読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

昭和怪優伝-帰ってきた昭和脇役名画館- 鹿島茂 中公文庫

2015-03-23 22:10:10 | 読んだ
お久しぶりです。
3月はやっぱり何かと御用が多くて、更新できないままにいました。

さて、私は決して「映画ファン」ではありません。
それでも、18~19歳ころ、一人でアパート暮らしをしていて、テレビのない生活の時、毎週のように川崎の映画街へ出かけて、お金が許す限り映画を見ていた時期があった。

この本の著者:鹿島茂氏はフランス文学の教授であるが、その青春時代に映画を見ていた。
「1970年から77年までの8年、年平均3,4000本の割合で映画を見た」
とのこと。
この前文(開館の辞)の最初にこれが書いてあったのを見て、すぐ購入した。

それは、青春時代の話、特に夢中になったものについての話は面白いということと、これまでも、著者の書いたものを月刊誌で読んでいて面白いものを書く人だという印象があったので「絶対に面白い」と思ったのである。

本書は12人の「怪優」が紹介されている。

01 荒木一郎
02 ジェリー藤尾
03 岸田森
04 佐々木孝丸
05 伊藤雄之助
06 天知茂
07 吉澤健
08 三原葉子
09 川地民夫
10 芹明香
11 渡瀬恒彦
12 成田三樹夫

著者が好みの映画は、B・C級のいわゆる「プログラムピクチャー」(意味はウィキペディアでどうぞ)
さらに著者は「コレクター的情熱」からシリーズものはすべて観なくては気が済まない。
ということで、多くの映画を見たのであるが、それで「脇役残像現象」が刻み込まれた。

ということから、強烈な印象を残した「脇役」たちが青春の思い出とともに著者の心に刻まれ、この本となったのである。

紹介された俳優たちには私の知らない人もいる。そもそも、紹介された映画は全く見たことがない。

それでも、この本を読んで面白いと感じられたのは、やっぱり著者の熱い思い出が文章ににじみ出ているからだろうと思う。
更に、脇役たちの普通に見れば「かっこ悪い」ところを「カッコイイ」と感じるところだと思う。

今でいえば「お宅」のような人なのだが、そこはそれ大学教授、言葉が違う。
インテリの言葉ゆえに、表現が高尚なのである。
それに情熱が加わるので、見たことのない映画やあまり知らない俳優たちが活き活きと描かれている。

ちなみに、この本は非常に面白く読んだのであるが、紹介されている映画を観ようとはあまり思わないのは、やっぱり私、映画好きではないからなのだろう。


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いちばん長い日に -芭子&綾香シリーズ(完結編)- 乃南アサ 新潮文庫

2015-03-11 22:15:57 | 読んだ
「巡り合わせ」ということはあるものなんだなあ、と、今夜強く思ったのである。

この物語は『いつか陽のあたる場所で』から『すれ違う背中を』と続いてきたシリーズ(いわゆる『芭子&綾香シリーズ』)の完結編である。

「いつか陽のあたる場所で」の連作を小説新潮で読んで以来、この物語のファンになったのだが、その後続編は小説新潮に掲載されず『何だろうなあ』と思っていたら、「yom yom」に掲載されていたのであった。
したがって、今月の新潮文庫ででたこの「いちばん長い日に」を早速買って読んでいたのであった。

9日の月曜日に念願の「一人呑み」を実行し、そのお供にこの本読んだのであった。そして、昨日も読み、本日読了したのである。

物語の主人公・小森谷芭子は裕福な家庭に育ったのだが、大学生時代にホストに恋して入れ揚げ、家のお金を持ちだしカードローンで借金をした挙句、昏睡強盗をして懲役7年の刑を受け服役、もう一人の主人公・江口綾香は、夫の暴力に悩まされ一人息子を守るため殺してしまい、情状酌量により5年の刑を受けて服役。
二人は刑務所で知り合い、一回りも年の差があるにもかかわらず妙に気が合い、出所後も付き合っている、というか、支えあって生きている。

二人は前科を隠すために、世間の片隅でひっそりと暮らしているが、そういうなかでも「事件」は起きる。その事件は二人が前科があることによって真っすぐな解決にはならないことから「物語」になる。

