読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

虹の刺客~小説・伊達騒動~(上・下) 森村誠一 講談社文庫

2009-04-30 22:53:01 | 読んだ
いつか読もうと思っていた小説である。

本書の解説を読んで知ったのであるが、伊達騒動を題材にしたものは歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」と、山本周五郎の小説「樅の木は残った」の2作が決定打となっていて、著名な小説は「樅の木は残った」以後現れていないという。
従って、森村誠一は「敢然として挑んだ」ということである。

さて、私は旧伊達藩に住んでいるので、伊達騒動には大いに関心がある。
NHKの1970年(昭和45年)大河ドラマは山本周五郎の「樅の木は残った」が原作であり、ドラマのタイトルもそのとおりであったが、当時、例えば私の祖母などは「原田甲斐」が善人であるわけがない、というようなことを言っており、つまりは歌舞伎の「伽羅先代萩」のイメージしかなったようなのである。

私の地元には、原田甲斐のお墓(首塚?)があるし、また当時の地元領主の娘が原田甲斐の妻であったことから改易されたことが伝わっている。
そして、伊達騒動のいわば原因である、伊達安芸と伊達式部の領地争いのひとつの地元であり、伊達式部の領地である。

さて本書は、伊達騒動を、伊達家だけの問題ではなく、4代将軍の後継問題、幕府の権力争い、或いは皇室と幕府の関係などと絡めて描いている。

「伽羅先代萩」でも「樅の木は残った」でも悪人である、一関の伊達兵部は本書でも悪役である。
原田甲斐は、本書でも伊達兵部の一味ではなく、そして伊達安芸の一味でもなく、独立した考えの存在とされている。

森村誠一の描く物語は「悪」を激しく憎むが、しかしだからといってその「悪」が滅び去るものではない。
我々は過去の歴史を通して、いかに「悪」に対峙していかなければならないのかをうったえているように思える。

伊達騒動は、悪人とされている伊達兵部だってそれなりの正義感をもっていただろうし、いわゆる正義派であるとされる伊達安芸や伊東一族だって、全てが正義であったとはいえないところがあるように思える。
そして原田甲斐だって・・・

伊達騒動をとおして描かれる人間模様。
人はその生涯を終えるときに、正しく生きた、と思い返すことができるのだろうか。

そんなことを考えさせられた。

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植樹と茶会

2009-04-29 22:34:30 | 日々雑感
昨年も4月29日であったが、今年も4月29日、植樹を行い、茶会に行ってきた。

昨年までは杉の木を植えていたが、今年は広葉樹(コナラ、クヌギ、山桜、カツラ、槐<エンジュ>)などである。

これらの木は、穴をちゃんと掘って埋めなければならないので、作業は割りと大変である。
90人で800本を植樹したのであるが、90人といったって子供たちもいるので、結局20本以上は植えたのではないだろうか。
約1時間半汗を流した。



この空き地に植えた。周りは主に杉の森。

山をおりたあとは、お茶会。

3箇所を順にめぐった。抹茶、抹茶、煎茶の順。
天気がよく暖かったので、外でいただくお茶の味は格別。
って、お茶の味はよくわからない、ただ、心が静かなときを過ごせたのである。

近頃はなにやらあたふたとした日々が続いているので、落ちつくことができた。

                  

こちらは旧尋常小学校の前で行われた、野点風の席。
作法は気にせず、いただいた菓子を食べ、茶を喫するだけである。

続いて、煎茶。煎茶は二服いただく。
胸がスーッとした気分になる。

   

というわけで、今日はゆったりとした気分で過ごしたのである。
加えて楽天イーグルスが田中の好投で勝ち、野村監督は1500勝を達成。
よかった、よかった。


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青春のうた 第80巻 1970年代後期24

2009-04-28 00:13:58 | 読んだ
1.ロードショー/古時計 1976年3月

フォークソングというのは、最初はプロテスト・ソングのような社会に物申すというようなカンジであった。次には身の回りのことを歌にするようになった。このときも最初はメッセージがあるようないわば硬派であったし、純文学の私小説のような哲学的なあるいは思想的なものがあったように思える。

それが叙情的なものがはいってきて、更にはいわゆる「軟弱」というようなものもでてきた。
私はけっして「さだまさし」を軟弱だとは思わないが、この古時計のロードショーは軟弱だなあと思うのである。

この詩に描かれているようなことをうたってどうするんだ!
と思っていたのである。

映画館のロビーで恋人がほかの女の子といるのを見て、
2年もつきあってきて近頃冷たいのはそういうわけだったの?
愛ってそいういうものなの?

