読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

X橋の虹 熊谷達也 小説新潮連載

2008-07-30 20:55:04 | 読んだ
小説新潮に連載されている小説で8月号で最終回を迎えた。

熊谷達也の長編小説は初めてである。
以前に読んだのは終戦直後の女たち主人公で舞台は仙台の連作だった。

今回の物語も「仙台」が舞台である。題名となっている「X橋」は仙台駅のすぐ近くにあるというかあったというか・・・
この橋は川にかかっているものではない。
東北本線の跨線橋であり、現在はXの形とはなっていない。(詳しく知りたい人ははウィキペディア等でお調べください)

兎も角「X橋」といえば仙台に住む人たちには『ああ、あそこね』とすぐに思い浮かべることができる場所である。そして若干「いかがわしい」或いは「淫靡」なにおいのする言葉でもあった。(今はそういうことはない)

物語は、昭和20年7月10日の仙台大空襲から始まる。
主人公の「裕輔」は空襲で最愛の母と妹を失い、天涯孤独の身の上となる。
母と妹を火葬するために行った火葬場で働いているうちに終戦となり、今度は靴磨きとなる。
そこで、彰太と出会う。そして次には「Louisiana」というバーのマスター徳さんと出会い、徐々に心と生活の落ち着きを取り戻すようになる。

彰太はいわゆる「ヤクザ」の道を歩み始めるが、裕輔は火葬場で出会った女子高校生『淑子』と再会し、淑子をパンパンの道から抜け出させ結婚をすることとし、二人で屋台の店を出すことにし、いよいよ明日は明るくなってきた。

というところが6月号くらいか。
しかし、7月号あたりから物語りは急転し、最終回ではいわゆるハッピーエンドではない終わり方をしている。

戦後のある青春を描いた小説であるが、ところどころに「希望」とか「ほのぼの」が感じられるが、全体を貫いているのは「凄惨」な人生である。

「生きる」ということはどういうことなのか、筆者の問いかけが聞こえてくるような小説である。
身体的な「生きる」ということを何とか確保して、次には少し心の安らぎを得ようとする「生きる」を目指す。
心の安らぎを得るためには一時の苦しさを耐える。

しかし、人が目指す「生きる」ことへの欲望は限りがない。
限りない欲望と現実をどう折り合っていくのか。

この小説では、最後の最後で折り合いがつかなかった。
我慢に我慢を重ねてきたのに・・・
それもまた人生なのか、と思うのである。

全ての人がハッピーエンドで人生を終えているのではないことを、我々はもう少し肝に銘じておかなければならないのではないだろうか。

この物語は連載されていたから読んだが、本として一冊となった場合手に取っていたかというと、はなはだ疑問である。
それは「好み」というのものなのだが、それゆえに連載小説としてであったことに感謝である。
「好み」以外のものが読めるということは、なんだか得をした気分である。

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パーネ・アモーレ<イタリア語通訳奮闘記> 田丸久美子 文春文庫

2008-07-29 21:16:41 | 読んだ
このパーネ・アモーレは著書の言うところの
「処女出版。この歳で捧げる処女があったのは大発見。」
なのである。
最初に読んだ「シモネッタのデカメロン」よりは、シモネタが少ないものの、これだけあっけらかんとしてシモネタを著されると、こちらも「シモネタモード」になってしまう。

そして最大の問題は、この本で得た(?)「シモネタ」を披露したくなることである。

しかし、著者は生れ落ちたときからシモネタ好きではなかったのである。
イタリア語の通訳になってイタリアの文化に直接触れるようになってからそうなったのである。
本文庫の解説を書いている米原万里さんによれば
「厳格で禁欲的な少女時代の反動と解釈できるかもしれない」
なのである。

そういわれれば「(通訳・翻訳には)基本的知識と日本語こそが重要」という著者には、「優等生」の面影がたくさんある。
どれだけ、シモネタを連発しようと、イタリア語と日本語に対する、或いはイタリア文化と日本文化に対する敬虔な探究心と粘り強い勉学心が、本書を読むと伝わってくるのである。

