読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

寿水宝山

2009-01-31 23:53:22 | 読んだ
本日は青森に来ています。

柄にもなく「講師」というか「ゲストスピーカー」として30分間の発表があり、その後、パネルディスカッションのパネラーをつとめました。

人前で発表するというのは100持っていたら30もできればいいほう。
問題はその100がどのくらいの内容かということ。
内容を濃くするためにずいぶん調べました。

ということで、青森市は思ったより雪が少なかったです。
でもやっぱり寒い。

題名の「寿水宝山」はたずねた居酒屋に掲げてあった額に書いてあったもので、感心したので、題名に使ってみました。

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敵は我に在り-危機管理としての野球論- 野村克也 サンケイ出版

2009-01-28 23:39:31 | 読んだ
何も読むものがなかったので本棚を探したらこの本があったので引っ張り出してきて読んだ。
本屋さんに行くと文庫版で出ているので、それに触発されたのかもしれない。

初版が昭和55年8月で、私のは第28刷:昭和56年11月となっている。
この本のブームが終わった頃をみはかって購入し読んだものと思われる。

この本を読んで野村克也のファンになった。
従って「続・敵は我に在り-危機管理としての人材育成論-」は早めに読んだし、「プロ野球・野村克也の目」も読んでいる。

で、なんだか同じことばかり書いてあるように思われ、その後遠ざかった。
ちなみに、これを経済学では「限界効用逓減の法則」という。

今回、改めて読み直すと、なかなかどうして、今でも十分通用する論理である。
だから楽天でもそれなりの成果を出しているんだと思う。

ただし、この論理を今の野球選手がどこまで実践できるか、ということが問題である。
「人は上を目指すもの」
というのが野村理論の原点にある。
ところがプロ野球の世界とはいえ、そういう人ばかりではない。また、上を目指すにしても、どうもそれぞれの人には限界があるようだ。
従って、野村理論を実践してもそこそこ止まりの人が居るのではないだろうか。

そのあたりをうまく使うのがリーダーだったり、システムとして機能させるのが組織なのではないか。

つまり個人はそれなりの努力をして能力を高め、その努力の成果を生かすことのできる組織と、十分発揮できる機会を与えることのできるリーダーがいて、「常勝」が生まれるのではないか。

そして個人も組織もリーダーも周囲の環境に適していなければならない。

ということだから「常勝」というのはありえないのである。
なぜなら個人も組織もリーダーも「陳腐化」を免れないからである。

力(パワー)野球とスモールベースボールということがいわれているが「柔よく剛を制する」という野村野球が、今年東北楽天ゴールデンイーグルスで花開くことを大いに期待する。

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杵蔵の涙-あくじゃれ瓢六- 諸田玲子 オール読物2月号

2009-01-26 23:09:21 | 読んだ
近頃はワタクシ的なイベントが続いていて、本を読む、ということがなかなかできない状態であった。

新しいものや長いものを読むということが手につかないので、週刊誌とか漫画本とかで代用をしていたのである。

ということで、本日やっと今月発売の「オール読物」と「小説新潮」を購入したのである。

オール読物に間隔をあけて連載されていた「あくじゃれ瓢六」シリーズが2月号でとりあえず完結をした。

短篇連作という形であるので、その都度その物語を読んでも一応は「わかる」格好になっているが、やっぱり連作ということで大きな流れがわかっていたほうが、なお一層の面白さがある。

今回の連作は主人公「瓢六」が何かと頼りにしてきた居酒屋「きねへい」の親父:杵蔵が人殺しの罪でとらわれたことが発端である。
杵蔵は「はめられた」のであるが、誰にはめられたのか、心当たりはない。

杵蔵の過去は暗く厳しいものがあったらしいというのはわかるが、それがどのようにこの事件に絡んでいるのか、皆目検討がつかない瓢六は、杵蔵と同じ牢にはいり、捜査を開始するのである。

今回の物語は、杵蔵の暗い過去が要因で、やっと謎を解いたとおもったら、悲惨な或いはそれが最善でなのか、そういう結末が待っていた。

人の心のあり方の複雑なこと、或いはちょっとした行き違いが増幅されて行き違いだけですまないことになったりする。
どこかで、許すとか詫びるとかしたらよかったのにとか、自分の心をまっすぐ人に伝えられないもどかしさとか、そういうものが感じられた物語であった。