みたいな歌である。

私は一言言いたい。

そういう男であったことを知らなかったあなたが悪い、そして今気づいてよかったじゃないか。
なにをいつまで、そんな男にくっついとんじゃ!責任者出て来い!

って、人生幸朗かっつうの。


2.あの唄はもう唄わないのですか/風 1975年12月

「風」はかぐや姫の解散後に伊勢正三がつくったグループである。

風のデビューは「22才の別れ」であり、これは必ずヒットするということがわかっていたものであった。
だから、実質は次のうたがデビューといってもよい。
すごく期待していた。

で、この歌を聴いたとき、まあいいんだけど、でもちょっと違うんでないの?というカンジであった。

詩も曲もいいと思う、おもうんだけどなんだか型にはまったようだ。
例えば「22才の別れ」「なごり雪」は、コード進行が「へエーそういくのか」と思うところがあった。

というわけで、このあと熱心に風の唄を聞くことが少なくなってしまったのである。


3.となりの町のお嬢さん/吉田拓郎 1975年9月

拓郎の唄といえば、どちらかといえば重いカンジであるが、この唄は軽くてリズミカルで、ちょいとびっくりしたものだった。

この歌は「青春」というカンジで、いかにも吉田拓郎らしい詩で、すごいなあ、と感心したものだった。

また、サビの部分ではファルセットになって、これは歌もうまくなったなあ、とほめてあげたものだった。

そのファルセットの部分がネックになって、なかなか唄いこなすことができず、徐々にキライになっていったものだった。


4.オレンジ村から春へ/りりィ 1976年3月

りりィの歌って、特別いいなあと思ってじっくりと聞くことはなかったのだが、若い時分ラジオを聴いていると、なぜかすっと心に入ってきて、五輪真弓よりりりィだなって思っていた。

この「オレンジ村から春へ」は資生堂の春のCMソングで、多分口紅だったと思うが、兎も角、おお!いい歌ジャン、と思っていたら、運よくエアチェックができて、早速歌詞を書きコードをつけて、レパートリーにしてしまった。

で、今回久しぶりに聞いたのだが、思っていたより軽めであった。
当時はもう少し重かったように感じていたのだが・・・

この歌と対になって私の心の中に残っているのは「カールおじさんのうた」で、それは多分「村長さん」というところからきているのではないかと思っている。

それにしても、この歌は私のベスト10に入る好きな歌である。

♪春がきいてたよ オレンジは好きかい?♪

ってなんだかとっても春っぽくていいんだなあ。


5.北鎌倉/岡本正 1975年9月

好きな歌である。

でだしの波の音に続く、リズムをとるギター・ベースの音が、思わず足でリズムを刻ませる。

♪北鎌倉で降りて 歩いてみませんか♪

という出だしが、いわゆる「ステキ」である。

亡くなった恋人を思い出して、鎌倉を歩いている男が、孤独なようでいてでもなんだか幸せそうでもあり、不思議な感じである。


6.言問橋/クラフト 1976年7月

クラフトといえば「僕にまかせてください」である。

この言問橋は、聞いたことがあるようなきもする。

でも、当時はこういう類の歌は「軟弱」であるとして、聞こうとしなかったのである。
それは多分、自分が軟弱であるからではないか、と今にしてみれば思えるのである。

自分がしっかりしていれば、軟弱であろうとそうでなかろうと、受け止められるはずである。
そうしておいて好きか嫌いかである。

そういう意味で食わず嫌いできかなかった歌だと思う。


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新・御宿かわせみ ~糸屋の女たち~(前・後編) 平岩弓枝 オール読物4・5月号

2009-04-26 21:38:54 | 読んだ
久しぶりの「御宿かわせみ」である。

4月・5月号で(前・後編)だったので、5月号を買ってから一気に読んだ。
(ちかごろ続き物はその前を忘れてしまう傾向にあるノダ)

