読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

わたし、定時に帰ります 朱野帰子  新潮社(kindle版)

2019-04-17 11:31:13 | 読んだ
昨日から、テレビドラマの放送が始まった。

テレビの感想から申し上げれば、原作との大きな違和感はなく、これからどうなるのか楽しみ。というところか。

主演の吉高由里子は、原作のイメージかといえば、そうでもあるような少し違うような、まあ、小説とドラマは違うものだから、原作に忠実でなくても、私は許せるので構わないのだが。
若干違和感があるのは、福永部長のユースケ・サンタマリアと諏訪巧の中丸雄一かな。
毎週火曜日の楽しみとして見続けてみたいと思います。



さて、物語であるが、題名のとおり「わたし、定時に帰ります」をモットーとしている東山由衣が、周囲との軋轢をどう乗り切っていくのか?ということがテーマになっている。

「定時に帰る」ということは、本来「当たり前」のことであるが、なかなかそれが実行されない。それがこの物語の主幹である。

わたしにとって「なぜ残業するのか」ということは仕事上におけるテーマでもありました。

そもそも「時間外勤務」は上司の命により行うもので、自発的に行うものではありませんが、概ね自発的に残業している例が多かったのが私のいた職場でした。
残業をする理由は概ね次のことではないかと思っていました。
1.仕事量が多すぎる。
2.仕事の質が高すぎる。

この二つは「その人にとって」ということで、他の人が同じ仕事をすると割と簡単にやっていることもあります。
それは、他の人が「能力が高い」か「手抜きをしている」かのどっちかです。

次は
3.時間外手当が欲しいから(財政的問題)
4.家に帰っても何もすることがないから
5.家に帰りたくないから

これは、仕事があるとかないとかではありません。

まあ、そんな経験をもとに読み始めたのですが、私の考えは甘かった。

能力や体力の限界を超えた残業はあるのだ。
それは「分不相応」な仕事の質と量をしなければならない状況を作ることにある。

しごとの受注に際して無理をする、発注者からの無理なお願い(実質的には命令)を受ける。
ということがあるわけで・・・・

仕事の進め方、やり方を決めて仕事をするのが、定時で帰る、方法なのだが・・・
それは「理」であって、仕事には必ず「情」の部分がある。
その兼ね合いが難しい。

主人公の由衣は、かたくなに「定時で帰る」ことを守ろうとするが、それを崩していこうとする「情」があったり、更には「理」があったりして、七転八倒する。

日本は今、働き方改革、などといって働き方に重点を置いているが、実は、日本人全体として生活サイクルについて考え、幸福とは何かを見つめなおさないと、働き方は改革したが、別なところで多くのほころびが出てくるような気がする。

「働き方」は手段であって、どこになにを「目的」としておくかによって、変わってくるものではないだろうか。


そんな小難しいことを感がえないで、ボーっとドラマを見ていこうかと思っている。
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ドラマへの遺言 倉本聰 碓井広義 

2019-04-10 17:34:14 | 読んだ


倉本聰の脚本で「やすらぎの刻~道」が今秋から始まった。

私は、前回の「やすらぎの郷」は、居合わせたときには見たが、積極的には見ていない。そして、今回も「見ない」予定だ。
理由は「毎日見るのが大変」だからだ。
連続もののテレビ番組や、月刊誌・週刊誌の記事・小説等は見続けることが大変だ。特に、近年はなんというか「既視感(デジャブ)」が発生し、あれ?これ前にも見た?という状況だったり、前回の続きを思い出すまで時間を要したりするので、できるかぎり「一話完結」「読み切り」を選択するようにしている。

で、倉本聰である。
この人の脚本で、まじめに見たのは「北の国から」だけではないかと思う。
「前略おふくろ様」は2シリーズだったが、どちらもまじめに見ていない。多分再放送のみられるところだけかと・・・
そういえば、二宮和也の「拝啓、父上様」は見た。

それから、NHK大河の「勝海舟」は見ていた。途中で脚本が変わったということには何ら興味がなかった。
主演が渡哲也から松方弘樹に変わったのは知っている。

というわけで、倉本ドラマにはあまり熱心ではないのだが、なんだか興味があって、本を読んだりしていた。

で、今回は「ドラマへの遺言」という、
『本書はさまざまな風評に彩られた師匠に、不肖の弟子が過去と現在の一切合切について聞き取りを行った一冊』
を読んでみたのである。

倉本聰の生き方・考え方は非常に面白い。
というのが大きな感想である。

でも、
近くにはいたくないなあ。
というのもある。

ちょっと遠くから見ていたほうが、ためになるし、面白いし、いい人だなあ、と思う人がいる。

「いいなあ」とか「尊敬する」とか「憧れる」みたいな気持ちで、離れていたほうがいい人がいる。

で、近づくと、火傷したり、怪我したり、凍傷になったりするのである。

倉本聰はそういう人なのではないかと思った。
もちろん、そういう人の近くにいても、火傷も怪我も凍傷もおわず過ごせる人もいるし、火傷するのがいいのよねえ、という人もいる。
ただ、私としては、ちょっと距離を置きたい人、と思ってしまったのである。
近くにいる人は大変だなあ、と思ってしまったのである。

この気持ちってもしかしたら近づいてみたい、という気持ちなのかもしれない。

倉本聰って「何が面白いのか」を追及し「それをどう表現するのか」ということを実践している。と感じた。
それは、これまでの経験の積み上げでもあるのだろうが、いつも何かを探し、何かに怒り、何かを壊したいんだろうなあ、と思うのである。(私が言うのはまったく不遜の極みであるが)

「生きる」って何なのだろうか?
が私の今のテーマであるのだが、本書はそのテーマを別の角度からというか改めというか、考えさせてくれた。
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