読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

きのう玉蔭 -露の玉垣- 乙川優三郎 小説新潮8月号

2006-07-31 22:16:17 | 読んだ
露の玉垣シリーズの第3作。
清冽な武士の姿を描く、というシリーズである。

乙川優三郎については、これまで敬遠してきたのであった。
その理由は、なんだか「軟弱そう」だからである。
その印象は、乙川優三郎、という名前と、挿絵、そして説明というか惹句である。
それだけでこれまで読まないでいた。

しかし、6月号より始まった「露の玉垣」シリーズを読んでみたら、ちょいと印象が変わった。
第1話で「これはいいかな」と思って、第2話で「ちょっとなあ」となり、今回第3話を読んだら「これはいい」と思った。

第3話は「自分は、たぶん侍よりも百姓の血が濃い」と思っている男の話である。

遠藤吉右衛門は、新発田藩の百姓の4男に生まれた。百姓といっても先祖は上杉景勝のころからの地侍である。
従って、百姓と侍のつまり侍としての兵法と学問そして百姓としての耕作を学んだ。
彼が13歳のとき武家奉公にだされ下僕となり、7年後には帯刀を許され若党になった。
主の久保田新五左衛門は学問を学ぶことに寛容で、吉右衛門に蔵書を写すように仕向け学ばせた。
そして、庭に畑を作らせた。

「おまえは野に出て働き、鋤鍬を手に学問をするのがよいかもしれんな」
といっていた、新五左衛門が亡くなると、吉右衛門はお先手の足軽に召しだされた。

それから22年たち、足軽は代官となった。しかし、仕事という仕事はなく、それゆえに念願の畑仕事に精を出している。

「遠藤さまは庄屋になるべきです、きっと御代官より似合うでしょう」「・・・百姓は自分たちのことを案じてくれる人の言葉を信じます・・・」
などといわれ、吉右衛門は、代官になっても百姓半分の中身を自覚している。

そうして、吉右衛門は新五左衛門の嫡男の竹右衛門に嫁いできて離縁されていった「橘(きつ)」を思い出し、見舞いに行く。

事件があるわけでもなく謎があるわけでもないが、身の程に生きるということが波乱万丈に生きることより実は難しく幸せなんではなかろうか、ということを感じさせてくれる。

明るいわけではないが、冬の薄日のような暖かさが感じられる物語であった。
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向田邦子 小説新潮8月号

2006-07-30 22:09:18 | 読んだ
小説新潮8月号の特集は「没後25年 向田邦子にあいたくて」である。

25年という歳月が過ぎ、向田邦子とよく仕事をしていた久世光彦が今年亡くなった、ということが特集をする要因なのだろうけれど、何もそんなに力を入れてまでなあ・・・というのが印象なのである。

さて、特集の内容だが

対談 黒柳徹子×向田和子 霞町マンションBの2向田邦子 

向田邦子と親友だった黒柳徹子と妹の和子との対談

対談 向田邦子×常盤新平 「男の美学」について

トリビュート小説「コロッケ」諸田玲子

諸田玲子は向田邦子と親しかった、ということを聞いたことがある。
(諸田玲子のHPのプロフィールには向田邦子の台本をノベライズした、とある)

「14枚目の思い出トランプ」だそうである。(思いでトランプは13編の短編集)
ちなみにトリビュートとは「賛辞」とか「捧げ物」という意味だそうだ。

漫画「かわうそ」向田邦子漫画館より 紫門ふみ

この漫画は読んだことがある。紫門ふみの絵と物語がなんだかマッチしていると思ったのであった。

そのほかいろいろとある。たとえば、山口瞳の「弔辞」とか・・・

で、なぜ?という気持ちがあるのだ。
何もいまさら向田邦子ということもないだろうになあ、と。

というのは、私があまり向田邦子を知らないということとなのだろう。
作品を読んではいるのだが、若いときに読んだせいか強い印象がない。
登場人物たちの性格が屈折している、という印象がある。表裏が激しい、とも感じる。

それは、昭和初期の人たちが「礼」と「現実」の間で揺れ動いていたからであろうと今にして思うのであるが、当時はどうも違和感があったのである。

機会があれば向田邦子を読んでみようかと、今回の特集で思ったが、機会があるかどうかが疑問である。
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寒い夏?