事件は「京橋の糸屋」という、生糸を作るヨーロッパ式の製糸工場を経営している老舗の大店でおこった。

糸屋は、大内儀(おおおかみ)の春野が実質的な経営者である。
この大店の跡継ぎは春野と諍いがあり女中と駆け落ちをした。
一緒に住んでいるのは、亡くなった夫・清兵衛が外で作った二人の娘とその夫。
春野は跡継ぎであった清太郎の息子を、糸屋の跡継ぎにしようと、新聞に尋ね人の広告を出す。

で、この春野とかわせみの『るい』と畝源太郎の母『千絵』は、同じ茶道の師匠について稽古をしていた弟子仲間である。

この縁で、神林麻太郎と畝源太郎が事件に巻き込まれるのである。

事件の発端は、糸屋の番頭の死。麻太郎は毒殺と判断するが、犯人はわからずじまい。そして続いて、妾腹の娘・おとよ夫婦が殺される。更にもう一人の妾腹の娘・おきみまでも殺害される。

読んでいると、なんとなく犯人はわかるのである。

だいたい、物語やドラマではすでに犯人は登場しているので、見当がつきやすい。
これで、物語の最後で今まで登場していなかった者が犯人であっては、も尾が足りやドラマにはならないものね。

閑話休題。

ただ、その犯人が何故殺人を行わなければならないのかは、結末近くに行かないとわからない。
まあ、予想だにしなかったことが明らかにされるわけで・・・
老舗の大店というものをいかに継続させていくか、今で言えば「ゴーイングコンサーン」をどう図るか、ということと、その財産や権力に魅かれる人間がいつの世にもいる、ということが、この事件の骨格ではある。

今回の物語は、金田一耕介の各種事件のように、糸屋の清兵衛が撒いた種が原因であり、そのことを調べて初めて解決できたのである。

それにしても、畝源太郎、結婚しても『花世』には頭が上がらない。
今回の謎解きの語りは花世であったが、麻太郎と源太郎は、物事を直感的には理解しているのだろうが、論理的・物語的にはまとめられないのであろう。
そういう意味では今後も花世の出番は増えそうである。

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青春のうた 第79巻 1970年代後期16 

2009-04-24 23:45:09 | 読んだ
1.欲望の街/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1979.03

映画「白昼の死角」の主題歌。
「白昼の死角」は高木彬光の小説で、戦後の混乱期から金融業でのし上がる男を描いた、ピカレスクロマン、である。

その映画化だったので面白く観た。
主演の夏八木勲がかっこよかった。

なのに主題歌の欲望の街はあまり記憶に無いんだよなあ。


2.カリフォルニア・コネクション/水谷豊 1979年4月

水谷豊のイメージは「軽い」だった。
今の水谷豊からは想像がつかないだろうが、軽かった。
で、その軽いところがよかったのである。

このカリフォルニア・コネクションは「熱中時代・刑事編」の主題歌で、

♪ジグザグ気取った♪

という出だしが印象的であった。

うまい歌い方ではないが、味のある歌い方である。


3.君は風/佐々木幸男 1977年6月

佐々木幸男って聞いたことのある名前だけれど、この歌は初めて聴いた。

で、ああこの歌では私のアンテナには入ってこないなあ、と思った。


4.きんぽうげ/甲斐バンド 1977年9月

♪暗闇の中♪

に続くギターの音が印象的な、甲斐バンド独特のサウンドである。
ノリがよくて、グングン進むようなドライビング感があって、いい歌である。

でも、私、この歌のA面である「そばかすの天使」のほうが好きなんだよね。


5.植物誌/イルカ 1977年4月

この歌も聴いたことが無かった。

解説には
「イルカを語る上で外すことのできない名曲」
とある。

別にイルカのことを語るわけではないが、そういう名曲なのに知らないというのは不思議なカンジである。


6.夏の少女/南こうせつ 1976年6月

かぐや姫解散後、南こうせつの歌はなんだか暗かった。

かぐや姫聞いてきて、南こうせつの歌のなかで「神田川」や「赤ちょうちん」というのはどちらかといえば幹となっているものではなく、ちょっと異色の歌であると思っていた、

で、ソロになって本来の「明るい」歌を歌い始めるのかなあ、とおもっていたら、確かにアルバムにはそういうカンジのものはあるが、シングルは暗い歌というか「らしくない」のがが2曲続いた。

