読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

天女湯おれん 諸田玲子 講談社文庫

2008-04-30 22:11:15 | 読んだ
1月に買った本で、一気に読んでしまえると思っていたが、ずいぶんと長い期間を要してしまった。

天女湯という湯屋の女将「おれん」(23歳)が主人公。
この湯屋は、お江戸八丁堀の真ん中にあるのだが、ある仕掛けがある。

「男湯に隠し階段、女湯には隠し戸、どちらも隠し部屋につながっている」

この隠し部屋をつかって、おれんは男女の仲を取り持つ。

おれんは、武家の娘だったが不幸な事件を機に父は武士を捨て湯屋を開く。そしてその湯屋も火事でいったん失い再建をしたのであった。
不幸な事件やらなにやらで、おれんは「お上に盾をつく」こととしたのである。

それからこの天女湯の奉公人たちは、みな脛に傷を持っている。

これらの人物たちにイロイロな事件が絡み合って、5つの物語が連作としてつづられている。

テンポよく、トントント話はつながっていく、そして「色っぽい」描写も数多くあり、絶対に面白く読み進められるはずだったのに、時間を要したのは、どうもこちら側の気分の問題だったと思う。

粋で婀娜な「おれん」この続編がつづられることを楽しみにして、そして続編は一気に読んでしまいたいと思っているのである。

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植樹とお茶会

2008-04-29 22:00:46 | 日々雑感
本日は午前中、山に木を植えに行ってきた。
全員で1000本の「杉」を植えたのである。

「えーっ!杉!!」
という意見が出そうだが、杉だって必要なのである。
私だって幾分かは杉花粉症なのである。
だからといって「杉」を否定はしない。それに花粉の少ない杉なのだ。

というわけで、こんな急斜面に植えてきたのである。



そして、午後からは町の中で行われている「お茶会」に行った。
町のなかで気楽にお茶を、ということで3箇所で抹茶、1箇所で煎茶をいただける。(有料である。お菓子がつく。)

ということでイロイロなしがらみとまあそういう雰囲気が好きだということとあって、4箇所中3箇所を回って、まあいわゆる「お茶三昧」をしてきたわけである。

3箇所ともそれぞれ趣向があってよかったし、心を落ちつけることができた。
そのうち1箇所はこういう場所で



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サラリーマンNEO NHK総合

2008-04-27 23:40:13 | 観た、聴いた
日曜の夜は早くやすみたいのである。
それが、今年4月からなんと23時台でこの「サラリーマンNEO」のシーズン3が始まってしまったのである。

だから日曜日は早くやすめない。
従って月曜日はこれまでに増して「冴えない」のである。

さて、そのサラリーマンNEOはシーズン1の何回目だったかを偶然見てしまって以来、いわゆる「ハマッた」のである。

何が狙いなのか?
何を考えさせたいのか?
笑いというものをどうしたいのか?
社会に対してどういうスタンスで迫るのか?

なんてことなどは、多分ぜんぜん考えていないんだろう。
兎も角、自分たちが「面白い」と思うことをやっているんだと思う。

そのやっていることを「面白い」と感じる人と「ナンダコリャ」と思う人がいるらしく、サラリーマンNEOを基準として、友人・知人を新たに知ることになるのだ。
そういう意味では「おそろしい」番組である。

私としては「NEOエクスプレス」(中田有紀がいい)と「世界の社食から」が好みなのである。

ちなみに今夜はその二つありませんでした。
今夜のオンエアー分では「ジャン」と「スケバン欧愛留」が好み。それと「Re(大河内透のウェディングベルが聴こえる)」が再開されたのがうれしい。

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春の花2

2008-04-26 22:44:49 | 
今日の午前中は穏やかな天気で、我が家の庭の花たちもきれいな光を浴びていました。

先ずは「シラネアオイ」私は青色系統の花が好きなので、どうしてもこの季節にはこの花に目がいってしまいます。続いてはニリンソウです。

 


次は「キイロカタクリ」カタクリといえば青色系の花ですがこれは黄色。そして春の花といえば「チューリップ」。そして青色の「ムスカリ」であります。



最後はまた「シラネアオイ」であります。

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雨天中止 楽天vsソフトバンク

2008-04-24 23:05:02 | イーグルス
本日は、Kスタ宮城に楽天vsソフトバンク戦を観にいくことにしていた。

朝から雨ではあったが予報では徐々に小降りになるということであったし、雨に強い楽天、先発は岩隈、ということなので、雨にぬれても観てみたい試合であった。

会議が長引き予定より遅く出発をしたのであったが、まだ中止とはなっていなかったので、車内で着替えをしてそれが完了したとたん「中止」のニュースが流れた。

雨にぬれてもいい格好、あまり濡れないような準備、そして着替えをもっていたので、大変だった。ゆえに、あまり残念でもなかったのではあるが、今年初めての観戦が雨天中止というのは、幸先がよくない。
「雨男」とならないように気をつけなければ。

まあ残念だったのは「岩隈」を見られなかったことである。

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あわてない あわてない のんびり行こう

2008-04-22 23:08:41 | 日々雑感
世の中スピードの時代である。

世の移り変わり、話題の移り変わり、つまり流行についていかなければならない。
お客様のご要望にはスピードをもって誠実に対応しなければならない。

とされている。

なんとなく私もそう思っていた。
だから、できる限りスピードをもって、とイロイロやっていたのだが、なんだか・・・になってしまったのである。

で、世間に逆行するようであるが「あわてない あわてない」とつぶやき「のんびり行こう」と思ったのである。

どうもこの世の中は「予測」「準備」「覚悟」「諦念(あきらめ)」ではないかと考えたのである。
そしてこの世の中には「万全」なんてないのである。

もし社会が自分以外のものに「万全」を望んでいるならば(どうも望んでいるようであるが)、そんな社会には愛想を尽かすに限る。

というなんといおうか「負ける前の負け惜しみ」「勝つ前の万歳」「捨てられる前の逃亡」のようではあるが、つまりこのブログの更新をできる限り毎日しなければと思っていたのだが、その「しなければ」という気持ちを「なんとか頑張ろう」という気持ちに置き換えることとしたのである。

てなわけで、そのあたりのところをよろしく、と思うのである。

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青春のうた 第58巻 1970年代前期15

2008-04-20 17:39:29 | 読んだ
1.秋でもないのに/本田路津子 1970年9月

本田路津子の歌は好きだったなあ。
この歌もよかったが「風がはこぶもの」が好きだった。
それから「郊外電車で」もよかった。

どうしても森山良子とかぶってしまうところがあってかわいそうに思っていた。

キレイな高音ゆえになのか、それとも彼女のイメージなのか「清純」な歌しか歌えないような雰囲気もあって、いまひとつ幅がなくて、とも思っていた。


2.春だったね/吉田拓郎 1972年7月

アルバム「元気です」の最初の曲である。

このアルバムはとっても注目されていたものだった、と思う。「結婚しようよ」が大ヒットして、さあ続いて吉田拓郎はどうなるのか?という期待と、うまくいくのかという興味とが混ざっていた、そんな社会の雰囲気であったように思う。

これまでの吉田拓郎の歌は「私小説風で若干野暮ったい」というカンジではあった。つまり、僕らの気持ちを代弁しているようではあるが、それは僕らには魅力ではあるが、僕らでない人にとってはどうなんだろう?「結婚しようよ」だけの一発屋で終わるのではないだろうか?という不安みたいなものがあった。

しかし「元気です」はそれをすっかり消し去ってしまった。
この「春だったね」は、洗練されたサウンド、のように感じたし、なんといっても「春」のほこりっぽい乾いた情景が感じ取れた。
ほかの曲も含めて、これまで以上のスケールの大きさが感じられたのであった。

