読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

敗戦投手

2006-09-30 22:39:07 | 日々雑感
早朝ソフトボールの秋季リーグ戦が始まっている。
わがチームはこれまで1勝1敗。

今朝は春季リーグ戦優勝のチーム。
エースピッチャーと3番ショートを欠いての戦い。

ところが4回表終了時点で4対2で勝っていたのである。わがチームの投手のあまりにも遅いボールに相手チームが苦戦していたのである。

で、4回裏の攻撃のとき投手の代打に私が出て(相手エラーで出塁)そのまま5回裏抑えで登板したのである。投球練習では調子よかったのである・・・

結局7失点。四死球が4。
まったく申し訳ない。
その裏3点を返したが(私も打点1をあげたのだが)7対9で負けてしまった。

しばらくぶりに投げたので身体が痛いのだが、それよりも心の痛みのほうが大きい。こんな気持ちになったのは久しぶりである。
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秋のうた 乃南アサ 小説新潮10月号

2006-09-29 22:09:01 | 読んだ
小説新潮に不定期に連載されている小説である。

<東京・谷中に肩を寄せ合うように生きる、前科者の女ふたり>の話である。
今号で第4話になるのではないか。
確か前回では「ボクの町」の主人公高木巡査が登場したりして、えっどうなるの?と思ったのであった。
しかし、今回では登場しない。

主人公小森谷芭子は、恋をした相手がホストで彼のためにお金を使いなくなり、テレクラなどで知り合った男から金を奪う「昏睡強盗」で捕まり7年間の懲役をつとめてきた30歳。
刑務所で知り合った綾香は一回り上の女で、暴力亭主を殺していた。

この二人が出所後、東京・谷中でひっそりと暮らしている。
「前科がばれないように」ということのみに集中している。だから、同じ境遇の二人きりのときだけが息を抜けるときなのだが、それでもできる限り当時の話はしないようにしている。
でも、二人の共通点は刑務所なのだからどうしても話題はそっちへ行くわけで・・・その辺が芭子のイラつくところなのである。

さて、今回は綾香が勤め先のパン屋によく買い物に来るスナックのママと仲良くなり、そのスナックにカラオケをしに行く。芭子は気が進まないのだが、だんだんと常連になっていく。

そしてある日・・・
というお話なのだが、兎も角、この二人がいじましい。世間をすごく恐れている、あるいは警戒している。

たぶん私の周りにいかに女の人といえどいわゆる「前科者」が現れたら、やっぱり素直な対応はできないだろうなあ、と思うし、できればかかわりあいたくないと思うだろう。

そんな世間の心をよく知っているからこそ、彼女たちはできるだけつましやかに生きようとしているのだろう。

彼女たちにもう少しの幸福が来るようにと思わされる、そんな小説なのである。
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青春のうた 第18巻 1970年代中期⑥

2006-09-28 21:04:02 | 読んだ
6.なごり雪/かぐや姫 1974年3月発表1.赤とんぼの唄/あのねのね 1973年3月発表

この唄好きです。気が向くとギターを弾いて歌ってます。
ただ、
♪あのねのね あのねのねを アンネにかえたら♪
の部分だけは、なんとなく声を落としてしまいますけど・・・

この唄の最初の部分
赤とんぼ→あぶら虫→柿の種→あぶら虫→赤とんぼ
とくるところが、実は「前ふり」であって、最後のところ、というかオチの部分
♪赤んぼうに羽をつけたら赤とんぼ♪
というぶぶんがすごーくシュールといいますか、コミックソングであって、なんだか深いものがあるのではないかと「勘違い」などさせてくれます。

たぶん深い意味などなかったんでしょうね。
でも深い意味がないからヒットしたというか支持されたんではないかと思っているのです。

2.夕暮れ時はさびしそう/N.S.P 1974年7月発表

N.S.P(ニュー・サディッスティック・ピンク)は、そちら側ではどう思っているか知らないが、こちらとしては非常に親しみを持っているバンドである。

彼らが一関工業高等専門学校在学中にNHKのFM岩手に送ったテープが評判になり、アマチュアながらリクエストが集まり、その時分から聞いていたのである。

その後、プロになった後も、なんというか地元出身のバンドという感じでいたのである。何しろ同級生も一関高専に行ったのもいるし、勤めだしてからの先輩にもいるのでなんとなく親しい感じがするのである。

