読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

盤上の人生・盤外の勝負<最終回> 河口俊彦 小説新潮11月号

2010-10-25 20:04:17 | 読んだ
小説新潮に連載されている「盤上の人生・盤外の勝負」が最終回を迎えた。

これは、将棋界の話題、特に棋士についてエッセイ風にそして将棋の解説をいれて書かれているもので、相当長い間の連載である。

実は、毎月小説新潮を手にとって先ず最初に読むのがこの「盤上の人生・盤外の勝負」なのである。

プロの棋士たちの人生を描いていて(それは非常に重いものなのであるが)彼らの勝負に対する姿勢についてよく知ることが出来る。

将棋の世界は、我々一般人から見れば天才の集団・異能の人の塊なのであるが、それでもそこには「差」が生じる。
その「差」というのはどこから来るのか?

「将棋に対する才能」だけではないような、そんなことを河口俊彦の作品を読むと知ることが出来る。

例えば人は一生に何回か「絶好調」の時期があるみたいである。
そしてその「絶好調」をどれだけ長い間持続できるかが「才能」によるみたいである。
長い間「名人」を保つことが出来るのは、将棋が強いことにプラスαがあるみたいである。

河口俊彦というように呼んでしまったが、1936年つまり昭和11年生まれである。
1951年というから昭和26年に将棋界の奨励会に入門、1966年プロ棋士となっている。
だから将棋界の古いことから最近のことまでいろいろと知っている。

彼自身は「弱かった」「才能がなかった」ということだが、将棋を文章で紹介する才能には恵まれていたらしい。

新潮文庫でも何冊か著作が出ているが、マンガの「月下の棋士」の監修も努めていた。
著作の中では「大山康晴の晩節」が長編で面白い。
棋士(将棋指し)の半端でないことがよくわかる。将棋に興味のない人にとっても面白いと思う。ゼヒ一読を薦める。(新潮文庫)

本書の最後はこのように綴られている。

「芹澤から本欄を引き継いでから30年近くになった。その間、将棋界の主な出来事はあらかた書き尽くした。そんな訳で本欄も今回を持って終わりとさせていただきます。長い間のご愛読を感謝します。」
(文中『芹澤』とは若くして亡くなった芹澤博文九段のことで、彼とは大いにあそびまくったらしい)

連載がなくなり寂しくなるが、お疲れ様でした、とねぎらうことしかない。

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森崎書店の日々 八木沢里志 小学館文庫

2010-10-23 23:57:01 | 読んだ
久々に本屋で目についた本である。

購入した理由
1.題名に「書店」が入っていた。
2.裏の解説の、主人公が叔父の経営する書店に住み込んで仕事を手伝う、ということが書いてあった。

生活が成り立つならば古本屋の親父になりたい。

という私にとって、これは読みたくなる本ではないか。
しかも主人公は女性である。

主人公の貴子は、同じ職場の英明からある日突然「俺結婚するんだ」と告げられる。
つまり失恋したのである。
そして、会社も辞めた。

そんな貴子に、叔父のサトルから、自分の古書店を手伝わないかという誘いが入る。
気が進まない貴子であったが、田舎の母から田舎に帰るかサトルの店を手伝うかどっちかだ、といわれ、渋々古書店「森崎書店」を手伝うこととなる。

貴子はそれまで本を読まない人間であったが、徐々に本を読み始める。
そして、本の街「神保町」の森崎書店とその周囲の人々と関わる。

物語は貴子の一人称で語られるが、淡々と進む、唯一の盛り上がりは、貴子が叔父のサトルとともに英明の家を訪れ、気持ちをぶつけるところである。

この小説は「第3回ちよだ文学賞」を受賞し、映画化された。

ドキドキもワクワクも少ないのだが、今はそういうものが溢れすぎているので、かえって新鮮である。

こういうものが読みたかったのだ!
と読み終わったあと叫びたかった。

ということで、森崎書店の日々の続編である「桃子さんの帰還」も収められている。
どちらかといえば、こちらのほうが面白いといえば面白い。
それも「森崎書店の日々」があってからのこと。

久々に人に勧めたくなる本であった。

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予告殺人 アガサ・クリスティー 訳:田村隆一 ハヤカワ文庫