それから、通訳という職業は「言葉ができる」という技術が必要であるが、先ずもって必要なのは「人が好き」ということではないだろうか。その「人」がどのような人物であれ「人だから好き」だというのが必要、若しくは前提なのだと思う。

人と人との意思疎通はコトバだけはない。だから、コトバを訳すだけでは意思の疎通が十分に図れないのである。
「嘘つきは通訳の始まり」
というコトバは、そのあたりのことを一言で表しているのだと思う。

何はともあれ、米原万里さんの著したものといい田丸さんの著したものといい、通訳の人たちの著すものは、実は「日本文化論」ではないかと思うのである。

で、こういうものを「読書感想文」で書いたらいいと思うのである。
もっとも私の場合は、その読書感想文でシモネタをどう扱って、そのことが最優秀賞になるかまったく評価されないのか、興味があるのだが・・・。

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水木しげるの「遠野物語」 水木しげる ビックコミック連載

2008-07-27 14:42:47 | 読んだ
8月10日号で第2回である。

水木しげるが、柳田國男の著した「遠野物語」を漫画で描いている。

遠野物語を絵で表すなら、水木しげるの絵が一番似合うのではないか、と思わされる。
それくらい、遠野物語の雰囲気が出ていると思うのである。

遠野物語に書かれている一つ一つの物語は「なんだかよくわからない」ものが多く、また「理不尽」なものが多い。

現代の人間は「全ての正解」とそれを導き出した「科学的理論」を求めている。
例えば秋葉原でおきた殺人事件の犯人の心理やその原因、或いは地震の原因、必ず究明し解明しなければならないものなのだろうか。

物事というのはさまざまな要因が積み重なり連鎖しておこるのではないだろうか?
(このあたりは週刊朝日に連載されている小説で著されている)

遠野物語には「えっ?それで終わり」というものが多い。それは多分説明のつけられない事柄が多いことと、無理やり説明をしようとしたからではないか。

そして、現代においてさまざまなものの解釈や解明を行っているが、それはずっと後になって遠野物語と同じような印象となるのではないかと思うのである。

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連続地震に思うこと

2008-07-24 22:42:32 | 日々雑感
先月の「岩手・宮城内陸地震」の復旧がまだまだという状態のときに、土曜日には震度4の地震が発生、そして本日0時26分にはまた大きな地震が発生した。

今日の地震は、横への大きなゆれが長く続き、我が家では何も被害はなかったが、なにしろ震度5弱、招集の規定にもとづき何はともあれ出動をしたのであった。

これまた幸いなことに深刻な被害はなく、22日に行った宮城県沖地震を想定した災害訓練をなぞるような形で対応を行い、まあまあの結果であった。

それにしても、こう連続して地震が発生すると「慣れ」のようなものがでてきて、落ちついて対応というより、地震が発生すると沈着になるというような面もでてきたりして、なんだか不思議である。

これらの地震「岩手・宮城内陸地震」「福島県沖地震」「三陸北部沿岸地震」それぞれと、発生すると予測されている「宮城県沖地震」とも理論上何のつながりもないということではあるが、本当にそうなのか、素人ながら考えてしまう。

つまり地震学とか地質学とか地球学のような学問的には「つながりがない」とは言うものの、気分的或いは運命的はたまた霊能的、そして地球医学的には何らかのつながりがあるのではないだろうか、なんて思うのである。
空想的に考えれば、地球は或いは人類はその生き方について大きな選択を地球から求められているような気さえするのである。
こういうときには怪しげな『教え』とか『ブーム』に気をつけなければならない。