しかし、一度もコンサートに行けなかった。
近年、復活コンサートが行われていたので、時期と場所が合えば行こうかと考えていたのであるが、2005年7月にリーダーの天野滋氏が突然亡くなり、とうとうかなえることができなかった。

この「夕暮れ時はさびしそう」はNSPの特徴・作詞作曲者である天野滋の特徴が大きく出ていて花開いた作品ではないかと思う。
NSPの作品は、好き嫌いが多いのではないかと思うが、この曲は比較的多くの人に受け入れてもらえるような気がする。

♪田舎の堤防 夕暮れ時に♪
という歌い始めに、一関の磐井川を思い浮かべてしまい
♪そうか君はわらうのが へたになっちゃったんだね♪
という部分に、すごーく悲しみを感じてしまうのである。

軟弱、ということも感じるが、NSPの歌を聴くたびに「軟弱でもいいじゃないか」と強く思ったりするのである。

3.母に捧げるバラード/海援隊 1973年12月発表

始めてこの歌を聴いたときは驚いた。
驚いた原因
①実の母を歌うこと
②しかもその母が美しく描かれていないこと
③博多弁丸出しだったこと
④フォークグループの唄だということ

なんというか当時のフォークグループの中ではずば抜けて「あく」が強かったのではないかと思う。
キレイでもなければ社会を批判するのでもなく、それでいてなんとなく思想が通っていそうな・・・

♪働いて 働いて 働きぬいて 
遊びたいとか 休みたいとか そんなことおもえいっぺんでも思うてみろ
そん時きゃ そん時きゃ 死ね♪

という母もすごいと思った。
その後時々この部分だけを思い出すことがある。
なんといっても私は「なまけもの」の部類に入る人間だから・・・

それにしてもこの部分今では通用しなくなりました。
働かなくても、汗をかいて働かなくても、生きていける社会になってしまったものねえ。それがいいことなのか、という疑問は大いにあるのだが。
そして「人生を教える やさしいおふくろ」もいなくなってしまった。

3.タイムマシンにお願い/サディスティック・ミカ・バンド 1974年10月発表

加藤和彦が奥さんのミカさんと結成したグループで、この歌のほか「サイクリング・ヴギ」などを覚えている。

わりと簡単なコード進行でキレイなメロディーライン(加藤和彦の特徴でもある)それでいてバリバリのロックというのが、なんともたまらなかった。

そのころは生ギターの歌が中心だったが、こういう歌を聞くとそっち方面も捨てがたいなあ、なんて思ったりしていたのであった。
何しろ当時は××派となった以上、別の派に目移りするのはよくない、と思っていたのだから・・・
そんな時代を超えて、自分が好きなら何でもいいじゃないか、という考え方に、ワタシも世間もなっていったのである。

できることならタイムマシンにのって当時のワタシに「もう少し余裕を持っていこうよ」といってやりたいのである。

この歌は近頃よく耳にする。口ずさんでいると、若い人が不思議そうにするのである。

5.港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1975年4月発表

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは「スモーキング・ブギ」が強烈な印象で、その次の歌も「カッコマン・ブギ」だったので、ああこのまま消滅してしまうのかなあと思っていた。

そうしたらこの歌が出て「おお幅が広い、というか、いっぱいたんすの引き出しにあるんでないか」と思ったのであった。

この歌は斬新だった。
曲といえば
♪港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ♪
だけで、後はセリフ
しかもその最後のフレーズ
「アンタ あの娘(こ)のなんなのさ」
というところが、カッコよすぎて、それがまたよくて・・・

そして、この歌を聴いたとき以来ずっと思っていたというか聞きたいことがあるのだ。
つまり、ヨーコと出会えたんだろうか、ということなのである。
たぶんずっと探し続けるのではないかと思うのであるが、いつかはたどりついてほしいとも思うのである。
そして、そのときは「ハッピーエンド」になってほしい。
ヨーコもわがまま言わずに探し求めた彼と幸せになるべきだと、強く思うのである。

