読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

大晦日に

2005-12-31 20:06:17 | 日々雑感
今年も終わりである。
また一つ年を重ねるが、重ねる、重ねるという気持ちがわからない。

今年もイロイロ本を読んできたが、どうも私にはベスト10を選ぼうという気持ちがないらしく、ああ読んできたなあ、というばかりである。

年末には、オール読物、小説新潮、文芸春秋を読み返そうと読んでいるが、イロイロ読んでいるうちに、やっぱり文庫本を読みたくなり、本屋さんへ行った。

メインに読む本は「ローマ人の物語」に決めた。21から23巻。

さて、私には物語を読むとき、軽い読物を添える傾向がある。探しました。軽い読物。なかなか見つかりません。

いったい軽い読物とは何か。
私的には「重いテーマを軽く書く」または「軽いテーマをわざとらしく重く書く」というエッセイが、それにあてはまる。

こういうものが今は少なく、結局選べず帰ってきた。
読むと、なんだかホッとするような、思わず笑ってしまうような、そんなものを読んでみたいと思うのである。

というわけで、本年一年間、ご愛読ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神尾一馬シリーズ 高梨耕一郎

2005-12-30 20:37:58 | 読んだ
第1作.横浜鎮魂曲殺人旅情<幻冬舎文庫>
第2作.京都風の奏葬<講談社文庫>
第3作.入谷・鬼子母神殺人情景<光文社文庫>
第4作.加賀埋蔵金伝説殺人秋景<双葉文庫>

以上4作読み終えました。
第1作についてはすでに感想を書いたので、今回は第2作から。

<京都風の奏葬>
主人公神尾一馬は、雑誌の取材と作家大生田の取材をかねて京都を訪れる。
京都では姪(姉の子)の田村千秋のつてで明暗流尺八の師範を祖父にもつ仁科優衣を紹介してもらい、彼女と一緒に「明暗寺」(虚無僧の寺)を取材する。この優衣に一馬は恋するのですねえ。
さて、その明暗寺にまつわるというか尺八にまつわるというか、優衣にまつわる殺人事件が発生し、その解決に一馬は活躍する。
とまあ、ネタばれをしない程度に紹介するとこうなりますかね。
ここで、もう一人、亜細亜日報の勝田記者という人が登場し、イロイロ情報を交換したりする。
「虚無僧」の世界というのがひとつ、もう一つは芸能界のいやらしさみたいなものが描かれ、京都を舞台に、今と過去を行きつ戻りつ事件とその背景が明らかにされる。
ちょっと、一馬の活躍が控えめという印象があるものの、意外な顛末に驚き。

<入谷・鬼子母神殺人情景>
この物語は、亜細亜日報の勝田記者が主人公のようで、一馬の活躍は前作よりも抑えられている。
勝田記者は、東京入谷の出身で、幼馴染が交通事故でなくなったので、京都から帰省する。そこで連続殺人事件が発生する。
一馬は、入谷の取材で勝田とかかわり、交通事故の背景と連続殺人事件について推理する。
ことは政界とのつながりやらヤクザとの関わりがあって「動機」が心情的に同意できないので、殺したほうが100%悪い!と思ってしまう。
推理小説では犯人にたいして同情したい、という想いがこちらにあるので、ちょっと残念。

鬼子母神の「鬼」という字は、本来上の「てん」がないということを初めて知った。
入谷は一回行きたいと思っているがなかなか都合がつかないでいる。今度機会があったら行ってみたい。

<加賀埋蔵金伝説殺人秋景>
著者得意のというか著者の一つのスタイルである、現代と過去を行きつ戻りつつ進む物語。
過去といったって幕末で、その因縁が今に続いている。
読み進むうちに「犯人はこいつ」というのがだんだん見えてくるが・・・どんでん返しが続いて、最後には「えーっ!」という展開。
それを話せないのが残念。

4作を読み終えて、神尾一馬、若干頼りないがなかなかやるじゃないか、という印象。
今ここでおきている事件は、実は過去からの意外なつながりのなかで、起こるべくして起こった、というパターンは面白い。しかも、おどろおどろした因縁話ではないところにフームという肯きがある。

さて、神尾一馬今度はどこで事件に遭遇するのか?
多分、おいしいものがあるところ、だとは思うのですが・・・・
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女子フィギアスケート全日本選手権