「春だったね」はその後もいろいろ編曲されて発表されているが、どうしても「元気です」のアレンジが忘れられない。

2006年のつま恋のコンサートで
「そいじゃ 皆さんの 好きな曲を やってあげるね」
といって、この歌のイントロがはじまったときには、鳥肌がたった。

拓郎の歌ではある種「別格」の存在なのである。


3.ロマンス/GARO 1973年8月

甘い歌を甘く歌われると、なんだか恥ずかしくなったりするのである。

GARO自身も、この路線はあまり好んでいなかった、ということも聞くが、一生懸命やってはいるものの、どこか乗り切っていない雰囲気があって、あまり好んで聴いた歌ではなかった。


4.ありがとう/小坂忠 1971年10月

小坂忠という人がいる、ということは知っていたが、歌は聴いたことがなかった。

この歌もはじめて聴いたと思うのであるが、なんだか聴いたことがあるような気もするし・・・

細野晴臣の作詞・作曲だそうで、そういうカンジは十分にある。


5.ポスターカラー/古井戸 1972年9月

古井戸とかRCサクセションの歌は、当時の自分とは「かけ離れている」というような気がして、敬して遠ざける、というような存在であった。

描かれている世界がよく理解できなかったのである。
自分の周りにはない世界だったような気がする。


6.花・太陽・雨/PYG 1971年4月

PYGは「スーパーバンド」という位置づけであったが、なんだかとっても高いところに位置するようであって「共感度」がいまひとつだったような気がする。

ちょうど今の巨人(ジャイアンツ)のように、グループサウンズのなかから4番バッターをピックアップしてきたようで、そんざいそのものが「おそれいったか」というようでいて、歌詞もサウンドもなんだか難しかった。

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聖徳太子の密使 第1回 平岩弓枝 小説新潮4月号

2008-04-16 22:59:03 | 読んだ
小説新潮4月号から連載が始まった小説である。

<あの「西遊記」の興奮をもう一度
 厩戸王子の愛娘は三匹の猫のお供を従えて 
 誰も知らない西の国へと船を出す!>

という紹介の文である。

厩戸王子つまり後の聖徳太子が、娘・綿津見珠光皇女(わたつみのたまひかるのひめみこ)通称「光」に言う。

・光の母は『海神(わたつみ)の娘』であること。

・私(厩戸王子)は百済や隋よりも先の海原の彼方にある知らない国の人々の生きざまや知識や文明を学び、その知恵の宝を我が国にもたらすものはいないか。

こういわれたら「光」は『私が行きます』というでしょう。

というわけで、光は大海原の先を目指し旅に出ることになった。
その旅のお供に小さいときから一緒にいる3匹の猫「北斗」「オリオン」「スバル」がついていくことになった。

厩戸王子からそれぞれにふさわしい武器を与えられ、愛馬「青龍」と3匹の猫(猫は少年くらいの大きさにもしてもらった)を従え、いよいよ光は旅立つ。
旅たちにあたって、姫は「珠光王子」と男の名前に変えている。

陸路の途中、大猫が異様に思われ怖がられる。
それを住吉大社の大神が、はなむけに人語をはなせるようにそして顔も人の容貌にしてくれた。

いよいよ準備が整い、船に乗り込み、船出をする。

というところで、第1回終了。
さあ、これからどんな冒険が待っているのか。
ちょっとこれまで読んだことのない、なんというか「ファンタジー」ともいうべき物語に、すこしわくわくしている。

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プライド 真山仁 小説新潮4月号

2008-04-14 22:26:31 | 読んだ
小説新潮4月号の特集は「仕事小説大全」である。

その巻頭にある小説がこの「プライド」である。
読み終えて、なんだかものすごく疲れてしまった。

老舗のパリジャン製菓において、伝統のプディングに消費期限切れの牛乳を使用たことが発覚した。
そのことについて会社の改革委員会でそのことを指摘した主人公柳沢はその怪文書を作ったのではないかと上層部から疑われる。

