読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

徳川家康 第1巻 出生乱離の巻 山岡荘八 kindle版

2022-06-22 16:50:03 | 読んだ


近頃、昔読んだ本を読み返したくなることが多い。
それらを本棚若しくは収納箱から取り出してくるのが面倒だったが、kindle版という良い手がある。
しかも、昔読んだ本だと0円というのもある。

ということで、山岡荘八の「徳川家康」である。
全26巻。

初めて読んだのは高校1年生、図書館にあった。
面白かった、何かに感銘を受けるということではなく、ただひたすらに面白かった。

次に読んだのは高校3年生。受験だというのに読んでいたなあ。
誕生日には、自分の祝日・祭日ということで学校を休んで読んでいた。

その次は社会人になってから、懇意になった本屋さんに月賦で全26巻(文庫本)を売ってもらってよんだ。
何かを感じたはずだが覚えていない。

この物語は、当然のことながら登場人物が多い。
その中で、一番惹かれたのが「本多作左衛門重次」であった。
「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」という三河三奉行の一人。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」という日本で一番短い手紙を書いた人物。
三河武士の典型「頑固、誰にも遠慮しない」というように言われているが、物語では思慮深い人物として描かれている。
徳川家康のようにはなりたくなかったが、本多作佐のようになりたいと、高校時代から思っていたが、なれなかった。残念!

そんなこんなで、読み始めている。
第1巻の末の部分で徳川家康誕生。第1巻は、父・広忠、母・お大、祖父・水野忠政などが描かれているが、今回気づいたのは、第1巻にして後の「天海僧正」が登場していることだ。

ともかく、ゆっくりと読み進んでいこう。

大体いつも「大久保長安」が出てくるところでだるくなるので・・・・

それで、この徳川家康以外にも「真田太平記」も読んでいるし、「小説十八史略」も読もうとしているのだから、我ながら驚く。


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BAR レモンハート 第1巻 古谷三敏 kindle版

2022-06-18 15:20:26 | 読んだ


数年前、盛岡のとある店で「これ飲んでみたら」といって、ウイスキーを進められた。
銘柄は忘れたのだが、アイラ、シングルモルトというのだけ覚えていた。
スモーキーフレバー(ピート臭)が強くて、最初は「エエッ?」となるが、なんだかクセになった。

その後、機会があれば「アイラのシングルモルトを何か」とお願いして飲むようにしいたが、自ら購入してまでは飲まなかった。
しかし、コロナ禍により外に飲みに行く機会が減り、家でもウイスキーを飲まなければならなくなった。
最初は、まあまあその辺のものを飲んでいたのだが、なんだか物足りなくなり、とうとうアイラに手を出した。

そして「ボウモア」を、家で一人で飲む。
いやあ旨かった。

というわけで、これからウイスキーはアイラにしようと思った。
アイラの銘柄その特徴などを知ろうと、ネットで、いろいろと調べてみたが、なんだかよくわからない。

で、思い出したのが「BAR レモンハート」のマスターである。
酒の事ならレモンハートのマスターである。

実はレモンハートの漫画は全て持っているのだが、それを読むのはなんだか面倒くさいので、だったら、kindle版で読み返そうとなり、1巻から始めた。
まだ、アイラウイスキーが出てはこない。

第1巻を読み返すと「ああ時が流れたなあ」と思ってしまう。
漫画なので、本来登場人物は年齢を重ねないのだが、第1巻のマスター、メガネさん、松ちゃんは明らかに若い。

作者がなくなり、これ以上新作は出ないので寂しいが、続けて読み返していこうと思う。
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次郎物語(1)~(5) 下村湖人

2022-05-26 10:49:58 | 読んだ



次郎物語との出会いは、小さいころ観たNHKのドラマだった。
池田秀一が主人公の次郎だった。ウィキペディアで確認すると、1964年4月7日から1966年3月29日まで放送されたとなっている。
ということは、私が8~10歳のころである。内容についてはなんとなく覚えているくらいで、次郎の父:俊亮役を演じた久米明がカッコよかった。
ウィキで初めて知ったが、朝倉先生が登場していた。ということは子供時代から中学時代も描いていたこととなる。
次郎物語といえば、祖母や母から疎んじられ、乳母のお浜だけの愛にすがる、というような物語というのが印象だったので、好きな物語ではなかった。