2005-12-26 20:46:37 | 観た、聴いた
一昨日、昨日と「女子フィギアスケート」の全日本選手権をテレビで観た。
こんなにマジメにフィギアスケートを見たのは多分始めてだとおもう。

そして、こんなに興奮して観るのも、これが最後ではないだろうか。

オリンピックへの出場権をかけた5人の選手。
その上を行く、出場権のない浅田真央。
という、競技の背景、が複雑であることが、観るものの心を更に揺さぶるのである。
まして、アクセル、ルッツ、ループなどというジャンプの種類もよくわからず、トリプルアクセルばっかり跳んでればいいのに、などとルール無用の発言をする私にとって、演技と同時にその背景にあるものは、感動するもう一つの因子だったのである。

村主の演技が終わったとき「オリンピック代表は年の順から3人選べばいい」と思った。
それほど、オリンピックにつながる最後の大会に臨んだ、荒川、恩田、村主の3選手の意気込み、覚悟、気合が十分伝わってきた。
浅田、安藤、中野は次がある。そう思ったのであった。

連盟の代表選考にはまったく異議はないがヒョイとそう思ったのである。

そして続いて、マスコミのてのひらを返したような報道に怒りを覚えるのである。
平等に報道せよ!とは言わないが、ずっと「ミキティ」などといって追いかけ続けていたのが「真央ちゃん」に変わり、オリンピックに出られないのはかわいそう、とルールに特例を設けることを論じ、さて、代表が決まって今日になれば「やっぱり村主さん」というのは節操もないこと甚だしい。

このマスコミの節操のなさが、現代日本の社会の歪みに結びついている。
と、なぜかフィギアスケートから始まって、怒りに結びついたりしている。

それにしても、この全日本選手権は、今後ありそうもないような素晴らしい大会だったのではないか、と。
ああテレビであっても見ていてよかった。と久々に思ったのであった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦国名臣列伝 宮城谷昌光 オール読物連載

2005-12-25 16:59:40 | 読んだ
2004年4月号から2005年7月号までオール読物に連載され、もう単行本も出ている。

戦国の名臣といっても、日本の戦国時代ではなくて、中国の戦国時代(紀元前)のことであり、この時代が終了すると「秦」の始皇帝が天下を統一する。

列伝は16人。列記すると(これが難しい漢字でパソコンでは非常にややこしいことなのである)
1.越の范蠡(はんれい)2.魏の呉起<呉子>3.斉の孫臏(そんびん)4.秦の商鞅(しょうおう)5.燕の蘇秦(そしん)6.真の魏冄(ぎぜい)7.燕の楽毅(がっき)8.斉の田単(でんたん)9.楚の屈原(くつげん)10.趙の藺相如(りんそうじょ)11.趙の廉頗(れんば)12.越の趙奢(ちょうしゃ)13.秦の白起(はっき)14.秦の范雎(はんしょ)15.秦の呂不韋(りょふい)16.秦の王翦(おうせん)

さて「名臣」とはなにか?ということだが、それは「主」(王)にとって名臣なのである。従ってこれらの人たちが「人として」とか「庶民にとって」<いい人>だったかというと、それは・・・わからないのである。

また、中国史に出てくる人たちの多くに共通していることに「自分の才能を発揮したい・天下に示したい」という自己顕示欲の強さがある。この気持ちが時には天下を泰平にし時には乱すのである。
そしてもうひとつ中国史を読んで思うのは「陰謀の凄まじさ」である。この陰謀の多くが「嫉妬」というか誰かを貶めるために考え出される。そこに民の平和などがない。あるのは「おのれ」だけのような気がする。そして「おのれ」が強ければ強いほど陰謀は成功するのである。もっとも陰謀で成功したものの最期はあまりよくないのだが・・・

中国史を読んで、ああ日本とはスケールが違うなあ、と思っていたのだが、近頃、ローマ人の物語を読んでいるので、今回改めて「戦国名臣伝」を読むと、西洋と東洋の違い、「おのれ」ということについて考えることの違い、ということに考えさせられるのである。

狩猟民族と農耕民族という差であるとよく言われるがもっと突っ込んで考えると、
中国は「穏やかさ」が基調であって「乱」をいかに制するかが課題。
ローマは「乱」が基調であっていかに「穏やかさ」を確保するかが課題。
と考える。