2006-07-29 23:29:25 | 日々雑感
7月ももう終わり8月だというのにまだ寒い。

毎年本当に暑いのは、7月末からお盆前までの2週間なのではあるが、それにしても今年は寒い。
なにしろ、窓を閉めて長袖のシャツを着て寝ているのである。

平成5年、10年、15年と5年間隔で冷夏であったので、今年はまだ大丈夫だと思っていたが、どうなるのであろう。
天気予報は明日も「雨」である。

8月にはいると「お日様マーク」がやっと出てくる。
すごしやすいといえばそうなのだが、やっぱり夏は暑くないと、体も心も納得しないようである。
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最後の喫煙者-自選ドタバタ傑作集①- 筒井康隆 新潮文庫

2006-07-28 22:15:48 | 読んだ
筒井康隆の世界にとりこになった時期がある。

いわゆるドタバタというかムチャクチャな読み物。
それからSF、七瀬シリーズとか時をかける少女とか・・・
なんというか、筒井康隆の小説ばかり読んでいて、とうとうレコードまで買って、そういう世界にいたことがある。

あまり面白いので、友達に吹聴して、本を貸した。まだ戻ってきていない。
(蛇足ながら、本を貸したら返ってこないものと思わなければならない。だから本を貸すのはできる限りやめている。貸す場合は、返してもらう日を決め、催促をすることができる人にのみに限定している)

さて、本書は9編からなる。
うち「老境のターザン」「ヤマザキ」「万延元年のラグビー」は読んだ覚えが明確にある。
他の6編についてはたぶん初めてではないかと思うのだが・・・

筒井康隆のこういう(いわゆるドタバタと呼ばれるもの)小説は、面白いのだが時としてあまりの描写に目を背けたくなることがある。
今回のものでいえば「問題外科」「最後の喫煙者」「老境のターザン」の中には、なにもそこまで、と思う場面がでてくる。
こういう思いは若いころはなかったので、やっぱり年をとったんだろうなあ。

筒井康隆の小説は過激、ヒドイ、あまりだ、スゴイと思うのだが、じつは現実の世の中のほうがもっと過激、ヒドイ、あまりだ、スゴイということが、よく考えるとわかるのである。
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最愛 真保裕一 小説新潮 連載完結

2006-07-27 22:48:18 | 読んだ
小説新潮4月号から連載され今月号(8月号)で完結した。

著者の作品は、週刊朝日に連載された「繋がれた明日」を読んだだけである。
あと映画「ホワイトアウト」を見た。

さて、この「最愛」は、姉が事件に遭ったという連絡を受けたところあたりから始まる。
主人公「押村悟郎」は医者である。
幼いころに両親をなくし、姉「千賀子」とは別々に育った。
姉は伯父の家、悟郎は伯母の家で育った。しかし、姉はなぜか道をそれていく。

そうして、久しぶりに姉と会ったとき、姉は事件に巻き込まれ頭蓋に銃弾を受け意識不明であった。

なぜ姉は事件に巻き込まれたのか、ずっと音信不通の間、姉はどう生きてきたのか。
悟郎は一人で調査・捜査を行う。
そして、これまでの姉の人生を知り、自分の生き方とリンクさせようとする。

姉が事件の前の日に入籍した「伊吹正典」が行方不明であることを知り、さらに調査を行ううちに、姉の人生と事件の真相を知ることとなる。

事件そのものが解決しても、実は、さらに隠されていた事実が最後に明らかになり、物語を包んでいた「やるせなさ」と悟郎がなぜそんなにも執拗な調査を行っていたのかも明らかになり、更に・・・・。

後味というか読後感は、胸が押しつぶされるようになってしまう。
あまりといえばあまりである。
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青春のうた 第13号 1970年代中期⑤

2006-07-26 22:40:20 | 読んだ
1.煙草のけむり/五輪真弓 1973年10月発表

五輪真弓の歌はアコースティックで静かなもの、というイメージがあったが、この歌はリズムがいい。
そうしておいて
♪火を貸してください♪(「ひーーをかしてください」と歌う)
の部分が、なんだかけだるいながらも怪しい感じで、それでいて「あなた」という人の人柄が浮かんでくるようである。

それにしても、当時は「煙草」というのはいろいろな意味でいい小道具だった、今こんな歌を歌ったら、どうなんだろう?

