読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

嗚呼 最終回 秋のテレビ

2007-09-30 20:21:32 | 観た、聴いた
テレビの番組改編期で、見慣れた番組が最終回を迎えている。

毎朝、出勤前に見るNHKBSの「さくら」は2002年の朝の連続ドラマの再放送である。年月を経て見るのもなんだか感慨深く、毎朝、楽しみにしてみていた。10月からは1986年に放送された「都の風」だそうで、どんなんだったのか皆目見当つかないが、それはそれで楽しみである。

同じくNHKの朝の連続ドラマ「どんど晴れ」は最初はつまらなかったが、徐々に面白くなり、主に土曜日に放送される総集編を見ていたがこれも終了。今度は貫地谷しおりが主演する「ちりとてちん」だそうで、スウィングガールズにでて風林火山にもでて、おなじみの女優さんだが、今度はどうなるのか楽しみである。

以上の二つは「次」の楽しみがあるのだが・・・

火曜日23時、NHK、「サラリーマンNEO」のSeason2も終了した。
この番組は我が豚児2人と一緒に見ていて、数少ない親子共通の番組だったのだ。
NHKらしくない番組で、シュールというか非条理というか、なんだかよくわからない笑いがとっても好きだった。
Season3を期待して待つことにしよう。
それにしてもこれから火曜日の23時はどう過ごしたらいいんだろうか?

そして金曜日22時、WOWOWで放送されていた「ROME」
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)とそのあとを継いだオクタヴィアヌス(アウグストゥス)の時代の物語を、歴史上の人物と、ローマ軍の兵士二人ヴォレヌスとプッロを加えた物語で、R15指定になったりする部分もあったが、ローマ時代の一つの形を見せてもらった。

あまりテレビを見ない私であるが、楽しみにしていた番組がなくなるとなんだかちょいと淋しくなるのである。

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桑田真澄ピッチャーズバイブル 石田雄太 集英社文庫

2007-09-29 22:31:51 | 読んだ
この本は1998年に刊行されたものに加筆し再編集をしたものである。

桑田真澄というピッチャーは、PL学園時代からジャイアンツに入ってしばらくの間は嫌いだった。
江川はあまり嫌いではなかったので、彼の入団時の事件やその後の事件が嫌いになる原因ではなく、ただなんとなく嫌いだったのである。
たぶん、あまりにも大人びていたところに「可愛げ」がなかったからではないかと思う。
そして、世間もだいたいそんなところではなかったかと思う。

ところが、ここ数年は気になるピッチャーとなった。
今年、大リーグに行くくらいなら、楽天で投手コーチ兼任でプレイしてもらえないかなあと思ったくらいである。

それだけ、彼の野球に対する姿勢がすばらしいものであるか、ということが分かってきたのである。

というようなわけで、文庫化されたこの本を読んだのである。

そしてあらためて桑田真澄の野球に対する姿勢が真摯ですばらしいものだということが分かったのである。
さらにやっぱり「可愛げ」のないやつだということも確認できたのである。

野球に取組む姿勢が真摯でまっすぐであればあるほど、他の事柄や人に対する関心が薄れ、可愛げのないことになってしまうんだろう。

桑田はまっすぐ尖鋭的に野球に取組み一流になったが、野球以外のことにも取組んで幅広くいきて一流になった人もいる。なぜ、桑田は野球一筋にならねばならなかったかというと、野球選手としては小さな身体と家庭(特に父との関係)であることが、この本を読むと分かる。

同じ技量を持つ者が戦い勝つには、日ごろから勝つことにどれだけ執着しているかというではないかと、私は思っていたのだが、この本を読んでそれが正解であることが分かった。

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菜 SAI I~ふたたび~ わたせせいぞう 週間モーニング

2007-09-28 21:35:21 | 読んだ
週間モーニング43号から、隔週連載となった。
10年ぶりの復活だそうである。

「わたせせいぞう」は『ハートカクテル』などで有名になった漫画家で、独特のやわらかいタッチの画風である。
お話も「ほわっ」とした感じである。

さて再開の第1話は「とっておきのピンク」である。
主人公の富田菜は和服である。夫・富田耕平は星北大学助教授である。
そこに娘・かりん(3歳)が登場。
青い服に青いリボンである。
耕平はピンクの服を着てもらいたいようである。