何年かして文庫本で一気に通して読んでみると、この感想がどう変わるのか或いは変わらないのか楽しみである。

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マグレと紅白歌合戦<間暮警部の事件簿> 鯨統一郎 小学館文庫

2009-01-20 22:38:12 | 読んだ
「見立て殺人」のマグレ警部シリーズ第3弾である。

第1弾は「神田川」見立て殺人で、9編。いずれも70年代のヒット曲を題材としている。

第2弾は「マグレと都市伝説」。メドレー見立て殺人事件で、これは都市伝説と歌謡曲との合体であった。

(いずれもクリックすると私の感想が書いてあるページにとびます。)

で、このシリーズの面白さは、なんといっても「歌謡曲」への思いである。
イロイロな事件が起きるが、その謎解きなんかどうでもいいのである。
それよりも、登場するというか使用されているというか、その歌に対する著者の思いが私の胸を打つのである。

著者「鯨統一郎」は覆面作家ということであるが、年齢は絶対私と近いと思う。つまり今流行のコトバを使えば「アラファイブ」である。
それは「歌」が示している。

さて、今回の物語は不可思議な殺人事件が続くのである。
そして、その殺人事件はある機関(もしくは組織或いはシンジケート、ってどうでもいいんですけど)がある謀略を達成するために行っているものである。

その機関のその謀略をとめるべく間暮警部が立ち上がるのである。

で、その機関と警察組織で「紅白歌合戦」をするのだ。
もうこのあたりからドタバタですわ。

で、紅白歌合戦をした負けたほうが勝ったほうのいうことをきく、みたいな・・・

いやはやなんとも・・・・

で、その紅白歌合戦であるが、警察側は間暮警部が23曲を歌う。対する悪の組織はいったい誰が・・・これはちょいとびっくりしてしまう人です・・・

いわゆる昭和の歌謡曲が23曲×2=46曲、披露される。

そして、今までの殺人事件は全てこの歌で解き明かされる。
それはそれはとても素晴らしい「コジツケ」なのであるが・・・

この物語はその殺人事件が解決されたからめでたしめでたしではなく、また殺人事件や悪の組織の謀略がテーマもない。

ただひたすらに昭和の歌謡曲なのである。
それは、今の紅白歌合戦のあり方に疑問を投げかけているようで、或いは紅白歌合戦のパロディで笑わせてくれるようでいてい、実は、現代日本への強烈な皮肉あるいは疑問の投げかけみたいな、そんな思いにまでさせる(つまり深読みしたくなる)ような「ばかばかしさ」なのである。

深読みして深読みして更に深読みすると、ただ単に著者は自分の歌謡曲に対する思いを殺人事件とかを小道具として紅白歌合戦を舞台に述べただけに過ぎないのではないか、と思うようになった。

面白ければいいじゃない!
そこにメッセージも隠された思いも込められていなくたって・・・ただ、何かをメッセージとして受け止めたというなら、それはかまわないけど。

みたいなものを感じてしまったのである。
表層的に読んで「ああバカバカしかった」という感想が、もしかしたらいちばんなのかもしれない。

物語の終わり方をみると、このシリーズはこの後ないのかもしれない、残念である。

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サービスの達人たち 野地秩嘉 新潮文庫

2009-01-17 21:19:38 | 読んだ
なぜか時々、こんなものを読みたくなる。
こんなもの、という言い方もなんだが、つまり物語ではないノンフィクションを読みたくなるのである。

ノンフィクションは事実であって、事実をワザワザ記録するのであるから、割とすごかったりする。

で、このサービスの達人たちで紹介されている9人もなんだかすごいのである。

解説があの酒井順子なのであるが、その一番最初に、この本を読んで「サービスとは、何だろうか?」と考えさせられた、とある。
わたしもそう思ったのである。

まあ酒井さんのように深く考えたのではなく、取り上げられた人たちのなかにはわたしが考えているような「サービス」という分類ではないんじゃないか、と感じられた人がいるからなのである。

だから、この本を読んで「人生の参考にしよう」なんて思ったら、違和感があるだろう。
つまり「達人」とは「変人」でもあるのだ。
その道に徹しているからこそ「達人」になるのであって、ましてや本に取り上げられるようになるなんて、相当変わっている、と思わなければならない。