ローマのリーダーは「決断力」が優先され、中国のリーダーは「長者」であることが求められる。
従って、中国のリーダーである「王」や「皇帝」には有能である「臣」が必要なのではないだろうか。
そして、ローマは資質が血に勝り、中国は血が資質を優るのである。

ウーン、ローマ人の物語を読みたくなってしまった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タックス・シェルター 幸田真音 週刊朝日連載 12月30号最終回

2005-12-24 22:25:11 | 読んだ
先週号まで読んで「これからどうなるんだろうか?」とすごく期待していたのである。
で、今週号で「アレアレ」という具合に終わってしまった。
しかも「こう終わるか?!」という終わり方。

物語は、證券会社のワンマン社長から秘密の資産を託された主人公深田が、社長の急死後にその資産を運用することに苦慮するものである。
そこに絡むのが、母とも慕う社長夫人、そしてかつて憧れた社長の娘とその夫。
また、副主人公格で国税局につとめる女性査察官。

深田は、その当時信頼していた板東という出入りの業者に隠していた資産の運用を任せ、成功し莫大な利益を上げる。
しかしその利益は決して表に出せないものだけに、暗闇のような部分で主人公と板東は争う。

一方、社長の娘の夫も「まぐれ」のような投機で会社に大きな利益をもたらし、深田は複雑な心境。
更に、證券会社に査察に入っていた査察官の宮野と深田は偶然な出会いから、お互い憎らしからぬ感情を抱くようになる。

そして・・・深田がなにか不純な利益を得ているらしいことに宮野は気づき、板東は深田にさらなる(5億円)の小切手を請求する。
これから、深田は板東との関係をどうするのか?宮野とはハッピーエンドになるんだろうか?
私的に考えて、これらの解決は非常に難しいが、作者には何らかの秘策があるんだろうか?

これが先週まで。
そして最終回で、これらをうまく解決できただろうか・・・

そういえば、小学館の文庫で幸田真音の「代行返上」がでていた。読んでみよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんまい NHK23時

2005-12-22 23:34:15 | 観た、聴いた
「よるどら」シリーズの最終作!らしい。

11月14日から始まり本日が最終回。
主人公「里見優」(相武紗季)は元気いっぱいの新米介護ヘルパー。
彼女が元気いっぱい介護する人たちに扮する人がすごい。
大竹まこと、草村礼子、小沢昭一、加藤治子、久米明、金田竜之介といった超ベテラン。♪さすがー天下のNHK♪
とうたいだしてしまいそうである。

原作・脚本があの「人間交差点」の原作者「矢島正雄」である。
なもんだから「ひねってある」
しかしこの人のひねりは「正統派」であるゆえに、見ている(読んでいる)こちらは非常に「心地よい」のである。

主人公は「いまどきこんなヤツいるか!?」というツッコミいれたくなるが、こんなヤツがいてくれたらなあ、と強く思ったりする。それがドラマであるわけで・・・
何も徹底したリアリズムが正しいわけではないので。

というわけで、月曜日から木曜日まで、介護、ということを考えながら「どんまい」と明るくさせてもらっていたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリガ・モリソヴナの反語法 米原万里 集英社文庫

2005-12-20 23:26:08 | 読んだ
いやあ、実に感動した。
ものすごく「骨太」の作品である。

弘世志摩(ひろせ・しま)は、少女時代の1960年から64年、チェコスロバキアのプラハに在住し、ソビエト大使館付属8年制普通学校に通う。
そこで、多くの友人を得たり初恋をしたりするが、それ以上に「オリガ・モリゾヴナ」という舞踏教師に出会い影響され、ダンサーを夢見るが挫折し、現在はロシア語の翻訳をしている。

そんな、志摩が92年秋に崩壊したソ連を訪れ、長年胸に秘めていた「オリガ」とその友人であるフランス語教師の「エレオノーラ」の謎を解きはじめる。

ロシアを訪れた志摩は、プラハ時代の親友「カーチャ」に出会うこともでき、いよいよ謎解きは核心に迫る。

それはソ連の暗く苛酷なスターリン時代に、いわれなき罪を着せられた人々が過ごした歴史をたどることになる。

私は初めて知ったのだが、スターリン時代の悲劇、ここに印象としてのソ連の暗さが有るような気がする。

扱われているテーマは「重く・暗く・やるせない」そして誰にぶつければいいのかわからない「不条理」が満載なのに、笑いがある。それも穏やかな笑い、にやついてしまう笑い、苦々しい笑いなど、多くの種類の笑いがちりばめられている。
だからこそ、重苦しい気持にならずに読み進めることができる。