2010-10-20 22:49:48 | 読んだ
NHKで、アガサ・クリスティーの特集を放映していた。
多分次の8作だったと思う

「スリーピングマーダー」
「動く指」
「親指のうずき」
「シタフォードの謎」
「バートラム・ホテルにて」
「無実はさいなむ」
「ゼロ時間へ」
「復讐の女神」

いわゆる「グラナダ」のシリーズで、実はこの前に4作ある。

『書斎の死体』
『牧師館の殺人』
『パディントン発4時50分』
『予告殺人』

このうち前2作はTUTAYAからレンタルしてみた。

で、本屋に行ったら「予告殺人」があって、では映像でも見ていないので、これを読んでみようかと思って買ったのである。

外国モノというのは苦手である。
一番は登場人物がよくわからないのである。
なぜかといえば、名前、なのである。

例えば、ミス・マープルは時々「ジェーン」と表記される。
で、あれ「ジェーン」て誰だっけ?と思うのである。

というところがあるのだが、それを補って余りある「面白さ」があれば読み続けることが出来る。
幸いにも、ミス・マープルシリーズは映像での確認をしているので、ある程度想像ができる。

さて、この予告殺人は、地方新聞に殺人予告の広告がなされ、そのとおり殺人があるというのが発端である。
で、なんとなく犯人は想像できる。
というのは、物語の筋とか流れではなく、その「書き方」からである。

だから、その犯人と思しき人物が、何故どのように犯行を行ったかというのはわからない。

私は、推理小説というのは謎解きがその小説の最大の焦点だとは思わない。
なぜなら、小説に書かれたことから犯人を正確にあぶり出し、更にその動機とか方法を、読者が正確に再現することは不可能だからである。

したがって、著者と読者の対決、といった構図はおかしいと思う。

謎解きによって「ああそうだったの」となり、そのそうだったの感が納得できるかどうかが推理小説の醍醐味ではないだろうか。

そういう意味でアガサ・クリスティーの小説は、読者をあっといわせようという企みが強いような気がするのである。
しかし、企みが強くても、うまくだまされちゃった、というのもひとつの強みであり、許しちゃったりするのである。

というわけで、今回の結末は「ああ、やっぱりそうだったの」というものと「それはないんじゃないの」という感じが入り交ざった。

それでも面白ければいいのだ!

で、いいんじゃないか。

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鷺 撮影 2010秋

2010-10-17 20:09:00 | 観た、聴いた
夏ごろから犬の散歩中に「鷺」に出会っている。
白鷺は前から良く見かけていてあまり珍しくはなかった。


               

で、今年になってから見かけるのは「灰色」の鷺である。
これが白い鷺の子供で、なおかつ今後白くなるのかはわからない。
写真に収めることは出来なかったが白鷺とともにいることもある。

先ずはスーパーマーケットの屋根の上に


続いては遠くの森に


次は道の傍らに


そして飛び立つ

田んぼの中で

ここはすぐ住宅地


おまけはトンビ


ということで、これからも観察していこう思っている。

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虚栄の肖像 北森鴻 文春文庫

2010-10-13 22:46:51 | 読んだ
佐月恭壱シリーズの第2弾である。

本屋でこの「虚栄の肖像」を手に取ったら第2弾だったので、あわてて第1弾「深淵のガランス」も併せて購入したのであった。

で、やっと第2弾を読んだのである。

このシリーズは主人公の佐月恭壱の設定が凝っている。
「花師にして絵画修復師」
というのが佐月恭壱である。

花師というのは、銀座のクラブなどに花を飾る仕事である。
なんだか「スゴイ」んだろうなあ、と思う仕事である。
ちなみに「花師」で検索をするとすごい数がある。

絵画修復師というのは、いわゆる名画を修復するのである。
このシリーズを読んではじめて知ったのであるが「絵画」というのは汚れたり絵の具が剥げてきたりするらしい。
それを元通りに戻すのが絵画修復師だそうだ。

で、これはいわゆる「偽作」につながるわけで、それがこの物語の柱となっているのである。

本書は3篇の物語が収まっている。

「共栄の肖像」はなんだか得体の知れない依頼と、それにまつわる得体の知れない謎。
ちょっと凝りすぎかなあと思える。

それよりも次の「葡萄と乳房」がよかった。
また、次の「秘画師異聞」は「葡萄と乳房」の続編のような趣である。

この2つの物語に佐月の過去というか原点が描かれているので、彼を知ることとなり、いよいよシリーズに弾みがつく、と感じる。

そしてもう一つの謎である、佐月の父の話につながっていくのだろう、という期待。

しかし、もうこの次はない。

北森鴻の著作の特徴は、特殊な世界、このシリーズであれば絵画、冬狐シリーズでは骨董、蓮杖那智シリーズでは古代史、をテーマというか舞台にしていて、非常に詳しいというか薀蓄にあふれたものということがあげられる。

時にそれが鬱陶しいこともあるのだが、時々無性に読みたくなる作家であった。

まだまだ読んでいないものがあるので、本屋でふと目に付いたときにとって見ようと思っている。

だから読書はやめられない。

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栗駒山 2010.10

2010-10-11 23:13:42 | 観た、聴いた
いい天気だったので、栗駒山に行ってきた。

まだ紅葉には早いが、平成20年の岩手宮城内陸地震以来通行止めとなっていた「県道築館栗駒公園線」が開通したことから、それではちょっくら出かけてみようか、ということで行ったのだが・・・