しかし、成人してから2回ほど読んだが「なかなかどうして侮れない」を超えて「青春小説の第一番」という評価になっていった。

そして今回、キンドル版で読み直したのである。
やっぱり、最高の青春小説である。
次郎の青春時代の喜び、苦悩、漠然とした未来への希望と不安、恋、家族、取り囲む人たちなどなど、いろいろなことが必然的に描かれているのは、少年時代の次郎を知っているから思うことである。

次郎を形作っていったのは、取り囲む人々で、愛、憎しみ、怒り、無関心などの中で、次郎は成長する。
ちなみに、これらの愛、憎しみ、怒り、無関心には「大小」「強弱」「長短」「裏表」があることを、今回読んで感じた。
そして大きな愛がいいのかというと、それが時には重く感じたりするのだから、ヒトは勝手である、ということも今回あらためて感じた。

「無計画の計画」ということがこの物語で出てくる。
この「無計画の計画」という言葉が、折に触れて思い出される。
人生とは、計画をしていようが実は無計画の計画なのではないか?ということが思い浮かぶのである。
次郎は、無計画の計画を経験して、青年になった。

私は無計画の計画をしていない、というよりできない性質(たち)らしい。
それが悔しい。なんか中途半端な計画よりも無計画のほうがいいのではないかと思うのである。

また「白鳥芦花に入る」という言葉。
これは次郎の一生の師となる朝倉先生のいわば座右の銘であり、次郎にとっても自分を顧みるときに思い浮かべる言葉である。
白鳥芦花に入る、の実践はなかなか難しい。でもいつも心掛けていなければならないと思っている言葉である。
この言葉「白鳥芦花に入る」は「魏の扁鵲の長兄」とセットになって私が目指す境地になっている。

それにしても、昔の人は大人だった。
青春時代に「人生」を考える。
自分の思い描く人生と現実との大きな乖離をどう埋めようか、どう折り合いをつけるのか、そんなことを青春時代に考える。

私は今になってもまだまだだなあと思うのである。

次郎物語は5部で「これからいよいよ」という時をもって終了している。
その後、次郎はどう生きたのだろうか?
それは、我々が想像するしかないのであろうか。
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あした輝く 里中満智子

2022-05-23 17:06:56 | 読んだ






今月の日経新聞の「私の履歴書」は里中満智子さんである。

里中さんの漫画は「マンガ ギリシャ神話」を読んだのは覚えている。
そもそも、いわゆる少女漫画はあまり読まなかったのである。

で「私の履歴書」の11回目は「あした輝く」の題名で書かれていて、里中さんにとってはターニングポイントの一つだったのだろうと、読んで思ったのである。

そこで、キンドルで探して、あした輝く3巻を読んだ。

里中さん自身がこう語っている「史実に照らせばおかしなところもある漫画だと思う」
そう、時々違和感があるのは、この漫画の連載が始まった1972年(昭和47年)(私は高校1年生)にはまだまだ資料が充実していなかったことから生じるものだろう。

物語は、終戦直前の満州から始まる。
最初の主人公は「今日子」
敗戦で数々の試練を経験して今日子はやっと日本にたどり着く。
その時には、今日子は流産を経て、恩師緑川先生の遺児「明日香」を伴っている。
そして次には明日香が主人公となる。

戦争の影響はずっとずっと続いて、その中で人間はどうすべきなのか、今日子や明日香を通じて我々は考えさせられる。

もうこの年になって読んだので、情熱的な感動は薄いが、もし若かった時に読んでいたら、ものすごく考えさせられたのではないか、と思う。


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三河雑兵心得1~5巻 井原忠政 双葉文庫(kindle版)

2021-05-02 21:46:34 | 読んだ
やっと、本をゆっくり楽しんで読む気持ちになれた。
まだ『仕事に追われている』感があるのだが、以前に比べてよろしい環境である。

今まで本を読んでいなかったのかといえば、そうではなく、今まで読んでいたものの多くは必要に迫られてというものが多かった。
何らかのヒントを得ようとか、知識を得ようとか、あるいは気分転換にというものが多く、無心で読めるものがなかったような気がする。

で、なんとなく気になっていた「三河雑兵心得」の第1巻である「足軽仁義」を読み始めたのである。
この時、2巻以降については読んで面白ければ買おうと思っていたのである。



そして、読み始めたら面白い、面白い、面白い。
1巻の途中で5巻まで購入してしまった。

主人公は「茂兵衛」、百姓である。
三河、植田村。
村人からは「粗暴」と思われている。
体格もよく喧嘩をしても勝つ。
喧嘩の理由は、弟がいじめられているのを助けるなどの理由がある。
孤立無援の戦いになるので「頭」を使う。「力」がある上に「作戦」を持ち「技術」を身に付けていく。