人というのは「いいもの」なんだということがわかり、「いいもの」になったり出会えたりするのは、畢竟自分の生き方なのではないかと改めて感じている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三人噺 志ん生・馬生・志ん朝 美濃部美津子 文春文庫

2005-12-19 23:46:31 | 読んだ
落語家、というのも興味の対象である。

プロ、と呼べるのは・・・ということで考えると、私はこう思うのです。
「素人との差が大きいもの」
で、私的には「棋士(将棋さし)」「力士(相撲とり)」そして「落語家」

この本は、古今亭志ん生の娘で、金原亭馬生と古今亭志ん朝の姉である、美濃部美津子(さん)が、3人の「素顔と暮らし」を語ったものである。

この3人の噺を寄席できいたことはないけれど、テレビやラジオなどで聴いたことがある。
志ん生については、別の本でも読んだことがあるので、概ねの人生や「伝説」などは知っていたが、あとの二人については知らなかったが、噺を聞いた印象のとおりである。

馬生については、稽古熱心だったろうなあ、という印象があるが、実は3人ともに稽古熱心だったんだそうである。
やっぱり、落語家とはかげで努力しているのである。それを見せないのが落語家なのだなあ。

テレビに出ている「お笑い」の人たちも努力をしているのだろうか?
落語家は、落語が好きだという基礎的な部分に努力を重ね、そこに「味」を出すために「無茶」とか「キツイシャレ」を受け容れているのだとおもうのだが・・・

追伸
 米原万里の「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んでいる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Dr.コトー診療所18 山田貴敏 小学館

2005-12-17 22:25:08 | 読んだ
いよいよ18巻。
どうなるんだ!星野の乳がん!

と思って期待をして読んだのだったが、何をどういったらいいのか、まあ、期待はずれであった、ということ。

この物語の面白さは、絶海の孤島での医療なのである。
「医」というのは、各種の機会や薬が豊富にあるところにのみあるものではなく、つまりは「病は気から」なのであるということを、天才的な意志である「コトー」が顕かにする、というのがこの物語の醍醐味でもあった。

しかし、今回は、充実した設備と類まれなる医師が一緒になることによって星野の手術が成功する、ということなのであって、それでは、絶海の孤島における「医」というのは、やっぱりダメなのか、と思ってしまうではないか!!

というわけで、若干がっかりしているのである。

追伸
 本日も仙台に泊まっているのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台光のページェント

2005-12-16 22:58:56 | 観た、聴いた
本日はスクーリングで仙台へ。

光のページェント、一人でみてきました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マエストロ 篠田節子 角川文庫

2005-12-14 21:06:26 | 読んだ
「添乗員疾風録」を買ったら、帯に「(角川文庫を)2冊買うと必ずもらえる」という「文庫ポーチ」があったので、もう一冊をと思い「警察官僚」という角川文庫を一緒に購入し、早速、携帯で応募したところ、その「警察官僚」という本は対象外である、というメッセージが、真夜中の1時過ぎに届いた。

翌日確認をしたところ「2冊買うと必ずもらえる」という前に、その文字の3分の1くらい小さな文字で「フェア対象商品の中から」という文字があるではないか。

という事件があると、なんとしてもポーチが欲しくなる性格なので、本屋に行って角川文庫をあさったが、どうも読みたい本がない。しかしポーチは欲しい、ということから、これも帯の惹句「美貌のヴァイオリニストに仕掛けれた罠」から、この本を買ってしまった。

で、何気なく読み始めたら、なんとなく面白い。そしてクレッシェンドに面白くなっていくではないか。
そんなわけで昨夜はとうとう1時30分頃までかかって読み終えてしまった。

文庫本あとがきで著者は
「死体の転がらないミステリを書いてみたかった」
と書いている。

まあミステリといえばミステリだろうが、別に無理してジャンルを特定する必要もないと私は考えているし、ミステリと一概にくくれない物語だと思う。

何しろ、美貌のヴァイオリニスト神野瑞恵が主人公というだけで、なんだか怪しい気分になるではないか。しかも彼女は、表向き一流のヴァイオリニストではあるが、自他共に一流半またはそれ以下だという、悩み多き演奏者であり、ひたむきに演奏に取り組もうとすることから、生硬い、印象があり、そのことを本人が良く知っているという不幸な演奏者でもある。

