読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

赦しの鬼-団鬼六の生涯- 大崎善生 小説新潮7月号

2011-06-25 17:47:08 | 読んだ
小説新潮7月号の特集は「追悼 団鬼六」である。

その一つが、評伝『赦しの鬼』なのである。

著者の大崎善生は、「聖の青春」「将棋の子」といった将棋の世界を描いたものや「パイロットフィッシュ」「アジアンタムブルー」などの恋愛小説を発表している。熱いのに冷めた文章を書こうとしている、というところがお気に入りである。

評伝の対象である「団鬼六」といえば、SM小説の巨匠である。
しかし、近年はそれ以外のものも発表していて、それがなかなか面白いので、よく読んでいた。
また、癌に冒されていることを発表し、それも小説なのかエッセイなのかよくわからないのだが、つまりそういう枠組みを飛び越えた作品で、面白く読んでいた。

この評伝は「新連載」とあるので、これからも続くということだ。

で、今回は第1章『都上がり』と第2章『少年時代』である。

団鬼六は、SM小説家として財をなし、横浜に「鬼六御殿」を建て、更に「断筆宣言」をして、売れない雑誌「将棋ジャーナル」を老後の楽しみとして経営することとした。

しかし、将棋ジャーナルは金食い虫であった。
発行するだけでも赤字なのに、対局や交際に相当の金を持ち出したことにもより、とうとう、持っていた財産(概ねは騙されて買った刀剣類)を手放し、更には鬼六御殿も売却をせざるを得なくなった。
5億円で買った御殿を2億円で売らなければならなかった。

また、そういう借金を返すために「商品相場」に手を出してはまた持っていかれるということも繰り返した。

つまりは、現代の無頼派でもあった。

そういう団鬼六はどのようにして生まれ育ったのか?
非常に興味深い。
著者に大いに期待をしたい。

第2章少年時代では、鬼六の父母について描かれているが、父は相当のいいところの生まれであるが没落をして苦労をする。しかし、やはり「お坊ちゃん」であったので、いいときと悪いときのギャップが大きい。

母は、女優であった。
本来は、文学を志したのであったのだが・・・
最初に結婚をしたのは国木田独歩の長男である。
著者が調べると、有名作家との交流もあったようで、その道の人たちでは有名であったようだ。

そういう両親から生まれた鬼六が、どのようにしてSM小説の巨匠となり、将棋界の大タニマチとなるのか、今後が楽しみである。


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「頑張れ」といわないで 津田喜章 文藝春秋6月号

2011-06-15 23:17:53 | 読んだ
文藝春秋6月号では、月刊誌ならではの東日本大震災について特集をするんだろうなあ、と期待をしていたのだが、こちら側が思っていたような特集ではなかった。

そのなかで
「NHK仙台名物キャスター 『頑張れ』と言わないで」
という記事があった。

筆者は津田喜章さん。
NHK仙台放送局のアナウンサーで、私達にとっては御馴染みの人である。

この津田さんが震災後に担当した番組が「被災地からの声」である。
私も一時期は熱心に見ていた。
それは知っている人たちが、それも思いもかけないような人が登場するからである。
ついには小学校時代の恩師が登場し、その避難場所に会いに行ったほどである。

この番組は、被災者達が今一番思っていることを画用紙に書いてそれを読んでもらいインタビューをするものである。

津田さんは石巻出身である。
震災後、石巻に入った津田さんは『自分の故郷なのに、自分の知っている過去がどこにもない』ということに愕然とする。

そして番組を担当して、被災者の人たちが頑張りすぎていることに気づく。

私も彼が泣いて放送をしたところを見ている。

『インタビューをして相手の生の声を引き出す』というのではなくて、相手の一言や態度に何もいえなくて泣いてしまう。
或いは、怒りを誰にぶつけていいのかわからず、ただ泣くしかない。

そういう放送は普段なら許されないことなのだろうが、今回の震災ではそういう場面がいくつもあった。

被災者とともに泣くしかできないもどかしさ、というのはよくわかる。

そのあたりのことを今回文章にしている。

他の記事についてはすこしピントが外れているのではないか、と思ったのだが、今回はこの津田さんの記事でなんとか文藝春秋らしさが出たのではないだろうか。

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RURIKO 林真理子 角川文庫

2011-06-12 21:50:23 | 読んだ
林真理子は「アッコちゃんの時代」以来である。

題名のRURIKOとは「浅丘ルリ子」のことである。

「伝記」なのか「小説」なのか迷うところであるが「小説」でしょう。

この物語の出だしに甘粕正彦が登場したのには驚いた。
この本の前に呼んだのが甘粕正彦の物語で、なんだか因縁めいたものを感じたのであった。

その甘粕正彦と浅丘ルリ子の父親が知り合いで、甘粕に「信子ちゃん(ルリ子)は将来絶対に美女になる。そうしたらぜひ女優にして下さい」と頼まれる。

そして、それが現実となる。

物語は浅丘ルリ子(本名が浅井信子で、この物語では『信子』として描かれている)が満州で生まれたところから始まる。
そして、父の仕事の都合(満州国の官僚)でタイのバンコクに移り、終戦を迎え、東京に戻り、女優となる。
というところが序章。

で、女優になってからの物語は、日活の映画史を経て昭和の芸能史のように進む。
石原裕次郎に対する報われない愛、小林旭との恋、美空ひばりとの友情は、純粋でいながらも芸能界という特殊な世界を感じさせる。