五輪真弓を見直した、というか、オヤッ?と思わせた歌であった。

2.冬が来る前に/紙ふうせん 1977年11月発表

「紙ふうせん」というグループは「赤い鳥」というグループが解散してというか分裂してできた片一方のグループである。

赤い鳥のフォークソング的な部分を継承したのが「紙ふうせん」なのである。グループ名からしてフォークソング的である。

で、最初のうちは私、紙ふうせんを応援していた、というか「いいな」と思っていた。
しかしなかなかヒットが出ない。
と、思っているうちに、この「冬が来る前に」である。
なんというか、面白みのない歌、という感じではあるが、いい歌、である。
何度きても、いやみがないので清々しい。

3.卒業写真/ハイ・ファイ・セット 1975年2月発表

赤い鳥のポップス的な部分を継承したのが、ハイ・ファイ・セットである。
当初は、荒井由美(松任谷由美)に依存した感じが、いい印象ではなかったが、本家よりも<いい感じ>であった。

そうこうするうちに、さらにポップス的になってきて、そのころから私、猛烈にファンになりまして、遡ってみると、当時はいい印象を持たなかった初期の歌も「いいんじゃないか」となってしまったのだ。

卒業写真に、この歌のような思いではないが、こんな思い出があればなあ、とおもわせる。

解説に書いてあったが、ハイ・ファイ・セットは「シティミュージックといわれたソフィスティケイデッド・ポップスのブームを作った」のだそうだ。
<ソフィスティケイデッド・ポップス>ってなんだ?!

毎回のようにツアーを聴きにいっていたのだが、事件により解散したのは残念である。
今は、山本潤子さんがソロやいろいろな人とのグループやコラボレーションで活躍しているが、ポップス的な歌を歌わなくなったのが寂しい。

4.セクシィ/下田逸郎 1976年6月発表

この歌をこの当時聞いた、という思い出はないのである。
下田逸郎、という名前も聞いたことや見たことはあったのだろうが、あまり印象に残っていない。

ただその後、懐かしのフォークソング、みたいなもので下田逸郎が出てきて、この歌を歌ったとき、なんだか聴いたことがあるような、なんだか見たことがあるような感覚であった。

というわけで、この歌に関しては格別の思い出はないので、ごめん。

5.赤ちょうちん/かぐや姫 1974年1月発表

「神田川」の次の曲で、典型的な「2匹目のどじょう」作戦で、なんだかちょいとしらけた感じがしたのではあった。
とはいえ、やっぱり「いい歌」ではあった。

当時高校生であったから、この歌のような経験があるわけでなく、神田川や赤ちょうちんのような世界にあこがれたわけでもないが、夢中になって歌ったものである。

雨が続くとキャベツばかりをかじってた。
というような生活にあこがれるほど、まだわびもさびも、愛も恋も経験をしていなかったのに、なぜ、この歌に夢中になったのか?