さて、その美貌のヴァイオリニストが巻き込まれた事件とは・・・

瑞恵の心の動きにイライラさせられ、それは違うんではないかい?と助けたくなったりしながら、ヴァイオリンに関するウンチクのようなものに感心し、それにしても「いいやつ」が出てこないなあ、と嘆き、物語を読み進めたのであった。

最後の最後に「嫌なやつ」と思ってた人が「いいやつ」になったりして、主人公に「人生、捨てたものではないよなあ」なんていいたくなったりする。

ポーチをもらうために買った本ではあったが、おもしろかった。

追伸
 本日、週刊朝日など雑誌を買うために本屋に寄ったところ、米原万里の「オリガ・モリソヴナの反語法」を見つけてしまい、ダメダダメダと思いつつ買ってしまった・・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オール読物 あれこれ

2005-12-13 23:45:10 | 読んだ
さて、宮城谷昌光の「戦国名臣伝」を読むために、一年以上も遡って、オール読物を読んでいるが、戦国名臣伝だけを読もうとしているのに、ついつい目移りしてしてしまう。

というわけで、何を読んだかというと・・・

「孫文の女」西木正明

またしても、西木作品を読んでしまった。
物語は、あの「孫文」が日本滞在中に「愛した」というか「手をつけた」女二人を描いている。
大隈重信、犬養毅やら登場し、宮崎滔天が狂言回し的役割をしている。
この時代の物語は割と少ないので、どうしても興味を持ってしまうのである。

「花に背いて帰らん -直江山城守兼続-」<家老列伝>中村彰彦

上杉景勝を支えた、直江山城守の物語である。
ときに主君を凌ぐようなカンジで、あまり私的には好みの士ではないのだが、それはそれ、ナカナカ面白く読んだ。
ずっと、自分の考えを通し続けて、最後の最後の賭けである、関ヶ原の時に、景勝が軍を引く決断をする。
という、劇的なところがいい・・・のだが、私的には、直江山城も同意のうえでのというか主導したかもしれない撤退ではないか、と勘ぐっている。
こういう対立のあとでも、主従の関係は変わらない。
もしかすると、石田三成が負けることを、すでに知っていたのではないか・・・なんてね。

そして、肝心の「戦国名臣伝」は
2004年4月号 越の范蠡(はんれい)
2004年5月号 魏の呉起(呉子)
2004年6月号 斉の孫臏(そんびん)
2004年7月号 秦の商鞅(しょうおう)
2004年8月号 燕の蘇秦(そしん)
2004年9月号 秦の魏冄(ぎぜん)
まで、読了

今週末は「神尾一馬シリーズ」が待っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーロラ宮異聞 西木正明 オール読物2004年4月号

2005-12-12 23:01:39 | 読んだ
宮城谷昌光の「戦国名臣列伝」を最初から読もうと思い、オール読物を引っ張り出してきたら、2004年4月号にこの小説があった。

オーロラ宮異聞<女馬賊「満州お春」の生涯>

主人公のお春は、九州天草で、父母の顔も知らず育つ。本名は「山本キク」である。親類筋から7歳で朝鮮の漢城(ソウル)の料理屋に売られ、続いて15歳で朝鮮北西端にある新義州の売春宿に売られる。
しかし、そこでお春は「天性の美貌と勘の良さ、愛想の良さ」で評判になる。
日露戦争で、兵隊が大勢来るようになり、いわゆる「特需」をもたらすが、それもおわり、続いて「奉天」へ移る。

奉天で、彼女は、香村憲兵大尉と知り合い、彼に何気なく行った言葉がアドバイスとなり、それが縁で今度は、満州の軍閥「張作霖」の義兄弟である孫花亭と知り合い、彼と結婚し馬賊となる。

そして・・・・というのがあらすじである。そして以降は読んでのお楽しみというところか。

お春は自分の環境のなかでしっかり生きている。
しかし、生きているということはもしかしたら生かされていることなのかもしれない。国はお春に何もしてくれなかったが、気安く利用しようとする。
国にとっては、そのことが成功しようと失敗しようとそれほどのことでもないかもしれない、が、当事者たちにとっては「人生の一大事」である。