石坂浩二との結婚は、やっぱり世間が感じていたように「違う」ものだった。

この小説を読むと、信子はいろいろな男とつきあってきたが、いつでも「信子」であった、と思う。
さすが、甘粕正彦が見込んだ「女性」。まっすぐ自分を通して生きている。

面白く読んだのであるが、ちょっと、展開が早いような気がした。
もう少し突っ込んでも良かったのではないか、と思ったが、いろいろと差しさわりのあるところが多いのだろう。

過ぎ去った時代が懐かしく感じさせられ、非常に面白く読んだ。

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甘粕正彦 乱心の曠野  佐野眞一  新潮文庫

2011-06-07 21:22:58 | 読んだ
近頃、心がモヤモヤしている原因の一つは、この本を読んでいたからでもある。

昨年の10月に購入して、なんとなく読めないでいたのだが・・・

甘粕正彦。
といえば「大杉栄一家を殺した憲兵」という印象で、一言で言えば「嫌なヤツ」に分類していた。

映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じていたが、あれもカンジが悪い。
また、漫画「龍(ろん」に登場する甘粕もあまりいいカンジではない。

一言で言えば「アヤシイ」のである。

そのアヤシサは、大杉栄一家(大杉栄、伊藤野枝、橘宗一)(この本を読むまでわからなかったのであるが、子供<橘宗一>とは実子ではなく甥であった)を殺して、軍法会議で有罪となったにもかかわらず、更には元憲兵大尉のクセに「満州国」において大きな権力を持つこととなったことにある。

というのがこの本を読むまで私が持っていた甘粕正彦像である。(像というほどもないな)

何故、甘粕正彦は満州において大きな権力を持つことが出来たのだろうか?
ということが、私がこの本を読む動機であるといってもいい。

佐野眞一の本はこれまでも読んでいるが取材がすごい。
資料をあたり、現場に足を運び、関係者から話を聞く。
それも通り一遍ではなく、ちょっとしたかかわりのある人にまで取材をしている。

作品中では通行人的役割しかないいわば端役の人の関係者にインタビューをして、そこにも人生を感じ取る、といった手法が、たまらない。

著者は甘粕正彦に会ってはいないし、甘粕を良く知る人にも会ってはいないのに、この作品に出てくる甘粕正彦は謎は多いがそれでも厚みのある人間となって迫ってくる。

この作品を読んでいる最中はモヤモヤ感がたっぷりで、イライラもした。
また、関係者から一杯取材しているので、関係がよくわからなくなったりもした。
しかし、人間というのはそうキッパリと断じで語れるものだろうか。

誰でもモヤモヤしているものを持っているし、ある人には明るいと見えてある人には暗いと見える、それが人間ではないか、と思う。

佐野眞一の狙いは、甘粕正彦を裸にして分析することにあったと思うのだが、結局それは明確には出来なかった。
出来なかったけれども、満足しているのではないのか。

私も、甘粕正彦に関する見方が変わった。
更に言えば「人間」というものの複雑さを知ることが出来た。

甘粕正彦のすごいところは「徹底」である。

それを描ききった著者に感謝である。

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花粉症

2011-06-05 18:46:45 | 日々雑感
花粉症がヒドイ。

私の花粉症は「カモガヤ」である。スギにも微妙に反応するが最も顕著なのはイネ科の植物である。

今年は、地震以来いわゆる『異常気象』のようで寒い時期が続いた。
なにしろ、我が家では依然としてコタツが鎮座している。

クールビズなどと言っているが、まだ上着をぬぐことができない。

といいつつも、金曜日あたりから暖かく或いは暑くなってきた。
それにつれて「花粉症」の症状も強くなってきた。
特に、昨日は「くしゃみ」「目のかゆみ」「鼻水」「鼻づまり」にくわえて「頭痛」もあり、憂鬱であった。

憂鬱といえば、私を取り巻く環境もなかなかカラッとせず、気持ちは暗い。

なんといっても東北楽天ゴールデンイーグルスがヒドイ。
何が原因なのか?
震災復旧にむけて勇気づけようとするあまりなのか?
モヤモヤ感いっぱいである。
昨年に引き続き選手起用に疑問がある。

続いては、震災復旧・復興である。
確かに行政の動きは鈍い。しかし、それはあまりに制約が多すぎるからである。
そうであればそれなりに出来ることがあるはず。

行政が遅い遅いと見ているだけでなく、民間で始めればいい。
そしてそれを行政に追認或いは引き継いではどうだろうか?

被災者が困っているのは近くにいるのでよくわかる。
多くの被災者は既に立ち上がっている。
それをどう応援・支援するのか、それがよくわからない。

マスコミからは多くの情報が出されるが、いわゆる上辺だけのような気がする。
被災者でも支援者でも「したたか」な人がいる。
そのあたりを報道しないので、現地にいる者はモヤモヤするのである。

放射能の問題もモヤモヤ感たっぷりである。
何が真実なのか、いつ安心できるのか、さっぱりわからない。
何しろ、東京電力でも原子力安全保安院の発表もさっぱりわからない。

そして最もモヤモヤしているのは、「大規模な余震が来る」ということである。
このことにより、復旧してもまたやり直しなのか?或いはもっと大きな被害がでたらどうしようか?なんて考えると、何も手につかない、状態になってしまう。
つまりは、明日が明るくないのである。

どうか明日が少しでも明るくなるように、せめて、イーグルスだけでも勝ってほしい。
(と思っても本日も5対13で大敗である。あ~あ、である。)

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