読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

棲月(せいげつ) 隠蔽捜査7 今野敏 小説新潮連載2016.10~2017.08

2017-08-27 23:45:18 | 読んだ
雨が続く夏、楽天イーグルスは負けが込み、仙台育英は春優勝した桐蔭学園を破ったものの敗退、8月後半は心が沈むようなできごとばかりで「あ~あ」というカンジであります。

ところが、そんなとき読書は進むわけです。
ということで、小説新潮8月号で最終回を迎えた、隠蔽捜査シリーズの最新版「棲月」を読んだのであります。



毎回のように言っていることでありますが、連載小説特に推理ものは毎月読んでも時々つながりがわからなくなるので、最終回を待ち、そして読む、ということをしているのです。ただし、すごく長い連載の場合は大変です。そんな時は、文庫が出るまで待つ。
つまり、私の読書は待つから始まるのであります。

さて、隠蔽捜査です。
題名の「棲月」というのは、筆者の造語ではないでしょうか?
棲むはおおむね住むということではありますが、「棲棲(せいせい)」は、あわただしいさま。忙しいさま。ということがネットで調べたらありましたので、その意味も込めてあるのかな、と思いました。

で、主人公の竜崎大森警察署長は忙しいのである。
ともかくも、書類の決裁をするのが大変である。
この決裁であるが、おおむね内容を見ずにハンコを押すいわゆる「めくら判」(不適切な表現の指摘は甘んじて受けます)がふつうであるのに、竜崎は書類に目を通すので時間を要するのである。

そして事件発生。

一つ目は私鉄のコンピュータ異常、続いて銀行も。
竜崎は、その事件が管轄を越えていることは承知だが、「最初に気づいた者が動く」という信念のもとに捜査員を派遣する。
管轄ではなく警察全部のこと、もっと言えば国民全体のあるいは社会の平和維持が警察の役目ということを認識しているからである。
社会や組織というのは、ナワバリとか役目に縛られているが、それが、全体の損につながることがある。竜崎はだから捜査員を派遣した。

で、そこに横やりが入る。
「それは俺の管轄だ、役目だ」
という人が現れる。
でも、竜崎は気にしない。
やるべきことは何か、が重要であって、誰がやるかなんて気にしないのである。

事件の最中なのにナワバリ争いでごたごたしている最中、幼馴染の伊丹刑事部長から電話あり「異動があるかも」と知らされる。
異動なんて言葉には動揺したことのない、というか異動なんて当たり前の事柄と受け止めている竜崎だが、なぜか大森警察署長から移動という言葉に心がざわめく。

また、長男にポーランドに留学したいと相談される。

そして二目の事件、殺人事件である。

殺人事件の捜査本部が大森警察署に設置され捜査が動き出す。

ということで、二つの事件とそれに関わるナワバリ調整、人事異動、長男の留学という大忙しになる。
そして住み慣れた大森警察署長室、官舎とも別れなければならない。
いや、それ以上に大森警察署長という、これまで経験したことのなかった職、部下たちとも別れなければならない。
ということが入り交ざっている。
それが「棲月」ということに表れているのではないか、と解釈したのである。



それにしても竜崎は私の心の師である。
「原理原則」は最も強いことである。それを貫くには強い人間でなければならない。
竜崎は「強い」ゆえに「変わり者」と評される。
変わり者は人の心をあまり考えない。
なにしろ
『俺の言っていることがずれているとしたら、ずれているのは世の中のほうだ』
というやつなのだ。

しかし、署長になってから竜崎は変わった、と妻・冴子から言われる。
それは、人の心を認めてきたのだということなのだろう。

事件の動き、陣頭指揮を執る竜崎の推理も面白いが、それに絡む家族との関係、署員との関係、も面白い。

隠蔽捜査シリーズは 面白い!
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大三島リモンチェッロ

2017-08-22 17:21:56 | 日々雑感
BARレモンハートで知った「大三島リモンチェッロ」を購入した。
リモンチェッロという酒を知らなかったので、おそるおそる飲んでみた。



「うまい!!」という感激はなかった。
どちらかと言えば
「なんじゃこれ?!」

レモンハートでは
『キンキンに冷してストレートがいい』

また、販売元・醸造元の大三島リモーネのパンフレットでは
『できれば冷凍をおすすめします!』
とあったので、冷凍庫に入れて飲んだんです。



1.冷たい!  → 冷凍庫からだしたものねえ
2.酸っぱい! → レモンで作ったんだものねえ
そして
3.苦い!