達人たちの評価はその「技術」だけで行われない。
また技術を支えるその人の心構えでもない。
その人全てなのである。

だから、このルポは伝記のようなのである。

ゆえに、達人たちのなんというか世間的にみた「いやな面」も描かれている。
それは、彼らの仕事へのこだわりから出てきているものなのだが、そのこだわりが尋常でないゆえに「ヒエー」と思うようなところがある。

軽いものと思って読み始めたのだが、なかなかに重いものであった。

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ジェネラル・ルージュの凱旋 海堂尊 宝島社文庫

2009-01-14 22:37:50 | 読んだ
長編には手を出すまい、と決めていたのに・・・
ゆっくり読むから大丈夫、と思っていたのに・・・

休日を1日つぶして読みふけってしまった。

例の「チーム・バチスタ」シリーズである。
つまり、東城大学医学部付属病院を舞台に、おなじみの不定愁訴外来の田口公平と厚生労働省のロジカル・モンスター白鳥圭輔が登場する。

第1作「チーム・バチスタの栄光」と第2作「ナイチンゲールの沈黙」は読んだ。
ほかには「ジーン・ワルツ」と「ひかりの剣」と「極北クレイマー」も読んだ。

今回の「ジェネラル・ルージュの凱旋」は「ひかりの剣」の主人公であった速水晃一が主役である。「ひかりの剣」のほうが後から書かれたものであるが速水の医学生時代の話であり、私にとっては順序どうりでよろしい。

この物語はある特殊性がある。
それは「ナイチンゲールの沈黙」と並行的に物語が動いていることである。
片方でナイチンゲールの沈黙に描かれたドラマが動いているのである。
だから、この時期田口や白鳥や速水など東城大学医学部付属病院の関係者は二つのドラマを抱えていたことになる。

もっともこちらの物語は殺人事件などはおきはしない。
起きているのは「医者と業者の癒着」である。

しかし、この「癒着」の問題は、実は些細なことであるように思える。

法と正義あるいは正論だけでは医療はやっていけない、という問題である。

医療の進歩には金がかかる。医療の平等的受診には金がかかる。人を救うには金がかかる。
という「金」という問題。

病は治らないものがある。死は必ず訪れるがその時期には個人差がある。病や痛みには個人差がある。
という「不平等」という問題。

そして、医療であれ社会制度であれ「完全」は存在しないという問題。

だけど、これらの問題は絶対に解決できるはず、すくなくても私にとっては。
という、各個人が持っているなんの裏づけもない思い、があるという問題。

これら全ての問題について、東城大学医学部付属病院の倫理問題審査委員会(エシックス・コミティ)とリスクマネジメント委員会における論戦は、互いに相手が気に食わないという人間の本能と論理が入り混じって、非常に感動的であった。

そして物語の最後に発生した大事故の対応には、読んでいて涙がでるほど、医療というものの尊さに感動させられた。

又、登場する看護師たちが非常に魅力的である。
ICUの爆弾娘:如月翔子、その上司であるICUの看護師長:花房美和、東城大医学部付属病院一の横着者で小児科看護師長:猫田麻里、如月翔子の先輩である久保主任、そして森野看護師。
こういう看護師たちのいる病院にいきたい・・・

それから、極北クレイマーに登場した桃色眼鏡の姫宮が登場した。

まあ、兎も角面白かった。
ただし、これは「ナイチンゲールの沈黙」を読んだ後に読むべきである。
そういう条件付の物語というのも面白い。

なお、解説を読んで、他の物語との関連性が整理でき、なるほどそういうことだったか、と納得したのであった。

いろいろと引用したい部分があったのだが、それはまた別の機会に、ということで、よしなに。

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花の下にて春死なむ 北森鴻 講談社文庫

2009-01-12 10:54:05 | 読んだ
なんとなく長編のものを読みたくない気分が続いている。
しかし何かを読みたいという気分も持っている。

雑誌に掲載されている物語には「新鮮な出会い」みたいなものがあっていいのであるが、反面「得体の知れないものを読む」或いは「あたりはずれがある」というものがある。
それは、自分の読みたいものを読みたい、という気持ちを満足させられないのである。

というようなわけで、北森鴻を読むことにしたのだ。
本来は「狐罠」の続きで「狐闇」なのだが、なにしろ長編はちょいと敬遠なので、連作短編集という「ビア・バー『香菜里屋』シリーズ」を手に取ったのである。