それはこの歌のギター伴奏「スリーフィンガー奏法」がなんとも好きだったからであった。
Dm-Cというコード進行にハンマリングで、なんともいえず「アジ」がある曲なのである。

ちょいと歌謡曲っぽいあるいは演歌の匂いがする歌ではあるが、名曲でしょう。

6.落陽/吉田拓郎 1973年12月発表

「よしだたくろうLIVE’73」というアルバムに入っていた歌である。

吉田拓郎の歌からベスト10を選べといわれれば、どのような環境、気持ちでいても、ベスト3から下には置かないだろう、というほど好きな歌である。

前奏、間奏ともに「Am-Em-Am F-G-Am」というシンプルな組み立て。
岡本おさみの「旅人」としての歌であることから、このような経験もないのだが、なんだかすごく「しびれる」歌である。

経験とか憧れとか、そんなものがなくても胸が切なくなるような、そういう歌があるんだということを知った歌でもある。

このライブ版は、アコースティックな音とブラスの音がうまくかみ合っている、すごくいい感じであるが、別のアコースティックだけのものもよい。
どのように歌おうといいものはいい、のだ。

詩と曲がいいめぐり合いをして、吉田拓郎の叫ぶような歌い方とマッチして、名曲になったと思うのである。

本13号は吉田拓郎について論じている。
1975年のつま恋コンサート、5万人の若者のなかに私はいなかった。
行きたくても行けなかったのである。
それがなんだかすごく気持ちの引っかかりになっているのである。

もしかして何とか行っていれば違う人生になっていたのではないか?

今の自分や環境が「イヤ」でも「不幸」でも「不本意」でもないのであるが、もしかしたら・・・という気持ちがあるのである。
というわけで、今年の「つま恋」には行くことにしている。
そして「落陽」を大きな声で歌ってくるのだ。
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<とんち探偵・一休さん>謎解き道中 鯨統一郎 祥伝社文庫

2006-07-25 21:45:00 | 読んだ
鯨統一郎といえば、歴史推理小説「邪馬台国はどこですか?」(面白かった)「新・世界の七不思議」(あまり面白くなかった)を読んで

気になっていた作家である。

本書は、あの「一休さん」が例の新右衛門さんと茜という少女と旅に出る。
旅の目的は「みなしご」である茜の両親を探す、ということである。
その旅の途中で「事件」がおき、一休さんが解決するというパターン。

で、本書の前に「金閣寺に密室(ひそかむろ)」という本があるらしい。今回は書店になかったのでこちらからということになったのだ。
が、「金閣寺」を読んでなくても、面白かった。

さて、この物語は8編からなっていて、京都から武蔵までの旅である。
お約束は、一休さんの「頓智」が入ることである。

この8編はつながっていて、なお独立している。
旅の目的が茜の両親を探すこととなのでその解決もあるが、歴史推理、という面も持っている。
らしい。
というのは、ちょっと気づかなかったもので・・・

新しい形、あるいは、面白い形、の物語である。
金閣寺、のほうも読んでみよう。
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雨・・・雨・・・雨

2006-07-24 22:08:01 | 日々雑感
昨日の夏祭りはどうにかこうにか雨が降らずにすんだ。
ここ2週間、とりあえず日曜日だけは降らずにいる。
といっても日もささずにいるのだが・・・

まだこの地方は、うっとおしい雨、ですんでいるが、長雨、豪雨での被害が日本各地で起きている。

雨の災害ではあるが、かならず「人災」のように行政がこれから責められるのかと思うとなお憂鬱である。
安全や安心には絶対というものはない、それゆえに、自らがあらかじめしておかなければならないことがあり、そして、気持ちを切り替えて前を向くことが必要なのではないだろうか。

学校への侵入者を防いだところで、送迎の当番の父兄が殺人を犯したり、あまつさえ母がわが子を殺す、これでは何が安全で安心なのかわからない。
行政や他人をあてにする前に自らが何かをしないといけないのではないだろうか。

雨が降り続くと、なんだか、あちらこちらが湿っぽくて、身も心ももさらに錆びてきてしまうようである。

人は環境に左右され、自分でも説明ができない何かを抱えている、と思う。
すべてを科学的にそして万人がわかるように説明をしようとするから、さらにややこしくなってしまう。

どこかで区切りをつけなければならないのではないか。
というわけで、そろそろ梅雨にも区切りをつけたいのである。

追伸
 依然として「あちらを読んでこちらに戻る」という読書生活である。そして本日「小説新潮」と「オール読物」を買ったのであった。
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ホームページ更新