かりんには力(りき)という双子の兄がいた。彼は2年前に先天的心臓疾患で亡くなった。二人がおそろいの青のTシャツをきて撮った写真がある。

だからかりんは青い服がすきなのである。

そして菜はピンクの好きな耕平のために・・・

ほんわかとしていい漫画だなあ。
こんな現実があるわけがないと思うのは、もうロマンチックな気持ちを忘れてしまったんでしょうか。ワタシ。

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及川浩治トリオ”Bee”コンサート

2007-09-26 22:39:29 | 観た、聴いた
今夜は地元で行われた「及川浩治トリオ『Bee』コンサート」を聴きに行ってきたのである。

ピアノ及川浩治、バイオリン石田泰尚、チェロ石川祐支のトリオである。
ジャンルはクラシックである。

及川浩治は地元出身のピアニストで「ショパンの旅」というコンサートツアーを行った。彼のショパンは一回聞いておきたい。

その及川浩治が地元に帰ってきてのコンサートである。
ピアノ、バイオリン、チェロのトリオで、クラシックながらパンチ力のある若々しい演奏であった。

そんな彼らがモーツァルトのピアノ三重奏曲K.496を奏でたときには、なんだか似合わないような感じがする可愛さであった。

第1部ではピアソラの「リベルタンゴ」やハチャトゥリアンの「剣の舞」なども演奏し、第2部では「タイスの瞑想曲」や「愛の喜び」「熊蜂の飛行」などといういわゆるポピュラーな曲も交え、14曲にアンコール2曲、十分に音楽を堪能したのであった。

そしてこのコンサートは「けんみん1000円コンサート」ということから、なんと1000円で鑑賞できたのである。

この安さと、老人が多いことからか演奏中のくしゃみ、せき、おしゃべりが多く、そういう面では残念であった。

とはいいながら、やっぱりホンモノはいいなあと、あらためて感じたのであった。

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天が泣く 新・御宿かわせみ 平岩弓枝 オール読物

2007-09-25 21:17:00 | 読んだ
オール読物の8・9・10月号と3ヶ月にわたって「天が泣く」(前・中・後)と掲載された。

この「天が泣く」によって維新の折の麻生家の不幸(麻生源右衛門、七重、小太郎が殺害された)の謎とその事件を調べていた畝源三郎の殺害の謎が明かされた。

麻生宗太郎、花世の父娘と畝源太郎にとっては、絶対に明かさなければならない謎であり、神林麻太郎にとっても「かわせみ」の人たちにとっても、そして何より我々読者にとっても早く知りたい謎であった。

謎解きの発端は、花世が昔なじみの小林喜久江と再会したところから始まる。
麻太郎、源太郎のコンビは花世の話から謎の解明をはかる。

小林家は複雑な家庭であったこと。
性質(たち)の悪い者達が出入りしていたこと。

そして、小林喜久江のあとをつけていった「牧場」にめぼしをつける。
花世は小林喜久江とともに行方が分からない。
とうとう、謎の決着をつけるため麻太郎と源太郎は「かわせみ」を出発する。必死の覚悟である。
途中、畝源三郎とともに動いていた元岡っ引きの長助が加わる。

そして・・・
事件は6年ぶりに解決する。
そのあとの物語を皆で語り合いしみじみとしていると、空は晴れているのに雨が降ってくる。

るいがいう。
「晴れ渡った空から降る雨は、天が泣いているのだとか・・・」

新・御宿かわせみが抱えている謎の一つが解けた。もう一つは神林東吾が本当に亡くなったのか、ということ。
まあ一つの謎が解けて、若い登場人物たちはもっと活発に動くのだろう。
それにしても花世のお転婆ぶりには感心する。麻太郎より魅力のある設定である。

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職業としてのプロ野球解説者 江本孟紀 サンガ新書

2007-09-24 21:50:32 | 読んだ
江本孟紀といえば「ベンチがアホやから」事件である。

あの事件の真相のようなものを知りたくて、当時「プロ野球を10倍楽しく見る方法」など4冊を読んだ。
そこで思ったのは『江本という人は独特の考え方をする人だなあ』ということである。
そのあたりを知っていれば別にやめる必要のない発言だったと思うのだが、その独特の考え方を日ごろから嫌っていた人たちがいた、ということがやめる原因となったんだろう。