近頃、この「連作短編集」というのが読みやすくなってきている。どうも長編を読むには「体力」と「意欲」がなくなってきたのかもしれない。

長編の物語は、登場人物が多い、大仕掛けである、したがって「伏線」とかを読み流さしてはならないのであるが、一方に「冗舌」というところもあるので、読む時には相当の「気力」を持ってのぞまなければならない。

ということで、読み始めたのである。
一日一編でいいやと思っていたのに、あっという間に読みきってしまった。
何のために「連作短編集」を選んだのか『意味ないじゃん!』になってしまった。

6編の小説が収められている。
ビア・バー香菜里屋(かなりや)のマスター工藤哲也が全ての物語に登場する。

謎は香菜里屋の客が絡んでおり、最終的な謎解きはその客が工藤の助けを得て解決(というよりは納得)する形である。
そして、それらの客が香菜里屋で交流することもある。

解説では「安楽椅子探偵」の要素<工藤が実際に調べに行かない>と、「推理クラブ」の要素<客同士が推理をしあう>を持つ小説である、と言っている。
まったくそのとおりで、読み進むと前に登場した人物がしゃべっていたりする。

さて、謎は殺人事件ばかりでもなく、というか明らかな殺人事件を解決することはない。何か不思議な現象というようなものが「謎」になっていて、それを解くことによって「殺人事件」だったりする、というような形である。殺人と思われたことがそうでない場合もある。

単純明快な推理ではないので「そんなもんかあ」というようなところもあるが、なかなかに面白い。

ところで安楽椅子探偵たちは、事件とか謎に大いに興味を持つから推理するのであろうが、それだけ興味をもったなら「現場」とか「関係者」に会いたくないのであろうか?
それが大いに疑問なのである。

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まにあうかもしれない 吉田拓郎

2009-01-08 23:21:28 | 観た、聴いた
「まにあうかもしれない」はアルバム『元気です』に収められている。

『元気です』は私の高校時代に発表されたものである。

この「まにあうかもしれない」は高校時代からずっとつきあってきた歌である。

その時々、時代時代、年齢によって受け止め方が違ったりしたが、そのつど「まだまにあうかもしれない」という思いを強めて、踏み切ったり立ち止まったりしたものである。

♪僕は僕なりに自由に振る舞ってきたし 僕なりに生きてきたんだと思う♪

という出だしは、いつでも僕の思っていることだったし、多少の制限はあったとしても自由であったし、僕なりに生きてきたと思っていたことは確かである。
しかし

♪だけどだけど理由もなく 滅入った気分になるのは何故だろう♪

と思うのである。そんなに僕の生きかたに不満などはないのである。
だけど、やっぱり心の底では「こんなはずじゃない」と思っているのかもしれない。それは

♪思ってることとやってることの違うことの苛立ちだったのか♪

ということなんだろう。

そして

♪だから僕は自由さを取り戻そうと
 自分を軽蔑して自分を追い込んで
 なんだか自由になったように
 意気がっていたのかもしれないんだ♪


だけど、やっぱりそうであってはいけないと思うのである。

♪まにあうかもしれない 今なら
 今の自分を捨てるのは今なんだ♪


と思うのである。
まったくその通りだと、いつでもこの歌をうたうたびに思うのである。

続いて

♪まにあわせなくては 今すぐ 
 陽気になれるだろう 今なら
 大切なのは 思い切ること
 大切なのは 捨て去ること♪


そうだまったくそうなのだ。今のままではいけないと思うのである。
だけど

♪そうすりゃ自由になれるなんて 思っているほど 甘くはないけれど♪

と自覚はしているつもりだ。

♪だけど今は捨て去ることで
 少しくらいはよくなると思えるんだ
 まにあうかもしれない 今なら
 まにあうかもしれない 今すぐ♪


やっぱりやらなければならないものから逃げてはダメなんだと思う。

♪なんだか自由になったように
 意気がっていたのかもしれないんだ
 まにあうかもしれない今なら
 今の自分を捨てるのは今なんだ♪


詩だけ読むとなんだか暗いようなのであるが、曲がわりと軽いというかあっさりしているというか、ドライなのである。
だから、素直に歌えるというか聞くことができるというか・・・