昭和53年(1978年)の宮城県沖地震では、ものすごい「地鳴り」と立っていられないほどの「揺れ」を経験した。
あれ以来、常に地震については頭の片隅で考えている。

地震への備えは必要である。
備えといっても、物質的な備え、たとえばいろいろなものの倒壊防止とか、いわゆる防災グッズなるものの貯えとかもあるが、なんといっても「気持ち」が大事だと思う。

予測不可能な(というか予測をしているだけで気がめいってしまうのであるが)事態が発生しても、それを乗り越える或いは耐える「気持ち」が必要だと思うのである。それは「覚悟」であり一種の「あきらめ」でもあると思うのだ。

その気持ちを片隅に持っていれば、明日は明るいのではないだろうか。

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青春のうた 64 1980年代・前期9

2008-07-22 22:32:02 | 読んだ
1.すみれSeptember Love/一風堂 1982年7月

このころから、男が化粧するのにもなんとなくなれてきた。

なんとなく「あやしい」グループに見えたが、音楽的実力はかなりある、と思った。
流行に乗っているようで、自分があって、なおかつ普遍的な部分もある、というふうに思ったのである。

そして、テレビに出ない、ということに意義を持つ人たちも認められてきている中で、この人たちはよく「ベスト10」にでていたので、新しい考え方でもあるなあ、と思っていた。

そして、この歌も好きである。

このあと1997年に「SHAZNA]がカバーしてヒットしたが、全然こちらのほうがよかった。

2.SOMDEY/佐野元春 1981年6月

佐野元春は全然知らなかった、というか、アンテナに引っかかってこなかった。

1980年代はすでにラジオも聞かず、入ってくる音楽情報といえば「ベスト10」くらいであったため、ベスト10に出ない人たちについては知るすべがなかったのである。
だから一風堂は知っていても佐野元春は知らなかったりするのである。

このSOMEDAYはサビの部分というか
♪SOMEDAY♪
の部分しか知らないのである。

そして、すでに時期が過ぎてしまった今日この歌を聞いても、あまり感慨を覚えないのである。

3.ランナウェイ/シャネルズ 1980年2月

非常に「ノリ」のいい歌で、聴いたことがあるカンジだった。
最初聞いたときは「ナツメロ」というか昔の歌をカバーしたのかと思ったくらいである。

ランナウェイはよく歌う。
カラオケでこの歌を歌うとノルし、知らない人たちのなかで歌うにはもってこいだと思っている。

このシャネルズもあやしいグループだった。
顔を黒塗りしたところや、あまりうまくない踊り、では、そこいらのアンチャンがふざけてやっているように思えるし、それでいてボーカルの力強さとコーラスのうまさは、そんじょそこいらのものではない、という風にカンジさせるし。