6.なごり雪/かぐや姫 1974年3月発表

かぐや姫のアルバム「三階建ての詩」は、待ち焦がれていたもので、しかも内容が素晴らしくて、いつも聞いていたのである。
その中にこの「なごり雪」があったのである。

なんという「せつない」歌なんだろうか、と思った。
<汽車を見送る別れ>というものにすごくあこがれたりしたのであった。

たぶん彼女を見送ったあと彼は、すごく複雑な思いを抱えているにもかかわらず、ホームをなにごともなかったかのようにスタスタ歩いていくような気がして、そんな彼にもあこがれたりするのであった。

更に言えば、彼が強く言えば彼女は残っていたはず、とも思う。
つまりこの別れは彼のせいなのである。
それなのになあ「去年よりずっときれいになった」のになあ、別れるのか?このバカヤローと、徐々に怒りがわいてきたりするのである。

同じアルバムに入っている「22歳の別れ」に登場する「彼」とともにこの歌の「彼」に対してはバカヤローと思い、そう思うからなお思いいれも深くなってしまうのである。

それにしても、伊勢正三、この曲が始めて作曲したもの、とは恐れ入るのである。
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アンダースロー論 渡辺俊介 光文社新書

2006-09-27 21:54:25 | 読んだ
著者、渡辺俊介は千葉ロッテマリーンズの投手。現役である。
昨年15勝を上げ、ロッテのリーグ優勝、日本シリーズ、アジアシリーズの優勝に貢献し、今年のワールド・ベースボール・クラシックの優勝にも貢献した、世界一低いところからボールを投げる投手である。

私も野球をしかも投手、しかも変則タイプ。ただし、アンダースローではなくサイドスローである。
だもんで、興味深く読んだのであった。

野球の技術論ではあるが、勝つためには技術だけではなく気持ちの問題もあり、そのあたりも書かれてあって面白かった。

技術論としては「身体を捻らず、上体を横にしたまま真っ直ぐ移動」ということは、まさしくそのとおりで、できる限りバッターのほうを向くのを我慢して、パッと開いて投げるのを理想としていた。つまりは身体を開かないことに気をつけていたのである。

こういうことは、わかっていてもできるまで、しかも試合でできるまでは相当の期間を要するのである。渡辺俊介も頭で理解して身体が応じるまで時間がかかり、そして理想とするタイミングを維持することにすごく苦労するのである。

速い球を投げられる投手は、いかにその速さを持続するかが課題であり、速さ、ということがすごい武器になるが、渡辺俊介のような投手は「速さ」ということは大きな武器にはならない。
そのことに気づくのはプロ野球にはいってからであり、それに気づいてから勝てるようになるのである。

もっと早く気づけばいいのに、と思うのだが、実はアンダースローで速い球を追い求めたからこそ、遅い球で勝てるようになったのである。

速い球を投げるためにはどうしたらいいのか、ということを考え試してきたことがその基礎となっているのである。

野球をよく知らない人には「なんのこっちゃ?」と思う部分が多々あろうが、渡辺俊介をめぐる人々の言葉には含蓄があり、フムフムとうなづけます。

興味のある方はぜひ読んでみてください。
あっという間に読んでしまいます。
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ベラ・チャスラフスカ 最も美しく 後藤正治 文春文庫

2006-09-26 21:32:10 | 読んだ
ベラ・チャスラフスカと聞いて「体操の選手」とすぐに答えられるのは僕らの世代が最後かもしれない。
東京オリンピックは1964年、昭和39年である。小学校2年生。オリンピックを見て作文を書きました。というものなのである。

さて、ではベラ・チャスラフスカの体操の演技を覚えているか?となると、これが心もとない。どちらかといえば重量挙げの三宅や女子バレーボールなどは覚えているのだが、体操についていえば「なんとなく」なのである。
ただ、チャラスラフスカ、というのが非常にいいにくかった、ということとキレイだったということを覚えているのである。

さて、本書はそのチャスラフスカが東京オリンピック以後どういう人生を送ったか、ということを、本人への間接的なインタビューと、彼女と同時期を過ごした女子体操の選手、その後の女子体操選手、それから彼女とかかわりの深かった人たちへのインタビューによって、チャスラフスカ、を語っている。

ところが、チャスラフスカを語るということは、否が応でも、あるいは期せずしてというのか、彼女の国のチェコスロバキアや東欧諸国の歴史、そしてソビエトが主導した共産主義の功罪を語ることとなるのである。