芭子は、前科が世間にばれることを恐れびくびくしながら、あまり人と交わらない職についていたが、ペットショップで働くうちに、ペットの洋服づくりを始めたところ評判となり、今や、取り崩してきた預金が増えるてくるようになり、それにつれ、少しづつ自信が出てきたようだ。(と読んでいて感じる)

一方綾香のほうも、パン職人として修行を積んでおり、毎週金曜日から水曜日まで朝3時半から真面目に努めている。

そして、二人で支えあい生きている。

そんな二人の中が第3巻では「ひずみ」が生じ始めている。

その始まりは「ネズミ男」と二人が呼んでいる綾香の店に40円のパンの耳を買いにくる変な男に惚れられて、「砂かけババア」と呼んでいるネズミ男の母親に結婚を迫られてたときに、断る時に話した言葉
「私のような人間は、一人で生きて、一人で死んでいくべきだと思っています。」
を、芭子が聞いてからである。

芭子は、祖母から引き継いだ家を、将来的には、自分のアトリエと綾香のパン屋にしたいと思っている。だから、裏切られたと思っている。
そして、その言葉を聞いて以来、実は二人はさらに深い絆で結ばれることになったのである。それは、もっと深くお互いを知り気遣うことになったからである。

そういう中で芭子は、綾香が残してきた息子の行方を追うために、綾香の故郷である仙台に赴く。

それは、2011年3月11日であった。

その部分から本日読んだのである。なんという巡り会わせだろう。
通常、あとがきを先に読んだりしているのに、今回は読まずにいたので驚いた。

更に、地震の描写やその後の行動について、なんてリアルなんだろう、と思っていたら、実は作者が本書の取材のために当日仙台を訪れていたのであった。

3.11以降、芭子と綾香の人生は大きく変化していく。
特に綾香は震災復旧・復興のボランティアに大きくのめり込んでいく。


本書を読むと、いわゆる「罪と罰」あるいは「許す」についていまさらながら考えさせられる。

この物語の主人公二人は罪を犯し裁かれ刑に服した。
そのことで、いわば「みそぎ」が終了し、刑務所を出たら「普通の生活」を行うことに法的には何ら支障がないはず、である。

しかし、世間はそれを許さない。罪は一生ついて回り罰も一生のものなのだ。

更に、犯罪者の身内も、罪を犯していないのに社会的な制裁を受け、いわゆる「まともな生活」を営むことはできない。

近頃、悲惨な事件が起き、ネットを通じてその家族の状況などが出ている。しかも、時には間違った情報まででている。
それはそれでしょうがないかな、という気持ちもないではないが、「なんだかなあ」というカンジがする。

そして、この物語の二人のように、なんとか生きようとしている者もいる。

物語の最後で綾香が言う。
つまり私は、―――初めて後悔したっていうことです。そういう人たちを見て死んでも死にきれない気持ちに違いない、赤ん坊からお年寄りまでの、あまりにもたくさんの仏さんたちを見ているうちに、ああ、何も殺すことはなかったんじゃないかって。私が逃げだせばよかったんです。警察にでもどこにでも駆け込んで、周りに助けを求めて。生命だけは―――奪っちゃいけなかったって」
涙が流れる。

ちょっと今日は興奮してしまったが、もう一度、時をおいて読み返してみようと思う。

そしてこの二人「芭子と綾香」が少しでも幸福に生きていってもらえればと心の底から思うのである。


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マキアヴェッリ語録 塩野七生 新潮文庫

2015-03-08 21:20:21 | 読んだ
マキアヴェッリには以前というか昔から興味があった。

いろいろな物語で、相手を非難する言葉として「君はマキャヴェリズム」が使われているのを見て、非難されているほうが正しいように思われ、マキャヴェリズムとはなんぞや?と思っていたし、ある程度理解していたつもりであった。

で、これまでも、マキアヴェッリについて知る機会があったのだが、なんというか「まだまだ」という気分が強かった。
今回は、この機会を逃すと一生読めないかもしれない、という啓示があったので、さっそく本屋に行ってきたので、買ってきた。

で、結論から言うと「大満足」
いやあ、もっと早くに読んでいればよかった。

マキャベリズムというと「目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化するといった意味で使われる。」と、ウィキペディアにある。
目的のためには手段を選ばないということを「権謀術数主義」と別の辞書では書かれている。