ちなみに詩は岡本おさみ 曲は吉田拓郎である。

いつでもこの歌に励まされてきた。
そしてこの歌をうたうことで自分を正当化してきたように思える。

だけど、今の自分を本当に捨てることができたのだろうか、それは今でも疑問である。
そして、これからもこの歌をうたいながらはげまされながら行くんだとおもう。

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青春のうた 第74巻 1980年代前期11

2009-01-06 22:40:12 | 読んだ
1.ガラスのジェネレーション/佐野元春 1980年10月

まったく申し訳ないのだが佐野元春は聞いたことがないのである。
この「ガラスのジェネレーション」は初期の代表作とあるがわからない。
「SOMEDEY」も知らない。
そんな私です。


2.雨音はショパンの調べ/小林麻美 1984年4月

小林麻美はデビュー当時聞いていた。
しかもB面の曲が好きだった。
「落葉のメロディー」のB面であった「女の子は淋しくても」がお気に入りで、「男の子は淋しくても」という曲を作った高校時代であった。

そんなわけで、久々の小林麻美の曲ということで注目していたのであった。

「アンニュイ」という言葉と「大人」という感じがして、ああ小林麻美は遠くなってしまった、と思った28歳なのであった。

ちなみに小林麻美は私より3つ上だったので30歳ころ。当時はずいぶん「大人」だと思っていた。
今じゃ30歳というのはなんだか「マダマダ」の気分である。社会は大きく変わったなあ、とあらためて感慨にふける52歳の私であった。


3.唇よ、熱く君を語れ/渡辺真知子 1980年1月

というわけで、渡辺真知子は同い年である。

なんだかとっても元気がいいなあ、という印象で、力強いというかパンチが効いたというか、そういう歌い方のイメージである。

この歌などは、渡辺真知子の渡辺真知子による渡辺真知子のための曲、のような気がする。

♪唇よ 熱く君を語れ♪
という部分は、体が震えるような、そんな気持ちにさせられるのである。

今もテレビなどで見ると元気な渡辺真知子であるが「おばさん」だなあやっぱり。

解説にもかいてあったが、この頃は化粧品のCMソングがいい曲ぞろいで楽しみであった。この「唇よ 熱く君を語れ」は確か口紅のCMだった。


4.やさしさ紙芝居/水谷豊 1980年7月

水谷豊はなんだかクセのある演技で、それがうんとよく感じられたり、またかよとか思ったりして、当時はじぶんのなかでも評価が分かれていたような気がする。

歌い方もなんだか「わざとらしい」というような気がしていた。

で、決定的だったのはキャンディーズの蘭ちゃんと結婚したことである。(当時はもキャンディーズは解散していた)
このことにより、私はなぜか水谷豊を忌避してしまったのである。

従って、今話題の「相棒」もつい最近から見た、というか映画を見てからテレビを見るようになったのである。

さて「やさしさ紙芝居」であるが、これはやっぱり
♪ねぇ君 ぼくはこう思うのさ♪
のところがいいです。


5.Chance!/白井貴子 1984年6月

白井貴子も聞かなかった。
1980年代はジャンルというか歌の分類が詳細になってきて、それらをごちゃ混ぜにして聞かせるような、テレビやラジオの番組が少なくなってきたように思える。

或いは、そういうテレビやラジオをみたり聴いたりするような時間或いは空間が私になかった時代だったような気がする。

そんな中で「ロック」とか「ニューミュージック」などが進化していくのについていけなくなってきた。

で、白井貴子であるが、笑顔がいい。
でも笑顔のいいロック歌手ってなあ、と思った。
また、これロック?というような気もしていた。

この延長線上から森高千里が出てきたように思っているのだが、間違いなのだろうか?自信がない。

そいう意味で白井貴子は「路線」がどうも中途半端だったような気がする。


6.まあるいいのち/イルカ 1980年12月

イルカのこの方向の歌はあまり得意ではないのである。

「そうね」
としかいえないのである。

それ以外の言葉は、どっかから槍でもとんできそうなのである。


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ホームページ「嘉壽家堂」更新

2009-01-04 23:31:00 | 日々雑感
本店「嘉壽家堂」を更新しました。

といっても、このブログで発表してモノをまとめているだけですけれど・・・

ご参考までクリックしてみてください。

嘉壽家堂

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小説新潮1月号 特集「新春短編グランプリ」

2009-01-02 23:36:43 | 読んだ
小説新潮1月号の特集は「新春短編グランプリ」で16の短編小説が掲載されている。
そのうち7編を読んだ。

「ミント・ティの匂い」 曽野綾子

嘉治郎と知花は夫婦である。嘉治郎の後輩・武彦と知花は過去に過ちを犯しその後会うことがなかったが、嘉治郎の赴任先のイスタンブール(小説にはイスタンブールとは書いていないが多分そうだろうと思う)で再会する。