で、3弾目がこの「夏の少女」である。
つきぬけているカンジがさわやかで、ああ南こうせつらしい、と思ったのである。

好きです、この歌。

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ローマ人の物語34-迷走する帝国(下)- 塩野七生

2009-04-20 22:56:16 | 読んだ
「迷走する帝国」3部作の最後である。

ローマ帝国、3世紀後半、現職の皇帝ヴァレリアヌスが、ペルシャと戦い捕らえられたところで(中)が終了した。

以後の皇帝たちは、この未曾有の危機を乗り越えるために懸命に働く。

この「働き」について、著者の塩野七生さんは、大いに評価する。
しかし、当時のローマ人たちはあまり評価をしなかったようである。

それは第1に彼らは軍の推薦を受けて皇帝となった「仕事人」ではあったが、ローマ人たちの生き方についてまで影響をするような人ではなかったからではないだろうか。

皇帝は、ローマ人のリーダーであって、それゆえにこそ実務力とともに神秘力というかカリスマ性、もっと突き詰めると「貴種」というものが求められていたのではないか。

国を守り保つことを一生懸命やっているにもかかわらず、いわば些細なことで殺される皇帝、この時期のローマの皇帝たちは大変である。

皇帝たちは蛮族という外敵と戦いながら、実はローマ帝国の栄光という残像を追い求める人や、自らのことだけを考える人たちとも戦っていた。

第3章はローマ帝国とキリスト教ということで、キリスト教とのかかわりが著されている。
著者は言う

「(前略)、キリストの神は人間に、生きる道を指し示す神である。一方、ローマの神々は、生きる道を自分で見つける人間を、かたわらにあって助ける神である。
絶対神と守護神のちがいとしてもよい。(以下略)」

ローマ発足からローマ帝国の栄光の時期までは、守護神でよかった信仰が、外部環境ならびに内部環境の変化から、ローマの神々はもう我々を守ってくれない、神々はローマを見放した、とローマの人々は考えた。
と著者は言う。

だからローマにそれまでの考え方とは違うキリスト教が広がってきた。
つまりキリストの教えがローマ人に必要になったというのである。

帝国は老いつつある。
3世紀のローマはそうだった。

現代の日本も、制度も人も老いつつある、そう思うのだが・・・

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バーボン・ストリート・ブルース 高田渡 ちくま文庫

2009-04-18 17:32:01 | 読んだ
高田渡である。
フォークシンガーの高田渡である。

実は高田渡をリアルタイムでは聴いていない。

高田渡を聴きはじめた(じっくり聴くようになった)のは、「青春のフォークソング」のような企画番組がテレビで放映されるようになってからである。

すでに「長老」のような存在で、まあ「アル中」のような傾向でもあった。
で、とぼけた話と辛らつなのになんだか暖かい「歌」が、なんともいいバランスで、そしてやっと歌っている詩の意味も腑に落ちるようになってきた。

若い頃は、高田渡の歌って、なんだかイマイチ響かなかった。

その理由が本書を読んでわかったのであるが、高田渡の主義は、そのまままっすぐであると誤解を受けやすいし、誤解が何なのさという姿勢、彼にとっては自然であっても、こちら側から見るとなんだかすごく強気、というところなどが、受け入れられないところであったと思う。

その誤解を受けやすい主義と姿勢については、本書を読むとわかる。
フォークシンガーになる前の彼の人生を前半生というなら、それは我々から観れば「悲惨」とか「苦労」とかでくくりたくなるようなものである。

しかし、高田渡は「悲惨」とか「苦労」とはあまり思わなかったようだ。
そうは思わないが、やはりそういう境遇は、その人の人生に色濃く残る。

それが彼の歌になった。
そういう歌に共鳴する人は、ある程度いるが、大きくは広がらない。
まあ、高田渡自身広げることにあまり興味が無かったようではあるが・・・。

自然といえば自然、だからこそ社会的には異端、飄々というコトバも似合うが、だからこそ社会の制約や規範はあまり受け付けない。
傍から見ている分には、とってもうらやましい人生であるが、そばにいる人にとっては相当厄介な存在だったろうな、なんて思うのである。

読み終えたら、なんだか力を込めて生きていたように思えて、もう少し、ほんの少し肩から力を抜いてみようかなあ、なんて思ったのである。

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ブーゲンビル日記 柴田哲孝 オール読物4月号

2009-04-12 23:38:30 | 読んだ
第2次世界大戦(太平洋戦争)開戦時の日本海軍連合艦隊司令長官の山本五十六の乗った飛行機(一式陸攻)が、ブーゲンビル上空でアメリカの戦闘機に撃ち落された「謎」についての話である。