どうもお試しをした量が多すぎたのかもしれません。

でも、パンフレットには
『爽やかな香りとパンチのある味わいに、甘さ+ほんのりレモンビターな後味』
とありますので、ビターなんですねえ。

で、ちょっと炭酸水で割ってみたら、これはこれでいけます。
というか、私はお酒をグビグビのむ性質(タチ)なので、ストレートよりはいいかな、と思いました。
『アイスにかけたりデザートカクレテルにも』
とありましたので、いろいろと用途はあるんでしょう。

で、パンフレットには更に
『リモンチェッロには、レモンの皮から<リモネン>という香り成分が抽出されています。この<リモネン>には油を溶かす働きがあり、強いアルコールは殺菌作用や消化を助けると言われ、イタリアでは食後に冷凍庫でキンキンに冷したリモンチェッロを小さなグラスでキュッ!と飲むのが一般的です。』
と書いてありました。

私も小さなグラスでキュッとやったらいい感じでした。

娘は『脂分を溶かす働きがある』と聞いたとたん、グイっと飲み干してしまいました。


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私家版 椿説弓張月 平岩弓枝 新潮文庫

2017-08-21 20:32:52 | 読んだ


椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)である。
小学生のころ、この物語が好きで、よく読んでいた。
鎮西八郎為朝、礫の紀平治をはじめ、為朝方の勇ましいことすがすがしいことがよかった。
でも、なぜかいつも負けていたんだね。

原作は滝沢馬琴、それを平岩弓枝が原作を圧縮し加工したものだ(と解説者島内景二が言っている)

さて、原作の正式名称は「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月」というのだそうだ。

主人公は、源頼朝や義経の叔父「源為朝」、頼朝、義経の父が嫡男で義朝、為朝は八男であるので八郎為朝。
義朝、為朝の父は為義である。

ちなみに、義経は九郎義経と名乗ったが、実は八男であるが、叔父八郎為朝と同じ八郎を名乗ることは恐れ多い、ということで九郎にしたという説があります。

さて、為朝は幼少のころから「弓の上手」といわれ、膂力胆力知力とまあありとあらゆる「力」に恵まれていた。

その為朝というか源氏と平氏が、朝廷の争いごとに巻き込まれ、為朝の勇名が上がるにつれそれを利用しようとする者や排除しようとする者が増え、父為義は為朝に一時都を離れ九州で身を隠すように指示した。

指示に従って為朝は九州に赴き、紆余曲折を経て、肥後の国で阿蘇忠国の娘白縫と結婚し、更には九州を平定する。
このことから「鎮西八郎」となったのである。

朝廷からの指示により都に戻ったところ、保元の乱に巻き込まれ、崇徳上皇側についた為義、為朝は負け、後白河天皇側についた源義朝、平清盛は勝った。

このことにより為朝は伊豆大島に流刑になるが、伊豆七島を実質支配する。そして追討を受ける。

とまあ、ここまでがどうも正史らしいのだが、源義経が平泉から蝦夷そしてモンゴルへ行きジンギスカンになったような、物語がこの「椿説弓張月」なのである。

為朝は伊豆大島から沖縄に行き、為朝の息子である舜天丸が琉球王朝の初代となる、というのが大筋。

この壮大な物語のために、ありとあらゆるところに伏線が張られ、奇想天外な出来事がおこる。
何よりもこの物語は「勧善懲悪」であるから、主人公たちが災難にあり苦しんでも最後には勝つ。

このあたりが、ご都合主義と言えばそうなのだが、でもやっぱり主人公が勝つに越したことはない。
非常に爽快感がある。
それに、敵役は本当に悪人なので、同情する余地もない。

こういう物語も時にはいいものだ。

「勧善懲悪」モノはも一つのジャンルとして伝えられてほしいものだ。
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偏愛の日本女優たち 小林信彦 文芸春秋連載中

2017-08-16 14:26:04 | 読んだ
小林信彦は私の大のお気に入りである。
「お気に入り」という言葉を、両親世代の人(1932年昭和7年生まれ)に用いるのも「ナン」ですが、ともかくこの人の考えていることに、いちいち頷いてしまうのだ。

近頃は「とんとご無沙汰」状態であった。
週刊文春にエッセーを連載しているが、今の週刊文春は「文春砲」などと呼ばれ、こういっちゃあなんだが「ゲスの極み」になってしまって、手に取るのも嫌になってしまった。

ついでに申し上げれば、誰かが不倫したとか、なんてどうでもいいような話題ではないか?
特に芸人にも清廉潔白を求めるのは「なんだかなあ」と思う。
これは「芸人」を卑下しているわけではなく(といったエクスキューズをいれるのも嫌なのだが)、芸人に求め評価するのはその「芸」であって、その芸の裏側が清廉潔白でなくてもいいと思うのだ。
また、政治家だって求め評価するのは「日本をよくする」ということに係る考え方と行動力である。

日本中が全て「清廉潔白」な人だらけにしよう!
という運動が日本で起きているようで、それが「いやらしい」ように感じているのは私だけだろうか。
小林信彦もそう思っているのではないか、なんて勝手に考えている。

閑話休題

さて、その小林信彦が、文芸春秋で「偏愛の日本女優たち」を5月号から連載を開始した。
不覚ながら、9月号で気づいたのだが、さかのぼって読んでみると、面白い。

5月号(第1回)若尾文子

6月号(第2回)淡島千景

ときたら、ああ昔の女優さんを取り上げているのね、年寄りの昔話なのね、と思うだろうが、

7月号(第3回)は綾瀬はるか、である。
これが、ばかにご贔屓らしく、べた褒めである。
全文ここに書き写したいくらいである。

「綾瀬はるかは女性に嫌われない。それははじめに述べたように芸能界への執着がないことと関係しているのではないか。(中略)『ひみつのアッコちゃん』のアッコちゃんまで演じるというのは、ただごとではない」

「すぐれたコメディアンヌ、アクション女優、グラビアスターであるのに、本人はまったく自覚がない。無意識過剰というやつだ。」

「セクシーではあるが、それは<無意識なセクシー>なのである。そこが綾瀬はるかの細田の魅力だ。」

すごいよね、昭和7年生まれのひとがここまで綾瀬はるかの映画、テレビドラマなどを見て感じたことを書くなんて。
『八重の桜』の感想なんて、ドラマの後半は八重(綾瀬はるかの役)の出番が減ったことに対して
「彼女を出しておいて見せないとはどういうことか。ひそかに憤慨したものだ」
と綴っている。

8月号(第4回)は芦川いづみ

若尾文子、淡島千景、芦川いづみは、私などは、リアルで見たときはすでに大女優であったからか、概ね決まった役をやっていたように思える。

この人たちがあって、今は綾瀬はるかに続く、ということであれば、その間にもいろいろと興味を引く女優たちがいたんだろうなあ、と思う。
そういえば「本音をもうせば」シリーズで『あまちゃんはなぜ面白かったのか』という本があった。

9月号(第5回)は長澤まさみ
「いま、もっとも気になるヒトを一人あげてくれと言われると、筧美和子をあげることとしている。」
から始まる。
そして誰もが知っているというほどでない、ことから論じるのをやめる。
次に、
「別な好みからいえば、堀北真希などはぜひ推したい。」
としながらも、いまはお休みのようだとしている。但し
「(前略)私は彼女のシブい映画を追いかけて観ているのだ」
としている。

そうやって、長澤まさみなのである。
まあ、長澤まさみの出演したものもよく観ていらっしゃる。
で、<陰気な長澤まさみ>が好きだといい、これから<陰気な長澤まさみ>の役をやる時でしょ?と結ぶのである。

3ページかないので、短いといえば短いのだが、そこにギュッと詰め込んでかつ読ませるので小気味のいいものになっている。

昔の女優さんと、今の女優さんをずっと書いていってほしいと思うのである。
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花散らしの雨 みをつくし料理帖2 高田郁 ハルキ文庫

2017-08-14 17:47:45 | 読んだ


一言でいえば「健気」なのである。

主人公の澪を見ていると応援したくなる。
一生懸命に生きている。だから、誰かの何気ない言葉、ちょっとした季節の変化を料理に生かすことができる。

それなのに、彼女の周りで起こるのは「不幸」な出来事ばかり。
その不幸を乗り越えていくところがこの物語の核である。

第2巻には
俎橋(まないたばし)から-ほろにが蕗ご飯
花散らしの雨-こぼれ梅
一粒符(いちりゅうふ)-なめらか葛饅頭
銀菊-忍び瓜
の4編が収められている。

つる家の料理が登龍楼に次々と真似をされる。「ふき」という娘がつる家に来てからである。
この問題をどう解決するか。
「ふき」の幸せと、つる家の料理の独自性、澪は周りの人たちと真正面からぶつかる。

幼馴染の「野江」今は吉原の「あさひ大夫」が客に刀傷をおわされて心配する澪。
そして、差し入れに懐かしい味の『こぼれ梅』を作り、野江と遠い再会を果たす。

太一とその母「おりょう」が相次ぎ麻疹(はしか)に罹る。
そんな時に限って、周りでは大切な出来事が起こり、そっちもこっちも、という状態になる。

つる家の人手が足りなくなり、口入れ屋が「ふき」のことの罪滅ぼしだといって、実の母「りう」を手伝いによこす。
この「りう」が75歳ながら、なかなかの働き、そして、災い事に取り囲まれているような、つる家の人々を励ます。

そして澪にも多くのことを教える。
そう、昔の年寄りは経験を伝える、若い人を救うことで、世の中の役にたっていたのだ。

「食べる、というのは本来は快いものなんですよ。快いから楽しい、だからこそ、食べて美味しいと思うし、身にも付くんです。それを『たべなきゃだめだ』と言われて、ましてや口に食べ物を押し付けられて、それで快いと、楽しいと思えますか?」

「まずはあんたが美味しそうに食べてみせる。釣られてつい、相手の箸がのびるような、そんな快い食事の場を拵えてあげなさい。」


いいこと言うよねえ。
そして、料理のことだけでなく

恋は厄介なものなのか、という澪の問いに対して「りう」は

「厄介ですとも。楽しい恋は女をうつけ者にし、重い恋は女に辛抱を教える。淡い恋は感性を育て、拙い恋は自分も周囲も傷つける。恋ほど厄介なものはありゃしませんよ」

「けれどね、澪さん。恋はしておきなさい。どんな恋でも良いんです。さっきは心配だなんて言いましたがね、あんたならどんな恋でもきっと、己の糧に出来ますよ」

ああ、こんなこと言ってみたい!

ご寮さん、つるやの種市、伊佐三・おりょう・太一一家、小松原(小野寺)、源斎先生、又次、清右衛門、伊勢屋の美緒、澪の周りにいる人たちは、みんな澪の味方である。
できることなら、私もこの物語の中に入って澪を見守りたい。
そんな気持ちにさせられます。

さあ、第3巻へ。
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BAR レモン・ハート 古谷三敏 双葉社

2017-08-11 16:44:03 | 読んだ


毎回、毎回、同じコメントとなるが、レモンハートのようなバーが近くにないのが残念だ!

以前には時々、マスターのウンチクに『若干くどい』という思いを抱くことがあったが、今は「で、もっともっと」と更なるウンチクを求めてしまう。

本32巻にはPART.409から420まで12のお酒が紹介されている。
日本酒、ウオツカ、ウィスキー、カクテル、ジン、ビールなどなど
その中で私が最も興味を持ったのが「リモンチェッロ」
注文してしまいました。

レモンハートのマスターのもっともよいところは「お酒はこれに限る」というところがないところ。
その時、その場所にもっともあうお酒を勧めてくれる。

したがって、日本酒であったり、ビールであったりして、我々が持っている「バー」というイメージ:すなわち洋酒のみ:ということを楽しく裏切ってくれる。

私は、その時その場所、そして体調と肴によって飲み物を変えたい、というタイプなので、ビール党でもなければ日本酒党でもない。
そして最も肝心なのは「お酒ならなんでもいい」というわけでもない。

このあたりが多くの人の誤解を生むようで、前回は日本酒を飲んでいたと思えば今回はウィスキー、かと思えば格安のサワー。
まあ、浮気者と言われれば「ハイ、そうです」と答えるしかないが、私は「〇〇党」という人のほうが信じられない。
信じられないという言い方がアレであれば「スゴイ!」と思う。

あれも飲みたい、これも飲みたいという気分は持ち続けているが、今は、あれも飲めるこれも飲めるという体力がないので、できる限り、おいしくお酒を飲みたいと思っているが、おいしく飲める場所、時間が少なく、なにより相棒が不足している状況である。

今はリモンチェッロが到着するのを待っているだけである。


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南三陸町 屋上の円陣 山村武彦 ぎょうせい

2017-08-03 16:32:08 | 読んだ


帯に「防災対策庁舎からの無言の教訓」とある。

表紙の写真は、2011年(平成23年)3月11日発生した東日本大震災で、津波に飲み込まれてしまった宮城県南三陸町の防災庁舎の屋上で、津波から身を守ろうとして円陣を組んでいるものである。

私は南三陸町の隣(内陸側)に住んでいる。

私の友人二人がこの防災庁舎で亡くなっている。

震災直後、何度も電話をかけメールを送った、が返事はなかった。

その後、私は仕事として南三陸町の復旧や復興にわずかながらお手伝いをした。その際に、多くの人からあの震災の津波の話を聞いた。
それぞれの話は、語り口からは想像できないような悲惨さであり、相槌もうてず、ただただ頷くだけであった。

本書の著者は「防災・危機管理アドバイザー」で、震災前にも南三陸町を訪れている。
そのような縁から本書を著したのだと思う。
本書は第2章の「『奇跡のイレブン』それぞれの3.11」が主となっている。
防災庁舎の屋上で生き残った11人のうち10人にインタビューしたものをまとめている。

ただ、ただ、胸が詰まる。

本書では、そのほかに災害に対する心がけなども著されているが、そのうち何点か今まで私が思い違いをしていたことなどについて説明がされていた。

例えば「想定外」という言葉である。
想定外という言葉は使うな!
ということが、震災後よく言われた。
私などは「毎日が想定外であって、想定外のことがあるという覚悟が必要で、ゆえに想定外を使うなとはどういうことか」と思っていたのだが、しかし、あの時言われた「想定外」という言葉の裏に「責任追及はタブー」という『見え透いた思惑』が見えていた、と著者はいう。
「想定外=責任なし」ではない「専門家が想定しなかった責任」はあるのではないか、ということだそうだ。

著者はまた、『罪深きはリスクを過小評価した被害想定』『責任追求より原因追究である』としている。これも考えさせられることである。

更に、震災後の庁舎の解体・存続についても述べられており、解体への道筋を描いたにも関わらず存続となった経緯もおおむねつまびらかにしている。

その中で、私が驚いたのは、合併してできた南三陸町にある旧志津川町と旧歌津町の確執まで書き込んでいたことである。
私は友人から直接聞いていたし、その後にもいたるところでこの確執を聞き、あまり大きな声では言えないタブーなんだろうと思っていた。
しかし、著者はその問題を顕かにした。

震災に立ち向かう人たちの姿勢はさまざまである。
明るく大きな声で話し前だけを見ているような人、パチンコに入り浸る人、酒を飲み歩き続ける人、生活に行き詰っている人、さまざまである。
そういう情景を見ると「人」というのは何なのだろうかと思う。

今、本書を読み終えて「3.11」とそのあとに続いた非常に重苦しく暗く苦い空気を思い起こしている。
あの年、私は「春」も「夏」どうだったのかよく思い出せない。
もしかしたら8月ころまで防寒着を着ていたのではないかという思いがある。

人は前に進むのだ、ということであれば、重く暗く苦い思い出は薄らいでいくにこしたことはない。
しかし、時には思い出して、また歯を食いしばらなければならない、とも思う。

震災後、6年を経過して本書のような「忘れてはいけないもの」が発刊されそれを読むことができたのは、まだまだ前に進まなければならないということなんだろう、と思う。

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代官山コールドケース 佐々木譲 文春文庫

2017-08-01 13:38:59 | 読んだ


地層捜査シリーズ第2弾なのである。

地層捜査は2011年にオール読物で連載完結したもので、私のブログでも紹介をしている。
紹介しているのに「アレ?俺読んだっけ?」となるから、老化は怖い。

この文庫は2015年12月に発刊されているが、こっちも読んだのか?という疑惑が自らの中にあり、購入をためらっていた。
奥付を見ると2012年5月から翌3月まで週刊文春に連載されていたとのこと。
では、連載では読んではいない。と、安心して購入。

本題に入る前に脱線してしまうけれど、週刊文春や週刊新潮にはかなり読みたい小説が連載されていることが多い。
本当のこと言えば、連載小説を読むだけでも購入したいのだが、近頃の週刊誌は、それ以外の記事で腹が立つ記事が多い。
腹が立つのは、どうでもいいことを大げさにすることと、週刊誌こそが正義、というような記事の書き方。
なので、購入しない。

だったら「dマガジン」で読めばいい、とは思うけれど。それもなんだか・・・なのである。
なんかしりすぼみになってしまった。

さて、代官山コールドケースである。
主人公は警視庁捜査一課・特命捜査対策室の水戸部裕(ゆたか)警部補

事件は、川崎市で起きた強姦殺人事件でDNA鑑定をしたら、17年前の未解決事件「代官山女店員殺害事件」の現場遺留資料から出てきたものと同一であることが判明した。
しかも、当時殺害犯ではないかとされて変死した者とは違う者のDNAと合致。

今回の川崎の事件がきっかけで、神奈川県警が警視庁の事案である過去の事件を掘り返し、警視庁の失態を暴かれると不面目である。
ゆえに、神奈川県警より先に「代官山」の真犯人を逮捕し面目を保つ。
但し、警視庁として解決済みの事件を警視庁が再捜査はできないので「偶然による解決」を目指す。
というのが、今回、水戸部君に与えられた使命である。

組織として動くことはできないが、全面的に支援する。
といったって、難しい話である。

しかも相棒は一人。
女性警察官、階級は巡査部長、年のころは40前後、身長160㎝あるか。
細面で、甘さのない意志的な顔立ち。
名前は朝香千津子。
水戸部より年上。そして、亭主・子供持ち。ゆえに18時には娘を保育園に迎えに行かなければならない。

という、条件。

17年前に解決したとされる事件を蒸し返して真犯人にたどり着く、ことでさえ無理難題に近いのに、さらに厳しい条件。
小説としては最大に面白い。
しかも、警視庁のメンツのためなのである。
正義として真犯人を見つけることではない。ということがバカバカしいが現実的である。

これだけ読めば、絶対に面白くなるはず、と読み進める。
で、面白い。

ただ一つだけを除いて。
それは、代官山の地形や、17年前の代官山の様子と今の代官山の様子をわかりたい。
そうしないと、彼らの推理に近づいていけない。
これが悔しい。

というわけで、いつか東京に行ったら代官山を歩いてみたいと思っている。






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