つまり、私が読んだものではマキャベリズムの人とは権謀術数に長け、人を欺いて目的を達する人をさしていたように思えるが、私の感情としては「どうしてそれがいけないのか?」と思っていたのである。

どうも、私は意識していなかったのだがマキャヴェリストなのかもしれない。

マキャヴェッリは「性悪説」から理論を組み立てている、というような声も聞くが、私はそう思わない。

人と人の付き合いは、いい人といい人であっても争いが生じる。しかもどちらも正義であったとしても争いは生じる。ましてや国と国では・・・

自分から見れば、自分は正義であって、他人は悪人、ということだ。
正義と悪とは、他者から見てのこと、つまり第3者が判断することなのだろうが、厳密にそして厳然として第3者というものは存在するのだろうか。

だから、マキャヴェッリは「公共の利益」を優先して行わなければならないのであれば、その手段は選ばなくてもよい、というのだ。
そして、私利私欲のため権謀術数を行えば必ず身の破滅を招くというのだ。

更に、権謀術数とは、その場で思いつくものではなく、そしてその場しのぎではなく、遠くにある目的を常に見据えて考え行うものである、ということだ。
私は、マキャヴェッリの語録をそう捉えたのである。

現実をよく見据えて、そして将来の公共の利益を定めて、行動することが、当時としては君主の努めであり、現在は小規模であれ大規模であれ指導者の努めなのである。

常にベストを求めるのではなく、将来のベストへ向けて、今はベターでもいい。ということだと思う。

もし人間に生涯の勝率のようなものがあれば、私のような凡人は勝率5割1分でいい。
とすれば、51%がベストになるように精一杯生きることにしよう、とこの本を読んで思ったのである。

そして、この本は今後私の座右の書となるであろう。

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金田一耕助シリーズ5作品一挙放映 wowow

2015-03-05 22:49:04 | 観た、聴いた
wowowで、金田一耕助シリーズを放映するという予告見て、どうしようか、と思っていたのであるが、月曜日に「犬神家の一族」を見てしまってから、とうとう5日間、なんだかやと思いながら見てしまった。

というものの「犬神家」は全部見たが、月曜日の「悪魔の手毬唄」は30分くらい経ってから見たし、火曜日の「獄門島」は1時間経過したのち、水曜日の「女王蜂」は1時間30分経過してからだった。

そして今日の「病院坂の首縊りの家」は最初から、覚悟を決めて、見る気満々で、見ている。

このシリーズ特徴は、豪華出演者、特に女優がすごいこと。そして、これまでの日本ではあまりなかった犯人役が主演級、というか、大女優であること。

シリーズも3作くらいになると、誰が犯人役を演じるのか?ということが、重要なことになっていった。

ネタバレ、というか、もうすでに多くの人が知っていることだから許されると思うのだが「犬神家」では高峰三枝子、「悪魔の」では岸恵子、「獄門島」では司葉子。
いやあ、犯人役がこんなに美しく撮られているなんて、というのは、当時の私の心底からの感想である。

そして、女王蜂では、高峰三枝子、岸恵子、司葉子とシリーズのヒロインが共演したのであるから、更にスゴイ、のであるが、私はあまりこの作品は好きではありません。

豪華出演陣、というのは、脇役に登場する、草笛光子、三木のり平、大滝秀治、白石加代子、加藤武など名優のことでもあり、私的には、坂口良子、萩尾みどりなども今見ると懐かしい。

さて、本日の「病院坂」がこのシリーズの中でも最も気に入っている、というか、気になる作品である。

その要因は桜田淳子が出演しているからである。
当時、私は、桜田淳子ファンであったので、ものすごく心配してみたものであった。というかドキドキしてみていた。

というのは、前作の「女王蜂」で、鳴り物入りでデビューした中井貴恵が、仕方ないといえ仕方ないのであるが、豪華女優陣に囲まれてまったく存在感を出せないでいたからである。更に、やっぱり演技が下手だった。

なので、物語のスジよりも、桜田淳子はどうか?という視点でこの「病院坂」を観ていたのであった。
その後も、この映画を見ると、どうしてもそっちのほうに行ってしまう。
佐久間良子があんなに奇麗なのに・・・