どこまで物語でどこまで実話なのかはっきりしないが、なかなか面白いものであった。

筆者は長年太平洋戦争について研究しており、古書店のオークションに出ていた資料を競り落とす。

この資料の中から、ブーゲンビルで山本五十六の捜索にあたった陸軍の軍医少尉の日記「ブーゲンビル日記」を見つけ、多くの資料と照合し、推理する。

そして、その結論は・・・・

その結論は途方も無い、とんでもない、ヒエーというものであった。
ところがその結論は、ナカナカなのである。
説明されると、それもアリなのか、と思ってしまうのである。


以下「ネタばらし」である。

太平洋戦争の開戦時の真珠湾攻撃とそれから続く戦いは、はじめから日米間でシナリオがあった、というのである。
そのシナリオの日本側の実行者が山本五十六であった。

そして、ブーゲンビルでの撃墜時ころにはすでにシナリオもいらなくなっていた。
そこで、山本五十六はアメリカに亡命することになった。それが山本五十六の前線視察であり、だからその日程、航路がアメリカに知られていた。

しかし、アメリカではもう山本五十六も不要であった。
だから撃墜をした。
というのである。

信じられます?

各種の資料を証拠からそういう推理となったのであろうが、山本五十六という人が「亡命」などをするだろうか?
例えば「天皇」の命を守るため、或いは天皇家の存続を図るため、ということならば、もう少しは説得力があると思う。

つまり、資料はそうであろうが「動機」が弱いような気がするのである。

とはいえ、なかなかに面白い説(物語)であった。

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地上デジタルテレビ

2009-04-09 18:55:13 | 日々雑感
我が家には3台のテレビがあるのだが、いずれも寿命間近であった。
地上デジタルに取り替えなければならないのだから、ギリギリまで今のままでいよう、と思っていた。

しかし、1台のテレビは自動的に音量がかわるようになり、いかにも映像もぼんやりしている。
また1台のテレビは、最初は字幕の部分が揺れていたのだが、徐々に全部の画面が揺れているようになった。

更に、我が家のビデオも留守録画できるものがなくなり、というか録画をすることもできないようになった。

こういうことから、思い切って、定額給付金もでることだし、今のテレビってどんなものなのか、パナソニックの展示会にでかけた。

で、今のテレビを見ると素晴らしい、絵がクリア音がきれい。
担当と話をすると、今が換え時らしい。
ちなみに、この担当者は我が家のテレビ状況はとくとご存知である。

てなわけで、新しいテレビ3台とブルーレイディスク1台を購入し、先週の土曜日に設置してもらった。

いやあー、今のテレビってすごいですねえ。
というのが感想。

料理番組を見ると、本当にうまそうに見える。
今まではボンヤリとしていたので「おいしい」といわれたって、そうなのかあ?と半信半疑だった。
しかし、新しいテレビだとよくわかる。コレは絶対おいしいだろう。

また、人の顔も鮮明である。
改めて、登場するというか映っている人の顔を確認してしまった。

更に、チャンネルは、地上デジタル系とBS系を合わせると約20ある。
何を見たらいいのか、迷ってしまう。
リモコンを操っているだけで面白いではないか。

というわけで、今はちょっとしたテレビブームなのである。
といっても、野球の楽天戦が主なのだけれど・・・

ところで、コンだけチャンネルが多いのに、時々というかわりと頻繁に見たい番組がない。
ここんところが、腹立たしいのである。

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楽天イーグルス開幕4連勝

2009-04-07 23:35:58 | イーグルス
どうしちゃったんだろう?

いつ夢が醒めるんだろう?

というようなカンジ、である。

開幕戦、岩隈で勝つ!あとは野となれ山となれ。
そしてホーム開幕戦、田中で勝つ!