それで、このグループは音楽的にはブレがなく(その他のいろいろなところでは大きくブレていたりしたが)好印象なのである。

こういうグループほど長続きしてもらいたいのである。

4.ペガサスの朝/五十嵐浩晃 1980年11月

久しぶりの大型新人、と思ったものである。
「さわやか」で「大らか」であった。

しかし、時代は「さわやか」とか「おおらか」をあまり求めていなかったのではないか、と思うのである。
というか「一過性」であってかまわなかった、のではないか。

この歌も、耳障りがよくていい気持ちにさせてくれるのである。

ところが、それだけなのである。

たぶんそれだけというのが「さわやか」「大らかさ」なのではなかったんだろうか。

そういう気持ちで今聴いてみると、スーッと流れていくだけなのであった。

5.赤道小町ドキッ/山下久美子

山下久美子はこういう歌を歌うべきではない、と思っていたのである。

この歌は、なんというか「企画モノ」的である、と思っていたのである。
化粧品のコマーシャルソングであったから企画モノには違いないとは思うけど・・・

つまり山下久美子には正統的な歌を歌ってほしかった、と思っていた。

では、この歌はキライかというと、それほどでもなかったわけで、そのあたりが人間の不思議さとも言うべきものではないだろうか。

6.恋人よ/五輪真弓 1980年8月

この歌は五輪真弓的そのものだと思う。
そして、五輪真弓的なものが社会とジャストフィット、ジャストマッチしたのだと思う。

出だしの歌いにくさ、サビの歌いやすさ。

これってヒットする歌の特徴かもしれないが、この歌はメロディーと歌詞が見事なのである。
何回聴いても感心する歌で、名曲、なんだろうなあ、と思う。

と思うのであるが、あまり好きではないのである。
このあたりが、人間の不思議さとも言うべきものではないだろうか。

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お知らせ

2008-07-21 21:05:12 | 日々雑感
嘉壽家堂本店(ホームページ)を更新しました。

読書日記と青春のうたを半年分やっとまとめる作業が完了しました。
全部ブログに掲げたものをまとめただけですが、ぜひ訪問してください。

もう少ししたら、ブログに書いたもの以外も更新していきたいと思っています。
乞うご期待、です。
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プロ野球の一流たち 二宮清純 講談社現代新書

2008-07-20 20:24:19 | 読んだ
久しぶりに野球に関する本を読んだ。

野球に関する本を読むといつも思うことがある。
一流は「すごい」ということである。

一流になる選手の前半は「才能と力」そして「野球頭脳」だけで過ごしている。
このあたりは多くの選手が持っているものである。
このなかから一流になるためには、哲学、を得ることなのである。

しかも自分勝手な哲学ではなく、普遍的、な哲学を得ることにある。
この普遍的な哲学を追い求め確立できた者が「一流」になる。

野球に関する本を読むとそう思えるのである。

古くは川上哲治が座禅をしたように、一流の選手はグランド以外で「勉強」をするのである。
多分学生時代にはキライだったはずの勉強をする。

多分、この勉強をするという気持ちを持つことそしてそれを継続することが一流の証なのではないかと思うのである。

本書は、これまでの多くのスポーツの書と同様に、野球選手一人ひとりの生き様を追っている。
それはいろいろなアプローチがあるので、一つの物語として読めるのであるが、本書はそれに加えて、野球界全体のこれからについて述べている。

そうなのである。
今までは、野球選手は野球の技術や心理について考えていればよかった。
それは、野球選手だけではなかった。
多くの人たちは、自分のスキルアップだけを考え実行すればそれなりの人になれた。

しかし、今は自分のいる環境についても考えなければ一流とはいえない世の中になったのではないか。

つまり、自分のいる環境というのが不変ではなくいつどこから崩れていくのかもしれない世の中になっている、ということに、組織の末端にいる人間でさえ関心を寄せ改善・改革を意識しなければならない。

そんなことを本書を読んで思ったのである。

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青春のうた63 1970年代中期19

2008-07-19 11:38:21 | 読んだ
1.悲惨な戦い/なぎらけんいち 1973年8月

この歌をはじめて聴いたときはレコードだったんだろうか?はっきりしない。
というのは、ラジオから流れてくるこの歌は毎回歌詞が違っていたように覚えているからである。

そしてそのたびごとに笑ったものである。
ただ、これがいつも深夜放送であるから、笑いをこらえるのに大変であった。

「なぎらけんいち」に強く興味を覚えたのであるが、なかなかメディアに露出しなかったため、兎も角ラジオから流れてくるこの歌を聴くしかなかったのである。

しかし、この歌は鮮烈であった。
こういう歌があるのか!と思ったものである。

当時我々田舎の高校生の間では、この歌にあったことが本当なのかどうかがもっとも知りたいことであった。

2.白い一日/小椋佳 1974年1月

この歌が出た当時の「ウリ」というのは、小椋佳の作詞で井上陽水の作曲ということであった。

当時私はこのことだけがこの曲の全てなんだと思っていた。
歌の内容といい曲といい「平凡」というか、なんら劇的なこともなく、歌詞にあるように「ありふれた」ものであるように思っていたのである。