茂兵衛は村で人を殺してしまい、村を出ることとなる。
村を出て「夏目次郎左衛門」の家来になる。
ここから茂兵衛の足軽人生が始まる。

この物語は、青春物語とも思える。
茂兵衛は出会う人々から良いものも悪いものも教えられる。
彼のいいところは、自問自答しその時の正義を選ぶところだ。学はないが頭が良いのだ。
そして、やさしい。
戦国の世の中では優しいことはいい生き方でない場合がある。とどめを刺さずに見逃して幾度も痛い目に合うのだが、これだけは変えられない。
人を許すことができる、他人の立場を慮れる奴なのである。

この物語は「現場からみる戦国時代史」のように感じる。
これまでの歴史ものにはない、現場目線が多くある。
茂兵衛の現場目線のいいところは、与えられた仕事の目的を明確にして臨むことだ。上司や組織が何を望んで自分に仕事を与えているのか、そして上司や組織の最終的な目的を自分なりに判断している。
理想的な現場の人間である。使い勝手がいいともいえる。

そして茂兵衛は着々と出世していく。
上司は部下からもいい評価を得るために考える。考え学ぶ人間は出世する。

しかし、出世すると妬まれる。
彼は百姓出身で侍出身でないことも、妬まれる要素である。

茂兵衛は10年の間に千石取りにならなければ切腹しなければならない運命も背負っている。
結婚もし、部下を多く抱え、組織の中で神経を使い、気はやさしくて力持ちだけでは生きていけない。
あちらを立て、こちらをかばい、それでいて自分らしさをどのように発揮すべきなのかを考える。

読み始めたときは「のたり松太郎」のような破天荒な奴なのかと思っていたが、なかなかどうして世渡りも身に付けていくのである。

第5巻では約束の千石取りまで残すところ5年で足軽大将となり240石取りとなった。

史実についての解釈も新しいものもあり、それも面白い。
戦国時代の戦い方、例えば槍の使い方などこれまでこんなに詳しく書かれていたものはなかった。
これからどのように展開していくのか非常に楽しみ。










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一発屋芸人列伝 山田ルイ53世 新潮文庫(kindle版)

2020-12-29 22:26:22 | 読んだ


一発屋とは、よく聞く言葉である。
以前、歌の世界でも一発屋ということを言っていたような気がする。

一発屋は悲しい言葉でもあるが、一発屋にもなれない者には憧れである、というような印象を持っていた。

さて、本書では11人の一発屋について紹介(?)書かれている。
その中には、著者の「髭男爵」も入っている。
私的には一発屋ではないのではないかと思う「テツandトモ」も入っているのだが。

私の見解では、一発屋というのは一発で終わってその後鳴かず飛ばずの状態に陥るということ。しかし、芸人はいわゆる「一発うけた芸」で終わるという事はもしかしたら少ないのではないか。その後も活動を続けている、それがうけなくなった、あるいはうけが少なっただけではないのか。

少なくても、本書で紹介されている11人の中にも、一発の芸で受けたがその後は自分なりの仕事を継続しているものが多い。
なので、髭男爵はこの本で「一発屋」という芸人ジャンルを作ろうとしているのではないか、なんて疑ったりなんかする。

一発屋芸人を集めた会というのがあり、発起人はレイザーラモンHGだそうである。
「一発屋にはキャラ芸人が多く、キャラに入り込むタイプの人間は社交が苦手で孤立する人が結構いる。
故に、先輩一発屋芸人として、経験してきたものをこれからの一発屋に伝える役目がある。」
というのが会発足の理由だそうである。

ふーん、という感想。
もっとふざけた理由であれば、面白いのに。

紹介された人たちは「練り上げた芸=苦労=下積み=真面目+変人」という形が多い。
肝心なところが正気でない部分がある人なんだなあ。

一発芸はあきられる。その芸の衝撃が大きければ大きいほど、衰えていくのが急速なのだと思う。
問題はそのあとである。
その芸を「古典」としていくか「小出し」にするか「封印」するか、いずれかを選択しなければならないのだが、その芸の質や爆発力、更には芸人のタイプによって何がいいのかはわからない。
故に、芸人たちは戸惑い悩むのだろう。

レイザーラモンHGはそのあたりを伝えたいのではないか。
そんな気がする。
「うけたとき」「あてたとき」こそ次を考えておけと・・・

そしてこれは、芸人だけではなく、我々にも当てはまるもの、つまり生きるうえで選択を迫られたときに選択するのではなく、選択をしなくてはならない時が来ることをあらかじめ想定し、少なくても覚悟だけはしなくてはならないのではないだろうか。