これが本当に不思議。体操選手を追いかけて彼女の生き様を描いているのに、当時のソビエトや東欧諸国の政治家たちを語るよりも、明確に当時の情勢や社会主義体制が崩壊していくさまが現れてくるのである。

東京オリンピック以後チェコスロバキアでは、共産主義による統制が緩み始め、人びとに少しづつ自由がもどりはじめた。
その中で一体操選手であるチャスラフスカも、新しい世の中に肯定的であり、新しい社会主義モデルを語った「二千語宣言」に署名したのである。

ところがこの二千語宣言は「反革命的」であるとされ、結局はチェコスロバキアはソビエトを主体としたワルシャワ機構軍の軍事介入を受け、新しい社会主義モデルは崩壊し、春はひと時のものに終わる。

軍事介入があった年、メキシコオリンピックが開催されチャスラフスカは連覇を果たす。それはソ連に対する復讐のもののようであった。
体操の世界では連覇したものの、その後二千語宣言に署名しそれを撤回しなかったチャスラフスカは国に帰っても厳しい生活を送るようになる。

東京やメキシコで知り合った女子日本チームの選手とは仲がよかったとか、メキシコでの結婚式に日本チームの選手なども呼ばれたとか、あるいは技術上のことやメンタルなことなど、体操に関することなども多く書いてはある。
しかし本書はそれよりも、同時代を「体操」という共通点で生きた人たちの生き様を通して、どうしても政治とかかわらなければならなかった「時代」を描いている。

それは、チェコスロバキアやソ連、それにコマネチのルーマニアなどの社会主義国だけではなく、日本においても東京オリンピック代表選手であった小野清子も国会議員になって政治とかかわっている、という事実。

著者は
プラハの春、パリ5月革命、アメリカや日本での学生反乱。運動の言葉と方向はばらばらであったが、どこか相通じるものがあったように思える。それは世界の機構が本格的な消費社会へと移り変わろうとする転換期の時代が発するきしみ、あるいは叫びのようなものであったのか。
として、プラハに長く駐在する小野田へのインタビューで(この小野田は学生運動の闘士でその運動の中でプラハまでやってきたという人物)聴いた
「青春グローバリズム」
という言葉に詩的で甘酸っぱさを覚えなんとなく共感していく。

ベラ・チャスラフスカについてはインタビューをした多くの人びとが
「(個人的ではなく)社会的な、あるいは時代的な悲劇を背負った悲劇」
と語る状況に陥っている。

社会主義とか自由主義とかではなくて「主義」という言葉で縛られているほうが実は幸せなのではないかと思ったりした。

また、人は社会的あるいは時代的な環境の中で生かされているのではないか、その生かされていることの中でどれだけ自分というのを表現することができるか、それが実は生きることなのではないかと、思ったのである。

この物語に書かれてあることは遠い昔のことではなく、たとえばコマネチの場合でもそうだが、ついこの間まであったことであり、そして今こうしている間も、世界の一部では(考えよう見ようによっては大部分)が、どうしようもない理不尽な出来事に見舞われており、不満たらたらで生きているが、実はぬるま湯の中ですごしている自分が<なんだかなあ>とも思えるのである。

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金閣寺に密室(ひそかむろ)<とんち探偵一休さん> 鯨統一郎 祥伝社文庫

2006-09-25 22:30:35 | 読んだ
最初に第2巻である「謎解き道中」を読んでしまって、今回は第1巻を読んだのであった。

主人公はあの「一休さん」それにアニメでおなじみの「蜷川新右衛門」それと第2巻で親探しの旅にでた「茜」がレギュラー。

今回の謎は「足利義満」の死についてである。
容疑者が豪華絢爛というか、室町幕府の重鎮たちと世阿弥や一休の師匠・慕哲龍攀。

物語にはおなじみの一休さんの「とんち」がちりばめられており、あらためて感心したりして・・・

さて、室町幕府第3代将軍にして日本国王を名乗った「足利義満」が金閣寺の最高層(第3層)究竟頂(くぎょうちょう)で死んでいた、この部屋は内部からかんぬき状にしまっており、つまりは密室である。