まあともあれ「ベンチがアホやから」というのは、野球選手に限らずどこかの組織に属している人ならば思っていることで、このことを取り上げて騒ぐということのほうが大人気ないのだが・・・それでやめるというのも大人気ないというか・・・それが江本独特の考え方なんだと思う。

というわけで、江本という人は私にとって気にかかかる人である。それが今度新しい本を出したということで、早速購入し読んだのである。

プロ野球の解説者が語ることのうち「なるほどなあ」と思うことはごくマレである。かえって野球を難しくしているのではないかと思うことさえある。
もっとも、近頃は楽天戦しかテレビもラジオもインターネットも観戦しないのであまり気にしないでいるのだが・・・

プロ野球を見ていて何が知りたいか?
難しいのである。
ルールのこともあれば、作戦のこともある。投手の配球もある。あるいは守備のフォーメーションもある。またその選手のこれまでの成績や努力のあとなど・・・

それらのことを解説者やアナウンサーがつきつめているか?
というとそれも疑問である。

概して、自ら工夫をして野球をやってきた人たちの解説は面白い。特に投手出身者で「エイ、ヤッ!」で投げていた人ではない人。これは場面場面の状況、投手の心理など的確に表現していると思う。(今私はNHKで解説している武田一浩がお気に入りである)

それから引退して年数を経ると、勉強しているかどうかがよくわかる。
たぶん、野球も年々変化しているのだと思う。その変化がわからず自分の経験だけで語るのはいかがなものか、と思うのである。

というようなことを頭に読むと、この本はうなずけるところが多い。実名を挙げて批判しているところなどは、ここまでやっていいの?と、こちらが心配してしまうほどである。

ともかく、野球でもサッカーでもスポーツや、芸術は、実はその場に行ってみることがいちばんなのである。
それをテレビとかラジオで見なければならない人のためにはどのように伝えるか。ということをもっと考えてもらいたい。

そういう意味ではこの本は、プロ野球がなんだか廃れていっているような状況にあって(本当は巨人一辺倒の人が減少しただけなのだと思うのだが)いい警告の書となってくれればいいと思う。

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楽天イーグルスVS西武ライオンズ 観戦 フルキャストスタジアム宮城

2007-09-23 21:34:45 | イーグルス
今年4度目の野球観戦である。
平日のナイターには行けそうもないので、休日のデーゲームばかりである。

天候は曇り、暑くもなく寒くもなく、野球観戦日和であった。

楽天の先発・林が3回を終わって完全、6三振を奪うすごい立ち上がりで、しかも1-0といういいスタートであった。
しかしこのイニングを抑えれば勝投手の権利を得る5回に2点を失い1-2、6回にも1点を失い1-3、7回には代わった永井も1点を失って1-4となってしまった。

ああ、今日もこれまでか。
と気分が下向きになったのだが・・・
7回のウラ、連続ヒットと一生懸命の走塁で、なんと同点に追いつく。
このあたりから、球場の応援のボルテージは上がり、声援がなんとか選手の力になれば、という応援。
西武の選手がかわいそうになるくらいの大応援であった。

結局、8回ウラに1点を追加し、勝ち越し。9回は守護神・小山がなんとか0点に抑えて勝ち、バンザイである。

今日はすごく見ごたえのある試合で、何かの物語のように、序盤は幸福な生活、中盤で不幸のどん底に落ち、終盤でかろうじて敵を倒す。というハラハラドキドキとハッピーエンドという試合であった。

大量得点を獲って楽勝する試合も応援す側としては楽しいのだが、こういう試合は「たまらない」のである。
おかげで家に帰ってきても上機嫌なのである。

明日はソフトボールの試合「市長杯」である。
この勢いでなんとか1勝したい。

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草を刈る娘 石坂洋次郎 現代日本の文学Ⅱ-6 学研

2007-09-22 22:32:31 | 読んだ
なんだか「なごむ」ようなあるいは「落ち着いた」更には「ほのぼの」したものが読みたくなったのである。

それで本棚を眺めていると「現代日本の文学」という全集から「石坂洋次郎」という名前を見つけた。

小学校6年生のとき、テレビドラマで「青い山脈」を見て文庫本を買って読んで以来、石坂洋次郎は大人の小説の入門書となった。
中学・高校時代はよく読んだのだが、その後はあまり読まなくなった。