ところが年を経てからこの歌を何気なく歌うと「いい」のである。
その「ありふれた」ところがとってもいいのである。
そしてそういう一日が素晴らしく感じられたのである。

3.帰らざる日のために/いづみたくシンガーズ 1974年4月

中村雅俊主演の「われら青春」の主題歌である。
そのために覚えている。

この青春ドラマも、たとえば森田健作の「おれは男だ」は中学生だったので夢中になってみたのであるが「われら青春」のころは高校生で、拓郎の歌に夢中であったころであるため、若干「斜に構えて」見ていたものである。

つまり「くだらない」とか「うそ臭い」とかという雰囲気である。
まあ、弟妹が見ているので仕方なく、というカッコウであった。

しかし、こういう青春にも憧れていたわけで、つまらなさそうな顔で内心ワクワクしてみていたものである。

だから、この歌も心の隅で「いいなあ」と思いながらも無視し続けたものである。
で、今聞いてどうなのか?ということであるが、「フーン」というカンジなのである。

4.夏しぐれ/ALFIE 1974年8月

アルフィーというグループがいる、ということは知っていた。
キレイな歌を歌うグループである、というように思っていた。

それが「メリーアン」でブレイクしたときには非常に驚いたものである。
音楽の方向が変わった、と思った。

で、この「夏しぐれ」であるが、いい歌だとは思うのだがやっぱり売れないなあ、と思ったのである。

5.生きてるって言ってみろ/友川かずき 1974年9月

この歌を当時聞くことはなかった。

懐かしのフォークソング、の番組ではじめて聴いたのである。

多分、1974年ぐらいに聴いていてもあまり感動はしなかったろうと思う。
ましてや、東北訛りの歌ではなおさらである。
当時では東北訛りを受けつけられなかっただろう。

さて、始めてこの歌を聴いたときには「ウーン」とうなったものである。
それは
「生きてる」と言えなかった、からかもしれない。

「俺は生きている」と言えるのは、どういうときなのか、いつなのか、考えてしまうのである。

6.すずき・ひろみつの”気楽に行こう”/鈴木ヒロミツ 1973年1月

モービル石油のコマーシャルで、鈴木ヒロミツが映像の中でガス欠の車を押し、この歌をマイク真木がうたいバックに流れ、最期に「車はガソリンがないと動きません」というナレーションがあった、と覚えている。

なかなかに当時の社会状況を反映したコマーシャルだと思う。

で、その歌を、鈴木ヒロミツが歌った、というだけらしい。

まあアジがあるといえばアジがある。

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超空の要塞-異聞東京大空襲- 柴田哲孝 オール読物6月号

2008-07-17 22:20:18 | 読んだ
この話は小説なのか実話なのかどうもはっきりしない(と思っているのは私だけなのかもしれないが)

兎も角「衝撃的」ではある。

「超空の要塞」とはB29:戦略爆撃機のことである。
太平洋戦争末期、日本各地を空襲したあの爆撃機B29である。

さて、この物語は、昭和20年3月10日の東京大空襲の謎、をおっている。
ネタバレになるのだが、大きなテーマは東京大空襲を当時の日本軍は知っていた、ということである。

発端は東京に大空襲があるから逃げろといわれた人がいる、ということである。
その話を聞いた「私」は調べ始める。アメリカのノフォークにある「米国立公文書館ノフォーク別館」にまででかけ資料を調べる

そうするといろいろな謎が浮かび上がる。

・日本軍はB29による空襲の情報をよくつかんでいて迎撃は正確に行われていた。
・それなのに東京大空襲に際して米軍の命令は装備火器を取り除き4名の射手も搭乗させない、つまり丸腰で空襲に臨んだ。つまり日本軍が迎撃しないことをあらかじめ知っていた。

大雑把に言うとそういうことなのだが「私」はこのことから、東京大空襲は日本とアメリカが仕組んだものではないかと推理するのである。

このことが事実でなのかどうかははっきりしないが、東京大空襲で死んだ人たちは何のために死んだのだろうか?

