今月の小説新潮は、遠藤周作の特集である。
といっても、遠藤周作の小説が発表されているわけではなく、未発表の書簡やエッセイと対談や関係者のお話などである。
遠藤周作の「狐狸庵閑話」が遠藤周作作品との付き合いのはじめだった。
高校1年生だった。
そして遠藤周作の狐狸庵シリーズによって私の文庫本人生が始まったといえる。
面白いなあ、すごいなあ、と感心して読んでいた。
一度などは隣町から読みながら歩いて帰ってきたことがあった。
狐狸庵先生のようになりたい!
と心のそこから願ったのであった。
人生や人をまじめに見る、からこそ、そこにおかしさを発見したり、あまりにもカッコつけている人を見ると茶化したくなる、或いはそういう人を見るとこちらが恥ずかしくなる。
そんな狐狸庵先生がすきだったし憧れだった。
狐狸庵シリーズを読んで、遠藤周作の本来の「文学」を読んだ。
こちらは狐狸庵シリーズほど面白いわけではないが、人の悲しさ・哀しさが高いところからの目線ではなく描かれていて感動をした。
遠藤周作とお付き合いのあった人はこのギャップが面白く楽しく不思議だったんだろうと思う。
一度お会いしたかった人、である。
といっても、遠藤周作の小説が発表されているわけではなく、未発表の書簡やエッセイと対談や関係者のお話などである。
遠藤周作の「狐狸庵閑話」が遠藤周作作品との付き合いのはじめだった。
高校1年生だった。
そして遠藤周作の狐狸庵シリーズによって私の文庫本人生が始まったといえる。
面白いなあ、すごいなあ、と感心して読んでいた。
一度などは隣町から読みながら歩いて帰ってきたことがあった。
狐狸庵先生のようになりたい!
と心のそこから願ったのであった。
人生や人をまじめに見る、からこそ、そこにおかしさを発見したり、あまりにもカッコつけている人を見ると茶化したくなる、或いはそういう人を見るとこちらが恥ずかしくなる。
そんな狐狸庵先生がすきだったし憧れだった。
狐狸庵シリーズを読んで、遠藤周作の本来の「文学」を読んだ。
こちらは狐狸庵シリーズほど面白いわけではないが、人の悲しさ・哀しさが高いところからの目線ではなく描かれていて感動をした。
遠藤周作とお付き合いのあった人はこのギャップが面白く楽しく不思議だったんだろうと思う。
一度お会いしたかった人、である。