面白かった。ふぅ・・・
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キラキラ共和国 小川糸 幻冬舎文庫

2020-12-07 17:45:13 | 読んだ


読み終わるまで、相当の時間を要してしまった。

この物語を読むのには、自分の心が穏やかでないといけない。バタバタ読んではいけない。
味わい深く読みたい。

前巻の「ツバキ文具店」では、主人公・鳩子は、祖母の跡を継ぎ文房具店を営みながら「代書」を請け負い多くの人の心を読み解き、本音と建て前を上手に使い分けた手紙を書いた。
鳩子の人生が縦糸で、代書を依頼する人の人生が横糸となって交わり、穏かな物語となっていた。
そして、鳩子はミツローさんと結婚し、ミツローさんのこどもQPちゃんと生活を共にすることとなった。

と思っていたら、アララ、とりあえず別居婚であった。
本巻では4つの章というか物語が描かれている。

横糸の代書もあり、縦糸の鳩子の人生も、関わる人も増え、関わり方も深くなっていく。

ああ、鎌倉っていいなあ、という描写もあり、おだやかにおだやかに、ゆるやかにゆるやかに、時が流れていくというのもいいなあ、と思うのである。

なんだかあわただしい時と日々を過ごし、つまらないことに腹を立て、なんか楽しいことはないかと険しい目つきで探している、そんな自分の日々が憐れに満ちているようだ。

だからこそ、おだやかな気持ちの時に読みたい物語である。




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家康 安部龍太郎 kindle版1~5 

2020-12-05 18:59:09 | 読んだ


「徳川家康」は、歴史上の人物の中で最も好きな人物の一人である。もう一人は「勝海舟」なので、徳川幕府の創設者と幕引きをした男が好きだという事になる。

徳川家康の生涯を描いた小説として、山岡荘八の「徳川家康」全26巻がある。
この物語を初めて読んだのが高校1年生の時だった。高校時代にはもう1回読んでいる。
社会人になってからは、月賦で文庫本を購入しこれも2回ほど読んでいる。

その山岡荘八版の家康に次いで、今回の安部龍太郎の「家康」が発表された。

読もうかどうか迷った。
若い時からの家康のイメージが大きく変わって描かれていたらイヤだな。というのがそのココロ。
多くの歴史小説、時代小説において家康は悪・負の象徴のように描かれている。
それはそれでいいのだが、今回は「主人公」なのである。

では、kindle版で試し読んでイヤだったらやめよう。
という結論に至り、読み始めた。

そうしたらなかなかに面白い。
続けざまに購入して、今の私にとっては相当に速いペースで読んだ。

厭離穢土 欣求浄土 (おんりえど ごんぐじょうど)
は、家康の「旗印」であり、この旗印を掲げて家康は戦い続けた。

山岡版においては「仏」へのかかわり方が、登場人物それぞれに描かれていた。
昔は「何かに縋る」あるいは「心の支えを求める」ということが生きていくうちで大切なことなんだなあ、と思ったものである。
それぞれの「仏」あるいは「神(キリスト教)」への関りが人生なのだなあ、と思ったものである。

これは安部版においても継承されている。
家康は「仏」を通して、他の人を観て理解する、そして自分の求めるもの、自分がなさなければならないことを悟っていく、そんなありさまが描かれている。

今回は「本能寺の変」までが描かれているが、この間の読みどころは「桶狭間の戦い」からの織田との同盟、今川との決別。領内の一向一揆、武田との闘い「三方ヶ原の戦い」「高天神城の戦い」、その間の「金ヶ崎の戦い」「姉川の合戦」などの戦に臨む家康の心境、あるいは嫡男・信康、妻・築山御前の死などにおける心の迷いである。

山岡版では読んでいる時が若かったからか、スパっと割り切れて解釈していたような気がする。
家康の心境を家康が語るのではなく、家臣などの考えや行動などから表現する方法であったことにもよると思うのだが。

安部版は、家康自身の考えを表している。苦渋と悔恨に基づく決断。Aタイプを選択しようにも、BやCタイプを選択しなければならなかったやりきれない人生を家康は生きている。

安部版では、信長の目指すものを家康が解釈し、その解釈のもとに、叡山焼き討ち、一向一揆との闘い、信康・築山御前事件を、飲み込み納得させている。
更に、これまでの歴史解釈とは違った解釈をしているので、読んでいて「どうなる、どうなる」とワクワク感がでてくる。

