「平成改元の内幕」を探る。

別にどうでもいいような事なのだが、取材を進めるほど、いろいろなことがわかってくる。
特に知りたいと思うことでもないのだが、読んでいくうちに面白くなる。

そして、昭和の終わりに起こった事件を通して考えると、どうも昭和の終わりというのは日本の終わり、平成とは新日本の始まりなのではないか、ということが浮かび上がってくる。
この、新日本はいい意味ではなく、昭和の終わりにおきた「日本の精神の崩壊」ともいうべき事件を引き継いだ、精神的不安定な日本という意味のようだ。

さらに著者のルポは続き「平成不況を考える」という第2章では、貧困を考える。
ちょっと異常すぎる状態だけを取材したため、大きなショックを受ける。

『まさか、まさか』の実態が紹介される。
貧困、自殺、医療崩壊、平成の日本の暗部が示される。

「平成だって明るいところがあるさ!」
と思ってみたんだけれど、具体的に何のか思い出せない。

第2部第1章は「ルポ下層社会」である。
文芸春秋に発表したところ大反響があったものである。

足立区を取材して書いたものであるが、発表したら足立区全体が下層社会だと認識され、足立区から見解という名の抗議があり、他のマスコミからは足立区にいったら貧困が認められなかったというコトバが届く。

下層社会のルポは著者の努力のたまものである。足立区の見解は別にして、そのルポを読んで表面だけを取材したりコメントをしている者の多さこそが、平成の暗部ともいえる。

もしかしたら著者の世代が「昭和」という時代に大きな愛着を持っているのかもしれない。著者と9歳違いの私はそれほど「昭和」に愛着はないことが、この本を読んでわかった。

また、何年かして読んでみたい本である。

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