で、ちょいと読んでみようかと思ったのである。
しかも眠る前に・・・ということで短編の「草を刈る娘」を選んだ。

物語は青森県の(というより津軽のといったほうがいいのか)岩木山裾野が舞台である。
時代は終戦直後。
岩木山の裾野の秋になると近隣の百姓(という表現である。百姓という表現に欲分からない規制がかかったのはいつからだろう)たちは1年分の馬草を10日から2週間くらい刈りに来る。
その百姓たちのグループはそれぞれ仮小屋を建てて滞在するのである。

そのグループの一つに18歳のモヨ子がいる。
そしてモヨ子は他のグループの時造と見合いのようなことをさせられる。

モヨ子は時造に自分の理想を語る。
「(前略)おら、亭主に従ってうんと働くだ。子供もジッパリ生むだ。そして年寄りになったならな、おら炉端さ坐って煙草のむだ。女子持ちの細い金の煙管でな。それがら金の小っちゃな杯でドブロクものむだよ。なあんと結構な身分でねえが。お前、どう思うがや・・・」

あるいはこんなこともいう。
「お前、産児制限だべ。おら、反対だや。おら、腹の中の子供みんな生み上げてしもうて、カラカラと枯びた、気持ちのいい年寄りになりてえだよ。女子の気持ちって、そういうものだや。(後略)」

時造は「農家の多角経営」を理想に語る。

またモヨ子はこんなことも考える。
『世間の大人たちは、夫や妻や、たくさんの子供や孫や、自分が中心で動いている。のっ引きならないその日その日の暮らしなど、目に見えない、幾筋もの丈夫な糸で、この世に強く結びつけられているのだ。どんな魔物もそういう人々をさらっていくことが出来ない。
 それに較べて、まだ大人になりきれない生娘など、はかなくたよりない存在はないのだ。未来に対する淡い希望のほかには、何一つ、彼女を大地に結びつけておく絆がないのだ。』


モヨ子は時造と結婚を決意する。
そして
「――おばあ、一つだけ教せれ。おら、このごろ、夜中に目が覚めると、胸がつまってな、ひとりで泣きたくなったりするだが、なんのためだべや?」
「そらあな、お前の身体が、そろそろ子供を生みたくって来ているからだや」
「おお・・・おお・・・」


なんというかすごく単純明快で人の生き方やあり方を示している、と思ったのである。
当時と比較して今は、ものの考え方も複雑化し理論化している、あるいは生活環境も向上し便利になり富んでいるといえる。
そういう形を手に入れて、失ったものが、この小説で描かれているような気がするのである。

この小説を今発表したならば女性蔑視という声が大きくあがりそうである。
しかし、男性や女性を意識したことによって、生物としての日本人は滅びる傾向になったのではないか。

人として社会としての「幸福」というのはどういうものなのだろうか、改めて考えさせられたのであった。

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駆けこみ交番 乃南アサ 新潮文庫

2007-09-19 22:24:21 | 読んだ
小説新潮で掲載された4つの連作である。

主人公は、アノ「高木聖大」巡査である。デビューは「ボクの町」(新潮文庫)である。

乃南アサの小説は、この高木聖大のシリーズと、あの女刑事・音道貴子シリーズが中心の私である。いずれも警察小説というところがおもしろい。

さて、今回の高木巡査は、等々力警察署の不動前交番に勤務し、殺人事件などにはかかわらないものの、人の哀しさや寂しさあるいはやさしさ醜さや美しさが絡んだ事件のような事件でないようなものに遭遇し、いやいやながらもいざとなれば真面目にそして真剣にまっすぐ取組んでいる。