今のところ第5巻までしかkindle版では出ていないが、次が待ち遠しい。







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プレゼント 依頼人は死んだ <羽村晶シリーズ>  若竹七海 

2020-06-02 17:32:44 | 読んだ




最初に、NHKのドラマを見た。
羽村晶をシシド・カフカが演じていた。

なんだこれ?
というのが印象であった。
というのは、近頃のドラマというかテレビ番組は、すごく説明が多いのだ(別な言い方では親切が過ぎる)。このドラマは説明が不足なのではないかと思うくらい、観ているこちら側に委ねている部分が多いと思ったからである。

それが、いやだとかは思わなかった。
むしろ、困難でいいんじゃないの、と思っていたのである。

それで、小説に挑んだのである。

そうしたら、小説のほうがまだまだ不親切なのである。

私はどちらかといえば、スイスイ読んでいく、一言一句の意味などそっちのけで、ひたすら「スジ」を追うタイプの読み方である。
その読み方で進めると、特に、読んでいる途中で時間が空くと、あれ?なんでこういう展開になっているんだっけ?
と、思うことが多いのである、

とうとう俺も相当いっちまったナ!
と思ったくらいである。

で、物語の最後は、落語でいえば「考えオチ」のようなので、たまには「エッ、エッ、どうなってるの?」と思うのである。

だからといって、面白くない、とは言えない。
面白いのである。

だって、主人公である羽村晶が女探偵というところが面白いではないか。そして舞い込む事件もナカナカ複雑である。
羽村晶その人も、ナカナカ不思議。
こういう人は、遠くで見ているに限る。
絶対、親しくなってはいけない。

そういう人は物語の主人公足りうるのである。

まだシリーズはあるのだが、こちらの気持ちが落ち着いたら読んでみよう。
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氷の轍 北海道警釧路方面本部 刑事第一課・大門真由 桜木紫乃 小学館文庫 

2020-05-31 22:14:00 | 読んだ


「釧路」が舞台。
でも、釧路の印象悪い。

暗い、寒い、何もない。
という印象を受ける。

物語は、副題にあるように「刑事・大門真由」が主人公である。
彼女の管轄地域で殺人が起きる。
まず被害者の身元を特定するのに時間がかかる。
札幌に住む独居老人。

また捜査中に、釧路に住むかまぼこ店を営む家族と出会う。
小さな蒲鉾店に潜む「金」の謎。それを追ううちに抱く違和感。

被害者を追い、八戸まで追う大門。(と、先輩刑事・片桐)
そこで知る、昔の話、つらいつらい貧乏の話。

この話が、ちょっと時代錯誤ふうなのが気なる。
そういう話が現代に聞くことができるのか?
というふうに思った。
携帯電話と昔話が合わない、と感じてしまった。

なんというか、横溝正史の世界、のようだった。

暗く寒い感じや、時代錯誤というようなことを感じながらも、面白いのは面白い。
加害者に同情してしまって、もうこれ以上謎を解かないほうが、被害者にも加害者にも警察にとっても、そして社会にもいいんじゃないの?
と思ってしまう。
いにしえの名探偵であれば、事件の解決を2種類示して真相を葬るところである。
でも、この物語の探偵さんは警察なので、真相を採用する。誰も幸せにならないのに。

さて、この本のあとがきは「塩見三省」さんである。
何故なのかなあ、と思い読み進めると、なんと、この物語、テレビドラマになっていて、塩見さんは大門真由の父親役である。
この父親は脳梗塞で倒れ左半身が不自由なのである。
塩見さんも脳出血で倒れ左手足に障害を抱えた。
テレビでの大門真由の父は末期がんという設定だったということであるが、塩見さんは役柄に自分を重ねた、そんなことを書いている。
びっくりした、そうだったのか。

この物語はそういうことを抱えている。

テレビ版をみていない、見てみたい。












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戦国幻想曲 池波正太郎 新潮文庫

2020-04-29 11:37:33 | 読んだ


近頃はキンドル(kindle)で読書だったが、なんだか味気ない感じがしてきて、久しぶりに文庫本でも読もうかと思い手に取った本である。

実は2017(H29)年5月に購入してそのままにしていたものである。
この3年間は、趣味の読書というより「読まねばならぬ」ものがいっぱいで、とてもとても本を読む気になれなかった。
といいながら、少しづつ読んではいたのだが、感想という感想を持たないものだった。