戦争、というのは謀略というのがつきものだとは思うが、このような謀略はへんな言い方であるが「正統な謀略」ではないように思える。

それにしてもちょっと凄まじい物語であった。

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空白の桶狭間 加藤廣 オール読物

2008-07-15 23:02:02 | 読んだ
オール読物の5・6・7月号といわゆる短期集中連載されたものである。

桶狭間の合戦について大胆な解釈というか今までにない物語としている。

ネタバレになるので詳細は記さないが、大雑把に言ってしまえば、桶狭間では今川軍と織田軍は戦っていない、というものである。
それではどうして歴史では織田が勝ったことになっているのか?

まあその辺が最も興味深いところである。
そこは、そういう考え方もあるのか、というふうに思わされてしまう説明というか解釈である。

カギは「秀吉」である。

織田信長以降の歴史は概ね正解であるとはおもうのであるが、なかなかどうして、いろいろな解釈があるものである。
それから秀吉についても、裸一貫からあそこまでいけるものだろうか、という疑問があったが、そのことについてもこの物語では一つの考え方を示している。

なかなか面白い物語である。

ところどころこの挿話は要らないのではないか、と思うところもあったが、なかなかに面白い物語であった。

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シモネッタのデカメロン 田丸公美子 文春文庫

2008-07-13 17:21:07 | 読んだ
著者はイタリア語の通訳である。

内容は通訳業を通じて見聞したイタリアの話。
で、多くが「シモネタ」なのである。

イタリアと関わると「シモネタ」にならざるを得ない、と著者は思っているのであるが、親友のロシア語通訳:米原万里から言わせれば、著者の人柄がシモネタを呼び寄せているらしい。

というわけで、著者に「シモネッタ」の愛称を贈呈した。
というのは米原万里のあだ名の一つが「シモネッタ」だったらしい。

そもそもイタリアと日本では基本的な考え方が違うので、イタリアの男たちとつきあうと全ての事柄がシモネタになるらしい。
イタリアではセクハラをしないことがセクハラらしいのである。

そんなことだから、いたるところで吹き出してしまうので、本書を読む場所には十分気をつけたい。

ところで、本書の内容について誰かと話をしてみたいのであるが、どうも今の基準では本書の内容について女性に話しただけでセクハラになりそうなので、心の中に押さえ込むしかないのではないか、なんて思ったりするのである。

本書については女性でなければ描けない、つまり男性が書いたのではただ「下品」になってしまう、田丸さんが「シモネッタ」として書いたから、基本的には非常に生真面目で標準的であるから、愉しんで読めるのであると思う。

それにしても、各章の初めにある「小話」を誰かにしてみたい、のである。

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歴史読本8月号 別冊付録-昭和37年臨時増刊2月号復刻版:特集「名将の影武者」-

2008-07-11 20:34:58 | 読んだ
昭和37年に出された臨時増刊号の復刻版である。

カメラルポということで「五島の隠れ切支丹」と「境内はお城でいっぱい」「風雲の古戦場を訪ねて」の3本。
まだまだ開発前の昔の風景である。

読物は

・特別読物「幕末随一の剣客・男谷精一郎」池波正太郎
・特集名将の影武者
 「幻の軍師・山本勘助」永井路子
 「北条五代の忍法・風魔一党」早乙女貢
 「お庭番という名の隠密」川上直衛
 「秘密の国薩摩潜入」劉寒吉
 「悲劇の英雄・義経潜行記」杉本苑子
・特選歴史小説
 「柳生一族」南条範夫
・そのほか
 「江戸の”黒い花形”を裁判する」佐賀潜
 「作られた異説・珍説の舞台裏」進士慶幹
・風流ゼミナール
 「生きている雑魚寝」世良正利
 「女盗賊」長野嘗一
 「浮世ぐるい」桑田忠親

