読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

<映画>ハンニバル・ライジング

2007-04-30 19:11:51 | 観た、聴いた
原作を読んで映画を見る。
もしくは映画を見て原作を読む。
そして原作を読みながら映画を見る。(んなことはできないだろう)

今回は減殺を読んで映画を見る。のパターン、で実はこれ、今までの経験上「悪いパターン」なのである。
というか、これまでの経験はこのパターンが最も多い。

大体がガックリしてくることが多いので、今回は映画を見た人の感想を調べて、あまり期待をしないで行くこととした。

そもそも、この原作を映像化しようとすること自体が難問ではないかと思われるのである。

ひとつは、残酷なシーンが多くなるだろう、ということである。
カニバリズム(食人・人肉嗜好)ということを映像に表そうとすれば、静止に耐えないものになるだろう。
それから、主人公ハンニバルは医学生で人体解剖をよく行う。これはどうなんだ。

ふたつめは、ハンニバルの心の動きをどう表すかである。
子どもの頃の悲惨な体験、そしてそれに対する残忍な方法による復讐を行う主人公に、見ている側はどれだけの共感ができるのか。少なくても、小説を読んだ上では、ある程度共感できたが・・・

三つ目は「ムラサキ」婦人の美しさをどう表すのか。
主人公があこがれ続ける魅力的な日本人、それが映像ではどうなるのか?

と、まあ映画を見る前に心構えができてしまって、なんというか映画を見る方向がちょっと違うカンジになってしまったのである。
これは、イイコトなんだろうかダメナコトなんだろうか。

で、見た結論である。
「それなりに面白かった」

一つ目の残酷なシーンは抑制されており、ちょいと抑制されすぎてショックな部分がなかったが、まあまあいいんじゃないか。

ふたつめは、主人公ハンニバルを演じたギャスバー・ウリエルの美しさが共感の大きな材料であろう。映像化するにはちょっと難しかったかもしれない。

三つ目、ムラサキ婦人はコン・リーが演じたのであるが、コン・リーはよかったが、もう少しキツイ感じの女優でも良かったかな、と思った。

で、やっぱり、こういう物語は「映像化」というのは非常に難しいのではないだろうか。と思わざるを得ない。

人というのは、自分の感情や思考をさらけ出して生きているわけでなく、悲しいときに笑ったり、怒るところから逃げ出したりしている。
ハンニバルの心の中は熱く燃えているが、表面上は青い炎が時々光るだけである。
これをどう映像化しようとするのか、難しいと思う。
映像を作るにあたって脚本も演じる人々も良くやっているとは思うのだが、この映像では意図するところが十分伝わらないのではないだろうか。

ゆえに、このハンニバル・ライジングは映画をみて興味を覚えたら小説を読むことを薦める。
映画だけではハンニバルを誤解しそうなのである。

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植樹 ~みどりの森を次の世代へ~

2007-04-28 22:37:25 | 日々雑感
本日「みどりの森を次の世代へ」という植樹体験に参加してきた。

ちかごろとみに環境問題に関心が深くなってきたことと、少しお仕事関係の事情もあり、参加したのである。



植林の場所は山奥(といっても国道から15分くらい入ったところである)。
たぶん前は「アカマツ」の森だと思う。

ここに「杉」を植樹する。
この杉は花粉の少ない種類なのだそうである。
植樹というと広葉樹と思いがちだが、林業の人たちにとってはやっぱり「杉」なのだそうである。

で、その杉の苗(2~3年もの)を千本植樹。
参加者は、一般とスタッフあわせて108人。(丁度煩悩の数と同じ)



この杉が育ち森となるには長い年月が必要である。
約50年で木材用となるらしい。
そのときにはもう私は存在していないだろう。そういうことをしているというのはなんだか不思議な気持ちであるが、長い年月というのを考えるということは時々必要なのではないだろうか。

本日は天気もよく、いいカンジでありました。
なんて、実は体のあちこちが張ってイタイのである。

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ハンニバル・ライジング(上・下) トマス・ハリス <訳>高見浩 新潮文庫

2007-04-26 20:09:09 | 読んだ
レクター4部作、というのだそうである。
「レッドドラゴン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」そして「ハンニバル・ライジング」である。

