読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ノー・エクスキューズ<君たちに明日はないPART4>垣根涼介 小説新潮7月号

2011-08-23 22:40:04 | 読んだ
「君たちに明日はない」シリーズのPART4である。
PART4は小説新潮に掲載されており、今回は4月号に続き第2話である。

「君たちに明日はない」シリーズは、リストラをしたい会社から委託され社員のリストラを行う仕事をしている会社に勤める村上真介が主人公である。

リストラ請負人という設定であるので、後はリストラされる側の人がどういうのかが大きな焦点というか興味のポイントとなる。

前回はCA(キャビンアテンダント)が対象であったが・・・

今回は趣向が違っていて、リストラをする話ではない。

主人公・真介はつとめている「日本ヒューマンリアクト㈱」で面接部第2課の課長となった。課長となったのはいいのだが、何かが違うらしく、窓の外をぼうっと見ている時間が長くなった。

そういう真介をみて、社長の高橋が呑みに誘う。

呑みに誘われ行ったところに二人の人物が居た。
この二人こそ、社長の高橋が始めてリストラをしたときの相手であった。

二人の話を聞いていて、真介は違和感を覚える。
つまり、今リストラをしていて感じるものとは違う『行き方』のようなものである。
二人は、いわゆる団塊の世代。
団塊の世代の考え方は、真介にとって新鮮なものであった。

更に、何故社長の高橋がこういう仕事をするようになったのかも、高橋の口から語られる。

そうして真介は考える。
人にとって仕事とはなんなのか?
そして、そのなかで役職に就くというのはどういうことなのか?

そう簡単に答えは見つからないのだが、心なしか足取りが少し軽くなる。
というお話である。

どちらかといえば「番外編」という色も濃いが、リストラとは不要になった人物を切る、ということではないのだ、という高橋の考え方を知らないと、このシリーズもただただリストラすることが目的の会社の話となりかねないので、いいタイミングかとも思う。

ところで、皆さんは、何故仕事をされているのでしょうか?
私は、とりあえず答えを持っています。
だから、リストラされたときはその答えと付き合わせてみると思います。
そして答えを出すでしょう。


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荻窪 小助川医院 小路幸也 小説新潮連載

2011-08-21 18:08:08 | 読んだ
小説新潮に2010年9月号から2011年6月号まで連載されていた小説である。

著者「小路幸也(しょうじ ゆきや)」の作品ははじめて読む。

さて、物語の主人公は、沢方佳人。佳人が中学1年のときに父がなくなり、母が3兄妹を育てるため保険の外交に忙しくなり、長男である佳人が、三つ下の双子の弟と妹の面倒を見ながら、掃除洗濯食事の支度をやってきたが苦痛ではなかった。本人曰く「生まれつき主夫的要素を多く持った男だから」
現在はアルバイトをしながら家族の世話をしている。

というところに『シェアハウス』に入居し「大家と入居者の繋ぎ役」をやって欲しいという依頼が、母親経由で入る。

そのシェアハウスというのが「荻窪 小助川医院」で、病院だった部分を改造してシェアハウスにしたというのだ。

佳人は、不動産屋の相良奈津子の熱心な誘いとシェアハウスに期待をこめている気持ち、また、小助川医院に小さいとき病気になると行っていたこともあり大家の小助川鷹彦の人柄にも惹かれ入居することとなる。

シェアハウスとは
『(前略)友達と一緒に一軒の家を借りて住むみたいな感じだ。家賃も払ってそれぞれの部屋もあるけど、キッチンやお風呂は共同で使う。もちろん食事はそれぞれが勝手に作って食べるけど、共有の居間のようなスペースがあるから一緒にご飯を作ってそこで一緒に食べても構わない。あくまでも、それぞれの自由意志で。
 ただし、一緒に住む人たちと毎日を気持ち良く過ごすためのマナーやルールを守ってもらう。ひとつの家に住む仲間としての意識を持ってもらう』

そして、男は佳人ともう一人、女性が3人、プラス母屋に住む小助川先生との暮らしが始まる。

心配していた大きな揉め事はなかったが、小さな事件はあり、それをみんなの力で解決していく。
これほどうまく行くのか?
という疑問がないわけでもないが、うまく行ってほしい、というこちら側の希望もある。

大人の小助川鷹彦先生は、佳人だけでなく住人達にもアドバイスを与えてくれるし、住人達の中でも年上の人たちはそれぞれの人生経験からうまく生活できるよう、佳人を助けてくれる。
そして、若い力もまっすぐ進む原動力である。