さて、戦国幻想曲である。
主人公は戦国期に生きた「渡辺勘兵衛」である。
こいつが一風変わったやつで、こんなやつとは深くかかわりたくない、のが私としての感想である。
イヤ、わかるのよ、こいつの信念は。
いいのその信念で。
でもね、他人のそれも割と頑固な信念は、付き合うとつらいのよ。

で、読み進めると、渡辺勘兵衛よりも池波正太郎の「すごさ」のほうが感じられるのであった。

先ずは「空白」である。
本は文字がびっしりと詰まっているのもいいと思う。
でもね、近頃は「読まねばならぬもの」読んでいるといったけど、それはねえ「漢字」がびっしりと改行もなく連なっていたり、その中に聞いたこともないようなカタカナが入ってたり、或いは英語が縦書きで入ってたりするんだ。
わかる、わかるんだけど、読むほうはつらいよね。

それがこの小説はいい加減の空白がある。

そして、もう一つは「ひらがな」なんだよね。
近頃の読物は、これでもかというくらいに「漢字」多用なんだよね。
『私(筆者)はこれだけ漢字を知っているんだぜ!』
というくらい、漢字がおおいのだ。これは多分パソコンなどで執筆しているからだと思うのだが・・・

そういえば、以前仕事で若い人たちの報告書なんかを読むと
『お前、絶対この漢字の意味しらないよな』
と、言いたいくらいのものを書いていたりしたが、あれはパソコンだよね。

池波正太郎の小説は割とひらがなが多い。
たとえば、この物語の出だし

『きくまいとしても、耳へ入ってしまう。
 夜着をあたまからかぶり、両耳を押さえてみても、聞こえるものは聞こえる。』

となっているが、この文章を普通に書けば

『聞くまいとしても、耳へ入ってしまう。
 夜着を頭から被り、両耳を押さえてみても、聞こえるものは聞こえる』

となる。(と思う)
「聞く」とか「頭」は普通に漢字で書くでしょう。

ひらがなの効果は、私の思うには「読む」ことにあると思う。
漢字は「見る」ので、つい流しがちになるが、ひらがなは読む。

そしてもう一つは、この物語、いや池波正太郎の小説、エッセイ全般を支えている「人生観」を感じることである。

なにかを発表することは「人生観」を発表することではないだろうか?
そう思うのである。

池波正太郎の「おとな」の人生観である。

人はスパッとは割り切れない、複雑なものなのだ。
近頃は「キャラ」とかいうけれど、キャラを裏切るのが人ではないのか。

そんなことを考えてしまった。

本書の主人公の渡辺勘兵衛も「いまわのきわ」(今際の際)の父から
『汝、女という生きものにひきずられるな、よいか。女、とは・・・可愛ゆうて、おそろしい生きものよ。男の立身も出生も、みな喰いつぶしてしまう生きものよ』
といわれ、守ろうとするが、男の弱さに引きずられてしまう。

あれあれ勘兵衛どうした?!
と思ったりするのだ。

久々の池波正太郎、ひさびさの文庫本。
よかった、よかった。




 








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わたし、定時に帰ります 朱野帰子  新潮社(kindle版)

2019-04-17 11:31:13 | 読んだ
昨日から、テレビドラマの放送が始まった。

テレビの感想から申し上げれば、原作との大きな違和感はなく、これからどうなるのか楽しみ。というところか。

主演の吉高由里子は、原作のイメージかといえば、そうでもあるような少し違うような、まあ、小説とドラマは違うものだから、原作に忠実でなくても、私は許せるので構わないのだが。
若干違和感があるのは、福永部長のユースケ・サンタマリアと諏訪巧の中丸雄一かな。
毎週火曜日の楽しみとして見続けてみたいと思います。



さて、物語であるが、題名のとおり「わたし、定時に帰ります」をモットーとしている東山由衣が、周囲との軋轢をどう乗り切っていくのか?ということがテーマになっている。

「定時に帰る」ということは、本来「当たり前」のことであるが、なかなかそれが実行されない。それがこの物語の主幹である。

わたしにとって「なぜ残業するのか」ということは仕事上におけるテーマでもありました。

そもそも「時間外勤務」は上司の命により行うもので、自発的に行うものではありませんが、概ね自発的に残業している例が多かったのが私のいた職場でした。
残業をする理由は概ね次のことではないかと思っていました。
1.仕事量が多すぎる。
2.仕事の質が高すぎる。