と、豪華メンバーである。

なかでも面白かったのは「幻の軍師・山本勘助」で、山本勘助という人物の新しい考え方を示さされた。
なるほどなあとうなづきながら読んだのである。
つまりは、武田の戦の作戦はすべて信玄が考えて勘助に伝え、それを山本勘助が評議の席上発表し信玄が認めていた、というものである。

また「北条五代の忍法・風魔一党」は、北条早雲が若い頃は鳴かず飛ばずでいたのになぜ年をとってから成功したのか、ということを、風魔小太郎との関係から描いたもの。

佐賀潜の「江戸の”黒い花形”を裁判する」は、江戸時代の悪党の裁判を現代に置き換えてやったもの。

昭和37年当時の文章なので、難しい漢字も使われているが、格式高く感じられ、わからないところは自分で調べろというようだし、いわゆるインテリ向けの雑誌であったんだなあ、と思うのである。

今は、誰もがわかるように、という配慮からなのか、なんだか親切すぎているような気がする。

昔の雑誌であっても十分読み応えのあるものであった。

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それからの海舟 半藤一利 ちくま文庫

2008-07-09 20:02:00 | 読んだ
父子鷹を読み終わって、いよいよ「おとこ鷹」を読もうかと本屋に行ったところ、目に付いたのがこの本である。

で、氷川清話ぐらいでしか明治期の勝海舟を知らないので、先ずはこの本を読んでからにしよう、と思い早速買ってきて読んだのである。

著者は大の勝海舟びいきである。
それだけで、私はすごく嬉しくなってしまう。
私も歴史上の人物では勝海舟が大すきである。

勝海舟はどちらといえば人気がない。
幕末期で幕府側をひいきにする人たちにもあまり人気がないように思える。

官軍側にも幕府側にも「幕府を売った男」というように思われているような気がする。
日本にとって最良の判断である内戦を避けた、ということよりも「戦わなかった」ということだけでそう思われている。

福沢諭吉の「痩我慢の説」などでたたかれたこともその所以なのだろうが・・・
それに対する海舟の言葉「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」がまた福沢をバカにしているようだし、氷川清話の言葉も他人をバカにしているようでもあるので、尚更評判がよくないんだようなあ、と海舟びいきの私は常々思っているのである。

というわけで、著者が海舟に示す贔屓の言葉は私にとっても嬉しく、大いにうなづくところなのである、

で、海舟が世渡り上手で世の中の人たちから支持されたら、これは私の好きな海舟にはならないなあ、と改めて思ったのである。

そしてやっぱり勝海舟はいいなあと思ったのである。

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美味しんぼ 102巻 究極と至高の行方 作・雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館

2008-07-07 20:51:15 | 読んだ
今巻は「究極と至高の行方」ということで11章というか11話になっている。

いよいよ「大詰め」なのかと思うような出だしである。

「究極のメニュー」を一段落させて、山岡夫妻から飛沢に引き継ぐことから始まり、その成果を発表する宴を催すということから、その宴は「至高のメニュー」との対決、という発端である。

その対決の宴を開催するまでにすったもんだがあって、そのうちにゆう子はこの宴を海原雄山と山岡士郎の父子対立を和解させるものにしようとする。

そのために、この究極と至高の対決の主題は「どれだけ相手を喜ばせることができるか」ということにする。

というお膳立てがそろったところで「宴」がはじまるのである。

登場する料理のほうは近頃あまり興味もなくなってきたので、どうでもいいや、というカンジなのだが、この父子の和解がどのようになされるのかに期待をもって読んでいたのである。

父というのは息子に負けるわけにはいかないのである。
だが勝って威張るわけにもいかないのである。

山岡士郎は「よくもまあこんなに」とおもうほどこの和解については頑なである。
あまりにも頑なすぎて、これまで関わってきたいろいろな物語を解決した能力というのはなんだったんだろうか?と思ってしまう。
若く子供もまだ小さい士郎にはその父の気持ちというのはまだよく理解できないだろうが、それにしてもあまりにも頑なである。

