読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

偽書「東日流外三郡誌」事件 斉藤光政 新人物文庫

2009-12-31 16:29:01 | 読んだ
「東日流外三郡誌」は『つがるそとさんぐんし』と読む。

青森県の日本海側に十三湖というのがある。
吉幾三の『津軽平野』のなかに
♪十三湊(じゅうさんみなと)は西風強くて♪
とうたわれているところである。

その十三湊は古代、世界に向かって開かれていた。

この国は「安東国」といい、日本の中の別の国、つまり独立国として栄えていた。
蝦夷と呼ばれて、日本(天皇国)から蔑視・阻害され続け、日本に負け続けてきた東北地方が、実は優れた国家であった、ということが、書かれている古代文書が『東日流外三郡誌』である。

その『東日流外三郡誌』が発見された、そして、それが村史の資料として発刊された。
そこからこの事件が始まる。

題名にあるとおりこの「東日流外三郡誌」或いはこの文書を含む「和田家文書」は偽書である、ということについて、青森県の東奥日報という新聞社の記者である著者が、取材を通して知りえたこと学んだことを、時系列で書いてある。

これが、この事件に関わった人たちには非常に申し訳ないのだが、『非常に面白い』のである。

私は、この「東日流外三郡誌」そのものを読んだわけではないが、いろいろな小説でその断片を、つまり噂を聞いていた。
そして、その噂を「好ましい」と感じていた。

それは、古代から東北地方が蔑視され、全ての戦いで負け続け、なんともいえない劣等感或いは敗北感のようなものを、私自身感じていたからである。

しかし、どう考えても「バカバカしい」話であり、眉唾物である。
もしそういう国が存在したとしたら、全てが跡形もなくなくならないだろう。なにかその痕跡を残す風習や文化などがあるはずである。

ということから「好ましい」とは感じていたが、いわば「与太話」の類であろうと思っていた。

まさか、そのことを巡って真剣に真偽を争っていたとは思わなかったのである。

というわけでこの本は非常に興味深くそして面白く読んだ。

真書か偽書かという問題よりも、「和田文書」といわれる文書の発見者であり、作者でもあるとされている和田喜八郎という人が興味深い。

金のためだとか色々といわれているが、すさまじい執念である。
これでもかこれもでかというくらい「偽」である証拠というか印を突きつけられても、最後の最後まで認めなかったというのは、どういうことだったのだろうか。

すでに故人となってしまったため、真相は推理するしかないのだが、「すさまじい」としか言いようのない人生であったように思える。

ともあれ「東日流外三郡誌」は多くの人や団体を巻き込んだものであり、いまだにその渦から逃れられないものもいるということが、本書を読むとよくわかる。

追伸
その後「東日流外三郡誌」をインターネットで検索すると、一杯でてきてびっくりした。そして、今なお真実であるという主張をしている人や、信じている人がおおいことにも驚いた。
まだまだ「生きている」のだなあと思ったのである。

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白骨の語り部-作家六波羅一輝の推理- 鯨統一郎 中央文庫

2009-12-29 21:02:46 | 読んだ
いつもの「鯨ワールド」と思って読み始めたら、違う。
なんというか「まじめ」なのである。
というか「本格派」というか。

前半はこのシリーズ(作家六波羅一輝の推理)の謎解き人である、六波羅一輝とその相棒の北村みなみの紹介もあり、事件の前段があり、なので、戸惑うというかよくわからない部分もあるが、読み進めば、ああそうなのか、と思う。

舞台は「岩手県遠野」
したがって、民話がちりばめられている。

トリックの一部と、犯人は途中から容易に推測できるが、肝心なキーとなる謎は、やっぱり最後にならないと解けない。

だから途中から読むのを急いでしまった。

これまで読んだ鯨統一郎のミステリーは「バカバカしさ」が、陰惨さみたいなものを救ってくれたし、どのようにバカバカしく謎解きをするのかというところも『読みどころ』だった。

しかし、今回(というかこのシリーズ)はそうではないらしい。
とはいいながら、探偵である六波羅一輝は、パソコンに向かっていると、意識が飛んで自動筆記状態になり、それが事件解決に結びつく、というのだから、ちょいとバカらしさがあるが、これまでとはキャラが弱い。