この二つは「その人にとって」ということで、他の人が同じ仕事をすると割と簡単にやっていることもあります。
それは、他の人が「能力が高い」か「手抜きをしている」かのどっちかです。

次は
3.時間外手当が欲しいから(財政的問題)
4.家に帰っても何もすることがないから
5.家に帰りたくないから

これは、仕事があるとかないとかではありません。

まあ、そんな経験をもとに読み始めたのですが、私の考えは甘かった。

能力や体力の限界を超えた残業はあるのだ。
それは「分不相応」な仕事の質と量をしなければならない状況を作ることにある。

しごとの受注に際して無理をする、発注者からの無理なお願い(実質的には命令)を受ける。
ということがあるわけで・・・・

仕事の進め方、やり方を決めて仕事をするのが、定時で帰る、方法なのだが・・・
それは「理」であって、仕事には必ず「情」の部分がある。
その兼ね合いが難しい。

主人公の由衣は、かたくなに「定時で帰る」ことを守ろうとするが、それを崩していこうとする「情」があったり、更には「理」があったりして、七転八倒する。

日本は今、働き方改革、などといって働き方に重点を置いているが、実は、日本人全体として生活サイクルについて考え、幸福とは何かを見つめなおさないと、働き方は改革したが、別なところで多くのほころびが出てくるような気がする。

「働き方」は手段であって、どこになにを「目的」としておくかによって、変わってくるものではないだろうか。


そんな小難しいことを感がえないで、ボーっとドラマを見ていこうかと思っている。
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ドラマへの遺言 倉本聰 碓井広義 

2019-04-10 17:34:14 | 読んだ


倉本聰の脚本で「やすらぎの刻~道」が今秋から始まった。

私は、前回の「やすらぎの郷」は、居合わせたときには見たが、積極的には見ていない。そして、今回も「見ない」予定だ。
理由は「毎日見るのが大変」だからだ。
連続もののテレビ番組や、月刊誌・週刊誌の記事・小説等は見続けることが大変だ。特に、近年はなんというか「既視感(デジャブ)」が発生し、あれ?これ前にも見た?という状況だったり、前回の続きを思い出すまで時間を要したりするので、できるかぎり「一話完結」「読み切り」を選択するようにしている。

で、倉本聰である。
この人の脚本で、まじめに見たのは「北の国から」だけではないかと思う。
「前略おふくろ様」は2シリーズだったが、どちらもまじめに見ていない。多分再放送のみられるところだけかと・・・
そういえば、二宮和也の「拝啓、父上様」は見た。

それから、NHK大河の「勝海舟」は見ていた。途中で脚本が変わったということには何ら興味がなかった。
主演が渡哲也から松方弘樹に変わったのは知っている。

というわけで、倉本ドラマにはあまり熱心ではないのだが、なんだか興味があって、本を読んだりしていた。

で、今回は「ドラマへの遺言」という、
『本書はさまざまな風評に彩られた師匠に、不肖の弟子が過去と現在の一切合切について聞き取りを行った一冊』
を読んでみたのである。

倉本聰の生き方・考え方は非常に面白い。
というのが大きな感想である。

でも、
近くにはいたくないなあ。
というのもある。

ちょっと遠くから見ていたほうが、ためになるし、面白いし、いい人だなあ、と思う人がいる。

「いいなあ」とか「尊敬する」とか「憧れる」みたいな気持ちで、離れていたほうがいい人がいる。

で、近づくと、火傷したり、怪我したり、凍傷になったりするのである。

倉本聰はそういう人なのではないかと思った。
もちろん、そういう人の近くにいても、火傷も怪我も凍傷もおわず過ごせる人もいるし、火傷するのがいいのよねえ、という人もいる。
ただ、私としては、ちょっと距離を置きたい人、と思ってしまったのである。
近くにいる人は大変だなあ、と思ってしまったのである。

この気持ちってもしかしたら近づいてみたい、という気持ちなのかもしれない。

倉本聰って「何が面白いのか」を追及し「それをどう表現するのか」ということを実践している。と感じた。
それは、これまでの経験の積み上げでもあるのだろうが、いつも何かを探し、何かに怒り、何かを壊したいんだろうなあ、と思うのである。(私が言うのはまったく不遜の極みであるが)

「生きる」って何なのだろうか?
が私の今のテーマであるのだが、本書はそのテーマを別の角度からというか改めというか、考えさせてくれた。
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仏教抹殺-なぜ明治維新は寺院を破壊したのかー 鵜飼秀徳 文春新書kindle