2006-07-23 23:08:56 | 日々雑感
久しぶりにホームページを更新しました。

今週は更新作業に勤めたいと思っています。
今回は、読書日記を4月分まで、そして「青春のうた」を新たに追加しました。

これからはこまめに更新をしていきたいと思っています。

追伸
 今読んでいるのは、「とんち探偵一休さん 謎解き道中」(鯨統一郎)、「最後の喫煙者」<自選ドタバタ傑作選>(筒井康隆)、「ほんじょの鉛筆日和」(本上まなみ)、あいかわらずの節操のなさであります。
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夏祭り・・・寒い

2006-07-22 16:04:04 | 日々雑感
今日と明日は私の住んでいる町の夏祭りである。

であるが、何しろ寒い。
今日は長袖を羽織っている。
夏祭の気分ではないのである。

それに雨。
だいたい、この夏祭あたりが梅雨明けになるのだが、今年は全然その気配がない。

それでも夏祭り。
あさから「わっしょい!」の声が聞こえたりする。・・・・寒い。
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十五少年漂流記 ヴェルヌ <訳>波多野完治 新潮文庫

2006-07-21 20:53:31 | 読んだ
子供ころに「世界少年少女文学全集」で読んだものだ。
新潮文庫の100冊にあったので、マスコット人形をもらいたいがために買ってしまった。

子供向けに訳されたものとどう違うのかも確かめてみたかったからでもある。

ヴェルヌといえばこのほかには「海底二万里」とか「80日間世界一周」などを読んだが、一番のお気に入りはこの「十五少年漂流記」であった。
この物語の題名の話や設定などに瑕疵があることなど「あとがき」に書いてあるが、そんなことなど吹き飛ばすような「面白さ」なのである。

15人の少年たちが乗った船が漂流し、無人島へたどり着く。
そこで少年たちは知恵を絞り勇気をもって生活をする。
その知恵や勇気に子供のころはあこがれた。

今回読み返してみると、彼らは立派に「民主主義」によって共同生活を行っている、ということに感心する。
島の大統領を選ぶのにも選挙をする。何かを決めるには「話し合い」を行う。そこには上級生や下級生の区別はない。
一方、彼らが果たすべき義務や責任は、ちゃんとその人の年齢や能力にかなったものであり、無分別な平等はない。上級生は下級生を守るのである。
さすが、民主主義の世界の住人である。

もっとも、黒人の見習い水夫モーコーには選挙権がないという、ちょいと割り切れない話もでてくるが、それはそれで当時の状況をあらわしているんだと思う。

それにしても1888年(今から118年も前)に書かれたものであるが、そのころの子供たちはしっかりしていたんだなあ、と思うのである。
世の中が進んでいろいろなことができるようになったのに、人間そのものの能力というか生命力は低下してきているのではないだろうか?
なんてことも思ったりしたのである。

十五少年漂流記はフランス版(つまり原版)の題名と同じ「2年間の休暇」としても出ているらしい、が、やはり十五少年漂流記のほうがしっくりくる。
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編集者T君の謎 大崎善生 講談社文庫

2006-07-20 22:39:50 | 読んだ
著者は日本将棋連盟に入り、91年から10年間「将棋世界」という雑誌の編集長を務めた。
1957年生まれというから私の生まれた次の年生まれである。

この著者のものは2冊読んでいる。
「聖の青春」と「将棋の子」である。
「聖の青春」は夭折した村山聖九段の話であり、「将棋の子」は年齢制限で将棋界から去っていった若者たちを描いていた。
いずれも、非常に面白く悲しい話であり、私のお気に入りの本である。

本書はエッセイである。週刊現代に連載されていたもの。
内容は将棋界の出来事や思い出が中心である。多くは「笑える」話である。

しかし、将棋界は弱肉強食の世界、強いものが勝つところである。したがって常に負ける者=弱者もいるわけである。
勝った者の話も面白いが負けた者の話も面白い。
「面白い」というのは興味深いあるいは同感するという意味であるが「おかしい」というのもある。

勝負の世界はドロドロした部分もあるが、明確に勝ち負けがわかるのである意味サッパリしているというか、負けても爽快感があるみたいである。
私は勝った負けたの生活をしていないので、そのあたりは実感を伴うことはないが、なんとなく「いいなあ」と感じたりしているのである。
つまり、この世の中は「勝ったり負けたり」であって、だからこそ「勝つ」ということの価値があるのではないだろうか。
しかし、勝負が明確に現れないところでは、みんなが勝ちたい、みんなが勝つ、という具合に思い込ませようとしている。その曖昧さそして変な「ぬるさ」みたいなものが社会を悪い方向に向けているのではないのか。
やっぱり、ある程度は勝負の厳しさみたいなものが必要なのではないだろうか、と思ったりするのである。

島朗(あきら)八段の話の中で、島が将棋界の変革のリーダー的存在として、その変革の考え方が羽生善治に引き継がれたとしている。
そして、将棋界は大きな変革、技術的にも精神的にも、が行われている最中なのだそうだ。
つまり、これまでの将棋は「芸」であり「道」であったが、「ジャスト・ア・ゲーム」として、ゲームとしての将棋の本質をプロは掘り下げていくということらしい。

そのことについて

どんなことでも変革には苦しみが伴うものなのである。そして変革していく側は変革されていく側の苦しみを突き破っていくようなパワーやエネルギーが必要なのである。

と著者はいう。
全くそのとおりではないか。

ところで本書の題名「編集者T君の謎」であるが、このT君が変り者の多い将棋指しに比して劣らない変り者なのである。というか常識がないというか、それは本書を読んでのお楽しみである。
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謀将 石川数正 南原幹夫 新潮文庫

2006-07-18 21:28:22 | 読んだ
南原幹夫の小説ってずいぶん読んでいると思っていたら、これがはじめて買った本であった。
たぶん、南條範夫と間違っていたんだろう。

この本は「謀将シリーズ」の完結編らしい。
「名将 大谷刑部」「信長を撃(はじ)いた男」と続いて本書らしい。

さて、なぜ私がこの本を読もうという気になったかというと「石川数正」に興味があったのである。

山岡壮八の「徳川家康」全26巻を高校時代に2回読んで、その後文庫本を購入して2回くらい読んだ。
その、徳川家康の物語のいわゆる中盤の大盛り上がりの部分は、石川数正の徳川家出奔、豊臣秀吉の家臣になる、というところなのである。

ところが、盛り上げるだけ盛り上げておいて、その後石川数正はあまり登場しなくなる。
で、その後石川数正はどうなったのであろうか、というのは長い間の疑問だったのである。

そこへこの本である。何で買わずに、あるいは読まずにいられようか!

ところで、ちなみに・・・山岡壮八の徳川家康は、家康が主人公ではあるが、中盤以降、家康以外の人たちが話しの中心になったりする。
たとえば、本書の石川数正、それから本田作左衛門重次、大久保長安、片桐且元など、割と有名ではなかった人たちを描いて、そこから家康を描いている。(ぜひ、この26巻を読んでいただきたい)

というわけで、石川数正は徳川家を出奔しライバルである豊臣秀吉の家臣となり信州松本10万石の大名となる。
そして・・・・おっとこれはいってはならぬこと。

それから、石川数正が亡くなってその長男の康長の時代も描いてある。
なので、数奇な運命をたどった徳川の譜代「石川家」についても知ることができ、石川数正が描き謀略を重ねて築いた天下がどうなったのか、そして天下を築くのに努めたその子孫はどうなったのかもわかり、フームとうなることができるのである。

ちょっとマニアックな石川数正を本書を通じて知ると、もっと大きな歴史の中ではどう描かれているのかを知りたくなるのではないだろうか。今まで描かれたことのなかった人ではあるが、物語の主人公たる人であることがわかった。

南條範夫を間違わずに南原幹夫を注目していこうと思う。
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我が愛しのキャンディーズ NHKBS

2006-07-17 23:04:36 | 観た、聴いた
今日こそは読書日記だぞ!
と思っていたのに、NHKBSで「我が愛しのキャンディーズ」なんてやるものだから、そっちのほうに気持ちがいってしまった。