常識派と思われる常務から事実関係の究明を命令された柳沢は問題の工場へ出向く。そこは柳沢が若い時に製品管理をみっちりと仕込まれたところである。
そこでは、すでに文書ができており、それにはすべての責任が嘱託として再雇用した人物にあるとされていた。
その人物こそ、柳沢に製品管理を厳しく教え込んだ人であった。

疑問を持った柳沢は真相を探る。
そして会社は、記者会見のお粗末さと工場検査によって更なる製品管理のお粗末さをさらけ出し、経営陣は一掃された。

さて、この事件の真相は・・・(ぜひ読んでいただきたい)

なぜ、この小説を読んで私はすごく疲れてしまったのか?
つい最近、このことと同様の事柄が私の身の上にあったからであり、登場する人物たちの台詞や態度がいちいち・いちいち思い当たるのである。
つまり私にとってはある意味「時宜を得た」小説であり、事実を小説に昇華したような気分にもなり、疲れてしまったのである。

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春秋名臣列伝 宮城谷昌光 文春文庫

2008-04-13 22:09:19 | 読んだ
「春秋」とは中国の時代の名称である。
本書によればそれは紀元前770年から紀元前467年までだそうである。
そのころの日本は縄文時代の次の弥生時代あたりらしい。
まだ、日本にはいわゆる「歴史」というものがない時代の話なのである。

中国史における王朝は「夏」「商(殷)」「周」「秦」「漢」(以下略)と続くが、春秋時代は、周王朝の「東周」時代にあたり、孔子が書いた(とされる)「春秋」というものから名づけられたという。(もっと詳しくいうとなお混乱するのでまとめたが、このあたりは諸説あるらしい)

さて、何故そのような古い時代の話が現代まで受け継がれているのか、しかも日本で、ということであるが、著者はこう書いている。

「周の時代は、日本的な志向を活かしやすい社会と国家の構造があり、それゆえにその時代に生まれた思想が、日本人の思想の根幹に接ぎ木されても枯死しなかった。」

私も、この春秋時代をはじめとして中国の歴史を学んで日本の国家体制というのが出来上がってきた、と思うのである。

ただし、この中国の歴史には常に「君主あり」ということが一番先にある。
君主に対してどのように仕えるべきか?
が、名臣として名を後世に残すかなのである。

従って、現代にこれらの名臣の話をそのままに持ってくることはきわめて危険だと思うのである。
つまり現代社会においては、「君主」というような生まれながら犯すべきものではないもの、究極の聖域は存在しないからである。

現代社会においていわゆる上下関係にあるのは組織上の権限の違いだけである。
そして、組織が必要なしと認めれば、組織の長であっても淘汰されるのである。
そのあたりを勘違いした人がまだ多くいて、組織上の関係を封建社会の縦関係に置き換え、無茶なことをするのである。
封建時代の君主が無茶をすると殺されたのだが、現代ではそのようなことがないためなお始末に悪いこともある。

だから名臣をそのまま、自分の部下に望むのは「おこがましい」ことであり、部下として名臣の考え方をそのまま実行するのは「勘違い」なことでもあるのである。

と、否定的なことを書き連ねてきたが、このような考えをあらかじめ持っていても、やはり名臣たちには感銘をするのである。それは長い間の日本人としてのDNAかもしれないが、現代にも通ずるところが多々あるからである。
そういう意味では紀元前から人というのはあまり変わっていないのかもしれない。

この時代の名臣の言は「命がけ」である。
その「言」や「行動」を学ぶのではなく、「命がけ」を学ぶべきかもしれない、なんて思いながら読んでいたのである。

引用したい部分が多々あるのだが、二つばかり掲げて、今後の自分への戒めにしようと思う。

「(前略)儒教が決定的に欠如しているのは、民の目、であり、儒教は常に指導者の意識を保持し、いわば貴族の哲理である。支配する側に立ちつづけ、支配される側に立たない哲学である。それゆえ公共事業の有益とか社会福祉の意義などは大衆にかかわることで、儒教には大衆の力はまったく措定されていない。」