この謎を一休さんが解くわけである。
足利義満は誰からも嫌われている、という設定。従って容疑者は実の子供で第4代将軍義持、あるいは時の天皇「後小松帝」(この物語では一休の実の父)、管領の細川頼長、斯波義将、四職の一色満範・山名時煕など室町幕府の重鎮も「義満」を殺すにたる動機はもっている。

密室の殺人の方法、他の事件とのかかわりなど、わくわくどきどきの面白さである。
歴史上の人物を登場させる推理小説はいろいろ出ているし読んできたが、この小説はなかなかに面白い。

第2巻の謎解き道中は、大きなテーマとして歴史を取り扱っているものの、いわゆる短編推理集であり、第1巻と続けて読むとなお面白いかもしれない。

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吉田拓郎&かぐや姫コンサートinつま恋2006

2006-09-23 23:51:15 | 観た、聴いた
行ってきました。

歩いて並んで歩いて、の繰り返しでした。
すごーく疲れました。

で、その疲れを吹き飛ばすようなコンサート、というわけでなく・・・
というのは、席が最後尾といってもいいほどで、ステージがわずかに見えるくらいで、両サイドの画面をみている状態。
しかもちょっとすると立たなくては見えない。

聞こえてくる曲はいいんです。
涙が出るようなときもあるんです。

というわけで、詳細は後日ということ。
ともかく、拓郎とかぐや姫に感謝です。
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in静岡

2006-09-22 21:06:55 | 日々雑感
本日は静岡市にいる。
あしたの吉田拓郎つま恋コンサートに備えているのである

あしたは吉田拓郎とかぐや姫のコンサートである。
出演者が倒れるか、それとも観客が倒れるかという、すさまじいコンサートなのである。私は前売り開始の日にすぐチケットを申し込んだにもかかわらず、ABCDEFとあるゾーンのEゾーンなのであり、多分ちょっと引き気味に聞きみることになるのだろうと思う。

静岡の夜は妻とふたりで居酒屋に行き、隣にいた田口浩正ふうの男の人にいろいろと静岡の情報を仕入れたのであった。
(静岡の黒はんぺんというのは、我々の感覚では<つみれ>であったのだ。)

というわけで、あしたの朝は早く出かけねばならないので、今夜は早々にホテルに引き上げたのであった。

あした、コンサートは体力勝負なのである。
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ホーラ 篠田節子 オール読物連載2月号~9月号

2006-09-21 22:24:45 | 読んだ
ホーラという題名はギリシャ語で「Χωρα」となっている。

物語は相互不倫(つまり男も女も結婚しているのにということ)の二人が旅に出る、そして・・・というお話なのだ。
30歳くらいで出会い、いま40台半ば、これまでは人目をしのんだいわゆる密会をしていた。
男は建築家、女はヴァイオリニスト。

この二人が、人目を忍びながらも海外へ旅をする。
ロンドンで男が女に贈ったヴァイオリンが陰の主人公となる。

そして二人は、人目を忍ぶことに疲れ、というか、旅に出ても他と繋がっている状態を解消するため、消息を絶つようにしてエーゲ海の小島「パナリア島」へ行く。

このパナリア島についてから二人には奇妙な出来事が多発する。
そしてついに交通事故を起こし男は入院する。

その後も奇妙な出来事がおこるが、それはトルコ文化とイタリア文化の接点であった、つまりイスラム

教とキリスト教の接点であったことによる島の文化が、影響しているような・・・
女の心には「不倫」に対する「バチ」のようなもののせいではないかという思いも浮かぶが・・・

この物語で起こる出来事には「何故」の説明はない、おきたことが書いてあるだけだ。
ワタシはこのような物語を「あったんだとさ型」と呼んでいる。

なんだかよくわからないのだが、こんなことがあったんだとさ。
という型である。

今の世の中、やたらと解答を求める傾向があるが、解答のないことのほうが多いのだから、なんでもかんでも「何故」の解決をすべきではない、そしてそういう物語もまた面白いのである。

この物語も、解決、ということを望む人には「釈然としない」という印象があるだろうが、それはそれでいいと思っている私には、なんだかよくわからないけれども面白かったのである。
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第135回直木賞 まほろ駅前多田便利軒 三浦しおん オール読物

2006-09-20 21:30:30 | 読んだ
第135回直木賞受賞作品で短編集「まほろ駅前多田便利軒」から、次の2作<多田便利軒、繁盛中><働く車は満身創痍>が掲載されていたので読んだ。

男二人、多田便利軒を経営する多田とその高校時代の同級生・行天が主人公、というか軸になって物語は進む。
といっても、行天は<多田便利軒、繁盛中>で途中から登場するのだが・・・

男二人の物語を女性作家が描くのだから、若干こちらとしては違和感があった。
男二人の友情なんて、いつも一緒にいるとなくなるものではないかと思うのである。
男はつるんでいても、いつも一緒にはいないものだ。特に中年以降はその傾向が強いと思う。そのあたりが若干違うと思うのだが・・・

名探偵シャーロック・ホームズとその助手ワトソンだって、四六時中一緒にすごしているわけではなく、ワトソンにとってホームズは永遠の謎だったはず・・・

とまあ、その辺の違和感は置いておいても、この物語わりと面白い。
人情物語ふうであったりハードボイルドふうであったりして、物語は起伏が富んでいてあきさせない。

それから物語は面白かったが、受賞記念の自伝エッセイはつまらなかった。
饒舌すぎるという感じで、なんだかわからない、という感じ。

エッセイでは森さんに軍配をあげる。
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第135回直木賞 風に舞い上がるビニールシート 森絵都 オール読物9月号

2006-09-19 21:12:12 | 読んだ
直木賞を受賞した短編集「風に舞い上がるビニールシート」から<風に舞い上がるビニールシート>と<ジュネレーションX>の2話が掲載されていて読んだのである。

選考委員の評判がいいので期待をして読んだのだが、私にとっては<つまらない>部類にはいるものであった。
「なんだかなあ」というのが読後の感想。
林真理子の「ただごとではない成長の早さ」や井上ひさしの「感服する」という感じは受けなかったのである。

いつかこの展開が裏切られるだろうどっかで何かがあるはずだろうと思っているうちに、まあ予定調和的な結末に至る。
この順当な話の進み方にいらいらさせられるのである。
別に順当な話の進み方をする物語がきらいなわけではなく、どちらかというとけれんたっぷりの「ドウダ!」という作品よりは好みなのである。のであるが、この物語は違うのである。

ひとつには主人公の気持ちの動き、というのが「つかめない」あるいは共感がもてないのである。
主人公の心の動きは揺れ動いたほうがこのような物語ではいいのではないかと思う。
主人公がしっかりしているのならば物語の設定や動きはどちらかといえば「荒唐無稽」に近いほうがいいのではないかと思う。
主人公がしっかりしていて現実に近い物語であると「反発」してしまうのかもしれない。

それにしても、選考委員とというか世間と、自分の感覚が違ってきていて、いよいよ変なおっさんになってきたのではないかと、若干の危惧を覚えているのである。

とはいえ、直木賞受賞エッセイ「父に捧ぐ」は非常に面白かったのである。
どちらかといえばこのエッセイのほうがドラマチックで、登場人物が正直である。正直であるがゆえに、どこかが破綻していて自己矛盾を抱えている。
小説のほうの登場人物たちは「うまく」書こうとか設定しようという意識がつよく<作られた人>感が強く感じられたのかもしれない。
小説に登場する人物たちは、せめて読者に対して徹底して正直であるか、徹底して嘘をつくかしてもらいのである。

というわけで、エッセイと込みでまあまあかなというのが正直な感想。
というか、ワタシ好みではなかった、というべきでしょう。

予告
 明日は同時受賞した「まほろ駅前多田便利軒」三浦しおんについてのココロだ!
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青春のうた 第17巻 1960年代後期③

2006-09-18 18:02:44 | 読んだ
やっぱり1960年代の歌は知らないほうが多く、ゆえに思い入れもあまりないのである。というわけで・・・

1.悲しみは駆け足でやってくる/アン真理子 1969年7月発表

'69年といえば昭和でいえば44年、ということは中学校入学した年である。
この歌の出だし
「明日という日は 明るい日とかくのね」
はズイブンはやったフレーズであり、本書の解説にもあるように「その後の<漢字分解系>といわれる歌詞に多大な影響を与えた」のである。

