読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

徳川家康 第1巻 出生乱離の巻 山岡荘八 kindle版

2022-06-22 16:50:03 | 読んだ


近頃、昔読んだ本を読み返したくなることが多い。
それらを本棚若しくは収納箱から取り出してくるのが面倒だったが、kindle版という良い手がある。
しかも、昔読んだ本だと0円というのもある。

ということで、山岡荘八の「徳川家康」である。
全26巻。

初めて読んだのは高校1年生、図書館にあった。
面白かった、何かに感銘を受けるということではなく、ただひたすらに面白かった。

次に読んだのは高校3年生。受験だというのに読んでいたなあ。
誕生日には、自分の祝日・祭日ということで学校を休んで読んでいた。

その次は社会人になってから、懇意になった本屋さんに月賦で全26巻(文庫本)を売ってもらってよんだ。
何かを感じたはずだが覚えていない。

この物語は、当然のことながら登場人物が多い。
その中で、一番惹かれたのが「本多作左衛門重次」であった。
「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」という三河三奉行の一人。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」という日本で一番短い手紙を書いた人物。
三河武士の典型「頑固、誰にも遠慮しない」というように言われているが、物語では思慮深い人物として描かれている。
徳川家康のようにはなりたくなかったが、本多作佐のようになりたいと、高校時代から思っていたが、なれなかった。残念!

そんなこんなで、読み始めている。
第1巻の末の部分で徳川家康誕生。第1巻は、父・広忠、母・お大、祖父・水野忠政などが描かれているが、今回気づいたのは、第1巻にして後の「天海僧正」が登場していることだ。

ともかく、ゆっくりと読み進んでいこう。

大体いつも「大久保長安」が出てくるところでだるくなるので・・・・

それで、この徳川家康以外にも「真田太平記」も読んでいるし、「小説十八史略」も読もうとしているのだから、我ながら驚く。


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BAR レモンハート 第1巻 古谷三敏 kindle版

2022-06-18 15:20:26 | 読んだ


数年前、盛岡のとある店で「これ飲んでみたら」といって、ウイスキーを進められた。
銘柄は忘れたのだが、アイラ、シングルモルトというのだけ覚えていた。
スモーキーフレバー(ピート臭)が強くて、最初は「エエッ?」となるが、なんだかクセになった。

その後、機会があれば「アイラのシングルモルトを何か」とお願いして飲むようにしいたが、自ら購入してまでは飲まなかった。
しかし、コロナ禍により外に飲みに行く機会が減り、家でもウイスキーを飲まなければならなくなった。
最初は、まあまあその辺のものを飲んでいたのだが、なんだか物足りなくなり、とうとうアイラに手を出した。

そして「ボウモア」を、家で一人で飲む。
いやあ旨かった。

というわけで、これからウイスキーはアイラにしようと思った。
アイラの銘柄その特徴などを知ろうと、ネットで、いろいろと調べてみたが、なんだかよくわからない。

で、思い出したのが「BAR レモンハート」のマスターである。
酒の事ならレモンハートのマスターである。

実はレモンハートの漫画は全て持っているのだが、それを読むのはなんだか面倒くさいので、だったら、kindle版で読み返そうとなり、1巻から始めた。
まだ、アイラウイスキーが出てはこない。

第1巻を読み返すと「ああ時が流れたなあ」と思ってしまう。
漫画なので、本来登場人物は年齢を重ねないのだが、第1巻のマスター、メガネさん、松ちゃんは明らかに若い。

作者がなくなり、これ以上新作は出ないので寂しいが、続けて読み返していこうと思う。
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次郎物語(1)~(5) 下村湖人

2022-05-26 10:49:58 | 読んだ



次郎物語との出会いは、小さいころ観たNHKのドラマだった。
池田秀一が主人公の次郎だった。ウィキペディアで確認すると、1964年4月7日から1966年3月29日まで放送されたとなっている。
ということは、私が8~10歳のころである。内容についてはなんとなく覚えているくらいで、次郎の父:俊亮役を演じた久米明がカッコよかった。
ウィキで初めて知ったが、朝倉先生が登場していた。ということは子供時代から中学時代も描いていたこととなる。
次郎物語といえば、祖母や母から疎んじられ、乳母のお浜だけの愛にすがる、というような物語というのが印象だったので、好きな物語ではなかった。

しかし、成人してから2回ほど読んだが「なかなかどうして侮れない」を超えて「青春小説の第一番」という評価になっていった。

そして今回、キンドル版で読み直したのである。
やっぱり、最高の青春小説である。
次郎の青春時代の喜び、苦悩、漠然とした未来への希望と不安、恋、家族、取り囲む人たちなどなど、いろいろなことが必然的に描かれているのは、少年時代の次郎を知っているから思うことである。