「(前略)歴史を学ぶということは、疑問からはじめるよりも、信ずるということを基礎に置いたほうがよい。人文の世界は、巨大な疑惑のかたまりのようにもみえるが、純粋に信ずるということが核にあるものなのである。人は疑うと弱くなり、信ずると強くなる。」

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剣客商売「春の嵐」 金曜プレステージ

2008-04-12 22:26:33 | 観た、聴いた
池波正太郎原作の「剣客商売」のテレビドラマである。

フジテレビのホームページには

<今回の『剣客商売』は、「秋山大治郎」を名乗る辻斬りの出現に始まる、裏に陰謀うずまく事件を描く。小兵衛が真相にたどり着くまでの謎解き、豪華キャストによる華麗な立ち回り、心温まる親子愛、と『剣客商売』らしい楽しみの詰まったスペシャルとなっている。>

と紹介されている。

剣客商売と鬼平犯科帳は、原作がしっかりしていることと、ドラマの作り方が丁寧で真面目であることから、大好きなテレビドラマである。
鬼平犯科帳は配役についても文句はないが、剣客商売は主役の秋山小兵衛が小さくないということと、大治郎と三冬夫婦が落ち着きすぎではないか、というような若干の不満はあるのだが・・・

今回のドラマも楽しませてもらった。

池波正太郎が描く物語の。一つの特徴である「父と息子」のつながりや「男と男」の絆にかかることが、色濃く出ているのがこの剣客商売である。(と思っている)

しかし、原作では登場人物たちの心情や悲哀、そしてそれらのことはその人たちが耐え解決していかなければならないことが、深みをもって描かれているが、テレビドラマではそのあたりの表現が難しい。

なにかと説明が必要な世の中になってしまって、表情や仕種などで「深み」を描くことが難しいとは思うが、難しいドラマもあっていいのではないか、なんて思ったりしたのである。

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単身花日(HANABI)-最終回- いわしげ孝 ビックコミック連載

2008-04-11 23:55:22 | 読んだ
連載終了である。

受託会社に勤める桜木舜は、東京に家族を残し昔住んでいた鹿児島へ単身赴任する。
そして、初恋の人「桐野花」と再開する。

再開後、急速に舜と花は近づく、近づくのだがプラトニックである。

舜には妻子を裏切れないという気持ちが、踏み出そうとする気持ちを押さえ込むのだが、花は思わせぶりな仕種で舜の気持ちを揺らす、しかし何か秘密がありそうなカンジである。

その秘密が最終回の前2話ぐらいで明かされるのだが、これが納得いかない。
あまりにもドラマティックで、これまでの日常的な部分が、あっという間に壊されたような気がする。

最終回ではハッピーエンドになっているが、これもなんだか不満である。

不満ではあるが、絵が好きなので許すことにする。(エラソーな私である)

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青春のうた 第57巻 1980年代前期7

2008-04-08 21:19:11 | 読んだ
1.あしたのジョー/尾藤イサオ 1980年3月

あれ?これって1980年だっけか?
と思ってよく読んでみると、1980年に劇場版として映画公開されたときに再録音されたものだという。

あしたのジョーはリアルタイムで読んでいなかったしテレビアニメも見ていなかった。あまりボクシングには興味がなかったからである。

だから、たとえば力石が亡くなったときの大騒ぎは不思議に思っていたのであった。

一昨年から昨年にかけて、あしたのジョーを読んではみたのであったが、青春時代であれば何かしらの感動があったのだろうが、大人になってしかも時代が変わってしまってからでは、大きな感動というのはなかったのであった。

そして、そのような状態であることから、この歌を聞いてもそれほどではないのである。ごめん。

2.サンセット・メモリー/杉村尚美 1981年1月

いい歌だと思う。
テレビドラマの主題歌ということであるが、よく覚えていない。

この1981年ころから自分の好きな歌、というのがなくなってきたように思える。
これは、氾濫、だと思う。
いろいろな歌があちこちから流れてきて、ついていけなくなった。