しかし、当時中学生だった私は「当たり前のこと」をなんでそんな風に歌うんだろう?と思っていたのであった。

で、しばらくしてから「明日」は明るいばかりではないことに気づいたのであった。気づいたときには世間一般は「明日が明るくない」ことになっていたのであった。

2.帰り道は遠かった/チコとビーグルス 1968年12月発表

出だしの部分だけ知っている。
この歌を聴いて別に思うことがなかったんだろうと思う。

で、今回、この歌の作詞が作家の藤本義一だったことがわかりちょっと驚いた。
それから、この歌がなんというかあっさりとか淡白とかんじられなかったのは歌詞が粘っこいのと歌い方がバタくさいということなんだと、改めて思ったのだ。

3.受験生ブルース/高石友也 1968年2月発表

この歌が身にしみて感じられるのはずっとあとのことで、当時は「フーン」と思っていた。

身にしみるといったって、受験が苦しいとかあほらしいとか、思っていたわけでもなく、通り過ぎなければならないものなんだろう、となんとなく思っていただけで、そんな「なんとなく」という部分がその後失敗につながったのではないかと思っているのである。

この歌はコミックソングなのか、風刺なのか、実感(いわゆる私小説風)なのか、入り混じっていて、聞くときの心境で、許せるときとなんだか腹が立つときがある。

4.自衛隊に入ろう/高田渡 1969年2月発表

この歌を聴いたのはたぶんずっと後のことで、そのころにはこの歌が持つ意味というか皮肉がもう時代遅れになっていたのではないかと思う。
というか、自衛隊は必要ない、ということを真剣に言うのは非現実的みたいになってしまったのである。

この歌詞からはもっと本質の部分を言いたかったんだろうと思うが「自衛隊に入ろう」という部分が誤解されてしまったのだろうと思う。

自衛隊を考えるということは、世界を考えることであり、世界を考えるには「マダマダ」だと思うので、真剣に自衛隊のことを考えられない。
それがワタシの言い訳である。

5.別れのサンバ/長谷川きよし 1969年7月発表

当時の私には「難しい」歌であった。
いい歌だなあ。とは思っていたが、感覚だけでありました。

盲目の歌手、ということが、この歌を難しいと感じさせたもうひとつのものであったと思う。
中学生のころでありますから、盲目、ということにどう接していいのかよくわからない。よくわからないから、あまり近づかないようにする、というのが当時のワタシでした。

それから「サンバ」のリズムというのが、なんだかついていけなかった。

この歌を歌ってみたいとは思うのだが、まだ歌えずにいるのである。

6.あなたの心に/中山千夏 1969年9月発表

初めて聴いたとき、ひょっこりひょうたん島の「博士」が歌っている!と思った。
「ヒェー」と感じた。

ひょっこりひょうたん島の中で歌われてもいい感じの歌だった。

この歌は最初中山千夏の作詞と歌ということが話題だったが、徐々に作曲の都倉俊一に話題というか焦点が移っていったというような気がする。

中山千夏にはいいイメージでいたのだが、政治活動に身を投じ始めたころから、なんだかなあ、と思い始めたのであった。


追伸
 今回、振り返ってみると、面倒くさいことや難解なことは避けて通ろう、という姿勢が1960年代後半あたりから私の中に形成されてきていることが確認された。
 たぶん、このあたりがいわゆる社会の多様化というか、いろいろな発言が自由になったころなんだと思う。
 そして、口をつぐんで今までどおりにやろうとしている人も、一生懸命自分の意見を述べて社会を変えようとしている人も、胡散臭く感じていたんだろう、と思うのである。
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会長への道 鈴々舎馬風 小学館文庫

2006-09-17 18:22:18 | 読んだ
著者<鈴々舎馬風>は落語家である。
現在は落語協会の会長なのである。

この人を知ったのは<柳家かゑる>と名乗っていたころ、キックボクシングのリングアナウンサーをしていた。
それから、テレビなどで落語や発言を聞くと「まあなんて乱暴な」と思っていたものである。

その馬風の落語のなかで最も受けたのが自作の「会長への道」である。
これは、馬風が落語協会の会長になるためにはどういうことが必要かということのお話なのだが、それは自分の上位にいる人たちが死ぬことなのである。
しかもそれがどのようにして死ぬのか、ということまでをまあ克明に描いたものなのである。