作者はこの4作と「ブラック・マンデー」しか著わしていないのだそうである。

私は「ブラック・マンデー」は読んでいないが、既刊のレクター3部作は読んだ。
それも「ハンニバル」→「羊たちの沈黙」→「レッドドラゴン」の順に読んでしまった。いわゆる「手順前後」である。
映画はやっぱり「羊たちの沈黙」がいい。「ハンニバル」はラストが気に入らない。原作のほうが良かったと思うのである。

さて本書、ハンニバル・ライジングは、あのハンニバル・レクター博士の「誕生」の謎が明らかにされる。つまり生まれてから「怪物」になるまでの生い立ちが記されている。

これを読むと、ハンニバル・レクター博士に同情してしまう。
彼ほどの能力があるならば「怪物」になっても仕方がないと思うのである。
そして4部作のなかでは最も<読みやすい>と感じた。

例によって、この物語の背景やキリスト教との関係、あるいは地理的な関係もあやふやなのであるが、それらを知らなくても読み進めていくことに大きな苦痛はなかった。
ただひたすらに「これからどうなるんだろう?」という気持ちでいっぱいだったのである。

それからこの物語に近親感を覚えてしまうのである。
それは、レクター博士と深いかかわりを持つ人物が「日本人」ということである。
訳者はあとがきでこういっている。

「(前略)本書をいちばん楽しみながら味読できるのは、われわれ日本の読者だといっても過言ではないのかもしれない」

あちらの読物の中に「伊達政宗」などという単語が出てくるのはなんだか不思議な気分である。
(この場合突っ込むのは「欧米か?」ではなく「日本か?」となるのだろうか)

というわけで、あっという間に読んでしまった。
物語の進むスピード感とスリル&アクション、徐々に盛り上がっていく展開、そしてなんだかわかったようで実はよくわからないハンニバルの心境。いいです、これ。

映画を見に行こうと思っているのだが、ハンニバルでがっかりしているのであまり期待をしないで観てこようと思う。
それに、映像となると見るにきびしいところもありそうだし・・・・
だから「読む」ほうがいいのかもしれないなあ。

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ハツカネズミと人間 スタインベック 新潮文庫

2007-04-24 22:11:30 | 読んだ
えっ!こんなのも読むの?と思われるかたも多いと思われますが、ワタクシ基本的に雑食ならぬ雑読であります。

とはいうものの、私自身も驚いています。
この本はラジオで詩人の荒川洋治さんが語っていたので、読んでみようか、と思ったのです。
本屋さんで手に取ると薄い文庫です。148ページであります。
これならば、何とか最後まで読めるだろう、と思いましたです。

スタインベックという名前は何とか知っていましたが、どんなものを書いたのか、どういうカンジなのかは知らなかったです。そうしたら「エデンの東」を書いた人だというではありませんか。
といっても「エデンの東」とか「ジェームス・ディーン」もその名前を知っているだけですけど・・・

というわけで読み始めると、これがどうして、なかなか面白いではありませんか。

外国の小説は、名前の印象もなく、地名もわからず、時代背景もわからず、あるいは何かからの出展であるかもわからず、ともかく手探りの状態なので、つまりはスジに頼るしかない。
もしくは、何回も読まなければならない。

この物語も、もしかしたら何かに基づき、何かを暗示しあるいは寓意性があるのかもしれない、だけどそれは今のところよくわからない。

物語は二人の男が新しい農場につとめに行くところから始まる。
一人の男・ジョージがもう一人の男レニーにイロイロと注意をする。どうも前の農場で何かにしくじったらしい。

レニーはいい奴だがジョージの足手まといらしい。
足手まといで一緒にいるとろくなことがないのにジョージは一緒にいる。それは何故なのか?

レニーはジョージの話す「夢物語」を実現できるようにしたいとだけ思っている。
新しい農場でジョージの「夢物語」に賛同する人がでてきて、頑張れば夢で亡くなりそうなときに破局が起こる。

というスジである。
読み始めると「破局」がおきることが予測されるが、しかしそれがどのような形でいつおきるのか、ということがスジを追うことの興味。

しかし、スジだけでなく、人の悲しさ、みたいなものが伝わる。
人は、己の信じたところを行こうとすると誰かとぶつかる。また誰かを避けようとすると他の誰かとぶつかる。

ぶつかったときの状態によって大きな不幸が発生したり、あるいは幸福が訪れたりする。
そういうのは避けられないものではないだろうか。
だから、ぶつかったときに、どのように対応するのか、それが社会のルールなのではないか。