ならば、どのようなところに『読みどころ』があるのか、本格的に舞台次の「ニライカナイの語り部」(2010年1月刊行予定)に期待したい。

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泣き虫弱虫 諸葛孔明 第壱部 酒見賢一 文春文庫

2009-12-23 17:40:04 | 読んだ
別冊文芸春秋の2002年1月号から連載が始まった。
その後、私のほうは別冊文芸春秋が手に入らなかった(本屋に行っても見つけられなかったりした)ため、何回かは読んだのだが、あきらめていたものである。

酒見賢一の「陋巷に在り」が好きで全13巻すごくおもしろく読んだ。
そして、満を持したかのように「三国志」に挑んだ。

「正統的」であろうと思っていたのである。

しかし、この物語に登場する諸葛孔明は、これまでとは違ったキャラクターになっている。
何しろ、文庫の帯には
『こんな孔明、見たことない!』
と大きくあって、続いて
『神算鬼謀の大軍師?はたまたヤクザ以下の変奇郎?』
とある。

三国志のファンはこの物語を読んで二つに分かれると思う。
一つは、受容派。
この派は更に二つに分かれる。積極的受容派と消極的受容派である。
もう一つは、否定派。
絶対に許せない!イカサマ!ペテン師!孔明様を侮辱している非三国志民!
という絶対否定をなさるに違いない。

で、私は勿論、積極的受容派である。

第壱部は、いわゆる孔明出盧までの、あまりわかられていない部分の孔明が描かれている。
一部の最後は、あの有名な「三顧の礼」である。

何がこれまでの孔明像と違うのか?

著者は、孔明の逸話を史実に照らして検討すると、戦火に油を注ぎこそすれ、平和を実現することはなかった、また戦に勝ったことなど数えるほどしかない。として、後年の北伐(魏との戦い)では4戦4敗しているのに、名宰相、軍略の天才という評価に疑問をあらわしている。
そして「おとなげない男」とまで言い切っているのである。

で、物語では、たとえばチンピラたちに孔明についてこう語らせている。
「自分たちはごろつきであり、決して人様に威張れるような者ではないが、孔明ほど人でなしではない」

また、この物語の大きな特徴は、著者が登場人物に対し或いは歴史的な出来事について「ツッコミ」を入れていることである。
というか「ツッコミ」だらけであるといっても過言ではない。(「・・・過言ではない」という表現は過言なのであるからそのあたりはご容赦願いたい)

興味のある方はゼヒ読んでもらいたい。
バカ受け、大笑いする人は、仲間である。ぜひご一報を願う。

そのうち、泣き虫弱虫諸葛孔明オフ会、なんてできるかもしれない、中毒になりそうな物語である。

すでに、第弐部が単行本で出ている。文庫派の私だが・・・迷ってしまう。

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警察庁から来た男 佐々木譲 ハルキ文庫

2009-12-19 23:50:34 | 読んだ
「笑う警官」に続く道警シリーズ第二弾!
なのである。

北海道警察の不祥事を題材にした物語の「笑う警官」で、道警における不祥事は払拭された、ということになった。
しかし、どうもやっぱりナニかあるらしい。

ということで、警察庁から特別監査が道警に入った。
そして道警は大騒ぎ。

その大騒ぎと同時進行で、不可解な事件、というか、事件が事件で無くなってしまうようなことが起きる。

「笑う警官」事件の時、独自に(つまり不正規に)操作をした、佐伯警部補と新宮巡査は、その後『閑職』にまわされていた。
その二人が、ホテルの部屋荒らしの捜査に携わる。
そこから、事件は広がっていく。

また、警察庁かたきた監察官藤川警視正は、笑う警官事件の時、道警から射殺されそうになった、そして議会の100条委員会で不祥事について証言した「うたった」警官の津久井を観察の助手に指名する。
さらに、観察を進めるとあの女性警察官の小島百合も助手に指名される。