なんと「渋滞」であった。
栗駒ダム入り口から行者の滝あたりまではスムーズに進んでいたのだが、その先から急に渋滞となった。

その渋滞中に撮った栗駒山の写真

上のほうは紅葉が始まったみたいであります。

当初は岩鏡平まで以降と思っていたのだが、これはアカンと思い、途中で右折し駒の湯の跡を見に行った。

私は中学・高校と「栗駒登山」なる行事がありいわゆる「お沢コース」というコースで登山をしたのであるが、そのときに泊まったのがこの「駒の湯」であった。
地震の前の年の秋にこの温泉に行ったのが最後であった。

その駒の湯が地震で発生した土石流に飲み込まれ、7人の方が犠牲になったのである。
その慰霊碑が本年6月建立された。


現場では今日も復興作業が行われていた。


駒の湯の建物があった地点と、遠くに見えるのが崩壊した山。


そして、栗駒山から見る下界と空はきれいだった。



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まいたけ狩り 宮城県登米市東和町

2010-10-09 20:58:23 | 観た、聴いた
本日「まいたけ狩り」に参加してきた。

最初は9月25日に行う予定であったものが、猛暑の影響で本日まで延びたものである。

森林を見学し、炭窯を見学し、いよいよまいたけ狩りである。

このまいたけは純天然ではなく、森の中で養殖したものである。



このように森に畝のようなものを作りそこにまいたけの菌を植えたもの。

このまいたけを狩るものである。



今回の参加者は50名程度。
ということで、500g入りの箱を渡されこれにつめ放題。



色は「黒い」ほうがいいらしい。

参加者はこの箱をいれる袋を渡され、つまりはその袋一杯に詰め込むことが出来、中にはぎゅうぎゅうに押し込んだあげく袋からあふれるくらいとった方も・・・

夜、早速鍋にして食べたが、香り・歯ごたえともに、スーパーなどで買うものとは全然違い、これが純天然モノだったら一体どうなっちゃうのだろうか?なんて更なる高みまで思い浮かべてしまったのである。

これからはいよいよキノコの季節。
山のほうへ行けば、いたるところで格安で売られている。
紅葉がりのドライブを兼ねて仕入れに行こうかと思っているのである。

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吉田類の酒場放浪記 2杯目 TBSサービス

2010-10-07 23:13:18 | 読んだ
月曜夜9時、BSのTBSで放送されている「吉田類の酒場放浪記」の2冊目である。
題名では「2杯目」ということになっている。

「B級グルメ」なんて世の中では流行しているようであるが、この番組で紹介する店(居酒屋)は「級」なんてつけられない。

見ようによっては全てA級といってもいいだろうし、いやいやC或いはDもしかしたらZではないか、なんてのもある。

外観だけで見れば、絶対にその扉を開けないだろう店だっていっぱい登場する。
だけど中に入ってみれば(吉田類氏が)非常に素晴らしい店だったりする。

ときどき「はずれ」みたいな店もあるけれど、テレビを見ているとほんとワクワク・ドキドキする。

さて、本書では30の店が紹介されている。

紹介される店、料理、全部確かめてみたくなる。
しかし、吉田類さんのように全部おいしく呑み食べることは出来ないだろう。

なにしろ吉田さんは、ビールでも日本酒でも焼酎でも、好き嫌いなく呑む。
ビールなら、ナマであろうがビンであろうが、アサヒのドライであろうがキリンであろうが或いはエビスであろうが、更に時には黒だったりハーフ&ハーフであったり、なんでもござれである。

また「とりあえずビール」というのにもこだわらない。
隣で飲んでいる人のものがおいしそうであれば、サワー類だってかまわない。
ホッピーだって、その店の作り方でOKである。

酒はぬる燗がすきといいながら、結構「冷や」もやっている。

兎も角おいしそうに呑む。

で、つまみだってなんでもいいのである。
猫舌で、時にはからし類をいっぱいつけたりするが、おいしくいただくのである。

吉田さんは俳人でもある。
だから、最後には一句なのである。

テレビで見るよりも、本で読んだほうが、伝わってくる。

本書から私の好きな句をいくつか紹介する。

 夜桜や 天に猫の目 ひとつあり

 紅椿 ほどけて落ちぬ 妓楼跡

 でも空は 真夏の青よ 別れみち


ゆっくりと酒を呑みたい、文庫本を片手に。

と思うのであるが、世の中そううまくはいかないようである。

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