これだけでも幸福なのに、第2戦先発長谷部、第3戦先発ラズナーが、勝っている試合で早々に降板したにもかかわらず、後の投手と打撃陣の奮起でモノにした。

中村(ノリ)の加入が大きいねえ。
状況に応じて、というか、点を取るバッティングをする。
打席で考えて考えて打っている。
今までの楽天にはなかったので、大きな刺激となっている。

この開幕ダッシュが、開幕ダッシュに終わらずに、粘り強く戦っていってほしいものである。

それにしても、今年の春は気持ちいいなあ。

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青春のうた 第78巻 1980年代前期12 

2009-04-05 17:38:34 | 読んだ
1.心の色/中村雅俊 1981年11月

「われら動物家族」というテレビ番組の主題歌ということ。
そのドラマは見ていなかったが、いい歌だなあ、と思っていた。

中村雅俊の歌って、いい歌、が多い。
これって、中村雅俊が歌うということで、作家の力が入るんだろうか。

作家をその気にさせる中村雅俊の魅力が素晴らしいんだろうなあ。

そういう意味で、息子の大麻事件は情けない。


2.狂った果実/アリス 1980年7月

アリスの歌の中でも好きな歌である。

リズム感とテンポが、滑るようでいてアクセントがあり、パンチの効いた歌い方と相俟って、すごく気持ちのいい歌だと思う。

歌詞は、世の中からちょっと足を踏み外してしまった男の魂の叫び、のようで、そうかそうだったのか、という共感がある。


3.マイクラシック/佐藤隆 1984年5月

佐藤隆といえば「桃色吐息」である。
独特の世界をうぃ持った人である。

その独特感をどう受け取るか、ということなのだが、私は「ああそうでございますか」というカンジなのである。


4.夏に恋する女たち/大貫妙子 1983年8月

大貫妙子のコンサートに行ったことがある。
弦楽四重奏かなんかがバックで、落ち着いた雰囲気のコンサートであった。

あまりの快さに、殆ど眠っていたように思える。

あれは弦楽四重奏の音の響きと、コンサート前に飲んだビールが悪いのである。

この歌もテレビドラマの「夏に恋する女たち」の主題歌だったそうだが、覚えていない。


5.DESIRE(デザイアー)/もんた&ブラザーズ

「もんたよしのり」の歌って、魅力あふれるいい歌だし、うたい方もハスキーでセクシーでいいと思う。

でもあまり趣味ではないのである。

「バタ臭い」というか、つまり私にとってはちょっと「しつこい」というか「くどい」感じがするのである。


6.鳥の詩/杉田かおる 1981年6月

これは「池中玄太80キロ」の第2シリーズに歌われた。

この「池中玄太80キロ」シリーズ、第2までは観ていた。
第2においてはこの鳥の詩とあの有名な「もしもピアノが弾けたなら」があって、シリーズの中でも最も面白かったように思える。

それは子供たちがちょっと成長して、大人たちとうまく絡めるようになったからだと思う。

というなかで杉田かおるはしっかりした清純派の長女役で、好感度は高かった。

その後、いろいろなことがあって今のようなキャラになったんだろうが、あの頃はなかなか可愛くいいお嬢さんに見えていた。

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駅弁ひとり旅 <監修>櫻井寛 <作画>はやせ淳 双葉社ACTION COMICS

2009-04-02 22:43:17 | 読んだ
「やっぱりうまか!駅弁天国九州編」
「うまいぞ九州!」
「有名駅弁 完全制覇だ!」

という惹句に魅かれてコンビニで購入。

漫画アクションで好評連載中!!とのこと。
また、単行本では第7巻が発売中であるとのこと。

と、いいながら双葉社のホームページで前号を読むことができる。
従ってワタクシ、第87話を読んでしまいました。
(現在は東北地方を旅している。)

主人公は中原大介。
駅弁好きが嵩じて弁当屋を営んでいるが、妻から結婚10周年の記念に、特別休暇として列車での日本一周の端緒として九州までの寝台特急の切符をプレゼントされた。

すごい出だしであるが、そういうことである。
そして、九州へ向けて旅立つ。
勿論、各話ごとに弁当がでてくる。

わりと短い話なので、夜眠る前に2話から3話ぐらい読めて、ちょうどいいカンジであった。

列車と駅弁、そして旅の途中でであう女の子たち、まあそんなことはないだろうと思いながらも読んでしまった。

駅弁を食べながらの列車の旅、というのは憧れるが、だいたい旅に出るときは何か目的があるので、つまりは「急ぐ旅」になってしまう。

だから、こういう物語にある旅に憧れるんだなあ。
でも、お金大丈夫?って思ってしまうのが貧乏性なんだよなあ。

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