佐伯と新宮が捜査をするめるうちに新たな殺人事件が発生する、また監察を進めるうちにやっとたどりついた「キーワード」

不祥事というのは、組織の疲労が原因だと思う。
そのことについて、例えば道警のように異動で対応をすると新たな問題が発生する。

つまり組織疲労による弊害を取り除くのは非常に難しいのである。

組織全体で不祥事に対応する、といったって、必ず自分は特別な存在であると思っているやつがいて、結局、組織全体ということにはならない。

そんなことをこの物語を読みながら考えた。

正義とはなにか、正義を貫くというのは何か、正義のために不正義があってよいのか。
いろいろな問題を抱えてこの物語は進んでいく。

いやあ、ホント身につまされる、と思い、ため息とともに読み終えたのだ。

道警シリーズ第3弾として「警官の紋章」が単行本で出ているとのこと。文庫になるまで待っていよう。

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酒場歳時記 吉田類  NHK出版生活人新書

2009-12-15 21:23:26 | 読んだ
毎週月曜日21時から22時まで、BS-TBSで放送されている「吉田類の酒場放浪記」は、近頃大のお気に入りのテレビ番組である。

その吉田類の著書「酒場歳時記」である。

吉田類とは何者か?

本書には『酒場詩人』とある。
履歴には『画家』(仏教美術に傾倒し、シュール・アートの画家、というから、要するに我々凡人にはなんだかよくわからない画を書く人なんだろう)として活動し、パリを基点に渡欧を繰り返す。

続いては『イラストレーター』に転身
更に1990年代からは酒場や旅をテーマに執筆をはじめ、現在は俳句愛好会を主宰している。

従って、本書も「歳時記」とあるように、本書は『句集』の観もある。
つまり、俳句が見出しのようになっていたり、酒場放浪記のように結末(まとめ)となっていたりする。

本書は2004年発刊である。だからちょいと現実とそぐわないところもある。その辺は酒場の案内書ではないのだから。
そう、本書は、酒場を巡り歩いて、その時その都度感じたことを書き留めているのであり、決して酒場の案内書ではない、そのことを心がけていなければならない、つまり本書を読んでその店に行ってみようなんて、あまり強く思わないほうがいいのである。

『はじめに』にこんな文章がある

「酒場は、春に芽吹いた路傍の草のようである。初夏に可憐な花を咲かせたかと思うと、稔りなきまま枯れてしまったり、辛うじて冬を乗りきったりする。」

どうですか、2枚目の文章ですよねえ。

とっても、酒場放浪記でみる、あの飲んだくれのおっさんが書いたとは思われない。

更に
「(前略)地下鉄を乗り換え、街を歩き、横丁に入る。酒と出会い、人と出会う。発見と喜びがあり、別れがある。
 それは、酒場を巡る四季であり、世相を反映したレアな人間学スポットなのだ。」

なんて、いかにも俳人らしいではないか。

類さん(親しみを込めてこう呼ばせてもらおう)の酒場めぐりのいいところは「雑然とした」或いは「うらぶれた」カンジであるところで、いわゆる「こだわっている」というような店ではなく、それでいて「凝っている」、そんな店に行くことである。

そして類さん自身も、「酒はこうでなくてはならない」とか「肴はこうであるべき」とかのない人である。

そうして、鋭く社会と人間を観察し、暖かく眺めている。

酒や酒場に関しては融通無碍で、なんでもあり、何でも来い、という姿勢は、例えば「下町のハイボール」である「酎ハイ」のルーツをさぐりながら、『だから酎ハイはこうあらねばならぬ』などとはいわない。
『いいじゃないの、いっぱいあったって』というカンジ。

久しぶりに読み終えるのが寂しかった本であった。

ちなみに、私の好きな「句」は

夜桜や天に猫の目ひとつあり

汗ホッピー厨の猫の多きかな

と猫にちなんだものでありました。
というか、類さんの句は難しい。

それより、ぶんではあったが、こちらのほうが『句』または『短歌』のようであった。

ジャズにはバーボン系のウィスキー。それに、隠れ家。

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週刊 池波正太郎の世界1 朝日新聞出版

2009-12-13 20:52:20 | 読んだ
全30巻の予定で発刊された。
予定では、そのうち「鬼平犯科帳」が7冊、「剣客商売」が6冊、「仕掛人・藤枝梅安」が4冊、そして「真田太平記」が4冊、そのほかは1冊づつ特集である。

狙いは「真田太平記」である。

いやそれより何より『池波正太郎の世界』という雑誌を
「私が買わずして誰が買うのか!」
という自負である。(なんちゃって)

というか、迷った、のである。
何も、そんな本を読まなくとも「作品」を読んで、自分なりの「池波正太郎の世界」があればいいのではないのか。
そういうものを読んで何を得ようというのか。
どうせ・・・・。
と、思ったのである。

しかし、やっぱり、欲しい・・・

さて、第1巻は「鬼平犯科帳」の特集その1である。

鬼平犯科帳は、主人公の鬼平こと長谷川平蔵の魅力もさることながら、登場する盗人(ぬすっと)たちや、火付盗賊改め方の役人たちや密偵たち、いや登場する全ての人たちが『そうだよなあ』とうなづける設定であることだ。

それは、その人たちそれぞれが複雑な胸のうちというか考え方を持っていて、つまり「矛盾を抱えながら生きている」ということである。
だから、本当の話のように、こちらは感動するのである。

本号にも紹介されている名言。

「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ。」

この考え方が鬼平犯科帳だけではなく池波正太郎の作品を通して流れているものだと思う。

というわけで、池波正太郎の世界、30巻読んでみたいと思う。

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のだめ カンタービレ #23 二ノ宮知子 講談社

2009-12-11 21:43:55 | 読んだ
とうとう「のだめカンタービレ」も終了。
『ついにグランド・フィナーレ!』だそうである。

この物語は、誰にでもわかるすごい才能を持つ千秋真一と、なんだかよくわからないがすごい才能を持っているらしい野田恵が主人公の物語である。

二人とも持っている才能とは「音楽」である。
千秋は指揮者として、その才能を順調に発揮し伸ばしていく。
一方『のだめ』(野田恵)は、ぐらつきながらその才能を発揮していく。
というクラシック音楽を題材とした縦糸の成長物語。

そして、千秋と『のだめ』の恋物語。

私としてはどちらかといえば二人がであって大学の中で動き回っていた頃がよかった。

二人が世界へ飛び出して、その成長が大きく伸び始め、そして千秋がのだめを意識し始めた頃からなんとなくトーンダウンであった。
(というか、登場人物たちにカタカナの名前が多く登場したからではないか、という声もある)

さて、通常物語の終わりはクレッシェンドで、というのが普通である。
盛り上がって盛り上がってクライマックス、そしてサヨナラ。

しかし、のだめはデクレッシェンドであった、と私は思う。
というか「そっちのほうにいってしまうの?」というカンジ。

マッ!それも悪くはなかったけれど。

なんとなく「続き」がありそうな感じのサヨナラでありました。

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落語娘 永田俊也 講談社文庫

2009-12-09 22:50:11 | 読んだ
本屋でなんとなく目についた。

実は(というほどのものでもないが)
私は落語が好きである。
寄席に一日いても飽きない。

というわけで題名に「落語」というのがあると、手にとってしまう。
文庫本の表紙には落語娘が居る。
映画化されたときの主演「ミムラ」である。

というわけで早速購入したのであった。
あまつさえ、DVDも借りてきた。

読んでから観るか、観てから読むか。
というのは、角川映画の「人間の証明」のときのコピーであったが、今回は、読んでから見ることにした。

私の場合は「読んでから観る」というのが主である。
これを私は「読先」と読んでいる。つまり読書先行である。この逆の場合は「映先」である。
なお、非常に難しいが「読みながら観る」というのもある。但しまだ実践していない。

閑話休題
さて、この物語は、主人公の香寿美が、女落語家として成長していくさまを面白おかしく描いている。
と、思ったら大間違い。

主人公は、小学生の時大好き叔父に連れられて寄席にいき落語そして三松家柿紅に出会う。
その叔父がガンになり、彼を励まそうと落語を一席、病室で語る。
以来、高校・大学は落語研究会のあるところに入り、素人ながら落語に精進する。

そして、とうとう落語家に弟子入りする。
ところがその師匠は長い間あこがれていた三松家柿紅ではなく、その兄弟子ながら破滅型の三々亭平左であった。

それから彼女の苦難が始まる。
女の落語家だということ、厳しい序列社会、そして頼りにならぬ師匠。

ところが物語はコレだけではない。
落語会に伝わる超因縁噺。
「その落語に関わると死ぬ」
という話がある。

その落語を作った明治の落語家、初代・芝川春太郎。
昭和初期にその噺を語っている途中で死んだ風花楼朝治。
そして昭和40年にその噺の前半を語り終えて楽屋で亡くなった竹花亭幸助。

その噺「緋扇長屋」を、香寿美の師匠・三々亭平左が演るというのである。
さて、その結末は・・・

なんだかよくわからない展開ではあるがおもしろい。

映画はほぼ原作にそって作られている。
香寿美をミムラ、師匠の平左を津川雅彦が演じている。

小説も映画も「落語」が好きな人にはお勧めである。

なお、文庫本にはもう一本、オール読物新人賞を受賞した物語で、上方の女流漫才師を描いた「ええから加減」もある。
こちらもお勧めである。

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笑う警官 佐々木譲 ハルキ文庫

2009-12-07 21:08:02 | 読んだ
「制服捜査」を読んで著者について興味を持っていたが、何を読もうかと迷っていた。

「笑う警官」は映画化されたこと、そして同名のマルティン・ベック・シリーズを読んだこと(どういう内容だったか忘れてしまったが・・・)、そして本屋で目立っていたことから、読もうと思った。

読みはじめると「デジャブ」
北海道警の不祥事の話。
で、思い出した『制服警官』の出だしもそうだった。

道警でおきた、捜査員の不祥事。本書では「郡司警部事件」となっている。
銃器対策課の郡司警部が覚せい剤の密売を行っていたことから、道警組織内の捜査員総入れ替えが行われた。

長期にわたって同じ部署にいると不祥事が発生する。
という理由である。

しかし、末端における不祥事の因は、上層部の明かされない不祥事である。
それはいわゆる「裏金」の件である。

このことが「笑う警官」と「制服捜査」の下地になっている。

「笑う警官」は当初「うたう警官」という題だった。
この「うたう」ということがこの物語の一つの核になっている。

不祥事と裏金に関して、議会の喚問があること。
上層部と現場とに大きな乖離があること。
警察の捜査には、おとり捜査や情報の取引があること。

こんな環境の中で、北海道警本部生活安全部の女性巡査が遺体で発見される。
その犯人は交際相手である津久井巡査部長であるとして、発見し次第射殺するよう命令がでる。

津久井巡査部長は、郡司警部の部下で郡司警部の行ったことを知っている、とされている。
その捜査過程や射殺命令という異常さに疑問を持った警察官たちが、独自に捜査を始める。
そしてたどりついた真犯人とは・・・

というのが本書の概ねの構造である。

「うたう」というのは、いわゆる自白ということであり、警察官がたとえそのことが悪であっても、そのことを話す(うたう)ことはあるまじき行為という警察文化が厳然としてある。
そのうたうことと悪を暴くということを秤にかけてどっちをとるのか?
警察官たちは悩む。

少しカッコよすぎるが、面白い物語であった。

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やどかりの人生-君たちに明日はないPART3- 垣根涼介 小説新潮11月号

2009-12-05 19:30:59 | 読んだ
「君たちに明日はない」シリーズのPART3が小説新潮に掲載されている。

このシリーズは、今までもこの雑誌に掲載されていたのだが、迂闊にも・悔しいことに見逃していたのであった。

主人公は村上真介。
「日本ヒューマンリアクト株」に勤務している。

この会社は「リストラ」つまり社員の首切りを請け負っている。
従って、真介は委託を受けた会社に赴き、リストラに指名された社員にいわば「引導」を渡す仕事をしている。

恋人は芹沢陽子。
年上の恋人である。そして彼女も委託を受けて退職を奨めた一人である。

今回の物語は『旅行代理店』が舞台である。
その会社にいる古屋という営業は、九州大学を卒業し大手広告代理店に勤めるものの2年で退社、次には業界最大手の製紙会社に就職、しかしここも半年で退職。次に旅行代理店の日本ツーリストに入社。

その面接試験時に『一生勤める気はない」『給料の3倍の収益を出す』といい合格した。
そして、そのとおりの仕事をしている。

しかし、そのとおりの仕事というのは、3倍の収益を出す仕事であり、それ以上に収益を出そうとしない、つまり無駄な仕事はしない、のである。

あっさりと3倍の収益を確保するのだから、優秀、なのである。
しかし、優秀な人間に社会や世間が求めているのは、一生懸命なのである。

私も思う。
有能な人間に求められているのは、いつでもどこでも一生懸命に仕事をして成果を挙げること。但し、その成果を認めて給料を上げることはしない。
また、一生懸命仕事をしていても成果を上げられない人間には、給料を下げない、というやさしさがある。

有能な人間は長期的には評価されるが、そこまで待てない人間のうち出世に興味のないものはあっさりと脱落していく。
そのあたりが人事管理の難しさである。

というわけで、この古屋を真介がどのように退職に追い込むのか?

というところが見所である。

この物語はリストラという、いわば「暗い」ところを軸にしているので、厳しく・冷たく・やるせない。そして、リストラされる側の気持ちが身につまされる。

しかし、この物語の後味はいい。
すがすがしいというか、さっぱりする、というか、いわゆるハッピーエンドなのである。

12月号は「みんなの力」という物語である。

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ローマ人の物語37 最後の努力(下) 塩野七生 新潮文庫

2009-12-04 23:00:33 | 読んだ
「最後の努力」とは何か?

ローマ帝国を継続させようという努力なのかと・・・

『4頭制』という皇帝4人によるローマ帝国の運営は、蛮族の侵入から帝国を守り、パスクロマーナ(ローマ帝国の平和)よ再び、というのが狙いであった。
これは、ディオクレティアヌスの改革であった。

そして、その後はコンスタンティヌスである。
彼は、ローマの平和を守りつつ、4頭制を破壊し、唯一の皇帝となった。

ローマの皇帝は『ローマ市民の代表』である。
これは共和制の名残ともいえる。
つまり、当初は市民の投票で選ばれていた、ローマの第一人者が、カエサルによって皇帝制に移行しても、皇帝に就任するためには元老院の承認が必要だった。

そして、皇帝は生涯皇帝でいられたが、不都合があれば「死」によってしか罷免されたなかった。

こういう制度の打破をコンスタンティヌスは改革することにしたのである。
と、著者は言う。

権力者に権力の行使を託すのが『人間』であるかぎり、権力者から権力を取り上げるのも『人間』である。

ということの「人間」の部分を「神」に変える。

それには、多神教のローマの神々では役割を果たせない、そこでコンスタンティヌスは唯一神の「キリスト教」を選んだ。
というのである。

「フーム」
「なるほど」
とうなってしまった。

しかし、このことによってローマは大きく変わってしまった。
そして『パスクロマーナ』は再び戻ってこなかった。

この「最後の努力」は久々に面白かった。というか、考えさせられた。
組織や制度は陳腐化する。
どうあがいても創られたときから陳腐化する。

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雷を斬った男-立花伯耆守道雪- <家老列伝> 中村彰彦 オール読物12月号

2009-12-01 23:13:20 | 読んだ
オール読物に時々掲載されている「家老列伝」
久々に12月号に掲載された。

立花道雪が主人公である。
九州・豊後の大名、大友宗麟の家老である。

大友宗麟が、大友家を継ぐにあたって内紛がおき、その時宗麟(当時は義鎮)を推し、大友家を大きくしたのが立花道雪である。

立花道雪は、大友家の一族・戸次(べっき)氏に生まれ、戸次鑑連(べっきあきつら)と名乗っている。

父が早くなくなったので、若くして戸次家の家督を継いだ。
そして若いころから戦上手で人使いがうまかった。

さて、題名となった「雷を斬った男」というのは、道雪が若いころ楠の老樹の根元で昼寝をしていたとき、にわかに雷雲がわきあっという間に楠の梢を掠めた稲妻が左足を襲った、その時道雪は稲妻を斬ったのである。

その後、道雪は左足が不自由になり、出歩くには輿か駕籠に乗るしかなくなった。
にもかかわらず、戦場では勝つ。

また、大友宗麟も若いころ乱行にはしった。
昼は管弦の響きのうちに暮れ、夜は乱舞狂言のうついに明ける、夜明けと共に美女をかき抱く、という生活である。

これをいさめる人がいなかった。
いや諌めるどころか、一緒に宴席につらなった。

それを、聞きつけた道雪が諌める。
このあたりがおもしろい。

立花道雪の人生をいっきにたどるものだから「急ぎ足」の感が否めないが、なかなかおもしろかった。

九州の戦国大名の生き残り合戦も、相当に凄まじく、その生き残りとなった立花家の物語であるが、長編の形で別の機会で読んでみたいものである。

家老列伝は単行本になっている。
「東に名臣あり-家老列伝」である。
いずれ文庫本で読もう。

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