桜田淳子も、恵まれていたといえば恵まれていた。中井貴恵のようにものすごい女優たちに囲まれていたわけではないので。

というわけで、今回はその当時の興奮からは相当に冷静になってみたのであるが、やっぱり芝居はあまりうまくないね。だから、一人二役でエキセントリックなほうを演じていた時のほうがいいね。押さえた性格の女の子の場合は、チョットネ、だったかな。

まあ、それでも、なんといいますか、映画って、女優を綺麗に美しく表現しますね。
そんなことを、感じた5日間でした。

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泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部 酒見賢一 文春文庫

2015-03-02 23:00:19 | 読んだ
出だし
「今、三国志がヤバい。」
から始まる。
今、いろいろな三国志が本だけでなく漫画なども出ていて、数えきれないということなのだそうだ。

だから、三国志に登場する人物たちの設定も様々であることから、自分が敢えて孔明について書くことについて無力さを噛みしめている、のだそうだ。

第参部は、劉備が孔明を軍師として迎えたにもかかわらず、劉備の変な倫理感から荊州を乗っ取ろうとしなかったため、曹操軍団に攻められ「衆寡敵せず」で逃げたのであるが、劉備を慕う民衆まで引き連れて逃げたことから、散々な目に合って、ようやく江夏郡夏口まできところから始まる。

で、命からがら、やっとの思い、這う這うの体で(いかんいかん、酒井賢一、井上ひさしの本を読むとこういう重ねをしてしまう)逃げてきたのに、劉備軍団は3日3晩の宴会が続いている。
この宴会は
「最後の一人が觴(さかずき)を持ったままげろを吹きだしつつ気絶するまでは終わらない。なぜそこまでしなければならないのか、誰にも分からない。」
そうなのだ。

作者は、孔明を主人公に物語を書いている割には孔明をあまり好きではないのではないか、あるいは好きすぎて・好きすぎて・好きすぎて(今度はAKB希望的リフレインがでてきてしまった。)身びいきのあまり悪口を書いているように思える。

曰く
「・・・と卑劣な策を爽やかに提案した。」

「・・・と孔明は、楽しくて仕方がないというように笑いながら邪悪なことを述べるのであった。孔明というのはこういう奴なのである。」
 

「(曹操が龐統に孔明とはどういう男かと聞いた時の龐統の答え)変質者です。ただ自然と植物を愛好しており、悪い奴ではありません。」


第参部は「赤壁の戦い」がメインであるが、この赤壁の戦いを著者はこうまとめている。

「曹操と孫権とを無理矢理にでも戦わせ、どちらが勝っても上前をはねるという非道な策略である。もしこの策を曹操か孫権が行っていたとすれば、極悪非道、外道畜生呼ばわりが直ちに決定の、悪魔野郎の烙印を一発で押されることになったろう。しかし、劉備、孔明がやると仁義と正義の愛の奇策となり、皆はその智恵に拍手喝采せねばならなくなるのだ。『三国志』史上最大の決戦、ベスト歴史ロマンズ・ウォーといえる”赤壁の戦い”というのは、劉備、孔明から見れば結局この程度のものなのである。なんとなくみみっちい感じがしてならない。」

まったく同感である。

小学生の時に初めて三国志を読み、その後も「柴田錬三郎」とか「吉川英治」とか「陳舜臣」などを読んだのが「赤壁の戦い」とは、曹操と孫権の争いで、劉備も孔明も明確な功績なんかないのに、なぜ、こんなにもてはやされるのだろうか、疑問であった。

陳寿が書いた三国志では、劉備・孔明については何も書いておらず、裴松之が味付けをして、更に「三国志演義」が面白おかしく脚色し、更に更にのちの作家がいろいろと想像して付け加えた、らしい。(酒見賢一的解釈)

まあ、日本でいうならば「講談」と同じで、あることないこと面白おかしく『盛った』のであろう。
『盛った』ほうが絶対に面白いし。

そもそも、愛と仁義の人・劉備と天才軍師・孔明なのに、蜀をやっと建国できて終了なのである。この二人なら、中国どころか世界統一もできるはずなのに。

さて、孫権が曹操と戦うことをためらっていると、孔明が舌先三寸で、戦う方向に持っていく、のであるが、呉の錚々たる者たちが、いちいち言い含められるのである。
孫権、周瑜、魯粛、張昭など、絶対にそれなりに対した人物であるのに、なんだか結構バカに描かれる。
そのあたり、著者も大きく疑問を呈しているのだが、結局やっぱりその方向で描かなければならないのである。

