本は、本屋さんで買うべきである。
というのが、私の持論であった。
本を手に取ってみて、帯をみたり、裏を見たり、文庫では解説を少し読んでみたりして選ぶ。
というのが正当な本の買い方だと思う。
例えば、新聞や雑誌などで本の紹介をしていたり広告を見たりして「これは買わなければ!!!」と意気込んだとしても、本屋に行って手に取って『ようやく会えたね』という気持ちで購入する。
あるいは、なんとなく本屋をうろついていたら、ドーンと目に入ってくる本がある。
キラキラ輝いている感じが伝わってくる。
『わたし、読みたくありません?』
と、胸を張っているような本がある。
それで
『なに、そんなに読んでもらいたいわけ?』
という気持ちで、手に取ってみる。
手に取ってみたとたんに、キラキラがなくなるものもある。
しかし、キラキラがギラギラになるものがある。
それは絶対に買いである。
そうして購入した本であっても、ときどきがっかりさせられるものもあるけどね。
だから、ネットで買うのは、なんだか抵抗があるのだ。
といいつつ、今度ネットで買ってしまった。
買ったのは
藤子不二雄Aの「愛…知りそめし頃に…」の第10巻
尾瀬あきらの「どうらく息子」の第5巻
古谷三敏の「月例 寄席芸人伝」<船徳>
と
酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」第弐部
である。
つまり、継続しているものが三冊。ということは別に手に取らなくても「買い」の品物である。
それから、「月例 寄席芸人伝」は、いわゆる『ムック』と呼ばれる、コンビニなどで売っているマンガ本である。
これは、ネットで買えるのか?という疑問から、ためしに買ってみた。
だから、ネットで本を買った、というのは、中身をある程度知っているもの、なのである。
ネットで、本を探して見つけて買う、というのは、やっぱりできないと思うのである。
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というのが、私の持論であった。
本を手に取ってみて、帯をみたり、裏を見たり、文庫では解説を少し読んでみたりして選ぶ。
というのが正当な本の買い方だと思う。
例えば、新聞や雑誌などで本の紹介をしていたり広告を見たりして「これは買わなければ!!!」と意気込んだとしても、本屋に行って手に取って『ようやく会えたね』という気持ちで購入する。
あるいは、なんとなく本屋をうろついていたら、ドーンと目に入ってくる本がある。
キラキラ輝いている感じが伝わってくる。
『わたし、読みたくありません?』
と、胸を張っているような本がある。
それで
『なに、そんなに読んでもらいたいわけ?』
という気持ちで、手に取ってみる。
手に取ってみたとたんに、キラキラがなくなるものもある。
しかし、キラキラがギラギラになるものがある。
それは絶対に買いである。
そうして購入した本であっても、ときどきがっかりさせられるものもあるけどね。
だから、ネットで買うのは、なんだか抵抗があるのだ。
といいつつ、今度ネットで買ってしまった。
買ったのは
藤子不二雄Aの「愛…知りそめし頃に…」の第10巻
尾瀬あきらの「どうらく息子」の第5巻
古谷三敏の「月例 寄席芸人伝」<船徳>
と
酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」第弐部
である。
つまり、継続しているものが三冊。ということは別に手に取らなくても「買い」の品物である。
それから、「月例 寄席芸人伝」は、いわゆる『ムック』と呼ばれる、コンビニなどで売っているマンガ本である。
これは、ネットで買えるのか?という疑問から、ためしに買ってみた。
だから、ネットで本を買った、というのは、中身をある程度知っているもの、なのである。
ネットで、本を探して見つけて買う、というのは、やっぱりできないと思うのである。
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