この話を聞いたときには、面白いにのは面白いのだけれどこんなに傍若無人でいいのだろうか、と思ったものである。

さて、この本「会長への道」は<自伝>のようなものである。
落語会、特に馬風の師匠である柳家小さんとその一門の話、或いは修行時代に接した名人たちのことから、自分の修行時代の話、自分の一門(弟子たち)の話などが満載なのである。

私は落語というか演芸が好きなので、こういう話には大いに興味がある。
ということなので、面白かった、のである。
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グッドラックららばい 平安寿子 講談社文庫

2006-09-16 22:42:41 | 読んだ
帯には「本の雑誌おすすめ文庫王国2005年度版第1位」とある。
この間、著者が週刊朝日で連載したものを読んだばかりで<平安寿子>という作家に興味があったので、本屋で見かけて即購入。

帯の裏には

けちなモラルや常識なんて笑い飛ばせ!?
どこにでもいる父・母・姉・妹4人が
見つけた「新しい人生」
あなたは誰に似ていますか?


ともある。

いやあ面白かった。
ほんとうにどこにでもいそうな親子なのだが、彼ら彼女たちはひたすら「自分の気持ち」に正直に素直に生きる。
だけどそれは、周囲のいわゆる常識人たちから見ればものすごく変なことになる。

ところが、この物語を読めばそして彼らの視線から自分を見ればごく自然なのである。
妹だけが非常に強く主張しているように見えるが、実は他の3人のほうが穏やかに見えているけれどすごく強い主張をしている。

そして、かみ合わないようにしていて実はやっぱり、一般の家族と違わない、いやもしかして自分の気持ちに素直に生きようとするがゆえに、家族というものの大切さを人一倍大切にしていたのかもしれない。それも自分でははっきりと気づかずに・・・・

さて、物語は長女・積子の高校卒業式から始まる。
その日、母・鷹子が父・信也に電話で連絡をよこして家出をする。
信也も積子も、なんとなくその家出を許す。
妹・立子は、そんな家族を許せない。

そして、その後この家族はどうなっていくのか?
それぞれが勝手に生きているようで、実はなんだかつながっている。
これは、その逆、つまり我々は、家族はつながっていてつながっている範囲内でそれぞれが自由に生きている、と思っていることと、あまり変わりのないことなのではないだろうか。

この物語に登場する人物全てに対して、感情が移入することはない。
だけどどこかで「そうだようなあ」と納得したりする。
まあ8割がたは「なんだあ?!」とあきれているのだけれど・・・
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改革・改善・評価

2006-09-15 23:34:43 | 日々雑感
研修は無事終了。何とか帰宅したのである。

今回というか、近頃の研修のテーマは「△△改革」「××改善」「○○評価」というものばかりである。
それだけ、今の世の中、改革や改善や評価が必要なのであろうが、さて、誰が必要としているか?というのがチョイと曖昧なのである。

その曖昧なところがあるから、研修で明確にしよう、というのだろうと思う。
で、今度は誰が明確にしたいと思っているのか?
そのあたりが曖昧なのである。

つまり、どうもなんだか改革や改善や評価が必要らしいので、ついては誰か研修に行ってこいや、ということのような気がするのである。
なぜそう思うかというと、研修の成果をすぐ実践する機会、がないからなのである。

研修や大学で学んだことを実践しようと思ったら、それはすごいパワーが必要である。それでもなんとか計画を作って上へ上げると、一応の賛辞はあるが実施されることは本当にマレなのである。

だから研修なんかにいったってしょうがない、と思うのである。

今回の研修では「改革バカ」のような熱い人がいないと改革も改善も評価も実践されないといっていたがまさしくそのとおりなのである。
現に日本だって小泉総理は改革バカの熱い人だったからそれなりの改革が進んだのであって、これが気配りの人とか慎重な人とか冷静な人では進みはしなかったであろう。

問題なのは、誰が改革や改善や評価を切望しているかである。
しかも、それらには必ず痛みが伴うのであって、痛みのないみんな平和なうちに実施されて終了する改革や改善や評価なんてないのである。

つまり、やっぱり、今の世の中「平和ぼけ」しているのではないかと、思うのである。そして、そんなところで熱くなってバカになるのは、そろそろ勘弁してもらいたいと思うのである。

とまあ、すでに逃げの体制に入っているのであった。
ちなみに、今回の研修は事務局の人件費を除くと一人当たり1万2千円かかっているそうである。
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