この、いかにもちゃらんぽらんな物事を深く考えない青年が、社会というか人に対してまっすぐにぶつかっていくところに好感を持ってしまう。

好感を持ってしまうのは、我々読者でだけではなく、不動前交番を訪れる神谷文恵さんという70を越えた品のよい女性とその仲間の「とどろきセブン」の人たちもである。

聖大は、この「とどろきセブン」の力を借りたり、後押しをされたりして、事件に向かっていく。そして徐々に警官らしくなり、なんといっても大人になっていく、それもいい大人になっていくのである。

嫌だなあ、と思っても、人と触れ合うときには素直になっているところが聖大のよいところであり、いい大人になっていけるゆえんである。

連作であるので、前編を通じたナゾみたいになっているものも最終話で一応解決をしている。

さて、解説にもあったように高木聖大は、小説新潮で連作された「いつか陽のあたる場所で」という前科を持つ女二人が主人公の小説にも登場した。
その後、何の音沙汰もないのだが、今度はこの二人との絡みあるのか期待大であり、どのように成長していくのか見守りたいのである。ぜひ、続きを早々に開始してもらいたいなどと思っている。
プラスして、音道貴子ともすれ違ってみてほしい。

などと、読者側の妄想は尽きないのである。

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仕掛人 藤枝梅安-梅安止め針- さいとうたかお 原作:池波正太郎 SPコミックス

2007-09-18 23:41:08 | 読んだ
池波正太郎のものでも、この仕掛人・藤枝梅安シリーズは2巻か3巻程度で読むのをやめている。
理由は読後感が「暗く重い」からである。

どんな理由があるにせよ、人を殺す、という物語には「痛快感」はあまり大きくない。
殺される側の極悪非道ぶりが、映像や絵で表され、殺しを頼む人の無念さに同調しないと、なかなか、なのである。

梅安はじめ仕掛人は「仕事」「生業(なりわい)」として人を殺しているわけで、直接的な動機というのはないのでなおさらなのである。

それを活字だけで追うのは「つらい」のであまり読んでいないのである。
しかし、このように絵になるとなんだか面白そうなのである。

5話掲載されている。
仕掛41~45とあるから、この漫画もずいぶんと続いているらしい。

この冬は梅安シリーズを読んでみようか。
どうも、池波正太郎を読むのには「こたつ」というのがあっていると思い込んで私なのである。

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残暑 ハイビスカス 新陳代謝

2007-09-17 22:56:58 | 日々雑感
お盆を過ぎた頃から猛暑から離れたのだが、彼岸も近いというのに、残暑である。

昨日から早朝ソフトボールの秋期リーグ戦が始まったのだが、だいたい秋期リーグといえばアンダーシャツはハイネックの長袖で、ややもすればグランドコートの類が必要なのだが、昨日はただいるだけで汗が噴き出てアンダーシャツがわりのTシャツばベタベタビショショであった。

試合が終わってシャワーを浴びてスッキリ、しかし、その後先日の台風で汚れた窓の掃除をしてまた汗だらけ、昼寝をしても汗だらけ、ドライブしても汗が出て、いやいやこういう年もこれまで経験しなかったなあ、と思ったのである。

さて、そういう暑さの中で我が家の「ハイビスカス」はまだ咲いている。
まだ咲いているのだが、我が家のハイビスカスの後方には「松」があって、この光景「なんだかなあ」と思ったりしているのである。



この暑さで一つだけ我が身体に「イイコトがある」ような気がしている。
それは汗が出ることによって『新陳代謝』が行われているような気分であること。

近年は冷房で身体が冷えて、滅多に汗をかくことがなかったが、今年は十分汗をかいている。(あまりの寝苦しさと、身の置き場がないくらいなので、我が部屋にもエアコンを入れようかと思ったくらいである)

新陳代謝はイイコトだと思う。
そういえば、自民党も総裁選挙だそうで、あれも一種の新陳代謝なのかと思っているのだが・・・

まあ民主党も自民党もあまり急いで新陳代謝を図ったため、その揺り返しがきているようなのだが、日本には「急激」な新陳代謝はまだ身体に合わないのではないだろうか。

周りを見渡してもそうなのだが、50代以上の人たちが多すぎて、更にこれまでの日本社会に大きな影響を与えてきた団塊の世代が、年をとって保守に回り始めてきたのではないだろうか。
したがって、急激な新陳代謝、つまり自分たちより若い世代の台頭を阻もうとしているのではないかと思うのである。