次郎を形作っていったのは、取り囲む人々で、愛、憎しみ、怒り、無関心などの中で、次郎は成長する。
ちなみに、これらの愛、憎しみ、怒り、無関心には「大小」「強弱」「長短」「裏表」があることを、今回読んで感じた。
そして大きな愛がいいのかというと、それが時には重く感じたりするのだから、ヒトは勝手である、ということも今回あらためて感じた。

「無計画の計画」ということがこの物語で出てくる。
この「無計画の計画」という言葉が、折に触れて思い出される。
人生とは、計画をしていようが実は無計画の計画なのではないか?ということが思い浮かぶのである。
次郎は、無計画の計画を経験して、青年になった。

私は無計画の計画をしていない、というよりできない性質(たち)らしい。
それが悔しい。なんか中途半端な計画よりも無計画のほうがいいのではないかと思うのである。

また「白鳥芦花に入る」という言葉。
これは次郎の一生の師となる朝倉先生のいわば座右の銘であり、次郎にとっても自分を顧みるときに思い浮かべる言葉である。
白鳥芦花に入る、の実践はなかなか難しい。でもいつも心掛けていなければならないと思っている言葉である。
この言葉「白鳥芦花に入る」は「魏の扁鵲の長兄」とセットになって私が目指す境地になっている。

それにしても、昔の人は大人だった。
青春時代に「人生」を考える。
自分の思い描く人生と現実との大きな乖離をどう埋めようか、どう折り合いをつけるのか、そんなことを青春時代に考える。

私は今になってもまだまだだなあと思うのである。

次郎物語は5部で「これからいよいよ」という時をもって終了している。
その後、次郎はどう生きたのだろうか?
それは、我々が想像するしかないのであろうか。
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あした輝く 里中満智子

2022-05-23 17:06:56 | 読んだ






今月の日経新聞の「私の履歴書」は里中満智子さんである。

里中さんの漫画は「マンガ ギリシャ神話」を読んだのは覚えている。
そもそも、いわゆる少女漫画はあまり読まなかったのである。

で「私の履歴書」の11回目は「あした輝く」の題名で書かれていて、里中さんにとってはターニングポイントの一つだったのだろうと、読んで思ったのである。

そこで、キンドルで探して、あした輝く3巻を読んだ。

里中さん自身がこう語っている「史実に照らせばおかしなところもある漫画だと思う」
そう、時々違和感があるのは、この漫画の連載が始まった1972年(昭和47年)(私は高校1年生)にはまだまだ資料が充実していなかったことから生じるものだろう。

物語は、終戦直前の満州から始まる。
最初の主人公は「今日子」
敗戦で数々の試練を経験して今日子はやっと日本にたどり着く。
その時には、今日子は流産を経て、恩師緑川先生の遺児「明日香」を伴っている。
そして次には明日香が主人公となる。

戦争の影響はずっとずっと続いて、その中で人間はどうすべきなのか、今日子や明日香を通じて我々は考えさせられる。

もうこの年になって読んだので、情熱的な感動は薄いが、もし若かった時に読んでいたら、ものすごく考えさせられたのではないか、と思う。


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再開!(何度目の再開か?)

2022-05-23 09:37:10 | 日々雑感
2021年5月2日以来、更新を行ってこなかった読書日記ですが、再開します。
これで、何度目の再開宣言になるのか数えてはいないけれど、方向性というか考え方についてある程度考えがまとまったので、再開することとしました。

この1年間でもいろいろと本を読んできていますが、読みながらいつも頭の片隅から離れないのは「読書日記」にどう書こうかということでした。
なので、依然読んでいた当時の本を読む楽しさというものが薄れていく傾向になり、結局、何を書いたらいいのかわからなくなり、更新をしない、という状況に陥っていました。

本を読みながら『この部分は紹介できる』といった部分に、付箋を貼ったり、キンドルであれば印をつけたりしていたのだが、それに熱中すると内容が頭に入らない、内容に熱中するとその作業をとばしたりする、更には付箋を持ち歩かなければならない。
そんなこんなが、読書の楽しさを奪ってしまっていったような気がします。

そんなことにかかわらず夢中になって読んでいる場合もありますが、読後に何を伝えようかと思い、抜き出したい部分をまた探すという作業も億劫で・・・

そのようなことを考えていたら、自分の読書スタイルというのは「読書した内容の詳細(名言とか、感じ入ったところとか)を拾ってきて振り返る」というのではなく「全体を大雑把に掴んでその『カンジ』に包まれる」といったものではないかと思ったのです。

そう思い当たれば、読書後の「カンジ」を日記として残せばいい。

ということで再開です
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