異民族の集まりであるアメリカでは平等が最も求められ、少なくても法の下の平等を担保するために、契約と裁判を前面に打ち出した。
しかし、同じ民族である日本人は義理と人情で我慢すべきところあるいは我慢しなければならないところは辛抱をした。
そんな日本に「契約」という新しいシステムが入ってきて、なんだか変な世の中になってしまった。

そんなことまで思ったりしたのである。

そして、貧乏が社会の悪ではなく、あるいは差別や格差が社会の悪ではなく、そういうものを悪とする人の心が、悪を生んでいるのではないか、と思ったりもしたのである。

本書の結末でジョージは、失ったものの大きさと、失うことが予測できたのにちょっと眼を離してしまった後悔と、厄介払いができたという安堵の気持ちと、入り混じった複雑な感情が入り混じっていたに違いなく、色々な感情が入り混じるのは「人の常」なのだ、と改めて思ったのである。

スタインベック、どこかの本屋でであったらまた1冊読んでみよう。

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野球観戦 楽天-ロッテ 4月21日 フルキャストスタジアム

2007-04-22 11:16:51 | イーグルス
昨日(21日)楽天ゴールデンイーグルスVS千葉ロッテマリーンズを観戦してきた。

お恥ずかしい話であるが、楽天イーグルスの創設以来のファンクラブ会員でありながら、初めての観戦である。



曇り空ではあったが、暖かかったので、まあ野球日和といえるでしょうか。
宮城球場と呼ばれていた頃から大きく様がわりをした、フルキャスト・スタジアム。入場前に「岩隈投手」のフィギアをもらう。(これで鉄平選手と二つになった)

試合前の数々そして試合中にも数々のイベントを行って、野球を見せてやる、ということから、見ていただく、という形に変わったことを、改めて実感した。

さて、試合は


青山投手の力投と、打線がうまく絡んで


3点先取した。もうこれで「勝った!」と思った。

しかし、そのあとがうまくない。
2番手で登場した、ロッテマリーンズの超ベテラン投手・小宮山投手にうまくかわされてしまい、小宮山投手に3年ぶりの勝ち投手を謙譲してしまったのである。
 

結局3対5で惜敗。
でも、ファインプレーやエラーまで見せてもらい、負けたこと以外は満足させてもらいました。
また、機会があれば見に行こうと思ったのでありました。

多くの人が楽天のユニフォーム着て帽子をかぶり、それも老若男女満遍なくいることに、昔の野球観戦とは大きく変わったことを実感したのであるが、ただひたすら勝つことの応援のようで、プレー一つ一つの面白さ<たとえばランナーがスタートしたとか、守備のバックアップとか、送球の速さとか>をもう少し見てもいいんじゃないか、と思った。

球場で野球を見るということは、応援しているチームが勝つことも重要だが、プロと呼ばれる野球とはどういうものなのか、ということを知ることができるということなのだと思うのである。

とはいえ、多くの人が応援することが、選手たちをハッスルさせ、更に高度なプレーを見せるインセンティブにもなるわけで・・・

ちなみに私これまで野球を見に行って一番スゴイと思ったのは、西武の辻2塁手が自ら守る位置のグランド整備をしていたことであった。
そういう姿勢がファインプレーを生むのだと感心したのであった。
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マグレと都市伝説-間暮警部の事件簿- 鯨統一郎 小学館文庫

2007-04-21 07:51:09 | 読んだ
またしても「鯨統一郎」である。
近頃は、塩野七生、陳舜臣、鯨統一郎の3人の本を平行して読んでいる状態である。

さて本書「マグレと都市伝説」は鯨統一郎の新しいシリーズもの「間暮警部シリーズ」の第2弾なのである。

何故、第2弾から読み始めたか?
答えは、第1弾<「神田川」見立て殺人>が本屋さんになかったからなのである。
(20日に見つけて購入しました、ご安心ください)

本書は、7つのお話から成り立っているが、その構成はほとんど同じである。

1.殺人事件が発生
2.被害者に近い人物が、大川探偵事務所に犯人の特定を依頼
3.大川探偵事務所の従業員で、本書では「ぼく」として語語っている<小林君> ともう一人の従業員で小林君の彼女(らしい)中瀬ひかるが事件を捜査する。
4.捜査途中で「間暮警部」と「谷田貝美琴」が登場し「歌」をうたい、この殺人 事件は「○○の見立て殺人事件だ」といい、犯人を指摘する。
5.かなりいい加減な間暮の犯人指摘について、小林(ぼく)と中瀬ひかるは西新 宿のバー「JP」でフォアローゼスを飲みながら検討をする。
  この時点で捜査途中で聞き込んだ「都市伝説」についても検討をする。
6.事件解決。
7.解決した事件について、小林君の兄・小林明と中瀬ひかるの3人で再度検討を すると、新たな事実が・・・

このパターンに従って書かれている。
つまりマニュアルに従って書いてあるといってもいいだろう。

で「○○の見立て」というのは
郷ひろみメドレー、太田裕美メドレーのように歌なのである。
そして、都市伝説。

本書は、殺人事件を推理するのではなく、著者の歌謡曲にかける思いが、いたるところで噴出しており、どちらかといえば「歌謡曲」のお話みたいである。

そういうわけで、本書の解説はあの<近田春夫>なのである。

歌謡曲好きの私にとっては懐かしく面白いお話であり、出てくる歌を大体歌えるというのが嬉しかった。

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ローマ人の物語(27)すべての道はローマに通ず(上) 塩野七生 新潮文庫

2007-04-17 23:13:38 | 読んだ
著者は<はじめに>で、我々読者に向かい言う。
「私にはあなたの助けがぜひとも必要だ」

どういうことか?
それはこの巻「すべての道はローマに通ず」が難しいからだ、という。
①書くのが困難だから読むのも困難である
②2000年の歳月を行ったり来たりする
③世界全図を頭に収めなければならない
④インフラというテーマ上「図や写真」が多い
だから覚悟をして読んでください、ということなのだ。

しかし、私はこの巻は面白く、興味深く読むことができた。

ローマ人はインフラを
「人間が人間らしい生活を送るためには必要な大事業」
と考えていたという。

これまで私にとって「インフラ」というのは、どこか怪しい雰囲気の言葉であった。
つまりインフラをつくることによって過度に便利になり、過度の便利にお金を費やすので「無駄」のような気がし、そのお金はどこに流れるのか、ということをイメージするからである。

しかし、インフラ=インフラストラクチャーの語源は「インフラ=下部」と「ストゥルクトゥーラ=構造」であるという。
直に解釈すれば下部構造であるが、歴史学者たちは「ローマ文明の偉大なる記念碑」という賛辞を送る。

引用したい箇所がいっぱいあるのだが、ローマ人たちが考えるインフラ(その多くは道と上下水道であるが)は、国家的事業であり、しかも必要不可欠なものであり、なおそのメンテナンスも必ず付随するものであるということを、多くの例を並べ説明している。

今の日本では、必要不可欠なものをつくる、という考え方が成り立たない。
自然を愛する人、便利を願う人、なんでもいい人、いろいろな考え方がそれぞれ成立しているからである。
従って公共で行うべき万人が必要不可欠と考えるものはないのである。

昔のローマ人の考え方の現実的なこと、効率的な社会整備に、ただひたすら感心しているのである。

この本を読むと、社会、そして社会資本(インフラ)に対する考え方が変わる。
さあ、続いて下巻を読もう!

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桜だより 4月15日 宮城県登米市登米町

2007-04-15 23:45:31 | 読んだ
昨日の登米市(とめし)登米町(とよままち)の桜の開花状況は、もう少しお待ちください、というところでしょうか。今週末には確実に満開状態になっていると思います。



この写真は、登米町の「春蘭亭」であります。



ちなみに登米町は「みやぎの明治村」を自称している町で、明治維新後直後の廃藩置県によって、一時は「水沢県」の県庁所在地にもなった町です。

街の中にはこのような武家屋敷(風)の建物もありますが、木造の小学校、警察署あとなどが郷愁を誘います。
ぜひおいでください。

ちなみに私の仕事場があるところです。
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小説十八史略(5) 陳舜臣 講談社文庫

2007-04-14 23:49:30 | 読んだ
第5巻は「唐」の建国から、玄宗皇帝と楊貴妃が帝国を傾け「安史の乱」を招くところまでである。

新たな帝国を建国する創設者たちの抜群のパワーとバランス感覚には感心する。
強弱、硬軟、考え方のバランスがとてもいいのである。

いわゆる英雄は、調整能力に長けているのだと思う。
ここでいう調整能力は、他と他、他と自分、ということのほかに、自分と自分を含む。そして自分自身の調整能力がもっとも大切なことなのである。

つまりは自分が我慢したり覚悟をすべきところはきっちり自分を抑え、無理をしても行かなければならないときには勇気を奮い決然として進む。それが英雄のようなのである。

しかし、そういう英雄たちも長い間権力を握っていると堕落してしまう。
堕落というか、大局的に見えず聞こえなくなるのではないか。

唐建国の立役者であり、2代皇帝太宗となった李世民も、中国史上最高の名君といわれているが、やっぱりその晩年はおかしくなる。
権力者のもっとも大切なことは、後継者の育成である。
太宗は、後継者問題をきっちりとせずに亡くなったのである。

その死後、唐は武則天という太宗の後継者・高宗の妻に簒奪される。
この武則天も中国史上、空前絶後の女帝である。
しかし、その死後またも争いがおこるのである。

そして武則天の三男・叡宗の子が名君といわれた玄宗である。
しかし、玄宗もその治世の前半は「開元の治」とよばれるほど栄えたが、その晩年は、あの有名な「楊貴妃」におぼれ、ついには安禄山そして史思明の「安史の乱」によって唐を傾けるのである。

なんだか「むなしい」気持ちになってしまう。
権力とはなんなのだろうか?
政治とはなんなのだろうか?

皇帝に仕える「臣」たちもさまざまである。
硬骨漢もいる、皇帝に阿るだけのものもいる、わが身の富貴だけを願い立ち回るやつ、大望を胸に秘めているものも・・・

皇帝を柱とする政治体制も、皇帝がしっかりしていて、臣たちが民をおもっていればいい治世となるのだが、一旦、権力の奪い合いとなるとブレーキがきかなくなる。

小説十八史略に描かれている歴史は、その繰り返しである。
だから、面白いのだ。

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タイムスリップ明治維新 鯨藤一郎 講談社文庫

2007-04-13 23:59:08 | 読んだ
ちかごろマイブームの鯨藤一郎である。

タイムスリップ森鴎外の続編である。
ただし、主人公は森鴎外ではなく、渋谷の女子高校生「麓うらら」である。
そしてタイムスリップ先は「明治維新」の時代。

このシリーズの特徴は、タイムスリップによって歴史が変わる、ということである。
いや歴史が変わるということではなく、この小説で説明されているのは、大河なる歴史があってそこにタイムスリップによる歴史が変わるような出来事が起きると、大河なる歴史に支流ができるということらしい。パラレルワールドの概念に近い。

それは文庫本の74ページに図解されている。

ということで、タイムスリップによるタイムパラドックスを何とか説明している。

タイムスリップものというのは、このパラドックスをどうするか?ということが一つの問題であり、タイムスリップすることで何をするか、ということで、このパラドックスをまったく無視する方法があるのだが、鯨藤一郎のタイムスリップシリーズは、このパラドックスを物語の柱にすえているところがユニークである。

麓うららはタイムスリップをして歴史の支流に足を踏み込むのだが、なんとかして大河に戻そうと努力をする。

明治維新の黒幕は誰か?
という命題もあるが、これは私にとっては至極簡単なことであったので、あまり興味はわかなかったが、ともかく、今伝えられている歴史をうまく料理していると思う。

面白かった。(ただしこの物語で日本史を理解したというこうには疑問である)
鯨統一郎のマイブームはまだ続くようである。
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青春のうた 第31巻 1970年代中期⑨

2007-04-11 23:09:36 | 読んだ
1.ルージュの伝言/荒井由実 1975年2月

こんな言い方もナンなのだが、荒井由美を聴いて「ああいいなあ」と思ったのはこの曲であった。
それ以前にもいい歌はあったのだが、しみじみと思ったことはなく、まあどちらかといえば「そうなのか」というような感想だった。

この歌は、いつ聞いても自分の周りが明るくなったような気がして、なんだか、ワクワクしてしまうのである。

アメリカンポップスのノリのいいところが、日本語の歌詞とマッチしていて、面白い。
その詞も それまでに無いような新鮮さがあっていい。

♪明日の朝 ママから電話で しかってもらうわ My Darling!♪

なんて、それまでには考えられないような歌詞で驚いた。さわやかに乾いたカンジと、新しい恋人の関係のような、つまりは「時代の先端ふう」が鮮やかに描かれて、それがちょいと前の曲調とピッタリ、というところが、この歌に惹かれた理由ではないだろうか。

2.恋のかけら/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1974年12月

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、このようなバラードよりもロックやブギウギのような曲調のほうが当時は好きだった。

「重い」というカンジがあまり気に入らなかったのだと思う。
1974年~75年当時は青春真っ只中であって、それでいて、というか、それだから、というか、ともかく、表面的には明るく楽しくだったが、内面的には将来への不安とか何をしてもうまくいかない苛立ちのようなものがあったので、この曲のような「重い」ものを避けようとする気持ちがあったのではないかと、推察したりするのである。

というのは、今聞くと、しみじみとしていいんでないかい、と思うからである。

3.嫌んなった/憂歌団 1975年11月

その後、憂歌団、に夢中になったことがある。
その後、というのは1975年のその後である。
この曲が出た当時はブルースというのもしらなかったし、いわゆる関西の脂っこさが前面に出ているような曲は嫌いだったはずである。

しかし、人は変わる、のである。
何かの折に聞いて気に入り、アルバムを買い、ブルースもいいなあ、なんていっていたのである。

ボーカルの木村秀勝の声と歌い方に惹かれ、そうこうしているうちに、内田勘太郎のギターにしびれてしまう、というのがパターンといえばパターンである。
私は、真っ当にその順でしびれていきました。

いつかはコンサートなんかで聞いてみたいと思いつつも、東北の片田舎のほうにはそんな情報も流れず、あきらめていたとき、出張で東京に行ったとき、日比谷公園を歩いていたとき野外音楽堂から聞こえてきたときは凄く嬉しかった。

4.変わりゆく時代の中で/佐渡山豊 1974年2月

佐渡山豊という人がいることは知っていたが、積極的に聴いたことがなかった。
印象としては「時代に遅れてきた人」という感じだった。

今回あらためてこの曲を聞いて、当時ではもう時代遅れという感が否めない、そんな歌である。
時代は、荒井由実のような音楽に変わりつつあったのである。

5.風になりたい/川村ゆうこ 1976年4月

というような意味では、川村ゆうこ、も同じようなカンジなのである。

フォーライフの期待の新人(第1回フォーライフ新人オーディショングランプリ)で、この「風になりたい」は吉田拓郎の作詞・作曲である。

悪いところはひとつもないのであるが、インパクトもあまりないので、そこそこ、という印象である。
勿論私は応援をしました。(心の中で)

この「風になりたい」はいい曲で、いまでも私時々歌います。
それにしても、川村ゆうこは、その後どうなったんでしょう?

6.無縁坂/グレープ 1975年11月

この歌好きです。
グレープの最後のヒット曲とは知らなかった。

詩が、物語になっていて、詩にあう曲がついていて、さだまさしの声がピッタシで・・・

母への思い、ということを歌うのは恥ずかしいのだけれど、この歌は、ちょっと離れたところから母を見ている、という印象で、変な表現であるが「僕だけが知っている客観的に見た母」というように思えるのである。

♪運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど♪
というところと
♪忍ぶ 不忍(しのばず)無縁坂♪
という部分がいい。
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サラリーマンNEO シーズン2 NHK総合23:00

2007-04-10 23:59:22 | 読んだ
いよいよ始まった、というか再開した、サラリーマンNEOである。
シュール、不条理、まあイロイロありますが、あまり深く考えず、しかし、ちょっとは考えながら見るのが一番かな、と思います。

なんといっても、テレビを見ていてそちらには届かないだろうが、どうしても「突っ込み」を入れてしまいたくなる、そんなところが嬉しい。

今回もいろいろあったが「Neo Express」の報 道男(生瀬勝久)と中山 ネオミ(中田有紀)がいい。中田有紀の冷たさがたまらない。

また、サラリーマン講座も笑える。

地味ではあるが「世界の社食」も好きだ。世界さまざまな昼食があるものだと感心してしまう。いい企画なので、これ独立させてドーンとやってくれないかなと思ったりするのである。

奥田恵梨華、原史奈の女優陣も一生懸命やっている。
これから毎週火曜日が楽しみである。
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総務部総務課 山口六平太 54 ワレモコウ 作・林律雄 画・高井研一郎 小学館

2007-04-08 21:14:58 | 読んだ
第54巻である。
このマンガも長い、時代を経ているのに、総務課の面々は相変わらずである。

この相変わらずのメンバーが、日常業務のなかで事件のような事件で無いような出来事に遭遇し、なんとか切り抜けていく。
このあたりが、我々の日常と同じなのである。

毎日が同じようであるがそうでもなく、事件は無いが語りたい出来事がおこっている。
ただ、マンガと違うのは必ずしも解決していないことである。

今回は本編が9編、そして番外編として「総務部総務課今西課長」と「総務部総務課有馬係長」が収められている。
このあたりから、ビックコミックを購読し始めたようで、既読感があるのだが、まとめて読むとそれはそれであり、やっぱり六平太は面白いのである。

ただ近頃の六平太はスーパーマンのようになってきて、他のメンバーやゲストのほうに親近感を感じたりするのであった。

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鬼平犯科帳スペシャル~一本眉~ 金曜プレステージ

2007-04-06 23:52:41 | 観た、聴いた
池波正太郎の鬼平犯科帳のテレビドラマ化、今回は「一本眉」である。

主人公・長谷川平蔵は中村吉衛門。
もう長谷川平蔵といえばこの人しか思い浮かばない。ゲストは宇津井健である。
そのほか豪華出演人である。

とはいうものの、みんな年老いたなあという印象は否めない。
特に梶芽衣子さんは「おまさ」役はちょっと気の毒なカンジである。
女優の方は長い期間のドラマはかわいそうである。

また、彦十役は江戸家猫八さんがなくなったので長門裕之さんになった。これはまた彦十のイメージを出していた。

このドラマがいいのは「フィルム」であること。
ゆえに遠近感がありビデオにはない「味」がでていて、「ああ時代劇だなあ」と思うのである。

鬼平は、善と悪、虚と実、清と濁のバランスがいい。
ゆえに鬼平の行うことは「正義」である。
こんな人はいない、のである。いないから、我々は憧れのである。

今の時代、鬼平のようなことをして正義を主張しても、絶対に責められるであろう。ところが、我々の心のどこかにはこんな人が現れないかなあと思っているのである。
こういう人の心の矛盾が社会にはあふれているのである。
それなのに、イエスかノーかの選択を迫るから、日本はグラグラしているのではないだろうか。

矛盾があるということを認め、或る程度のあきらめと寛容が今の日本には必要なのではないだろうか。
なんて思ったりしたのである。

それにしても鬼平はカッコイイ。
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早刷りの岩次郎 山本一力 週刊朝日連載

2007-04-04 21:49:34 | 読んだ
今週の週刊朝日(4月13日号:表紙は鈴木京香)で第4回の連載となる小説である。

山本一力といえば、浅田次郎、重松清とならんで、私の読まず嫌い作家である。
何故読まないのか?といわれると「なんとなく」としか答えようがないのであるが、ともかく月刊誌の小説新潮、オール読物に掲載されたものについては読んだことがない、別に意地を張っているのではないのだが、なんとなく疎遠になっている。

その中で山本一力は、今まで1回も読んだことがない。
浅田次郎や重松清はなりゆきで読んだものがあるのだが、山本一力は読んだことがない。

それが今度週刊朝日に連載小説である。
2回目までは読まなかったのである。
しかし、先週、前の号を引っ張り出してきて1・2そして3回と読んで、今週はいささかの心理的抵抗はあったが、読んだのである。

ちなみに我が家では週刊朝日はトイレにおいている。従って1週間かかって読むのである。従って、読む順番は好きな順となるわけで・・・
今週はこの「早刷り岩次郎」早めに読んだのである。

まだ4回目なのでどのような方向に行くのかは定かではないが、舞台は江戸、瓦版の早刷りしかも大増刷という体制を整えつつある釜田屋の岩次郎が、これからどのように物語の中で生きていくのか、ちょいと興味を覚えている。

というわけで、読まず嫌いだった山本一力の入門編ということで、1週間に1回読んでいこうと思っているのである。

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