もっとも、阻もうとしているのは「旧習」や「慣例」という古いものなのだが、古いものをもって新しいものを拒むというのはいかがなものか、とも思うのである。

本日地域の敬老会に出席して思ったのは、年寄りが元気なのはいいが元気すぎるのもいかがか?ということ。

今の日本はハイビスカスの後に松があるような、以前では考えられないような状況である。そんななかいかに新陳代謝を図っていくのか、大きな課題のような気がする。

そして私はそんな面倒くさい世の中から早く韜晦できまいか、ということをいつも考えているのである。考えているのだが世の中「しがらみ」というのもまた大きいのである。

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三丁目の夕日 西岸良平 小学館

2007-09-15 21:48:06 | 読んだ
映画第2弾「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の原作となった漫画である。
コンビニで380円で売っていた。
たぶん、ここに収められている12話の短編を基に映画が作られているんだろうと思う

第1作も漫画を見てから映画を見に行って、涙をぼろぼろ流してしまった。
普段はあまりこのてのものは読まないのになあ。
漫画で見ると「ほのぼの」していていい雰囲気だなあ、というくらいしか感じないのだが、どうしてだか映画で実写版としてみるとなんだか「スゴイ」というワクワク感にあわせて登場人物たちに「感情移入」してしまう。

こんかいも漫画で見るぶんには「フムフム」と読んだのだが、さて11月3日から公開の映画を見るとどうなるんだろうか。

漫画の映画化といえばこの「三丁目の夕日」よりも「自虐の詩」(作:業田良家)が気になっている。10月からの公開らしいのだ。

というわけで10月は自虐の詩、11月は三丁目の夕日でも見るか。

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お犬騒ぎ-お鳥見女房- 諸田玲子 小説新潮9月号

2007-09-13 23:09:34 | 読んだ
お鳥見女房の最新である。

お鳥見女房=珠世の長男:久太郎のもとに嫁いできた鷹姫こと恵以のお話である。

恵以は、嫁いできたがなかなかお鳥見役の御家人の生活環境になかなかなじめないでいた。旗本の娘であったこと、鷹姫と呼ばれるような暮らし、つまり鷹匠の娘として鷹と暮らしてきたといってもいいような環境から、嫁として炊事などの家事をこなし、御家人同士の付き合いをしなければならない。

そういうときにお鳥見役の子供たちと遊んでいるときに、お鳥見役とのかかわりの深い、それだけにイロイロとある御鷹御犬索の役目の子供たちと揉め、犬を保護する。

御犬索の子供たちは犬を使ってお鳥見役の子供たちをいじめる。
そして事件が・・・

というのがあらすじ。
そして、この事件の解決が、いわゆる「人情もの」という、なんというかほわっとしてさわやかなんだなあ。

お鳥見女房を読みたいという気持ちは、この事件の解決の方法が乱暴ではなく、事件にかかわる人たちが一応の満足(譲るところは譲るという気持ちをみんな持っている)をする方法で解決するところにある。

完全な勝利でなくて、いわゆる「三方一両損」というような解決方法が日本にはあって、それが日本の文化になっていた、そいういう物語がいいなあというのは、やっぱり今の日本がなんだか「異常」に感じられるせいだろうか。

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青春のうた 第42巻 1960年代後期⑧ DeAGOSTINI

2007-09-11 23:00:08 | 読んだ
1960年代は若干苦手の私です。

1.雨のバラード/スウィング・ウェスト 1968年5月

スウィング・ウェストの歌、というより湯原昌幸の歌といったほうがピッタリくる。
湯原昌幸が歌ってヒットしたのは1971年ということである。

だからGS系というよりは歌謡曲というのカンジで聞いていたと思う。

すごくいい曲という感覚ではないが、なんだか忘れられないというか気になる曲である。
スウィング・ウェスト版は、湯原昌幸の声が若く「軽い」感じで、それはそれでいい。


2.野バラ咲く路/市川染五郎 1967年3月

このときの市川染五郎は今の松本幸四郎である。
現・市川染五郎や松たか子の父、中村吉右衛門の兄である。

歌舞伎役者でミュージカルにも出て、作詞作曲をして歌ってヒットするという、なんだかすごい人だなあと思ったのであった。(当時11歳であった)