武彦がダムに行くというのに知花はついていく。
その行った先で運転手の従兄弟の家に寄った二人は、昔のことを思い出す。

とまあ、短編なのであまり説明するのも何なのだが、しんみりするというか男と女の関係ということの不思議さを感じさせる物語であった。


「歳月」小池真理子

この話は男一人女二人の物語である。
「わたし」と千佳と千佳の元夫・瀧田との話。

3人は学生時代の友人で「わたし」は瀧田に好意を持っていた。しかし瀧田は千佳と結婚した。
その後、千佳と瀧田は離婚し、「わたし」と千佳は時々あって話したりする。

私が持っていた瀧田と息子の写真を千佳に渡すと、あなたから瀧田に渡して、と頼まれ「わたし」は瀧田に会う。

これも、男と女のしんみりした話である。過去の恋愛が今になってどうなるのか、という「ミント・ティーの匂い」と同じような主題で面白い。


「飲めば都」北村薫

出版社に勤めている年のころなら27・8、30ででこぼこにみられるだろうと期待している「都」さんの酒癖にまつわる話である。

軽快でスピード感あふれるユーモア小説である。
お気に入りである。


「月が笑う」角田光代

泰春は妻から離婚を迫られた。
自分は何一つ悪いことはしていないのに。

興信所を使い調べたところ、妻には男がいた。
絶対に別れてやるものか、と泰春は思う。

そんな時、タクシーの運転手から聞かされたことで、泰春は考える。
そして彼は何を選んだのか?


「ミスター・ロンリー」藤田宣永

幹夫は大手自動車部品メーカーに勤めている。
入社したときは技術職であったが今は社長室長である。

半年前に先代社長がなくなってその息子があらたな社長になって以来、社長との関係が厳しくなり、とうとう衝突をしてしまう。

そして、会社に行かず映画館で「ローリング・ストーンズ」の映画を見ているときに知り合った男と不可思議な一日を過ごす、という物語。

こういう話も嫌いではないが、団塊の世代の人たちが思っている「かっこよさ」というのはもう古いというか自分勝手だと思ったりしたのである。


「ミートボール」諸田玲子

1982年にハワイ旅行に出かけた夫婦と子供二人そして舅姑の話。
夫と子供と舅姑に振り回される杏子。

独身時代に訪れたハワイでのことに思いをはせ、思い出の地へ出かけてみると・・・

結婚をすると妻とか嫁とか母になって「女」であることがなくなってしまう。
というのはよく言われてきたことで、今は「妻」も「嫁」も「母」も捨てて「女」になることが以前よりできやすい環境になっている。

そんなことなどを思わせる物語であった。
とはいえ、それほど重苦しいことはなく軽いタッチである。


「師匠の恋人」吉川潮

人気の若手落語家・柳亭楽之輔の師匠・楽喬50歳が、楽之輔の独演会のゲストで出て、そこで若い女の子のファン・泉25歳と出会う。
そして泉と「いい仲」になる。

しかし泉の父は広域暴力団の若頭・片桐であり楽喬は脅される。気の強い泉が父を説得し、その手打ちの宴で楽喬と片桐は意気投合する。というか一方的に片桐に気に入られる。

まあドタバタといえばドタバタなのだが、芸人に詳しい著者がいかにも芸人のシャレみたいなものを表現している。

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あけまして おめでとうございます <平泉より>

2009-01-01 18:10:11 | 日々雑感
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

さて、本日は昨年残念ながら世界遺産登録にもれてしまった平泉に行ってきました。
これまで元旦に行ったことがなかったのですが、行ってびっくりしました。
大勢の参拝客で大混雑でありました。

中尊寺の月見坂を登るのにも自分のペースでは歩けません。
ということで本堂です。


続いて毛越寺に行きました。
暮れに降った雪がとけてちょっと泥道でしたが、まああまり気にせず歩いてきました。
         

浄土庭園の大泉が池は凍っていて、そこに西陽があたっていました。
                    

少ないお賽銭で多くの願い事を申し上げてきましたが、そのうち一つでもかなえばと思っています。

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