どちらかといえば、いろいろな歌を聴きながらそこから好きな歌を見つけていく、という流動的な音楽の聴き方をしていたため、ついていけなくなってきたのだと思う。

で、このあたりからまた「アイドル系」に戻ったりするのである。
従って、この歌のように自分にとって中途半端なカンジのものは、フーン、という印象なのであった。

3.DOWN TOWN/EPO 1980年2月

「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマであった。

おしゃれな歌だなあ、というのが印象と感想。

どういう人が歌っているのか皆目わからず、また調べる気もなく、毎週土曜日聞き流していたのであった。

4.人として/海援隊 1980年11月

この歌もテレビドラマの主題歌である。
海援隊の歌の中では好きなほうのうたである。
「贈る言葉」よりもこちらのほうが好きである。

テレビドラマ「3年B組金八先生」は見なかった。

海援隊の歌は好きであるが、武田鉄也のドラマはあまり好きではない。


5.パープル・モンスーン/上田知華 1980年5月
上田知華という名前は見たことがあったのだが、今回初めてその歌を聴いた。

若いころに聴いていたらどうだったろう?
と思ったが、今となっては・・・なのである。

6.時をかける少女/原田知世 1983年4月

角川映画で薬師丸ひろ子が華々しくデビューし、続いて原田知世が出てきたのであるが、わたし的には原田知世がよかった。

歌となると、若干薬師丸ひろ子のほうが「うまい」し声も透き通ってて伸びがあるのだが・・・だが原田知世なのである。

♪時をかける少女 愛は輝く舟♪

の部分の「ふね」の「ね」のところがたまらなくいいと思っているのであった。

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春だ春なんだなあ 我が家の花たち

2008-04-07 21:54:56 | 
我が家にも春がやってきている。

先ずは梅の花が咲きました。
         

梅の木の下にはクロッカスが咲いています。
  

庭の隅には山茱萸(さんしゅ)の木に花が、そして梅ノ木の隣には馬酔木(あせび)が
 
 
そして庭石の陰には雪割草がひっそりと咲いていました。
              

ちなみに今回の題名「春だ春なんだなあ」は小椋佳の「春なんだなあ」という歌の歌詞の一部である。

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天使の使い魔(しゃばけシリーズ) 畠中恵 小説新潮4月号

2008-04-06 22:34:24 | 読んだ
おなじみの「しゃばけ」シリーズである。

4月号では、若旦那が誘拐されてしまう。

諸々の事情は省くが、信濃山六鬼坊という大天狗と王子稲荷の狐とが喧嘩をした、というか意見の対立があった。
それで大天狗は大妖である皮衣の孫である若旦那を誘拐して、自分の意見を通そうとしたのである。

そして物語は、同じく狐と対立をしている狛犬が登場し、その誘拐に絡んでくる。

若旦那は例によって純であるから、誘拐されたといってもびくつくこともなく、大天狗や狛犬たちに同情をしたりして、結局は、狐たちとの仲介までしてしまうのである。

今回の物語の中で、大天狗が思っていることで考えさせられた。

「誰かが支える側に立たねばと、六鬼坊はそう思うのだ。皆が我こそは弱い、庇ってくれと言い立て、弱さの競い合いをする世では、支える側がいなくなっては困る。だからこそ長き日々修行を続けており、そのことに迷いはなかった。」

そうなのだ。このことは今の世の中に当てはまることなのである。
しかし、今の世の中支える側の修行が不足している。その不足していることをやたらと弱い側が責めたてるのである。
だから支える側に誰も回ろうとしなくなっている。
今は、弱い側のほうがなぜだか強かったりするのである。

さて、大天狗は迷いはなかったのであるが、
「なのに、だ。どうして一人でいると、そのことがこうも身に染みるのであろうか。」
とも思うのである。

修行を続け人を支える側になろうと迷いのない大天狗でさえこう思うのである。
ましてや妖ならぬ人のみにあっては、なのである。

それにしても「純(ぴゅあ)」というのは最も強いのかもしれない。
しかし今の世の中それもまた失われている。

今回の読後は「悲観」になってしまった。

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