キャンディーズ!
私、スーちゃん(田中好子さん)と同い年です。
確かデビューが高校2から3年生にかけてぐらいだと思うのであります。あのころキャンディーズの歌をハモったりしていたんだよね、男子高校生が・・・

デビューから何曲かはスーちゃんがメインボーカルでした。ちょっと特徴のある声でしたね。で、なんというかキャンディーズをどうイメージするか、というのがまだ明確でなかったあるいは最初のコンセプトが間違っていたんでしょうね、マニアには受けましたが、一般的な盛り上がりにはかけていたような気がします。

そんなキャンディーズがブレイクしたのは「年下の男の子」でした。
3人の中でも人気が高いランちゃんがメインボーカルで、なんといっても
♪年下の男の子♪の部分の<とし しぃったの>というところがよかったですねえ。そして「あぅ」というコーラス部分・・・いやいややっぱり「あいつは あいつは かわいい」と指さすところ・・・やっぱり・・・失礼しました、取り乱してしまいました。

キャンディーズの誰がいい?
というのは当時その人の性格や好みを知る上での、格好の質問でした。

なんといっても認可が高いのはランちゃんですが、スーちゃん派もミキちゃん派もがんばってましたね。
私?
私は、それぞれ個々の誰それ、というよりも、やっぱりキャンディースというグループに惹かれていましたのでねえ、ええ、ミキ、ラン、スー、の順番でしたかね。

今夜のテレビでは、キャンディーズの懐かしい歌だけではなく、コントまで放映してくれまして、久々にあの「世界のキャンディーズになるために」というものを見ました。お宝物ですねえこのビデオ。

で、キャンディーズの中で好きな歌は?と聞かれたら
「哀愁のシンフォニー」「やさしい悪魔」「わな」「アン・ドゥ・トロワ」といういわゆる後期の作品と、「年下の男の子」「その気にさせないで」などの中期の作品がありますが、私はなんと言ってもデビュー第2弾「そよ風のくちづけ」(アルバムでは<盗まれたくちづけ>)ですね。
でだしの
♪シャラ・ラーララ・・・・♪がよくて
♪あれから 夢心地 (ゆめごこち)♪という部分がいいんだなあ・・・

どうも若い時分のアイドルの話になると常軌を逸するというか多弁になるので、本日はこのあたりで、ということで。次回をお楽しみにのこころだー!
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100日

2006-07-16 21:45:16 | 日々雑感
父が亡くなり100日経った。いわゆる「100ケ日」である。
墓を建立し納骨をした。

この100日間というのは、いろいろな人から父のことというより、一族の話をいっぱい聞いた。

一族のあの人はこういう人だった、そういえばこういう人もいた・・・などなど。

つまり、この100日の間にあった人たちから、先祖や一族の消息を聞くことができたのである。
これは長男が戸籍を調べ墓を調べ「系図」を作成していたことが大きな要因である。来客者にその系図を見せて加除を行い、徐々にいろいろな事実が判明することになったのである。

また、父が亡くなってから「悲しい」とか「寂しい」という気持ちになったことがない。
これは急になくなったのではなく、徐々になくなることへの覚悟が私の中で熟成されていたことによるものだと思う。

非情に残酷というか薄情というか、なのだが、父がもう亡くなってしまうんだ、と思い始めたころから、私の心の中では父はもう亡くなってしまっていたのではないだろうか、と思うのである。

つまり物体として存在する父と、精神的・心情的に存在する父のギャップがあり、精神的・心情的に存在する父の存在的重みのようなものが減少していくことが父との惜別の期間だったのではなかろうか、と思うのである。

もっともその惜別の期間は私にとっては「怒り」の期間であり、世間一般でいう「惜別の期間」とはちがう期間だったような気がするのである。

それにしても、この100日の間、自分というものがどういう存在の間に誕生し成長して来たのかということを確認することができたというのは、なんだかとっても嬉しい感じがするのである。
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