それに比して海原雄三は柔軟である。
このあたりが「オモシロイ」ところであるのだが・・・

結局、劇的とか感動的ではなく「おもわせぶりな」描き方となったが和解をしたのである。
感想は「なんだかなあ」である。

で、今後はどうなるのかと思うのだが、曰く「対立は終わったが対決は続く」のだそうで、どうも全県味巡りを題材に、究極側は飛沢で至高側は良三が中心になって物語は進行するらしい。

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青春のうた 第62巻 1980年代前期8

2008-07-05 20:34:52 | 読んだ
1.恋人も濡れる街角/中村雅俊 1982年9月

中村雅俊のデビュー作「ふれあい」とか、吉田拓郎のつくった「いつか街で出会ったなら」とか、その後の小椋佳の作品を聞いていて、中村雅俊の傾向というかイメージを固めたころ「心の色」とかこの「恋人も濡れる街角」でイメージが変わった。

この「恋人も濡れる街角」はサザン・オールスターズの桑田佳祐の作詞・作曲であり、曲自体がそれまでとは違った傾向というのもあるが、歌い方も桑田風になったような気がする。

それが悪いわけではないが、ただそう感じたのである。

それにしてもこの歌、桑田ワールドというか、なんとなくわかるけどじゃあ具体的にどういうこと?っておもってしまう。

恋人も濡れる街角、ってどういうこと?っておもいませんか。

2.ボヘミアン/葛城ユキ 1983年5月

葛城ユキのコンサートに行って来てからこの「ボヘミアン」を聞く態勢がかわってしまった。

葛城ユキについてはこの歌がはじめて聴いた曲ではなく「哀しみのオーシャン」である。
そのため、この歌を聴いたときというか彼女の歌を聴いたときの感動というかショックというのはあまりなかったが『ぴったりの歌』だと思った。

その後は葛城ユキといえば「ボヘミアン」という図式である。

改めて聞くと名曲だなあとしみじみ感じるのであった。

3.バスルームから愛をこめて/山下久美子 1980年6月

山下久美子というと「ハリキリ娘」という元気のよさ明るさがイメージとしてある。
それでいて歌声にはどこか「色気」があるので、不思議な感じがしている。

で、うたっている歌は私には実感のない世界というか、あまり好きなタイプではないので、まあ出会ったら聞いておくか、という態度でいたのである。

しかしこの「バスルームから愛をこめて」のサビの部分

♪男なんてシャボン玉 きつく抱いたら こわれて消えた♪

の部分は最高である。

4.ジェニーはご機嫌な斜め/ジューシィ・フルーツ

この歌の作曲者で、このグループのプロデューサー的な近田春夫には「好意」を持っていた。
好意というのは彼の音楽に対する姿勢などに対するもののことなので、誤解なさらぬように。

軽い感じのノリで好きだった。

ただし、彼らも聞くほうの私も、なんだか近田春夫に遊ばれているような気がして、多分これだけで終わりなんだろうなあ、と思っていた。
それはまさしく当ったわけだが、じつはこの歌の次にはかなり期待していたのである。

5.聞いててや/大上留利子 1980年7月

初めて聞いた名前と曲である。
こういう人がいたのか?というカンジなのである。

で、感想なのだが、歌詞と曲のわりにはキレイな声で、なんとなくあっていないと思ったのである。

6.長い夜/松山千春 1981年4月

松山千春といえば叙情派で軟弱気味、というのがこの歌を聞く前までの私の思いであった。

この歌を聴いて「わりとやるじゃん」となぜか横浜方面のコトバで思ったのである。

そしてこの歌はつくりがオーソドックスというかシンプルなのに深いというヒットする要素を備えている。軽快なテンポに長い音というのがいいのかもしれない。

♪星降る夜に 誘われて とまどう 二人♪
の部分が一番好きである。

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