出だしの
♪ 野バラ咲いている ♪

の部分が早口のようで、当時としては新鮮であった。

よく遊びに行っていた家にこのレコードがありよく聞いていた思い出がある。

今聞くと、わりと粘っこく歌っていて「アレ?」なんて思ったりしたのである。

3.からっぽの世界/ジャックス 1968年10月

一度聴いてみたかった曲であるが、とうとうこの年になってはじめて聞いた。
「早川義夫」ってすごい人なんだという噂は、彼が音楽活動をやめて、そのあと「サルビアの花」という歌が流行した頃、田舎のほうにも流れてきたのだが、どんな風にすごいのかよくわからなかった。

で、今回聞いた感想であるが、たぶん、若いときに聞いていても惹かれはしなかっただろう、である。
これは、詞・曲ともに前衛すぎて「いい」とは思えないのである。


4.禁じられた恋/森山良子 1969年3月

森山良子というと「優等生」というイメージが強くて、どちらかといえば苦手である。

この歌は、どちらかというとドロドロした詞であるが、それをきれいな声で歌われると、本当は禁じられているのではないのでないか?とか、ゆるい「禁じられる」ではないか、なんて思ったりするのである。

こんなことを考えるのも、単純に森山良子が「苦手」であるからに違いない。

5.いつまでもいつまでも/ザ・サベージ 1966年7月

この歌はよく歌った。
さわやかでいいですよね。

さわやかというのはどちらかといえば表面的で、表面的ゆえにいいなあと思えるものがあったりするのだね。

今思えば
♪ そよ風が僕にくれた 可愛いこの恋 ♪
というのはなんだか恥ずかしいねえ。

6.さすらい人の子守唄/はしだのりひことシューベルツ 1969年6月

「風」の次の歌だということに、驚いている。
もっと古い、シュベールツではないと思っていた。

解説を読むと、風とこの歌の連続ヒットでシューベルツは『ポップかつ洗練されたサウンドを確立した』となっている。
どうも私の勘違いだったらしい。

シューベルツの中で最もかっこよかったベースの井上博が急死してシューベルツは解散したが、はしだのりひこもこれからというときに残念だろうなあ、と当時思った。

洗練されたサウンド、というのはよくわかるが、はしだの粘っこい歌い方というのも、どことなくひきつけられるところがあったが、今聞くとそうでもなかったりする。

どうしてなんだろう?
やっぱり「歳月」というものなんだろうか。

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隕石誘拐<宮沢賢治の迷宮> 鯨統一郎 光文社文庫

2007-09-09 21:46:30 | 読んだ
本書は、鯨統一郎のデビュー作である「邪馬台国はどこですか?」に続く第2作だということで、解説を読むと、相当『力』を入れて書かれた作品だそうである。

ここ数年、鯨統一郎はマイブームであって、何か読むものに困ったら鯨統一郎を探すことにしている。
ということで、ずいぶん読んできたと思っていたのだが、光文社文庫系が未踏破だったりしている。

本書は光文社文庫の第1弾である。
今後は光文社文庫の棚にもよく目を凝らすことにしよう。
とはいえ、わが町の本屋さんでは光文社文庫が充実しているとはあまりいいがたい状況なのである。

さて、この「隕石誘拐」であるが、サブタイトルにもあるように『宮沢賢治』が事件の<核>となっている。

申し訳ないのだが私は隣の県に住みながら『宮沢賢治』と『石川啄木」はあまり興味がない。
どちらも「暗い」というイメージと「わがまま」という印象があるからである。

ゆえに、この小説を読んでも宮沢賢治のことがよくわからないので面白くないのではないか?といわば懐疑的であった。

しかし、それは杞憂だった。
なかなかに面白い。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にダイヤモンド隠し場所が示されている。
というのが物語の核であり。

そのことによって「誘拐」事件が起きるのだが・・・

鯨統一郎のいわば「軽いタッチ」のものを中心に読んできた私には、ちょっと意外な「重い」というか「残酷」(肉体的ではなく心情的に)とも思える場面があり、戸惑ったのであるが、後半は一気に読んでしまった。

また困ったときには鯨統一郎を読もうと思ったのである。

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