近頃の三国志では、周瑜や曹操がイイヤツになっていたりするのであるが、その場合いやな奴には孔明がならなければならないはずだが、孔明を悪党には描けない。だからやっぱり、面白くするには劉備と孔明がいい奴にならなければならない。
孔明の悪口を書きながらも、著者だって孔明を悪党にはかけないので、物語は、やっぱりそっちの方面で進むのだ。

といいつつ、やっぱりかわいそうなのは周瑜と魯粛である。なぜ、あんなに、孔明に虚仮(こけ)にされなければならないのか。

ということなのからか、この物語では、呉の人々は「広島弁」を使って会話する。
つまりは「仁義なき戦い」の場面を想像してもらえばよい。

この背景には、呉という国が「孫権」を王として主従の関係で成り立っているのではなく、諸豪族の連合体であって、いわば孫権は神輿として担がれているわけで、何かを決定するためにいちいち豪族たちの会議で決めなければならないという状況がある。
その状況を「広島弁」を使うことによってうまく描き出している。とはいえ、仁義なき戦いを知らない人には、その状況や面白味があまり伝わらないと思うのだが。

というわけで、赤壁の戦いは、劉備・孔明の思う通り、つまり、曹操も孫権も一時的に引っこまざるを得ない状況にした。

こうしておいて、これから、劉備と孔明は、関羽、張飛、趙雲を率いて、蜀漢の建国に向かうのである。

それを、酒見賢一がどう描くのか、非常に楽しみである。
すでに第4部の単行本が出ているので読もうと思えば読めるのだが、文庫本がでるまで待とう。


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マンガでやさしくわかるコトラー 著:安部徹也 マンガ原作:松尾陽子 作画:ミイダチエ

2015-03-01 21:32:55 | 読んだ
3月1日だというのに1日中「雨」である。
この時期に雨はおかしい。

まあ、暖かくていいのだけれど・・・

さてコトラーである。
表紙には
「マーケティングの第一人者
 コトラーの
 マーケティング理論が2時間でわかる」
とある。

コトラーを直接読んだことはないが、マーケティングについては学んだことがあり、興味を持った部門である。
私の場合、マーケティングを直接基本とする仕事ではないのだが、マーケティングの考え方は、何も仕事だけに適用するものではなく、日常生活にだって十分応用できるものだ。

というわけで、マーケティングをまた一から読むのは億劫だったので、アマゾンからのメールで「お薦め」があったのをきっかけに読むことにしたのである。

表紙にあるように、よくわかる内容になっている。
全部がマンガではなくて、マンガとマンガの合間に解説がついている。
この解説は若干難しい。
まあ、そもそもそんなに簡単にマーケティングを理解できたら、こんな本の価値もないわけで・・・

それはそうであるけれど、マーケティングを全体的な形としてとらえるのには、非常に有効だと思う。
真面目に、マーケティングの教科書みたいなもを読むと、途中でイヤになってくる。
それが、このマンガを読めば(途中の解説も飛ばしていいと思う)全体的な形が見えてくる。

何かを学ぼうとするときに重要なのは、全体的な形をつかみ、今はこのあたりを学んでいるということが分かることだと思う。

まあ、そのために、学校時代は『予習』なんて言われたのだろうが、そんなことにその時期に気づいていたら、こんな風にはなっていないわけで・・・

何かに気づく、ということは、まあ大体手遅れであるわけで・・・

というわけで、これを読んで、なるほど、子のことはこういう説明をしたらよく理解できるのだなあ、ということがわかり、もう一度マーケティングの本をひっくり返してみようかと思ったのである。

まあどちらかといえば、この本を読んだ感想は

① 若いころちゃんと勉強していればよかったなあ(後悔)
② 気づく、というのは、遅れるものだが、それでも気づいたみるもんだ

という、直接マーケティングに関するものではなかったりするのであった。


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