2019-03-04 22:00:18 | 読んだ
日経新聞の土曜日に連載されている本郷和人の「日本史ひと模様」が面白く、毎週楽しみにして読んでいる。
「本郷和人はイイ」というのが私の感想であるが、3月3日「ビートたけしのTVタックル」に出演していたのを見て、この顔かあ!と思った。
申し訳ないが、顔からの印象では「あやしい奴」なのである。
『えーっ!』と思ったが、文章から見ると信頼できるので、自分自身で「まあまあ」となだめたのである。

で、この「日本史ひと模様」2月2日付で紹介されていたのが、本書「仏教抹殺」なのである。



どういうことかというと、いわゆる明治維新後の「廃仏毀釈」のことなのだ。
私の記憶では教科書もしくは授業で「廃仏毀釈」を習い、それは明治政府の命令だと思っていた。

そうしたら、違うらしいのだ。
明治政府が出したのは「神仏分離令」で、神と仏の分離だった。
「廃仏毀釈」とは「廃仏毀釈運動」のことなのだそうだ。

では、なぜ神仏分離が廃仏毀釈になったのか、というと4つの要因を著者(鵜飼)は上げる。

1.権力者の忖度
2.富国策のための寺院利用
3.熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
4.僧侶の堕落

なのだそうだ。

そして、
「明治維新というエポックは、宗教詩的に見れば『国家仏教』から、『国家神道』への突然の転換」
「廃仏毀釈は日本が古来醸成してきた文化、精神性をことごとく毀した」
ということなのだそうだ。

私は、大きな誤解をしていたのだが、天皇家は神道であったが、仏教も厚く信仰していたのだ、ということが分かった。
私は、神道の天皇家が実質的権力を得たのだから神への信仰を求めることは当たり前であると思っていた。
どうもそうではないことが本書を読んでわかった。

更に、これも今まで知らなかったことだったのだが、廃仏毀釈運動によってその地域に寺院がすべてなくなったところがあるということだ。

寺院と神社が同じ敷地内にあり、双方が深くかかわっていた、いわゆる「神仏習合」(神仏混淆)は、仏教伝来以来1350年間続いたものであり、神仏分離しているのは明治以降150年間だけなのだそうだ。

いやあ、読むもの読むもの「目に鱗」なのであった。

これで、これから「御朱印」をいただくにあたって、更に深く考えることができる。

著者にはもう2冊ほど著作があるらしい。
ただし、キンドル本ではないようなので、迷っているけれど、読んでみたい。

いやあいい本に出会った。
本郷和人に感謝、である。
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精霊の守り人 上橋菜穂子 キンドル版

2019-02-10 11:59:54 | 読んだ

近年、何巻もある物語を読み続ける「根気」というか「情熱」がなくなってきている。
たとえ、1巻目が面白くても、次に続いていけない。

以前は長ければ長いほど読むのが楽しかったのだが・・・

精霊の守り人は、いつか読んでみたいと思っていたのだが、長いシリーズだということがネックになっていた。

で、NHKで綾瀬はるか主演で実写化されると聞いて、やっぱり読もうかと思った。
しかし、本屋の棚の前にいくと、持ち前の優柔不断の性格が遺憾なく発揮され、手が伸びなかったのである。

そのうち、放送されたのであるが、やっぱり原作を読んでからと思い、録画した。

しかし、2部、3部と放映されていくと、さすがに焦った。

そんな時、とある書店で、老婦人(70代と思しき)が
「精霊の守り人は、どこにありますか」
と、尋ねる声が聞こえた。
書店員に案内され、シリーズの前に立つと、思わず息をのむ気配がした。

たぶん私と同じ「こんな長いものは読めない」と思ったのだろう。

気持ちは十分に察した。

それで、私は思ったのである。
「まずドラマを観よう、綾瀬はるかを見よう!」
そんなわけで、原作を読まずに、録画したドラマを見た。
ただし、第1章のみ。
現在も第2章以降見ていない。

登場人物、国と国の関係など、やっぱりドラマではなかなか覚えきれないし、綾瀬はるかのアクションに目を奪われるのみだった。

で、今もってぐずぐずしていたのだが、キンドルがあるじゃないか、と思ったのである。

キンドルならサクサク読める、で、面白くなかったらやめればいい。
それで読んだのである。

綾瀬はるかが文字の中から出てくる!と思った。
そして、原作のイメージどおりの画像になっている、と思った。

原作を読んで、映像に思いが行くとは思わなかった。

というわけで、2章は先に原作を読もうと思う。
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