シェアハウスは、家族のようにつながっていく。
いや、家族と居るときよりもそれぞれが遠慮し相手を気遣うので、いい人間関係が育っていく。

ラストは思いもかけない展開となるが、それは非常にさわやかなものである。
続編があるといいなあ、と切に思う。

久しぶりに、さわやかな物語を読んだなあと、しみじみ思うのである。

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なみだ学習塾をよろしく -サイコセラピスト探偵 波田煌子- 鯨統一郎 祥伝社文庫

2011-08-08 22:45:27 | 読んだ
サイコセラピスト探偵 波田煌子(なみだきらこ)シリーズの第3弾である。

第1弾が「なみだ研究所にようこそ!」(2008.11.26)

第2弾が「なみだ特捜班におまかせ!」(2009.5.14)

そして、第3弾である。

主人公の波田煌子は、自称サイコセラピストであるが、そもそもサイコセラピストというものがどういうものなのか、よくわかっていないようである。
しかも、頓珍漢な質問と別方向の解釈をする。なのに患者の悩みを見事に解決する。

更に前作では警視庁プロファイラーとして、難事件の解決にあたっている。
といっても、快刀乱麻に解決するのではなく、相変わらず頓珍漢で無茶苦茶な方法で、なのに解決するのである。

そして、本作では、新しく出来た学習塾の事務員として登場する。
学習塾の塾長は教育に燃える、波田(はた)信人。
煌子は、事務員としての初仕事に「はた学習塾」と書くところを「なみだ学習塾」としてしまい、信人の思いとは別に「なみだ学習塾」となってしまう。

物語は、塾生達が巻き起こす事件7つからなっている。

中学生の子供達が起こす事件を、煌子が全然違う方向から解決していく。
中学生達は、必死に生きている。
受験というなんだかよくわからないが通り抜けなければならない関門の前で、あがいて、もがいて、その結果、大人では考えつかないようなことをしでかす。

それを親や塾の先生が解決しようとするのだが、お約束どうり、煌子が解決する。

しかし、その解決の方法は、これまでと違ってわりと理路整然というか、納得のいくものなのだ。
このあたりが前作と違うところである。

そして、煌子が解決して大団円となると、感激した信人が涙を流すのである。
これも、これまでとは違うものである。

このシリーズは次の「蒼い月 なみだ事件簿」で終了するらしい。
ということは、この流れは、そのためのものなのか?

と思うと、文庫になる前に読もうかな、と思ってしまうのである。


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グラゼニ<GURAZENI> 原作:森高夕次 漫画:アダチケイジ 週間モーニング連載

2011-08-07 18:19:25 | 読んだ
近ごろお気に入りの漫画である。

題名の「グラゼニ」とは、グランドにゼニが落ちている、という意味である。(と、思う)

ということであるから、プロ野球を題材にした漫画である。

主人公の凡田夏之助は、プロ野球のスパイダースの左の中継ぎ投手である。
彼は年俸1800万円。
そして、彼はプロ野球選手の年俸を暗記している年俸マニアである。

彼は、自分より年俸の低い選手には打たれたくない。
そして高い選手には打たれてもしょうがないとは思っているものの、抑えれば自分の年俸が上がるのではないかと思っている。

左のサイドハンドスローの中継ぎ投手であるから、先発にも抑えにもいけそうもない。

投手は右の2流よりも左の3流といわれる。
そして左のサイドスローであれば、中継ぎ、しかないのかもしれない。

夏之助は、先発や抑えに転向したい気持ちも持っているが、中継ぎしかないのかもしれないとも思っている。

しかし、中継ぎだって進歩しなければ続けることはできない。
そこに物語がある。

前回から2話続けての物語は、夏之助の先輩投手からのアドバイスの話である。
先輩の栗城は、今はバッティング投手兼スコアラーをしている。
同じ左投手と言うことで、栗城は昔から夏之助にイロイロとアドバイスをしてきたが、そのアドバイスは良い結果をうまなかった。

そして、今再び、栗城からアドバイスを受けた夏之助は、そのアドバイスを受け入れた。アドバイスに従って投げてみたら、球速がアップした。
球速がアップしてどうなったのか・・・

というわけで、今、もっとも面白く読んでいる漫画である。

追伸
本日私は野球の試合をしてまいりました。
前回の登板は、1回1死も取れずノックアウトだったけど、本日は7イニング完封(軟式野球は7回です)、2塁打1本1打点でした。
非常に気分がいい。
という、ジマンでした。(失礼)


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週刊朝日連載小説 「降霊会の夜」浅田次郎 

2011-08-06 22:15:50 | 読んだ
週刊朝日を毎週購入するようになったのは、司馬遼太郎の『街道を行く』で「濃尾参州記」が始まることからだった。
だから1995年(平成7年)ではないかと思う。

始まってすぐに(1996年2月)司馬さんが亡くなってしまって、すごくガッカリしたことがある。

その後、椎名誠の「本の雑誌血風録」などが始まり、まあ継続して読み続けようかと思い今まで続いている。
しかし、近年は面白い読物が減り、記事も「なんだかなあ」というものが多くなってきた。

ちなみに、この「なんだかなあ」は週刊朝日に連載されていたナンシー関のエッセイで頻繁に出ていたもので、面白い言葉遣いだと感心していたものであり、いわば「パクリ」である。

この「なんだかなあ」という気持ちは、週刊朝日の記事は「大人」というイメージで落ち着いたものという印象があったのに、近頃は幼くヒステリックというものが多くなってきたように思う、というものである。

それは、どのような記事をさしているのか?
という、問いに対しては、ノーコメントである。
何しろ、誤解、反論、批判、炎上、いじめ、が怖いので・・・

ということで、週刊朝日も『これまで』という気持ちが強くなっていたころに、始まったのが、この「降霊会の夜」と海堂尊の「極北ラプソディ」の二つの小説である。
で、まあ、この小説と東海林さだおと内館牧子のエッセイに免じて、今のところ読み続けようと思っているのである。

非常に前置きが長くなってしまったが、表題の小説である。

浅田次郎については、これまでも、くどいくらいに言い続けてきたのであるが「あざとい」と。
小説の筋も作りも非常に計算されていて、読む側の気持ちをグリグリと揺さぶる。それにのってしまう自分がイヤなのである。
といいつつ読んでしまうのが、またイヤなのである。

で、「降霊会の夜」である。
これは、主人公が霊を呼び出すことのできる『ミセス・ジョーンズ』の家で、霊と出会い、子供時代の気になっていた出来事を知る、というのがこれまでのあらすじである。

ミセス・ジョーンズのもとに連れて行ってくれた『梓』という女性も気になるのだが、降りてきた霊たちの話がやっぱり本筋なのだろう。

主人公が小学生時代に仲良くしていた同級生(山野井清)は、主人公の目のまで車に飛び込んだ。
清とその父は「あたり屋」だったようだ。(父が清に当たり屋をさせていたようだ)
その出来事について、主人公と清と仲良かった警察官、子供の父、そして清の霊が降りてきて、事件の真相を話す。

芥川龍之介の「藪の中」を連想させるが、それぞれの立場でそれぞれの主張をしている。

これが最後にどのようになるのかはこれからである。

私の予想では、これからも霊が降りてくるとすれば、主人公の祖父ではないかと・・・

と言うわけで、降りてくる霊たちが話す内容は、ジーンとくるような内容である。
これでもか、これでもか、というように、自分を責める。
それほど責めなくてもいいのに、と思うくらいである。

結末はどうなるのか、ワクワクしている。
毎週楽しみに読んでいこう。

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風雷小僧 -長谷川平蔵- 逢坂剛 オール読物8月号

2011-08-01 22:23:04 | 読んだ
逢坂剛版の鬼平犯科帳である。

池波正太郎の本家版とは、長谷川平蔵だけが同じ登場人物で、与力・同心そして密偵はまったく別の人物である。

そして、逢坂版は長谷川平蔵は決して表に顔を見せない。
長谷川平蔵として、賊の前に顔を出すのは、長谷川平蔵の影武者である。

さて、今回の物語は、池波正太郎流でいえば「盗まれて難儀する者へは手を出さぬこと、人を殺めぬこと、女を手込めにせぬこと」という盗みの三ヶ条を守る『風雷小僧』が、盗みに入った店で、下働きの小女が殺されたことから始まる。

しかもこの殺され方が、胸を一突きにされて顔を膾のように切り刻まれるという異様なものであった。

何故、殺されたのか?そして何故このようにむごい殺され方なのか?
盗賊改方は推理し裏をとるため探る。

そして、殺された小女が実は盗人の引き込み役をしていたことがわかる。
更に、その女を知っている密偵から、昔、その女を含む盗人達が盗みに入った店の女を嬲り殺したことが語られる。

更に、嬲り殺しに関わった盗人が、盗みに入った店で殺される。
店の者は誰一人殺されていないのにだ。

となれば、この二人に恨みを持つものの犯行ということになる。
で、平蔵はある作戦を思いつく。

さて、その作戦とは、そしてその首尾は・・・

ということになるのだが、まったく思いもかけない方法でそれは展開されるのである。

私は、最後まで読みきって、もう一回途中から読み直して『確認』をしたのである。

これは小説ゆえの手法だと思うのだが、なかなか面白い。
この逢坂版鬼平犯科帳も今後期待の作品である。

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