人が生きる、ということはいったいどういうことなんだろうか。
自分の知らないところで、実は、生かされているのではないか。
そんなことを思ったりした。

チョット前までは、自分の思うとおりに生きるためには、何かを犠牲しなければならないことが多くあったのだと思う。
今は、自分の思うとおりに生きるために、どう犠牲を少なくして、つまり丸儲けの人生を志向しているようである。
丸儲けと丸儲けがぶつかるから、些細なことで、ぶつかりあう。

今怖いのは国家権力ではなくて、隣人たちではないか。
どこでこうなってしまったんだろうか?

お春は、国家の仕事をして多額の金を得て、アムール川畔のロシアの町「ブラゴベシチェンスク」でバー<オーロラ宮>を営む。
その後、またしても意に沿わぬ仕事をして、ニコラエフスクに住み、1923年(大正12年)に病没した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビの黄金時代 小林信彦 文春文庫

2005-12-11 16:56:58 | 読んだ
小林信彦って、テレビ界でそれほどスゴイ人だとはあまり思っていなかった。
ファンだといいながら、あまり知らなかったのね。

これまで読んできたものからは「傍観者」的な、いわゆる「芸能界」からは一歩引いたポジションにいる人、というのが印象であったが、どうも読みが足りなかったようである。

多くのバラエティ番組に携わってきた人であった。そして思い出したのである。「中原弓彦」という名前でテレビにかかわってきたのだということ。

そしてもう一つ、この「テレビの黄金時代」は文芸春秋に連載されたもので、それをリアルタイムで読んでいたのであった。
なんだか「既視感」のようなものがあって「ああオレってやっぱり小林信彦と同じようなことを考えているなあ」なんてバカなことを思っていたりしたのであった。

このテレビの黄金時代は、テレビ(バラエティ)と微妙な関係を持ってきた、そして客観的な視線を持っている人であって、加えてそのことを書き残さなければならにという使命感を持っている著者でなければ書けないものだ。

どこかでその気になれば「青島幸男」「前田武彦」「大橋巨泉」のようになれたとおもうが、その気にならなかったからこそ、自慢にならず、臨場感のあるものになっている。

読み終わって、テレビって、実はバラエティがその最大の特徴なのではないか、と思わされた。「多様性」こそがテレビで表す最大のものではないか。
そう考えれば、今のテレビは「多様性」というのがなくなったのではないか、と思う。
つまり、テレビで何をするのか、ということがテレビが始まって50年以上を経過してもまだまだ、作るほうも観るほうもよくわかっていないんだろう。

そういうことを、この本の冒頭「イグアノドンの卵」を読むと、はじめっから予測されていたことなんだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週間 ビジュアル 日本の合戦25 徳川慶喜と鳥羽・伏見の戦い

2005-12-10 22:35:21 | 読んだ
全50巻の半分に達した。日本の合戦。
だが、近頃はなんだか「中だるみ」である。

23巻から29巻まで幕末ものである。
幕末の合戦というのはあまり面白くない、と思うのである。
というか、関ヶ原以降は、どう考えても合戦の前に勝負が決まっている、合戦なのである。

合戦というのは、そこで勝負が決まる、もしかしたら劣勢のほうが勝つかもしれない、というところに「魅力」がある。
また、闘っているほうも「万が一」より大きな確立に賭けているのだ。

しかし、幕末の戦いは「イデオロギー」が優先しすぎている。
例えば鳥羽・伏見の戦いでは、「錦の御旗」が出てくると総崩れしてみたり、大将がさっさと撤退してみたりしている。
誤解を恐れず非難を承知で言わせてもらえば
戦いをマジメにしていないのである。
だから、なんだか面白くない。

大体、幕府側は「組織」になっていないし、戦争に勝ってもそんなにおおきな「うまいもの」があるわけでもない。一方の官軍側も、勝った後のことはあまり考えていない、いないが、幕府を倒す、ということに賭けるものがある。倒すと何かいいことがあるかもしれない、とそれぞれが思っている。

戦いは「勝ちたい」と思う気持が多いほうが勝つ、というのが私の考え。
ということで、幕末の戦いは、あまり面白くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする